カテゴリ:おとぎ話・こぼれ話( 85 )

浦島太郎伝説

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   ♬むっかし~むっかし~、浦島は~

    助けた亀に連れられて~

    竜宮城へ来てみれば~

    絵~にも描けない美しさ~♬


亀卜(きぼく)のため捉えられた、無数のウミガメ達に思いを巡らせ黙想していたら、案の定<浦島太郎>が脳裏にこびりついて離れなくなってしまいました。


誰もが知ってる異界訪問のおとぎ話し<浦島太郎>

実は改めて思い出してみると、このお話しってとっても奥が深いんですよねぇ。

意味深な謎が多く、ただの動物愛護・善行推奨の子供向けおとぎ話とは思えません。

助けた亀のお礼のはずの「お・も・て・な・し」で、太郎は全てを失ってしまうんですからねぇ~

それって、あまりにも救いがないじゃありませんか。

「す・く・い・な・し」なのです。

ちまたでは割に良く囁かれているようですが、一体<浦島太郎>の教訓とは何なのでしょうか?

深遠な人生のテーマが、水面下に潜んでいるような気がしないでもありません。

それは、「人は良い行いをしたからといって、必ずしも幸せになれるとは限らない」なのか?

「人生山あり谷あり、上手い話しには裏がある」なのか?

「時間の進みは一定じゃない、楽しい時は早く過ぎる」なのか?

「子供のイジメ問題に大人が口出しするとロクな事がない」なのか?

いずれにしても皮肉っぽくて、不条理に満ちています。


民族学の常識では、昔話の伝説というものは、ある家や土地との関わりを説明するために作られたストーリであって、本来は大人向けの物語というのが常識なんだそうです。

それに対しおとぎ話しの方は、後世、神に対する信仰が失われた時代になってから伝説が子供向けに変形されたものの事を指すのだそう。

<浦島太郎>伝説は万葉集の時代から語り継がれて来たお話しなのですが、室町時代の御伽草子に載ってる古い<浦島太郎>は、始めから亀なんか全然関係なくて、太郎が海の女神・乙姫の婿になるという設定だったようです。

古い時代の<浦島太郎>は、この土地からは神に見込まれるほどの英雄が出たという主題が潜んでいて、子供向けのおとぎ話しとは全く違うものなのです。

この伝説が子供向けに変形されておとぎ話になる過程で、太郎と乙姫の官能的な性描写の部分が子供には相応しくないとカットされ、代わりに亀を助けた話しが無理矢理持ち込まれました。

その結果、なぜ最後に太郎がお爺さんになってしまうのかが分かり難くなってしまったらしい。

しかし元を正せば、太郎は女神の色香に骨抜きにされ、精も魂も抜き取られて老人化してしまったという大人の教訓話しだったのです。


この手の<大人のためのおとぎ話し>って結構多いんですよね。

グリム童話なんかも、親殺し、子殺し、姦淫、人肉などの主題が多く、子供版のサイコスリラーって感じで、中世暗黒時代のおどろおどろしさ満載です。

その他にも私は以前、知人にポルノ版<白雪姫と7人の小人>の話しを聞かされた事もあります(笑)

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<浦島太郎>伝説も、<竜宮城キャバクラ編>とか<エイリアン・アブダクション編>とか、大人バージョンが色々あるのですが、その中でもとっておきの怖さを持つのがこんなストーリーです。

今は削除されてもう見れなくなってしまった、アニメ<世にも恐ろしい日本昔話し 浦島太郎>によると・・・


漁師の太郎は母親と二人暮らし。

ある日、海へ行くと言って家を出た太郎。

実は、お茶やさんで遊んじゃっていたりするのです。

その時にふとした事で助けたお亀という女性に、どうしてもお礼がしたいと大きなお屋敷に連れて行かれます。

聞けばお亀はこの屋敷の使用人。

使用人を助けたお礼にしては豪勢すぎるんですが、珍しいキセルを吸わせてもらったり、美しい女中たちがあんな事やこんな事をしてもてなしてくれます。

その中でも太郎が一番夢中になったお竜という女性とは、毎日のように夢心地であんな事やこんな事を。

キセルの煙は太郎を心地良い夢の中へ誘います。

そんな折、お竜は太郎に「好意の印」と、箱をプレゼントします。

毎日夢心地の太郎ですが、ふと気が付くと、暗く広い牢の中に座っていました。

周りには自分と同じようにヨダレを垂らし、目の焦点は定まらない廃人同然の男たちが何人もいます。

目の前で死んでいく者もいました。

「ああ・・・」と顔を抑えると、太郎の顔の皮膚はボロボロと崩れます。

おそらく梅毒の症状でしょうね。

実はお竜は病気(やはり梅毒?)で、正常な男からはとても相手にされないような醜女(むしろバケモノ)でした。

キセルで吸わせていたのはおそらくアヘンか何かでしょう。

お竜に子供を授けるために町の若い男を屋敷に連れ込み、薬漬けにして相手させていたという事なのです。

太郎がどの段階で「これはヤバイ」と悟ったのかはよくわかりませんが、とにかく屋敷から逃げ出します。

なんとか屋敷の外に出ますが、その時すでに風貌は老人です。

やっとの事で海辺の自宅に辿りつきますが、家は朽ち果てており、通りかかった人に聞くと、「昔この家には太郎という男がいたが、ある日海にいくと行ったきり帰らず、母親は心労で死んでしまった」との事。

放心状態で崖に腰掛け、持っていた箱を開けてみると中にはキセルとアヘンが入っていました。

キセルを吸うと、煙の中に母親の顔が・・・

何かを叫びながら、煙の中の母を追うように海に身を投げる太郎でした。

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こわ〜い!

