魔女の見習い よもやま歳時記
2021-11-29T18:27:32+09:00
viva1213yumiko
スピリチュアリティとエンタメ&アートの融合ブログ
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viva1213yumiko
未分類
皆さんこんにちは。
お元気でお過ごしですか?
ブログ「魔女の見習いよもやま歳時期」にお立ち寄り頂き、誠にありがとうございます。
現在諸事情により、当ブログは休止をさせて頂いております。
今のところ再開の目処は未定ですが、準備ができ次第新たなアイデアを携えて再開したいと思ってます。
その節は、是非またよろしくお願い致します。
注:Twitterは継続してます。
https://twitter.com/viva1213yumiko
今年2021年5月から7月には、コツコツと書き溜めて来た当ブロブが、全3冊のエッセイ集となって生まれ変わることができました。
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魔女の見習いエッセイ集 第二巻 〜悲劇?喜劇? 不思議な魂の人生訓〜
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以下のサイトをご参考に・・・
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天国への門
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2020-12-10T12:48:00+09:00
2020-12-10T12:48:05+09:00
2020-12-07T13:49:14+09:00
viva1213yumiko
人生・霊性
針仕事が苦手だ。
つまり裁縫が苦手ってことです。
裁縫は遥か昔、家庭科実習の時間に習っているはずなのです。
<並み縫い><返し縫い><ぐし縫い><まつり縫い><かがり縫い>とか・・・
教室でひと通り学んでいるはずなのに記憶の殆どが欠落してます。
当時の少女たちに爆発的に流行ってた<リリアン編み>にも挑戦しました。
でも編んだ紐を小物に仕上げるには、針と糸が必要とは知らなかった。
だから紐だけはたくさん編みあげて、そしては放っぽらかすの繰り返し。
色とりどりの刺繍糸も、いつも結局コレクションに終わってしまうのです。
針仕事をすると思うだけで未だにからだに緊張が走ります。
全身の細胞が苦痛信号をキャッチしてしまうのだ。
裁縫にまつわる何かが、自分の中の何か大きな欠落ポイントになってるようなのです。
これ、私の<鬼門>とも言えそうだ。
スカートの裾直しをしたいなら、所要時間を半日以上は見積らなければならない。
シャツのボタン付けだったら一時間。
それぐらい十分に時間を確保しなければならないのだ。
こうなると裁縫が苦手というより、むしろ「全くセンスゼロ」と言った方が正確だ。
楽しく感じないから益々やりたくなくなる。
そして裁縫そのものとのご縁が失われて行く。
このようにご縁が結ばれない原因というのは、すべてこちらの側に存在しているものなんですね。
一体何のカルマだろうか?
悔し紛れに過去生ドラマの可能性を考えてみました。
人を騙し騙され、すべてを悲観したお針子人生でも経験してるのでしょうか?
例えばオペラ<ラ・ボエム>の主人公、ミミのような薄幸な人生のこと。
彼女のようなドラマチックな人生を送っていたとしたら、お針子という仕事そのものを憎んでる可能性あるなぁ。
などと勝手な妄想を遊ばせる私。(割とヒマ人)
兎にも角にもそんな風に思えて来るほど、私にとって針を持つことは難行・苦行でしかない。
第一に針の穴はあまりに小さく、全くもって見えやしない!
だから針に糸を通すという最初の段階で、心はすっかりくじけそうになる。
そして針を手にする度、その針の切っ先は私の指を否応もなく突ついて襲撃し、私を傷つけようとして来るのです。
私は人類史において、裁縫という技術を発案した者を憎まざるを得ない。
歴史の初期に裁縫をしていた人々はきっと、動物の毛皮や樹の皮などを蔓で結びつけたり、衣服や敷物など仕立てていたはずだ。
でもどのような針に蔓を通して縫い合わせていたのだろうか?
獣の骨を加工したのか?
それとも硬い木の枝などか?
いずれにしても初めて針穴に糸を通した旧石器時代の人物は、当時におけるケタ違いの偉人だったに違いないんです。
<針の穴>で思い出すのが聖書のたとえ話しです。
「先生、どんな人間が天国に入れるんでしょうか?」
ある時弟子にそう尋ねられたイエス・キリストはこう答えたそうですよ。
「金持ちが天国の門をくぐるのは、ラクダが針の穴を通るより難しい・・・」
これは有名な話しなので聞いたことある人も多いと思います。
しかしいくら何でも「大きなラクダが針の穴を通る」なんてあまりに突飛すぎる表現ではないですか?
<たとえ話し>特有の大げさな誇張だとしても、一体これってどういうこと?
きっと質問した弟子も頭の中クエスチョンマークだったと思います。
「はぁ〜? あの大きなラクダが針の穴を通る? ムリムリ絶対ありえないっしょ」
「お前アホだな〜 金持ちは天国に行けないって、多分先生はそう言ってんだよ」
と、弟子たちも口々にざわめき立ったはずです。
その様子を見ながらジョークのお好きなイエス・キリストは、こっそりほくそ笑んでたに違いありません。
多分・・・ですけどね。(笑)
金持ちは本当に天国には行けないのだろうか?
いやいや、ちょっと待って下さい。
イエスが言いたかったことはそれとはちょっと違うのです。
ここでちょっと、私もたとえ話しを使って解説しましょう。
ほら昔の商店街のお祭りの時などに、<現金掴み取り>イベントっていうのがあったでしょう?(知らないか)
ガラスの容器に10円玉とか100円玉とかいっぱい入ってて、それを容器の狭い入り口から手を突っ込んで、取れるだけ取ることが出来るっていうアレです。
アレって大人の男性とか手の大きな人が、ガバっと掴めば有利そうに思いますよね。
でもそこにはカラクリがあるんです。
大きな手でお金をたくさん掴めば掴むほど、その分強く手を握りしめなきゃならなくなって、容器の外に手を出せなくなってしまいます。
イエスは金持ちにとっての天国もこれと同じと言いたかったんだと思う。
この世のものに執着し「これだけは失いたくない」とガバッとたくさん握りしめてたら、神の国には入れなくなってしまう。
物質的な富が多いということは、そのためにたくさんの時間とエネルギーを消費しなければなりません。
その分執着心も強化されるので、そこらへんにも注意が必要です。
お金持ちが天国に行くためにはそのお金の使い方が問題になりそうですね。
お金を支配したつもりだったのに、逆にいつの間にかお金に支配されてしまう。
そうなると「天国への門は針の穴より狭き門になっているであろう」
イエス・キリストはそう伝えたくて、奇妙なたとえ話しを持ち出したんだと思うのです。
もっともこの話しには前段階があるのです。
ユダヤ教の教えとされる「殺すな・姦淫するな・盗むな・嘘つくな・父母を敬え」などの十戒を実行して来た優等生の青年が、ある時イエスに「永遠の生命を得るのにさらに必要なものはありますか?」と問いました。
するとイエスは「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に宝を持つようになろう」と答えたんだそうです。
それを聞くと家がお金持ちだったその青年は何も言えなくなり、すごすごとその場を立ち去って行きました。
イエスの真意はこうです。
「そんなのは人間に出来ることではない。しかし神には出来ないことなど何もないのだ」
神様の目から見ても、弱者の存在を心に止め援助の手を差し伸べる青年の姿は、好ましいものに映っていたでしょう。
でも基本的に財産にしがみついて生きるこの青年は、朽ちる世界に生きてる存在であって、霊なる存在としては生きていない。
だから永遠の生命は育って行かない。
イエス・キリストの言いたかったことはきっとこうだったと思いますね。
あ、でも日本語には「地獄の沙汰も金次第」という素晴らしい格言もあります。
一概にイエスだけが正解とは言えないかも知れませんけどね。(笑)
何かで読んだのですが、昔あるところに本当に<針の穴>と呼ばれる、狭くて小さな門があったんだそうです。
旅人たちがそこを通り抜けるにはラクダからすべての荷物を降ろし、ラクダも自分もひざまずくような姿にならなければこの門を通り抜けられなかった。
自分の人生にこびりついたすべての重荷を降ろし、この世の富への執着を捨て、謙虚になって神の前にひさまずいてくぐる門。
それこそ天国へと至る<針の穴>の象徴です。
あの評判の良かった優等生ですら、天国への道は遠く険しいのです。
「御国へと至る人? そんな人どこにもいませんよ~」
と、嘆く弟子たちに対してイエスは「人には出来ないが神には出来る」と教えます。
たくさんのものを握りしめ、固くなってしまった心を柔かくし、「全てを手放しても尚、失われない喜びを与えてくれるのが神である」と励ますのです。
その言葉の深み・重みに気づけた人間だけが、<針の穴>を通ることが出来るのかも知れませんね。
神様(日本風だとお天道様?)にすべてを委ねた結果として、「本当に充実した人生」「本当に幸せな人生」「ラクダの人生(楽な人生)」を生きて行ける。
そういうことになるんだと思います。
何だか最後、上手くまとまっちゃいましたがね・・・(笑)
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<あざと女子>のレッスンノート
http://viva1213.exblog.jp/240644434/
2020-10-26T11:29:00+09:00
2020-10-26T11:29:29+09:00
2020-10-22T10:15:48+09:00
viva1213yumiko
人生・霊性
女子アナからタレントに変身した田中みな実さんは、<あざとさ>を売りにしている。
潔いほど突き抜けた<ぶりっ子>キャラで、またそのウザさで人気となりました。
<あざとい女>、それはどういうものなのか?
詳しいことは分かりませんが、自分には明らかに不足した要素であることだけは良く分かります。
なので<反省>と<自戒>と<羨望>を込めて、その上ビミョーな<後悔>の念も込め、今回はこのテーマをお送りして行きましょう。
<あざとさ>とは何か?
<あざとさ>とは自分の可愛らしさを大袈裟にアピールし、相手の感情をあからさまにくすぐるような振る舞いをすることを指します。
<あざとい女>は意中の男性に対し、ごく自然にそれらの態度を示すことが出来るのです。
<あざと女子>はどの時代にも一定数の割合で存在していました。
それを<小悪魔>と呼ぶ時代があった。
<ぶりっ子>と呼ぶ時代もあった。
<あざと女子>はいつの時代にも必ず存在してたのです。
しかし驚いたことに最近、<あざとさ>が大手を振って市民権を求め始めた。
「あざとい女で何が悪いの?」
と、<あざと女子>が自分たちの権利を主張し出したのです。
今まで日陰に追いやられてた<あざとさ>の価値が再認識され、<あざとパワー>が炸裂している。
いや、それだけじゃなく好感度さえ得ている状況です。
令和のこの時代、<あざと女子>の権利を求める声は大きなうねりを増してます。
何でもありの時代なんです。
そもそも<あざとい>とはどういう意味なのでしょう。
漢字で<あざとい>は「小聡明い」と書きます。
<聡明>という単語の意味は「物事の理解が早く賢いこと」だが、そこに<小>がつくことでそれが一気に反転し、明らかに軽んじた状態へと変化します。
なので<あざとい>は「悪知恵が働く・ずる賢い・抜け目がない・貪欲」という意味になってしまうのです。
でもネットスラングから派生した今の<あざとい>には、若干異なった感覚がありますよね。
むしろ「これをやったら皆んなが可愛いと思うのを知っているからやる」
「可愛い口ではむはむ食べたら可愛いと思われるの分かってる」
って感じなんじゃないかしら?
このように可愛いと思われるのを知っててわざとそう振舞う人に対し、我々は<あざとい>という言葉を使います。
そして多くの人が思う<あざとい女>の定義は、「男性の気を惹くため、可愛らしい言動や服装を計算して演出する女」といったニュアンスになるのです。
この<あざと女子>、その性格と内面にはいくつかの明らかな特徴があります。
まず八方美人なところ。
相手に対し不快なイメージを与えないよう、自分を好印象に見せようとする傾向が強いので、<あざと女子>は八方美人になりがちです。
そして相手のペースに合わせながら自分の好印象アップを図るので、人によって態度がコロコロ変わりやすくなる点も特徴でしょう。
<お水の職業>のプロをイメージして貰えれば分かりやすいのですが、<あざと女子>はその場の様子を本能でキャッチし、読み取ることが出来るのです。
自分がどう見られているか人並み以上に意識しているので、周囲の状況を良く見て気配りの出来る<器用な女性>とも言えます。
<あざと女子>は人間的にも可愛い存在なんだと思います。
そして<可愛い>はいつでも<正義>なんですよね。(笑)
けれどこの<あざと女子>、同じ女性にはすこぶる評判が悪いのも事実です。
<あざとい女>とは、俗に言う<猫をかぶった女>のこと。
ところが男性はそれを本物の猫だと信じてしまう。
どうやら男性には<猫をかぶる>という感覚が理解出来ないようなんです。
同性の女には手に取るように見えるものが、男には全然見抜けないらしいのです。
だから「何さ、男って!」「ホントに馬鹿じゃないの ⁉︎ 」ってなる。
そこら辺も男女間のイライラ原因の、常に上位ランクインする要因です。
したたかな猫が甘え声を出しながら裏でこっそり爪を研いでいるように、<あざとい>可愛らしさを<モテテク>の武器にするのは、同性から見るとルール違反に感じるのかも知れませんね。
でも恋愛市場は自由経済が原則。
<あざとい>テクニック(あざテク?)を駆使しようがどうしようが、商売は「成立させたもん勝ち」ってとこありますよね~(笑)
<あざとく>て可愛い<あざカワ女子>に恋愛市場を独占されないよう、この際だから<あざカワ>の奥義を学んで、あなたも<あざカワ女子力>の向上を狙ってみてはいかが?
