カテゴリ:おとぎ話・こぼれ話( 80 )

コードネーム<ジョーダンリー>

a0253145_15311189.jpg

みなさ~ん、お元気ですか~?  

事情があって私、ここ3ヶ月ばかりの間ブログ休暇を取っておりました。

休暇と言えばバカンスチックで聞こえが良いけど、正直に言いますとこの夏以降どうにもこうにも文章が書けない状態に陥ってしまっていたのです。


いや、書くことだけではありません。

文章にそのものにアレルギーがおき、本を開くだけでめまいがするような状態でした。


いやはや、ちょっとしたスランプとでも言いましょうか。

創造の女神に完全に見放されてしまい、知的好奇心ってものがまるで沸かなかったのです。

ただひたすらアホウのようになって、カラカラと回る8㍉フィルムを見送るような、そんな日々を過ごしていました。

情けない話しだけど、アイデアが降りない時はジタバタしたって無理。

ダメなものはダメなのです。


しょうがないのでこの3ヶ月間、私は余分なものを断ち切り、自分の殻を破るべく、大いなる作戦に取りかかりました。

TV・ラジオ・新聞はもちろんの事、PCもスマホも最低限しか開かない、情報遮断月間を送ることに決めたのです。

意図的に情報を遮断しそこで何が起こるのか、ひとつ良い機会だから、そんな実験生活を試みてみようと思いついたのです。


その心境は、「探さないで下さい」とメモ書きひとつ残し、インナーワールドへと旅発つ気分。

どこまで<情報断捨離>できるかを、ひとつ試みてみようと思いました。

略して<情・断・離>・・・

コードネーム<ジョーダンリー>です。

a0253145_15411058.jpeg
ご存知のように、現代社会は爆発的な速さで情報の飛び交うまさに情報過多の時代です。

20世紀の終わり頃から較べただけでも、ゆうに数十倍もの情報をそれぞれの人間が処理するようになっている。

実にダイナミックな情報革命の時代に、我々は生まれ合わせているんですね。

誰でもどこでもボタンひとつで専門知識を即席に手に入れ、達人級の理解が可能な世界。

けれど・・・それってホントに幸せなことなのでしょうか?


「米国の国家安全保障局(NSA)が、インターネットを通して個人を含めたあらゆる機関の情報をスパイしている」

スノーデン暴露によって、米国政府はメディアのみならず、国民の個人情報も盗聴している事が分かってしまいましたよね。

アメリカが管理するインターネットシステムそのものには、どこか深刻な疑念があると、多くの人が気づくようになりました。

自分の発信する情報が誰と繋がっているか、調べれば皆んなわかっちゃうなんて何とも空恐ろしいことです。

SFみたいな超管理型社会システムが、本当に水面下で準備されているのかも知れません。 


また政府の方でも、オンライン世代のための秘密工作として、インターネット上でいかに誤った情報を流布させるか、工夫を凝らしていると言われます。

UFOや異星人の情報は、最も扱いやすいカテゴリーなのだそうです。

a0253145_15412873.jpeg


情報のるつぼの中で、それに飲み込まれてしまわないように、自分の立ち位置やブレに敏感にならざるを得ません。

自分が情報マジックの罠に捕まってないか、いつでも点検してなくてはならないという、ややこしい手間が増えてしまいました。

実際のところ、大体はどうでも良いような情報が殆どです。


情報の罠にハマらないようにするには、まずは一歩下がって冷静になり、その情報が本当に正しいのか、個人個人で分析してみる必要がありそうですね。

つまり、何ごとも自己責任って奴が大事なんです。

a0253145_15412496.jpeg


この3ヶ月間、世界では目まぐるしいほどの嵐が吹き荒れました。

土石流・危険ドラッグ・デング熱・幼女殺人・香港民衆化デモ・ノーベル賞・イスラム国・御嶽山・エボラ出血熱・ASUKA覚醒剤・辞任ドミノ

あれ? ブラジルW杯はこの夏だったっけ? セウォル号はもっと前の話し?

何だか色んな事が起こりすぎて、時間の感覚がおかしくなってる。

でもこれ、皆んな心当たりあるんじゃないですか?



世界の情勢はどんどん不安定になっています。

荒々しいエネルギーが、地球上に発散しているとしか思えません。

抑圧された暗く動物的な集合無意識が、何の前ぶれもなく浮上する可能性が、身近な至る場所に存在するのです。

どこにどんなエネルギーが潜んでいるのか、誰にも分かりません。

個人や社会の中に抑圧された集合無意識は、どんな風に噴出するのか予測がつかないのです。


現代は水瓶座の時代。

巨大組織が衰退し、個人の力が強化される<個性化進展>の時代と言われます。

ひとりひとりが個人本来に内在している力に目覚めはじめ、意識が変化する人が増えてくるのだそうです。

言わば個人による個人のための、<革命の時代>と言えるのでしょう。

この時代の勇者たる者は、外側のさまざまな出来事に一喜一憂していては駄目。

自分にとっての真実だけを見つめ、それに直面しなければなりません。

<情報断捨離>はそのきっかけを作ってくれる、良い方法となり得ます。

a0253145_15412021.jpeg
「え~っ!そんな事も知らないの?」 「ニュースで見なかったの?」 「信じらんな〜い!」

私を含め、世事に疎い人、巷の話題が通じない人々を、皆さん決してバカにしてはいけませんよ。

<情報断捨離>・・・コードネーム<ジョーダンリー> 


世はまさに革命の時代なのです。

アホウのように見えるけど、彼らはその使命を忠実に果たしてるのかも知れませんからね。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-10-30 14:40 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

てへぺろのススメ

a0253145_18455202.jpeg

若いってただそれだけで良いものですよね。

「箸がころがっても楽しいお年頃」って言い方しますが、ティーンエイジの頃は正にそんな雰囲気に満ちあふれています。

ふっくらした頬や、みずみずしい二の腕。

どうでも良いような事に一喜一憂して、いきなりパアッと弾けるように笑う。

若いお嬢さん方の刻々と変わる表情を眺めてるだけで、こちらまでウキウキと楽しくなって来ます。


若さとは何か?

若さの特権とは一体何なのか?

