カテゴリ:おとぎ話・こぼれ話( 80 )

ようこそお師匠さん

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「最近のブログ、江戸にハマってますねぇ〜 一体どして? なぜ江戸時代?」

<CAFE VELOCE>で友人とお喋りしていて、ふいにそう訊ねられたのです。

「う〜ん・・・」

私は答えに迷ってしまいました。

確かに最近、当ブログで江戸時代の面白さについて紹介している。

ちょっとしたマイブームであります。

資料調べをし、しばらく江戸の事ばかり考えていたので、何だか言葉遣いもヘンになってしまいました。

「あいよ」とか、「よござんす」とか、ついつい相づち打ってしまうのです。

「湯〜でもつかって、さっぱりしやしょう」とか、「茶〜でも入れておくんなさいな」とか、うっかり家族に使ってしまうのだが、この手のセリフはあくまでも一回止まりね。

シチュエーション次第では相手を怒らせる事にもなるんだと、どうやらぼんやり分かって参りました。

時代劇言語も十分注意が必要です。


それにしても、どうしてだろう。

どうしてこんなに江戸が気になるんだろう。

自分でもよく理解出来ずにいたんです。


しかしこの日、この<ベローチェ>という店の名が呼び水となり、霊言現象が起きたのか、私の舌ベロは滑らかに動き始めてしまったのです。

なんと私のベローチェは、友人にこんな物語を語り始めたのであります。


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   当時私は、深川辺りの掘り割り沿いの一軒家に住んでてね。 

   板塀越しに柳が見える家なのよ。

   私はいわゆる<旦那>と呼ばれるひとの女でね。 

   ちょいとお世話になってるんです。

   だけど自分の仕事は持っててね。 

   常磐津なんか教えてる。

   出稽古のない日だけだけど、すこ〜しお弟子も取ってます。

   だから長屋のお駒ちゃんに小遣い渡して、いつも息子預かって貰ってる。

   なんだかんだ言いながら<旦那>が来るって日は、やっぱり嬉しくって、   いそいそしちゃってさ。

   あの人の好きな肴、朝から用意しちゃうんです。

   酔うとあの人「一節やってくれ」って必ず言うの。

   「商売でもないのに何さ!」って思うんだけど、これも惚れた弱味でね。

   常磐津節が終わる頃にゃ、きっと寝ちまってるに違いないのにねぇ〜


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こんな江戸人情話しが口から飛び出して来て、何ともビックリ仰天です。

まるでお江戸を見て来たみたいに、物語がそこに息づいてるじゃありませんか。

あれ〜っ? 

これって昔見た時代劇のワンシーンかな?

それとも何かの時代小説だったかしら?

う〜ん、どうにも覚えがないなぁ〜

この常磐津のお師匠さんって一体ナニ者なんでしょか?

妙に懐かしい感じもするけど、ご先祖さん?

あるいはもしかして、これは私の過去世でしょうか?

だから江戸時代が気になってたの?

過去世にしても私、三味線触った事もありませんが・・・

大体あなた、常磐津って長唄とどう違うのよ。



妄想の中のお師匠さんは、ちょっと小粋な<色女>でした。

正々堂々、お妾稼業を生きてます。

こっちの世界は平成の御代。 

二千と飛んで十三年。

お師匠さんのスピリッツは、何かの弾みで波動共鳴したんでしょうか?

私の中でやけにイキイキしてるんです。


お師匠さん、私に何か言いたい事でもあるんですかい?

それならどうぞ、言っておくんなさい。

私で良けりゃあ代弁しますよ。

ようこそお師匠さん。

あんたの話しを、もっと詳しく聞かせて下さいましな。




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by viva1213yumiko | 2013-06-30 23:03 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

手練手管

遊女がらみの話しをもうひとつ。

遊女たちは商売のために、男との関係を繋ぎ止める必要がある訳ですが、そのために客あしらいのテクニックを持っていました。

それは、遊女たちが「あんたをこんなに思ってますよ」「私の心の内をお見せしますよ」と、誓いを立てて見せつけた、巧妙な手練手管だったのです。

杉浦日向子さんによると、その方法には次のようなものがあったのだそうです。
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   1. 起請誓紙(きしょうせいし)

   2. 放爪(ほうそう)

   3. 入れ黒子(いれぼくろ)

   4. 貫肉(かんにく)

   5. 指切り

   6. 髪切り


1.の<起請誓紙>とは、誓いの言葉を紙に書き、神社に奉納する事ですね。

「私とあなたは決して切れません。二世を誓った仲でござんす」みたいな事をしたためて、ちょいと指を切り血判を押すのです。

同じ物を三枚書いて、一枚は男に、一枚は自分で、そしてもう一枚は神社に奉納すると言います。

神仏がらみの行為なので滅多な気持ちでやってはならないのですが、なぜか神仏がお許し下さる誓いの人数というのがあって、なんと熊野権現では25人まで<起請誓紙>が通用したんだそうです。 笑っちゃいますよね。