<浦島太郎>がシュールで斬新なホラーに変身しております。

しかし考えてみると、<浦島太郎>に実話モデルがあるとしたら、案外こんなものだったかも知れませんよ。

島流しの男の猟奇事件に、ああでもないこうでもないと尾ひれがついて、伝説化してしまったのかも知れません。

いずれにしても海辺に住んだ、とんでもない男がやらかした何かが、人々の心に強い印象を残した事は間違いなさそうです。


昔話の英雄って、良くも悪くもとんでもない人たちの語り継ぎです。

キャバクラから無事帰還して来たぐらいでは、まだまだ英雄には程遠いので、よい子の皆さんは、くれぐれも勘違いしないようにしましょう。




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by viva1213yumiko | 2013-10-15 13:40 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

サマッラの約束

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ある召使いがバクダッドの市場で買い物をしていると、不意に死神に出くわしてしまい、震え上がりました。

死神は突き刺すような目で鋭く睨んで、召使いを釘づけにしました。

怖じ気づいた召使いは急いで主人の元に戻り、事情を説明し、そして「すぐにバクダッドを発ち、日が暮れる前にサマッラに着きたいので馬をお借りしたい」と願いました。

主人は承諾したので、召使いは馬を駆り、急ぎサマッラに発ったのでした。

その後すぐ主人は市場に出かけ、まだ人ごみに立っていた死神を見つけました。

主人は勇気を出して死神と向かい合い「なぜ今朝召使いを脅したのか?」と訪ねました。

すると死神は「違う、ここで会って驚いたのだ」と答えます。

「予定では今夜サマッラで会うはずだったのだが・・・」

                      スーフィー詩人  ルーミー


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ルーミーのこの寓話は、人の運命の皮肉な側面を表しています。

死神から逃げ出したその場所に、まさに死神も行く計画をしていたとは・・・

どう考えても召使いの運命は、死の予兆を道連れにしているとしか思えません。

死神との遭遇は、最初から決定されていた事なのでしょうか?

それともただの偶然なのでしょうか?



人が現時点で行う様々な選択は、現在や未来を決定して行きます。

[食べ物・飲み物・服装・書物・友人・会話・趣味嗜好]

毎日の小さな選択が積み重なって・・・

[進学・就職・結婚・離婚・自己実現]

人生のレールは徐々に敷かれて行くのです。

日々の選択の要因が、人の人生やキャラクターを決定して行くのです。


しかし現在・過去・未来のすべてが、宇宙がスッポリ収まる聖なる入れ物の中に存在しているとしたらどうでしょう。

私たちが日常目にしている世界よりももっと深いレベル、あるいは高次の世界というものが存在し、それがあらゆる現象を我々の現実世界に働きかけているとしたら?

日常世界の経験とは、より深い真実からのメッセージという事になりませんか?

もしかすると上位の世界の不可知の力は、我々人間を操っているのかも知れません。

神話が教えているように、人生の困難や試練は、神々の気まぐれが起こすのでしょうか?

運命の女神たちの紡ぐ糸で、我々の運命は始めから決まってるのでしょうか?


私は高次の存在ではないので、この召使いの宿命が何を意味してるのかさっぱり解りません。

しかし私に今考えられるのは・・・

「召使いが市場で死神と出会った時、彼の主人がしたように死神と正面から向かい合い、死の恐れを克服していたら、彼の運命は違ったものになったのではないか?」 という事なのです。


召使いは死を必要以上に怖れていました。

だからこそ市場で死神に出くわすような状況を、自ら無意識に生み出してしまったとは考えられませんか?

彼に死を怖れる気持ちがなかったら、市場に死神がいたとは、きっと気付く事すらなかったでしょう。

召使いは死に焦点を合わせる事で、むしろ死神と遭遇する羽目になってしまったのです。

一方、彼の主人はそれほど死を怖がってはいなかった。


いや、きっと怖れはあったのでしょう。

ですが勇気を出して、あえてその恐怖と向き合いました。

その結果、死神は思ったほど怖い存在ではないと分かったのです。

こちらの問いかけにも答えてくれて、結構フランクな奴だったりするのです。

その時点で、主人は死の怖れを克服したと言えるのではないでしょうか。

心の闇と良い関係を結んだからです。
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[あなたが抵抗するものが持続する]

