カテゴリ:美容・健康( 14 )

顔より太もも

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その時私の目は、ある広告ポスターに釘付けになってしまった。


それは戦国武者に扮した若い女性のポスター。


暗雲低く立ち込める中、赤銅色の鎧をまとった二人の美女が、ハチマキをキリッと締めて精悍な視線を投げかけている。


それをお洒落かと問われたら、やはりお洒落と言わなければならない。


しかし若い女性に鎧を着せ、一体何を伝えようとしてるのか、いまいちコンセプトが良く分からない。


私の注意を引いたのは写真でなく、ポスターに載っていたキャッチコピーの方。


そこにはこう記されていた。


顔より太もも。


は? フトモモって・・・? 


果たしてこれは何の広告だろう?


文字の読み間違いかと思い目を凝らしたが、やはりそうじゃない。


顔より太もも。 


確かにそう書かれている。



そこはサラリーマンの聖地、新橋SL広場であった。


ビジネス街だというのになぜかジャンパー姿の人がたくさんいる。


新聞を手に熱心にメモを取る人も多く、どことなく異質な雰囲気だ。


「そうか!」と、私は思った。


新橋駅前にケイリンの場外券売り場があったことを、ようやく思い出したのだ。


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2012/7月から開始された「ガールズケイリン」


国際的な判定基準を導入した女子のプロスポーツなのですが、皆さんはそんなのあるって知ってましたか?


それまでの男の競輪の世界に女子のプロリーグが門戸を開いたものだから、競輪場も華やかになり、すっかりラブリーな雰囲気となりました。


鎧武者の姿でポーズを取るのは「ガールズ・ケイリン」のアイドル的存在。


競輪学校を卒業してプロになった、小川美咲選手と高木真備選手。


「顔より太もも」というキャッチコピーの通り、アイドル並みの可愛らしいフェイスと、顔にギャップする逞ましい太ももの持ち主です。


ケイリン選手の良し悪しを見定めるには、太ももの太さも判定の基準になる。


だから選手たちは身長・体重を公表するように、太もものサイズも発表する。


誰が統計を取ったか知らないが、日本人女子の太ももの平均値は45~50センチなのだそうだ。


公表されている数値だと、小川選手54センチ・高木選手63センチとあるので、やはり平均値を上回る立派な太ももだ。


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ガールズケイリンには、AKB並みに<ガールズケイリン総選挙>というのがあるらしい。


人気投票でトップ7選手を選ぶ訳だが、人気だけでなく実力・実績を兼ね備えた者しか選ばれることはないという。


賭け事なだけにファンの目もシビアなのだそうだ。


この世界、可愛いだけじゃダメ。


顔より太ももが重視される、そんな<健脚商売>なのである。


ガールズケイリン・グランプリともなれば、選ばれし<太ももエリート>たちによる、<オールスター・肉弾太ももバトル>が繰り広げられる。


考えてみれば太ももとは、肉体パワーのメイン・エンジン部分。


鍛えあげられた太ももは、必ずや誠実な働きを見せてくれるはずだ。


強靭な太ももは決して人を裏切ることはない。


力のある太ももの持ち主でなければ自然と淘汰され、静かに消えて行くのみ。


ガールズケイリンはく太もも下克上>の世界なのである。


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顔より太もも。


困ったことにポスターを見てから、女性の太ももが気になってしょうがない。


ついつい男目線で眺めてしまい、自分でも恥ずかしくなってしまう。


前の階段を登る女子高生に目が行き、「それにしてもちょっとパツンパツン過ぎるな」なんて思ってしまうのだ。



理由はなぜか分からないけど、太ももって人間の身体の中でも凄く魅力的なパーツですよね。


第一「フトモモ」って語感がいい。


「オッパイ」もイイ語感してるけど、「フトモモ」には匂い立つような、そしてこそばゆい余韻のようなものがある。


太腿、腿も、桃のうち・・・・


こそばゆい余韻とは、そんなイメージがぼんやり脳裏を過ぎるようなことだ。


さらに言えば、女の太ももって縁の下の力持ち的なところがあって、いかにも地道で誠実そうな印象だ。


控えめで恥ずかしがり屋、だけど妙にスベスベしてる太ももは、男たちにはすこぶる評判がよろしい。



そういえば知人の絵描きは「とにかく女の太ももは、ムッチリ肉が付いてなきゃ話しにならない」と、力説していた。


画家が言うことだから、ある種の審美眼からの見解なのだろう。


美学的な視点から言うと、スレンダー美女の「細もも」はチョット残念なようなのだ。


「細ももの女は薄情そうでいけない」と、画家は言う。


「太ももは誠実だ。そして裏切ることがない」とも言っていた。


さらに「ムッチリした太ももでなきゃ、太ももとしての存在価値が証出来ない」とまでのたまう。


当時は「そんなものかなぁ」と思いつつ話を聞いたが、やはり本当の話しだったのかも知れません。


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私がこれまで聞きかじった話しでも、女の太ももで耳掃除をして貰うことを<男の極上の夢>と信じる者は多かった。


耳掃除の時、頬に当たる甘酸っぱい太ももの感触を想うと、やはり太ももはムチムチでなきゃ話しにならないらしいのだ。


ムッチリ太ももは男たちの暴走する白日夢を、確実に下支えしてると思われる。



しかし一方で、ミニスカートから露出している太ももに隙間がなかったらがっかりする、という意見も少なくない。


太もももの間の三角の隙間に、女性らしさや色気を感じるというのである。


う〜む、一体どっちが本当なのだろう?


男たちの脳内エロチカって、ホント女には理解し難いものがあります。



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顔より太もも。


<ガールズケイリン観戦ツアー>を皮切りに、競輪業界ではあの手この手のイベントが催されている。


<ガールズケイリン・コレクション>とか、<ガールズケイリン・フェスティバル>とか、まるでファッション業界のような華やかさだ。


面白いことに<甘党男子とのコラボイベント>なんていうものまである。


逞ましい太ももに躍動する生命力を感じ、草食男子はケイリン女子に魅かれるということだろうか?


もうこうなると、まるでお祭り騒ぎである。



ケイリン選手たる者ならば、太ももの強い筋肉美が何よりの魅力。


日々のたゆまぬ努力が太もも美人を作り上げる。


太ももは、いわば彼女たちのアイデンティティーなのだ。


一口に太もも嗜好と言っても、ガールズケイリンのファンには様々なこだわりがあることだろう。


もっと専門的に細分化し、「大腿四等筋フェチ」とか「ハムストリングフェチ」とか、そういうコアなファン層もきっと存在するはずだ。


ケイリンファンにとって、どの太ももに投票すれば自分の欲望が満たされるのか大いに悩むところだろう。


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理想的な太ももってあるのだろうか?