2.の<放爪>は、遊女が自分の爪を剥がして小さな桐の箱に入れ、「ほら、これがあたいの心だよ」と言って客に渡す方法。

お付きのかむろに爪を伸ばさせて、魚の血などを付けて、偽物を渡したりしてたそうですよ。

3.は<入れ黒子> これは<○○様命>と客の名前を二の腕に彫る事です。

けれど実際には彫り物じゃなく、油性の墨で描いておいて、暗い行灯の明かりの下で「ほらっ」って見せるのだそうです。

4.の<貫肉>は小さな小刀を振りかざし、お客の前で自分の太ももをザクッと刺す。

「あんたの事をこんだけ思ってるんだよ」って見せつける訳ですが、芝居用の血糊が仕込まれた小刀を使って演じて見せたとも言われます。

<指切り>とは字の通り、小指の第一関節のところにカミソリを当ててガツンと切り落し、桐の小箱で思う男に送りつける荒技。

<髪切り>とは、女の命である髪を目の前で切ってみせて、誠を誓うパフォーマンスですね。

吉原の中には専門の職人の住んでるエリアがあって、そういったパフォーマンス用の小道具を職人に依頼出来たと言います。

小指も髪も作り物で代用するのです。

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このように全てが嘘、虚構の世界なのですが、これらが顧客に対する出血サービスとなっており、特別パフォーマンスの意味を持っているのです。

だから客はそれを喜んで受け入れなければなりません。

そして遊女たちから<色恋>の仕方を学んで、<粋>な色男を目指したのです。


しかし、実際一番遊女にモテたのは、<粋>なひとでも<通>な人でもなかったと言うから皮肉な話しですよね。

特別どうって事もない、誠実な真人間が、遊女の心を最も捉えたんだそうです。

「遊女の深情け」って奴でしょうか・・・


なので、<通>だ、<粋>だ、と一生懸命努力しても、所詮は無駄な事なんですが、この無駄なところにエネルギーを傾ける馬鹿馬鹿しさこそが、江戸の文化そのものだと言えるんですね。

無駄を面白がるゆとりが、江戸時代の太平を支えていたのだと思います。




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by viva1213yumiko | 2013-06-28 22:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

遊女のまじない

古今東西、恋のまじないは無数にありますよね。

恋愛さえも商売になり得た江戸の頃、男を呼び寄せるため、日々あの手この手を考えていた遊女たちのまじないは、それなりの現場経験で発掘され、工夫・改良が施され、広められたものだったに違いありません。

今は亡き杉浦日向子さんのエッセイに、遊女たちが使ったまじないについて記したものがありました。

今でもそのまま応用出来そうなものもあるので、ここらでちょいと紹介しておきやしょう。

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<男を自分のもとへ引き寄せるまじない>

その1:用意するもの・・・折り紙と針

 折り紙の本にたいてい載っている<蛙>という折り方があるそうです。(残念 ながら私は鶴しか折れません)

 それを折り、背中に濃くすった墨で黒々と来て欲しい男の名を書いて、そこへ ぷっつり針を指します。(おおこわ)

 それを人目につかない所へそっと隠します。

 もし、メデタク男が来たなら、人に見られないように蛙の針を抜いて、川か池 に捨てます。

その2:用意するもの・・・男の手紙、あるいは男の筆跡のある紙

 男にもらった手紙を短冊(細長く)に切り、それをこより(指先でよじってヒ モ状にする)に造ります。

 それでもって犬の形に結びます。

 それを自室のたんすの上、又は鏡台の上へ、男の家のある方へ向けて置き、朝 晩犬に「早く来い来い」と言いふくめます。

 すると、ふしぎと近日中に「やァ」なんて言って男があらわれるそうです。

 成就したあと、犬は人知れず燃やします。


<男を自分から離れられなくするまじない>

その1:用意するもの・・・男が普段使っている食器、自分の下着のヒモ

 男の食器をもらうか盗むかしてそれを下着のヒモでしばって、自室の入り口か ら一番奥まった場所(上座)に置きます。

その2:用意するもの・・・赤いはぎれ(本来はちりめん)、綿

 はぎれで5㌢四方位の小さな座布団状のものをこしらえます。

 その座布団の4つの角をそれぞれつまんで、糸でぐりぐりとくくって、4つの チョンチョコリンが出来るようにし、カメのような形を作ります。

 その4つのカメ状のぬいぐるみを寝室の布団の4つの角にボンボンのように縫 い付けます。

 その布団の上で、彼氏といたすと、彼はあなたを忘れられなくなる・・・そう です。
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<浮気な男を封じるまじない>

用意するもの・・・男の陰毛、紙

 これはスゴイ。浮気な彼の陰毛をちょっと抜いて、それを紙に包んで、紙ごと ねじって結び、自分の敷き布団と畳の間へ敷いておきます。(ベッドだとどう すれば良いのでしょう?)

