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おちんちんの讃歌

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「オッパッピィ~~!」

7才になる友人の息子が意味不明の言葉を発しながら、車の中で騒ぎ出した。

母親以外の女性のオッパイやお尻が気になる年頃なのだろうか、たいして豊かでもない私の胸を、隙あらばツンツン突いて悪戯してくる。

そこにはある種の主張が隠されているのです。

それは「女の人はオッパイだね。でも僕にはオチンチンがあるのさ。えっへん」って主張です。

つまり早い話し、自分のおちんちんの存在証明をしたい訳なんですね。


口唇期(0~1才)→肛門期(1~3才)→男根期(3~6才)

両親の愛情を存分に受けて、発達心理の各ステージを通過し、今や社会性を学ぶ段階の彼。

それは他人の肉体を知りたがる時期でもあります。

大人とはまた違った意味で、オッパイやおちんちんに興味深々なんですね。

幼くてもエロスはDNAに組み込まれている。

最近では金髪水着美女の画像を見たがっては「ママのオッパイと違うね」と同意を求めるそうで、父親も苦笑しておりました。(笑)


男の子はおちんちんを通じて大人になる。

まさしく本当にそうなんだなぁ〜って思います。

男の子はおちんちんの優越性で、男らしい能動性や攻撃性を育むのだそうです。

「僕はおちんちんを持っている。しかし女の人はおちんちんを持ってない。」

どうやらその辺りが最も自慢したい部分なのかも知れません。

彼はおちんちんを通じ「自分とは一体何ぞや」と、アイデンティティーを学んでる真っ最中なのです。

おちんちんとは<男と女><大人と子供>の境界線辺りに見え隠れする、何か根源的でシンボリックな象徴なのでしょう。

だから何のかんのといいながら、結構みんな興味あるんですよね。(笑)

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そういえば私も小学4年生の頃だっただろうか、おちんちんを巡る奇妙な経験をした事を思い出しました。

ちょうど大人と子供の境目辺りの、<おちんちん原体験>ともいえる体験です。


秋の日の昼下がり。

自宅近くの路地裏で、気弱な痴漢のお兄さんに遭遇してしまったのです。

「い、いいもの見せてあげようか?」

変態のお兄さんはそう言うと、両手でコートの前をガバッとはだいだ。

当然のごとく、めくったコートの中はスッポンポン。

いたいけな少女は「キャ~」

変態さんはエヘラヘラ・・・

まぁこれが普通のパターンでしょうか。

しかしその時の私はちょっと違った反応を示してしまったのです。

というか、大体においてお兄さんの大事な部分がよく見えなかった。

午後の眩い日差しの影になって、彼の局部はモヤモヤの暗黒星雲、どう見ても猥雑な暗がりにしか見えなかったのです。

「ん、ナニコレ・・・?」

いたいけな少女は悲鳴を上げることなく、むしろ驚きもせず、まじまじとお兄さんの股間を凝視した。

そして変態のお兄さんの股間と瞳とを、交互に見比べたのです。

「ナニコレ・・・?」

いたって冷静な感じにだ。

こうなると出ばなをくじかれ、恥ずかしくなってしまうのはお兄さんの方だ。

急いでコートの前を閉じて、顔を赤らめ逃げるように過ぎ去るしかなくなってしまった。

午後の路地裏を、背中を丸めた変態さんが行く。

そんな風変わりなシーンが原風景として浮上して来たのです。

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それは潜在意識に収納され、長い眠りについてたおちんちんの記憶でした。

今にして思う。

あれは一体何だったんだろうと・・・

幸いな事に私のおちんちん体験とは恐怖体験でなく、未知の空間を垣間見た不思議経験としてしまい込まれていました。

しかしこれは、たまたまラッキーだっただけの話しなんでしょうね。

同様の体験がトラウマとなって、男性恐怖やSEX恐怖に苦しんでる女性も多いはずです。

おちんちん体験とは、女の子にとってもある意味大きな通過儀礼なのです。


実際世の中には、男性器への恐怖感を持つ女性はたくさん存在するのです。

「病的なくらいの潔癖症で困ってる」なんていう人も、幼少期の性にまつわる体験(あるいはそれ以前からの記憶)に影響されてる可能性が高いですね。

そういう女性たちは、自分の中で不合理に膨らんでしまった誤った情報を、健全な情報に書き変える必要があります。

つまりおちんちんに対するネガティブな観念を、明るく健康的なものに変えて、それに起因する諸々の不幸に光をあてる作業が必要なのです。

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性にまつわる様々な問題には大人もハッキリ答えてあげられないし、聞いてはいけないみたいな雰囲気だし、いつでも曖昧さを抱えたまま我々は大人にならなければなりません。

昔の日本では混浴が当たり前でした。

子供たちはそれを見て、ごく自然な形で性を学びます。

昔の人のように性に大らかだったら、人間はどんなに明るく健康的に育つだろうかと思うと、この現代社会の歪みを改めて考えさせられます。

性にまつわる事は、子供たちに明るく希望を持って伝えたいものですよね。


世の若き女性たちに告ぐ!