今まで日の目を見なかった自分の新しい一面に、思い切ってスポットライトを当ててみましょう。
一般的な<あざとテク>にはこのようなものがあるのだそうです。
⑴ <表情・装い>編
上目つかい / あひる口 / ほっぺた膨らます / いきなりの凝視 / ゆるふわヘア / 甘えんぼ袖 / パステルカラー
⑵ <言動・仕草>編
大袈裟に褒める / 軽いボディタッチ / お願い上手 / 天然ぶる / 鼻の頭にソフトクリーム(笑)
ここまで書いて思わず笑ってしまった私。
そして同じぐらい深く深く関心しております。
可愛い容姿をした<あざと女子>にコレをやられたら、もう一溜まりもないですよね。
「あざといなぁ~」と感じていたとしても、正直イチコロで陥落必須。
やっぱり可愛いは<正義>なんですよ~(笑)・・・ぴえん♡
親戚の女の子にこんな調子で甘えられたら、ついつい何でも買ってあげたくなっちゃうでしょう。
「可愛くって、もうたまらん♡」って、男性がそうなるのも当然です。(笑)
そう考えると<可愛い子ぶりっ子>は一つの処世術とも言えますよね。
<あざとい>を狡猾で抜け目ないイメージだと思ってる、そこのあなた!
<あざと女子>とは自分の魅力を最大限男性にアピール出来る、セルフプロデュース能力に長けた女性と考えた方が正しのかも知れません。
もしもあなたが10~20代の若い女性だったとしたら、サービス精神旺盛でコミュニケーション能力に秀でた、この<あざと女子>から学ぶべきことはきっとたくさんあるでしょう。
<あざとスキル>は一生を通じて、あなたに人間関係の豊かさをもたらしてくれるはずです。
でも哀しいけど、そこから更に人として成長を望むなら、<あざカワ>だけでは不足です。
あなたに宿る女性性と、あなたに宿ってる男性性。
両者がタッグを組まない限り、人間としての成長は望めません。
自分の<あざとさ>を本当の意味で守ってくれるのは・・・
そんな<あざと女子>の願いを全力で叶えようとしてくれるのは・・・
誠実でハンサムなあなたの中の男性性だけだからです。
そこを勘違いした<あざと女子>が、外側の世界にそれを求めようとしちゃってる。
外の世界に映るのは、あなたの内面の投影です。
内面が上手く統合してないと必ずどっかで壁にぶつかりますよ。
<陰陽>のエネルギーバランスって奴ですよ。
「優しく受容的な女性性」と「行動し成し遂げる男性性」とが、がっちりスクラム組んでる必要があるんです。
内側に住む男性性のサポートがあってこそ、本来のあなたの女性性が輝きます。
そこに気づかないうちは、あなたに本当にピッタリの<魂の片割れ>は、残念ながら出現しては来ないでしょう。
この世に生まれ落ちる目的は人により様々です。
<あざとテク>で誰かを魅了し、虜にし、コントロールする。
そういった方法を学んだり試したりする人生も、「まぁひとつのレッスンだ」とも言えます。
でも本当の愛のレッスンはもっと奥深いのです。
完全にマスターしたつもりでも、次の段階、またその次の段階と、レッスンは果てしなく続いて行くでしょう。
<あざとさ>を学び、<あざとさ>を試し、<あざとさ>を成功させる。
<あざとさ>を極め、<あざとさ>に飽き飽きし、<あざとさ>を卒業する。
<あざとさ>の各段階を乗り越えるたび、様々な執着を諦めざるを得なくなる。
そして手放さざるを得なくなる。
そんな<あれこれ>を何度も繰り返すうち、ふと気づけば<あざとくない>のに男女双方にモテる素敵な女性になっている。
<あざと女子>はそうやって少しづつ前進して行くのです。
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不確かな記憶
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2020-10-09T19:02:00+09:00
2020-10-09T19:02:10+09:00
2020-10-08T21:19:22+09:00
viva1213yumiko
オペラ・バレエ・映画
以前と比べると物忘れが増え、自分が時々嫌になる。
買うべき物を思い出せない。
見当外れの漢字を書く。
場所や名前がスッポリ抜ける。
世間には記憶力を鍛える<脳トレ>なんかも出回っているが、確実な対処法はやはりメモを残すこと。
小さなことでも一々メモするようにしています。(手書きに限る)
自分のオツムを過信せず、何でもメモに残しておくのだ。
おかげで学生時代にも出来たことない<ペンだこ>ってヤツが現れ・・・
エッヘン!ちょっと自慢したいかも!(笑)
昔の知り合いに「一度見たものは絶対に忘れない」と豪語する人物を知っている。
その人が言うには、目にした風景や人物、その人物が言った言葉、見せた表情などを「まるでカメラを回しているかのように」記憶してしまうそうだ。
そしてその記憶を脳内の資料室に保存しておけるのだそう。
脳内の図書館には専門の司書がいて、常に適切な整理整頓がされている。
思い出すべき時が来たら書架から瞬時に資料を集め、いつでも再生準備が整うらしい。
その再生映像を元に「書いたり話したり」をしているらしく、実に優れた脳スペックをお持ちなのです。
残念ながら私の脳はそう言った機能を持ち合わせてない。
なので自分なりのやり方で記憶を活性化させるしか、今のところ手立てはなさそうです。
私のやり方はこう。
「ええと、あれ、何だっけ?」
そういう風になった時、個人的な儀式のようなものを行うんです。
頭蓋骨側頭部をコンコンコンと3回ノックし、大脳の海馬周辺に<喝>を入れる。
そして小刻みに頭を左右に5~6回振ってみる。
写りの悪い旧式テレビをコンコン叩いたり、何度もON/OFFしたりして、蘇らせる感じに似てます。
そうしてみると、あら不思議!
忘れた人物の名前を立ちどころに思い出す。
もちろん医学的根拠はゼロなので真面目に信じて貰っては困るのだが、機会があったら是非試してみて欲しい。
旧式テレビでも扱い方次第で、まだまだ使えることが証明出来るはずです。
そうは言っては見たものの、人間の記憶などどうでも良いことも目一杯詰まってます。
忘れた人の名を必死に思い出しても、役に立つのは管理上の都合のみ。
大事なのはその人の存在そのもののビーイングで、名前など単にレッテルに過ぎないのです。
それに第一相手の名前を忘れるってことは、その人にその程度の関心しか持ってなかったって証拠。
自分にとって大切な人のことは、誰も絶対忘れないものなのです。
いずれにせよ人間の記憶とは、結構<曖昧>で<あやふやな>ものだってことはハッキリしました。
その<曖昧>で<あやふやな>記憶を頼りに、私たちは人生を生きています。
いや、ひょっとすると「生きてると勝手に思ってる」記憶が再生されてるのかも知れません。
今回はそんなお話をしてみましょう。
<一過性全健忘>という病気があります。
原因は良く分かっていないけど、ある時突然、数時間前からの記憶が失われてしまう。
自分の名前や住所などは覚えているのですが、どうして自分はここにいるのか、何をしようとしていたのか等の、前後関係の状況が分からなくなり、何度も同じ質問を繰り返したりする。
「これは大変だ!」と周りは心配する。
しかし大方の症状は、24時間以内に消えてしまうらしい。
50~60歳代の中年の方に多く見られる病気で、殆どの場合一生に一度だけ発症し、24時間以内には正常な状態に戻るとのことで、そんなに心配しなくて良いみたいです。
でもその間のことは、ずっと一生思い出せないらしい。
自分の人生の記憶の一部に、欠損部分が生じる訳です。
何だか気持ち悪いですよね~
脳の記憶に関係する<海馬>の機能が、一時的に低下するのが原因と考えられています。
大脳側頭葉の記憶や学習能力に関わる部分が、一時的にショートしてしまった感じなのでしょう。
ちなみに深酒して記憶を失くすケースのことは<ブラックアウト>と呼ばれており、これには当てはまりません。
そしてその記憶が一過性では済まされないケースもあります。
<前向性健忘症>と言って、昔の記憶は残っているけど新しく入って来る記憶を集積処理出来なくなる、そんな病気が存在するのです。
例えば脳の<海馬>の切除手術をしたケースなど。
<海馬>を切除した人に「今年は何年ですか?」と聞くと、いつもその人が手術を受けた年を答えてしまうんだそうですよ。
<前向性健忘>は過去の記憶にはアクセス出来るのです。
昔の記憶は保っているけど新しい記憶が定着して行かない。
何だかすこぶるややこしいけど、どうやらそういうもののようです。
この<全向性健忘症>をテーマにした<メメント>という映画があります。
ある日、自宅に侵入した何者かに妻を強姦・殺害された主人公が、その時の頭の怪我で10分間しか記憶が持たない<全向性健忘症>になってしまう。
最愛の妻を殺された復讐のため、犯人探しを始めるのだが、何事にも記憶が続いて行かない。
訪れた場所や出逢った人を、ポラロイドカメラで写し、メモを書き残し、必死で記憶証拠を残そうとする。
そして重要なことは自分の身体に刺青し、事件の手掛りを追って行く。
でもそこまでやっても犯人には容易に辿り着けず、自分の手掛りが本当に正しいのか疑心暗鬼になってしまい、事態はさらに複雑になって行く。
そんなお話しです。
記憶を失って右往左往する主人公。
その混乱が映画を観る者にも体感出来るよう、映画の構成も時間の流れがぐしゃぐしゃに作られています。
時間軸が逆回転に歪み、何が何だか分からなくなる。
でもその分、記憶や思い出(メメント)というものが「いかに不確かなものか」ってことを、痛いくらい感じてしまうんですね。
記憶っていうのは、積み重なって行かないと存在しないのと同じなんです。
集積しないと時間は進んでかない。
時間が進んで行くのは(進んで行くように感じるのは)記憶あってのおかげってこと。
「まるで記憶にまつわる心理学みたいな映画だな~」
とそう思い、頭を抱えながら映画を観たのを覚えています。
私は冒頭に「物忘れが増えて嫌になる」と言いました。
忘れることは困るし恐ろしいと、ネガティブな意味で言ったのです。
でももしかすると<忘れる>ということは、生きてく上で必要不可欠なことでもあるんじゃなかろうか?
もしかすると<忘れる>ために脳は動いてくれてるのかも?
そんな気さえして来てしまいましたよ。
現在時代は大きな転換点を迎えており、情報やコミュニケーションが価値を持つ<風の時代>へ突入しようとしてます。
そしてその情報も、量より質が重視されるようになる。
巷に流れる膨大な情報の中から、自分にとって価値のあるものだけを、いかにピックアップし取り込んで行くか?
正直そこだけが勝負になってくと思うんです。
十人十色の価値観があって当たり前。
あなたの脳内に集まって来る情報は、あなただけに価値があればそれで良いのです。
あなたにとって価値あるものだけで、あなたの世界を創造すれば良いだけです。
そして脳内に長期保存しておくのは、あなたの心を温める記憶にしましょう。
暖かな温もりある記憶だけで十分です。
<美しい記憶><力強い記憶><愛のある記憶>
過去の記憶があなたの未来を作ります。
幸福を創造する記憶だけを保存して行きましょう。
それ以外の記憶などすべて手放しても全然大丈夫。
すべて<断捨離対象>です。
どうでも良いことを覚えておくと頭の中はパンクしますよ。
そういう意味でも<嫌なこと><都合の悪いこと><価値の無いこと>は、早々に忘れてしまうに限るのです。
おまけ:
先日ふと気づいたのですが、ブログ訪問者数が10万人を超えてました!(感謝)
YouTubeの視聴が増え、ますます活字離れが進行する中、いつも当ブログを読んで頂き本当にありがとうございます。
スピリチュアルとその周辺をテーマとし、マイペースに勝手なことばかり書いていますが、今後ともどうぞ応援お願い致します。
よろしくお付き合い下さいませ。
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デジタルデトックス
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2020-09-16T13:06:00+09:00
2020-09-16T13:06:22+09:00
2020-09-13T19:43:07+09:00
viva1213yumiko
美容・健康
現代社会を生きるということは、好む好まないとに関わらず<デジタル生活>への適応を強いられます。
生活のあらゆる部分は電脳化され、私たちは新しい人間へと移行している。
我々は<電脳人間>へと変身しつつあるのです。
昔TVの特番で「文明と隔絶した幻の裸族発見!」みたいのを良くやっていたが、覚えてる人っていますかねぇ?
それらの殆どはヤラセであった。
当時はそれでも通用したのです。
でも今となってはアマゾン奥地の原住民も、カラハリ砂漠の遊牧民も、観光客用の衣装に着替えてお出迎えし、裏でこっそりスマホをいじってる。
秘境に生きる<幻の部族>?
