続・トイレに宿る信仰心

8月になりまたカレンダーをめくる事となりました。

以前紹介したジュイニエ神父の信仰カルタカレンダーも、新しいページとなって心機一転。 

トイレに宿る信仰心をピュアな心で祈りたいものです。

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本日新たに気付いたのは、[ね]の字の欄でした。


  [ね] 願いつづければ ねていても起きる


神さまはわたしたちの祈りをいつも聞き入れてくださいますが、その時まで、失望しないで祈りをつづけなければなりません。イエズスさまはそれをたとえばなしで教えてくださいました。

ある日人の家に、夜、友達が来て「友よ、旅でたずねて来た友達のために三つのパンを貸してください」とたのみましたが、その人は中から「だめだ、もうねています、明日にしなさい」とことわりました。 

でも願いつづければ、友達だからでなくても、うるさいから、きっと起きて貸してくれるにちがいない。
求める人には必ず恵みがあたえられます。(ルカ11の5−8)



聖書の<求めよ、さらば与えられん>という教えなのですが・・・

どうです? 

なかなか示唆に富んでるでしょう。

まるで「しつこく望みを乞い続ければ、神さまは根負けして叶えてくれる」と教えてるみたいですね。

さらにこれはどう見ても戦前の農家のスケッチ風。

いいのかなぁ? 

イエスのたとえ話しは完全に日本昔話になっております。

しかも布団の中で家族水入らずの寝込みを襲うように、板戸をどんどん叩いているじゃありませんか。

これでは確かにうるさくて、神でなくとも望みを聞かざるを得ません。


[しつこい欲望とは美徳か否か?] 

その欲望の質にもよるのでしょうが、私自身もよく迷うところです。

[諸悪の根源は欲望である]のは事実ですし、欲望と苦悩は切っても切り離せない関係です。


さりとて欲望が存在しなければ、人生を生き抜く動機付けが生まれません。

果たして聖書はそこら辺をどう伝えているのでしょうか?

「あいつはうるさいからとりあえず望みを叶えてやっとけ!」って、そんなもんでもない気がしますけど・・・


考え込んでしまって私、トイレが妙に長くなってしまいましたよ。



おまけ:なんと!障子越しに告解している、この絵にも注目です。

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by viva1213yumiko | 2012-08-02 15:05 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)
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