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ジィジとバァバのグラン・パ・ド・ドゥ

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「もう参っちゃうよ〜 今度の日曜、バレエの発表会なんだよぅ〜」


友人は娘の発表会を目前にし、まるで自分が出場するかのように緊張している。


その様子がいかにも可笑しかったので私は必死で笑いを堪えていた。


バレエの発表会。


それは幸せファミリーを実感できる最高の場面です。


友人のそのドギマギした感情さえ、むしろ人生の醍醐味じゃないかと思えるんですけどねぇ〜


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子ネズミみたいな小さいバレリーナでも、発表会ともなれば衣装を身につけ舞台に立つ。


カサカサするチュチュの手触り。


くすぐったいような舞台袖の緊張感。  


パパもママも一枚でも多く写真を残そうとカメラをスタンバイしている。


晴れ舞台を両親が見守るこの日は、甘酸っぱい記憶の宝庫です。


そのメモリーは魂の奥に刻印され、忘れがたい印象を宿し、その子の生涯に大きな影響を与えることでしょう。



そんなバレエ発表会に潜入することになっちゃいました。


そして改めて気づかされました。


「家族って似た者同士が集合する小さな組織である」ってことに・・・


それはとても何気ないけど、しかし極めて大事なこと。


バレエの発表会とは<家族>を客観的に観察するのに最適の場だったんですね。


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いや~、家族って奴はホント、不思議なもんですね〜


しみじみそう思っちゃいました。


ほら運命の赤い糸ってあるでしょ?


アレ、アレ・・・


家族って、もうまるっきりアレそのものなんです。


親と子の間にはゼッタイ、目には見えないヒモが存在してますね。


そしてそのヒモ、お互いに絡みついてるんですよ〜(怖)


それはまるで同じ品種・同じ規格の柿を選んで、ヒモでくくって干し柿にするようなものです。(ヘンな例えで申し訳ない)


干し柿ファミリーは一本のヒモにくくりつけられ、軒下に吊るされる運命共同体です。


軒下にぶら下がる干し柿たちの宿命の赤いヒモ。


私、バレエ発表会という華やかな祝祭の場面で、見えないはずのこのヒモの存在を感じてしまったんです。


しかもそれは親子関係だけの問題じゃありません。


両親双方の家系からジィジとバァバも参入し、宿命の赤いヒモはさらに複雑な様相を見せる。


それはまるで覗いちゃいけないファミリー・アフェアを覗き見るようなもの。


バレエ発表会は家族のドラマを垣間見れる、これとない絶好のチャンスだったのです。


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それにしても親子って良く似るものですね〜


子供はそのまんま親のコピーです。


遺伝によってDNAを継承してるのだから当たり前と言えば当たり前ですが、これはもう完全な<コピー商品>です。


顔かたち、体格・体型が似てるのはもちろんです。


でもその上さらに思考パターンまで継承されちゃう様は、何と言うか空恐ろしいくらいです。


両方の両親から半分ずつ受け継いだDNA。


ひとりひとりの人間に個性や特徴があるのはDNAの成せる技ですね。


そう思って自分という存在を改めて考えるととても不思議です。


自分という人間は目に見えず得体の知れないこのDNAの、単なる宿主に過ぎないってことなの?


そう考えると何か怖いような、哀しいような、情けないような気分になります。




「そういうところ、お父さんに(お母さんに)そっくりね!」


誰でも一度くらいそんな風に言われたことあるんじゃないかしら?


ふとした表情や仕草、歩き方や喋り方に、遺伝の赤い血は表現されてます。


私は自分の足の指の形が父親と全く同じ形だということに、父親が死んで行く時に初めて気づきました。


「電気ショックで蘇生するのでお嬢さん足を抑えてて下さい。」


医師にそう言われ父の足首をつかんだ時、父親から受け継いだ赤いDNAの存在をハッキリと感じました。


「この人の足は私と全くおんなじ形だ!」


死に行く人を目の前に、私はDNAについて考えていた。


寄りにも寄って父親の死に際に遺伝について考えたくはなかったが、気づきはその時突然やって来たのです。


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遺伝によって子孫に個体性が継承されるのと同じように、驚くべきことに<愛のパターン>も親から子へ受け継がれるのです。


愛し方ひとつにも実は家族それぞれに独自のパターンがあります。


それが親から子へと受け継がれて行く。


これは遺伝というより<愛の学習パターン>と言って良いでしょう。


おおかたの人間は親から愛を学びます。


国語・算数・理科・社会を学ぶように、愛し方を親から学んでいるんですね。


だから親から愛し方を習わなかった子供は、当然ながら<愛を知らない人>となる。


そのような人には誰かが親代わりになって愛を教えければなりません。


つまりひとりの人間が健全に成長するには<愛を伝える伝道師>が必ず必要なんですね。


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そこでまた、話しを発表会へと戻しましょう。


ここにジィジとバァバがいるとします。


その二人は成熟した踊りの名手でとても上手に<愛のダンス>を踊れるとする。


バレエで言うなら最大の見せ場<グラン・パ・ド・ドゥ>ってとこですね。


その<パ・ド・ドゥ>が純粋で美しいものなら(つまり愛のあるものなら)、それは次世代の生命力を育む最強の揺りかごとなるでしょう。


そしてジィジとバァバの世代から、ひとつ下のパパ・ママの世代へと、DNAを経由して愛は確実に継承される。


愛のある赤い血の家系には、愛の概念を受け取れる感受性が育つんですね。


その赤いDNAに<愛を知る人><愛を表現する人>というデータが書き込まれるのです。


そのような子供は愛に対する感性が発達しいる。


だから愛を習得するスピードも早いのです。


ほんの少しレッスンするだけで、すぐに<愛のパ・ド・ドゥ>が踊れるようになる。


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植物を育てるために我々がするべきことって、とてもシンプルです。


光と水を適切に与えれば良い。


たったそれだけのことで植物は自ら勝手に成長して行きます。


人間もそれと同じようにたったひとつの力に導かれ自ら成長して行く。


それは<愛の力>なのです。


親から子へと本当の意味で手渡せられるのは、お金や財産といった目に映るものではないのです。


目には見えない<愛の力>を、子供たちにたっぷり与えれば良い。


<愛の力>を最後まで、見失わぬよう導けば良い。


そうすれば<愛の力>そのものが、その子を咲かせ実らせてくれる。


教える者が誰もなくとも、<愛のパ・ド・ドゥ>を踊り出す。


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by viva1213yumiko | 2017-02-21 01:13 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)
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