世界とは本当に神話のようなものです。

私たちの深い心の信念が原因となり、今の自分の環境は作られているのです。

あなたの心はそれ自身が本当に愛してるもの、怖れてるものを、ただ黙って引き寄せているだけです。

だから人生の出来事に偶然はないのです。




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by viva1213yumiko | 2013-09-10 12:54 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

世界平和の引き寄せ方

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世界中で戦争や内乱、地震や飢餓などの悪いことが起こっているので、不安になって気を落としたり怯えたり、将来を悲観したりする人も多いと思います。

しかし人々が、世界中に蔓延する問題にエネルギーを向けると、これらの悪いものがさらに悪くなり、その傾向を文字通り増長させてしまうでしょう。

人々が悪い物事にストレスを感じ、そのことに全ての意識を向けてしまうと、世界を救う事は出来なくなってしまいます。

なぜなら<引き寄せの法則>によると、悪い物事に注意すればするほど、それらがさらに悪い方向に進んでしまうからなのです。


例えば、戦争反対運動についてです。

反戦運動は時に暴力に走ります。

それは戦争反対派も、反対運動が生み出すネガティブな波動や集中力をエネルギー源に、活動したり憎悪したりしているからです。

ガンジーやキング牧師など、非暴力・無抵抗主義を貫いた指導者さえもが、最後はひどい暴力事態を招いてしまいました。

皮肉なことに暴力への抵抗が逆に牽引力を生み、さらなる暴力を引き寄せざるを得なかったからです。

考えることが現実化する、<引き寄せの法則>とは、こういった矛盾した内部構造をも宿しているのです。


それでは、暴力を引き寄せずに暴力に変わるものを創造することは出来るのでしょうか?

私はその可能性はあるんじゃないかと思っています。


[欲しいものに意識を集中し、欲しくないものを意識しない] 

ということが<引き寄せの法則>だと言うならば、現状に憤慨し幻滅した同じような人々と一緒に、抵抗運動に参加することは正しい方法とは思えません。

なぜならその人々は皆、自分たちが欲しくないものに力を与え、それゆえ逆に引き寄せてしまっているからです。

本当に世界の平和や人類の調和を望んでいるのなら、戦争や地震や飢餓に力を与えず、<平和・親善・自由・繁栄>に全ての思考やパワーやエネルギーを集中させるべきです。

そうすれば反戦運動にありがちな抵抗や暴力なしに、それらを達成することが論理的にも可能なんじゃないですか?


中には「そんなことでは甘い!喝を入れなければ、世の中変わるはずがない!」

と主張する人もいると思います。

全共闘世代の方なら、石つぶてぐらい投げるのは当たり前だって思うかもしれませんね(笑)

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確かに地球の試練は今、限界に直面していて、末期的状況に映ります。

しかし世界が危機に直面すればするほど、それをジャンプして乗り越え、人類は今まで進化して来たのではありませんか?

地球のエコシステムを存続させるために、優れた頭脳集団が最先端の科学や発明やテクノロジーで、それに対処し始めるという可能性は大いに考えられます。

新しい農業技術とか、クリーンで再生可能なエネルギーを発明することだって絶対に出来るはずですよね。

必要は発明の母。

必要性と願望が高ければ高いほど、その答えや解決方法が引き寄せられるというものではないでしょうか?


宇宙とは無限の富の宝庫であり、また素晴らしく気前の良い存在だそうですよ。

だから皆んなが各々勝手に理想の未来を思い描いても、エネルギーは枯れることすらないのだと言われています。

だから、皆んなが<喜びと愛に満ちた人生><助け合いのある幸せな社会>をイメージすれば、やがてそういう世の中が引き寄せられるはずじゃありませんか?

たくさんの人たちのそういった思いが集まれば、本当の世界平和を実現することは案外簡単なんじゃないでしょうか?


[世界平和が欲しければ、まず手始めに自分の心を平和にしよう]

これこそが、本当の世界平和の引き寄せ方だと思うのです。




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by viva1213yumiko | 2013-08-20 21:37 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

ムスリム入門

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喫茶店やら、劇場や空港のロビーなどで、年長のご婦人方が交わしている会話にじっくり聞き耳たててみてご覧なさい。

本当になぜか、こんな調子が多いと気付くはずです。


「うちの主人、検査にひっかかってね」

「アッラー!」

「今度手術することになったの」

「アッラー!」

「息子夫婦が付き添ってくれるって言うのよ」

「アッラー!」

「これでまた孫に小遣いせびられちゃうわぁ」

「アッラー!」


こういう時に私はふと、真面目にこう思ってしまうのですね。

「そんなにアッラーがお好きなら、イスラム教徒になればいいのに・・・」

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今、世界ではイスラム教徒が増えていて、信者の数は15億人以上もいるんだそうです。