決して性の問題などに怯むことなかれ。

あなたが恐れているものは、ただ単に未知のものだからなのかも知れませんよ。

暗黒星雲のイメージを、明るい場所・光の当たる場所に引っ張り出してみてごらんなさい。

それが出来たらなら・・・

おちんちんは絶対、眩く愛おしく崇高な存在に昇華するのです。(笑)

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追伸:讃える歌も作ってみたので、皆さんで歌ってみて下さい。(冗談)



     <おちんちんの讃歌>

   愛といつくしみのあるところ

   神の教えは完全で、魂を生き返らせる

   そのさとしは変わらず、心に知恵をもたらす

   悪の力から解き放たれ、誠の自由を得たなら

   完璧な機能、完璧な美しさ

   神の栄光と祝福が宿る場所

   ハレルヤ、ハレルヤ・・・

   皆で讃えよう、おちんちんの歌

                


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by viva1213yumiko | 2015-06-19 12:48 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

抱きしめる聖者

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訪れる人ひとりひとりを抱きしめる。

ただそれだけの行為で人々の心を癒し続ける、そんな聖者がこの世にいます。

南インドのケララ州出身、世界中の人からアンマ(お母さん)と呼ばれる、ヒンズーの聖者を紹介しましょう。


インドには世にも不思議な聖者がたくさんいると聞きます。

眠らぬ聖者・断食50年の聖者・千里眼の聖者・肉体をふたつ持つ聖者・至福に浸る聖者・空中浮遊する聖者・物質化する聖者・・・(あるヨギの自叙伝より)

そしてそれぞれの不可思議な能力や信念を媒介に、神の実在や真理を人々に伝えること。

それが聖者のお役目ということになります。


その中でもずば抜けてユニーク、かつ奇跡的な取り組み方法を取っているのが、このアンマという女性聖者です。

彼女は過去44年間に渡り世界中のあちこちに出向いて行き、3500万人以上の人々をただ抱きしめ、癒しのエネルギーを与え続けるという、それはそれはシンプルな愛の啓蒙活動を行っているのです。
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「ただ抱擁するだけの聖者? 地味っぽくない?」

そう思ったあなた! それは認識不足というものですよ。(笑)

例えば政治家の選挙活動にしても、せいぜいいいとこ握手止まりですよねぇ。

選挙区の人々に愛を込めたハグなんてしませんよねぇ。

それなのにこの聖者は人種・宗教・年齢・性別・階級すべてに分け隔てなく、望む者には誰にでも愛を込めて抱擁し、祝福を与え続けているのです。

しかも一度に20時間以上、休憩なしで延々と抱き続けることもあるというから、その数とスケールは桁外れ、ギネス並みなのです。

海外メディアからは「抱きしめる聖者」と呼ばれ、ローマ法王やダライ・ラマ法王らと共に、世界で最も影響力のあるスピリチュアル・リーダーのひとりとして紹介されています。

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そんなアンマさんが来日されるというので、先月末、初めてのダルシャンに参加させて貰いました。

ダルシャンとは聖者の祝福を受ける行為のことを指します。

インド宗教では聖者の徳は他に伝えることが出来るとされます。

なので聖者に祈願し賞賛し、聖者を見て触れることによって、誰でも功徳を得ることが可能なんですね。

「村にひとりの聖者がいればその村全体が功徳の恩恵に預かる」と言われるくらい、聖者への信仰はあついものなのだそうです。

つまりインドでは、聖者は生き神様と同じ扱いなんですね。

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「抱擁してもらうと、凄いエネルギーが入って来るよ〜!」

ダルシャンの噂を事前に聞いた段階では、正直言って半信半疑だったのですが、実際セレモニーに参加して驚いてしまいました。

彼女の発するあったかくて滑らかなエネルギーが、会場内に確かにビンビン充満してるのです。

順番待ちの席から少しずつ彼女に近寄ると、フワンフワンと体温も上昇し、どんどん気持ち良くなってしまうのです。

2~3m程まで本人に接近すると、お酒に酔ってハイになったような、えも言われぬ多幸感が沸き上がります。

「聖者の恵み」ってこういうものなのかと思うと、ヒンズー教徒でなくても喜びに満たされます。


そしていよいよアンマの前にひざまずく。

この私だけのため、抱擁と祝福をしていただけるのです。

ムギュ〜!

