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てへぺろのススメ

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若いってただそれだけで良いものですよね。

「箸がころがっても楽しいお年頃」って言い方しますが、ティーンエイジの頃は正にそんな雰囲気に満ちあふれています。

ふっくらした頬や、みずみずしい二の腕。

どうでも良いような事に一喜一憂して、いきなりパアッと弾けるように笑う。

若いお嬢さん方の刻々と変わる表情を眺めてるだけで、こちらまでウキウキと楽しくなって来ます。


若さとは何か?

若さの特権とは一体何なのか?

若さが許す様々な事情から、それらを考察してみるのも興味深いですね。


若いという事は一般的には<未熟さ>を意味します。

<未熟>という事は失敗してもしょうがないという事、更なる経験のチャンスが再び与えられてるって事でもあります。

つまり若い頃には「多少無鉄砲でもがむしゃらにガンガンやって構わない」そういう特別な権利があるって事なのです。

仕事でも恋愛でも、取りあえず何でもやってみる。

いい大人がやったら笑い者にされるような事でも、泣いても笑っても、失敗して恥かいても・・・

「若いんだもの仕方がないさ!」

それが若さに許される一番大きな特権だと思うのです。

人は大人になると訳知り顔で若い連中に講釈したりしますが、その殆どは自分自身に向かって言ってる説教だと思って間違いありません。

自分の子供に「勉強しないとちゃんとした大人になれませんよ!」なんて言う親は、自分自身がちゃんとした大人になれてないって声高に表明してるようなもんなのです。

人は自分の経験則からしか物事を語れないのだから、人様のご意見を聞く場合もあくまで参考意見程度にとどめましょう。

最終的には自分で決断しないとダメです。

それぞれの人がそれぞれの世界観を語ってるだけなのだから、本来は誰もあなたの世界に影響を及ぼす事など出来ません。

だから若い人は思考回路の固まった大人の言う事など耳にかさずに、ガンガン好きな事しちゃって欲しいですね。

若くったって年取ってたって、男だって女だって、自分の人生が気に入らなくなれば、いつでもその場所から起動修正すればいいだけの話しなんです。
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失敗を恐れずに好きな事をやってみる。

それでも最初から上手く行く人は少ないのではないでしょうか?

人は失敗を重ねながら色んな事がわかって来るものだからです。

失敗して少しヘコんだそんな時、未熟な自分の言動のすべてが許されてしまう、呪文のような<万能の言葉>があったらどんなに心強い事でしょう。


それが若い女性たちの周辺に存在していました。

「てへぺろ」っていう新種の日本語があるのをご存知ですか?

そう、流行りのギャル語「てへぺろ☆」の事です。


「てへぺろ」とは何か失敗をした時や、相手の気持ちを和らげたい時に使用する擬態語です。

うっかりした時や失敗した時などに、女性が「てへっ」と笑いながら舌を「ぺろっ」と出している状態の事です。

もともとは日笠優子さんという声優の方の持ちネタギャグだったようですが、だんだんに広まって、2011年には<女子中高生ケータイ流行語大賞銀賞>まで獲得したのだそうです。

2011年の事ですから、東日本大震災の頃から既に立派な日本語だったみたいなんですね。

知らなかったのは私だけで、ギャル語サイクルの早い女子中高生にとっては、既にもう死語なのかも知れません。


使い方はこんな感じです。

 「ごめん遅刻しちゃった! てへぺろ☆」

 「ごめんね。 私が間違ってた。 てへぺろ☆」

 「ハイ、チーズ! てへぺろ☆」


右手をクルっと回転させながらピースサインを作り、右目の横に添え、左目でウインクしつつ、ペコちゃんのように舌を上唇方向に「ぺろっ」と出し、可愛こブリッコの声で「てへぺろ☆」と言い放つのが正式なスタイルなのだそうです。

これを流れるように自然に繰り出すには、相当な熟練が必要となります。

それを見た者に「可愛いなコイツ」と思わせるか「ウザッ!」と思わせるかは、使用者の容姿・挙動・相手先のギャグの許容度などのさまざまな条件をクリアしなければなりません。