その要因は、イスラム教が<マニュアル型宗教>で、分かりやすいからだと言われます。

神はアッラーただひとつであり、神の教えは全てコーランに書いてある。

だから信徒は神の直接の言葉(=コーラン)を守り、従って生きて行けば良いっていう、至ってシンプルなものだからです。


西暦570年、メッカで生まれたムハンマド(マホメット)が、40才の頃突然神の声を聞き、人々に伝え始めたのがイスラム教の始まりです。

ムハンマドは成功した商人でしたが、ある時洞窟で物思いに耽っていると天使が現われて、いきなり「詠め」と命じたのです。

「神の言葉の記録を伝えるから声に出せ」と言うのです。

文盲のムハンマドは驚き、抵抗しますが、天使は彼を羽交い締めにして「どうしても詠め」と迫ったのだそうです。

ずいぶんとまた攻撃的な天使ですよね。


怯えるばかりのムハンマドを年上の妻が励まし、それが最初のイスラム教信者になりました。

ムハンマドが伝えた神の言葉は、信者たちに暗唱され広まって行きました。

そして彼が亡くなった後、その言葉を書きまとめた本がコーランなのです。

コーランは聖書のような物語形式ではなく、114章の断片的な文章からなっているのですが、神の教えがすべてここに書かれているのです。

だからコーランを読み、ひたすら神を思いなさい。

そうすれば現世を正しく生き、心の平安を得ることが出来るでしょうという、そんな宗教なのです。

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コーランにはイスラム教徒が守るべき行いがしっかり記されています。

<信仰告白・礼拝・喜捨・断食・メッカ巡礼> 

この5つがムスリム基本の五行です。

その他にも、<豚肉を食べては行けない><お酒を飲まない><4人までなら妻帯OK><姦通は石打刑>など、砂漠の風土を生き抜くための厳しい教えが記されています。

四季の自然に恵まれた我々とは、全くかけ離れてた道徳をアッラーは教えているのです。


<女性はヴェールをかぶらなければならない>というイスラム世界のルールも、コーランに「女性の身体のうち外にでている部分は仕方ないが、それ以外の美しいところは隠せ」と記述されているからなのですが、<美しいところ>と言っても人によってその定義は違い、曖昧な部分も多く、それがイスラム女性の様々な服装となって現われているようなのです。

確かにヴェールは灼熱の太陽から髪や肌を守るという意味もあったようです。

しかし一説によると、中東の男性は女性の髪の毛に猛烈に興奮するらしく、だから髪の毛を隠すようになったというのが有力だそうですよ。(笑)


噂だと最近は、池袋や北関東など中東・南アジア出身者の多い地域には、ビルの2階などに小さなモスクが出来たりして、日本人との接点も増える傾向にあるらしい。

個々のイスラム教徒はとっても優しく、良い意味でお節介焼きなので、昔ながらの共同体の雰囲気が強いのだそうです。

だから孤独に暮らす日本の若者にとっても魅力的で、そんなところに惹かれて入信する人もいると言います。

今後は日本人イスラム教徒も増えて行くのかも知れませんね。


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常日頃、気軽に「アッラー」を唱える、先輩ご婦人方に告ぐ。

「アッラー」を讃える心があるなら、まずはヴェールをかぶり、礼拝してみてはどうでしょうか?



   [アッラーの他に神なし、ムハンマドはその使徒なり]

   
   [神は偉大なり、神は偉大なり、神は偉大なり]


   [アッサラーム・アライクム]



ヴェールで紫外線対策して、ラマダーンの断食でスリムになって・・・

ムスリム入門は、見違えるほど奇麗になれそうな気がしませんか?




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by viva1213yumiko | 2013-08-03 12:41 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

進化の波

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最近はタロットでも私生活でも、色々な人の話しを聞くたび、つくづく時代の進化の波を感じます。

今まで上手くいってたはずの仕事・遊び・健康・人間関係が急に壊れてリセット状態になってしまった。

あるいは、上手くいかなかったはずの仕事・遊び・健康・人間関係が、思いもかけず急激に展開し始めた。

などなど・・・

皆さん目まぐるしくダイナミックな変化にさらされているようです。

それはまさにカオス状態。 

混乱の真っ只中です。


「神も仏もありゃしない!」

なんて嘆いてる人も多いかも知れませんね。 

本当にご愁傷様です。

しかしその嘆き、ある意味正しいと言わざるを得ません。

実は、我々の神頼みに応えて動いてくれていた神は、もう去って行ってしまったんじゃないかという気がしているのです。


何千年に渡り人類をかまってくれていた神仏と我々との関係性は、今や新しい局面に突入したんじゃないでしょうか。

神や仏が色々と面倒を見てくれていたこの世界は、宇宙と自分との関係性の世界に変わってしまいました。

神は今、人間の自立を後押しし始めています。

これまでとは完全に立ち位置を変えてしまったので、今までのような神頼みには容易に応えてくれないでしょう。


これからはすべて、神(=宇宙)と人間との共創造の世界になって行く。

つまり神が与えたもう世界から、神と一緒に共に創り出す世界へと変わったんですね。

神=宗教ではなく、宇宙=秩序の世界へ、全面的にシフトです。

聖なるものの再構成とでも言いましょうか、今までの3大宗教や人格神を完全に超えた、宇宙そのものと一体になるべき時代になってしまったのです。

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今世紀を占う、ある未来予測によると、21世紀はまさしく<意識の時代>なのだそうです。