聖者は想像よりも遥かにきつく、しっかりタイトに抱きしめて来る。

ムギュギュ〜ッ!

だから私は母親の乳房に顔を埋める子供みたいな状態になってしまった。

暖かくふくよかな生身の聖者の感触が、右頬からひしひしと伝わって来ます。

そして何とも言えない花のような良い香りがする。

これこそが愛のエネルギーという奴なのでしょうか?

言葉にならない大いなる母性の波動に満たされ、やけに感動的だったんです。

それは至福の瞬間。 

ちょとしたエクスタシー状態です。

彼女のそばにいるだけで何でこんなに幸せを感じてしまうんだろう?

実に不思議な現象だ。 

けれど・・・

「理屈なんかどうでもいい! そばにいさせて〜!」

なぜか誰もがこうなってしまうのだから、聖者のパワーとは本当に恩寵に満ちてるのです。


こんなこと言ったら、宗教かぶれの危ない人みたいに映るでしょうか?

怪しいカルトに遂にハマったと疑われるかも知れないですね。(笑)
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実際超能力を使って人心を惑わせる偽聖者・偽予言者もいるとは聞いてます。

しかしこのアンマさんの凄いところは、ここから先なのであります。


彼女は<embracing the world >(世界を抱きしめる)という国際的な人道支援活動を展開するネットワークのリーダーでもあります。

ヒンズーの宗教家としての啓蒙活動だけではなく、福祉や社会問題への取り組みとして、世界的な慈善活動を行っているのです。
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彼女の博愛と奉仕の精神に触発された慈善活動団体が、国際チャリティ協会の設立を促し、災害救助・教育・医療・住宅の提供・女性の権利・孤児・介護・環境保護など、悲しみと苦しみに直面している人々を支援し続けています。

その理念は、世界の貧しい人々や被災者の苦しみが軽減されるよう、<食料・住居・教育・保健医療・収入機会創出>という5つのニーズの充足を支援すること。

ネパールの地震やスマトラ沖の津波の時も緊急援助してますし、もちろん東日本大震災の時も、水や食料・義援金・ボランティアスタッフなどが送られて来ました。

アンマさんご本人も2011年7月には避難所を訪問し、多くの被災者をその胸に抱きしめたそうです。


世の中には人道的な活動を展開している人々やグループが数多くあります。

その中には偽善の香りのするものもあるでしょう。

しかしアンマの身体をはった無私の奉仕活動は、精神世界を人道主義に結びつけた、高次の意識レベルの汚れない善意を感じ、感動的ですらあります。

マザー・テレサ、マハトマ・ガンジー・・・

歴史の中には時々もの凄いことをやってのける偉人が浮上しますが、このアンマもきっとそのような使命を持つひとりなのだと思わずにはいられません。
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今回アンマに逢って抱擁を受けて、改めて感じたことがあります。

それは人が人として生きるべき姿とか、人を正しい道へ導く力とかは、書物やネット検索で知りうる、そういう類いのものじゃないってことです。

人が目指すべき道。

そこにはきっと目的地があるはずです。

そしてその方向は先達の生き方の中に見つけることが出来るのでしょう。

器の大きな先達が指し示す方角は、きっと光輝く場所に違いありません。


だから先達を見習い、善意を育んで、今日のこの瞬間を抱きしめるように生きて行きましょう。

それが地球を抱きしめることに繋がって行くのです。

世界を抱きしめること・・・

それは結局、自分を抱きしめることと同じなのです。

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私たちは皆、世界が今よりも善良さと美しさで満たされるよう願っています。

そういう機会を創るために、私たちも自分の役割を果たさなくてはなりません。

戦争やテロのない世界
誰ひとり飢えや貧困を味わうことのない世界
成長し発展する機会を誰もが等しく与えられる世界
性別・宗教・肌の色の違いに関わらず、すべての人が互いに敬意を持てる世界
人々の心が愛と一体感でつながる世界

私たちは夢見ることが出来ます。

その夢を実現するために、いとわずに献身しましょう。

                    <アンマの言葉より>


    

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by viva1213yumiko | 2015-06-07 23:55 | 人生・霊性 | Comments(0)