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神との対話 風水編

今やパワースポットブーム花盛り。

旅行会社でも人気の企画なんだそうで、各社様々なツアーが用意されてます。
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パワースポットとは・・・

つまり、大地からの気の吹き出し口のことですね。

大地からのエネルギーがもらえる場所、大地から湧き出るエネルギーを体感できる場所であります。

風水で言うところの<龍穴>、<気場>などとも呼ばれ、もともと大地のツボに当たるような場所のこと。

古来から人間の叡智には、目に見えない霊力を感じ取るセンサーが備わっていたのでしょう。

縄文人でさえすでにそのエネルギーには気付いていて、パワースポットを神聖な聖地とし敬意を払っていたようです。


ミルチャ・エリアーデという宗教学のエラ〜イ先生はこう言ってます。

[自然に対する信仰のうち、山・岩などは<天上・地上・地下を結ぶ宇宙軸>を、大地や水などは<死と再生>を象徴するもので、世俗生活の根底にあり、それを支える世界観の重要な部分を成している。]

つまり人類には原初から、海・山・川などの自然形態に神聖な要素を意味づける<自然崇拝>の能力が備わっていた、ということになりそうですね。

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若狭の旅では知人のツテを通じ、三方五湖の旅館に泊まらせていただきました。

その旅館は若狭湾と三方五湖を繋ぐ水路の脇に立つ宿で、もうめちゃくちゃロケーションの良い場所だったのです。

<入船>という宿の名の通り、夕暮れになると部屋の目の前を定置網漁船が次々に帰って来る。

「そやねぇ、いま夏だけぇあんましええ魚のうて残念やな。 冬にまた来ね。」

食べ切れないほどの舟盛りの刺身を前に、女将は残念そうにそう言う。

シーズンオフでこの豊かさなら、越前ガニやトラフグの旬の頃にはどんなに豪華なことでしょう・・・


翌朝早く起き出して、海と湖が隣り合わせの珍しい地形を散策してみる。

そして湖と海の境目の突端の、小さな氏神様に何となく足が向かいました。

キツネの像が鎮座してたので、多分八幡稲荷とかそういう類いのものでしょう。

釣り船の安全な航行をずっと見守って来た、古い社のようです。

その小さな神社の裏側に、不思議な小道を見つけてしまいました。

誰かから「こっちにおいで」と呼ばれるような気がして、何だかその小道が気になってしようがない。

手入れもされず伸び放題の木の枝を、かき分けかき分け小道を登る。

するとそこに突然、古い磐座(いわくら)が現われたのです。


どうってことない古ぼけた岩とも言えるのだが、なにやら原始的生命力みたいなものを感じずにはいられない。

そこは日本海が一望できる素晴らしい場所なのです。

しかしなぜか空気が澱んでる。

吹けば飛ぶような祠が、かろうじてあるのですが、ゴミなども散乱し、どう見ても清浄な雰囲気ではありません。

誰にも顧みられることなく、<傷付き忘れ去られた聖域>といった気配がビンビンなのです。
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「はは~ん、なるほど解ったぞ!」と、私は思いました。

多分この磐座そのものが、大地のパワーを集める座標に間違いない。

このスポットこそ、海と湖を結ぶ気の流れの通り道であり、後の人がそこに八幡様を建て「良い場所ですからお越し下さい」と神様を招いたのだろう。

こここそが本当の縄文時代からの古い聖地に間違いないと、そう確信しちゃたのです。


けれど悲しいかな、現在の磐座は完全に充電切れです。

周囲をきれいに掃除すれば、少しは良いエネルギーが流れるのかも知れないが、今は見事に元気がない。

<瀕死の白鳥>ならぬ<瀕死の聖地>です。

目の前が日本海という絶好のロケーションの岬なのに、なぜここにはエネルギーが通らないのだろう?