人間の内面が大きく変わって行く・・・

だからそれに対応出来る自分に進化しなければダメです。

今までの甘えや言い訳、責任転嫁は通用しなくなるからです。


これからは宇宙との接点が重要になって来るでしょう。

宇宙の意志に沿って生きる事がなによりも大切です。

それはつまり、自分の使命を全うする生き方の事ですね。

宇宙を意識して行動すると、自分たちの進化に役立つ情報も次々と得られるようになると言います。


人間を超えた壮大な秩序、宇宙的な自然界の秩序。

これに従って生きてみましょう。

宇宙の進化に貢献する生き方、それが本物の<真・善・美>だと言えるのです。




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by viva1213yumiko | 2013-07-26 22:47 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

ようこそお師匠さん

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「最近のブログ、江戸にハマってますねぇ〜 一体どして? なぜ江戸時代?」

<CAFE VELOCE>で友人とお喋りしていて、ふいにそう訊ねられたのです。

「う〜ん・・・」

私は答えに迷ってしまいました。

確かに最近、当ブログで江戸時代の面白さについて紹介している。

ちょっとしたマイブームであります。

資料調べをし、しばらく江戸の事ばかり考えていたので、何だか言葉遣いもヘンになってしまいました。

「あいよ」とか、「よござんす」とか、ついつい相づち打ってしまうのです。

「湯〜でもつかって、さっぱりしやしょう」とか、「茶〜でも入れておくんなさいな」とか、うっかり家族に使ってしまうのだが、この手のセリフはあくまでも一回止まりね。

シチュエーション次第では相手を怒らせる事にもなるんだと、どうやらぼんやり分かって参りました。

時代劇言語も十分注意が必要です。


それにしても、どうしてだろう。

どうしてこんなに江戸が気になるんだろう。

自分でもよく理解出来ずにいたんです。


しかしこの日、この<ベローチェ>という店の名が呼び水となり、霊言現象が起きたのか、私の舌ベロは滑らかに動き始めてしまったのです。

なんと私のベローチェは、友人にこんな物語を語り始めたのであります。


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   当時私は、深川辺りの掘り割り沿いの一軒家に住んでてね。 

   板塀越しに柳が見える家なのよ。

   私はいわゆる<旦那>と呼ばれるひとの女でね。 

   ちょいとお世話になってるんです。

   だけど自分の仕事は持っててね。 

   常磐津なんか教えてる。

   出稽古のない日だけだけど、すこ〜しお弟子も取ってます。

   だから長屋のお駒ちゃんに小遣い渡して、いつも息子預かって貰ってる。

   なんだかんだ言いながら<旦那>が来るって日は、やっぱり嬉しくって、   いそいそしちゃってさ。

   あの人の好きな肴、朝から用意しちゃうんです。

   酔うとあの人「一節やってくれ」って必ず言うの。

   「商売でもないのに何さ!」って思うんだけど、これも惚れた弱味でね。

   常磐津節が終わる頃にゃ、きっと寝ちまってるに違いないのにねぇ〜


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こんな江戸人情話しが口から飛び出して来て、何ともビックリ仰天です。

まるでお江戸を見て来たみたいに、物語がそこに息づいてるじゃありませんか。

あれ〜っ? 

これって昔見た時代劇のワンシーンかな?

それとも何かの時代小説だったかしら?

う〜ん、どうにも覚えがないなぁ〜

この常磐津のお師匠さんって一体ナニ者なんでしょか?

妙に懐かしい感じもするけど、ご先祖さん?

あるいはもしかして、これは私の過去世でしょうか?

だから江戸時代が気になってたの?

過去世にしても私、三味線触った事もありませんが・・・

大体あなた、常磐津って長唄とどう違うのよ。



妄想の中のお師匠さんは、ちょっと小粋な<色女>でした。

正々堂々、お妾稼業を生きてます。

こっちの世界は平成の御代。 

二千と飛んで十三年。

お師匠さんのスピリッツは、何かの弾みで波動共鳴したんでしょうか?

私の中でやけにイキイキしてるんです。


お師匠さん、私に何か言いたい事でもあるんですかい?

それならどうぞ、言っておくんなさい。

私で良けりゃあ代弁しますよ。

ようこそお師匠さん。

あんたの話しを、もっと詳しく聞かせて下さいましな。




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by viva1213yumiko | 2013-06-30 23:03 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

手練手管

遊女がらみの話しをもうひとつ。

遊女たちは商売のために、男との関係を繋ぎ止める必要がある訳ですが、そのために客あしらいのテクニックを持っていました。

それは、遊女たちが「あんたをこんなに思ってますよ」「私の心の内をお見せしますよ」と、誓いを立てて見せつけた、巧妙な手練手管だったのです。

杉浦日向子さんによると、その方法には次のようなものがあったのだそうです。
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   1. 起請誓紙(きしょうせいし)

   2. 放爪(ほうそう)

