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不平不満のない世界

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米ミズーリー州カンサスシティの牧師さんが、ある日曜の朝、教会の訓話の中で「世界を不平不満のない場所にしたい」と聴衆に話し、その気持ちが真剣なものであることを示すために、紫色のブレスレットを配りました。

そして人々に「自分が不平不満を口にしていることに気づいたら、このブレスレットをもう一方の手にはめかえて下さい」と呼びかけたのだそうです。

紫色のシリコン製ブレスレットを手にはめ、21日間不平不満、人を責める言葉、ゴシップなどを口にしないよう努める。

口にしてしまったらブレスレットをもう一方の腕にはめ直し、また一日目からスタートする。

ただそれだけのキャンペーン活動を始めたのですが、チャレンジの達成者から、

   「人生がより豊かに幸せになった」

   「ビジネスの見通しが今までになくよくなった」

   「人間関係が良好になり、人と衝突することが少なくなった」

などの前向きな変化が起こったと報告があり、その噂が地域の人々の耳に入り、地元新聞に紹介され、各種マスコミが取材にやって来たのだそうです。

やがて全国規模のTVニュースショーに取り上げられると、動きはまたたくうちに広がり、ブレスレットの注文は地球規模となり、一日に1000個以上の注文が世界80ヶ所から届くようになりました。

教会区の信徒だけでなく、家庭・職場・スポーツチーム・病院・刑務所・警察署・消防署・クリニック・軍隊・政府機関など、社会のさまざまな場所で、紫のブレスレットをはめて、自分の言葉をポジティブなものに変えようと頑張っている人たちが拡大して行ったのだそうです。


どうですか? ちょっといい話しだとは思いませんか?

ご存知のように、今の世の中は混沌としていて、悲惨な事件や不条理な物事で溢れかえっています。

TVニュースを見るだけでつい不平不満が口から出るような、そんな日々の中、この運動は自分の思考のコントロール習慣を助ける、手軽で楽しい良い方法だと思うのです。


キャンペーン創始者のウィル・ボウエン氏は言います。

「不平不満を言うことは欲していないことに注目することになる。悪いことを口にしてそれに注目すれば、その状況は拡大する。私はみんなの生活から不平不満をなくしたいんだ。ブレスレットがその努力を応援してくれる。それだけで世界が変わって来る。」

「人生を作り出すものは考えであり、考えは言葉によって表現されます。だから明確に言葉で表現したものは実際に行うこととなります。」

「幸せな人生を歩む幸せな人間とは、自分の思考・感情をコントロールでき、自分の望む人生をデザインできる人であり、滅多なことでは不平不満や愚痴を言わないようになる必要があります。」

全くほんとにその通りだと思いますね。

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この21日間チャレンジ、早速私も挑戦してみたのですが、そう簡単じゃないんですよね。

「寒くてやだなぁ」とか、「やんなっちゃうなぁ」とか、「勘弁してよ〜」「頭痛いし」とか、結構言ってるもんなんです。

スタート初日には私、9回もはめ換えてましたよ。

誰も皆、まさか自分が不満を言ってるとは思わないようで、21日間はめ換えずにいられるまでに、平均で4~8ヶ月はかかるそうです。

人がいかに自分の発する言葉に無意識かってことに、否応なく気付かされます。


我々は人の口から出た言葉は良く聞こえるのですが、なぜか自分の口から出る不平不満には気がつかないものなんですね。

けれど、人生とは自分の言葉が作るもの。

人には自分の人生を作り上げる、言葉を選ぶ権利と責任があるのです。

ブレスレットをはめたり外したりするうちに、自分の中に宿る言葉に自覚的になって来るのです。


そもそも不平や不満はなぜ出てくるのでしょう。

不平不満とは、悲しみや苦痛や満たされない思いを表現することです。

だから不平不満の多い人というのは、その分傷の多い人だとも言えるんですね。

じぶんが口にする言葉を認識すること。

それさえ出来れば、次は言葉が口から出る前に気がつくようになれるはずです。


大切なのはブレスレットをはめ換える行為そのものなので、実はブレスレットじゃなくて、輪ゴムでも数珠でもミサンガでもリボンでも構わないのです。

はめ換えることによって、脳に自分の行動を意識させることが目的です。

自分が望むゴールは<幸福>であると、脳にプログラミングし直すことになるんですね。

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見事チャレンジを達成する頃になると、心に取り付いて離れなかった不安から、スッキリ解放されるんだそうです。