 そうすると、その紙を捨てないうちは、彼が他の女の子といたそうとしてもい たすことができない、つまり、立たないのだそうです。(ホンマかいな)


あとはツキを呼ぶ小道具として鈴があります。

いつも鈴を身につけておくと男運が良くなるといいます。

鈴には女の性的魅力を増大させる力があると信じられていたからです。

また、おでこを良く手入れしておくと(つまりつるつるピカピカのおでこ)異性交際がうまくいくそうです。

おでこにニキビのあるうちは、ダメということでしょうかねぇ。

ちなみに、おでこは女性の顔で一番セクシーな部分と(江戸の頃は)考えられていました。

また、玉虫(便所虫ではありません、念のため)を陰干しにしたものを、白粉で満たした小箱の中へ埋め、その小箱を自分の衣装たんすの中の、最も大切な衣装の間に入れておくと、すばらしい恋にめぐりあえる、または成就するそうです。

江戸の女の子たちが玉虫を欲しがったのはこのためです。


その他には、午前中に出会った人間以外の生物に、いちいち「だれそれさんに会えますように」とお願いすると、必ず伝言してくれて近いうちに会えるというのがあって、それが午後だと逆、つまり別れたい時のお願いになるんだそうです。

お茶の葉っぱの中へ密かに自分の爪を混入させておくというのもあります。

その「爪入り茶」を思う人に飲ませると、思いがかなうというのですが、なんだか不衛生ですね。

ともあれ、効き目のほどについては、いずれも保証はしかねます。



遊女のまじない・・・

どなたかチャレンジしたならば、効果のほどを是非お聞かせ下さい。




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by viva1213yumiko | 2013-06-25 00:14 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸の色恋

<愛>と<恋>とを比べてみたなら、何んとなく<愛>の方が格調高く、ご立派な感じがしますよね。

未熟な若者が<恋>を知り、それが成長して<愛>へと育って行くような、そんなイメージがあります。

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しかし、昔は逆だったんだそうですよ。

まず<愛>が出現して、それが<恋>に育つのだそうです。

<愛>とは即物的な物に対する執着心のような、そんな心情を示す言葉のようでした。

「壷を愛する」「茶碗を愛する」「盆栽を愛する」っていうようにです。

だから、「女の子を愛する」って言ったら女の子をお人形のように愛する事を意味しました。

「子供を愛する」とか「犬猫を愛する」って感じに近いようなんですね。

しかし、<恋>となるとそこから一歩踏み出して、愛するものを手に入れる<行動>を伴う心情になります。

愛するものを自分のものにしようとして、どんどんどんどんアプローチして行く事、それを<恋>と呼ぶのです。

この<恋>と<愛>とが絡み合ったのが、近松の心中ものなど、上方文化がリードした<情>の世界です。

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しかし江戸文化(特に江戸中期以降)では、<情>はあまり重きがおかれず、むしろ<色>というものが際立って来るのです。

<恋>とは動物的な本能で、命と引き換えにするほど衝動的激情です。

しかし、それに比べて<色>はゲーム感覚が強いのです。

「色はその日のできごころ」と言って、その日の天気や気分によって恋人を取っ替え引っ替えするような、想像力をも含んだ<ファンタジー世界>全般の事を指すのです。

<恋>っていうのは相思相愛が基本ですが、<色>はそうとも限らない。

当然、女郎買いの遊びは<色>に入ります。

女郎買いでは初めて逢った男女なのに、まるでず〜っと一緒にいるように夫婦の契りを交わして、濃密な時間を過ごします。

疑似恋愛の恋愛遊戯なのだから、これは完全に<色>です。

だけど逆に、「惚れ合ってる同士の男女なのに決して肌を合わせない」なんて形の事も<色>と呼ぶのです。

「惚れているのに身体を合わせない」「惚れてないのに身体を合わす」という、創造力で補う部分を必要とするのが<色>

だから<色>は<恋>より大人の意識がなければ成立しなかったのです。


西鶴や近松のように、「男女双方思いつめての末の心中」なんていう<情>の世界は、江戸には似合わなかった。

<色>とは、人間関係から生じる<しがらみ>から一線を引いた、ちょっとドライな個人主義っぽい関係なんですね。

江戸の恋愛文化は、<情>よりも<風情>と言った方がピッタリするかも知れません。

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その<色>と<風情>をサービス産業として大々的に商ってたのが、いわゆる遊郭ですよね。