若さが許す様々な事情から、それらを考察してみるのも興味深いですね。


若いという事は一般的には<未熟さ>を意味します。

<未熟>という事は失敗してもしょうがないという事、更なる経験のチャンスが再び与えられてるって事でもあります。

つまり若い頃には「多少無鉄砲でもがむしゃらにガンガンやって構わない」そういう特別な権利があるって事なのです。

仕事でも恋愛でも、取りあえず何でもやってみる。

いい大人がやったら笑い者にされるような事でも、泣いても笑っても、失敗して恥かいても・・・

「若いんだもの仕方がないさ!」

それが若さに許される一番大きな特権だと思うのです。

人は大人になると訳知り顔で若い連中に講釈したりしますが、その殆どは自分自身に向かって言ってる説教だと思って間違いありません。

自分の子供に「勉強しないとちゃんとした大人になれませんよ!」なんて言う親は、自分自身がちゃんとした大人になれてないって声高に表明してるようなもんなのです。

人は自分の経験則からしか物事を語れないのだから、人様のご意見を聞く場合もあくまで参考意見程度にとどめましょう。

最終的には自分で決断しないとダメです。

それぞれの人がそれぞれの世界観を語ってるだけなのだから、本来は誰もあなたの世界に影響を及ぼす事など出来ません。

だから若い人は思考回路の固まった大人の言う事など耳にかさずに、ガンガン好きな事しちゃって欲しいですね。

若くったって年取ってたって、男だって女だって、自分の人生が気に入らなくなれば、いつでもその場所から起動修正すればいいだけの話しなんです。
a0253145_18322987.jpeg

失敗を恐れずに好きな事をやってみる。

それでも最初から上手く行く人は少ないのではないでしょうか?

人は失敗を重ねながら色んな事がわかって来るものだからです。

失敗して少しヘコんだそんな時、未熟な自分の言動のすべてが許されてしまう、呪文のような<万能の言葉>があったらどんなに心強い事でしょう。


それが若い女性たちの周辺に存在していました。

「てへぺろ」っていう新種の日本語があるのをご存知ですか?

そう、流行りのギャル語「てへぺろ☆」の事です。


「てへぺろ」とは何か失敗をした時や、相手の気持ちを和らげたい時に使用する擬態語です。

うっかりした時や失敗した時などに、女性が「てへっ」と笑いながら舌を「ぺろっ」と出している状態の事です。

もともとは日笠優子さんという声優の方の持ちネタギャグだったようですが、だんだんに広まって、2011年には<女子中高生ケータイ流行語大賞銀賞>まで獲得したのだそうです。

2011年の事ですから、東日本大震災の頃から既に立派な日本語だったみたいなんですね。

知らなかったのは私だけで、ギャル語サイクルの早い女子中高生にとっては、既にもう死語なのかも知れません。


使い方はこんな感じです。

 「ごめん遅刻しちゃった! てへぺろ☆」

 「ごめんね。 私が間違ってた。 てへぺろ☆」

 「ハイ、チーズ! てへぺろ☆」


右手をクルっと回転させながらピースサインを作り、右目の横に添え、左目でウインクしつつ、ペコちゃんのように舌を上唇方向に「ぺろっ」と出し、可愛こブリッコの声で「てへぺろ☆」と言い放つのが正式なスタイルなのだそうです。

これを流れるように自然に繰り出すには、相当な熟練が必要となります。

それを見た者に「可愛いなコイツ」と思わせるか「ウザッ!」と思わせるかは、使用者の容姿・挙動・相手先のギャグの許容度などのさまざまな条件をクリアしなければなりません。

実社会で使用するには相当な状況判断が必要とされるでしょう。

つまり「てへぺろ☆」使用には、TPOが必要であるって事なのです。


「てへぺろ☆」使用の条件には・・・

   1. 仲の良い人がその場にいる事

   2. 許される空気である事

が、必須となるでしょうね。


a0253145_18321757.jpeg


相手がイラッとした時にすかさず発動させると、イラッとした気分を緩和させる効果があります。

そこにはリラクゼーション効果が期待される訳なのですが、基本的に可愛い娘に限ります。

若くて可愛い娘だけに許される特権なのです。

可愛らしく効果的に実践しないと単なる<ごまかし笑い>と判断され、よけい評価を落とす事になりかねないので、そこら辺のさじ加減が難しいところです。


しかし「てへっ」&「ぺろっ」で好印象を与えて、モテカワ女子になれるのだとしたら、若さの特権とは恐るべきものがありますね。


「てへぺろ」といい「アヒル口」といい、最近の「ぷに子」といい、モテカワの基準も時代によりどんどん変化しています。

しかし若くて可愛らしいっていうのは、ただそれだけで既にパワー(力)なんですね。

「多少無鉄砲でも、がむしゃらにガンガンやっても構わない」

若さの特権とは素晴らしいものです。

けれども実は、若くったって年取ってたって、男だって女だって、人生の今のその場所から新しい世界へといくらでも飛び出して行けるはずなのです。

例え失敗したとしても、若い娘のように「てへぺろ☆」って笑い飛ばしてみましょう。

そんな風に気楽に考える事が、人生を最も輝かせる<コツ>のように思えてならないのです。



おまけ:
余談ですが「てへぺろ」(Tethe Tpero)はアボリジニの言葉では、言ったら殺されても仕方ないほど相手を侮辱した意味なんだそうですよ。

あくまでもTwitter上のデマかも知れませんが・・・




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-06-29 11:29 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