一人ストイックにこの21日間チャレンジをしてもいいけど、家族や仲間とゲーム感覚で楽しく挑戦すると、さらに好ましい効果があるのではないでしょうか。



不平不満のない世界




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by viva1213yumiko | 2013-01-27 23:40 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

ミニチュアシアター<The Ice Book>

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渋谷円山町にKINOHAUSUという映像に関する総合施設があるのですが、先週末そこで<キノコン>というイベントが催されました。

映像メディア・マネジメントに関心の高い、スタッフSさんから紹介を受け、この「映画館との新しい出逢いを体験できるお祭り」に行ってみました。

KINOHAUSUの「KINO=映画」と、英語の接頭辞「CON=ともに・一緒に」から生まれたイベント<キノコン>は、タイトル通り今までにない映画・映像体験ができ、新しい何かと何かがきっと繋がるような、そんな体験が待っている催しなのだそうです。


まずは<キノ×コンセント>と称された、アートシーン風の<映像インスタレーション空間>に足を運びます。

コンクリートの大壁や、額縁、鳥かごの中、はたまた覗き穴の向こう側・・・

大小様々なサイズのモニターでレイアウトされた会場は、九里洋二氏のアートアニメーションが延々と上映されていて、さしずめ<映像実験ラボ>といった趣きです。

しかしアニメの作風がレトロポップなせいか、<インスタレーション空間>といっても小難しくアートアートしてなく、お茶やお菓子を楽しみながらリラックスして観賞できます。

ここは言葉や世代を超えて人と人とをつなぐ実験の場なのだそうで、赤ちゃん連れのお母さんなども気楽に観に来てました。

なぜだか久里洋二氏のイラスト刻印入り大福あんぱんが販売されてるのが、またなんとも可愛らしい。

ちなみに大福あんぱんとは、あんぱんの中からまんまと大福が現われる、遊び心満載のチャーミングかつ美味しいものでした。

映像芸術と大福あんぱんのコラボレーション・・・

私にはこれもかなり実験的に映りました。

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その他、<映画女子会のすすめ>という昭和30~40年の日本映画の上映会&講座や、<映画合コン><映画一箱古本市>など、映画好きにはちょっとそそられるユニークな催しが用意されていて「へぇ〜イマドキの映画館って何だか面白いんだなぁ」っていう印象です。


中でも私が一番興味を引かれたのは、飛び出す絵本を使って映像投影したミニチュアシアター<The Ice Book>でした。

プロジェクションマッピング(映像投影)というのは、舞台スクリーンや大きな建造物などに映すものだとばかり思っていたので、その逆を見事に突かれて「やられた!」って感じです。

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一枚一枚手で切り出した精巧な切り絵。

それを真っ白なポップアップブック(飛び出す絵本)に仕立て、その絵本の舞台に映像を映し、英国人アーティストのデイビー&クリスティン=マグワイア夫妻が、紙芝居の様に本のページをめくって、物語を見せて行く。