そんなの作られた幻想だと、視聴者の方もちゃんと分かっていたりします。
皆んな仲良く一斉に共同の夢を見てるだけ。
この世の全ての出来事なんて、ソーダ水の泡のようなものなのかも知れませんね。(ユーミン風)
ある調査によると、スマートフォンの一人一日平均利用時間は3時間23分にも及ぶのだそうです。
そして30代の約3割が<スマホ依存症>を自覚しているという。
インターネットの膨大な情報媒体に常時触れてると、人は情報過多になりストレスや疲労が蓄積します。
そのせいで集中力・意欲・判断力が低下して、物忘れも激しくなったりするそうです。
脳がオーバーフローしてしまうんですね。
常に脳に情報をインプットしている状態。
これって危険因子なんですよね。
なので脳機能を回復し、脳をクリアにさせるため、定期的にこの状態から離れるべきです。
デジタルデバイスを極力使わないようにし、心身共にリフレッシュすること。
<デジタル・デトックス>が必要です。
2008年にアイフォンが登場し、日本に初めてスマホが上陸しました。
それからまだほんの10年ちょっと。
今ではスマホ普及率は90%以上になるんじゃないかしら?
情報革命が起こり、スマホが当たり前の文明に変わり、我々は身も心も以前とは別次元の人間に進化し始めている。
しかしそれと同時に心身共に流れに乗れず、新種の現代病も生み出しました。
<スマホ疲れ>なんて病いは「文明が生み出したカルマ」と言えるんじゃないですか?
文明とのイタチごっこですよね。
こうした文明が生み出す<業>のようなものと、我々は正面から向き合わなければなりません。
<業>と対峙しなければならないタイミングが、そろそろやって来たように思うのです。
<デジタル・ウェル・ビーイング>という概念があります。
<デジタル・ウェル・ビーイング>とは、デジタルデバイスによる心身の不調からユーザーを解放し、むしろデジタル機器を使うことで心も身体も健康で、幸福で満足出来る状態にして行くこと。
デジタルデバイスやインターネットと健全にお付き合いして行くための必須の考え方です。
例えば健康診断の結果、あなたの血圧が高めだったとしましょう。
その場合、病院から<減塩食>を勧められますよね。
それと全く同じです。
偏りすぎたデジタル生活には<デジタル減塩>が必要なんです。
もちろんインターネットの便利さは良~く理解していますよ。
世界中のどこにいようと、ありとあらゆる情報を、瞬時に公平に手にすることが出来るのです。
それを上手に使いこなせば、我々の生活には飛躍的な豊かさがもたらされるのは確かです。
でも膨大な情報にさらされているうち、脳内には知らず知らずネガティヴなものが溜まるのも事実。
スマホ中毒になると、以下のような傾向が現れやすいのです。
・集中力の低下
・自己肯定感の低下
・目や肩などの身体への負荷 ・うつ病の増長
でもこれは多かれ少なかれ、誰もが思い当たることではありませんか?
過剰なデジタル生活は、精神に対する<ジャンクフード>の取り過ぎに相当します。
米国では夫婦の離婚のきっかけ3分の1が、フェイスブックから起こってるそうですよ。
またオンラインゲームに夢中になるあまり食べることを忘れ、餓死してしまった若者もいるらしい。
ミヒャエル・エンデの童話<モモ>は、仲良くのんびり暮らす人々のところに<時間泥棒>が現れて、皆んなの時間をどんどん巻き上げて行くお話しですが、まさにあの感じにピッタリ。
大切な人生のパーソナルタイムがどんどん奪われ、デバイスに依存させられ、占有されて行く。
恋する猶予も与えないくらいに、です。
「他者と繋がり過ぎの人」「情報過多に疲れた人」「いつも忙しい気がする人」
自分もそんな傾向があると感じるなら、<デジタル減塩>が必要です。
<ボディ><マインド><スピリッツ>
ネガティヴはあなたのそれぞれのパーツパーツに、知らぬ間にすり寄って来てるんですよね~
だからネガティヴな思考や感情を、心や肉体から排除するために、定期的な<ネガティヴ・ダイエット>が必要です。
不自然で不都合な部分をスッキリ除去する必要があるんですね。
最近ではそこら辺も意識されてるようで、ホテルや旅館の<脱デジタル滞在プラン>も生まれて来ています。
スマホ・タブレットを丸ごとを預け、行ってみようよ<脱デジタルツアー>
<デジタルデトックス>への誘いです。
何か分からないことが出て来てもネットに聞けばすぐ分かる。
それは便利なことだけど、その分思考はマヒし兼ねない。
自分の頭で考えるクセを怠ると、創造性や独創性はみるみるうちに枯渇します。
あなたの右脳を活性化させるためにも現実世界とガッツリ関わり、自然界とのイキイキとした<命の対話>を大事にしましょう。
人類は GAFA (Google/Apple/Facebook/Amazon) がなければ生きて行けないのか?
いやいや、それでは哀し過ぎます。
GAFA なんかなくったって、人間は今までずっと生きて来ました。
江戸時代の人はツイッターがなくても、和歌や川柳でちゃんと想いを呟いてます。
囲碁・将棋・すごろく・カルタは、普遍的名作としてゲーム業界に君臨しました。
長屋の井戸端会議は、LINEグループに匹敵するのでしょうね。
フェイスブックの代わりなど瓦版で十分務まるし、浮世絵なんてもう完全にインスタですよね。
一番鶏の鳴き声を時計のアラームに設定しましょう。
と言うか、それ以前に元々人には体内時計があったじゃないですか。
いずれにしても言えるのは「本当に大切なものならば必ず自分の元に運ばれる」ってこと。
自分にとって大事なものなら人も情報も向こうの方からやって来る。
わざわざ探しに行かずとも、偶然を装いながらあなたの心を叩きに来ます。
直感という名の通知が必ず届きます。
だから安心してても大丈夫。
むしろ情報のインプットばかりだと、魂に届く小さな声が聞こえづらくなってしまう。
だからデジタルと上手に付き合いたいのなら、その分内省の時間を増やすのが必須です。
デジタル世界と共生するためにも、目の前の現実世界をもっと鮮やかに生きて欲しいです。
あなたが持ってる五感を使って、鮮やかな色彩に彩ってみて下さい。
じゃないと小さな画面を見つめ続けて、自分の人生を終らせることになり兼ねません。
リアルな人生には本当の<喜び>本当の<哀しみ>がいっぱいです。
余すところなくそれをあなたに味わって欲しいと思うのです。
結局私が言いたいことは、こういうことだと思うんですね。
「いのち短し 恋せよ乙女」 与謝野晶子
(もちろん乙女以外の全ての人間が対象です)
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耳なし芳一国富論
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2020-08-28T12:32:00+09:00
2020-08-28T12:32:30+09:00
2020-08-25T10:42:37+09:00
viva1213yumiko
おとぎ話・こぼれ話
あなたは祟りや霊魂を信じますか?
この世には人間の目に見える物事と、目に見えない物事とが存在しています。
目に見えるものは物質世界、目に見えないものは精神世界に属しており、それぞれの世界はお互いに干渉し合い影響を与えているのです。
人間の心の状態やその作用などは、神秘的で不可解極まる、見えないに世界に属する領域。
しかし見えないからと決して侮ってはなりません。
目に見えない物事には、とても大きな力が潜んでいるのです。
賢者たちは大昔から様々な手法でその力のことを伝えて来ました。
それだけではありませんよ。
絵描きは絵の具を使って、音楽家は音符を使って、数学者は数字を使って、それぞれ見えない力のことを表現しています。
また世の中に語り継がれ伝承される<奇妙な話し><不思議な話し>の類いも同様です。
霊魂や祟りのことを信じますか?
あなただって今まさに、見えない力に操られている真っ最中かも知れません。
<耳なし芳一>は小泉八雲の短編小説集<怪談>(1904年)に掲載された有名な物語。
見えない力に操られてしまう<琵琶法師>のお話しです。
盲目の<琵琶法師>芳一は琵琶の名手として知られていました。
<平家物語>の弾き語りを十八番とし、特に壇ノ浦の談は「鬼神も涙を流す」ほどの名手と讃えられていた。
ある夜、やんごとなき高貴な方々の集いに請われ、七日七晩の琵琶の語りを依頼されます。
しかしそれは平家一門の邪悪な怨霊の誘いであった。
実は芳一は屋敷に招かれていたのでなく、鬼火の集まる墓場で毎夜、琵琶を弾き語っていたのです。
それを知った和尚は加持のため、芳一の全身に<般若心経>を写経をするよう命じた。
お経の法力によって芳一は怨霊から姿を隠すことが出来たが、小僧が書き忘れた両耳の部分は暗闇にはっきり浮かび上がってしまいました。
怨霊はその耳を引きちぎり、持ち帰ってしまったのです。
しかしそれ以来、平家の怨霊は二度と姿を現さなくなった。
事件は評判を呼び、傷の癒えた芳一は「耳なし芳一」と呼ばれるようになり、更に有名になりました。
子供の頃この怪談が大好きだった。
とてもエロティックだと思ったのです。(エロスの意味も知らないくせに)
盲目の芳一の全身がお経で埋め尽くされるという、ビジュアル・インパクトのせいだろうか?
暗闇にぼんやり浮かぶ芳一の白い耳を想像すると、ザワザワとした奇妙な興奮を覚えたものです。
何と言えば良いのだろう?
目や耳では捉えられない世界が、この世のどこかに存在することについて。
そうした世界を覗き込むことの怖さについて。
自分がどこかで知っているかのような、そんなザワザワした感覚なのです。
おっと失礼!
<耳なし芳一>のエロス論についてはまた別の機会に話すとして、とりあえず今回の本題へと話しを進めて行きましょう。
<耳なし芳一>の話しから読み取れるものとは一体何でしょう?
はい、その通り。
日本人の集合無意識が古来よりずっと考えて来たものが何だったのか、そこら辺が良く分かりますよね。
「無念の死を遂げた人間の怨念は亡霊となって現世をさまよっている」
そして「時に現世の人間と接して仇をなすこともある」ってことです。
昔から瀬戸内海のあの辺りの海や浜辺では、平家の怨霊に悩まされていたのでしょう。
平家一門の怨霊は船を沈めようとしたり、人々を海底に引きずり込もうとしたのでしょう。
なので亡者たちの霊を慰めるために、お寺が建てられ、平家の墓所が祀られた。
すると以前ほど祟りをしなくなったが、それでも時々怪しげなことが起こったのです。
そんな中、<耳なし芳一>の事件が勃発した。
鬼火と呼ばれる青白い光が、墓所にふわふわ集合し、怨霊たちの<哀しみの宴>が始まったのです。
芳一は盲目であった。
でもその分だけ、耳やその他の感覚で察知出来るものがたくさんあったはずです。
屋敷の大広間で(実はお墓の前で)高貴な人々の話し言葉や、むせび泣く様子をありありとキャッチ出来たと思うのです。
<琵琶法師>みたいな語り芸は、幽霊や幻覚や前兆や警鐘などと仲良しじゃないと成り立ちません。
<芸術><芸能>の人々は、ある意味で皆んな同じです。
自分の身体にスピリットが流れ込む、言わば<水路>のような存在にならないと、人の心を揺さぶることなんか出来ないのです。
平家の人々は壇ノ浦で滅んだ一族の悲哀を清算出来ず、無念さ故に怨霊と化してしまった。
そんな時、うらめしい感情を沈めるために、琵琶の語りが必要でした。
どんな恨みも悲しみも、それを物語にし、それを語ってみることで耐えられるようになる。
昇華される。
カタルシスの力で人々をわだかまりから解き放ち、自由にすることが出来るのです。
戦争の悲劇は語りつぐこと、思い出すことで浄化作用が始まのです。
すると現実との間にも和解が起こり始める。
<耳なし芳一>の琵琶の弾き語りは、昔の戦争で死んだ者たちの霊を慰め、鎮めるための<鎮魂歌>です。
<和製レクイエム>と言って良いでしょう。
祇園精舎の鐘の音
諸行無常の響きあり・・・
ベンベ~ン(琵琶の音)
2020年のこの夏。
平家一門のスピリッツはどこまで浄化されているのだろうか?
そう・・・霊的次元には時間空間の概念はありません。
何百年も前の出来事が、巡り巡って今の自分に影響を与える。
驚いちゃうけどそんなことが、本当にあるようなのです。
生者と死者の交流は<令和>の今も粛々と続いてます。
目に見えるものと見えないものの距離感は、あなたが思うよりずっとずっと近いのかも知れません。
幸いなことに我が国では、ここ75年間戦争は起こっていません。
しかし地震・津波・洪水・疫病・・・
日本人の魂を損ねるような様々な災難が、次から次へと訪れて我々の心を傷つけて行く。
起こってしまったことを洗い流し、癒し、浄化する。
そういったプロセスが必要です。
そこをないがしろにしたままでは、日本は絶対健全な形で前進出来ません。
2020年、意識が目覚めやすくなっているこの時代。
今こそ日本人全体の集合無意識の<厄払い>が必要です。
日本人の精神の<みそぎ祓い>が必要なのです。
<耳なし芳一>の琵琶の語りは「鬼神も涙を流す」素晴らしいものだった。
平家の人々はそれを聞いてむせび泣くことで、握りしめてた怨念を手放すことが出来ました。
意識が目覚めやすくなっているこの時代。
この時代だからこそ、全ての日本人の魂に光が差し込んで来ることを、私は真面目に祈っています。
そしてこの<みそぎ祓い>のプロセスが、滞りなく無事に完了することを願って止みません。
つまり日本人の精神性の<最新版アップグレード>です。(笑)
人々がいつも穏やかに微笑み、物質的にも精神的にも豊かで洗練されていて、世界中から羨ましがられる国。
それが日本という国です。
本当の豊かさをちゃんと知ってる国家です。
<耳なし芳一国富論>
ニッポンはそうなる使命を帯びてます。
そんな日本になるために、まずはあなたの心から、<意識の浄化>をぜひ始めてみて下さい。
おまけ:
幼稚園で<耳なし芳一>の読み聞かせをすると、ほとんどの園児が日焼け止めや虫除けを耳の後ろまで塗り残しなく塗るという。聞き分けが良く先生方も大助かりだそうです。おとぎ話しは実用にも適しているんですね。
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あなたの過去世の見つけ方
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2020-08-10T11:33:00+09:00
2020-08-10T11:33:58+09:00
2020-08-08T20:46:03+09:00
viva1213yumiko
人生・霊性
哲学者プラトンが語った神話によると、神は当初人間の寿命をきっちり70年と定めていたのだそうです。
ところが逆にそれだと人間のためにならないと分かり、現在のような寿命スタイルに改めた。
それ以来人間は自分の死期を知らぬまま生き続けるようになりました。
寿命70年で誰もが皆〜んな「さようなら!」
そんな世界であったとしたら、我々は一体どうなっているのでしょう?