巨人のやる気チャクラ

a0253145_11433912.jpg

いや~、噂通り<進撃の巨人>ってハマっちゃうんです。

たまたまアニメ版を見ただけだったんですけどね〜

第1話を見終わったら妙に落ち着かなくなっちゃって、一挙に25話まで行ってしまいました。

ふと気付けば完全なる夜明け。

「面白すぎる!」と聞いてはいたけど、確かにこれはハマりますね。


地球上で最も繁栄している人類に、それを上回る究極の天敵がいたなんて・・・

いいですねぇ~

驕り高ぶる人類への警告とも取れる、その逆転の発想に面白さがあります。

100年程前に唐突に出現した「人を捕食する巨人と人類との究極の戦い」を描いたこの物語。

とにかくヒットしてヒットして、巨人を巡る様々なコラボ企画が進行中で、それはもう<国民的現象>と呼んで良いレベルです。


巨人は、人類にとっての天敵です。

知性はなく、言葉も発さなく、人類との意思疎通は不可能と思われる、大小様々なサイズの巨人族。

非常に高い再生能力を持ち、頭を吹き飛ばしても数分で再生してしまうほどの生命力。

日光の当たらない環境では動きは極端に鈍るが、人間以外の生物には興味を示さず、ただ人を食らうだけの恐ろしい怪物です。

しかし消化器官もなく、人間を食べても消化しないで吐き出してしまう。

巨人の唯一の弱点はうなじ部分。

うなじ下の縦1m横10㎝を刀で削り取ると、再生能力が失われ絶命するのです。

ほほう・・・

この巨人の弱点とやらに、私はちょっと注目してしまいました。

頭とか、心臓とか、喉元とかではなくて、うなじという点に興味を持ってしまったんです。

何故かというと、うなじ部分は第5チャクラ背面の管轄領域だからなんですね。

a0253145_114655100.jpg

「ん? チャクラって何だっけ?」

という人向けに、ざっくりと説明しておきましょう。

チャクラとは人間の身体に並んでいる、目に見えないエネルギーポイントの事を指します。

チャクラは情報の伝達、発信、記憶を司っていて、記憶情報をもとにしたエネルギーの収集と選択という役割を引き受けています。

エネルギーの吸収や排泄を行っていて、心や体、オーラにエネルギーを届ける役目があるのです。

つまりチャクラとは、肉体や心、オーラ、環境などへエネルギーを分配している<エネルギー交換器>のようなものなんですね。
a0253145_1282671.jpg
巨人の弱点のうなじ部分は第5チャクラの後ろ側に当たります。

第5チャクラはコミュニケーション能力に影響を与えているのですが、前方は主に感情表現、後方では意志の表現を司ると言われます。

第5チャクラの背面では仕事に対するエネルギーの供給がメインに行われるので、このチャクラに問題が出ると「仕事への情熱や意志がなくなる」という事が起こりやすいのです。

仕事に対してやる気がなかったり、職業に対して無関心だったり、何故か労働条件の悪いところへ働きに行こうとしたり・・・

子育てでもこのチャクラを使ってしまうと養育が仕事になって来るので、子供が愛情を受け取れないような子に育ったり、キレやすい子供になったりします。

色々と目につく問題が起こりやすいのです。

逆にこの第5チャクラの背面が活性化していると、仕事などに対して情熱が持て、自分の責任を果たせるようになります。

責任感が強く、信頼でき、仕事に熱心であり、仕事に対する充実感が持てるようになるのです。

第5チャクラ前方のコミュニケーション能力と、後方のやる気パワーが上手くコラボすると、物事の現実的な側面がかなりスムーズに流れるという訳です。

a0253145_11475474.jpg

スピリチュアルな世界では、首の後ろの<ぼんのくぼ>という場所は、エネルギーの侵入口でセンサーみたいな働きがあると言われます。

ここがゾクゾクして悪寒が走ったら邪気の侵入に要注意。

非常に敏感なところで、ガードの弱い急所でもあり、プロレスでは<延髄切り>って必殺技もありますよね。

私事ですが、以前首が回らなくなりどうにも困った事がありました。

振り向こうするとゴリゴリ嫌な音がして、ギブスをはめたように左右のどちらへも首が動かせなくなったのです。

その頃は人生の転機で、それまでの仕事から新しい場所へとジャンプしなければならない時期だったのに、その流れに気付かずに同じルーティンを繰り返していました。

自分が心の奥で仕事に退屈を感じてたなんて考えもしませんでしたが、首の不調はそれに対する警告だったのでしょう。

そのテーマがクリアされると同時に、首は360度スムーズに回転するようになりました。

だから<ぼんのくぼ>と<延髄>と<やる気パワー>とには、相関関係があると実感しています。
a0253145_11455146.jpg

さて<進撃の巨人>の主人公エレンは、やがて自ら巨人化する技を体得して活躍し始めるのですが、その巨人化の時には、彼は巨人のうなじに入り込み巨人の肉と同化してしまいます。

その時、彼の自我は薄まって冬眠状態になり、記憶が曖昧になったり夢を見ていたりして、行動を制御出来なかったりもします。

これも面白いなぁと思いました。

「物事に対する意志力とは、首の後ろ部分の強制力に支配されている。

しかも自我を超えたレベルの支配力でね・・・」

まるで作者がそう言っているように私には思えたのです。
a0253145_12274879.jpg

主人公エレンが巨人化するには強い意志力が必要で、明確な目的意識を持たないと発動しません。

自らの肉体を傷付け、喝を入れなければならないほどの、強烈な意志の表明が必要なのです。

願望を成就させるには、きっと<想い>だけではだめなのでしょう。

その<想い>にプラスして<情動>の力が必要になるのだと思います。

右脳と左脳を統合して能力が向上するように、<想い>と<情動>が合体した時初めて真の創造性が発動されるのです。

その時、人は巨人・超人へと変容出来るのです。

人間のそのような可能性を、この物語から感じ取りました。

a0253145_11462654.jpg
何かを成し遂げたいと思っていても、中途半端な<想い>と<情動>では駄目なんですね。

発動のためには、自我を超えたレベルでの働きかけが必要なんです。

「何かを変える事の出来る人間がいるとすれば、その人はきっと大事なものを捨てる事が出来た人だ。

化け物をも凌ぐ必要に迫られたのなら、人間性をも捨てる事が出来る人の事だ。

何も捨てる事が出来ない人には、何も変える事は出来ないだろう。」 

登場人物アルミンの、この含蓄ある台詞が印象的でした。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-05-09 13:19 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