小さな絵本の中の小さな舞台を観賞するので、芝居小屋の中に入れるのは一回につき10名程度。

隣の人と肩を寄せ合い、息をひそめ、ワクワクしながら絵本を覗き込みます。

チラシには「かつて人が見世物小屋で初めて映画に出逢った時のような親密な時間を味わえるはずです」と書いてあったが、本当にそんな感じ。

私の子供時代は、自転車に乗った紙芝居のおじさんがまだ存在していて、公園や広場で子供達の人気をさらっていたが、その時のワクワク感を彷彿させるものがあるのです。



物語は氷の国のおとぎ話し。

静かなモノクロームのサイレント作品で、セリフもなく、芝居はマイムやダンスで表現します。

静謐なピアノのBGMに乗り、19世紀風の衣装をまとったミステリアスな氷の貴婦人が登場すると、その小さな幻想の世界に、知らず知らず誘い込まれてしまいます。

飛び出す絵本が語りかける、飛び出す紙芝居ドラマ。

顕微鏡で覗くと雪の結晶の中に完璧な美を発見できるように、小さな絵本の中に繊細で儚い夢の世界が存在し、驚きと共にその世界の運行を見守る証人になってしまうのです。


これは「ノスタルジックな錬金術だ」と、私は思いました。


魔術師が操る魔法に見え隠れする真実。

パーティー後のけだるい眠気。

どこかで置き去りにして来てしまったような感情。

甘酸っぱかったようなもどかしい匂い。


膨大なノスタルジアの記憶庫を、ふとした弾みに垣間見てしまったような、そんな真冬の午後でした。



キノコン

リンク先<キノ×コントラスト>にて<The Ice Book>動画掲載




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by viva1213yumiko | 2013-01-21 19:34 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

初釜入門・後編

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小休憩の<中立>でちょっと一息ついた後、お茶会は<懐石>へと移ります。

正客から順に銘々の膳が手渡しで運ばれ、亭主の「どうぞお箸をお取り上げ下さい」という言葉で会食が始まります。

おめでたい鶴の盃でお酌して頂くと、美しいお造りや口取り・お椀などが順を追って運ばれて来る。

その彩りと繊細さには感動してしまいます。

しかしここにも食事の作法があり、美味しいからといってパクパク食べる訳にはいきません。

箸の上げ下げ、大皿からの取り分け方、そして懐紙の上手な使い方。

<料理を残さない><器を清める><箸を落とす音が終わりの合図>などの決まりごともあります。

ひとつひとつの仕草にこんな意味があるのだと知り、改めて自分の所作を意識せざるを得ません。

これは、普段の食事にも望むべき姿だと思いましたね。

今行っているひとつひとつの行為に意識を合わせ、集中し、没頭し、そのものになる。

見る・聞く・嗅ぐ・触れる・味わうの感覚を、フル回転させ日々の食事をしたなら、毎日が新鮮で、たぶん人生から退屈という文字は消えて無くなってしまうでしょう。

それは幸福への近道とも言えるんじゃないでしょうか。

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そして<懐石>後の<中立>をはさんで、最後の<薄茶>へと突入します。

正客から順に席につくと、<干菓子>が盆に乗って登場しました。

ひょうたんや羽子板など、正月らしい愛らしさの<落雁>です。

サァーッと上品に溶ける<落雁>の余韻を味わいつつ、師匠のお手前を待つのです。

<薄茶>は<茶筅>を動かすことによって空気を取り込み泡を立て、ソフトでまろやかな風味が持ち味のお抹茶なので、さっぱりとした<干菓子>と相性ぴったりです。

<薄茶>は各人に点てられるので、三口半で飲み切ってしまえば良く、初心者でも比較的ハードルが低いのではないでしょうか。

茶碗は自分で取りに出て、飲んで拝見し返すのですが、ひとつひとつの動作のたびに、他の客や亭主に礼を忘れません。

そしてまた、お道具の拝見。

道具はどれもみな繊細な造りをしているので、両手で大事に扱います。

恥ずかしながら、私の無骨な手には<茶杓>など耳かき同然に映ります。

どうにもコツがつかめず、これが一番戸惑いました。

薄茶器の<棗>や<茶杓>について、また<茶碗>の作者や窯元について、正客から質問が繰り返され、亭主はそれに答える。

短い会話には主客の見識や品位がまじまじと出てしまうので、通り一遍の約束事をこなせればそれでいいというものでもありません。

そこには不思議と、人の真実が見え隠れしてしまうのです。


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茶道に何より大切なのは、形式そのものではなく、それを追う過程で雑念が取れて、無念無想になれることだと思うのです。

[自他・美醜・善悪の分別を超えた心境に行き着くこと]なんじゃないだろうかって気がしました。


なんでも「あの人にはお茶がある」という表現があるんだそうです。

それはお点前が出来るかどうかということだけじゃなく、お茶の心・もてなす心を常日頃持っているかどうか、ということなのだそうです。

日常の生活で季節の移ろいに目を向け、他者に心を向け、自分自身にも眼を向けて毎日を過ごすことの積み重ねが、きっとお茶の心を育む道なのだろう思い知らされた次第であります。



貴重な体験をさせて頂き、本当にありがたいことだらけだった、私の初釜入門でありました。



 
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by viva1213yumiko | 2013-01-17 13:13 | 季節・行事 | Comments(0)