実社会で使用するには相当な状況判断が必要とされるでしょう。

つまり「てへぺろ☆」使用には、TPOが必要であるって事なのです。


「てへぺろ☆」使用の条件には・・・

   1. 仲の良い人がその場にいる事

   2. 許される空気である事

が、必須となるでしょうね。


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相手がイラッとした時にすかさず発動させると、イラッとした気分を緩和させる効果があります。

そこにはリラクゼーション効果が期待される訳なのですが、基本的に可愛い娘に限ります。

若くて可愛い娘だけに許される特権なのです。

可愛らしく効果的に実践しないと単なる<ごまかし笑い>と判断され、よけい評価を落とす事になりかねないので、そこら辺のさじ加減が難しいところです。


しかし「てへっ」&「ぺろっ」で好印象を与えて、モテカワ女子になれるのだとしたら、若さの特権とは恐るべきものがありますね。


「てへぺろ」といい「アヒル口」といい、最近の「ぷに子」といい、モテカワの基準も時代によりどんどん変化しています。

しかし若くて可愛らしいっていうのは、ただそれだけで既にパワー(力)なんですね。

「多少無鉄砲でも、がむしゃらにガンガンやっても構わない」

若さの特権とは素晴らしいものです。

けれども実は、若くったって年取ってたって、男だって女だって、人生の今のその場所から新しい世界へといくらでも飛び出して行けるはずなのです。

例え失敗したとしても、若い娘のように「てへぺろ☆」って笑い飛ばしてみましょう。

そんな風に気楽に考える事が、人生を最も輝かせる<コツ>のように思えてならないのです。



おまけ:
余談ですが「てへぺろ」(Tethe Tpero)はアボリジニの言葉では、言ったら殺されても仕方ないほど相手を侮辱した意味なんだそうですよ。

あくまでもTwitter上のデマかも知れませんが・・・




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by viva1213yumiko | 2014-06-29 11:29 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

お点前事始め

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日本人と生まれたからには、何か日本的な趣味のひとつでも持ってみたいものですよね。

「ご趣味は?」と聞かれた時に、「書を少々」とか「日舞かじりました」とか、「盆栽アートにハマってます」とか・・・

上品そうにはにかみながら、そう答えて見たいものです。

常々そんなチャンスがどこかにないかと思ってら、ひょんなはずみで茶道のお点前を習う事になってしまいました。


茶道師範の友人の誘いで茶席に招かれた事はあり、お茶会がどういう雰囲気なのかは知ってました。

しかし客人として茶会に出席する事と、自ら客人にお茶を立てる事との間には、アイガー北壁ほどの大きな壁が立ちはだかります。

茶道には<型>という決まりごとがたくさんあり、聞き慣れない言葉やタブーも多く、美意識満載すぎてハードル高すぎじゃない?

古美術みたいなお道具だってどうにも理解し難いし、第一私、正座が出来なかったじゃない!

キャリア30年以上のF先生は「おもてなしの心さえあれば、お点前なんて誰でも出来ますよ」と精神論が優先です。

しかし私には「足のしびれをどう克服するか?」「茶道具を何で代用するか?」などの、現実的な課題の方が大きいのです。

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                        (裏千家流盆点前)


茶道には長い歴史がありますが、その伝統のあちこちに遊び心もたくさんちりばめられているのです。

春夏秋冬の宴や野山遊びのために、野点や箱盆点前などのピクニックバージョンも発達しました。

現代ではテーブルの上でお点前する、<テーブル茶道>というものもあります。

本当はかなり自由でフレキシブルなものなのです。

そこで私は考えました。

お客様の時「コーヒーにしますか、紅茶にしますか、それともお抹茶立てましょか?」なんてサラリと言えたら格好いいんじゃないかしら?