男はお金さえあれば、出費に応じた疑似恋愛をシュミレーション体験出来る。

遊女とは、いわば恋愛インストラクターです。

男と女のプロフェッショナルです。

遊女は男を呼び寄せるのが技術なので、実践面での訓練は相当に積んだそうですよ。

男を酔わせ、桃源郷に誘うには、それなりの才覚と努力が必要で、疑似恋愛のための手練手管が色々あったといいます。

そして、さらにそれ以上の効果を求めて、遊女たちは<まじない>という手法を用いてたと言うんですねぇ〜

故杉浦日向子さんのエッセイに、遊女たちのまじない法を紹介したものを発見したのですが、それがとっても面白かったので、次回は遊女たちのまじない方法を密かに教えちゃいましょう。

殿方を虜にしたいとお考えのあなた、乞うご期待です。




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by viva1213yumiko | 2013-06-21 21:21 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸ファッション・上方ファッション

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ファッション雑誌の特集に、<都市別ストリートファッション・スナップ>ってありますよね。

街行く人のファッションで、各都市ごとの流行りの傾向がチェック出来るやつ。

あれ、結構好きなんですよね。

昨今はどこの国でもファッションの流行は似たり寄ったりですが、それでもやはり、なんとなくお国柄が出てしまうのが楽しいんです。

パリとミラノとロンドンとでは、小物使いの傾向も、色の組み合わせ方にも、微妙な違いがあるものです。

それは東京ファッションと関西ファッションでも同じで、えも言われぬ微妙なセンスに違いが現われるみたいですね。


江戸時代には、そのセンスの差がかなりはっきりしていて、江戸っ子が京へ旅すれば「あいつは関東もんだ」ってすぐに分かっちゃうほど、明確に違っていたのだそうです。

例えば着こなしに関して言えば、上方ではきっちりと着付けたのに対し、江戸ではだらしな~い着こなしだったと言います。

江戸は着物の打ち合わせがとても浅くて、走ったりすればすぐに裾が割れてしまいました。

しかも、若い女でも懐に手を入れたり男前な仕草をしたので、胸の辺りがダラ~ンとはだけてしまうのです。
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確かに浮世絵の美人画を見ても、着物の胸元や裾周りがやたらとずるずるしているし、足が腿の辺りまでむき出し状態なのが多いのですよね。

腿の隙間の辺りを評して、「小股の切れ上がったいい女」なんて言う褒め言葉もあります。


着物の色の好みも全然違い、上方は奇麗な色を好んで着ていました。

しかしお江戸では渋めの色と柄が選ばれました。

「赤ぬける」と言葉にあるくらい、女らしい赤い色を身に付けなくても、色気があるのが「粋」だった。

「あか抜ける」とは「体を磨き込んで垢を取る」以外にも「赤なしで勝負する」の意味があったようで、「赤い色なんかに頼りゃしないよ」と言う意地っ張りの江戸っ子気質を表しています。

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その分赤い色は、女にとってここぞという時に決める勝負色だったようで、赤い紅・赤い下着・赤いかんざし・赤い半襟なんかを黒っぽい着物の差し色として使ってチラ見せ効果で勝負したのです。

ちなみに男の決め色は紫と決まっていて、紫の襟をチラッと見せて女に思いを伝えたんだそうですよ。


化粧についても、上方文化だと女に生まれたからにはフルメークがこそが身だしなみ。

しかし江戸では、スッピンの素肌に紅だけというポイントメークが好まれたのだから、ずいぶんと違うものです。

髪型も奇麗に結い上げるのが上方風で、江戸では湯上がりの洗い髪が一番「粋」とされた。

「湿った髪を背中に垂らし、櫛を横に刺した湯上がり女」なんてのが最高に色っぽかったのです。

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総じて、奇麗なものをどんどん加えて豪華絢爛にして行く、足し算のファッションが上方風と言えるんじゃないでしょうか。

都の歴史が長いので、マニュアルにのっとった花鳥風月の雅を「風流」としたのです。

しかしお江戸では過剰ファッションは嫌われる。

何かを省略した引き算ファッションで、色も少なめ、格子や縞柄のシンプルな幾何学模様などが好まれました。

遠目からはっきりと目立つものはカッコ悪く、一見普通だが近寄ると凝った良い素材を使ってる、なんていうのが良しとされたのです。


こうして比べてみると、上方と江戸では随分美意識が違うものですね。

私思うに、上方の華やかなファッションは、ゴージャスで派手好きなイタリアファッションに似てるのかも知れません。

そして「粋」を重んじる江戸のお洒落は、シックでさり気ないパリ風ファッションってところですかね。

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江戸時代は役者や花魁がファッションリーダーだったので、女たちは吉原や島原の花魁の浮世絵を眺めては、都と江戸の最先端ファッションを比べて楽しんだに違いありません。