   3. 入れ黒子(いれぼくろ)

   4. 貫肉(かんにく)

   5. 指切り

   6. 髪切り


1.の<起請誓紙>とは、誓いの言葉を紙に書き、神社に奉納する事ですね。

「私とあなたは決して切れません。二世を誓った仲でござんす」みたいな事をしたためて、ちょいと指を切り血判を押すのです。

同じ物を三枚書いて、一枚は男に、一枚は自分で、そしてもう一枚は神社に奉納すると言います。

神仏がらみの行為なので滅多な気持ちでやってはならないのですが、なぜか神仏がお許し下さる誓いの人数というのがあって、なんと熊野権現では25人まで<起請誓紙>が通用したんだそうです。 笑っちゃいますよね。

2.の<放爪>は、遊女が自分の爪を剥がして小さな桐の箱に入れ、「ほら、これがあたいの心だよ」と言って客に渡す方法。

お付きのかむろに爪を伸ばさせて、魚の血などを付けて、偽物を渡したりしてたそうですよ。

3.は<入れ黒子> これは<○○様命>と客の名前を二の腕に彫る事です。

けれど実際には彫り物じゃなく、油性の墨で描いておいて、暗い行灯の明かりの下で「ほらっ」って見せるのだそうです。

4.の<貫肉>は小さな小刀を振りかざし、お客の前で自分の太ももをザクッと刺す。

「あんたの事をこんだけ思ってるんだよ」って見せつける訳ですが、芝居用の血糊が仕込まれた小刀を使って演じて見せたとも言われます。

<指切り>とは字の通り、小指の第一関節のところにカミソリを当ててガツンと切り落し、桐の小箱で思う男に送りつける荒技。

<髪切り>とは、女の命である髪を目の前で切ってみせて、誠を誓うパフォーマンスですね。

吉原の中には専門の職人の住んでるエリアがあって、そういったパフォーマンス用の小道具を職人に依頼出来たと言います。

小指も髪も作り物で代用するのです。

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このように全てが嘘、虚構の世界なのですが、これらが顧客に対する出血サービスとなっており、特別パフォーマンスの意味を持っているのです。

だから客はそれを喜んで受け入れなければなりません。

そして遊女たちから<色恋>の仕方を学んで、<粋>な色男を目指したのです。


しかし、実際一番遊女にモテたのは、<粋>なひとでも<通>な人でもなかったと言うから皮肉な話しですよね。

特別どうって事もない、誠実な真人間が、遊女の心を最も捉えたんだそうです。

「遊女の深情け」って奴でしょうか・・・


なので、<通>だ、<粋>だ、と一生懸命努力しても、所詮は無駄な事なんですが、この無駄なところにエネルギーを傾ける馬鹿馬鹿しさこそが、江戸の文化そのものだと言えるんですね。

無駄を面白がるゆとりが、江戸時代の太平を支えていたのだと思います。




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by viva1213yumiko | 2013-06-28 22:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

遊女のまじない

古今東西、恋のまじないは無数にありますよね。

恋愛さえも商売になり得た江戸の頃、男を呼び寄せるため、日々あの手この手を考えていた遊女たちのまじないは、それなりの現場経験で発掘され、工夫・改良が施され、広められたものだったに違いありません。

今は亡き杉浦日向子さんのエッセイに、遊女たちが使ったまじないについて記したものがありました。

今でもそのまま応用出来そうなものもあるので、ここらでちょいと紹介しておきやしょう。

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<男を自分のもとへ引き寄せるまじない>

その1:用意するもの・・・折り紙と針

 折り紙の本にたいてい載っている<蛙>という折り方があるそうです。(残念 ながら私は鶴しか折れません)

 それを折り、背中に濃くすった墨で黒々と来て欲しい男の名を書いて、そこへ ぷっつり針を指します。(おおこわ)

 それを人目につかない所へそっと隠します。

 もし、メデタク男が来たなら、人に見られないように蛙の針を抜いて、川か池 に捨てます。

その2:用意するもの・・・男の手紙、あるいは男の筆跡のある紙

 男にもらった手紙を短冊(細長く)に切り、それをこより(指先でよじってヒ モ状にする)に造ります。

 それでもって犬の形に結びます。

 それを自室のたんすの上、又は鏡台の上へ、男の家のある方へ向けて置き、朝 晩犬に「早く来い来い」と言いふくめます。

 すると、ふしぎと近日中に「やァ」なんて言って男があらわれるそうです。

 成就したあと、犬は人知れず燃やします。


<男を自分から離れられなくするまじない>

その1:用意するもの・・・男が普段使っている食器、自分の下着のヒモ

 男の食器をもらうか盗むかしてそれを下着のヒモでしばって、自室の入り口か ら一番奥まった場所(上座)に置きます。

その2:用意するもの・・・赤いはぎれ(本来はちりめん)、綿

 はぎれで5㌢四方位の小さな座布団状のものをこしらえます。

 その座布団の4つの角をそれぞれつまんで、糸でぐりぐりとくくって、4つの チョンチョコリンが出来るようにし、カメのような形を作ります。

 その4つのカメ状のぬいぐるみを寝室の布団の4つの角にボンボンのように縫 い付けます。

 その布団の上で、彼氏といたすと、彼はあなたを忘れられなくなる・・・そう です。
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<浮気な男を封じるまじない>

用意するもの・・・男の陰毛、紙

 これはスゴイ。浮気な彼の陰毛をちょっと抜いて、それを紙に包んで、紙ごと ねじって結び、自分の敷き布団と畳の間へ敷いておきます。(ベッドだとどう すれば良いのでしょう?)

