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初詣のあれこれ

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初詣のお参りとは、去年一年を無事に過ごせたことに感謝し、新しい一年の幸福と健康を新たな気持ちで祈る行事のこと。


日頃神仏のことなどこれっぽっちも意識しない人でも「お正月くらい初詣に行こうかな?」「じゃないとバチ当たりかな?」なんて思うものです。


正月って結構ヒマだし、家でグータラするのもいい加減飽きるし、家族との会話も特にないし・・・


だから必然的に「初詣でも行くか」「屋台で何か食べるとするか」


と、こうなります。


多くの人が三が日に初詣するその本当の理由は、屋台が出ていたり、お神酒や甘酒が振舞われたりするから。


正月用の<イベント戦略>のなせる業ですよね。


ま、すべての聖なる儀式は、巧みに非日常を演出した行為だとも言えます。


イベント結構! エンタメ結構!


スピリチュアルはあくまでも楽しくなくっちゃね。


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でも昔はそうじゃありませんでした。


江戸時代には大晦日の夜から元旦の朝にかけ、それぞれの家の家長が氏神の社に籠る習慣があったそうです。


これを「年篭り」と呼ぶのですが、この儀式には<死霊>を呼び出す意味合いが強かったそう。


先祖の<死霊>はその年の<年神様>となります。


そして初日の出と共に降臨し、子孫の繁栄を見守って下さるのです。


だから五穀豊穣を祈って、先祖の死霊と積極的にコンタクトを取った。(つまりゆく年くる年降霊会だ)


年越しの儀式とは、もともとそのように神秘的なものだったのです。


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それにしてもなぜ人は新年になると初詣しなきゃならないと、本能的に思ってしまうのだろう?


信仰心のあるなしに関わらず、多くの日本人の血がほとんど反射的にそう思ってしまいますよね。


我々のDNAに何者かが号令してるんでしょうか?


「日本人よ、今こそお参りすべし!」とね。


すると日本人の集合意識はそれに立ちどころに反応する。


「初詣、今年はどこ行く?」


「え? 行かないの?」


「そんなのあり得ない! きっとバチ当たるよ~」


年末年始はそれぞれの共同体メンバーと同調することを強要されます。


昔っからそう・・・


じゃなければ村八分です。


「人混みに疲れて心が汚されるので、私はひとり静かに祈ります」


そんなこと口にしようものなら、非国民のレッテル貼られかねません。


個人主義の傾向の強い人には、日本のお正月はちょっと居心地悪い行事と言えるかも知れませんね。


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日本人は神聖なものも、俗っぽいイベントに仕立てあげちゃうのが得意です。


季節の農耕行事とスピリチュアリティーとをちゃっかり合体させちゃう、そういったしたたかさがありますよね。


だいたい神仏混淆の文化なのだから、お参りも神社だけって訳じゃなく、お寺でもどこでもOK。


要するにとてもフレキシブルなのです。



私は初詣の時、幾つも寺社巡りするのは浮気っぽくて良くないことだと思ってましたが、実はお参り回数の制限なんてないんだそうですよ。


たくさんの寺社仏閣を巡るのも全然アリだそうです。


また地元の氏神様には「必ず三が日の間にお参りするもの」と親に言われて育ったので、初詣って1月3日までに行かないと功徳がないものと思ってました。


けれどそれも単なる刷り込み。


親から受け継いだ<勘違いの遺産>だったのです。


初詣になぜ<初>の字がつくかというと、それは今年最初の参拝を意味してるからなんです。


三が日の間の参拝が正しい訳ではありません。


だから極端な話し、初詣が3月でも4月でも別に構わないことになります。


梅や桜が咲く頃になって「ようやくこれから初詣でありんす」って開き直ってみても、それはそれで構わなかったんですね。

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結局初詣とは、自分好みのご利益のある神社やお寺に、自分の好きなように行けば良いってことみたいです。


神社にはいつお参りしても良いし、何度行っても良い。


お参りすればするほどご利益はあるものなのです。


でも全く行かないとしても、特に祟りがある訳でもない。


ルールや戒律みたいなものもなく、極めてゆる~い神様が、かしこみかしこみ、そこにはおわす。


ようは物見遊山を楽しみながら、神様に新年のご挨拶に伺えば良いのです。


温泉みたいにほっこりしてる日本のスピリチュアル文化には、脱力系がお似合いなのです。

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お参りする時大事になるのは、ハウツーよりもむしろ動機。


神社に「どう」お参りするかより、「なぜ」お参りするかの方が問われます。


神社のお参りは行ったからどうなる、行かないからどうなるというものではありません。


<本気の願望>が大切で、中途半端な気持ちでは望みは成就しないんですね。


ポイントはあくまでもここ。


【本気で祈った者にはきっと良いことが起こる】です。


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<引き寄せの法則>以来、潜在意識にポジティブな願いをオーダーすれば望みは叶うって認知され広まりました。


それは本当だしそれ自体が悪いことではありません。


でもただ祈るだけじゃ効果的でないのも事実です。


望みとは、他力本願して棚ボタで叶うようなものじゃありません。


祈るのと同じくらい努力することも必要で、やれることの全てをやって、なおかつ神様にお任せするのが最も望ましいんですね。


「人事を尽くして天命を待つ」って奴です。


それも欲得抜きの気持ちで努力しなければ、多分願望は実現しないでしょう。


祈願とは<棚ボタ>や<まじない>ではないのです。


ちゃんと努力して自分の手でチャンスを掴まなければ、本当の意味でのご利益は手に入らないんですね。


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初詣のお参りとは神様への新年のご挨拶。


あくまでも表敬訪問です。


<お天道さん><お陰さん>に感謝の気持ちを表現すること。


目には見えない大きな何かに畏敬の念を示すこと。


それがお参りの本質です。


落ち込んだ時や、良くない状況に陥った時も、その状況に感謝してプラス思考を表明する。


神様は強い子がお好き。


だから芯の強さが必要なんです。


実際に辛い時そうするのが難しいのは良く分かるけど、敢えてそれをその度表明する。


それが人間の精神に光を灯すことなのです。


迷いの森から抜け出すきっかけを、自ら作ることになるんです。


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神様に逢いに行ってみてご覧なさい。


神社のご神体っていうのは、別にどうってことない丸い鏡ですよね。


でもその時初めて鎮座していた神様が、鏡に映る自分だったと気づかされるのです。


つまり神とはイコール自分のこと。


神様は有名なお社の奥の院で、私たちを見下ろしてる訳じゃないんですね。


神様は自分自身の中にいるんです。


そう信じて、神様との信頼関係をしっかり築いて下さいね。


結局「心におわす神」だけが、望みを叶える力を持っているのです。



お参りとは、人が人らしくあるために人が考えた智恵だと言えるでしょう。


自らのプラス思考を繰り返し表明するようなものです。


年が明けたら是非神様にご挨拶に行ってみて下さい。


もちろん、物見遊山を楽しみながらね。



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by viva1213yumiko | 2016-12-30 20:30 | 季節・行事 | Comments(0)
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