初釜入門・前編

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年頭の初めに催される茶事の会を<初釜>と呼びます。

お祝いの気持ちが込められた、いつもと違う晴れやかな茶席。

ドキドキ緊張感が心を引き締める、非日常の四畳半世界。

そんな新春の初釜にお招きを受け、参加させて頂きました。

東京には珍しい大雪の日、雪見障子の向こうにしんしんと降る牡丹雪を愛でながら、<松風>(茶釜の湯が沸く音)を愛でながら、茶会に挑むこととなった私の入門レポートをお届けしましょう。


客人は玄関先で身支度を整え、禊の精神で清潔な白いソックスに履き替えます。

着物ではなく洋装で茶事に参加する場合、正座向きのリラックス出来る服装がよろしいようで、なおかつそこに同席者への尊敬と感謝・敬愛を込めます。

女性の場合恥じらいの表現も大事なので、スカート丈は長め、色合いも季節感を意識して選びます。

時計やアクセサリーは茶器を傷つける恐れがあるため外さなければなりません。

そして<懐紙>や<扇子>を用意し、身だしなみを整え<待合>に進みます。

そこで他のお客様と軽くご挨拶。

まずは暖かい<白湯>を頂戴し、ありがたいことに芯から落ち着いてまいりました。

本日は雪のため正式なフルコースではありませんが、<濃茶>→<懐石>→<薄茶>という流れだそうで、それでも正味四時間近くになります。

さあ、初心者がどこまで通用するのか・・・いよいよ緊張の本番舞台が幕を開きます。


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<濃茶>とはひとつの器を客全員で順服するもので、それは参加者の精神的な繋がりが高まる行為となるのだそうです。

「濃いってどの位濃いお茶なんだろ?」と思った私は、お点前する師匠の手元をじっと観察しておりました。

なんと<茶杓>に山盛り12杯分もの抹茶を、茶器の中でよーく練り、少量の湯でゆるめたもの。

これがいわゆる<濃茶>であり、これで4人分なのだそうです。

このどろっとした粘性の緑の液体・・・

一体どんなに苦かろうと想像して、私、武者震いしてしまいましたよ。

ところが意外!  

飲んでみるとそんなに苦くはありません。 

まろやかで、むしろ美味しいじゃないですか!

師匠のお点前はそれは見事なもので、上品なほろ苦さが心地よく舌に広がり、吐く息と共に香りが鼻に抜けてく、まるで朝の目覚めのように爽やかで、それでいて深味ある絶妙な味わいだったのです。

<濃茶>の前には<主菓子>といって、こってり甘い練切や蒸菓子・生菓子を頂くので、その後にごく少量の濃ゆ~いお茶を頂くのは、甘さと苦さとの調和を計算し尽くしていて、上手く出来てるものだなぁと感心です。

私はもう一杯おかわりしたい程だったのですが、しかしここは茶の湯の世界。

そんな勝手は許されません。

縁あってこの時と場所を共有し、同じ茶碗で<濃茶>を共にした他者との間には暗黙の了解が生まれ、敬意と感謝とを無言で伝える、洗練されたルールが隠されています。

最初に茶室に入って掛軸や花や釜の拝見をしたり、またお茶を頂いた後お道具を拝見する手順にも、細かく決められた所作と決まりがあるのです。

   「お軸は・・・」 「○○でございます」

   「お茶入は・・・」 「○○の○○でございます」

   「お茶杓は・・・」 「○○の○○でございます」

新参者には全く分からないけど、極限まで簡素化された意味深な会話群のあれこれで、亭主の気づかいや美的感覚を賞賛しているのです。

何という形式美! 何というミニマリズム! 

