江戸の「粋人」

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江戸時代は「粋」という価値観が最も大切にされていました。

しかしこの「粋」っていう概念、現代人にはイマイチ分かりにくいんですよね。

「粋」っていうのはシックと言うんじゃなく、エレガントとも違い、なにか余裕があるんだけど下品と紙一重のあたりにあるような、微妙なかっこ良さの事を指すのです。


江戸の「粋人」を目指すには、まず「通人」となって、色々なウンチクを知らなければなりません。

「通人」への入門書、<洒落本>なんかを読んで、「通」の旦那を目指したいものです。

<洒落本>には吉原へ行く時はこんな格好、買い物に行くにはこんな感じ、芝居へ行く時はこんな装いと、遊びのライフスタイル・マニュアルが記されていて、現代のファッション雑誌と同じような役割がありました。

だいたい吉原自体が、パリコレみたいな流行発信地だったのです。
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吉原とは夢を生産し消費させる場所。

ハリウッドみたいなものでした。

そして男を磨く試金石となる場所でもあったのです。

男というものが試されるとあって、みな頭のてっぺんからつま先まで練りにねって挑んだようです。

ボロの着物しか持ってない長屋の庶民にも、レンタルブティック(損料屋)があり、着物・持ち物・履物まで、勝負服のすべて一式を揃える事が出来ました。

ファッションコーディネーターの先生みたいな指南役がいて、お伺いを立てたりしたんだそうですよ。

ファッションだけでなく、立ち居振る舞い、お洒落な会話やジョークまで教えてもらい、手帳に記して暗記して「いざ吉原へ」と挑んだと言います。


しかし、習った事をそっくり真似るのは「野暮」のする事。

それらを身体で覚えてさり気なく振る舞い、その上さらに自分のオリジナリティを醸し出せるのが本当の「粋人」なのだそうですよ。

当然、「粋人」が出来上がるにはそれ相当の年期がかかり、40才位の大人にならないと粋な色恋など出来なかった。

「粋」は付け焼き刃では身に付かないものなのです。

なので「粋人」を目指す放蕩息子たちは、いつでも人生を棒にふる覚悟で湯水のように遊んだ。

そしてその危うさが色気となって醸し出されて、女にモテるようになって行ったのだそうです。
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スタイリッシュな「通人」から、さらにそれを超えた「粋人」へ・・・

江戸の美学って、斜に構えたような、やせ我慢のような、ちょっと崩れたような不思議な美意識です。

ピークを越えるほど爛熟し、滅びの曲線に踏み込みつつあるような、まるで中年期の人生みたいな文化なのです。


中年期を過ぎ越したこの私・・・

江戸の「粋人」を見習って、<滅びの美学>ってモンをかっこ良く会得したいと思う、今日この頃なのであります。




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by viva1213yumiko | 2013-06-11 12:23 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)
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