ナショナリズム狂騒曲

a0253145_21314151.jpg

世界各地でナショナリズムの嵐が吹き荒れています。

豊かな先進国にさえ、ナショナリズムとセクト主義が盛り上がりつつある状況です。

長いこと<平和ボケ>と揶揄されて来た、この日本も例外ではありません。

<ネトウヨ>と呼ばれる新しい愛国主義者たちの台頭もあり、何となくキナ臭い不穏な香りが漂って来ています。

しかし<ネトウヨ>の人々の気持ちも良~く理解出来ますね。

彼らは彼らなりに不安を抱えています。

その不安のはけぐちに、ピンポイントで台頭して来たもの。

それがナショナリズムだったんじゃないでしょうか。

a0253145_21374731.jpg

こんなにも激変している世界です。

感性の鋭い若い人ほど、時代のこの大きなうねりと無関係ではいられません。

終身雇用制が壊れて不安定な契約労働が一般化し、頑張って豊かさを享受すればそれで幸せだった<幸福の一般モデル>は消滅してしまいました。

だから人は個人の幸福に走った。

<オタク>や<オタク文化>がその代表ですね。

低収入でも好きな趣味の世界に引き籠ることで、幸福を享受出来たからです。

a0253145_22461536.jpg

個人的事情から、私は<オタク>と呼ばれる人々と接する機会も結構多いのですが、実際<オタク>の人たちはお人好しで気の良い連中が多いのです。

彼らがこだわってる世界を否定しさえしなければ、その世界観の中で静かに穏やかに生きて行けるような、そんな<心優しき人種>なのです。

恥ずかしがり屋の平和主義者で、ちょっと要領が悪いだけの、素直なごく普通の人たちばかりです。

ただ世界観の異なる他者との協調性に欠けるので、コミュニケーション能力に偏りがあり、誤解されやすいのかも知れません。

自分の世界にどっぷりハマってその世界で完結してるので、他者からは理解され難いし、開き直りも強いので周囲の人との軋轢もあるでしょうね。

親御さんの立場に立ってみたら、さぞかし歯がゆいのではないでしょうか?


けれどそんな自己完結型の<オタク>にも、いずれは限界が訪れます。

その引きこもり文化がほころび始めた時(オタクに飽きた時)、嫌でも自分の現実と向き合わなければならなくなるからです。

そんな時(現実に引っ張り出された時)人はとてつもない空しさに襲われます。

ちょっと想像してみて下さい。

あなたにはその空虚感が理解出来ますか?

おそらく自分への嫌悪感が一気に吹き上がることでしょうね。

怒濤のような空しさに打ちのめされるに違いありません。

そのような空しさに飲み込まれた時、人は個人としての生き方を捨てたくなる衝動に取り憑かれがちです。

多くの人は個人を超えたものに包み込まれ、それに向かって自己を放棄したくなる衝動に駆られるのではないのでしょうか?

何となく分かるような気がして来ました?

注意して下さい。 

それがナショナリズムの正体です。
a0253145_21433768.jpg

ナショナリズムは他の国に対する敵愾心を煽ることで国家への帰属意識を呼び覚まし、個人を国家共同体へと溶け込ませます。

大きな共同体に包み込まれる興奮と歓喜を呼び起こされるからですね。

空虚感に手を焼く人にとって、これは大きな救いとなるのでしょう。

真の個性化を遂げられない多くの日本人が、この衝動に巻き込まれて行ってしまいそうな、そんな気がしてしようがありません。

これは心配性のおばちゃんの戯言でしょうか?

このようなナショナリズムを歓喜する幸福感でなく、個人個人が内面から沸き上る充実感・幸福感をしみじみと感じる、そんな<内面的な幸福モデル>がどこかにあると思いたいです。

ナショナリズムの集団主義って、個人を集団に埋没させ、個人の意識を完全に奪ってしまいますよね。

これは魂の成長にとって、とってもマイナスなんです。

ナショナリズムだけではありません。

あらゆる集団主義はマイナスなんですよ。

a0253145_22513343.gif

地球上の誰もが幸福を感じて生きて行く方法。

私はそれは、自分固有の魂のユニークさに気付くことだと思っています。

それこそが意識の目覚めであり、真の個性化だと思うのです。

個性化の過程とは、本来のあなた自身に戻ることを意味します。

そのためには人生の大胆な軌道修正が必要な人もいるでしょう。

それは容易い道ではないかも知れません。

しかし魂の自由と幸福を手に入れるため、自分の変化を恐れないで下さい。

ナショナリズムの安易な嵐に乗って、魂の成長を放棄しないで欲しいのです。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-04-27 22:27 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

<嫌韓病>の処方せん

a0253145_15593575.jpg
日本と韓国の関係が危うい状況です。

両国首脳が関係改善に向けて動こうにも、一向に良い方向には進んでいません。

双方ともに政治家は票稼ぎのため、メデイアは売り上げのために、敵という存在が必要なのでしょう。

今こそ指導者の質が問われる時だというのに「何だか大人げないなぁ~」と思っているのは私だけなのでしょうか?


この隣国との根深い問題は、今に始まった事ではありません。

いつだったか、サッカーの日韓親善試合を観に行った時の事。

その日はなぜか韓国サポーターの近くに座る事となってしまい、ハンパない応援の熱気を肌身で感じてました。

後半戦、試合が佳境に入るとヒートアップして過激な野次が飛ぶのですが、その中に「秀吉朝鮮派兵の恨み!今こそ晴らせぇ~っ!」なんて叫んでる人がいるのです。

秀吉の朝鮮出兵って・・・

400年位前の話しだったっけ?

