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彼岸の先祖供養

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小さい頃に最も怖かったもの。

それは仏壇でした。

陽の射さない陰気な和室で、仏壇に線香を灯してはブツブツと何かを唱える祖母の姿が、とてつもなく怖かったのです。

ローソクの炎が暗く揺れ、辺りに線香の匂いが広がると、黒檀の仏壇の中心にある奇妙な異次元空間に身体ごと吸い込まれ、二度と戻れなくなりそうなそんな恐怖を感じたものです。


無事思春期まで成長すると、その手の年寄りじみた習慣の完全否定が可能となりました。

「いつでもご先祖さんが見守ってるんだよ」 

「だから感謝せにゃ〜ならん」

祖母のそんな言葉も<辛気くさい迷信>と聞く耳持たなくなりました。

まぁそれが健全な青少年の、本来あるべき姿ってもんなのでしょう。

「線香っていい匂いだね」とか、「お経ってなんか落ち着くね」などと言い出す子がいたなら、それは特別な宿命をおびた子供かも知れないので、それなりの道を切り開いてやるべきでしょう。


その後、TVにお坊さんや霊能者が登場し、「先祖供養で幸せになれる」と得々と説明していても、その言葉が心に響く事はありませんでした。

もちろん新興宗教などの、団体教義も鼻でセセラ笑っていました。

私の自我は健全でノーマルな成長を遂げていたのです。


しかし・・・

年の功とは恐ろしいものであります。

人生の折り返し点を過ぎた辺りから、「もしかして先祖供養とは決してバカにならない行為なのではないだろうか?」という風に考えが変わって来たのです。


以前、旅先で知り合った沖縄のユタさんは、「あんたに影響与えんの、それは7代前のご先祖までサァ〜」と仰有っていました。

それを聞いて私は、「ええ~っ!」と思ったものです。

「7代も前ですって?・・・」

仮にひとりの人間が30才で次の世代を産み落とすとして、30年×7代で210年の年月が流れます。

200年以上も前の顔も知らないご先祖様が、私の人生の幸・不幸に影響を与えているという事になるのです。

しかも7世代の霊の影響っていうのは、その間に関わった遠縁の親戚や、一族郎党すべてを含めた<ご先祖様の集団グループ>を意味するらしい。

さらにそれぞれの霊魂ごとに、その恩師やら、友人やら、血の繋がりはないけど特別に縁ある存在がサポートに入っていて、彼らの指導や助言も我々の人生経験に多大な影響力を与えているらしいのです。

ざっと想像しただけでも天文学的数字のスピリッツが自分を囲むこの世界に存在してて、そのご縁とご加護を頂き、我々は今この平成の時代を生きているという事になります。

それを思うと確かに今、この時を生きてる生命の不思議を感じますね。

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しかしご先祖様と言っても当然、皆んなが皆んな心の暖かい良い人ばかりだった訳ではないですよね。

中には迷惑ばかりの、どうしようもない<困ったさん>もいたはずです。

そういう霊魂は自己憐憫や後悔の気持ちが強く、共感してもらえる存在や場所を求めて彷徨っていると言います。

だから自分の気持ちが落ち込んだりすると、似たようなスピリッツを招待してしまい、知らぬ間にピッタリと張り付かれて妙な仲良しさんになってしまいます。

波動共鳴するという奴です。

だからこの世界に存在する、これら無数の目に見えないスピリッツたちを癒し、慰め、昇華させることが供養の本質です。

未成仏霊を安心させてあげることが大切になって来るのです。


普通はここで、かつての私のように「非科学的だ!」「迷信だ!」と始まる訳なんですね。

けれど大事なのはここからで、未成仏霊を供養することで浄化されるのは、逢った事もない困ったご先祖様であると同時に、我々が隠し持つ心の中の厄介な部分でもあるのですよ。ややこしいけど・・・

スピリッツ(霊魂)というのは何者かの想いそのものであり、良いものも悪いものも、チャンスさえあれば物質化しようと待ち構えてる見えないエネルギー群の事です。

だから未成仏霊を供養するとは、我々の心の暗黒面にはびこってる制限のない欲望や、怒り、憎しみ、自己憐憫などを昇華し、奇麗なものに入れ替える作業そのものの事を意味するのです。