鋭利な刃物の上を歩くような、自分を曝し出す緊張感がたまりません。

   
 
   「結構なお点前で・・・」

この一言の中に未来永劫の宇宙があるってことが、何となく分かる様な気もして来ました。

いや〜、間違いなく茶道とは精神修行の場なんですよ。

一期一会の目に見えない場のエネルギーを、感じ取るための修行になってるんですね。


そして最後の送礼の時も、主客双方無言で感謝の気持ちを表します。

沈黙がいかに多くのコミュニケーションを成立させているか、ここでも身をもって伝えているのです。

   
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   「和尚、茶の湯とはいったい何ものぞ! ご指南下され」

   「喝ぁーつ!!」

茶の湯・・・本当に奥が深すぎますよ、これ。

 


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by viva1213yumiko | 2013-01-16 13:55 | 季節・行事 | Comments(0)

続・人生はグルである

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我々が住む鏡の世界では、自分の信念や感情が人間関係にはっきり現われます。

恨み・憎しみ・憤り・愛・慈悲・理解などの非物質的エネルギーが投影されるからです。



目に見えないエネルギーには不思議な力があります。

愛や慈悲や許しと云ったプラスの感情は、表現したその瞬間から自己を肯定する力を持っている。

憎しみや裁きや嫉妬心も同じ様に、発すると直ぐに自己を否定する力となります。



宇宙の全ての万物には、最初から良い悪いの基準がなく、静かな湖の水面の様に穏やかな存在なんですね。

そこに、<善悪・正邪・好き嫌い>という感情で判断を加え、石を投げ込んだために、静かだった水面は波を打ち始めます。


当然それが、大きな憎しみの石なら暗く激しい波が立ち、大きな愛の石なら歓びと希望の力強い波が立つ。

だから我々が生きているこの<エネルギー場>の世界とは、己の内面にある信念を映す鏡だという訳です。



「なるほど、それはもっともね。 けれどそれが一体何の役に立つの?」

と、あなたが思うなら、それはきっと今までの人生にまだ大きな転換期がなく、自分を変える必要に迫られた事がないからなのでしょう。

人生の挫折を経験したり、立ち止まらざるを得ないような内的体験をすれば、自分自身を見つめ直して、人生に苦しみをもたらした信念の正体を見破ることの重要性を胸に沁みて感じるはずです。



「世の中の現実が気に入らないのなら、自分自身を見つめ直しなさい」

と言われるのは本当なのです。



自分の信念に捕われたまま生きるか、それから解き放たれるかは、自分自身で決めるべきことです。

多少の不満はあっても、馴染みのある今まで通りのやり方を続けるのか、それともこれを機会に信念を暴き出し、新たなものに書き換えるのか・・・

あなたには選ぶ権利があるのです。



大概の人は人生のある時期に、自分自身が最も怖れているものと向き合わざるを得ないみたいですよ。

まるであなたの怖れを克服させるために、人生がシナリオを組んでいたかのようにです。


人間関係となって出現することが多いのですが、それは私たちの魂の暗闇に光を当てて、痛みの元になっている怖れを征服させようとします。

だからその人の成長の度合いによって、信念を試すようなことや深く考えさせるようなことが用意されており、タイミングになるとそのスイッチが起動する訳です。



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人生とは上手く出来ているんです。


我々がそこで習得するべきことは・・・・

[人生のそれら全ての高波を、まるでサーフィンのように華麗に乗りこなすこと]

[常にバランスを取って波を乗りこなし、充実感と満足感に浸ること] なのです。



人生って本当に上手く出来ています。

私たちを進化成長させる為に、色んなヒントを用意してくれています。

[人生こそが真のグル] だと確信する日が、いつかあなたにも必ずやって来ると思います。







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by viva1213yumiko | 2013-01-12 19:56 | 人生・霊性 | Comments(0)

人間関係は自分を映す鏡の世界

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前回、我々の人生は学びの学校だって話しをしました。


人生ってものをやってると、嬉しい事や悲しい事、辛い事や驚くべき事がたくさん起こりますが、それら日常世界の経験はどこか別の場所からのメッセージだと言えるでしょう。

なぜなら人生に起こる様々な出来事が、自分が確信していること、愛しているもの、恐れているものを、我々にはっきりと教えてくれるからです。


人生を通して我々は、我々が持つ信念の本当の姿を知る事が出来るのです。

それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、我々の内面世界が人生の色々なドラマを引き寄せているのだと気付かされます。