その時目に止まったのが、丘の上に建つ某ホテルのことだった。

関係者に不審な事故ばかり起こると、地元で噂の絶えない曰く付きホテルです。

そのホテルの所有する倉庫が、この磐座の前にドッカーンと建っていて、海からの清浄な気の流れを完全に遮断してしまってる。


これはちょっとマズいんじゃないだろうか?

この倉庫が建ってるが故に、縄文時代からの<龍脈>がまるで機能しておらず、やせ衰えた引きこもり青年みたいにエネルギーが枯れているのです。

これはホテル側にとっても由々しき問題でしょう。

不自然な原因は不自然な結果を生み出します。

噂通り事故や不審死が発生してるとしたら、それは古代からの聖地を敬わず、自然界のエネルギーの重要性を甘く見たせいかも知れません。

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あとそれ以外にも、若狭湾と言えば原発の問題があります。

敦賀・美浜・大飯・高浜・もんじゅと、合計14基もの原発が集中している、名高い原発銀座ですよね。

その原発エネルギーが古代縄文の力を、無理やり封印しているとは考えられないだろうか?


奈良・京都の都に近く、海あり、山あり、湖あり・・・

土地の起伏やうねりに富んだこの辺りの地形は、風水的に言っても多くのエネルギーが集まっておかしくありません。

かつてはその<龍脈>から清浄な気がたくさん流れ込み、周辺の土地を豊かに潤わしていたはずです。

しかし今、この土地のエネルギーの流れは明らかに少し不自然です。


原発といってもこの辺りから施設が見えるわけではありまません。

でも目には見えないエネルギーが空気を伝わり、知らぬ間に人々の心に影響を与えてるってこと、大いにありそうですよね。


電気とは風水の流れを阻止する電気想念を作り出すのかも知れませんね。

電気製品を使ってると、徐々に電気体となり、やがて電気脳になる。

そして自然界のエネルギーにはどんどん無頓着になり、自らの力を誇示するため環境を破壊するような思考になる。

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[環境が運をきめる]

これが風水の基本的な考え方です。


若狭湾の原発群が作る人口地場のエネルギーは、自然との繋がりを持つ風水の系譜を破壊してしまった。

だから磐座のカミは、きっとそれを強く人間に訴えたかったんじゃないかと思うんです。


磐座のカミとの対話?

それは実にシンプルで分かりやすいメッセージだったんですねぇ〜

こんな感じです。


「目覚めよ! そして龍脈を守るべし!」




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by viva1213yumiko | 2015-07-30 10:36 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

神との対話 方言編

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去年の盛夏、ちょうど今頃の話しです。

ちょっとした偶然が重なり熟女3名、北陸は福井の小浜へ行ったんです。

小浜市は若狭湾に面した歴史の古い街で、仏像・仏閣・名刹など、国の指定文化財の宝庫なんですね。

[小浜におわす、ほとけさま]

そんなキャッチフレーズで観光客を呼んじゃうくらいの、いわゆる<みほとけの里>なんです。


古代、京都の朝廷へ食料を献上する御食国(みけつくに)のひとつだった若狭の地。

日本海の海の幸が、福井の小浜から京都を結ぶ<若狭街道>を通って運ばれたのだそうです。

18世紀後半からは多くのサバが水揚げされ運ばれたので、それは<サバ街道>と呼ばれるようになりました。

若狭湾で取れたサバに一塩して、大急ぎで京都へ運ぶとちょうど良い味になっていたんだそうですよ。

往年の<サバ街道>、今ではクール便が行き交う物流街道になっちゃったんでしょうか?