それは江戸時代の<都市別ファッション比較>でもあったと思います。

昔も今も、女が好きなものは似たり寄ったりって事なんですよね。




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by viva1213yumiko | 2013-06-14 14:19 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸の「粋人」

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江戸時代は「粋」という価値観が最も大切にされていました。

しかしこの「粋」っていう概念、現代人にはイマイチ分かりにくいんですよね。

「粋」っていうのはシックと言うんじゃなく、エレガントとも違い、なにか余裕があるんだけど下品と紙一重のあたりにあるような、微妙なかっこ良さの事を指すのです。


江戸の「粋人」を目指すには、まず「通人」となって、色々なウンチクを知らなければなりません。

「通人」への入門書、<洒落本>なんかを読んで、「通」の旦那を目指したいものです。

<洒落本>には吉原へ行く時はこんな格好、買い物に行くにはこんな感じ、芝居へ行く時はこんな装いと、遊びのライフスタイル・マニュアルが記されていて、現代のファッション雑誌と同じような役割がありました。

だいたい吉原自体が、パリコレみたいな流行発信地だったのです。
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吉原とは夢を生産し消費させる場所。

ハリウッドみたいなものでした。

そして男を磨く試金石となる場所でもあったのです。

男というものが試されるとあって、みな頭のてっぺんからつま先まで練りにねって挑んだようです。

ボロの着物しか持ってない長屋の庶民にも、レンタルブティック(損料屋)があり、着物・持ち物・履物まで、勝負服のすべて一式を揃える事が出来ました。

ファッションコーディネーターの先生みたいな指南役がいて、お伺いを立てたりしたんだそうですよ。

ファッションだけでなく、立ち居振る舞い、お洒落な会話やジョークまで教えてもらい、手帳に記して暗記して「いざ吉原へ」と挑んだと言います。


しかし、習った事をそっくり真似るのは「野暮」のする事。

それらを身体で覚えてさり気なく振る舞い、その上さらに自分のオリジナリティを醸し出せるのが本当の「粋人」なのだそうですよ。

当然、「粋人」が出来上がるにはそれ相当の年期がかかり、40才位の大人にならないと粋な色恋など出来なかった。

「粋」は付け焼き刃では身に付かないものなのです。

なので「粋人」を目指す放蕩息子たちは、いつでも人生を棒にふる覚悟で湯水のように遊んだ。

そしてその危うさが色気となって醸し出されて、女にモテるようになって行ったのだそうです。
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スタイリッシュな「通人」から、さらにそれを超えた「粋人」へ・・・

江戸の美学って、斜に構えたような、やせ我慢のような、ちょっと崩れたような不思議な美意識です。

ピークを越えるほど爛熟し、滅びの曲線に踏み込みつつあるような、まるで中年期の人生みたいな文化なのです。


中年期を過ぎ越したこの私・・・

江戸の「粋人」を見習って、<滅びの美学>ってモンをかっこ良く会得したいと思う、今日この頃なのであります。




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by viva1213yumiko | 2013-06-11 12:23 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