私たちは、この世界の人間関係・仕事・成功・失敗を目に見えない場所で創造しています。

つまりそれは、そこに映るメッセージを読み解く知恵さえあれば、人生に苦しみをもたらす信念の正体を見破れる、良いチャンスでもあるのです。


人生はグルの様に、常にあなたに教えを授けてます。

だから人生そのものが、あなた専用のプライベート・レッスンと言えるのです。



プライベート・レッスン・・・


その中でも、特に注目すべきは人間関係ですね。

自分がどんな信念を持っているかは、人間関係に最もはっきり現れるからです。


人間関係での様々な出来事は、自分をあらゆる角度から見つめ直す、よい機会だと言われています。


例えば誰かの独善的な態度が気にさわってしょうがないなら、それは「あなたの中にも何か独善的なこだわりがありませんか?」 というメッセージかも知れません。


違う誰かの優柔不断な態度が気になるなら、あなたの中の優柔不断さの原因を探ってみた方が良いでしょう。


また、誰かに嫉妬心があるとしたら、それが自分の失ったもの、手放したもの、奪われたものを教えてくれてませんか?


誰かと痛みをもたらす問題が起きたら、その関係の奥に、自分が怖れてる別の何かが隠れていませんか?



そうやって改めて回りを見回してみると、他人をとやかく批判する事は、全く出来なくなってしまいますね。

なぜなら、他者とは自分の姿。

自分が他者という鏡に映っているだけ。

人の事を批判してるつもりでも、実は鏡の自分への自己批判で、何よりも自分を傷つけているんですね。



そして、私たちの正真正銘の一番根深い信念は、最も親密な人間関係に反映されています。

親子・兄弟・夫婦など身近な関係になるほど、難しく微妙なテーマが隠されているものです。

我々が無意識に隠し、置き忘れて来た心の傷は、癒される事なく封印されていて何かをきっかけにひょっこりと浮上して来ます。


親密な関係ほど、そのスイッチの起爆剤になりやすいので、心の深い問題が反映されやすくなる。

心に傷をもたらす根本原因が、同じような問題を何度も何度も、繰り返し引き寄せているのです。


けれど、そこに映るメッセージを読み解く知恵があれば、人生に苦しみをもたらす信念の正体を、その根本原因を、見破る事が出来るはず。

だから純粋に楽しいだけの人間関係からは、深遠な人生の教訓は学べないと言われるんですね。


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 [人間関係は自分を映す鏡の世界]


お山にこもって、行者さんのように生きるだけが修行ではありません。

娑婆の世界で他者と時間を共有する事は、我々に最も相応しい修行なのかも知れませんね。




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by viva1213yumiko | 2013-01-10 22:27 | 人生・霊性 | Comments(0)

人生はグルである

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前回、映画に感動して魂が浄化されるって話しをしました。

素晴らしい芸術作品や、美しい風景、調和の取れた音楽などで、我々の魂には光が射し込み、自分を取り戻した気分になって来ます。


けれど、家に帰って日々のルーティンに戻ると、そんな高揚感はどこ吹く風。

とたんに日常生活で生まれる、細々とした心のゴミやほこりに向き合わされる羽目になります。


恋愛結婚・人間関係・仕事・お金・健康問題

あーあ、頭の痛い事ばかり。


ひとつの問題をクリアーしたと思ったら、今度は次の問題が発生して来て、なんだか次から次へと自分が試されて行くような気がしてしまいます。


そう・・・実はそうなんです。

あなたは確実に試されているんです。


何を隠そう人生とは、<無限に続く学びの学校>

自分に必要な課題を順々に投げかけて来る、永遠のプライベート・レッスンだったんですね。


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我々の日常生活に起こる様々な状況の中には、とても大事な情報とメッセージが含まれています。

まるで上質なミステリーさながらに、隠された暗号と情報に、解釈されるべきメッセージが暗示されているのです。


そしてそのメッセージを解釈するのはとても大切な事なんです。

なぜなら、メッセージを考えさせる事自体が、この学校独特の授業スタイルだからなんですね。


人生という名の学校は、教科書や時間割がある訳じゃなく、勉強の課題もその目的も、全て隠されたまんまです。

だから自分で状況をよく観察し、メッセージを探し当てながら、学んで行くしかありません。


そこがややこしくて分かりづらくて、みんな悩むところなんですが、人生が言わんとするメッセージさえ見つかれば、自ずと解決策は見つかるものなのです。

そこまで来れば、ミッションの大部分は完了します。


ひとつのレッスンを覚えるまでは、繰り返し同じ問題が出て来ますが、一度覚えたらもう二度とその問題で悩む事はなくなります。

そしてまた人生の上に次の問題がやって来て、次のステップのレッスンへと進んで行く。


それが誰にも平等に与えられた、人生の<参加型学習システム>なのです。




人生には色々な状況が起こり得ます。


その問題が辛く苦しいと、つい自暴自棄になって投げ出したくなりますが、重い問題が起こった時こそ「人生が自分を大きく成長させる強化訓練期間である」という風に捉えたいですよね。