すべてのスピリッツが安心して完全に成仏したなら、あなた自身の心配事もすべて消滅し、自分の人生を100%信頼出来るはずです。

つまり「先祖が安心なら自分も安心」

「先祖が豊かなら自分も豊か」

「先祖がハッピーなら自分もハッピー」

あの世とこの世の壁を取っ払い「サービスする、される」という運動力学が成立するのです。

言わば<サービス交換の法則>なんですね。


先祖供養をするという事は、これはもう見えない先祖や縁のある霊たちへ、自分が生かされている事を感謝をする事に尽きると言えますね。

先祖の霊を慰める事は、同時に自分自身の癒しと再生を導く事になるのです。


「ご先祖さんにゃ、感謝せにゃあかん」

結局お祖母さんの言ってた事は嘘ではなかったんですよね。

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供養といっても何も大げさな事をする必要はありません。

先祖霊が安心の境地に行くように思いやり、お線香の一本でも供えて、今ここに生かされている事への感謝を思うだけでいいのです。

お年寄りたちがやってた文化を真似て継承するだけの話しです。

「生かして頂き、感謝します・・・」

「おかげさんで、ありがとさん・・・」

念仏のように繰り返していると、心はホッコリ暖かくなって来ますよね。

人間関係に疲れて疑い深くなってる人も、騙されたと思ってひとりでこっそりやってみて下さい。

優等生的な発言に照れがある人でも、心に念じるだけなのだから恥ずかしくありません。


そうやって自分や家族や周りの人を見つめ直してみると、心のモードが安定し始めます。

他者を思いやる慈悲の心を育てると、なぜかすべてに感謝する心が生まれて来ます。

またすべてに感謝するように日常生活で心がけていると、なぜか慈悲の心が生まれて来る。

すると不思議な事に、生かされている感謝を素直に感じるようになれるものなのです。

相乗効果で自分の幸福指数がどんどんアップするという構造です。

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それぞれの宗教の教義は皆んな違っているし、またそれぞれそれなりの正しさがありますよね。

でも本当の正しい信仰とは「目に見えない何かのお陰だと思って、生かされている事への感謝をする事」それに尽きると思います。


 [心の中に本物の神がいる]


それさえ分かっていれば、心の外に神を求めて宗教集団に集まる必要もなくなりますよね。




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by viva1213yumiko | 2014-03-21 20:04 | 季節・行事 | Comments(0)

発芽の春

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世の中には園芸の才能に特別に秀でた人がいます。

その手の才能の持ち主は、植物の持つ本来の力を、100%目覚めさせる事が上手なのだと思いますね。

そして、「いいね〜!」「それいいよ!」「頑張ろうね!」「あとちょっとだね〜」「キレイだね〜」なんて言葉巧みにおだて上げ、野菜やお花をその気にさせて育ててしまうのです。


植物は、たったひと粒の小さな種から成長を始めます。

まぁ、しごく当たり前の事なんですが、その事を良〜く考えてみると何とも不思議な現象ではありませんか?

バラの種はバラの花を咲かせるため、発芽の時期や開花の時を入念に選んで待機しています。

コスモスの種にもコスモスを咲かせる計画が、ちゃんと内部に隠れている。

おのおのの植物は、その種の中に全体の設計図がちゃんと入っているという事になりませんか?

土・水・光と温度や湿度・・・

ある特定の条件が満たされた段階で、それぞれの種は発芽を開始しますよね。

起動スイッチがONになるその時期も、まるで種の中に計画書があったかのように正確です。

梅も桜も、菜の花もチューリップも、全ての植物は内側から大きくなって行くのです。

それに比べてみると、我々人間は一体どうなのでしょう?

私たちそれぞれにも魂の設計図が隠れていて、特定の条件や光の加減で発芽を開始するように、そんな風に計算されているのでしょうか?

自然界には何らかの意図が隠れているのでしょうか?

それともそんなのは、無作為の偶然なのでしょうか?

春の日差しの眩しい昼下がりは、満開のお花畑を夢見つつ、ツラツラとそんな事を考えてしまうのです。
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<日月神示の身魂磨き>という教えを聞いたことありますか?

その教えによれば、肉体と魂の両方を磨いて正しい生き方をしていると、機が塾した時、人間にも何らかのスイッチが入る事になってるのだそうです。

機が塾す時って・・・

私は早咲き? 