その時私は妙にウケ、思わず笑っちゃったのですが、本人はまんざらジョークでもないようなのです。

400年以上も前の秀吉の愚行が隣国人の精神に深く刻印され、スポーツ試合を通じて昇華のチャンスを待ち望むとは・・・

目に見えない精神の世界の奥深さ、根深さ、執拗さ、恐ろしさを思い知らされました。
a0253145_1602629.jpg


隣国とのお付き合いというものは、距離が近いだけに欠点も良く見えて、それだけ憎しみも大きく積もり易いものです。

関東大震災の時の朝鮮人暴動デマの虐殺事件や、第二次大戦前の日韓併合の時の恨み。

歴史を通じて繰り返される誤解と偏見の連鎖が、ワインの澱のように、国家というビンの底に沈み込んでいます。

どれだけ時間が経過しても、澱は底に沈んでいるだけなので、ビンを揺さぶればいつでも浮上して来てしまいます。

2002年のW杯日韓合同開催を皮切りに、その後の韓流ブームでお隣韓国に対する好感度が上がってたはずなのに、ここに来て歴史に埋もれた根深い問題が再燃しています。

韓流ドラマにハマったり、韓国エステツアーに参加してたご婦人方も、手のひら返したように<嫌韓>に流れてしまい、韓国や在日の人々をこき下ろし始めました。

新大久保のコリアタウンではヘイトスピーチデモが行われています。

愛国主義者たちがネットで煽るのを鵜呑みにし、若者から年配層まであらゆる世代の人が、聞くに堪えないような汚い言葉を浴びせながらコリアタウンを練り歩いています。

しかもヘイトスピーチを軽やかなリズムに乗せて、まるで差別を楽しんでいる風なのです。

いわゆる排外思想の差別デモですね。

ほんのちょっと前まで韓流ブーム目当てのお客さんで賑わっていたコリアタウンも様子が一変。

この事態に恐れを成して店を閉店した韓国人経営者もいると聞きます。

弱いものイジメの構造そのまんまで何だかいやらしいですねぇ。


a0253145_160581.jpg

子供の頃お隣に住んでたリーさんは、とても義理固い方でした。

帰国の時のお土産にと、よく朝鮮人参のエキスを頂いたものです。

「これってとっても高級なものなのよ!」

桐箱入りの朝鮮人参に母は大喜びして、得意満面で教えてくれました。

だからという訳ではありませんが、私は個人的に韓国人に対して良いイメージを持っているのです。

好き嫌いは別として、詰めかけた千人以上の観客一人一人と笑顔で握手し、「オモニ、愛シテマシュ」と年配女性を感激させる韓流スターには、プロフェッショナルなサービス精神を感じて頭が下がります。

だからヘイトスピーチデモのニュースを聞くと、哀しくなってしまうのです。


私は日本の国と文化を愛するごく平凡な日本人です。

そしてごく普通の平和主義者で、戦争を嫌う者であります。

政府には国交を有利に進めたいという、政府なりの思惑というものがあるのでしょう。

しかし国家に対する正統な異議申し立てと、在日韓国人、朝鮮人への悪質な民族差別とは別物。

そこら辺きっちりと区別すべきじゃないかと強く思うのです。


a0253145_1611663.jpg


[汝の隣人を愛せよ]

イエス・キリストはいみじくも言ってます。

私たちが互いに愛し合ってさえいれば世界は何の争いもなくなるはずです。

我々が愛し合ってないから争いが起こるのでしょう。

韓国や在日の人々をこきおろさないと、自分自身の愛国精神を表現出来ないとしたらとても哀しいことですね。





私たちは皆ひとつのエネルギーである。

私たちを隔てる境界線は幻影であり、私たちの間の紛争は我々の内面の紛争や幻影である。

外面の争いは内面の争いの表出である。   

                        デービッド・アイク




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-04-02 16:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

トゥオネラの白鳥

a0253145_14434624.jpg
先週の積雪27㎝の大雪の日。

どうしてもこなさなければならない仕事があったので、レインジャケットの中にダウンを着込み、帽子、マフラー、手袋、マスク、防寒ブーツに靴下二重履きの万全の態勢で出かけて行ったのです。

都会では滅多にない大雪なので、気分はウキウキと子どものように高鳴り、脳内エンドルフィン急上昇のせいなのか、わざわざ遠回りしてでも美しい雪景色を見たくなってしまいました。

そして人っ子一人ない、犬の子一匹もいない、猛吹雪の代々木公園を、ひとり彷徨う事となったのです。


そこはまるで別世界。

完全に東京ではなくなっておりました。

横殴りの風が積もったばかりの新雪を巻き上げ、雪女の亡霊とともに駆け抜けて行く。

地嵐のような風雪を避けるため、思わず樹木の多い場所に身を寄せる。

雪が都会の喧噪を見事に吸収し、そこはとてつもなく静かな林でした。

どこからだろう?

雪を避け避難した野鳥たちの、軽やかで楽しげな声が聞こえて来る。

こんな吹雪の中、一体鳥たちはどこでさえずっているのだろう?

幹の上方の鳴き声の辺りに視線を上げてみました。

しかし風にたわんだ枝から、ドサドサと雪が落ちるだけ。

そして辺りに、また一層の静けさが甦るのでした。


「ここは東京じゃない! まるで極北! ツンドラの大地を行くようだ!」

マインドがそう呟いた瞬間、私の空想は大きく翼を広げ始めました。

頭の中に古ぼけた蓄音機があらわれ、レコード盤の上にゆっくりと針を降ろしたのです。

そこから流れ出した旋律は・・・


   [近寄るものを寄せ付けない、凛とした厳しさ]


   [この世のものとは思えない、冷たい静寂の気配]


ん? この曲、聞き覚えがある。

レコード盤から流れて来たのは、シベリウスの交響詩<トゥオネラの白鳥>だった。

死者の悲痛な叫びのような、魂を揺さぶる重~い旋律です。


「そうだ、トゥオネラだ! ここは黄泉の国、トゥオネラだったのか!」


大都会の真っ只中。

頭の中でリピートされるシベリウスのメロディを思い起こしながら、私はひとり代々木のトゥオネラを旅する人となっていたのでした。

a0253145_14443329.jpg

北欧フィンランドの作曲家シベリウスは、祖国の英雄叙事詩<カレワラ>のオペラ化を望み、作曲に取りかかっていました。

その願いは壮大すぎて、結局断念される事となったのですが、出来上がった序曲は交響詩<4つの伝説・レミンカイネン組曲>という作品にまとまり残されたのです。

<トゥオネラの白鳥>はその二番目の曲なのですが、とても有名で単独で演奏される事も多いのです。

英雄レミンカイネンは花嫁を得るため、その母親から3つの試練を授けられるのですが、2つまでやり遂げたあと最後に残ったのが「トゥオネラ川の白鳥を捕まえる」という難題だったのです。