そうね、60ぐらいになった途端、誰もが急にソワソワするかしら?
やり残したこと、反省すべきこと、未熟な自分に腹が立つこと。
それぞれに複雑な想いを抱いて、全員が<人生の棚卸し>をすることになるでしょう。
残った時間を思う存分、欲望の赴くままに生きてみようか?
それとも宿命をすべて受け入れ、このまま静かに終わりを待とうか?
別に生き方に正解などないのです。
でも神がなぜ<人生70定年制>を辞めようと思ったか、何となく分かるような気がします。
残り時間を逆算すればやるべきことの計画が立つし、実利的な面でも都合良かったと思いますよ。
でもそのシステムでは、多くの人の人生パターンが似通ったものになってしまい、バラエティに欠ける怒れがあります。
人間の魂年齢は肉体年齢とは異なります。
だから人生のカリキュラムの学習スピードは人によって違うのです。
あるテーマに関しては「既にどこかで習得済み」なんてこともあり、<落第する者><飛び級する者>がいるのも仕方ありません。
人生というのはそんな複雑怪奇なカリキュラムの中、奇跡のように進行してるのです。
そもそも神と呼ばれる存在だったら、ありとあらゆる人間のありとあらゆる生き方を<サンプル採取>したがってるはず。
人生上の体験からそれぞれの教訓を学べるように、入念にプログラミングしてるはず。
そして我々人間がさらに成長することを、強く望んでいるはずなのです。
だからクローン人間のような一律の寿命システムでは都合が悪かった。
その人独自の観念が人生に現れて、教訓となって反映されるまで、死期など知らぬ方が良いのです。
学ぶべきカルマのレッスンが終わるまで、人はそれぞれの人生経験を通じ、魂を磨いて行かなければなりません。
明日のいのちの保証などこれっぽっちもない人生。
でもその方が学びが大きいはずだって、多分思ったに違いありません。
一見理不尽なことの裏側にも<宇宙の計画>は宿っている。
神の立場で覗いてみたら、自分のいのちがいつ消えるのか、やはり人間は知らない方が良いのです。
さてここまで「輪廻転生がある」のが前提で話しをして来ました。
輪廻は果たして本当にあるのでしょうか?
実際、輪廻転成を信じる人はどれぐらいいると思いますか?
国際社会調査プログラムのデータ(2008年)によると、日本人の42.6%%が輪廻転生を信じてるそうですよ。
若い層を中心にむしろ以前より数が増えてるらしいのです。
<人工知能>や<合成生物学>などの新しいテクノロジーの時代に、意外なくらい多くの人が輪廻を信じていて、これはなかなか面白いことだと思います。
輪廻転生思想は世界中の宗教の至る場所で見られます。
仏教やヒンズー教など東洋の宗教はもちろん、実は西洋の宗教にも深く根づいているのです。
キリスト教はローマ帝国の国教となった時、聖書から転生の記述が削除されてしまったそうです。
初期のキリスト教では輪廻転生がちゃんとした教義だったらしいですよ。
ユダヤ教の学者も何千年も前の聖典<カバラ>を軸に、輪廻転生についてこう語ってます。
一つの魂は異なった肉体に何回も転成することが出来る。
このようにして前世で成した過ちを強制することが出来る。
同様に前世で達成出来なかったことを成し遂げることも出来る。
しかしですねぇ・・・
宗教で教えられたことを頭で理解しただけでは足りないんですよね。
教えを超えた<個人的な体験><直接的な体験>が重要です。
この<個人的な体験><直接的な体験>こそが霊的にも人間的にも人を成長させるのであって、本を読んだだけでは頭でっかちなだけ。
何も分かってないことになる。
そして大事なのは<個人的な体験><直接的な体験>にプラスして、自分の過去の人生経験を掘り下げて研究すること。
そうしてやっと理解が深まります。
そこまで行けばこっちのもので、後はあなたの<直観>が真の理解へと導いてくれる。
だから<自分の体験>と理屈や論理が相入れない場合は、どうぞ<自分の体験>の方を重視して下さい。
真実はそこにあります。
だから絶対、大丈夫です!
前世療法のパイオニア、精神科医のライアン・L・ワイス博士はこう言ってます。
「これまでの研究では、患者の40%は現在の問題を解決するために過去世まで遡る必要がありました。この40%の人々にとっては過去世への退行が鍵です。こうした人々の病気は、何百年何千年も昔の過去世で起こったことに起因しているため、従来の今生だけに限定した退行催眠療法では、どんなに優れたセラピストでも、彼らを完全な治癒に導くことは出来ないでしょう。しかし前世療法を行なって、長い間意識の底に押し込められていた記憶を思い出すことが出来れば、病気は急速に、しかも劇的に治ってしまいます」 <前世療法②>より
博士の著書を読むと様々な患者の症例が紹介されていて、とても興味深いんですよね。
不眠だったり、躁鬱だったり、何かの強迫神経症だったり・・・
患者さんは色々な症状を抱えてやって来る。
しかし博士のリードで症状の根本原因へ退行催眠すると、驚くような(でも大概は心当たりのある)光景を見ることになるのです。
そしてその体験を機に心身の不調が一気に癒される。
本にはその手の症例が数多く紹介されています。
輪廻に対する認識が鮮やかに変わるので、機会があったら是非読んでみて下さい。
人生上の試練や困難のせいで人間の心には様々なものがこびりつきます。
家族関係や恋人関係
特定の誰かとの愛憎の理由
未だに癒されてない傷ついて混乱した子供時代の心の傷
特定の何かに恐怖心を抱いてしまうその理由
癒しても癒しても癒しきれない感情的な深い悲しみ・・・etc,
我々の心の中は癒さねばならないもので一杯です。
この人生だけだって色々と大変だというのに、それが過去世に遡ってまで傷だらけなんて・・・
人間は外側からじゃ分からないけど、本当に複雑な造りをした生き物なんだなぁ〜と、改めて思わされます。
別に輪廻転生を信じる必要はないのです。
ただ過去世への旅(らしきもの)が、自分の認識を飛躍的に拡大させる効果があることだけは知っておいて下さい。
ピントさえ合えば爆発的な自己治癒力が働き始めることは確か。
輪廻転生が事実かどうかより、見えない心の奥の情報があなたの才能や幸運や健康に大きな影響を及ぼすことの方が重要です。
大昔のネガティブ体験の記憶が、恐怖心や心配性として表面化すると、現在の生活に多大な支障をきたします。
あなたの人生そのものは「遠い記憶に支配されてる」と、そう言っても全然大袈裟じゃないのです。
ホントに輪廻転成を信じる必要ないんです。
でもモーツアルトのように小さい頃から作曲したり、何か特別な才能を発揮する魂があるのはなぜかと考えると、不思議としか言いようがありませんよね。
試しに3歳ぐらいの子供に「昔大人だった時のことを何か覚えているか」と聞いてみると、その答えに驚かされたりします。
普通の凡人の大人でも特定の地域なり文化なりに、なぜだか強烈に惹かれたりすることがありますよ。
人間の意識というのは本当に奥深いです。
謎に満ちてるものなんです。
40~50年ほど前からでしょうか、地球に意識革命と言われる状況が起こり始めました。
人類の意識とテクノロジー技術とを上手く融合することが可能なら、今後我々の世界は途轍もなく素晴らしいものになって行くでしょう。
でもそれを達成するためには、私たちの精神がもっと進化していなければなりません。
我々が心の奥の知覚の扉を開けた時。
未来世界は出現します。
その時我々の誰しもが、宇宙と自分のいのちとがしっかり結ばれていることに気づかされるでしょう。
私たちは永遠の存在であり、宇宙のかけがえのない一部です。
そしてそれが腑に落ちた時、あなたは完全に癒されます。
恐れるものは何もなく、人生ドラマをただ楽しむだけになるでしょう。
おまけ:世の中には不思議な<超自然的体験>をした人って案外たくさんいるんです。
機会があれば友人知人たちと<超自然的体験>について話し合ってみると面白いですよ。
私は昔、アテネからフェリーで一時間程のエーゲ海の名も無き小島に行った時、訳の分からない強烈な<デジャヴュ現象>に襲われたことがあります。
初めて行った場所なのに、根拠もなしに「ここを知っている」という感覚に襲われた訳ですが、それなども心の奥の知覚の扉が、一瞬パアッと開いた証拠なのかも知れませんね。
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夏至祭のエネルギー
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viva1213yumiko
季節・行事
思いがけない不慮の事故で、あなたの家族が皆んな死んでしまったと仮定しましょう。
あなたは精神的に不安定になり、不安やうつやパニック症状を起こす。
心の痛みが離れないまま、いつまでたっても救われないのです。
支えてくれてた恋人も近頃は煩わしいのか、言動に別れの気配がチラホラしている。
ちぎれるほどの心の痛み。
けれど誰にも理解されない。
誰を信じて良いかも分からない状態です。
頼る者のない孤独感・疎外感。
どこにも感情の逃げ場がありません。
そんな時、人にはセラピーが必要です。
依存してた恋人と離れるためにも、家族の死別を乗り越えるためにも、新しい自分に生まれ変わる必要があります。
セラピーは癒えない傷を治療し、精神を整え、自分を新たに再生させます。
それまでの自分を成仏させ、新たに生まれ変わるための<装置>でもあります。
誰にでも置き去りにされ癒されないままの傷があるものです。
不用意に傷に触れたら飛び上がるほど痛い。
だから多くの人が昔の傷を恐れます。
そんなの無かったことにして、涼しい顔で生きるのです。
けれど癒やされない傷は予期せぬ頃に浮かび上がって、あなたを追い詰めることがある。
人生の変わり目なんか特にそうですね。
そういう時は心の中を覗き込み、勇気を出して影と向き合わないと次のステージへ進めません。
人の心の成長ってそういう風に出来てます。
人生の転機の時にセラピーすると、心を丸ごと断捨離出来てスムーズに変容出来るのです。
しかし様々な理由でセラピーを受けられない場合もありますよね。
そういう時は<自然の力>や<芸術の力>を借りると良いですよ。
<美しい風景><美しい色彩><美しい音楽><美しい言葉>・・・
美しくて調和の取れたものは人の心を慰める力があります。
他には<物語>なんかもオススメです。
<物語>の世界に入り、登場人物の経験を擬似体験をするというやり方ね。
登場人物の喜びや悲しみを<物語>と一緒に共有することで、あなた自身の心も癒されセラピーと同じ効果が得られるのです。
不慮の事故で家族を亡くした主人公が、新たな家族を得ることによって失恋と喪失の痛みから解放される。
今回はそんな<物語>を紹介しましょう。
映画<ミッドサマー>
ジャンルは<ホラー映画>に当たるんだけど、私には明らかな<セラピー映画>に思われました。
お話しはスウェーデン奥地の<ホルガ村>というコミューンが舞台。
家族を亡くして精神的に不安定な女子大生ダニーは、仲間と一緒に90年に一度という不気味な夏至祭に参加します。
原始宗教を信仰するコミュニティでは村人全員が家族同然。
運命共同体として喜びも悲しみも苦しみも共に分かち合って生きています。
だけど、そこが厄介なのです。
コミューンは優しさ穏やかさに溢れています。
でもその実態は狂気に満ち満ちている。
太陽の沈まない美しい景色とは裏腹に、やってることはメチャクチャ血生臭い。
一見すると甘美な共同体なのですが、暴力的で差別的な本性を隠しています。
コミューンの人々は先祖からの教えを大切に守って生きてます。
定められた寿命を受け入れ「自分の命が次の命にバトンタッチされ循環されて行く」と固く信じてるんですね。
驚くべき風習ばかりなのですが、学生たちは民俗学的関心もあって、それらを土着の伝統文化として受け入れようとする。
理想的に思える部分もあるからです。
ダニーの家族が死んだ時、母国では誰も一緒に悲しんでなどくれなかった。
でもこの村では皆んな連帯し、一緒に嘆き悲しんでくれます。
人は苦しみの真っ只中の時は、都会の個人主義の文化より村落の全体主義的文化の方が、遥かに心地良く感じるもの。
お祭りの花の女王(メイクィーン)に選ばれて、村人に讃えられ、祝福され、そして必要とされていることに、ダニーは喜びを感じて行くのです。
人生の春夏秋冬や人生で成すべきこと、様々な年中行事から生殖のタイミングまで、村の掟は厳格なルールで宿命づけられている。
けれどコミュニティ内にいる限り、強烈な一体感に守られており、人々は幸福に暮らして行けます。
疑似家族の中にいる限り、彼女も安心して生きて行けることでしょう。
でも平和で牧歌的なコミュニティには、内側からじゃ気づけない静かな<罠>がある。
外部の人間なら明らかに変だと感じる、静かで恐ろしい<罠>です。
家族とか共同体って自分にとっては聖域ですよね。
でもだからこそ余計<罠>として機能しちゃう部分もあるんです。
彼女はホルガの村民に吸収され救済されますが、その分どっぷりと共同体に飲み込まれざるを得なくなる。
彼女はこれから一体どうなってしまうんだろう?