お江戸でござる

今、アメリカには自給自足の協会や巨大なNPOがあって、町とか村を回っては自給自足システムを作る活動が、草の根レベルで進んでると言います。

政府レベルの意思決定は、いまだに資本主義の成長経済が続いていて、いかに成長を取り戻すかを試行錯誤している。

しかし、資本主義では食べて行けない人たちがたくさん出現していて、産業の構成単位が地域密着型に変化して来ているのだそうです。

それは日本でも全く同じで、もう高度経成長型の産業の伸びは、あり得ないんじゃないだろうか・・・

だから「低成長でもいい、国民が安心して食べて行ける社会が必要だ」というのが国民多数の共通認識になっています。

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そこで改めて見直したいのが、江戸時代の事なんです。

江戸時代は藩制という地域主体の単位でまとまっていて、しかも260年以上も安定していたんだから、今の視点から改めて見直すと、最先端だったと言えるのかも知れません。

江戸期は265年。

その間ずっと安定していて、平和で文化的でした。

鎖国していた訳だから完全に循環型の経済で、3000万人もの人口を、貿易なしで養ってた事になります。

国民の方もそれで満足してて、非常に幸福。

リサイクル精神とボランティア精神がしっかりと根付いていて、人々は孤立する事もなく、四季折々を心豊かに暮らして行けた。

江戸は100万人都市なのにスラムもなく、非常に清潔で、識字率も高く、江戸末期に日本を訪れた外国人がみな驚くほど素晴らしい国でした。

江戸時代の事を知れば知るほど、当時の庶民がいかに人間らしく幸せに賢く暮らしていたか伺い知れます。


花のお江戸は山手線の内側ほどの面積に100万人もの人が集まった、人口過密の大都市でした。

しかしその約半分は農地で、大名屋敷の庭園緑地を含むと江戸の約70%が緑という、都市と農村が入り組んだ大変美しい都市だったようです。

江戸時代の暮らしは、1~2年前の太陽エネルギーの範囲内だけで生きて行けました。

一年に一回転する太陽エネルギーのサイクルだけで、ぐるぐる回して暮らして行ける、完結した世界です。

人が一生を終えるまでの間、ほぼ物価に変動はなく、去年と同じ年収で暮らせる幸せな社会だったのです。

生ゴミや下肥も、肥料としての需要が高く、結構な高値で農家に買い取られたという。

それを使っては高級野菜を売りさばいて、江戸の近郊農家は裕福だったと言われてます。

米を刈り取った後のワラも残らずリサイクル。

しきもの・履物・俵・肥料・燃料になって、再利用されます。

そして、それらを燃やした灰までも、買い取り専門の業者さんがいたというのだから、徹底した循環型リサイクル社会でした。

実に良く出来た成熟社会ですよね。

だいたい戦争による無駄な出費がなかったので、お米も恒常的に余っていたのだそうです。

飢饉でもない限り、総じて供給が需要を上回り豊かだった。

だから人々の関心は道楽に向かったのだそうです。

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江戸文化では遊びに情熱を傾ける事を「粋」としたので、「宵越しの金は持たない」っていうのが基本姿勢。

三味線・俳諧・茶の湯・読本・・・

老いも若きも、武家も庶民も、お稽古事のひとつやふたつ、皆んな嗜んでおりました。

芝居・ファッション・行楽・グルメ・・・

戦争がない分、命がけで遊ぶような趣味人も多く、「何でもあり」の文化が爛熟したのです。

実利的生産は「野暮のする事」という価値観があったので、あまり生産的でない「粋」な人たちを社会は受け入れていたし、存在意義を見いだしていました。

隠居した年寄りなんかが脚光を浴びていて、若い衆の理想像でした。

あくまでも遊びの精神がメインなので経済は後回し。

金儲けなんて二の次、三の次という、精神的にも非常にゆとりある社会だったのです。

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<お江戸でござる>

なかなかいいでしょう?

江戸時代の庶民生活って本当に自由で楽しそうです。

女たちもみな自立し、恋や仕事をのびのびと謳歌してたようで、知れば知るほど理想的な形です。


江戸の人々は完全な自給自足と高い文化を両立していました。

我々ももう一度、江戸時代のような成熟文化・成熟社会を目標にすべきかも知れません。

今後の日本繁栄の鍵は、<アベノミクス>より、<お江戸ミクス>の構築にあるような、そんな気がしているのです。
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by viva1213yumiko | 2013-06-07 23:45 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

太陽のご乱心

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最近の異常気象は凄いですね。

100年に一度というような竜巻・洪水・旱魃・ハリケーンが頻発しています。

100年に一度クラスの災害が年に何度も起こるので、我々人間の方も異常が普通になってしまい、災害に麻痺して来ています。

それに人間の方だって負けてません。

何だか常軌を逸していて、発言や言動がむちゃくちゃな人が多いです。

都市部の人口密集地域では、人間が人間に麻痺しなければ生きられない、そんな状況が続いています。

今の地球は明らかにバランスが崩壊しています。

でもそれは地球だけの話しではないって知ってますか?

我々の生命の源、太陽の様子も、何だかとても不安定なのだそうです。

今さら知っても遅いのですが、NASAは数年前から2013年5月頃、11年周期の太陽黒点活動の最大サイクルが訪れると予測を出していたんだそうです。

そしてこの最大の太陽フレア活動が、地球の文明を脅かす可能性をも指摘していたといいます。

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<太陽フレア現象>とは、太陽コロナの爆発を意味するので、爆発と同時に放射線やら何やらをたくさん宇宙空間にまき散らすんですね。

31時間後、それらが地球に到達すると、デリンジャー現象・磁気嵐・オーロラの発生の要因となるらしい。

人体に直接影響を与える事はないとは言われているが、GPSや通信信号などの信号系統に影響を与えるらしいのです。

さらに厄介な事に、太陽フレアが地震や火山活動にも関係しているという説があります。

太陽嵐が地球の地磁気を刺激して、地殻変動を活発化させるからだそうで、火山噴火も相次ぐという。

これらの話しが真実なら、今の世の中は本当に黙示録そのものですね。

我々の運命はお天道様のご機嫌次第という訳です。

太陽はここ何十年も<ソーラーMAX状態>へと向かっていて、今までの人類がかつて経験した事ないほど、危険で強烈な活動域の時期に近づきつつあるみたいなんです。

株価の変動のように乱高下を繰り返しているらしく、いわば<太陽のご乱心>なのだそうです。

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太陽って実はもの凄い存在で、時間を歪めたり、光波を曲げたり、地球上の種の突然変異の原因となってると既に証明されていて、今までの科学の常識を軽く飛び越えてしまうらしいですよ。