それとも秋に咲く花かしら?

私寒いの苦手だし、根性ないし〜

かなり暖かくなるまで咲きたくないし〜


コホン、失礼・・・

ともかく、人には何らかのスイッチが入が時がある、とは興味深い話しであります。

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日月神示は1944年、画家の岡本天明氏のところに降りて来た、国常立尊(クニトコタチノミコト)という神様のメッセージで、人々のこれからの生き方とその大切さを、自動書記の霊言現象で記し伝えた文書なのです。

<人間の生き方><正しい食生活><夫婦の本当のあり方><霊界の実相>などについて語っています。

いわば霊界通信ですね。

故丹波哲郎氏のお仕事の正統派版ってところです。


その日月神示によると、今の時代、世界はメグリの総決算なのだそうです。

個人のレベルでも、家族のレベルでも、社会レベルでも、国家レベルでも、メグリ(因縁)が総決算されているのです。

つまり、過去のさまざまな発言や行動が、自分自身や家族や組織や国際情勢に、因縁となってイッキに巡り返って来る、そんなダイナミックな時代なのだそうです。

だから、自分の身に降りかかって来るものは全て自分で引き寄せたものなので、たとえ悪い事でもその事実を受け止めること。

結局はすべて自らが原因を作っていることを深く理解し、その責任を取るべく覚悟を決めること。

それらが最も大切です。

そして・・・


 [実はこの世の現象は、すべて自分の心が鏡になって反映されている]


その真理に気づく時、そのタイミングこそが、機が熟して<スイッチが入る時>なのだと教えています。

そして、やがて来る<スイッチが入る日>の為に、身(肉体)と魂(心)の両方を磨く事が大切だと教えているのです。


具体的には贅沢を戒める。 

無駄を省く。 

早寝早起きをする。 

食べ物に気をつける。 

怒り・恨み・妬み・嫉み・不平不満などの悪想念を排除し、感謝と祈りの善想念を強く出す。

などが上げられます。


良いと思った事はすぐに実行し、悪いと思った事はすぐに止める。

悪口を言われる事でメグリ(悪因縁)を取ってもらえるので、メグリがなくなれば悪く言われる事もない。

身の周りの清掃と整理整頓をし、食べ物を大切にする。

神社や聖地を参拝し、神の意にそったマコトの行動をすること。

これらのことを意識化することで身魂は磨かれて行くと言います。



「内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わって来る道理。
内の自分を洗濯せずにいて、汚いものが近づくとか、世の中が暗いとか、不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。
木でも草でも中から大きくなって行くのじゃ。」

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日本は世界の雛型になる国。

だから日本人の霊性への目覚めがとても大切だと、あちらこちらで噂されています。

いつ何時スイッチが入っても構わないように、皆さんも霊性を磨いて準備を整えておいて下さい。


発芽の春はすぐそこなのじゃ。




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by viva1213yumiko | 2014-03-15 22:30 | 人生・霊性 | Comments(0)

赤い靴

冬物の最終バーゲンも終わり、ブテックのショウウィンドウにも鮮やかな色彩が戻って参りました。

毎年それに刺激されるように、春物の明るい色の準備を始めたくなります。

あちこちひっくり返し、整理を始めて、むか〜し買った赤い靴を見つけてしまいました。

この赤い靴、もう捨ててしまおうかどうか、迷っている真っ最中の私です。

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  ♬赤い靴 はいてた おんなの子

   異人さんに つれられて 行っちゃった

   横浜の 波止場から 船にのって

   異人さんに つれられて 行っちゃった

   今では 青い目に なっちゃって

   異人さんの お国に いるんだろう

   赤いくつ 見るたびに 考える

   異人さんに 逢うたびに 考える♬



大正時代に発表された、野口雨情の童謡<赤い靴>

哀しげな曲調と共に、分けも分からず外国に連れて行かれた少女の姿に、赤や青の色彩が広がり、イマジネーションを喚起させる不思議な童謡です。

子ども向きの唄と言っていいのかどうか疑問視されるところですが、異人さんに拉致されてしまった女の子が、気の毒なような、羨ましいような・・・

エロスとロマンが入り交じり、甘く胸をくすぐるミステリアスな童謡でもあります。

この唄は「異人さん」だからロマンを感じるのであって、決してただの「ガイジンさん」であってはならないんですよね。

ガイジンさんならそこら中に溢れてて、もはや異人でも何でもなくなってしまった今日でも、心のどこかに郷愁を感じさせるようなそんな普遍性のある唄です。

友人Mはこの「異人さん」の事を、ずっと「良い爺さん」だと思っていたらしい。

だから外国へ行けてめちゃラッキーな子なのに、この曲のメロディがなぜ悲しげなのか不思議でしようがなかったそうだ。(笑)