外国人にアピールすれば、「 OH! ワンダフォー! オ・モ・テ・ナ・シ!」なんて、きっと感激してくれるに違いありません。

2020年オリンピックの時にも役立ちそうです。

かなり不純な動機ですが、私はFさんに詰め寄りました。

「なんちゃって茶道でいいからお点前教えて〜」 
「茶道を一般人にも解放せよ!」

伝統的な茶道の世界では、技は師匠から弟子に口伝で伝わるそうで、パーツパーツのカリキュラム制みたいなものはまず成立しないらしいのです。

しかしF先生は太っ腹だった。

「よろしゅうございます。10回通って頂ければなんちゃってどころか、ちゃんとお薄が立てれるようにして差し上げます。」と言ってくれたではありませんか。

「お薄・・・」

う〜ん素敵! なんてマニアックな響きかしら・・・

このようにして、かなりオリジナルの<チケット制茶道・10回コース>が幕を開けたのでした。


10回の茶道レッスンは友人宅で行われたのですが、そこは普通のお宅なので当然茶室などありません。

なので一番のネックは「どうやって湯を沸かすのか?」という事につきます。

蓋を開けた電気ポットを茶釜に見立てたりする人もいるらしいのですが、今回は皆で頭をひねり、なんとカセットコンロに土鍋を乗せて、それで炉と釜の代わりにしてしまいました。

換気のためにしょっちゅう窓を開けないと危険だけれど、それ以外は何とか無事クリアです。

水こぼしはどんぶりで、蓋置きは小鉢で、水差しはビスケット入れで代用です。

床の間に見立てた場所には、掛軸の代わりに季節の花の手ぬぐいを飾りました。

香炉はアジアン風だし、飾り花はバラやガーベラで洋風だし・・・

かなり強引かも知れませんが、こんな風に手持ちのグッズを集めて<茶道ごっこ>してみると、カフェオレどんぶりで抹茶を飲む日本通の外人さんの気分に浸れてとても新鮮です。

表千家や裏千家の宗家家元が聞いたら腰抜かすかも知れませんけどね。(笑)

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ところでお茶やお花が嫁入り前のお稽古事になったのは、明治以降になってからって知ってましたか?

それより前の時代では、茶道とはお侍さん・お坊さんのもの。

主に男たちがたしなむものだったのです。

小さな密室で膝を割って他者と対面する。

それは主客がひとつに交わる行為であり、嘘偽りの通用しない、心のすべてが見透かされる真剣勝負だからなんです。

だから武士は茶道を好み、積極的にたしなみました。

相手の武将が信頼出来るか、下心を持っていないか、茶席を同じくして知る事が出来るからなんですね。

またお坊さんたちは座禅中、眠気を押さえるため茶を点ててたと言います。

そうなって来ると、お抹茶とは昔の覚醒剤みたいなものだったんでしょうかね?

となると、千利休はドラッグ系アーテイストと言えなくもないですね。(笑)

利休の昔から、茶道と精神論とが切っても切れない間柄なのは、語り継がれる色んなエピソードからも想像されて面白いですよね。

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昔の日本人って、現代の我々よりもずっとっずっと純粋だったと思います。

自然のリズムに逆らわず、仁義礼智を重んじ、日々お天道様に感謝して、シンプルに暮らしていたのでしょう。

日本人の素晴らしい美徳を知るために一服のお茶を点てる。

その行為が今の私には思いのほか役に立っているのです。

慌ただしい毎日だからこそ、自分の純粋な部分とアチューンメントするため、このような時間を大切にしたいものです。




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by viva1213yumiko | 2014-06-10 20:15 | 季節・行事 | Comments(2)

エネルギー・ヒーリング

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小さな子供がうっかり転んで、膝を真っ赤に擦りむいて、泣きべそかいてしまったら・・・

必ずやお母さんはこう言うはずです。

「痛いの痛いの、飛んで行け~!」


この言葉、まるで呪文のようです。

なぜだか分からないまま、不思議と子供は泣き止んでしまい、その場にすっくと立ち上がり、また安心して走り始めます。

「子供騙しって奴は結構効くなぁ」 「子供は単純でいいなぁ」

なんて、そんな風に思ってはいけません。

理性を獲得したはずの大人のあなたが、その分だけ純粋性を失くしてるっていう、それは他ならぬ証拠になりはしませんか?

子供ってとっても純粋なんです。

この<痛いの痛いの、飛んでけ現象>とは、母と子の安定した愛情関係の上に成り立つ、驚異の<癒しの技>と言えます。

子供の母親に対する<絶対的な愛><絶対的な信頼>が、子供の持つ自然治癒力を引き出したと考えて良いでしょう。

瞬間的に子供の治癒の力が爆発する、身近な奇跡現象とは言えないですか?