<太陽のご乱心>は、宇宙物理学だけでなく人類そのものを変化させる作用がある、と考える人もいるようですね。

事実、意識の覚醒はどんどん進み、目覚めた人間が急速に増えています。

そしてその分、社会環境の変化とそのストレスに耐えられなくなり、精神的におかしくなる人も多い。

とにもかくにも、「太陽では何か我々には予測出来ない事が起きている・・・」

それだけはどうやら本当のようですね。

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子供の頃、<北風と太陽>というイソップ童話が好きでした。

物語では、太陽はサンサンと光を降り注ぎ旅人の上着を脱がしてしまいますが、我々はいつまで経ってもちっとも変わらないので、太陽は思い切って方針転換を決めたのかも知れません。

高エネルギー太陽風をまき散らし、遺伝子の突然変異で人類を目覚めさせるという方針です。

次のステージへと進むため、我々は無理矢理コートを脱がされてしまうのかも知れませんよ。


いずれにしても宇宙の創造主の考えは、私たちには計り知れません。

やはり我々は、神々のおもちゃにすぎないみたいですね。




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by viva1213yumiko | 2013-05-26 21:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

黒魔術VS白魔術

小学5年のHちゃんからの情報によると、今子供たちの間で<黒魔女さんが通る>というジュニア文庫&アニメが流行っているのだそうです。
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<黒魔女さんが通る>の主人公もやはり小学5年生。

恋のキューピットを呼ぶつもりが、花粉症の鼻づまりで「ギュービッドざん、ギュービッドざん、南の窓がらお入りぐだざい」と呪文を唱えてしまう。

すると黒魔女インストラクターのギュービッドが現れて、主人公はなぜか黒魔女修行をするはめになってしまうという、そんなマジカルコメディーなのです。

しかしジュニア向けと侮るなかれ、黒魔術の呪文や魔界アイテムがふんだんに登場し、大人も十分楽しめる作品のようです。


<魔法もの>アニメは、私の子供時代にもありました。

<魔法使いサリー>や<秘密のアッコちゃん>ですが、今にして思うとあの子たちって黒魔女なの?白魔女なの?

パパが魔界の王様みたいだから、やはりサリーちゃんは黒魔女さん?

「テクマクマヤコン・テクマクマヤコン」って呪文は白魔女の呪文?