フィクションと言えどスゴ~く気になるところです。
家族同然の濃厚な人間関係のことは我々日本人には理解しやすいですよね。
日本人は欧米人のようにはっきりした自我がないので、運命共同体の中で生きる心地良さは良く理解出来ます。
事実戦前まで<姥捨>とか<夜這い>とか田舎では本当にあったらしいし、今でも<奇祭>と呼ばれるお祭りはたくさん残っていますよね。
日本をくまなく探したらホルガ村みたいな場所、まだどこかに残っているかも知れませんね。
<物語>は9日間の夏至のお祭りの出来事です。
夏至は一年で最も陽が長く、太陽のエネルギーが最も長く降り注ぐ日のこと。
北欧では太陽は数時間しか沈まず、闇の届かない白夜の世界となる。
冬の長い北欧人が太陽を敬う気持ちは南方の感覚と違って、まるで生命の喜びを爆発させるよう。
でもその分夏至のエネルギーは隠したものを何もかも明るみにしてしまう。
隠蔽したものがあぶり出され、嫌でも恐れているものに直面しなければならないのです。
人間にとって本当に怖いのは、真っ昼間から繰り広げられる悪夢です。
心の奥の<トラウマ>や<死の恐怖>が光に照らされ、闇から浮かび上がって来るからです。
この映画<明るすぎるホラー>って言われてるんですが、なるほどそういう意味もあったんですね〜
夏至の儀式には様々な植物から作る向精神薬を使うのですが、それが結果的にダニーの心を癒しちゃうところが面白い。
彼女は花の女王に選ばれ、花々に祝福され、植物の力によって癒されます。
植物療法では<うつ>や<不安障害>の処方として、良く<セントジョーンズワート>が使われます。
この<セントジョーンズワート>には「夏至の前後に枕の下に置いて眠ると未来の夫が夢枕に立つ」という伝説もあります。
そこら辺もダニーの精神世界で起こってることのメタファーにもなっていて、なかなか興味深かったです。
ダニーにとっての夏至祭は、心の奥の感情を解放させる儀式でした。
凄惨な儀式に参加することで家族の死を受け入れ、新しい疑似家族の集団に帰依し癒されます。
それまでの自分は死んで、さらに偉大なサイクルに生まれ変わる。
夏至祭はそのためのイニシエーションだったのです。
映画<ミッド・サマー>は家族の呪縛を吹っ切るために、カルト集団の新たな疑似家族に取り込まれて行く若い女性の物語です。
どこまでも行っても家族の呪縛って、そう簡単には切れないものなんですね〜
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悪魔との契約
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2020-07-04T12:15:00+09:00
2020-07-04T12:15:26+09:00
2020-07-03T11:36:13+09:00
viva1213yumiko
人生・霊性
<閲覧注意>と記された悪魔崇拝の動画を見てから、ついつい人間を堕落させる<邪悪なフォース>について考えてしまう。
もちろん<邪悪なフォース>は避けるべきですよ。
でもどんな人でも何かしらの<悪>を抱えているのも事実です。
避けてばかりじゃ<悪>は乗り越えられません。
覚悟を決めて向き合うこと。
じゃないとそこから前に進めなくなります。
人生には様々な欲望と苦悩、喜びと避けがたい試練が待ち受けてます。
でもそれらすべてを体験しなけりゃ、何事も本当の理解には繋がりません。
人間はあらゆる快楽・あらゆる悲哀を体験し、初めて本当の<悪>を乗り越えられます。
<邪悪なフォース>の誘惑に振り回されなくなるのです。
文豪ゲーテの大傑作<ファウスト>は、悪魔に魂を売った男の物語。
「この世でとことん面白い思いをする代わりにあの世で悪魔の家来になる」
そんな契約を悪魔と交わした学者さんのお話しです。
「学問を究めても待たされることはない」
絶望して自殺しようとしたファウストに、悪魔メフィストフェレスは声をかけて契約を取り付けました。
ファウストは早速20代の青年に若返って純朴な少女と恋愛をする。
しかし身勝手な欲望が不幸を招いて、彼女を破滅させてしまうのです。
そして背負ったカルマを清算するため、時空を超えた旅へと出かけ、様々な体験を重ねて精神修養を繰り返す。
こんな感じの<魂探求の物語>なのですが、さすがは歴史に残る文学作品。
とっても示唆的なお語しなんです。
人間の食欲・性欲・生存欲求・安全欲求などは、脳の深層の本能的な部分が司っています。
爬虫類脳と呼ばれる部分ですね。
人間の根源的欲望なんて所詮トカゲやイグアナみたいなものかも知れません。
食べて休んで、生殖し、そしてまた食べ、種の保存に励む。
私たち誰もがそういった爬虫類的な欲望に支配されてると思うとちょっと寂しくなりますが、でも世の中を見回すと「その言動、爬虫類脳からの指示じゃない?」って思うことしょっちゅうです。
特に危険を察知した時や、追い詰められて余裕がなくなった時、<爬虫類コマンド>が発せられるようですね。
スーパーでギャン泣きしてる我が子をあやそうともせず、見捨ててどんどん行っちゃう母親なんか、その手の類じゃないかと思われます。
子供の本能に刺激され、母親の爬虫類脳も起動しちゃうんでしょうね~
人は時々信じられないくらい冷酷な自分に気づいてハッとさせられることがあるが、そういう時は自分を戒めつつ「自分は人間であると同時に爬虫類でもある」と考えてみましょう。
多少救われた気持ちになるので、皆さんもどうぞ試してみて下さい。(笑)
さて、学問ばかりに夢中になってて愛を知らなかったファウスト博士。
眠ってたはずの爬虫類脳が逆にムックリ目覚めてしまった。
好きな娘を手に入れようと、策略は練るわ邪魔者は殺すわで、もうやりたい放題になってしまう。
人間って愚かなものですね~
悪魔の誘惑にうっかり乗って、手段も選ばず愛を獲得しようとするのです。
でも(だからこそ)、あれほど欲しかった愛も最終的には悲劇に終わる。
最も望んだ幸福が最も悲しい結末を招いてしまうのです。
爬虫類脳で恋をすると痛い目をみる?
いえいえ、そういう教訓ではありません。
この物語のテーマは「人生の意味」についてなのです。
人は心の空虚さを満たそうと欲望を懸命に追い求めます。
しかしどれほど追い求めても空虚さが埋まることはありません。
ひとつの欲望を満たした途端、すぐに次の欲望が産声をあげて、どこまで行っても満たされない。
<爬虫類> → <哺乳類> → <人類>と我々の脳は進化して来ました。
なのに我々は未だ人生に満足出来ず、永遠に欲求不満のままなのです。
そもそもこのファウスト博士という人物は、15~16世紀に実在した錬金術師がモデルだそうですよ。
<錬金術>という怪しげな学問にのめり込み、最後は実験中の爆発で身体をバラバラに引き裂され、悲壮な死に方をしたとされてます。
今風に言うなら<マッド・サイエンティスト>ですね。
野心的で強欲で、悪魔と契約を結び悲惨な死を遂げた人物として、当時の民衆からファウスト伝説が生まれたそうです。
ゲーテという人はこのファウスト伝説を掘り起こし、60年かけて<ファウスト>という大作を完成させました。
なんと、60年ですよ!
生涯を賭けたライフワークじゃないですか!
だからって訳じゃないけど「ゲーテ本人も悪魔のような存在と取引してたんじゃないの?」って、つい思っちゃいますよね。
<邪悪なフォース>と契約を交わし物語の着想を得た可能性・・・
大いにあり得る話しじゃないでしょうか?
ファウスト博士と悪魔との契約は「この世でとことん愉快な思いをし、あの世で悪魔の家来になる」というもの。
「もう十分」と感じるまで徹底的に欲望を満たし、その見返りとして悪魔の奴隷になることです。
でも「人生もう十分」って思う判断基準は、自分の感じた満足感だけ。
「このまま時間が止まって欲しいほど、今が最高にシアワセ〜!」って感じた瞬間、その時です。
ファウストは悪魔を味方につけありとあらゆる体験をします。
でも自分が手にしたものを心底満足することはなかった。
しかし、欲望を追いかけても自分を満たすことなど出来ないと想いを諦めた時、心の変容が始まります。
自分勝手な願いを手放し、利他の精神に至った時、初めて<人生の意味>を悟ったのです。
万人のための自由な国を作ろうと理想国家の建国に挑んでいる時、ファウストは初めて言い知れぬ満足を覚えました。
そして「時よ止まれ!お前は美しい!」と、思わず叫んでしまうのです。
<人生の意味>とか<真の幸福>とかっていうのは人の数だけ存在してます。
そもそも他の誰かに聞いてみたって答えなど見つかるはずもないのです。
<人生の意味>は自分ひとりで探し出すしかありません。
でも悪魔の誘惑は凄く巧妙。
我々の弱い部分をしっかり突いて来る。
余計なことを考えずに済むように、きらびやかな快楽で目眩しをさせるのです。
人間の欲望はどこまで行ったら満足するのか? 何がベストなのか?
正直私だって良く分かりません。
でもひとつだけハッキリしていることがある。
自分の人生に満足したいなら「いのちを懸命に燃やすこと!」
そうすれば多分、上手に<ゲームオーバー>出来るはず。
だから悪魔との契約など必要ありません。
<ゲームオーバー>のその日まで、いのちの炎を燃やし続け、残った時間を完全燃焼させましょう。
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死霊の恋
http://viva1213.exblog.jp/240386664/
2020-06-17T10:09:00+09:00
2020-06-17T10:34:07+09:00
2020-06-15T21:40:56+09:00
viva1213yumiko
オペラ・バレエ・映画
自粛中はチャリティ企画の舞台作品を色々鑑賞し、幸福な時間を送っていました。
今回はそんなハッピータイムに出会ったバレエ作品からのお話しです。
Kバレエカンパニー2018年公演<死霊の恋>
若い聖職者と吸血鬼の女性との愛を描く一幕ものののバレエです。
たまたま観てしまったのですが、たまらなく切なく恐ろしい恋物語でした。
そもそも舞台芸術というのは、現実にはあり得ないようなドラマチックな筋立ての方がよろしい。
突拍子もないホラ話しでもそこに一握りの真実があれば、観客はググッと心が揺さぶられます。
なので「吸血鬼との恋? ふん、くだらない!」などと鼻であしらってはいけません。
俗世の痴話話しなんかより、あの世を巻き込んだ情念ドラマの方が、むしろ本質的だったりするからです。
だからいつの時代でも、芸術家は<この世のものじゃないもの>に魅了されてしまうのでしょう。
バレエは19世紀の作家テオドール・ゴーティエの小説<死霊の恋>からインスパイアされ、振り付けられました。
ひとつの物語が他の芸術家にインスピレーションを灯し、その連鎖反応で新しい何かが生まれる。
実験室の化学反応みたいなもんですね。
見えない世界のスパークが、現実世界を常に創って行きます。
小説は初老の男が、かつての甘美で恐ろしい恋の話しを語るところから始まります。
幼い頃から聖職者になることを夢見て、世俗の欲望には目もくれず、努力を重ねて来た青年ロミュオー。
しかし教会での叙任式のまさにその時、得も言われぬ美しい女性と巡り合い、たちまち虜になってしまう。
女性は僧にはならずに自分と愛し合ってくれと願う。
しかし儀式はそのまま執り行われ、ロミュオーは晴れて司祭になりました。
司祭として赴任したロミュオーだったが、あの時の美女クラリモンド(かつての高級娼婦)のことが忘れられず、仕事に一向に熱が入らない。
ある晩重病人の臨終に立ち会うために出かけると、そこにはまるで生きてるかのように美しいクラリモンドの死体が横たわっていた。
ロミュオーは聖職者であることも忘れ、思わず遺体に口づけしてしまった。
すると彼女は瞳を開けて、ゆっくり息を吹き返したのだ。
驚いたロミュオーは気を失って、それから三日も眠り続けてしまった。
僧院長のセラピオンは、高級娼婦だったクラリモンドが酒宴や乱行の果てに死んでいることや、彼女が死んだのは今回が初めてでなく、吸血鬼や悪魔だと噂されてると伝え、彼に警告を与えた。
しかしその忠告も職責も忘れて、ロミュオーは迎えに来たクラリモンドと僧院を出て行った。
そして昼は敬虔な司祭として、夜はクラリモンドに連れられ歓楽の限りを尽くす青年貴族として、放蕩の二重生活を送ることとなる。
クラリモンドはロミュオーを深く一途に愛したが、彼女の体は次第に弱って行った。
ある日果物ナイフで怪我したロミュオーの血を吸ってたちまち元気になり、ついに吸血鬼の本性が明かされてしまった。
それでも彼女を愛して悩み続けるロミュオー。
そんな彼にセラピオン師は「クラリモンドは既に死んで墓に葬られている。悪霊が誘惑しているのだ」と諭す。
そして二人で墓を掘り起こし、彼女の死体に聖水を振りかけ祈祷した。
すると美しい彼女の死体は、そのまま灰となって消えてしまった。
「けれど今だに彼女を失ったことを後悔している」
そう言って老人は話を終えるのだった。
愛する女性はヴァンパイア。
若き聖職者ロミュオーが体験したのは、吸血鬼との道ならぬ恋だった。
危険な香りプンプンの、まさに<禁断の愛>です。
ま、それだけ切なく悲しい<イノセント・ラブ>ってことね。
美しく昇華されてく愛なんです。
<ヴァンパイアもの>ってその昇華要素が満載で、映画や小説にはまさにうってつけ。
ヴァンパイアと愛し合うにはそれ相当の覚悟が必要です。
向こうは永遠の時を生きており、若さと力とを手にしてる。
それに比べたら有限の世界を薄っぺらく生きるだけの我々の命は、限りなく儚くもろいものですよね。
でもきっとヴァンパイアにはヴァンパイアなりの苦悩があるのだろうと思います。
だってちっとも幸せそうじゃない!