死の川トゥオネラ・・・

トゥオネラはこの世とあの世との境目の川で、そこに住む白鳥は死者の魂をかの地へ導く、妖しく美しく恐ろしい存在なのです。

シベリウスはその死のイメージを、美しく幻想的な曲にして見事に表現しています。


霧の中を行くような弦の響き。

この世のものとは思えないただならぬ気配です。

白鳥の主題の旋律は死者の悲痛な叫びのように、重く静かに魂を揺さぶって来ます。

黄泉の国のトゥオネラ川に漂う白鳥は、優雅でありながら儚く、現実のものとも幻とも分からないイメージなのですが、その映像がはっきり目に浮かぶような不思議な音楽です。



   死してなお熱き想いの醒めぬ者は、
  
   死の川トゥオネラの白鳥となりて、
  
   ただ一羽、
  
   凍てついた水に心を癒す



主人公レミンカイネンが狩りに失敗して死んだあとの、静まりかえったトゥオネラ川を泳ぐ、優美な白鳥の姿を彷彿とさせます。

そこには自然界の美しさと恐ろしさが共存しているのです。

a0253145_14452734.jpg

代々木公園には大きな噴水のある池があります。

だから白鳥たちはきっとそこで羽を休めているに違いない。

そして死に行く者たちの準備が整うその時を、じっと待っているに違いない。

私のファンタジーはそんなストーリーを勝手に生み出しておりました。


今日でなければもう二度と<トゥオネラの白鳥>を見ることが出来ないだろう。

是非ともその美しいシーンをこの目で見届けなければ、吹雪の中ここまで彷徨った意味がないと私は思いました。

そして、まるで雪中行軍のように新雪を踏みしめ踏みしめ、大きな噴水の池まで歩んで行ったのです。

「私のトゥオネラ! 死の国の白鳥たちよ! どうぞ待っていておくれ・・・」



しかし、噴水も休止した池のそばでは、いつもの通り、カラスがレジ袋をついばみながら一声だけ。

「カァ〜!」

白銀の世界に大きく鳴り響くだけだったのです。

a0253145_14472568.jpg


追伸
手塚治の短編作品<0次元の丘>に、この<トゥオネラの白鳥>の曲が効果的に登場している。

「戦争中に一家惨殺されたという前世の記憶を持つ少年が、当時の家族と今生で再会する」というお話しなのだが、思春期の頃初めて読んで以来、<トゥオネラの白鳥>の強烈なイメージは私の心に住み着いてしまったみたいである。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-02-14 15:00 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

備えあれば、憂い増す

a0253145_150256.jpg
イソップの寓話に<アリとキリギリス>のお話しがあります。

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き歌を歌って過ごす。

やがて冬が来てキリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い食料を分けてもらおうとする。

慎ましく長生きするアリ人生を歩むべきか、短いながら楽しいキリギリス人生を行くべきか・・・

ふたつの選択肢を考えさせる有名な寓話です。


実はこのお話し、ふたつの異なる結末があるのです。

一方は「夏には歌っていたんだから、冬は踊ったらどうだい?」とアリに拒否され、キリギリスは飢えてしんでしまうというブラックでシニカルなもの。

もう一方はアリが食べ物を恵みお説教し、キリギリスは改心するという教育的なものです。

どちらにしても、そこには色々な人生訓を読み取る事が出来ます。


   [汝の隣人を愛せ]

   [備えあれば憂いなし]

   [働かざるもの食うべからず]

   [せこく溜め込む奴ほど独善的でケチで冷たい]

   [生き物は必ず死ぬのだから好きな事をして人生を謳歌せよ] etc.  



西洋ではまた違うようですが、日本の社会では「アリのように将来の危機に備え行動するを良し」と解釈されて来ました。

「キリギリス的生き方はダメなんだよ」って意味なんだと、私自身も思っていました。

「怠けていたんじゃ周りに迷惑。 努力しなさい! 頑張りなさい!」

そうやってアリ的正義を信じて働き、頑張りすぎて過労死する人が増えたのも、紛れのない事実ですよね。

a0253145_1503080.jpg

しかし聞くところによると、アリのコロニーは皆んなが皆んな働きアリって訳じゃないらしいですよ。

勤勉20%、普通60%、怠け者20%・・・

パーセンテージで言うと、ざっとそんなもんなんだそうです。

さらに不思議な事に、勤勉アリばかりを集めて来て別のコロニーを作らせると、その集団はまた元の同じ比率へと変化すると言います。

100%勤勉アリの集団にはならず、やはり勤勉20%で落ち着くらしい。

怠け者ばかり集めた場合でも同様な結果が起こるのだそうです。

何だか面白いですよね。

大会社のサラリーマンも同じような比率構成なのでしょうか?

調査してみたいものです。


だからそこら辺の事情を知ってしまうと、この寓話の教訓は教えられたものとは全く違ってたんじゃないかって思えて来ます。

実はこの物語の本当の教訓は・・・


   [人の生き方に正解なんてない]


むしろそう言ってるような気がして来ます。

a0253145_154262.jpg

世の中の価値観なんて時代によってクルクル変わるのです。

例えば仮にもし戦争が起こったとしたら、その時は軍隊が実権を握りますよね。

そうなれば人殺しだって賛美されてしまいます。

何が正しくて何が間違ってるかは、その時それを決めた側の都合次第で変わってしまう。

世の中のために役立つ人間を目指したとしても、それはそれで胡散臭くなるものなのです。

だから将来に備えて生きてばかりだと、きっとどこかで壁にぶつかるでしょう。


備えておけば安心だって?

もうそんな時代でもなくなりました。

人生を損得で考えても幸せなんて続きません。

他人と自分を比べてもしょうがありません。

まだやって来てもいない未来を、必要以上に思い煩うと、今の幸せを見逃してしまいます。

それよりもほんの少しずつでいい、輝いて生きる事が大切なのです。
   

だからなのでしょうか・・・

私最近、この格言がお気に入りなんです。

是非とも<ことわざ事典>の掲載を願っています。
 



    [備えあれば、憂い増す]


 


a0253145_1542299.jpg

追伸
これからの時代の<アリとキリギリス>はこんな結末がマッチするんじゃないかしら?

キリギリスは音楽会の切符を売って、その収益で冬を越す事を思いつきました。

音楽に心癒されたアリたちは、いつもよりもっと豊かな冬を過ごしましたとさ。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-01-23 00:55 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

メドゥーサ退治

a0253145_1338740.jpg
寒い日が続いていますね。

皆さんエネルギー枯れしてませんか?