 そうすると、その紙を捨てないうちは、彼が他の女の子といたそうとしてもい たすことができない、つまり、立たないのだそうです。(ホンマかいな)


あとはツキを呼ぶ小道具として鈴があります。

いつも鈴を身につけておくと男運が良くなるといいます。

鈴には女の性的魅力を増大させる力があると信じられていたからです。

また、おでこを良く手入れしておくと(つまりつるつるピカピカのおでこ)異性交際がうまくいくそうです。

おでこにニキビのあるうちは、ダメということでしょうかねぇ。

ちなみに、おでこは女性の顔で一番セクシーな部分と(江戸の頃は)考えられていました。

また、玉虫(便所虫ではありません、念のため)を陰干しにしたものを、白粉で満たした小箱の中へ埋め、その小箱を自分の衣装たんすの中の、最も大切な衣装の間に入れておくと、すばらしい恋にめぐりあえる、または成就するそうです。

江戸の女の子たちが玉虫を欲しがったのはこのためです。


その他には、午前中に出会った人間以外の生物に、いちいち「だれそれさんに会えますように」とお願いすると、必ず伝言してくれて近いうちに会えるというのがあって、それが午後だと逆、つまり別れたい時のお願いになるんだそうです。

お茶の葉っぱの中へ密かに自分の爪を混入させておくというのもあります。

その「爪入り茶」を思う人に飲ませると、思いがかなうというのですが、なんだか不衛生ですね。

ともあれ、効き目のほどについては、いずれも保証はしかねます。



遊女のまじない・・・

どなたかチャレンジしたならば、効果のほどを是非お聞かせ下さい。




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by viva1213yumiko | 2013-06-25 00:14 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸の色恋

<愛>と<恋>とを比べてみたなら、何んとなく<愛>の方が格調高く、ご立派な感じがしますよね。

未熟な若者が<恋>を知り、それが成長して<愛>へと育って行くような、そんなイメージがあります。

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しかし、昔は逆だったんだそうですよ。

まず<愛>が出現して、それが<恋>に育つのだそうです。

<愛>とは即物的な物に対する執着心のような、そんな心情を示す言葉のようでした。

「壷を愛する」「茶碗を愛する」「盆栽を愛する」っていうようにです。

だから、「女の子を愛する」って言ったら女の子をお人形のように愛する事を意味しました。

「子供を愛する」とか「犬猫を愛する」って感じに近いようなんですね。

しかし、<恋>となるとそこから一歩踏み出して、愛するものを手に入れる<行動>を伴う心情になります。

愛するものを自分のものにしようとして、どんどんどんどんアプローチして行く事、それを<恋>と呼ぶのです。

この<恋>と<愛>とが絡み合ったのが、近松の心中ものなど、上方文化がリードした<情>の世界です。

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しかし江戸文化(特に江戸中期以降)では、<情>はあまり重きがおかれず、むしろ<色>というものが際立って来るのです。

<恋>とは動物的な本能で、命と引き換えにするほど衝動的激情です。

しかし、それに比べて<色>はゲーム感覚が強いのです。

「色はその日のできごころ」と言って、その日の天気や気分によって恋人を取っ替え引っ替えするような、想像力をも含んだ<ファンタジー世界>全般の事を指すのです。

<恋>っていうのは相思相愛が基本ですが、<色>はそうとも限らない。

当然、女郎買いの遊びは<色>に入ります。

女郎買いでは初めて逢った男女なのに、まるでず〜っと一緒にいるように夫婦の契りを交わして、濃密な時間を過ごします。

疑似恋愛の恋愛遊戯なのだから、これは完全に<色>です。

だけど逆に、「惚れ合ってる同士の男女なのに決して肌を合わせない」なんて形の事も<色>と呼ぶのです。

「惚れているのに身体を合わせない」「惚れてないのに身体を合わす」という、創造力で補う部分を必要とするのが<色>

だから<色>は<恋>より大人の意識がなければ成立しなかったのです。


西鶴や近松のように、「男女双方思いつめての末の心中」なんていう<情>の世界は、江戸には似合わなかった。

<色>とは、人間関係から生じる<しがらみ>から一線を引いた、ちょっとドライな個人主義っぽい関係なんですね。

江戸の恋愛文化は、<情>よりも<風情>と言った方がピッタリするかも知れません。

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その<色>と<風情>をサービス産業として大々的に商ってたのが、いわゆる遊郭ですよね。

