江戸の色恋

<愛>と<恋>とを比べてみたなら、何んとなく<愛>の方が格調高く、ご立派な感じがしますよね。

未熟な若者が<恋>を知り、それが成長して<愛>へと育って行くような、そんなイメージがあります。

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しかし、昔は逆だったんだそうですよ。

まず<愛>が出現して、それが<恋>に育つのだそうです。

<愛>とは即物的な物に対する執着心のような、そんな心情を示す言葉のようでした。

「壷を愛する」「茶碗を愛する」「盆栽を愛する」っていうようにです。

だから、「女の子を愛する」って言ったら女の子をお人形のように愛する事を意味しました。

「子供を愛する」とか「犬猫を愛する」って感じに近いようなんですね。

しかし、<恋>となるとそこから一歩踏み出して、愛するものを手に入れる<行動>を伴う心情になります。

愛するものを自分のものにしようとして、どんどんどんどんアプローチして行く事、それを<恋>と呼ぶのです。

この<恋>と<愛>とが絡み合ったのが、近松の心中ものなど、上方文化がリードした<情>の世界です。

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しかし江戸文化(特に江戸中期以降)では、<情>はあまり重きがおかれず、むしろ<色>というものが際立って来るのです。

<恋>とは動物的な本能で、命と引き換えにするほど衝動的激情です。

しかし、それに比べて<色>はゲーム感覚が強いのです。

「色はその日のできごころ」と言って、その日の天気や気分によって恋人を取っ替え引っ替えするような、想像力をも含んだ<ファンタジー世界>全般の事を指すのです。

<恋>っていうのは相思相愛が基本ですが、<色>はそうとも限らない。

当然、女郎買いの遊びは<色>に入ります。

女郎買いでは初めて逢った男女なのに、まるでず〜っと一緒にいるように夫婦の契りを交わして、濃密な時間を過ごします。

疑似恋愛の恋愛遊戯なのだから、これは完全に<色>です。

だけど逆に、「惚れ合ってる同士の男女なのに決して肌を合わせない」なんて形の事も<色>と呼ぶのです。

「惚れているのに身体を合わせない」「惚れてないのに身体を合わす」という、創造力で補う部分を必要とするのが<色>

だから<色>は<恋>より大人の意識がなければ成立しなかったのです。


西鶴や近松のように、「男女双方思いつめての末の心中」なんていう<情>の世界は、江戸には似合わなかった。

<色>とは、人間関係から生じる<しがらみ>から一線を引いた、ちょっとドライな個人主義っぽい関係なんですね。

江戸の恋愛文化は、<情>よりも<風情>と言った方がピッタリするかも知れません。

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その<色>と<風情>をサービス産業として大々的に商ってたのが、いわゆる遊郭ですよね。

男はお金さえあれば、出費に応じた疑似恋愛をシュミレーション体験出来る。

遊女とは、いわば恋愛インストラクターです。

男と女のプロフェッショナルです。

遊女は男を呼び寄せるのが技術なので、実践面での訓練は相当に積んだそうですよ。

男を酔わせ、桃源郷に誘うには、それなりの才覚と努力が必要で、疑似恋愛のための手練手管が色々あったといいます。

そして、さらにそれ以上の効果を求めて、遊女たちは<まじない>という手法を用いてたと言うんですねぇ〜

故杉浦日向子さんのエッセイに、遊女たちのまじない法を紹介したものを発見したのですが、それがとっても面白かったので、次回は遊女たちのまじない方法を密かに教えちゃいましょう。

殿方を虜にしたいとお考えのあなた、乞うご期待です。




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by viva1213yumiko | 2013-06-21 21:21 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)
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