イエス・キリストもこう言ってます。

「よく聞きなさい。心を入れ替えて、幼な子のようにならなければ、天国に入ることは出来ないであろう。」

幼な子の素直な心には母の愛は癒しの力そのものです。

子供にとって母親とは、紛れもない真実のヒーラーなんですね。
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<エネルギーヒーリング>

それは遥か昔から行われて来た療法です。

<痛いの痛いの、飛んでけ療法>以外にも、患者のエネルギーを変容させるため様々な治療法が存在しています。

伝統的な部族社会では長年シャーマンたちがその役割を担って来ました。

中世の頃は魔女などと呼ばれた人々がその職能の多くを担当しました。

日本では加持祈祷する呪術師やお坊さん・行者さんですかね?

その後の歴史では、教会や政治の支配層がこの手の能力者を迫害したので、彼らはだんだん地下へともぐって行くようになりました。

近代以降は<医学>が癒しを担当するようになったので、どこか具合が悪くなれば、人は迷う事なく病院へと行きます。

病院では傷病名や症例によって、何科で診療するべきかが決定されるので、場合によってはどこの科に行っても原因不明と診断されてしまう、そういうケースが現われ始めました。

どの医者からも匙を投げられた重病患者が、ある気功師との出会いをきっかけに完全に治癒してしまった。

そんな話しが存在するのも、太古の智慧を受け継いだ伝統的シャーマニズムが、今もなお息づいている証拠なのでしょう。

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実際のところ、最近になって急に色々な流派やヒーリングテクニックが増えただけで、その本質は昔から何も変わっていないのです。

誰かがまとうエネルギーを調整して、その肉体的・感情的・精神的・スピリチュアル的な状態を変える事。

それが<エネルギーヒーリング>だと定義されています。


ヒーリングを行えば必ず何らかしらの変化が起きるものですが、それはクライアントが予想していないレベルで生じる場合があります。

ヒーリングをすれば何かが変わるので、あるレベルにおいては必ず効くとも言えるのです。

事実ヒーリングを受けて奇跡的な回復を見せる人もいます。

この種の回復は劇的なものが多く、通常の治療の法則がまるで当てはまらない神秘的な趣きがありますね。

医師が困惑し診断ミスを疑ってみたり、投薬方法を改めざるを得ないケースもあるのです。

また症状は改善したものの、完全な治癒には至らないケースもあります。

ヒーリング後も「体調には変化はないが、生活の別の面で上向いて来た」または「長年の問題が不意に解決した」という例も数多く、正にちょうど神秘的なタイミングで、その人に起こるべき事が起こったりするのです。

通常の治療が効くかどうか判断できないのと同じように、ヒーリングの影響が患者にどう出るか確実な事は言えません。

分かっているのは、それには「どうやらカルマの問題が大きく左右しているらしい」という事だけです。

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ヒーリングっていうのは、目に見えない世界で起こる現象なので、理屈ではなかなか説明し切れないですし、言葉で語っても完全に理解できるというものでもないようです。

イエスが「聞く耳のある者は、聞くがよい」と言ったのも頷ける話しです。

けれど、そこを何とか無理やり説明するとしたら・・・


私はヒーリングっていうのは<クライアント><ヒーラー><ヒーラーがアクセスする高次ソース>、この三者間で行われるある種のプロセスなのだと思っています。

高次ソース(神・宇宙・根源)に正しくリンクしないままヒーリングを施すと、ヒーラーが消耗してしまうケースがあります。

そういう意味でもヒーリングにはリスクも付きまとうのです。


だから・・・

ヒーリングって結局は<愛の行為>なんじゃないかと思うのです。

母親の真実の愛情がなければ子供の痛みは決して癒されません。

それと同じように、真実の癒しとはきっと<愛の感覚>にかなり近いんじゃないかと思われるのです。

人は純粋な愛の力に触れた時に初めて本当に癒されます。

こればかりは理屈じゃないんですよね。

<愛を信じる心><愛を分かち合う心が>人々の癒しの源泉です。

結局は、「偉大な愛のエネルギーが全てを良い方向へと導いてくれている」としか、他に言いようがないのです。


近頃お疲れ気味で「愛って何だったっけ?」なんて感じる人は、これを機にもう一度<愛の本質>ってものを思い返して見て下さいね。




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by viva1213yumiko | 2014-06-06 20:24 | 美容・健康 | Comments(0)