ロココの時代のはセルライトがたっぷりついた、崩れる直前の肉体が豊かで美しいとされていた。


1960年代のように、ミニスカートの小枝のような足が美しかった時もある。


美の基準というものもは、時代と共に変化して行く。


万人に受け入れられる太ももなんて存在しない。


だから自分の太ももを、自分自身で愛してあげるしかなさそうだ。

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顔より太もも。


結局このコピーには女性に対する応援メッセージが込められているのだと、そんな風に思いたくなってしまった。


顔に比べてしまえば太ももの存在は、ドン臭いぐらい無個性だ。


それでも太ももには、太ももにしか出来ないことがある。


それを見つけて育ててあげること。


それが何より幸福の秘訣になるだろう。


皆んなが皆んな、自分の太ももを愛し受け入れ、自信を持って歩んで行けたら、世界平和に繋がるかも知れないのになぁ〜



ゆるみ気味の自分の太ももを摩りつつ、年の瀬にそんなことを考えていた。


年末だというのに案外ヒマな私である。


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by viva1213yumiko | 2016-12-19 14:36 | 美容・健康 | Comments(0)

センテナリアン

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あなたは何歳ぐらいまで生きたいですか?


現在、日本の平均寿命は男性80.5歳、女性86.8歳.。


男女合わせると83.7歳で、日本は世界で一番の長寿国家なのだそうです。


確かに周りを見渡してみても元気なお年寄りばかりで、明らかに日本は高齢化社会に突入してるんだなぁ〜とつくづく感じます。


80代90代の老人なんて、まだまだチョロいチョロい。


<センテナリアン>と言って100歳以上を生きる人が、今や確実に増えているのです。


世界には推定50万人以上もの<センテナリアン>がいると言われますが、その数は年々急上昇しているらしい。


日本はアメリカに次いで2番目に<センテナリアン>が多く、調査が始まった1963年当時は153名だけだったのに、1998年には1万人、2003年には2万人、2012年には5万人以上と、<センテナリアン>は短期間で倍増しているのです。


この勢いだと21世紀中に、100歳以上のお年寄りが100万人とか200万人とか、膨大な数に達してしまう見込みです。



それって凄いことですよね〜


そのような超高齢化社会になると、人々の人生観や家族観も今とは全く違って来るのは確実です。


仕事にしても結婚にしても寿命100歳に合わせて、何というか意識の心構えみたいなものが必要となります。


離婚・結婚を繰り返すような婚姻関係が当たり前になると、夫婦や家族のあり方そのものが、新しい形態を取らざるを得ません。


一人の相手と生涯結婚を維持したカップルなんて、国民栄誉賞が与えられるぐらいの名誉となるんじゃないでしょうか?


マスコミが押しかけ、国から報奨金が出るくらいの、スゴい偉業です。


またお年寄りのイメージそのものも、全く違ったものに変わってしまうことでしょう。


今どきはファストフード店にもシニア世代のクルーが増えてますよね。


マニュアルにはない温かみのある対応で「むしろ癒される」と若い人たちにも好評なのだそうです。


新しいお年寄りが台頭して来れば、どんどん新しいニーズも生まれるだろうし、今後20~30年で高齢者をめぐる世の中の常識も激変するに違いありません。


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それにしても100歳になった<センテナリアン>の自分を想像してみても、なかなかイメージが浮かばないんですよね。(当たり前だが)


う~ん、困ったなぁ~


あっ、そうそう、そうだった!


100歳になった時の自分のイメージは、スター・ウォーズのヨーダ。


それががイイ!


フォースの使い方を若者に教えられるような、そんな<センテナリアン>を目指したいです。



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ところで学問的に見ると、人間は100歳よりもっと長生き出来るはずだそうですよ。


生理学の説によると、すべての動物は成熟期の5倍の生存力を持っているそうで、人間の成熟期を25歳とすれば、理屈ではその5倍の125歳まで生きられるはずなのです。


ギネスの公式長寿記録には、110歳代の現役長寿者の名前がたくさん並んでいます。


世界最高の長寿記録はフランス人のジャンヌ・カルマンさん。


その寿命は122歳164日だったそうで、泉重千代さんもビックリです。


多くの研究者たちの意見では、どうやら「人間の限界寿命は120歳前後である」という説が有力みたいです。



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早稲田大学を創立した大隈重信は、人生50年と言われた明治時代に<125歳天寿説>を唱えていました。


周囲には大ボラ吹きと思われてたようですが・・・


「人間は本来125歳までの寿命を有している。適当な摂生を持ってすれば、この天寿を全うできる。」


とし、生理学の理論に加え「精神の力が体力に克つこと」という精神論を持論としました。


「何事も楽観的にみること。怒るな、貪るな、愚痴をこぼすな。そして世の中のために働け。」


と、口癖のように言っていたそうです。


昔の大人物って、みな最終的に精神論に行き着きますねぇ〜


スピリチュアリティーが寿命論にもあらわれて来るところが面白いですね。


大隈先生は毎朝5時起床、9時就寝という規則正しい生活を送り、自らの精神論を実践していたが、結局83歳でお亡くなりになった。


しかし「人間は死ぬまで活動しなければならない」っていう彼の主張には大いに賛同したいです。


「人間は老年になるに従って、いっそう急進的になり積極的になり、不動明王のごとき火を背負うようにならねばならないのであ~る。」


と、過激にもそう演説してたんだそうですよ。



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タバコを吸い続けると寿命は6年縮むらしい。

肥満は寿命を6年縮め、睡眠不足の生活は4年縮めるという。


独身の場合、男性は8年、女性は4年縮めるそうです。


寿命って大切にしないと、手のひらからどんどんこぼれおちてしまうんですね~


人生ってやっぱり夢のようなものかも知れません。



楽しく健康に生きられれば、なるべく長生きしたいというのが人間の本望です。


生きがいを持って楽に生きれるなら、確かにできる限り長生きしたいですよね。


しかし、この「楽に楽しく」っていうのがポイントとなりますね。


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何かで読んだのですが、人が人生を楽に生きて行くためには3つの<さ>が必要なのだそうです。


「3つの差」ではなく、あくまでも3つの<さ>なのですが、さあ、一体何でしょう?



それはこの3つのことなんです。



    優し<さ>・謙虚<さ>・冷静<さ>




「思いやりの心を忘れずに、驕り高ぶることなく、常に淡々と生きる。」


そんな風な毎日を過ごせれば、きっと健康・長寿は間違いありません。


長生きしたい欲はあるけど、それに執着することもなく、このいのちすべてをお任せしちゃうような気持ちで生きれば、それで万事良いのかな?って気がします。


「淡々と生きる」って、きっとそういうことなんだろうと思うのです。



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おまけ:

ジュダイ・マスターは900歳まで生き、自らの意思で肉体を消滅させたという。


いつかはきっとそういう風に死んで行きたいと思いつつ、相変わらず今生をジタバタと生きてる私であります。



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by viva1213yumiko | 2016-09-16 12:42 | 美容・健康 | Comments(0)

扁平足という名の病い

初めて扁平足を意識したのは小学校の水泳教室の時だっただろうか?