1月2月はどうしても内面的になり、冬期鬱になったりしやすいので、いつも以上に心身のケアが必要です。

冬の乾燥した北風は<邪気>も運びやすいのです。

ふとした弾みで心に魔物が入らないとも限りません。

心の災いには十分注意しましょう。

乾燥注意報に加え、天気予報で<災い注意報>も発表してもらえるとありがたいですよね。


先日、早朝の5時起きをしなければならなかった日。

寝ぼけまなこの私は洗面所の鏡を見つめ、絶句してしまいました。

暗い洗面所の鏡の中に、見てはいけないものを見てしまったからです。

鏡の中・・・

そこにはメドゥーサがいました。

一本一本の髪が、のたうち回る蛇の姿の、あのメドゥーサです。

たっぷりと静電気を帯びた私の黒髪は、空気を掴んで大きく広がり、前後左右にふわふわ浮き上がって来るではありませんか。

そしてそれぞれの髪の毛が、独自の意志を持つ生命体のように勝手に動めいています。

シャー、シャーと異様な音を発し、蛇は私を見つめます。

夜明け前の異様な気配に、血の気は引き、声も出せず、背筋は凍りつきました。

洗面台の前で私は石となり、その場に固まってしまったのです。
a0253145_1313140.jpg

それは明らかにメドゥーサです。

ギリシア神話に出てくる怪物、ゴルゴン3姉妹の末娘メドゥーサだったのです。


ギリシア神話のゴルゴンとは、全身をウロコに覆われ、真鍮の翼と鉤爪、うごめく蛇の頭髪を持つ恐ろしい姿の怪物で、見たものを石に変えてしまう魔力が何よりも恐れられていました。

しかし姉二人と違って末っ娘のメドゥーサは不死身ではなかった。

だから英雄ペルセウスに首を刎ねられ、怪物退治されてしまったのです。


メドゥーサは元々美しい人間の娘だったのだが、海神ポセイドンの求愛を受け入れたためアテナの怒りに触れ、醜い姿に変えられてしまいました。

美しさゆえに恐ろしい怪物とされたメドゥーサは、古来芸術家の創作意欲を掻き立てる魅力的な題材として作品が多く残っています。

またその魔力の強さから魔除けの役割も担い、神殿などの装飾などにもよく用いられました。
a0253145_1313312.jpg

しかしちょっとだけメドゥーサの立場になって考えてみて下さい。

美しいがゆえに誘惑され、嫉妬され、怪物にされ、そして首を刎ねられてしまうのだから、彼女の側から見たら不条理極まる一生です。

メドゥーサが見るものを石にしてしまうほど周りの全てを憎んだのも、考えてみればとても納得出来る話しです。

[怖れ・怒り・憎しみ] に取り憑かれたお気の毒な人生だと言わざるを得ません。

メドゥーサ側から神話を再解釈したら、それは「聞くも涙、語るも涙」の悲劇となってしまいますね。


[怖れ・怒り・憎しみ]

これらは皆んな<愛以外のもの>です。

この世に愛だけが存在しているならば、世界は天国のように調和した美しい場所になるはずでしょう。

本来、神は世界をそういうものとして作り賜うたはずですよね。

しかしなぜか人間界だけはそう単純には行かなくて、ドロドロとした思いをそれぞれが抱え、しかも放射している。

油断してると<愛以外のもの>にすぐに感染し、増殖を許してしまうので、ここはすこぶる要注意です。

<愛以外のもの>は心の闇にドッカと腰を下ろし、すぐに繁殖を始めてしまうというそんな特性があります。

そんな時、鏡を覗いて見てご覧なさい。

あなたはきっと鏡の中に、メドゥーサの本質を見つける事となるでしょう。

a0253145_13361785.jpg

だから自分の心と毎日向き合い、<愛以外のもの>が入り込まないよう予防する事が何よりも大事です。

うがい・手洗い・水分補給・・・

それはインフルエンザ対策とほとんど変わりありません。

メドゥーサ退治は、毎日の小さな心がけから始まるのです。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-01-16 19:44 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

月の裏事情

a0253145_1315689.jpg
かぐや姫が月へと帰って行ったのは平安時代のお話し。

それからずっと我々は、宇宙への船出や異星人との交流を夢に描いて来ました。

1960年代のアポロ計画で人間は月に降り立つ事が出来たというのに、その計画はアポロ17号を最後に終止符を打ってしまいました。

それから40年余りが経ちます。

しかし21世紀になっても人類は火星へ行くどころか、スペースシャトルや宇宙ステーションが地球軌道を周回するのがせいぜいといった状況が続いています。

今の技術なら月へ行くぐらい簡単なのでしょうに、それをしないのはなぜか?

もちろん政治的・経済的問題もあるのでしょう。

しかし、月に行かない本当の理由は「実は月がUFOの前哨基地になっていて容易には足を踏み込めないからだ」と言うまことしやかな噂があります。

さらに「月はテレパシーに満ちていて、近づくと精神に異常をきたしてしまうから危険なのだ」という説さえ・・・

果たして月とは<惑星ソラリス>みたいな場所なのでしょうか?

興味の尽きない話しであります。


実は地球から月の裏側は見えません。

月はいつも地球に片面しか見せずに自転しているからであり、月の裏側を見たければ宇宙船を飛ばすしかないのだそうです。

一体全体、月の裏側はどうなっているのでしょうか?

最近では月の周回衛星が活躍し始め、月の裏側の写真を撮る事が出来るようになりました。

すると・・・あら素敵!

月の裏側に宇宙人の存在を思わせる奇妙な構造物が写っちゃったりして、胸踊らされる光景が広がっていたのでした。


「NASAは数十年に渡り、宇宙の写真に修正を加え続けて来た」

以前からそういう噂が囁かれていました。

アポロ計画終了時点までにストックされていた14万枚の写真や映像の内、NASAが公開したのはたったの5千枚。

わずか3.5%に過ぎないと言われます。

しかも発表されたのは修正済みの物も多く、異星人に関する事は全て無視、あるいは隠蔽する傾向にあります。

けれど最近の内部告発によって、当時の隠蔽写真が少しずつ明るみにされているみたいなのです。

嘘かホントかは全く分からないけど、なかなか楽しいので少しだけ紹介しておきましょう。


その1. アポロ15号撮影の宇宙船らしき物体
a0253145_13144119.jpg

その2. アポロ20号撮影の同上の宇宙船アップ
a0253145_13153027.jpg

その3. アポロ20号撮影 月の裏の古代都市
a0253145_13201615.jpg

その4. 日本の周回衛星かぐや撮影 月の裏側<モスクワの海>の横に人口都市構造物と思われるもの
a0253145_13165543.jpg

a0253145_13184248.jpg



これって本物?

愉快犯か何かの仕業じゃないの?

アポロ20号?

本当に飛んだんでしょうかねぇ〜?


しかしまぁ、いずれにしても面白いですよね。

月の裏側にこんな大規模な古代都市があったのなら、もっともっとたくさんのかぐや姫たちが地球を訪れていると考えて間違いありませんよね。

ただ単に、我々が鈍くて気付かないだけなのかも知れません。

もう一度周囲を見回して、かぐや姫を探せ!

近くに竹やぶがある人は、今すぐ竹やぶへGO!