果たしてどうなってしまったのか、いささか気になるところです。

「サバ街道よ、コマン・サバ?」(笑)
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そんな歴史ある土地だけに、結構ディープな隠れ里信仰があるようで、隠されたパワースポットも多いということなんですね。

なかでも<一生分の浄化が出来る>という3社巡りに興味を感じ、我々は尋ねてみることにしました。

水にご縁の深い若狭の寺社を3つ巡り、集めた水を川に流す。

すると一生分の浄化が出来る。

まるで<欧州3都市周遊>みたいに、便利きわまりないパワスポ巡りなのです。

空のペットボトル3本を用意し、3つの寺社を<若狭神宮寺>→<若狭姫神社>→<若狭彦神社>の順で水を汲み、<鵜の瀬>という風光明媚な河原でその水を流すと一生分の邪気を払えるという。

顧客満足度高得点を集めそうな、ありがたいオプションですよね。


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まず始めに<若狭神宮寺>を訪問し、境内の井戸の湧き水をいただく。

有名な奈良東大寺二月堂の<お水取り>は、なんとこの神宮寺から<お水送り>しているんだそうで、井戸から清らかな清水がこんこんと湧いていました。

どうやらこの辺りは、水と縁の深い土地柄のようですね。

この土地を守ってる男女二神は、一番最初、黒と白のつがいの鵜に化身し、川辺に舞い降りて来たという伝承があるほどです。

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神宮寺の本堂<薬師如来坐像>の前で、我々は腰を落ち着け、しばし心を鎮めて祈りました。

すると以前ここに来たことのある友人が、こんな秘話をしてくれたのです。

「人生に色々悩んでた時、ここのほとけ様からメッセージをもらったのよ。」

「え〜、すご~い! どんなメッセージ?」

「それがねぇ~、人生に意味などない、体験があるだけだって・・・」

ほ~、人生に意味はない、ただ体験があるだけ・・・

いや、スゴイこと言うじゃん、ホトケ様。 

めちゃくちゃクールでカッコいい!

神宮寺さんのご本尊は、妙にスッキリ知的な顔立ちしてて、品の良いイケメン風なのだ。

それだけに言うことも、かなりスッキリしてる。

スッキリしすぎてて、どうにも理解ができないぞ。

あまり甘やかしてはくれないけど、きっと数多くの人間を智慧の力で導いて来られたのでしょう。

私はこの話しにすっかり魅了された。

そして「どうか私にも何かの啓示を与えて下さい」と、期待に胸を膨らませ祈りました。

しかし如来は終止無言。

静かな境内にはミンミンゼミの声ばかりが鳴り響いてました。

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次の目的地<若狭姫神社>は、「大地から気が吹き上がる場所で、強い生気をもらえる」と紹介されていました。

しかし女性の神が祀られているので安産・育児に霊験があり、どちらかというと優しげな佇まいだ。

オッパイみたいに垂れ下がった<乳神様>の樹とか、女性器の形の<子宝石>とかがあるのだが、お姫様の神社らしく穏やかで上品な雰囲気なのです。

こちらの手水を、2本目のペットボトルにいただき持ち帰る。

ミッションの遂行までは、あともう1本だ。

のんびりなどしてられない、次の<若狭彦神社>へとすぐ移動しなければ・・・

<若狭姫神社>と次の<若狭彦神社>は夫婦の関係にあるそうです。

男性の神と女性の神、片方だけではダメで、両方をお参りしなければバランスが取れないとされてます。

今時のご時世とは、男女の霊体エネルギーも統合されるべき時代です。

男女のエネルギーがひとつになって加速する、そんなタイミングに来てるんでしょうね。
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<若狭彦神社>は非常に清浄な場所で、協力な浄化作用があり、悪運を浄化させ運を一転させたい人にお勧めのパワースポットだとされています。

「天と地を繫ぐ中間層のような場所でもあり、天の気とも、地の気とも違う、不思議な気が流れている」なんて紹介されてます。

なるほど男神の社らしく、参道からレイキがビンビン漂ってます。

自然が美しく、巨杉が立ちこめ、森の中にいるような気分になり、なかなかワイルドです。

先程の姫神社と気配がまるで違うのが面白い。

しかし、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)という神様を祀るこの社、参道を抜け門をくぐると何かがおかしいんです。