それ以来、扁平足という名の病いと長いお付き合いをしています。

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夏休みのプール開放日。


プールサイドの焼けたコンクリに足型をつけ、みんなで遊んでいた時のこと。


私の足型だけが若干違うと気づいた子が、それを目ざとく指摘した。


「なんかYumiちゃんの足、変なカタチ~」


そう言われ良く見ると、あらま、確かに他の子と違って足型の窪みがないっ!


ドナルドダックの足跡みたいで、キュッとしたくびれ部分が見当たらないのだ。


「足へ~ん!カタチへ~ん!変、変、へ~ん!」


子供ってのは残酷なものですね。


そっか、私の足って「変、変、へ~ん」なのか・・・


その日から、私は扁平足の十字架を背負うこととなったのです。


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そもそも人は皆、誰もが扁平足として生まれ落ちるのです。


赤ちゃんには土踏まずは存在しません。


土踏まずの足裏アーチは、8~9才頃からの成長過程で形成される器官なのです。


考えてもみてください。


自然界では人間だけですよ。


たった2枚の足の裏だけで体重を支えて立ってる動物は・・・


何十キロもの体重を、たかが20~30センチの足裏で全て受け止める。


しかも一番上に重い頭が乗っかってるんのだから、それはそれはアンバランスな状態です。


土踏まずの空洞はそのバランスを補うために考案されました。


機能的なデザインを重視した<二足歩行用高感度センサー>


土踏まずのあの絶妙な窪みは、自然界における<グッドデザイン賞>なのです。


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さて、「変、変、へ〜ん!」な私の足型も、その後の成長で人並みの足裏アーチが作られ、扁平トラウマとはすっかりお別れ出来たと思ってたんです。


ところが2~3年前からだろうか、またあの十字架が立ちふさがって来たのだ。


立ち仕事やヒールや合わない靴。


加えて加齢や運動不足・・・


積もり積もってアーチがしぼんで、圧力調整の効かない東京ドームみたいになっちゃったんです。


こういうの、専門的には<静力学的扁平>って言うんだそうですが・・・


つまり長年の時を経て、扁平足が甦って来たってことなんです。



つまずきやすくなった。


ジャンプが出来ない。


つま先立ちも出来ない。


出来てもバランスが取れずグラグラする。


足が疲れやすい。ムクミやすい。


衝撃吸収できないので、足裏がすぐにジンジン痛み出す。


<隠れ扁平>の典型的な症状のようです。


ま、要するに筋肉や腱や靭帯が弱くなった分、複雑な足の骨格を支えきれなくなってる訳なんだけど、これらの扁平症状に対する対処療法というのが何となく可笑しいんです。



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まずは靴。


合わない靴とはすぐにさよならしましょう。


テーピングやサポーターなどで矯正するか、あるいは扁平用インソールを使用すべし。


家の中では裸足生活。


極力足を解放して自由に解放してやることが大切です。


そして迷わず足のエクササイズを日課とすべし。


昔の日本人は普通に生活するだけで足裏が鍛えられていました。


しかし現代生活では、その分を意識的なエクササイズでカバーしなければなりません。


<足指ジャンケン>や<足指綱引き><ビー玉つかみ>や<タオル寄せ>を基本のエクササイズとし、足底筋のトレーニングに励まなければならないのです。

 

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扁平足って昔はなかったらしいですよ。


昔の人は裸足に下駄や雪駄でよく歩いたので、自ずと足底筋が鍛えられていた。


足の裏は大地と接する大切な部分です。


昔の人は大地にしっかり足をつけ、今よりよっぽどグラウンディングして生きていたのでしょうね。




ところでお釈迦様の身体の<三十二相八十種好>って知ってますか?


徳の高い人間にあらわれる目に見える特徴を網羅したものなんですが、この三十二の相のひとつに笑っちゃうけど<足下安平立相>というのがあるんです。



<足下安平立相>(そくげあんぴょうりゅうそう)


  足の裏が平らで、地を歩く時足裏と密着して、その間に髪の毛ほどの隙もない


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ほらね、お釈迦様って重症のヘンペーです。


大地に完全に密着してて、髪の毛の入る隙間もないくらいグラウンディングしてる。


扁平はミホトケの分け隔てない慈悲心を意味するんだそうですよ。


なんかそれを知り、ちょっと鼻高々な私です。




[老化は足元から忍び寄る] と、言われています。


グー・チョキ・パッ! それ、グー・チョキ・パッ!


仏の慈悲に委ねつつ、日々足指ジャンケンに励む私なのであります。


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by viva1213yumiko | 2016-08-28 19:08 | 美容・健康 | Comments(0)

接して漏らさぬ健康法

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【四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気をば漏らすべからず】
                          養生訓・第四巻65


江戸時代のベストセラー本、貝原益軒の<養生訓>には、ズバリ「40才以上の人はSEXしても射精するべきではない」と記されています。


性生活には正しい方法論というものがあって、それを守れば情欲も満足させることが出来て、なおかつ精気も保て一挙両得なんですよ。

その結果、健康で長生き出来て、クオリティオブライフが楽しめますよ。

と、健康で長生きするためのSEXハウツーを教えています。


「接して漏らさず」というありがたい?教えは、もっともっと古〜い時代からの養生法のスタンダードみたいです。

当時から既に、中国経由で東洋医学の文献は輸入されていたのですが、984年、それらを総まとめにした<医心方>という医学大全集が朝廷へと献上されました。

その国宝級の医学書の中に、房内(寝室)での養生法が記されているという。

性生活に関する養生法のことを<房中術>と呼んで、様々な役に立つ教えがしっかりと紹介され、ちゃんと伝授されているのだそうです。


だから、この「接してもらさぬ健康法」は、奈良時代から伝わる健康法の古典と言えるでしょう。

朝廷の貴族から始まって、広く庶民層へと浸透した「接して漏らさず」の概念。

「接して漏らさず」はニッポンの常識だったんです。

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だというのに、この「接して漏らさず」という言い回しを、私は「武士は食わねど高楊枝」みたいなものと思っていた。

我慢強くストイックに性をコントロールすることを言うのだと思っていました。

同じように感じてた人は案外多いんじゃないのかな?

健康法が氾濫する現代。

何が正しいのか疑問視されるようなものも多いですよね。

けれど「接して漏らさず」は、歴史を生き抜いて来た本物の健康法ですぞ。

数多の先人たちが身体を張り、必死で研究を重ね、きっと涙ながらに編み出された理論なのでしょうね。

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それにしても<精気を保つ>とはどういうことを意味するのでしょう?