人類は太古の昔から、より進んだ文明を持つ人種に出会った為に滅亡した民族がたくさんあります。

今の地球人が異星人と接触する事は、人類の存続にとってプラスとなるか、マイナスとなるのか?

可能な限り長生きして、この目で確かめたいと思う私なのです。


おまけ:その他にこんな写真もありマス
a0253145_13235374.jpg

a0253145_1324102.jpg

a0253145_13232058.jpg
a0253145_13243828.jpg

a0253145_13245978.jpg

a0253145_13251624.jpg



[PR]
by viva1213yumiko | 2013-12-20 13:31 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

ケンタウルス祭の夜

a0253145_13575399.gif
12月生まれのメンバーのため、ささやかなお誕生日会がありました。

射手座の私はその夜の誕生会をきっかけに、射手座のシンボル<ケンタウロス>の事を思い出しておりました。


ギリシャ神話に登場する半人半馬の<ケンタウロス>とは、幼少の頃、運命的な出会いがあったのです。

初めて出会ったのは、多分5才か6才の頃。

ディズニーの音楽映画<ファンタジア>を観た日の事です。

そこに出て来るケンタウロス族の若い男女のあまりの美しさ、優雅さに、感動のあまり涙ぐんだ事を良~く憶えています。

ベートーベンの田園交響曲に合わせ、ユニコーンやパーンの子供たちはハシャギ回り、天使やペガサスファミリーも空を遊泳している。

そんな楽園の昼下がり。

ケンタウロス族の若い男女が合コンのようなものを始めんとするのです。

息せき切って走り寄るケンタウロスの若い男たち。

水辺で化粧してそれを待つ女の子たち。
a0253145_1474130.jpg

 
   寄り添う肩 微笑みと温もり 

   もどかしいようなお喋り 甘い吐息

   収穫祭の踊り 葡萄酒の香り 


そこには、季節ごとに幸せな時間だけがゆっくりと回転してる、そんな充足感が満ちあふれているのです。

「こんな世界が、きっとどこかにあるはずに違いない!」

幸福という名の原風景を垣間見てしまった私は、子供心にもハッキリそう思ったものです。


そのお話がギリシャ神話から来ていると知ったのはずっと後になってからなのですが、その時幼少期の私の大脳には、決定的な何かがインプットされてしまったみたいなのです。

<ファンタジア>で観たような神話の楽園イメージを、哀しいかな、未だに夢見追いかけ、理想としている私なのであります。


a0253145_140222.jpg

ギリシャ神話に登場する、上半身が人で下半身が馬のケンタウロス族は、実は非常に乱暴で粗野な性格で、好色で下品と言われています。

しかも酒飲みで戦いを好むとあって、獣性と精神性からなる人間の全性質を象徴した存在なのです。

ケンタウロス族は人間に比べて力が強く勇敢で、神話の中では極めて有能な戦士として扱われています。

武器は人間のものとほぼ同じものを扱えるのですが、彼らはとにかく性格が乱暴で、世俗についての認識度は低いとされています。

これは東方騎馬民族(スキタイ人)と戦ったギリシア人が、彼らを怪物視したせいだという説があります。

乗馬文化を持たないものが、騎馬民族を見て怪物と見間違えてしまった事がその起源だというのです。

これはある種の人種的偏見というものなのでしょう。

大陸渡来の弥生人には、先住の縄文人が鬼に見えたのと全く同じ理屈ですね。


このように野蛮なケンタウロス一族なのですが、ただひとつの例外として賢者ケイロンの存在がありました。

ケイロンはアポロンから医学を、アルテミスから狩猟を学び、ペリオン山の洞窟で薬草を栽培しながら病人を助けて暮らしたという偉い人(馬?)なのです。

アキレスやイアソンなど、多くの英雄たちの師として知恵を授けたと語られています。

ある時、ヘラクレスがケンタウロス族と戦った時に、誤って毒矢がケイロンの胸に刺さってしまいます。

こうしてケイロンは死ぬのですが、ゼウスはそれを嘆いてケイロンの魂を天に上げ、それが射手座になったとされています。

a0253145_1483318.jpg

このような経緯があって、半人半馬のケンタウルスは射手座のシンボルになった訳なのですが、半分が人で半分が馬というどっちつかずの特徴は、射手座生まれの性格形成に大いに影響を与えているみたいなんですねぇ〜

困っちゃう事に12星座の性格判断でも、射手座の基本的性格はケンタウロスみたいな獣っぽいキャラなんです。


射手座の長所は素直で開放的、社交家で楽天的、好奇心・探究心旺盛で器用、多才とある。

一方短所には持続性のなさ、気まぐれ、責任回避、傍若無人、大げさで誇張的となっています。

つまり前向きで行動的でさっぱりしてるけど、常識やモラルを軽視する傾向があり、堅苦しい事が苦手で口うるさい人は大嫌い。

自由と変化とスピード感を好み、恋愛でも熱しやすく冷めやすいのだそうです。

なるほどねぇ~

好色で野蛮なケンタウロスの影響力のせいなのだろうか・・・

結構私の本質をズバリ見抜いていらっしゃる。

自分でも時々、自分が人なんだか獣なんだか良く分からなくなる時があるのだけれど、それは私の魂の根源的なテーマだったのかも知れません。

これから先も、理性と本能的欲望の葛藤に悩む私の姿を見かけたなら、それは私の中の馬がさせている事だと思って頂きたい。

「あ~、また神話の中の楽園を、パッパカ・パッパカ駆け抜けているんだなぁ」と思って頂きたいですね。


a0253145_135953100.jpg

ところで、宮沢賢治の<銀河鉄道の夜>の中に<ケンタウルス祭の夜>というワンシーンが出て来ますよね。

<ケンタウルス祭の夜>には子供たちは新しいシャツを着て、烏瓜の明かりを持ち、星めぐりの口笛を吹きます。

そして「ケンタウルス、露をふらせ!」と叫んで走ったり、青いマグネシアの花火を燃したりして賑やかに遊ぶのです。


古代ギリシャ人が想像した半人半馬の<ケンタウロス>

それは射手座とケンタウルス座のふたつの星座になって、今夜も私を見下ろしています。

次回12月の合同誕生会を開くなら、<ケンタウルス祭>と命名して、賢治風にはしゃいでみるのも良いかも知れませんね。




[PR]
by viva1213yumiko | 2013-12-13 14:00 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)