江戸ファッション・上方ファッション

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ファッション雑誌の特集に、<都市別ストリートファッション・スナップ>ってありますよね。

街行く人のファッションで、各都市ごとの流行りの傾向がチェック出来るやつ。

あれ、結構好きなんですよね。

昨今はどこの国でもファッションの流行は似たり寄ったりですが、それでもやはり、なんとなくお国柄が出てしまうのが楽しいんです。

パリとミラノとロンドンとでは、小物使いの傾向も、色の組み合わせ方にも、微妙な違いがあるものです。

それは東京ファッションと関西ファッションでも同じで、えも言われぬ微妙なセンスに違いが現われるみたいですね。


江戸時代には、そのセンスの差がかなりはっきりしていて、江戸っ子が京へ旅すれば「あいつは関東もんだ」ってすぐに分かっちゃうほど、明確に違っていたのだそうです。

例えば着こなしに関して言えば、上方ではきっちりと着付けたのに対し、江戸ではだらしな~い着こなしだったと言います。

江戸は着物の打ち合わせがとても浅くて、走ったりすればすぐに裾が割れてしまいました。

しかも、若い女でも懐に手を入れたり男前な仕草をしたので、胸の辺りがダラ~ンとはだけてしまうのです。
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確かに浮世絵の美人画を見ても、着物の胸元や裾周りがやたらとずるずるしているし、足が腿の辺りまでむき出し状態なのが多いのですよね。

腿の隙間の辺りを評して、「小股の切れ上がったいい女」なんて言う褒め言葉もあります。


着物の色の好みも全然違い、上方は奇麗な色を好んで着ていました。

しかしお江戸では渋めの色と柄が選ばれました。

「赤ぬける」と言葉にあるくらい、女らしい赤い色を身に付けなくても、色気があるのが「粋」だった。

「あか抜ける」とは「体を磨き込んで垢を取る」以外にも「赤なしで勝負する」の意味があったようで、「赤い色なんかに頼りゃしないよ」と言う意地っ張りの江戸っ子気質を表しています。

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その分赤い色は、女にとってここぞという時に決める勝負色だったようで、赤い紅・赤い下着・赤いかんざし・赤い半襟なんかを黒っぽい着物の差し色として使ってチラ見せ効果で勝負したのです。

ちなみに男の決め色は紫と決まっていて、紫の襟をチラッと見せて女に思いを伝えたんだそうですよ。


化粧についても、上方文化だと女に生まれたからにはフルメークがこそが身だしなみ。

しかし江戸では、スッピンの素肌に紅だけというポイントメークが好まれたのだから、ずいぶんと違うものです。

髪型も奇麗に結い上げるのが上方風で、江戸では湯上がりの洗い髪が一番「粋」とされた。

「湿った髪を背中に垂らし、櫛を横に刺した湯上がり女」なんてのが最高に色っぽかったのです。

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総じて、奇麗なものをどんどん加えて豪華絢爛にして行く、足し算のファッションが上方風と言えるんじゃないでしょうか。

都の歴史が長いので、マニュアルにのっとった花鳥風月の雅を「風流」としたのです。

しかしお江戸では過剰ファッションは嫌われる。

何かを省略した引き算ファッションで、色も少なめ、格子や縞柄のシンプルな幾何学模様などが好まれました。

遠目からはっきりと目立つものはカッコ悪く、一見普通だが近寄ると凝った良い素材を使ってる、なんていうのが良しとされたのです。


こうして比べてみると、上方と江戸では随分美意識が違うものですね。

私思うに、上方の華やかなファッションは、ゴージャスで派手好きなイタリアファッションに似てるのかも知れません。

そして「粋」を重んじる江戸のお洒落は、シックでさり気ないパリ風ファッションってところですかね。

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江戸時代は役者や花魁がファッションリーダーだったので、女たちは吉原や島原の花魁の浮世絵を眺めては、都と江戸の最先端ファッションを比べて楽しんだに違いありません。

それは江戸時代の<都市別ファッション比較>でもあったと思います。

昔も今も、女が好きなものは似たり寄ったりって事なんですよね。




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by viva1213yumiko | 2013-06-14 14:19 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)
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