仙道(中国の仙人の行う術)の房中術でもこのように教えています。

 ・精気を漏らすことは気の消耗になる。

 ・漏らさなければ身体全体の精気が保たれる。

 ・特に老年になって精気を漏らすことは、大いに害になる。


東洋医学で言うところの<精>とは、精子や精液のことを指しているのではありません。

<精>とは全身を巡る気・血・体液の大元のエネルギーのことを意味します。

この<精>というもの・・・

我々の生命の根源でもあり、もちろん精子にもこの目に見えない<精>が宿っています。

射精するという行為は、単に物理的な体液の損失なだけでなく、<精>のエネルギーの損失となる。

だから射精すればするほど、その行いは生命を削り取って放出するようなもの。

それ故に控えた方が良いとされるのです。

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しかしそれとは逆に、男女の性行為は陰陽の調和であり、より積極的に気の交流・交換が促される<場>であるとも教えてます。

たくさんの気が巡る性行為は、陰陽双方の健康につながるのです。

陰陽の法則によれば、男性は陽気、女性は陰気ということになります。

男性は女性の陰を必要とし、女性は男性の陽を必要とする。

だから男女が交わらないと陰陽バランスが崩れ、病気になりやすいそうですよ。


健康のため最も効果的なのは、射精によって放出される精気をあえて放出せず、背中の管を上昇させ脳までエネルギーを引き上げる、相当プロフェッショナルなやり方。

性エネルギーが体内を循環し、全身を若返らせ健康を保つのです。

あなたが仙人を目指すなら、このような<精>を完全に漏らさない生活が良いでしょう。

漏らさず貯めたエネルギーで超人的な能力を発揮できるはずです。

しかし普通の人の場合それは不可能に近い。

なので性行為の長所と短所との妥協策として、「接して漏らさず案」が浮上したと考えられます。

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理想的な交接回数とは一体どのぐらいなのでしょう?

書物によって諸説あるようですが、益軒流の年齢別交接回数はこうだそうです。

   20代 4日に1回

   30代 8日に1回

   40代 16日に1回

   50代 20日に1回

   60代 1ヶ月に1回(ただし体力がある場合)


交接は季節によっても健康に影響を与えるそうで、「冬の1回は春の100回に当たる」とし、寒い時期の射精は控えることを勧めています。

その他、体位とか性行為の方法で病を癒す方法とか、相手から一方的に<精>を吸収して健康になる方法(呪法?)とかもあるようで、奥が深すぎて一筋縄では行かないみたいですよ。

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【四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気ををば漏らすべからず】

「ストイックになれ」という意味で益軒はこう言ったんじゃないんです。

むしろ健康のために交接を奨励していた節がある。

「接して漏らさず」なら「情欲を無理に制することなく精気を保ことが出来る」と益軒は奨めている訳なんですね。

しかし、闇雲にイタせば良いってものじゃなく「SEXをクオリティ・オブ・ライフのために活用しなさい」と言っているのです。


我々が学校で習う性教育とは随分と違うものですよねぇ〜

<養生>という観点からSEXを考え、そして人としての幸せに導く指導です。

<まぐわい>という人間の根源的行為を、むしろ芸術のレベルにまで高めて、人生の中で昇華させるべし、と教えてるように聞こえますよね。

貝原益軒という人自体20歳以上も年の違う若い女性と結婚して、その当時の80歳台まで長生きしたらしい。

だからその言葉にはかなりの信憑性がありそうです。


たかがSEX、されどもSEX。

先人の秘法をありがたく受け止め、皆んなで<養生>したいものです。

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by viva1213yumiko | 2016-03-27 18:59 | 美容・健康 | Comments(0)

元気の収支決算表

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明治大学の齋藤孝教授の著書の中に、健康で長生きしたければ<元気の収支決算表>を作りなさいという一文を見つけました。

元気を養うことと損なうこと。

どちらが多いか少ないか。

それをチェックすることが長寿に効果的だと仰有っています。

毎日のお金の出入りを家計簿につける人はいても、元気の収支をつける人なんてそうそうはいないですよね。

騙されたと思ってそれをしてみてご覧なさい。

必ずや長く元気で暮らすことが出来るから・・・

と、先生は<元気の収支決算表>の効果を強調しておりました。

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このアイデア、元々は江戸時代の貝原益軒の<養生訓>に書かれていたものなのだそうです。

齋藤教授は健康オタクが高じて、自らの身体を実験台に<養生訓>の実践をしている。

だから、プラスマイナスの収支表をすぐさま作成したのだそうだ。

ノートにプラス面とマイナス面、両方の項目を作り、プラスの欄には「〇〇さんと逢った」「上司に褒められた」「〇〇を食べた」と、楽しかったことや感激したこと、新たに発見したことを書き込む。

そしてマイナスの欄には「寝坊した」「嫌みを言われた」「駅の階段でコケた」等と、凹んだこと憂鬱なことを書き込んで行く。

そしてそれぞれの項目に点数をつけるのです。

このような感じにです。



<元気を養うプラスポイント>

久しぶりに逢った同僚と話しが弾む。50点

庭の水仙が咲いた。40点

業績アップの件を上司に褒められた。120点

     計 210点


<元気を損なうマイナスポイント>

終日デスクワーク。ー40点。

残業。夜はデスクでサンドウィッチ。ー50点。

深夜に泥酔。調子に乗って仲間を批判。ー200点。

     計 ー290点



  【本日の合計 ー80点】 ☆赤字につき注意!



ゲームをする要領で、ボーナスポイント獲得のチャンス等も設定してみると楽しいでしょう。

例えば大好物を食べた時にはポイント10倍!という風にね。

著者は鴨南蛮が好物のようで、鴨南蛮を食べた日はポイント1000倍ゲットしてました。(割と単純な好人物に思えます)

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何をしたらどのくらいの点数になるのか、意識化するための点数なので、自分の心と相談しながらポイントを設定しましょう。

絶対的な数字ではないので、定期的にポイントの見直しをしても良いのです。

自分にとっての良いことと悪いことを、一日の収支や一週間の全体的な収支で考え、最終的に嫌なことより良いことが上回る様に持って行く。

そうすると毎日が楽になると、教授は言っています。



<養生訓>の書かれた江戸時代は医療が進んでいなかったので、ちょっと風邪をこじらせたぐらいで亡くなってしまうようなことも頻繁に起こりました。

無茶ばかりしてるとあっけなく命を失うこともあるので、プラス要素とマイナス要素を見比べ用心しなさい、という意味がそこには込められていたのでしょう。

しかし現代の<元気の収支決算表>は、無茶を戒めるというよりも。むしろストレスの原因を突き止めることが中心ですね。

<養生訓>が発祥となった<元気の収支決算表>は、ストレス管理の指標として現代生活に役立ちそうです。

手軽に出来る<ストレスマネジメント>ってとこですね。


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誰かに嫌なことを言われたら、人は落ち込みます。

それは白いシャツにシミがつき、急に憂鬱になってしまうような感じですよね。

誰かに嫌なことを言われたなら、その人の存在のすべてが嫌になってしまう。

憎っくき白シャツに変わってしまうのです。

しかし本当はその人の全体が憎いという訳じゃなく、シミのついた何%の部分が嫌なだけなんじゃないだろうか?

その人を評価すべき、白い部分はまだ多く存在するのではなかろうか?