血管が透き通るほど肌は薄く青白く、自らの運命を呪った憂い顔ばかりです。
なぜヴァンパイアは<永遠の命>を憂うのだろう?
「死ねない」ってそんなに辛いことなんだろうか?
我々は不老不死を夢見るが、全ての欲望は手にしてしまえば色褪せるだけ。
ヴァンパイアにしてみれば「不老不死がナンボのもんじゃい!」って感じなのだと思いますよ。
究極の願望を手にしてしまったら、同じ吸血鬼仲間を増やすことぐらいしか、もう生きがいなど残ってないのでしょう。
ヴァンパイアにしてみたら、人の生き血を吸って一族に迎え入れるのは、生き残りを賭けた戦略です。(企業のヘッドハンティングみたいなもの)
<ポーの一族>の皆さんもきっとそう考えてたはずですよ。(笑)
ちなみにもしも私がヴァンパイアなら、恋人には早い段階でカミングアウトして、献血みたいに定期的に少しずつその血を分けて貰うわね。
血液不足の時に備えて冷凍保存もしておく。(笑)
そうやって細々と堅実に生き延びて、愛する人の生涯を見届けたいものだわね。
ヴァンパイアとの恋は「道ならぬ恋」
つまり<けもの道>を進むってことです。
だから、それ相当の痛みが伴うのは覚悟しなければなりません。
そんなのは一度も恋愛したことない人だって容易に想像つきますよね。
霊魂と愛し合うのは危険なのです。
人の理性に取り付く邪悪なエネルギー体は、人間を破壊させるのが得意だからです。
そして宿主からエネルギーをじゃんじゃん吸収する。
邪悪な霊魂はある一定の周波数で実体化して、我々の目に見える存在となる。
条件さえ整えば吸血鬼として実体化が出来るって訳なんです。
毎晩のように夢に死霊が現れて、あなたを誘惑したとしましょう。
けれど、それが失血して気を失うほど甘美なものだとしたら、あなただったらどうします?
死霊との夢のような恋に溺れるか?
それとも陳腐な現実生活に踏みとどまるか?
都合良くその両方を両立させるなど誰にも出来やしません。
ロミュオーのように昼の顔と夜の顔の二重生活を試みたなら、結局自分を分裂させてしまうでしょう。
愛というのは不可解極まりません。
時間と空間を飛び越えて、私たちの心をこじ開け入って来る。
ロミュオーもセラピオン師の祈祷で死霊の情念を振り払ったはず。
けれど彼の心の奥の深い想いを葬り去ることまで出来なかった。
だからロミュオーの想いは時を経ても募るばかりで、どんなに神に祈っても心は解放されない。
死霊の愛に取り憑かれ、消えた者への未練を抱え、愛の奴隷のように残った生涯を生きるのです。
<死霊の愛>は時間と空間を超えて生き続けます。
それは聖職者でも、やくざ者であっても同じ。
愛というのは不可解極まりないのです。
いずれにしても芸術家と呼ばれる人々は「目に見えるもの以上の世界を表現したくなる」そんな宿命を持ってるようです。
芸術とは「この世のものじゃない霊的なものの表現である」と、言っても良いくらい。
あとは、如何にしてあり得ないものを現実の世界に落とし込むか?
そこだけが勝負です。
人生で体験するあり得ないお話しを、あなたも大切にして下さいね。
心にはあなただけの物語が静かに眠っているのです。
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宇宙人とのコンタクト
http://viva1213.exblog.jp/240354724/
2020-06-03T12:25:00+09:00
2020-06-03T12:25:31+09:00
2020-05-30T13:34:11+09:00
viva1213yumiko
おとぎ話・こぼれ話
4月下旬、ロックダウン中の世界に大きなニュースが飛び込んで来た。
未確認飛行物体(UFO)の存在を証明する、米国防総省の公式映像が公開されたからだ。
なぜ? なぜまた突然この時期に?
隠し続けた機密情報の公開なのか?
UFOディスクロージャーいよいよ始まる?
多くの人がそう期待したことと思います。
今生のこの目の黒いうちに実物のUFOや宇宙人が公開されて、本格的な宇宙時代に突入するのだと思うと、否が応にも胸が高鳴って来る。
我々が大いなる時代の転換点に居合わせていることを、しみじみ感じさせるそんな瞬間でした。
この宇宙には良いエイリアンと悪いエイリアンとが存在していて、それぞれ<光のエネルギー>と<闇のエネルギー>とを放射している。
以前から多くの人々がそう主張して来ました。
良いエイリアンは<光>を、悪いエイリアンは<闇>のエネルギーを発しており、両者のエネルギーバランスは拮抗し長いことせめぎ合ってるというのだ。
宇宙のエネルギーバランスは万物すべてに通じる根本原理なんだそうです。
つまり<陰陽の法則>ってヤツですね。
<陰陽の法則>は自然界の森羅万象に宿っていて、我々の人生にも多大な影響を及ぼしています。
そもそも人間には<罪>なんてものは存在しなかった。
人の魂は秋の日の冴え渡る青空のように、隅々にまで<光>を取り込むことが出来たのです。
そういう風に創られてたってことですね。
ところが大昔、アダムとイブが楽園を追われてから、人の心に<影>が忍び込んだ。
ヘビに騙され<知恵の実>を食べ、<罪>の意識が芽生えたからです。
それ以来人間は<悪>を繰り返すたび、<罪悪感>という名の<痛み>を感じるようになってしまった。
なので<罪悪感>を感じずに済むように、未だに心を閉ざし、自分を正当化してばかりいます。
心に<影>が入り込み、100%の善人は姿を消してしまったのです。
しかし良いエイリアンたちは、我々が心の<闇>を捨てることを、ずっと応援してくれてるらしいですよ。
地球人がしがみつく潜在意識の根深い<闇>を、捨て去るその日を待ってるらしい。
そして首尾良く<闇>を手放せたなら、その時次なる目的地を教えてくれる。
多くの預言者が大なり小なり似たようなことを言ってますが、それが本当なら嬉しい限りですよね。
でも大切なのはここから。
その時どうやってエイリアンと交信すべきなのか? そこが問題です。
映画<未知との遭遇>では、政府プロジェクトチームは<音>と<光>を使ってETとコミュニケーションをします。
この方法、すこぶる理に叶ってるんですよ。
<音>はそれぞれ異なる周波数で出来ているので、宇宙人の受送信する周波数に共鳴出来さえすれば、理論上こちらの意図が伝わるはずです。
試しにちょっと想像して欲しい。
あなたが宇宙船の乗組員で、銀河を移動中、宇宙人とコンタクトする必要が生じたとしましょう。
その時あなたは知りうる限りの言語を駆使し、彼らとコミュニケーションしようとしますよね?
それは日本語で? それとも英語? 万国共通エスペラント語?
いいや、どれも全く相手にされないでしょう。
それではやっぱりテレパシー?
ダメダメ向こうも警戒してて、そう簡単に心を開きません。
その時あなたはこう閃めく。
「そうだ、言葉より良い方法があるぞ。 しかもシンプル、かつエレガント!」
それは<ムジカ>、音楽を使ったコミュニケーションです。
カザフスタン出身の歌手、ディマシュ・クダイベルゲン。
彼は6オクターブという驚異的な音域を、神からギフトされました。
彼の肉体そのものが楽器。
しかもストラディバリウス並みの名器です。
バリトンからソプラノまで、あり得ないほどの勢いで一気に音をワープさせる、人間離れした才能の持ち主です。
映画<フィフス・エレメント>より<ディーヴァ・ダンス>
この若い青年のどこからこの声が発せられるのか、どうにも不思議としか言いようがない。
音域の広い歌い手は<ミックスボイス>と呼ばれるが、それにしても通常の人間の可能音域を軽々超えてます。
我々を高速エレベーターに押し込み、重力無視で瞬時に展望台に運び、アッという間にチャクラを開けてしまうようなそんな声なのだ。
この世のものと到底思えない、常識ではあり得ない声!
しかもただ単に高音が出るだけでなく、声質はデリケートで美しい。
ゴージャス! しかもパワフルだ!
クラシック・オペラ・ダンスナンバー、シャンソンやカンツオーネ。
ポップスから民族音楽まであらゆる曲を歌いこなせる。(演歌もイケそうだ)
エモーショナルな表現で観客の情感を導き出し、スタンディングオベーションを誘ってしまう。
あらゆる歌唱スキルを駆使し、それでいてピュアさを保っているが、あなたはマジシャン? それともロボットなの?
本当に神に愛されし驚くべき才能だと思います。
叙情的なフランス語の唄<SOS>
美しい音楽に触れた時、人はよく「魂を揺さぶられた」などと言いますよね。
しかし本当に美しいものに触れた時には、人は言葉を失うものです。
「魂を揺さぶる」なんて感じる前に、言葉は死んでしまいます。
でもその代わり、私たちの全神経全細胞は、それが本当に起こっていることだと理解してます。
全身にゾゾゾッと電気が走り、「魂の揺さぶり」を身体で体感してしまう。
魂の存在など信じようとせずに「エビデンスはどこにあるのか?」と、問う人がいる。
そういう人に私は問いたい。
あなたの身体を貫くその電流は、一体どこから来るのでしょう?と・・・
私たちの本質は全く理解しがたいもので成り立っています。
宇宙の真実の美を見つけたいなら、それを解き明かしたいと望むなら、デイマシュの声を手掛かりにすると良いでしょう。
きっと宇宙人もトリ肌もので感動するに違いありません。(宇宙人にトリ肌があるとして)
宇宙人にもお勧め<オペラ2>
おまけ:ワッショイ!ディマシュ祭りだ!
審査員も涙する<Sinful Passion>
カザフの民謡的な?
進化するディマシュ・クダイベルゲン
COVID-19の企画もの
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ドン・キホーテ万歳
http://viva1213.exblog.jp/240167391/
2020-03-08T16:07:00+09:00
2020-03-08T16:07:24+09:00
2020-03-06T21:35:31+09:00
viva1213yumiko
オペラ・バレエ・映画
製作過程で次から次へと不運が重なり、完成までに30年もかかってしまったという曰く付きの映画<テリー・ギリアムのドン・キホーテ>
手塩にかけた企画が何度も頓挫し、それでも執念と心意気でやっと公開に漕ぎ着けました。
ストーリーはセルバンテスの小説<ドン・キホーテ>をモチーフにしたコメディで、映像作家の主人公が少し狂った老人のたわ言に付き合ううちに、老人の夢想が乗り移ってしまうというそんなお話です。
作り話を聞いてるうちに作り話が現実になってしまう。
そんな意味深いテーマがあるのです。皆さんあの<ドン・キホーテ>のことは当然知ってますよね?