昭和レトロの頃は、そこら辺あやふやな設定でも、子供アニメって事で許されました。

しかし子供騙しじゃ、今や時代が許さなくなっている。

黒魔術と白魔術では一体何が違うか、はっきりさせない訳にはいけませんね。

ちょうど良い機会なので、ちょっと調べてみましょうか。


<魔術大全>風な分厚い本で、黒魔術の項をひも解いてみると・・・


 ●黒魔術とは、悪魔などの邪悪な超自然的存在の力を借りて行う魔術であり、人  や社会に害悪をもたらす左道である。

 ●多くの場合魔術師は自分の魂を代償にして悪魔と契約を交わし、自分の血で署  名するとされる。

 ●人類の正常で自然な進化を阻止し、人間の肉体と精神の間に葛藤を起こさせよ  うともする。

 ●利己的な欲望を実現するため、他者の堕落や破壊を目的とした儀式を行う。


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 と記されていました。 


それに対し白魔術の項目は・・・

 ○天使や有用な精霊など善なる超自然的存在の力を借りて、善なる意図のもとに行われる魔術をいう。

 ○<豊穣を祈る豊穣魔術><災厄から逃れる防御魔術><自然に本来備わっているオカルト的な力を用いる自然魔術>なども含まれる。

 ○人間の正常で自然な進化の援助にも関わり、秘教的治療を基本として、肉体と精神の間に存在する葛藤と不安を和らげようとする。

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 と、書かれてあったのです。



   ●黒魔術→闇・悪・利己的・過去志向・後退・回帰・混沌

   ○白魔術→光・善・奉仕的・未来志向・前進・発展・具現化



イメージ的にまとめてみると、こんな感じでしょうか。

まるでひとつのコインの裏表ですね。

どちら側から観察するかで、見える世界は変わってしまいます。

案の定、もともと魔術の始まりにおいて、黒と白の区別など全くなかったそうなんですよ。


マジックの語源はゾロアスター教のマギ(僧侶)から来ていて、それはその後、賢者一般の事を意味するようになりました。

そこから賢者の不思議な技はマジック(魔術)と呼ばれるようになったんだそうです。

中世キリスト教会は、[神が関わる奇跡以外の超自然現象は邪悪な魔術である]として厳しく断罪しました。

その典型が魔女狩りですよね。


当時は大半の魔術が黒魔術と同一視されていて、それと区別するために白魔術という用語が生まれたと言われています。

こうして黒魔術VS白魔術という構図が出来上がったのですが、よく考えてみるとどちらも超自然の力を借りるという点に変わりはないんですよね。

本来、魔力自体に白も黒も灰色もありません。


黒となるか白となるかは、魔術を使う動機や目的、あるいは魔術師の心がけ次第という事になりそうです。

白VS黒、善VS悪、光VS闇、幸VS不幸、男VS女

そんな二元論を乗り越えて統合された場所に、本物の答えが見つかるのかも知れませんね。

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 「魔術とは意志に従って変化を起こす科学であり、技である」
     
        20世紀最大の魔術師  アレイスター・クロウリー




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by viva1213yumiko | 2013-05-20 18:24 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

イケメン・ジーザス

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同世代の知性派S女史は、独身時代大胆にも「理想のタイプはイエス・キリスト」なのだと豪語しておりました。

中東の彫りの深い顔立ち、褐色の肌、ウエーブのかかった長髪、優雅で気品ある物腰、悟りを開いた聖人の澄んだ瞳、人々を惹きつける穏やかな口調。

どれもみな、彼女の好みにぴったりなのだそうです。

「それにね・・・」 

と、彼女は続けます。

「だってイエスは大工さんだったんでしょう?当時の大工さんなんてすっごい重労働じゃない。十字架上のイエスって弱々しい姿だけど実物は絶対違うと思う。頑丈で筋肉質で、めっちゃ、いい身体してたと思うの」

頬を赤らめながらそう話す女史は、まるでアイドルとの恋愛妄想にはしゃぐ小娘みたいだった。

イエス・キリストが彼女の推測通りの風貌だったかどうかは、聖書を読んでみてもさっぱり分かりません。

しかし、トリノの聖骸布から読み取れるイエス・キリスト像もあるのです。

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トリノの聖ヨハネ大聖堂に安置されている聖骸布は、十字架から降ろされ仮埋葬されたイエスの遺体を包んだとされる布です。

その布の表面にはイエスとおぼしき男の像が写っているのだが、それは描かれたイエス像ではなく、処刑されたイエスのネガ転写なのだと言われてます。

もちろん様々な真贋論争が何世紀にも渡って繰り広げられて来たのですが、科学者が100年に渡る最新の研究を経ても未だに結論の出せない、神秘の聖遺物なのです。

なぜなら、亜麻布に写った身長約180㌢・推定体重77㌔・セム系30代・AB型のこの男には、聖書のストーリーをそっくり物語る、磔刑の痕跡が残っていたからです。

全身を鞭で打たれ、顔を殴られ鼻の軟骨が折れ、茨の冠からは血が滴り落ち、肩には十字架を担いだ擦り傷があり、何度も転んで膝は強度に損傷し、手首足首に大きな釘を打たれ、脇腹には槍で突いた傷跡がしっかり付いている。

つまり、聖書に記された磔刑の一連の拷問の痕跡が、そのままが布に記されているのです。

解剖学的に調べ、聖書の記述との符号を考えると、学者たちもほぼ100%本物と言わざるを得ない、不可思議な奇跡現象です。

聖骸布が本物か偽物か、バチカンは公式な表明を出していません。

しかしこの布を一目見たいという世界中の人々のために、iPhoneアプリまで作成されたと言います。

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聖骸布から復顔したCG像だと、イエスは若く、このようにかなりなイケメンと思われるのです。

S女史の理想のイメージも、多分こんな感じだったんでしょうね。

過酷な受難を引き受けるに相応しい、品格ある聖人の姿です。

こんなに若くて美しい魂を、罪もないのに殺してしまったという西欧人の心のトラウマが、もしかするとその後のキリスト教布教のモチベーションとなって行ったのかも知れませんね。


その後S女史は再婚し、現在はご主人と幸せに暮らしています。

一度だけ新居に遊びに行かせて頂いたのだが、その時出迎えてくれたのは<イエス>というより、明らかに<エビス>に似た、福々しいお顔の50代男性だった。

「理想のタイプって西洋から東洋へと、平気で180度変わるものなんだなぁ」

その時しみじみそう感じた事を、今でもよ〜く覚えています。



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おまけ:
<聖骸布手ぬぐい>っていうのも発見しましたぞ。

こういうセンス、結構好きですね〜


聖骸布手ぬぐい




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by viva1213yumiko | 2013-05-13 01:03 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)