若く力強い神様がパワーをくれて、願い事を聞き入れてくれるものだと思ってたのに、まるで床についた病身の若殿みたいに妙に頼りない雰囲気なのです。

神社自体がどよ~んとしていて、何とも覇気がない。

いささか当てが外れた感が歪めなかった。

それでも、ここは若狭の国の一宮で、社格があり霊験も高いはずなんだからと、丁寧に礼拝を捧げてみたのです。

私はちょうどその時ある選択をしなければならず、その選択肢が正しいのか、間違っているのかを切実に知りたかったんですね。

だからヒコホホデミノミコトに答えを求めました。

「神様、私の考えは正しいのでしょうか?それとも間違ってるのでしょうか? どうかどうかお答え下さい」ってね。

「・・・・・」

お社の中には猫の子一匹おらず、辺りはし~んと静まり返っている。

その時、そよ風と共にかすかな声が聞こえたのです。

「そやな〜、あんた次第やな」

と、何と?  

神様、今、関西弁使わなかった?

「そら、あんた次第ですやろ」

やはり関西弁! 

しかもあきんど風だ!

こちらの神様は気取りがない。 庶民派なのだ。

それはありがたいことだと十分理解してますよ。

しかし、それにしてもどうなのよ。

もう〜、薬師如来が友人に宛てたメッセージみたいなの、哲学問答みたいな奴、私も欲しかったんですけど・・・

関西のあきんどのおっちゃんに化身した神よ。

次回はもう少し威厳ってものをお願いしまっせ!

<神との対話>・・・やはりそう簡単な道のりではないのかも知れませんね。

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追伸:
帰宅後に、ある霊能者さんのサイトでこの神社の説明を発見しました。

   
   パワースポットとしての若狭彦神社は、お若い神様の姿が見えます。

   若いといってもとても力強く人情味あふれる優しい方のようです。

   心の底からお願いをすると聞き入れてくれるかも知れません。

   ただしこの場所の周辺には良くない霊が多いので、浮ついた気持ちで出入   りしないように心がけましょう。


この日の<神との対話>、私は生涯忘れることはないでしょう。

しかしあのあきんどのおっさんは、果たして本当の神だったんだろうか? 

それとも良くない霊なのか?

それだけが未だに解けない謎なのである。




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by viva1213yumiko | 2015-07-26 08:43 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

愛別離苦

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「お暑い中のご供養、本当にご苦労様です。」

母親のお供で盂蘭盆会の法要に参加すると、住職は冷たいお茶をどうぞどうぞとすすめてくれた。

「昨今の夏の暑さはいかんともしがたいものですなぁ。 暴力的とでも言いますかな・・・」

人体に危険なレベルの暴力的な暑さのこの日。

お盆に呼び出されるご先祖の霊たちも、これには驚いてしまうことだろう。

ヤル気のないスピリッツばかりが集合する、そんなお盆になりそうだ。(笑)

お経をBGMに聞きながら、参加者全員が順に焼香をする。

そして最後に住職の法話があるのだが、本日のお題は<愛別離苦>についてであった。

つい最近、親しかった後輩が乳飲み子を残したまま急逝し、悲しみに暮れる細君のためにも、今日は是非この話しをさせて欲しいとのことである。

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<愛別離苦>とは・・・

仏教における苦の分類<四苦八苦>の中のひとつであり、「どんなに愛する者同士もいつかは別れなければならない」そんな苦しみのことを指します。

配偶者の死・離婚・夫婦別居・近親者の死

愛する者と別れる苦しみは、人間の心のストレスの中で最も強いものなんだそうです。

確かに家族や仲間との生活は永遠ではありません。

必ずや別れの時がやって来るのです。

「どんな愛も別離のない愛はなく、いつかは必ず別れることになっている」

それがこの世の悲しい真実、無常の世界のことわりって奴なのです。


我々は「人を慈しみ、大切にし愛せよ」と教えられて育ちました。

だからその愛情が大きければ大きいほど、それを失った時の苦痛も大きくなります。

そんなに苦しいことが先に待ってるなら、愛することをしなければ楽に生きられるだろう、愛さなければ良いのだろうと思いますが、愛なくして生きることなど出来ないのも、それもまた人間の真実です。(ああ無常)

そこには大きな矛盾がありますねぇ。

その矛盾した世界のことを仏教では苦界と呼ぶんだそうですよ。

苦界・・・?