驚安の殿堂? いえいえ違います。
小説の主人公、<ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ>のことです。
17世紀のスペイン。
騎士道物語を読み過ぎで、現実と物語の区別がつかなくなり、正気を失くした下級貴族出身の男。
自らを遍歴の騎士<ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ>と名乗り、世の中の不正を正すために旅立つべきだと考える。
そして貧相な馬<ロシナンテ>にまたがり、農夫<サンチョ・パンサ>を従え冒険の旅へと出発するのです。
荒野の風車を巨人と思い込み、全速力で突進し跳ね飛ばされたり、田舎娘をドゥルシネーア姫と信じて忠誠を誓ったり、村の人々を大いにかき回すのです。
騎士道物語のパロディーみたいな滑稽本なんですね。
<ドン・キホーテ物語>は、喜劇であると同時に悲劇でもあります。
どこまでも叶なわぬ夢を追い求める老人の、悲しい物語でもあるのです。
<ドン・キホーテ>は現実と空想の区別がつかない狂人です。
いや、もしかするとあえて狂ったふりをして、嫌気がさした現実から逃避しているだけなのかも知れない。
結構いますよね〜
人から優しく扱われたくて、ボケたふりするお年寄り。
<魂の戦略>とでも言ったら良いでしょうか。
ボケはつまらない現実に打ち勝つ最大の武器でもあるのです。
<ドン・キホーテ>のお話しはひとりの老人が信じた想像上の物語が、現実の世界を乗っ取り追い越してしまうところが面白い。
それが世界文学史上の傑作となって今も残っているのは、さらに拍車をかけて面白いですよね。
世の中には誇大妄想狂というビョーキがあります。
妄想とは誤った思い込みのことですね。
このビョーキの人は皆んながありえないと考えることを強く信じてしまう。
本人はそれに強い確信を持っており、周囲から説得されても容易には撤回出来ない。
そこがまた厄介なとこなんです。
しかし本人にとっては噓偽りのないれっきとした真実。
だから余計に困っちゃうんですよね~
明らかに現実的じゃない妄想から、あっても不思議じゃない妄想まで、妄想というのは実に幅広い。
「スカイツリーから電波が出て脳波をコントロールされる」とか「近所の人が常に監視している」とか、私もいくつか聞いたことがあります。
妄想には次のような以下のような種類があるそうです。(心理学者による分類)
最初は単なる思い込み程度。
でもそれが重症化すると、<統合失調症><うつ><妄想性障害><妄想性パーソナリティー障害>などの病気へと進行するそうです。
<被害妄想>:他人が自分に悪意を持っていて、自分は被害を受けていると思い込む妄想自分は苦しめられ、追跡され、妨害され、騙され、盗聴され、嘲笑されているなどと思い込む
<監視妄想>:誰かに見張られ、監視されていると思い込む妄想
<操られ妄想>:電波やテレパシーで自分が操られていると思い込む妄想
<関係妄想>:自分とは関係ないことを自分と関係あるように思い込む妄想
<恋愛妄想>:相手から自分は愛されていると思い込む妄想
<罪業妄想>:自分はとても悪い人間だと思い込む妄想
<心気妄想>:自分が病気だと思い込む妄想
<貧困妄想>:自分はとても貧しいと思い込む妄想
<宗教妄想>:自分が宗教的に特別な人間だと思い込む妄想
<誇大妄想>:自分がナポレオンだったり、皇室の人間だったり、正義の味方だなどと思い込む妄想
「なんだ、自分にも当てはまるじゃん!」
これを見てそう思った人も正直多いのではないだろうか?
実は私も結構な妄想癖じゃないかと踏んではいるのです。
でも私の場合、それは趣味でもありまして、通常の生活とは別のものと切り離しております。(笑)
このように誰でも多かれ少なかれ何かしらの妄想を持っているものなんです。
一度妄想に駆られてしまうと、他のことも全てその妄想を基準に考え始めます。
皆んなが敵だと思い込み、全てのことが自分への悪意と感じる。
夫が浮気してると確信し、夫の様々な行動が浮気の証拠に見えて来る。
他人が見たら全然証拠にならないことまで、証拠に思えてしまうのです。
それまで問題のない人生を送った人(むしろ評判の良い人ほど)が、中高年になって突然問題を起こし始めることもあります。
真面目だったあの人が、急におかしいこと言い始めたり、周囲とトラブルを起こしたりする。
ただ単に思考に柔軟性が無くなっただけの場合もあるでしょう。
認知症の場合もあるし、妄想の場合もある。
だからちょっと厄介なんですよね〜
若年層だって侮れないですよ。
ネットで似通った情報を発信し合ううち、事実無根の情報に振り回されて、どんどん妄想が膨らみ混乱して行く。
似たような妄想を持つ者同士が交流すると、妄想にさらに拍車がかかり大ごとに発展するケースもあります。
そのような妄想のある人が奇妙なことを言って来た時、一体どうしたら良いのでしょうか?
まずは「本当かも知れない」という前提で、良〜く話しを聞いてあげましょう。
それが基本です。
そして「やっぱりこの話しは妄想だな」と感じたら、相手の妄想に振り回されないようにしなければなりません。
けれどそこら辺はあくまでも慎重に進めて下さいね。
話しを聴く側にとっては明らかな<ホラ話><デマ話>でも、その本人にとっては真実の世界。
一方的に「妄想だ!」と指摘したらややこしいことになる。
下手をすると余計に妄想を強めかねません。
「これは妄想だな」と感じても、本人の悩み苦しみを否定せず、共感して接する必要があります。
妄想内容に巻き込まれずに、その人の悩みに寄り添って相談にのる必要があるんです。
でもこれには忍耐力が必要なんですね。
<ドン・キホーテ>は妄想の達人でした。
騎士道物語の読みすぎで自分を本物の騎士と思い込んでしまったのです。
日本だったら戦国武将の生き様にハマって、戦略とか格言とかを真似るオッサンって感じかな?(笑)
そう言えば鎧兜とか日本刀とかのコレクター、確かに多いですしね~(笑)
<ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ>
伝説の勇者。
遍歴の騎士。
ちょっとマヌケで憎めない、そんなオッサンだったんじゃないかって思うんです。
でもね・・・
皆さんも良く考えてみて欲しいんだけど、私たちの人生そのものも<作り話>みたいだとは思えませんか?
実はどんな人の中にも<ドン・キホーテ>は眠っているんじゃないのかしら?
あなたの中の<ドン・キホーテ>性とは、まだ花開いてないあなたの可能性のこと。
風車を巨人とみなして闘ってしまう、眠ったままのあなたのパワーのことです。
心の中の妄想を、妄想のまま封印しておくのはとても勿体無いことです。
装備を整え、機を見計らい、勇気を持って挑むなら、風車の巨人も必ず倒せる。
人が生きる道を説き、世の中の不正を正すことも出来る。
思いを寄せる姫君に、膝まづいて愛も誓えるのです。
さあ、今こそあなたももう一度。
眠りについた<ドン・キホーテ>性を、揺り起こしてはみませんか?
おまけ:驚安の殿堂<ドン・キホーテ>は「既成の常識や権威に屈しない<ドン・キホーテ>のように、新たな流通業態を創造したい」という願いを込めてこのネーミングにしたそうだ。
あの独特の圧縮陳列を武器に、大手小売業の風車に挑んで大きくなったという訳だ。昨年社名を変更し、また新たな冒険の旅に出発したらしい。
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螺旋のエネルギー
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2020-02-19T15:04:00+09:00
2020-02-21T11:51:32+09:00
2020-02-18T12:35:18+09:00
viva1213yumiko
おとぎ話・こぼれ話
日本列島に冬将軍がすっぽりと居座った、曇天のある寒い日曜日。
珍しくラーメンが食べたくなってラーメン店に入ってみました。
ラーメン自体は何の変哲もないチャーシューと海苔とメンマのしょうゆ味。
そこにナルトが一枚乗っている昔ながらのヤツです。
「へい、お待ち!」
テーブルにドンと置かれたどんぶりを目にした途端、私はまるで催眠術にかかったかのようにナルトの渦巻きに釘付けになりました。
一筆書きのピンクの渦に視線はそのままフリーズし、クラクラと目眩する感じるのだった。
あなたはナルトの渦に目眩したことありますか?(あれっ、私だけ?)
その時ラーメンどんぶりの渦巻きは、確かに回っていたのです。
ゆっくりと滑らかに音もなく回転するナルトの渦。
私はそこに神聖な宇宙の美学を垣間見た気持ちになりました。
ナルトの渦が未知の世界に誘う<標識案内>に思えたのです。
ナルトの渦の中心からそのまま宇宙空間へワープする、そんな奇妙な感覚に襲われ、なおさら頭がグラグラするのでした。
渦を巻く螺旋には数学的な<美の法則>があるそうです。
専門的には<フィボナッチ数列>とか言って、その法則でエネルギーの回転・循環・集中・拡散を数字で表すことが出来るのだそうです。
宇宙を宇宙として成り立たせる基本の公式で、自然界の秩序を表す重要な法則です。
驚いちゃったのですが、物質界にうごめくエネルギーって、み~んな渦を巻いてるそうですよ。
我々人間も例外じゃないんだそうです。
私たちひとりひとりの人間も全く同じエネルギー物質です。
だから人は皆、無意識に螺旋の形に魅了されてしまうのでしょう。
台風も竜巻も貝殻も星雲もブラックホールも、自然界のエネルギーってどれもが渦を巻いてますよね。
洗濯機の水流も蚊取り線香も綺麗な渦巻きです。
私は小さい頃、洗濯機が動くのを見てるのが大好きで、飽きもせずじっと黙って良く見てたものです。
そしてなぜか不思議と手を突っ込んでみたくなる。
渦巻きエネルギーには子供心を吸引する、確かな何かがありました。
お風呂の栓を抜いた時も、お湯は綺麗な軌跡を描いて渦を巻きます。
排水溝のパイプの中をそのままグルグル進むと思うと、螺旋エネルギーの奥深さを感じずにはいられません。
キッチンのお鍋の中にも渦があります。
渦を巻かなきゃ材料は混ざらないし、混ざらなければ料理になりません。
食べ物だって色々あります。
伊達巻・海苔巻き・恵方巻き・ロールケーキ・生春巻き・・・
渦巻きには美味しさを凝縮する、そんな性質があるのかも知れないですね。
ネジは時計回りに締めて入れ込みます。
逆に抜く時は反時計回りですが、これも自然界の法則に従ってます。
時計回りは<吸収するエネルギー><下降するエネルギー>
逆に反時計回りだと<抜け出るエネルギー><上昇するエネルギー>
ビスはまさにその法則のまま生かされています。
だからヨーロッパなんかで塔の螺旋階段を登る時は、左回りに登って右回りに降りて来る方が疲れないんだそうですよ。
一方人間の体にはつむじという渦巻きがある。
髪も爪も、どんどんどんどん伸ばしたらグルグルと螺旋を巻き始める。
指の指紋も渦巻き模様だし、DNAの二重螺旋も渦巻き構造しています。
神様の眼差しで人間を透視してみたら、我々もオオム貝と大差ないのかも知れません。(笑)
このように<渦巻きエネルギー>は暮らしのあらゆるところに存在していて、人体から宇宙に至るまで自然界には絶対に欠かせないエネルギーだということが良く分かります。
自然界の<螺旋エネルギー>は自然の波長と調和し、宇宙に同調する創造的な状態を示しているのでしょう。
人に置き換えるとしたら、あなたが最も自然体でいられるルンルン状態のことを指します。
ところがそこにエゴや思い込みがあると、この調和の取れた自然の状態がみるみるうちに曇ってしまうのです。
アンバランスなエネルギー状態にすぐに陥ってしまうんですね。
だからそんな時は自分の内側に<螺旋エネルギー>が流れていることを、わざと意識的に思い出すようにすると良いんです。
自分の<螺旋エネルギー>はどんな状態か?
自分の<螺旋エネルギー>はどのぐらい働いているのか?
自分の<螺旋エネルギー>と調和しているか?