<収支決算表>をつけ始めると、そのような捉え方が出来るようになり、日々移り変わる自分の感情を客観的な気持ちで見つめ直せます。

自分の心が重苦しいのは、「この言葉が引っ掛かかっているんだ」「こういうことを不安に思ってるんだ」「この感情が癒されてないんだ」と、だんだん分かって来るのです。

自分の心をマッピングする様なものですね。

浮かび上がって来る感情を、項目に添って分類し、点数をつけて決算する。

プラスマイナスの収支点数で、自分の現在の心が黒字なのか赤字なのか、明確に判断出来ますよね。

収支表を作り可視化することで<心の棚卸し>が出来るのです。

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日本人は何でもキッチリやらなければ気が済まないようなところがあるので、収支決算表を作ってデータ化する行為が逆にストレスにならないようにしたいものです。

「年度末だから黒字分を消化しちゃおう」なんていうのも無しにして下さいね。

完全無欠を求めず、ほどほどのユルさを良しとする。

すべてを完璧にやろうとすると、負担になって楽しめません。

何事にも丁度バランスの取れた、<いい加減>さが必要なのです。

それを見極め、それに満足すること。

一番の養生法とは、そんなテキトーさ加減が大事なんですね。

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by viva1213yumiko | 2016-03-10 15:31 | 美容・健康 | Comments(0)

花とヒロインと周波数

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物語のヒロインはよく花のイメージに例えられます。

例えば赤いバラ。

それは自由奔放な<カルメン>のイメージです。

赤いバラの花言葉は「情熱」ですが、<カルメン>にはその言葉通り、誘惑と血の匂いがしますよね。

そして白いユリ。

<聖母マリア>の純潔の象徴は、汚れなき慈愛と母なるものの受容性をあらわします。

椿の花など、その名もズバリ<椿姫>

華やかな社交界を捨てて誠の愛に順じた、高級娼婦の儚い命の象徴です。

映画<ひまわり>では大地のような存在感のソフィア・ローレンのイメージ。

<昼顔>ではカトリーヌ・ドヌーヴの上品なエロスが象徴されてます。

<ギリシャ神話>にも花のイメージから生まれたエピソードが多いですね。

アドニス・クロッカス・ヒュアキントス・ナルキッソス・ダプニス・アイリス・アマリリス・・・

登場人物(ヒロインというより美青年が多い)が花に化身する話しばかりです。

日本文学にも<野菊の墓>とか<虞美人草>とかありますし、<源氏物語>に至っては夕顔・末摘花・葵・玉鬘・若紫と、植物系ヒロインのオンパレードです。

なるほど〜、このように見つめ直すと女性の個性って花の姿に上手く表現されちゃうもんですねぇ。


ヒロインたちの性格はそれぞれ千差万別です。

なのになぜか皆、イメージピッタリの花がちゃんと存在しています。

しかも皆ドンピシャリとお似合いの花ばかり・・・

考えてみれば不思議な話しですよね。

それはなぜでしょう?

花と女性、その両者には何か共通する接点でもあるのでしょうか?

花の個性とヒロインの個性の間には、見えない因果関係があるのでしょうか?


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太古の昔から「花や植物には不思議な力がある」「花が身近にあると人の心を癒す」と信じられて来ました。

有史以来、人類は延々と見近な花で花セラピーをして来たのです。

花言葉や花占いからも直感出来るように、心の傷を取り除いたり、心のバランスを計ったり、花には我々の心を癒す働きがあるのです。

しかし花のセラピー効果はそれだけじゃありません。

心の中の<否定的な考え方や習慣を解放>したり、<自己探求や精神的な成長を促す>働きもするらしいんですね。

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花や植物にはその姿・形・生育環境・性質など、その種ごとにはっきりとした個性があります。

しかもそれぞれの種特有のバイブレーション(エネルギーパターン)を発散していて、その植物ならではの固有の振動数を放ってるそうです。


実はこの世に存在する物質というのは、すべて振動しています。

もちろん我々ひとりひとりの人間にもそれぞれの振動数がある。

だからまるでギターの弦が共振するように、花のエネルギーは我々の命のエネルギーフィールドを震わせることが出来るんだそうですよ。

<共振の原理>が人間の思考や感情に影響を与えるのです。


<植物療法>は自然の力を借りて、人に本来備わる<自然治癒力>を高める療法ですが、植物の振動数と我々の振動数とが共鳴する時に調和が生まれ、その時<自然治癒力>は目覚めると考えられています。

植物には<自然治癒力>を刺激し、我々の戦う力を呼び覚ます大いなる知恵があるんですね。

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私たちが思うより、花ってず〜っと精妙な性質を持ってるみたいです。

そこには人間の魂の発達のための元型があるのです。

花々は<人生の運命的なパターンの問題>とか、<自己完結のための課題>だとか、<魂の発展を妨げている何らかの病理のヒント>とかを、どうやらご存知らしいのです。

植物のエネルギーは魂の成長のため、これらを統合する働きがある。

植物の生命力が我々の魂を育ててくれるのです。


花の世界って本当に不思議です。

姿かたちや生育環境・色や香りなど、花の世界のスピリッツをもっと学びたくなります。

花のスピリッツと親しくすることは、ある種のスピリチュアル・サイエンスと言えるかも知れませんね。

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[立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・]

あなたが好きな花は何ですか?

なぜその花が好きなのか、考えたことありますか?



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by viva1213yumiko | 2016-02-14 19:09 | 美容・健康 | Comments(0)

ギックリの教え

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今年の春はお花見のタイミングも逃してしまったし、今にして思うと、やっぱりどこか調子がおかしかったのです。

真冬のコートを出さなきゃならないくらい、冷たい雨が降り続く、そんなある日の事。

冷えた身体を暖めようとバスタブに湯をはり、洗面台の下のシャンプーを取ろうと腰をかがめたその時です。

かすかに「ミリッ」と嫌な音がしたのです。

「ヤバッ! これってギックリ?」


<腰>とは、月偏に要(かなめ)と書きます。

立つ、寝る、座る、歩く・・・

どんな動作をするにも、身体の中心で要となって働く重要な場所、それが腰なんですね。

その時、左腰に鈍い電流のような衝撃を受け、立つ事もしゃがみ込む事もままならなくなり、私は洗面台に肘をつき、なす術もなく固まりました。

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「身体とは聖なる神殿。 大切にしないと神は降りて来てはくれない。」

かねてからその言葉を信じていたので、肉体のケア、健康へのケアは結構気を使ってるつもりでした。

少なくともここ3~4年は、病気知らず、怪我知らずで元気に過ごしていたはずなのに・・・

ギックリ腰は突然けたたましいサイレンを鳴り響かせ、私のところへ舞い降りて来たのです。

災難は忘れた頃にやって来る。

これはまさに緊急の非常事態であります。



この肉体を使い続け、早50年を過ぎてしまいました。

どんなに性能の良い機械だって、ガタが来て当たり前の年月です。

「これからは肉体の劣化・老化と、嫌がうえでも付き合って行かなきゃならないんだなぁ〜」

そんな現実を改めて思い知らさられて、ちょっと凹みます。
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人間の不幸のひとつにこんなものがあります。

心は一向に変わらないのに、その心を包む外形・肉体は確実に老化して行くっていう不幸です。

つまり年齢を重ねるにつれ、魂とその入れ物との間にミスマッチが起こる訳ですね。

人生のある地点から、肉体と魂との勢力分布の不均衡が始まって来るのです。

人はこの矛盾にどう対処すべきか?