やっぱり人の世とは、苦しい世界なのかなぁ?

はて、人生をこのように仏教観で捉えると、何だか生きるのが嫌になりそうで、ホント困っちゃいますよね。

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仏教では<愛>というものを他を慈しむ・大事にするという意味じゃなく、愛執・渇愛・欲愛などの自己中心的な煩悩(執着)だと理解しています。

キリスト教の<愛>とはちょっと違うみたいなんです。

愛の煩悩(執着)が燃えさかることによって、我々は苦悩に迷い続けなければならない。

「生死の大苦界に浮き沈みする凡夫」というのが我々の姿だと言うのです。

誰だってこんな苦界で溺れるのは、もう止めにしたいに決まってる。

そこで仏教は「悟りを得ましょう」と教えるのです。

凡夫である我々は罪障(カルマ)を滅して、悟りの世界・浄土の世界への往生を目指すべきである。

「じゃなければずっと苦界で溺れ続けることになるんですよ。知ってました?」

って、そんな感じの教えなんです。


なぜ別れは辛いのでしょうか?

それは愛しているからであります。

実際愛してなければ、別れがあろうがちっとも辛くないんですねぇ。(笑)

本当に深く愛し合ってる男女に限って、むしろ辛い別れが待ち構えていたりするのは、愛という名の<執着を手放すレッスン>が用意されてるからなのかも知れません。

神や仏のなさることは時に残酷で、理解に苦しむことが多いのです。

愛をテーマにした悲しい別れの物語は、この現実世界の中で、日々尽きることなく生まれて来るのです。

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よく配偶者と死別した人に「時が癒してくれる」と言って慰めたりしますが、そんなのその当事者にしてみたら全く受け入れられない言葉でしょうね。

でもその人たちも、だんだん落ち着いて現実を受け入れられるようになると、やはりその通りだと思えるようになるんだそうです。

だから<愛別離苦>の苦しみに今現在直面してる人と、それを乗り越えた人とでは当然温度差が生じます。

精神的に落ち込んでる人はアドバイスを聞き入れる状況にはないし、善意の慰めもマイナス効果になることがありますよね。

苦しんでる人の話しは聞く方も辛いですが、相手を見て悲しみを理解し寄り添ってあげる、そのことが何よりも一番大切なことなのです。


<愛別離苦>の苦しみを乗り越える。

大事なのは苦しみに逢わないようにすることじゃなく、苦しみにあったとしても負けない自分を作ることなのでしょう。

筋トレして丈夫な身体を作るようなものです。

悲しみの深さは人それぞれだと思います。

悲しみが癒えるまで時間がかかる場合もあるでしょう。

しかし乗り越えさえすれば、故人の分・別れた人の分まで、必ず前を向いて歩いていける時が来るはずです。

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<愛>とは何か?

最も大切なことなのに親も先生も教えてくれません。

国語・算数より大事なはずなのに、なぜ学校でも教えてくれないのでしょうか?

誰もが皆んな持ってるはずなのに、誰も教えられないって何か変ですよね。


<愛>は個体じゃないし、液体でも気体でもない。

形態でも質量でもない。

あれでもないし、これでもない。

<愛>とは何ものでもありません。

しかし<愛>はある。

静かにただ存在してるんですよね。

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「愛とは決して後悔しないこと」

往年の名画<ある愛の詩>には、こんな台詞がありました。

「クサい台詞だなぁ」と当時は思ったものですが、実はなかなか含蓄のある言葉だったんだなぁ~と、今更ながらに思ってる私なのです。




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by viva1213yumiko | 2015-07-16 14:50 | 季節・行事 | Comments(0)