だから絶対、絶望だけはしないで下さい。


<観察>→<内省>→<気付き>→<課題発見>→<解決策>→<行動>

このようなプライベート・レッスンの一連のプロセスに、なんとかして乗る方法を探ってみて下さい。



いいですか? 

レッスンの課題を一度覚えたら、もう二度とその問題で悩む事はなくなるのですよ!

一刻も早くレッスンのテーマに気付いてあげて下さいね。


<人生の鞭>による、痛みの伴う学びではなく、なるべく楽に楽しく学び成長して行きましょう。

人生はそれをあなたに期待しているのです。


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<人生はグルである>


本来は師を求めて世界を放浪する必要など、何処にもないのかも知れませんね。

あなたはあなたの道を行けばいいのです。


人生というグルは、我々の魂に知恵と力を授けてくれる、最高の恩師なのですから。




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by viva1213yumiko | 2013-01-07 23:37 | 人生・霊性 | Comments(0)

映画版<レ・ミゼラブル>

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お正月らしい大作が観たくて、<レ・ミゼラブル>選びました。

チラシをチラッと読んだだけ、殆ど事前情報なしに凄い大作観ちゃって、お屠蘇の酔いも一気に醒めてしまいました。


ミュージカル映画は当たり外れが大きいので、さてどっちに転ぶかなぁなんて思ってたのですが・・・

う〜ん凄い! 全く凄いんです。 

圧巻です! よくぞ作ってくれました。


脚本良し、演出良し、キャスティング良し、映像良し、音楽良し、演技良し、歌唱良しと、スタッフ一同入魂の一作となっております。



帝劇の舞台を観て作品のクオリティは分かっていたけど、今回のこの映画版は本当に自然な形でミュージカル作品の世界に引き込まれ、そして不思議なほど胸がしめつけられ、揺さぶられてしまうのです。

それというのも役者さんが演技しながら歌うという、同時録音のスタイルで撮影したからなのでしょう。


劇場の隅まで朗々と響き渡る、ミュージカル特有の歌声ではなく、撮影時に役者が演技しながら切々と歌うので、仕草や表情にも生声のリアリティがあり、登場人物に共感せざる得なくて心を動かされてしまうのです。

ジャン・バルジャンの苦難の生涯が、回りを囲む様々な群像劇が、自分の中にも潜んでいて同じように救いを求めてる<魂の声>を代弁してしまうのです。



物語のテーマは<愛による魂の救済>

愛の力によって魂は浄化が可能であると訴えていて、普遍的な深みがあります。



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私は思うのですが、人の魂とは創造主の手元を離れ生まれ落ちた瞬間から、ある意味すでに傷ついてしまっているとも言えるんじゃないでしょうか。


人生を生きるという事は、無数の可能性の中から一本の道をチョイスしなければならず、まずその段階で選ばれなかったた可能性は、切り捨てられ忘れられ無視されています。


人生の歩みには常に迷いや疑念が付きまとうし、恐れや自己保身が自分と他者とを常に傷つけている。


人生を享楽的に生きたとしても全く救いにはならないですし、かといって聖人のように純粋に他者の為に生きたとしても、この世に傷ついた人がなくならない限り、全ての人を救えなかったという傷がついて回ります。


だからどんな人の魂にも浄化は必要になって来るのです。



神への愛

母の愛

父の愛

恩師の愛

恋人の愛

同士愛

理想への愛

見返りのない愛

宿敵への愛・・・



<レ・ミゼラブル>には色々な愛がちりばめられているので、あなたの魂が今必要としている救済も、必ずやどこかに含まれているんじゃないかと思います。



Les Miserables(哀れな者ども)は、真実の生き方を探し彷徨う、傷ついた魂たちの物語であって、もちろんあなた自身の物語でもあるのです。

古今東西、老若男女、誰が観ようと感動してしまうのは、皆んなそこに自分の魂を見つけてしまうからなんですね。



思いきり泣いて泣いて、琴線をふるわして下さい。

感動で研ぎすまされた分だけ、あなたの魂は透明になって行くのだと思います。



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追伸:
6月暴動の時、学生達がバリケードを張る下町のアパルトマンの壁に、大きなひとつ目の落書きを発見してしまいました。

さすがはハリウッドを牛じると言われるイルミナティ。

「いつの時代も国家権力には逆らえませんよ」というサブリミナル・メッセージなんでしょうか?