中年期に達したオジサン・オバサンたちは、この立ちはだかる矛盾点から、新たなターニングポイントが始まる訳なのです。


この痛みやすい肉体を長持ちさせるために、我々は絶えず修理をし続けなければなりません。

頭痛・歯痛・風邪・腹痛・・・

考えてみれば、人の一生は痛みのオンパレードです。

肉体とは、なんと手間のかかる厄介者なのでしょうか。

インドの山奥で修行するマスター達ならきっとこう言うでしょう。

「意識を肉体から引き離して、肉体への執着から解放するのだ!」

しかし凡夫である我々は、この肉体の調子が狂い修理が必要になった時には、一体どのように対処すれば効果的なのでしょう?

骨盤ベルトと湿布剤とで、そんな事を悶々と考えていた私は、偶然にもある著書を紹介した記事に遭遇してしまいました。

それは日本初のヨガ行者と言われる、中村天風氏の「運命を拓く」という本の紹介記事でした。
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この現象界に存在する一切の事物の根底は、科学的にのみ見れば、物質的なものであるが、哲学的に観察すれば、どこまでいっても非物質的な、精神的なものである。

すなわち、眼にも見えないし、観念で想定しなければ想定できない”宇宙霊”という一つの気が、全宇宙を支配し、それが宇宙の本質になっている、ということである。とすれば、運命も、健康も、自分の心の思い方、考え方で、良くも悪くもなるのだということがすぐわかるはずである。(抜粋)



「運命も、健康も、自分の心の思い方、考え方で、良くも悪くもなるの・・・」

人間は自分の考え方次第で、宇宙はそれに呼応した状態をもたらす、というのがこの本の主張です。

だから運命を拓くためには、


   積極的な考え方をすること

   口から出る言葉を大切にすること

   何にでも感謝をすること

   笑うこと

   利他の心を養うこと


これらを習慣づける事が何よりも大切なんだそうです。

つまり失恋しようが、借金しようが、病気になろうが、どんなに嫌な事があってもその事に感謝して積極的に考える。

しかも「無理やりじゃなく、本心からそう考える事が、その人に明るい肯定的な現実を創り出す作用がある」という概念なのです。


口から出す言葉には言霊があります。

口から出て来る言葉を積極的・肯定的にすれば、色々と良くなるのです。

だからどんなに苦しい時でも、自分が今、この状況をどう考えてどう解釈し、どう口に出しているかに気付いていなければなりません。

しかし本当に具合が悪い時、無理して「具合が良い」と言えば治るかというと、これは明らかに嘘があるので却って治りません。

なので具合の悪い時は、具合の悪いままの状態を「出来るだけ気にしない」という微妙な心理状態をキープするのが良いようです。

つまり「気になる事から気をそらす」「気になる事を考えない」のが最も望ましいのです。
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なぁるほど~!

腰のトラブルで意気消沈していた私には目からウロコ、自分が丁度必要としていたありがたい<お導き>です。

寝返りうつたびに「イタタ、イタタ・・・」と、ブツブツ愚痴っていたのをきっぱりと止め、「気になる痛みから気をそらす」「気になる腰を考えない」に切り替えてみました。

そして「ギックリ腰よ、ありがとう!」という気持ちに、かなり強引に持ってっちゃったのです。


すると自分の日常の仕草やポーズ・姿勢など、腰に悪い癖の数々が思い出されて来たのです。

それは腰を痛めたからこそ初めて気付いた、思い当たる節のある、明らかな腰痛原因でした。

足に負担をかけてた靴や、バランスを崩す鞄の持ち方、足の組み方にも心当たりがあります。

知らぬ間に身体に負担をかけてる生活習慣もありました。

もう少し運動して身体を動かす事を、私のこの肉体が望んでいる事も分かりました。

ギックリ腰が、私に色んな事を教え始めてくれたのです。


反省すべきは反省し、改善すべきは改善する。

腰のトラブルからも確実に、前へ前へと一歩ずつ進んで行けるはずです。

そんな風に考えを改めたせいなのか、私のギックリはみるみるうちに骨盤ベルトの支えを必要としなくなって行ったのでした。
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「この世は本質的に調和した美しい世界であり、宇宙という存在は否定的な部分を持たない」

と、中村天風氏は言ってます。

私も今回のこのギックリ体験から、人間の肉体は、本来調和のとれた神殿のように、やはり完璧に作られているんだって事を教えて貰ったような気がします。


何にでも感謝をして、積極的な考え方をしよう!

ギックリ腰よ、ありがとう!




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by viva1213yumiko | 2015-04-28 12:37 | 美容・健康 | Comments(0)

華麗なる加齢臭

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蒸し暑い日本の夏。

デオドラント対策市場が活況です。

特に男性ボディケア市場は好調のようで、この5年で1.5倍に売り上げを拡大したといいます。(日本経済新聞より)

そう言えば山手線でも、伊藤英明さんが消臭ソープでゴシゴシした後に「臭わな〜い」とうっとり囁く映像を良く目にします。

満員電車の中で見事な肉体美CMを見れば、ひとつ買ってみようかという気持ちになってしまうかも知れません。


なんでもマンダム社は昨年11月、30代~40代の働き盛りの男性から汗臭・加齢臭に続く第3の体臭を発見したそうで、それを<ミドル脂臭>と命名したんだそうです。

<ミドル脂臭>・・・

それはミドル男性の頭部周辺のエクリン汗腺から出る汗が、細菌で分解される<古いアブラのようなニオイ>だそうで、ジアセチルという成分から生成されるのだそうです。

20代の男性に比べ不快な強い脂臭を発しているようで、酢の120倍にもなる強い臭気と判明したそうです。(驚)

このような臭いの研究機関では<臭気判定仕>という国家資格の研究員たちが、被験者である10代~60代の男性の脇や頭など部位別のニオイを直接鼻で嗅いで測定し、「スパイスのようなワキ臭」「納豆のような足臭」などとプロファイルして行くのだそうです。(超驚!)