男はお金さえあれば、出費に応じた疑似恋愛をシュミレーション体験出来る。

遊女とは、いわば恋愛インストラクターです。

男と女のプロフェッショナルです。

遊女は男を呼び寄せるのが技術なので、実践面での訓練は相当に積んだそうですよ。

男を酔わせ、桃源郷に誘うには、それなりの才覚と努力が必要で、疑似恋愛のための手練手管が色々あったといいます。

そして、さらにそれ以上の効果を求めて、遊女たちは<まじない>という手法を用いてたと言うんですねぇ〜

故杉浦日向子さんのエッセイに、遊女たちのまじない法を紹介したものを発見したのですが、それがとっても面白かったので、次回は遊女たちのまじない方法を密かに教えちゃいましょう。

殿方を虜にしたいとお考えのあなた、乞うご期待です。




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by viva1213yumiko | 2013-06-21 21:21 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸ファッション・上方ファッション

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ファッション雑誌の特集に、<都市別ストリートファッション・スナップ>ってありますよね。

街行く人のファッションで、各都市ごとの流行りの傾向がチェック出来るやつ。

あれ、結構好きなんですよね。

昨今はどこの国でもファッションの流行は似たり寄ったりですが、それでもやはり、なんとなくお国柄が出てしまうのが楽しいんです。

パリとミラノとロンドンとでは、小物使いの傾向も、色の組み合わせ方にも、微妙な違いがあるものです。

それは東京ファッションと関西ファッションでも同じで、えも言われぬ微妙なセンスに違いが現われるみたいですね。


江戸時代には、そのセンスの差がかなりはっきりしていて、江戸っ子が京へ旅すれば「あいつは関東もんだ」ってすぐに分かっちゃうほど、明確に違っていたのだそうです。

例えば着こなしに関して言えば、上方ではきっちりと着付けたのに対し、江戸ではだらしな~い着こなしだったと言います。

江戸は着物の打ち合わせがとても浅くて、走ったりすればすぐに裾が割れてしまいました。

しかも、若い女でも懐に手を入れたり男前な仕草をしたので、胸の辺りがダラ~ンとはだけてしまうのです。
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確かに浮世絵の美人画を見ても、着物の胸元や裾周りがやたらとずるずるしているし、足が腿の辺りまでむき出し状態なのが多いのですよね。

腿の隙間の辺りを評して、「小股の切れ上がったいい女」なんて言う褒め言葉もあります。


着物の色の好みも全然違い、上方は奇麗な色を好んで着ていました。

しかしお江戸では渋めの色と柄が選ばれました。

「赤ぬける」と言葉にあるくらい、女らしい赤い色を身に付けなくても、色気があるのが「粋」だった。

「あか抜ける」とは「体を磨き込んで垢を取る」以外にも「赤なしで勝負する」の意味があったようで、「赤い色なんかに頼りゃしないよ」と言う意地っ張りの江戸っ子気質を表しています。

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その分赤い色は、女にとってここぞという時に決める勝負色だったようで、赤い紅・赤い下着・赤いかんざし・赤い半襟なんかを黒っぽい着物の差し色として使ってチラ見せ効果で勝負したのです。

ちなみに男の決め色は紫と決まっていて、紫の襟をチラッと見せて女に思いを伝えたんだそうですよ。


化粧についても、上方文化だと女に生まれたからにはフルメークがこそが身だしなみ。

しかし江戸では、スッピンの素肌に紅だけというポイントメークが好まれたのだから、ずいぶんと違うものです。

髪型も奇麗に結い上げるのが上方風で、江戸では湯上がりの洗い髪が一番「粋」とされた。

「湿った髪を背中に垂らし、櫛を横に刺した湯上がり女」なんてのが最高に色っぽかったのです。

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総じて、奇麗なものをどんどん加えて豪華絢爛にして行く、足し算のファッションが上方風と言えるんじゃないでしょうか。

都の歴史が長いので、マニュアルにのっとった花鳥風月の雅を「風流」としたのです。

しかしお江戸では過剰ファッションは嫌われる。

何かを省略した引き算ファッションで、色も少なめ、格子や縞柄のシンプルな幾何学模様などが好まれました。

遠目からはっきりと目立つものはカッコ悪く、一見普通だが近寄ると凝った良い素材を使ってる、なんていうのが良しとされたのです。


こうして比べてみると、上方と江戸では随分美意識が違うものですね。

私思うに、上方の華やかなファッションは、ゴージャスで派手好きなイタリアファッションに似てるのかも知れません。

そして「粋」を重んじる江戸のお洒落は、シックでさり気ないパリ風ファッションってところですかね。

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江戸時代は役者や花魁がファッションリーダーだったので、女たちは吉原や島原の花魁の浮世絵を眺めては、都と江戸の最先端ファッションを比べて楽しんだに違いありません。

それは江戸時代の<都市別ファッション比較>でもあったと思います。

昔も今も、女が好きなものは似たり寄ったりって事なんですよね。




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by viva1213yumiko | 2013-06-14 14:19 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)