158分の上映中、そのシーンだけはちょっとシラケて、「ああ無常」と呟いてしまった私でありました。




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by viva1213yumiko | 2013-01-03 01:11 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

謹賀新年

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新年あけましておめでとうございます。

新しい一年が始まる朝でございます。


昨日と何ら変わりない朝の訪れではありますが、暦が変わっただけで気分一新。

「今年もまた頑張るぞ」と、リセットモードになってしまいますね。


皆様、本年もまた昨年同様に、是非よろしくお願い申し上げます。



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お正月とは本来、新しい一年を司る年神様をお迎えし、祝う行事です。

年神様は一年の始めにやって来て、その年の豊穣や家族の健康を約束してくれる神様の事。

寄り代である松を目指して家に降りて来ます。


もともと門松は、「松を飾って神を待つ」という意味から来たんだそうです。

鏡餅も稲霊(いなだま)、つまり稲の神様の魂の象徴とされるお餅を、神事で使われる鏡の形になぞらえたものの事。

その上に<橙>(だいだい)を飾るのは、<代々>子孫繁栄しますようにという願いなのです。



暦が変わってリセットされて、何もかもが新しく真っ白な状態になると、する事なす事皆んな新鮮で、初めての出会いのように感じられます。


お正月は<初めてする事>がたくさんありますよね。


その年最初の朝日を拝む<初日の出>にはじまって・・・

最初のお参り<初詣>

最初のお風呂<初風呂>

最初のお化粧<初鏡>

最初の競りの<初荷>

最初のお茶会<初釜>

最初のお習字<書き初め>

最初の水を汲む<若水>

消防の<出初め式>


まだまだ他にもありますよ。

初仕事

初デート

秘め初め

初競馬

初はじき

初カラオケ

初ゲーム

どれもみな、ハレの日の聖なる行事と捉えれば、世俗の営みを超越した何かが見つかるかも知れませんね。


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そして、新年に初めて見る夢は・・・<初夢>


一般的には元旦の夜に見る夢の事をいいますが、大晦日や2日の夜という考え方もあるみたいですね。



その年の吉兆を占う大切なものと考えられて来たので、何とかいい夢を見ようと昔の人は色々おまじないをしてました。

宝船の絵を枕の下に入れて寝るというおまじないです。


悪い夢を見た時は、その絵を水に流せば良いと言われていました。

室町時代からこの風習が流行り出したようで、現代でも神社などで、おまじないのための宝船の絵が手に入る所もあるようです。


また悪夢を食べると言われる、中国の想像上の動物<獏>

<獏>という字や絵を書いた紙にも、同様の効果があるとされます。


そして、[永き夜の 遠の眠りの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな] (なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)という、上から読んでも下から読んでも同じ言葉の回文歌を枕に敷く方法もあるのだそうです。

なぜに回文なのかは知る由もないけど、何だか面白いですよね。

こうなって来ると、「竹やぶ焼けた」 「素直なおナス」 「冷凍トイレ」なんかの効果も試してみたくなります。


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昔から縁起が良いとされている<初夢ランキング>は、


[一富士、二鷹、三なすび、 四扇、五煙草、六座頭] 


富士山のような末広がりのものや、鷹のように大空を高く舞うもの、「事をなす・財をなす」「ケガない」などの掛け言葉につながるものが良いとされているようです。



今年一年の運勢の象徴。

みなさんはどんな夢を見るのでしょうか。


心に宿る素敵なイメージをしっかりと握り締め、現実の世界もまた共に、夢のように育んで行こうじゃありませんか。


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by viva1213yumiko | 2013-01-01 09:43 | 季節・行事 | Comments(0)