う〜む・・・これは限りなくタフな専門職と言るんじゃないでしょうか。
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最近では<匂いや香りの迷惑>を意味する、スメルハラスメント(スメハラ)という言葉が認知されるようになりました。

正しい知識やエチケット行動を心得えていれば、仕事や人間関係が良好になるからと、<スメルマネジメント活動>も啓蒙されてるらしいです。

世の中において体臭問題は、今やソーシャルな問題へと発展しているみたいなのです。


加齢臭市場で戦陣を切ったのは資生堂でした。

2000年12月に「中高年特有の体臭の原因物質はノネナール(C9H16O)である」と発表したからです。

<青臭さ>と<アブラ臭さ>を合わせ持つノネナールは、加齢で皮脂中に脂肪酸が増えることで形成される。(Wikipediaより)

男性は主に40才以降、女性は閉経後に増加傾向にあり、例えるならロウソクのような、チーズのような、古本のようなニオイだと表現されています。

キャンドルもチーズも古本も、どれも私の好むものですが、それらがオヤジ臭かどうかはイマイチ判別出来ません。


古来<オヤジ臭い>という表現は、あくまでもオヤジさんみたいな言動を意味するもので一定のニオイを指していた訳ではなかったはずです。

けれど2000年にその原因がノネナールだと判り、特有のニオイ物質が存在していたと科学的に証明されてしまいました。

<オヤジ臭さ>=<ノネナール>という方程式が成り立ってしまったのです。

古今東西オヤジは存在し続けているのだから、当然昔の人にも加齢臭はあったでしょう。

けれど当時は特別視などされてなかったはずです。

<オヤジ臭さ>は21世紀を境に急速に解明され、彗星のごとくスポットライトを浴びてしまったという訳なのです。

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体の臭いが厄介なのは、他人の体臭は感じやすくて不快な<被害者>になるにも関わらず、自分の臭いは感じづらく、周りに不快を与える<加害者>にもなることです。

現代の日本では無臭であることがエチケットとして当然になってしまいました。

<オヤジ臭>のことはメディアでも盛んに取り上げられるし、女性たちの目も厳しくなって来ている。

だからおじさんたち自身も「そんなこと気にしないぜ」と開き直れなくなってしまいました。

下手すると、気にするあまりそれがストレスになり、余計に活性酸素を増やしてノネナールを作ってしまうという悪循環に陥ってしまうのではないでしょうか?

何だかお気の毒な感じもします。

しかし、ニオイというものは大脳皮質の記憶と結びついてるので、多くの人が悪臭と感じる臭いでも、その人にとって良い記憶に結びついていたなら、それはその人に心地良い匂いとなります。

お爺ちゃん・お婆ちゃんに可愛がられて育った人など、むしろ加齢臭が<郷愁を誘う匂い>にもなり得るのだから不思議ですよね。

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一説によると、ストレスを溜め込んで<オヤジ的生活><オヤジ的発想>を続けてると、女子といえどもおじさんと同じレベルの加齢臭・疲労臭・メタボ臭を発し、文字通り<オヤジ臭く>なるらしいですよ。

社会進出が目覚ましい女性たち。

生活習慣が乱れると体臭までオヤジ化してしまう恐れがあるので、くれぐれも気をつけましょう。

おしぼりで顔を拭く、オヤジギャグを連発して周囲を凍らる・・・

そんなことしてると必ず「そこはかとないオッサンのニオイ」が漂って来ちゃいますよ。

態度そのもの、考え方そのもののオヤジ化を根絶させるのが、まず始めに取りかかるべきことかも知れませんね。




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by viva1213yumiko | 2014-07-06 13:15 | 美容・健康 | Comments(2)

エネルギー・ヒーリング

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小さな子供がうっかり転んで、膝を真っ赤に擦りむいて、泣きべそかいてしまったら・・・

必ずやお母さんはこう言うはずです。

「痛いの痛いの、飛んで行け~!」


この言葉、まるで呪文のようです。

なぜだか分からないまま、不思議と子供は泣き止んでしまい、その場にすっくと立ち上がり、また安心して走り始めます。

「子供騙しって奴は結構効くなぁ」 「子供は単純でいいなぁ」

なんて、そんな風に思ってはいけません。

理性を獲得したはずの大人のあなたが、その分だけ純粋性を失くしてるっていう、それは他ならぬ証拠になりはしませんか?

子供ってとっても純粋なんです。

この<痛いの痛いの、飛んでけ現象>とは、母と子の安定した愛情関係の上に成り立つ、驚異の<癒しの技>と言えます。

子供の母親に対する<絶対的な愛><絶対的な信頼>が、子供の持つ自然治癒力を引き出したと考えて良いでしょう。

瞬間的に子供の治癒の力が爆発する、身近な奇跡現象とは言えないですか?

イエス・キリストもこう言ってます。

「よく聞きなさい。心を入れ替えて、幼な子のようにならなければ、天国に入ることは出来ないであろう。」

幼な子の素直な心には母の愛は癒しの力そのものです。

子供にとって母親とは、紛れもない真実のヒーラーなんですね。
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<エネルギーヒーリング>

それは遥か昔から行われて来た療法です。

<痛いの痛いの、飛んでけ療法>以外にも、患者のエネルギーを変容させるため様々な治療法が存在しています。

伝統的な部族社会では長年シャーマンたちがその役割を担って来ました。

中世の頃は魔女などと呼ばれた人々がその職能の多くを担当しました。

日本では加持祈祷する呪術師やお坊さん・行者さんですかね?

その後の歴史では、教会や政治の支配層がこの手の能力者を迫害したので、彼らはだんだん地下へともぐって行くようになりました。

近代以降は<医学>が癒しを担当するようになったので、どこか具合が悪くなれば、人は迷う事なく病院へと行きます。

病院では傷病名や症例によって、何科で診療するべきかが決定されるので、場合によってはどこの科に行っても原因不明と診断されてしまう、そういうケースが現われ始めました。

どの医者からも匙を投げられた重病患者が、ある気功師との出会いをきっかけに完全に治癒してしまった。

そんな話しが存在するのも、太古の智慧を受け継いだ伝統的シャーマニズムが、今もなお息づいている証拠なのでしょう。

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実際のところ、最近になって急に色々な流派やヒーリングテクニックが増えただけで、その本質は昔から何も変わっていないのです。

誰かがまとうエネルギーを調整して、その肉体的・感情的・精神的・スピリチュアル的な状態を変える事。

それが<エネルギーヒーリング>だと定義されています。


ヒーリングを行えば必ず何らかしらの変化が起きるものですが、それはクライアントが予想していないレベルで生じる場合があります。

ヒーリングをすれば何かが変わるので、あるレベルにおいては必ず効くとも言えるのです。

事実ヒーリングを受けて奇跡的な回復を見せる人もいます。

この種の回復は劇的なものが多く、通常の治療の法則がまるで当てはまらない神秘的な趣きがありますね。

医師が困惑し診断ミスを疑ってみたり、投薬方法を改めざるを得ないケースもあるのです。

また症状は改善したものの、完全な治癒には至らないケースもあります。

ヒーリング後も「体調には変化はないが、生活の別の面で上向いて来た」または「長年の問題が不意に解決した」という例も数多く、正にちょうど神秘的なタイミングで、その人に起こるべき事が起こったりするのです。

通常の治療が効くかどうか判断できないのと同じように、ヒーリングの影響が患者にどう出るか確実な事は言えません。

分かっているのは、それには「どうやらカルマの問題が大きく左右しているらしい」という事だけです。

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ヒーリングっていうのは、目に見えない世界で起こる現象なので、理屈ではなかなか説明し切れないですし、言葉で語っても完全に理解できるというものでもないようです。