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実はこの赤い靴の女の子は実在していたんだそうです。

明治35年7月15日生まれの岩崎きみちゃんという子で、北海道開拓民の生活の厳しさから函館の宣教師夫妻に養女に出された、かわいそうな境遇の女の子らしいのです。

野口雨情はこの実話からインスピレーションを得て詩を書いたと言います。

しかし実際には異人さんの国に行く前、当時の不治の病結核が判明し、きみちゃんは船には乗れなかった。

宣教師夫妻は東京麻布の孤児院にきみちゃんを預け、横浜から米国へと帰国し、結局彼女はわずか9才でこの世を去りました。

だから麻布十番の孤児院跡地にはきみちゃんの慰霊碑まで残されています。

「大正ロマンも案外、残酷さと表裏一体を成しているんだなぁ」と、つくづく思い知らされましたね。
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<赤い靴>はアンデルセン童話の物語にも登場します。

少女が靴屋で買った赤い靴を履くと、足が勝手に踊り出し止まらなくなります。

靴を脱ぐことも出来ず死ぬまで踊り続けるという、そんな呪いがかかってしまうのです。

恩ある老婦人の葬儀にも出られず、身も心も疲れ果てて、最後には呪いを解くため首切り役人に足を切断してもらうという、これもまた童話とは思えないほど残酷なお話しです。
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バレエ映画<赤い靴>は、アンデルセン童話をバレリーナの出世物語に置き換えた1948年制作の映画で、モイラ・シアラーというスターダンサーが主演し、当時としては画期的かつ実験的な素晴らしい映画でした。

去年この映画のデジタル・リマスター版を観賞し、その芸術性の高さに改めて感動してしまいました。

その時にもふと疑問に思ったのですが、女の子というものはなぜ赤い靴を履きたがるのでしょう?

いや、もっと正確に言うとすれば、女性はなぜ赤い靴のシンボルに惹かれてしまうのか?

ですかね・・・?

とにかく、得も言われぬ赤い靴の不思議な魅力にズームインしてみましょう。

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ご存知のように、赤い色とは生命力・情熱・炎の象徴です。

白の神聖さに対して赤は卑俗のシンボル。

大地に足をつけ、自分の運命を切り開いて行く創造性と自由を意味します。

女性にとって赤い靴とは、自分自身のアイデンティティそのものなんですね。

なまの生命力エネルギーの表現形態とも言えます。

赤い靴とは自分の価値や尊厳をしっかりと表現し、創造性を発揮する、お気に入りのものの事を意味するのかも知れませんね。

スポーツ・学問・芸術・教育・趣味・ボランティアなんでも構いません。

あなたが情熱を感じるものを象徴するのが赤い靴なのです。


また西洋では女性の靴は女性性器のシンボルでもあるので、赤い靴とは自分の女性性への自信・プライドの表現とも言えるでしょう。

だから自我に目覚める少女の頃に、赤い靴に惹かれるのは、当然と言ったら当然の成り行きなんですね。

赤い靴が意味するものは、女性にとって生きる上の手段でもあり、お気に入りではあるけれど、それと同時にどこか怖いものでもあるのです。

人生上のある段階、自我を確立して自分の道を歩む準備の頃に、少女は赤い靴を履きたくなるのかも知れません。

たとえ大人の女性であっても「なぜか最近赤い靴が気になってしょうがない」と言う人は、自分の魂が内側から何かを表現したがってると考えても構わないでしょう。


地に足をつけて人生を歩むためには、履きごごちの良い靴を見つける事が大切です。

自分だけの使命や目的地に導いてくれる、素敵な赤い靴・・・

あなたが持ってる赤い生命力で、踊るように人生を歩んで行きましょう。




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by viva1213yumiko | 2014-03-10 13:10 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)