今の自分の内側の状態を、見つめてみると良いんです。
昔、中国に孟子という偉い人がいて、「尽心章句」という書物にはこう言ったと記されています。
「孟子曰く、万物皆我に備わる。
身に反りて誠ならば、楽しみこれより大なるはなし。
恕を努めて行う、仁を求むることこれより近きは莫し」
難しいので現代語に訳すと、おおよそこういう意味になる。
「天地万物は全て自分の内面に存在している。自分を考察し、天地自然の理法を自分の内面の中に認識し、天地と自分が一体の境地になれば、これより大きな楽しみはない。そこで出来るだけの努力をし、赦しの心を周囲に及ぼせば、それが仁を達成する最も手近な方法なのである」(by 孟子)
さらにかいつまむと多分こうです。
「自分の内面(ミクロコスモス)と、天地万物を内包する宇宙(マクロコスモス)とを一体のものとして考えましょう」
「そうすればこの世に存在する全ての多様性を受容し、仁(思いやり)というものが達成されますよ」
人間の心身の秩序構造も、宇宙全体の秩序構造も基本的には同一なのです。
宇宙をマクロコスモスとすれば、我々人間の肉体はミクロコスモス。
人間はまさに小宇宙そのもの。
決して比喩的表現ではなく、私たちはホントに<宇宙の子>だったんですね。
その証拠にちょっとこの写真を比べてみて下さい。
左はネズミの脳内の神経細胞の写真、右は宇宙の数十億光年の進化成長を再現した写真。
見比べれば分かるように両方とも瓜二つです。
脳と宇宙とは全く別の自然現象なのに驚くほどシンクロしてて、両者とも日々進化成長・拡大発展してネットワークを広げつつあることが良く分かります。生物の脳内ネットワークと同じように宇宙にもネットワークがあって、色々と情報交換して進化している可能性大ですよね。
精神世界と物質世界(あの世とこの世)は、エネルギーの出入り口を通して結ばれているんです。
人体なら<ツボ>とか<チャクラ>と言われる部分。
地球なら<パワースポット>、宇宙だったら<ブラックホール>です。
両方の世界はこれらの場所を介して相互に情報やエネルギーが交換されてます。
宗教では昔から神のいる世界のことを<光の世界>って呼びます。
神仏は<光の世界>から現れて、私たちはそのご加護によって救済されると教えます。
同じことをヨーガ哲学では<プラーナエネルギー>と言うし、中国では<気のエネルギー>と呼ぶのです。
最近のスピリチュアリストは<宇宙エネルギー>って言う人多いですよね。
医学や生物学の分野では<生命エネルギー>って言うし、量子物理学では<電子>とか<光子>とか<ニュートリノ>とかって呼ばれてます。
どれも皆同じものを別の言葉で言ってるだけ。
見えない世界から生じる<有り難いエネルギー>が湧き出して来ています。
様々な名前で呼ばれる<不思議なエネルギー>が、私たちがいる地球側の世界に降り注いで来ています。
至る場所から螺旋状の光になって噴き出しているんです。
私たちは体の中に銀河宇宙を抱えています。
60兆個の細胞のひとつひとつが、キラキラと輝く渦巻き宇宙です。
それだけじゃありませんよ。
細胞の中のDNAにも同じ螺旋がある。
どこまで行っても絶え間なく回転する、エネルギーだらけの存在。
それが私たちなのです。
私たちは目に見えないエネルギー存在です。
2ミリ程度の皮膚に包まれた、エネルギー存在そのものなんですね。
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ヒラメキの時代
http://viva1213.exblog.jp/240010975/
2020-01-31T12:06:00+09:00
2020-01-31T12:06:20+09:00
2020-01-29T23:38:40+09:00
viva1213yumiko
おとぎ話・こぼれ話
ラジオの時代を代表する最も印象的な風景といえば、やっぱり1945年夏、終戦の日の玉音放送でしょう。
「けふ正午重大放送が行はれる。この放送は眞に未曾有の重大放送であり一億國民は厳肅に必ず聴取せねばならない」
当日の朝、天皇陛下自らが行う重大な放送だということが伝えられました。
実際は天皇陛下の音声レコード(玉音版)の再生で、当時ラジオの放送音質も悪かったし、また天皇陛下の独特の節回しもあって殆どの人は放送の意味が分からなかった。
しかし「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」
陛下のお言葉に号泣する人たちのただならぬ雰囲気で、日本の敗戦をまざまざと察知したものです。
焼け野原の中、ラジオ放送と日本国民の感情とがひとつに結ばれた瞬間でした。(と、まるで生きていたかのように言う)
1953年にテレビ放送が始まり世の中はテレビの時代へと突入した。
1950年代後半には<白黒テレビ><冷蔵庫><洗濯機>が、1960年代には<カラーテレビ><クーラー><自動車>が三種の神器としてもてはやされました。
高度経済成長の発展と共にテレビ文化は急速な普及を遂げたのです。
「一億総白痴化」
どこかの評論家先生がテレビ文化をそう評したが、実際テレビ全盛期の頃ってホントに飛ぶ鳥を落とす勢いがあって、家庭でも学校でもテレビ無しには会話も成り立たない状況だったのです。
ザ・ドリフターズの「8時だよ!全員集合」ってあったでしょ?
あの番組は「子供に悪影響を与える」ワースト番組だったけど、今にして思うとどこが教育に悪いのか理解に苦しみますよね。
どこの家でも土曜の夜は家族皆んなで大笑いしながら食卓を囲んだものだ。
確かに白痴化しちゃったけれど、少なくとも健全な家族関係を保つには役立ってたように思うんです。
テレビの黄金時代ってレトロな人情が残ってて、のんびり牧歌的だったんですね〜(個人的感傷も大きいけど)
そしてインターネットの時代。
産業革命を軽く凌駕する情報革命の時代です。
それまでの牧歌的な時代と違って、膨大な情報がもの凄い速さでやって来て、あっという間に過ぎ去って行く。
何事も素早い判断・素早い処理が求められ、正直ついていくのがやっとの状態。
検索すれば何でも分かって、クリックひとつですぐに配送される。
そのスピード感を革命と呼ばずして一体何と呼べば良いのでしょう。
いまどきの子供たちは小学校の頃からプログラミングとかを習ってるそうです。
大量の情報を識別して操れる<いまどきキッズ>は、とてもクールでスマート!
ドリフ見ながら皆んなで笑ってた人たちとは、もう別次元の存在ですよね。
デジタル文化って白黒はっきりしててスッキリ感があってよろしいのですが、でも人間が抱える心の大部分は数値化出来ないグレー部分なんです。
それも明るいグレーから限りなく暗いグレーまで幅広く、人の心は決して一筋縄じゃ行きません。
だからデジタル社会の発展のおかげで欠落してしまったものを、我々は補う必要があるのです。
ラジオ → テレビ → インターネット
地上に降りて来て以来、人間は電波を受信するため様々なオモチャを作っては楽しんで来ました。
でも受信形態は違っても、根本的なところは皆同じなんですね。
ラジオもテレビもインターネットも、目には見えない電気的な波の働きで、何らかの情報が伝わるのに違いはありません。
ラジオのスイッチを入れれば天皇陛下の声が聞こえます。
テレビチャンネルを変えれば子供に有意義な番組を選択したりしなかったり出来る。
ネットショッピングに関しても、星の数ほどのサイトの中から最終的には自分が欲しいものを見つけ出す。
電波の向こう側って膨大な情報が存在する場所です。
そしてあなたに必要な物事が必ず見つかる場所でもあるんですね。
目には見えない電波ってヤツがそれを教えてくれるんです。
どこかに誰かが発した情報が存在する。
それをあなたがキャッチする。
あなたに似合ったタイプの知らせを自然にキャッチするのです。
まるで奇跡のようだけど、それは至って自然な<宇宙の法則>
ヒラメキという名の電波が降りて、自然とキャッチしちゃうのです。
スピリチュアルな教えでは「人間の内側には最初から心の眼のようなものがセットされていて、我々はそれを人生というスクリーンに投影してるのだ」という考え方をします。
人生は自分のヴィジョンを投影した映像作品に過ぎないって言うんですね。
なので猜疑心だらけの人には、怪しげな人物や怪しげな物事ばかりがやって来ます。
頭がエッチで一杯の人には、案の定エッチなことばかりが起こる。(笑)
ポジティブな人には人生を楽しくハッピーにするものがやって来て、ネガティブな人には不幸や苦難が届きます。
つまり人間は自分が見たい世界を作ってるんです。
誰もが自分の見たい世界を見ているだけに過ぎないんですね。
そこが理解出来たなら、私たちがしなければならないことは凄くシンプルです。
自分のヴィジョンをキャッチすること。
内側に宿るイメージ、その完成図を探すことだけです。
自分の想いを自分の中のスクリーンに映し出し、そこに感情を伴うことが出来たなら、それでもう十分OK!
あとは外側の世界に反映されるのをじっと待つだけです。
人はまず完成図を発見し、そして初めて何かを作ろうと考えます。
だから人生をクリエイトするためには、内側の眼が見た場所に向かって流れて行かなければなりません。
自分の心が見たものの方向に、自分の命を運んで行く。
だから<運命>なんですね。
アイデアは目には見えない高次の世界から、ヒラメキという電波に乗って降りて来ます。
でもどんなに天が語りかけても聞く耳を持たない人にメッセージは届きません。
ヴィジョンを受け取った者、夢を見続ける者を通して、初めてアイデアは形をおびるのです。
だから・・・
それがあなたにとって大切なことなら、アイデアは必ず向こうからあなたを訪ねて来ることでしょう。
知らせを運ぶ伝書鳩のように、大事なことはちゃんと運ばれて来ます。
ヒラメキという名の電波が降りてあなたの扉を叩くのです。
ラジオ → テレビ → ネットの時代。
その次は<ヒラメキの時代>になるのかも知れません。
業務連絡:正月のラジオ番組「サップス佐藤のソウルエボリューション」
前半と後半を一挙に公開します。 宜しかったら聞いてみて下さい。
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サスペリアの母
http://viva1213.exblog.jp/239970651/
2020-01-18T00:46:00+09:00
2020-01-19T10:54:11+09:00
2020-01-15T00:20:30+09:00
viva1213yumiko
オペラ・バレエ・映画
時々無性にホラー映画が観たくなることがあります。
一口にホラーと言っても、その怖さの質に違いがあることを皆さんお気づきだろうか?
<グロテスクな怖さ><シャープな怖さ><スリリングな怖さ><狂気的な恐怖><根源的恐怖><生理的恐怖>・・・
恐怖の要素も色々あるものです。
知ってますか?
人間っていうのは恐れを作り出す天才なんです。
欲望の樹の根元を掘ってみれば、そこには必ず恐れが見つかる。
上手に覆い隠しても、誰にも多かれ少なかれ心の闇があるものです。
なので自分がどんな恐れを持っているのか、時には勇気を持って覗くことも必要です。
そういう時(つまり自分の闇を知りたくなった時)ホラー映画が役に立つ。
自分の恐れているものが一体何か、その正体を知ることが出来るからです。
近年のホラー映画の中では、2019年の<サスペリア>リメイク版がかなり面白かった。
ジャンルは明らかにホラーだけれど、近代史・オカルティズム・芸術・心理学・文化人類学など様々な要素が散りばめられてて、クールで洗練された<アート系ホラー>と呼べそうです。
呪術の分野もしっかり盛り込まれているところも、個人的に興味深かった。
テーマの主題は<女性性>について。
全てを生み出し、全てを飲み込む母なる力。
その<慈愛>と<強さ><怖さ>がテーマです。
キリスト教がまだ生まれる前の時代。
土着の宗教では女性の出産は、自然界の豊穣の証しとして崇められていました。
男性と交わって新しい生命を産み出す現象は、古代人にはとても神秘的なことだったに違いありません。
自然界は多様な生き物が調和し生きるとても豊かな世界ですが、<女性性>とはまさにその恵みと繁栄の象徴です。
でもきっと当時の人たちは、それと同じぐらい<女性性>に恐れや脅威も感じていたはず。
だから女神信仰という形で、神聖なる<女性性>を崇め敬ってたに違いありません。
<女性の神官><占い師><民間療法の癒し手><お産婆さん>などは、聖なる領域とこの世界との仲介役とされ、彼女たちのような存在が魔女のそもそもの始まりだったようです。
その後キリスト教の父性原理が普及し、女性性優位の異教は悪魔の象徴となりました。
そして魔女狩り以降、悪魔に仕える魔女のイメージは決定的になったのです。
本来の神聖さより、怖さ・不気味さが強調されて、聖なる<女性性>は忌むべき不浄のものとなってしまいました。
映画<サスペリア>はあらすじ的には「魔女の巣窟で巻き起こる惨劇ホラー」ですが、怖さに深みと奥行きのある<ディープホラー>です。
男女の差はなく全ての人間に宿ってる、<女性性>への恐れ・憧れを表現した<知的エンタメホラー>なんですね。
ベルリンの、とあるコンテンポラリー舞踊団。
そこは魔女たちが支配する組織で、披露されるダンスそのものが生贄の儀式になっていた。
頂点に君臨するマザー・マルコスの命を繋ぐため、若いダンサーたちを次々と生贄にしているのです。
儀式におけるダンスの目的は、みんなで一緒に呼吸を合わせ、異空間を作り出すこと。
ダンサーたちが床を蹴る音や、呼吸する音が踊りの効果音にもなっていて、より一層儀式性を高めます。
そのダンスがまた凄いんです。
クラシックバレエの動きとは対極の、地を這う獣のような動き。
部族の戦士が狩りに行く時の、陶酔した雄叫びのような動きなんです。
ダンサーは感情を解放し、内側から生命力を爆発させようと努める。
そして超自然の力が肉体に宿ることを引き受けるんですね。
すると主人公のスージーは、人体をボッキボキにしてしまうほどの遠隔能力者になってしまう。
全く困ったもんなんです。(笑)
魔女とは古いヨーロッパの迷信で「超自然的な力で人畜に害を及ぼす」とされた人物のこと。
伝統的呪術のことを人類学では<シャーマニズム>と呼びますが、ヨーロッパの魔女や魔法も非常に<シャーマニズム>に類似しているそうです。
我が国にも土着信仰に帰依した、魔女的役割を担った女性がたくさんいましたが、その多くは苦難と迫害の歴史を生きました。
<サスピリオム> Suspiriorum の語源はラテン語の suspiro(溜め息・嘆き)から来るそうで、魔女<マザー・サスピリオム>とは<嘆きの母>という意味になります。
人の嘆き悲しみを感じ取って、共に泣いてくれる<慈愛の母>のことですね。
日本だとイタコさんみたいな感じかな?
ちょっと違うか。(笑)
とにかく魔女というのは、魂の救済のために人の哀しみを進んで背負う<高潔な存在>でもあったんです。
地下の儀式では、真の<母なる存在>に覚醒したスージーが、黒魔術の魔女たちを次々と殺しまくります。
だがその赦しと救いには圧倒的な愛がある。
<母なる存在>は破壊と創造の両方の顔があり、すべてを生み出しすべてを飲み込んでしまうんですね。
「魔女って母性の<慈愛>と<強さ><怖さ>そのものなんだなぁ」
私はそう思いながら、スプラッターシーンをじっくり観ていました。
ラスト黒魔術の魔女たちは、次々頭を吹き飛ばされ<血の海地獄>になってしまうのですが、まるで自分の思い込みや凝り固まった思考までもが、血まみれにぶっ壊されるみたいなそんな奇妙な感覚になりました。
おまけ:エンデイングのテーマ曲は、恐ろしいくらいピュアで美しく印象的です。
あまりにナイフの切れ味が良かったら、意外に胸に刺さっても気づかないかも知れません。
本当の恐ろしさって、そんな風に静かに忍び寄って来るのだと思います。
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