イエスが「聞く耳のある者は、聞くがよい」と言ったのも頷ける話しです。

けれど、そこを何とか無理やり説明するとしたら・・・


私はヒーリングっていうのは<クライアント><ヒーラー><ヒーラーがアクセスする高次ソース>、この三者間で行われるある種のプロセスなのだと思っています。

高次ソース(神・宇宙・根源)に正しくリンクしないままヒーリングを施すと、ヒーラーが消耗してしまうケースがあります。

そういう意味でもヒーリングにはリスクも付きまとうのです。


だから・・・

ヒーリングって結局は<愛の行為>なんじゃないかと思うのです。

母親の真実の愛情がなければ子供の痛みは決して癒されません。

それと同じように、真実の癒しとはきっと<愛の感覚>にかなり近いんじゃないかと思われるのです。

人は純粋な愛の力に触れた時に初めて本当に癒されます。

こればかりは理屈じゃないんですよね。

<愛を信じる心><愛を分かち合う心が>人々の癒しの源泉です。

結局は、「偉大な愛のエネルギーが全てを良い方向へと導いてくれている」としか、他に言いようがないのです。


近頃お疲れ気味で「愛って何だったっけ?」なんて感じる人は、これを機にもう一度<愛の本質>ってものを思い返して見て下さいね。




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by viva1213yumiko | 2014-06-06 20:24 | 美容・健康 | Comments(0)

ブレサリアン伝説

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この世には [食事を取る事を拒否して何年も生き続ける人] というのが実際に存在しています。

そういう人々は食物からのエネルギー供給を必要としないのです。

彼らは呼吸(ブレス)だけで生きているので、<ブレサリアン>と呼ばれています。

それにしても、なぜ?

なぜ彼らは食物を摂取せず、呼吸だけで生きて行けるのでしょうか?


野菜だけしか食べない人を<ベジタリアン>、果実のみ食す人を<フルータリアン>、液体食しか取らない人を<リキッダリアン>と言うように、殆ど水すら取らず呼吸だけで生きる人を<ブレサリアン>と言います。

<ブレサリアン>は、現在世界に数千人はいると言われてます。

もちろん人間はいきなり<ブレサリアン>になれるというものではなく、<ベジタリアン>→<フルータリアン>→<リキッダリアン>と、食べない事に徐々に慣らして行き、それなりの段階を経て<ブレサリアン>に到達するものです。

しかし、不食とはいっても瞑想ばかりのやせ細った身体ではなく、重労働をしても疲れを感じず睡眠時間も半分位でOKになり、人並み以上の生命活動を営めるバイタリティの持ち主になれると言います。

このタイプの人々は、大気中のプラーナを体内に取り入れエネルギー変換する能力が備わっていて、その機能のため生体を維持して行けると言われているのですが・・・

まぁ早い話し、霞を食べる仙人と思ってもらえれば良いでしょう。
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実は私、この<ブレサリアン>にとても憬れているのです。

だってそうですよね。

人類の大多数が<ブレサリアン>、あるいは<リキッダリアン>になって、食料確保の労働から解放されたらどんなに自由に生きられるか想像してみて下さい。


「不食? 食べる楽しみがなくなるなんて、そんなの絶対つまんない〜」って仰有るなかれ。

旬の味覚を味わう楽しみは、友人との会食、お祭りや宴会の時のために取っておけば良いんですよ。

実際<ブレサリアン>たちは社交のため、感情レベルでの結びつきのためには時々食べる事を選択する、という方が多いのだそうです。

だから世間的には不食とは気付かれない例も多いと聞く。

でも実際のところは、彼らはプラーナエネルギーのみで生体維持の大部分を賄っている。

太陽光からエネルギーを供給をしているのだから、それはソーラー発電と全く同じ理屈です。

無限に永久に賄えるんですよね。

備蓄が要らないから、身体はスリムで快適。

しかも活力があって、ツヤツヤの肌。

健康に長生きするサーチュイン遺伝子にスイッチが入って、老化せずパワフルに生きられる可能性を秘めています。
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人の健康だけの問題だけじゃありません。

楽しむための食料しか必要なくなるのだから、世界の食料供給はみるみるうちに過剰になり、発展途上国の飢餓問題もすぐに解消されます。

巨大企業の食料支配・食料操作の戦略も通用しなくなる。

人々は企業に頼らなくても生きて行けるんだという事に改めて気づき、本当の意味で自立し始めるのです。

そして良質な食料だけが自主流通しているのを皮切りに、他の分野でも企業側システムは大幅に変わらざるを得ません。

資本主義は徐々に崩壊して、会社努めのサラリーマンという概念すらも消えて無くなるでしょう。

そうなると人々は暇を持て余すようになり、芸術や文化、福祉、家庭生活、リクレーションが感心の殆どを占めるようになって来るでしょうね。

食べるためガツガツ働く必要がなくなって、高度に洗練された社会へと変貌して行くのです。

人は恋するため、好学のため、子育てのため、遊びのため、共に笑うために時間を使うようになる。

それが人生というものである、という哲学が主流になるのです。


そうなってくると釣りや畑仕事は、むしろ暇つぶしのための高尚なレジャーですよね。

釣り名人・野菜名人が家元の師匠のように、もてはやされるようになるかも知れません。

地球の生態系は良い具合にバランスが取れて来て、人と自然とは共存して生きて行く。

環境保護のためのルールが細かく設置され、それを破る者は厳しく罰せられる。

エデンの園を取り戻した人類は、二度と神に追放される事なく、永遠に幸せに暮らしましたとさ。

人間が不食・小食になったなら、こういう物語が実際に待ち受けているのです。

地球と人類にとって、お互いに良い事尽くめだと思いませんか?

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何かが不足している、飢餓感を感じる、というのはその人の内面の感情レベルの問題であると言われています。

ある人は愛に飢え、ある人は富に飢え、またある人は力に飢えていたりするものです。

食べ物への欲求はそうした様々な飢えへの代償になっていて、真実の心の飢えに気付きさえすれば、自ずと食べ物への執着は消えると言われます。

自分への満足感が<聖なる栄養素>になって、不食でも生きて行ける状態へと移行するのです。

個人個人の心の飢えが解消されれば、それに伴いきっと社会的な不平等、欠乏問題も克服されて行く事でしょう。


我々は「食べなければ生きて行けない」という信念に支配されています。

だから食欲という煩悩を超越する事が出来ずにいる。

しかしそれがただの思い込みに過ぎないとしたらどうでしょう?


不食で生きてる人の前例がもっと多くなれば、世の中の常識は見事にぐるんとひっくり返ります。

皆んなが心を浄化して安定し幸福に生きたら、世界のあちこちで<不食伝説>が身近になるに違いありません。

人間の精神の力は、あなたが思うよりずっと偉大な潜在力を持っているのです。




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by viva1213yumiko | 2013-10-27 16:35 | 美容・健康 | Comments(2)