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G線上の魂

熊本地震でお亡くなりになられた方、親しい人を亡くされた方々に捧げます。

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大きな事故や天災が起こるたびに、人の命とはなんて儚いものだろうとつくづく感じます。

日々の営みを一瞬でガレキと変える圧倒的なエネルギーを目の当たりにして、我々人間とは本当にちっぽけな存在でしかないんだと深く気づかされます。

今現在のこの瞬間に、自分という生命が呼吸し<生きてる>ということ。

いやむしろ、目に見えぬ何かの存在に<生かされてる>ことを通説に感じてしまいます。

<生かされてる>ことはそれだけで完全な奇跡ですね。

死の存在が身近になるほど<生の意義>がくっきりする。

これこそメメント・モリ(死を想え)って奴なのでしょう。

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私たちは裸で生まれ、そして裸で死んで行く。

家や財産、家族や友人・・・

何一つとして向こうの世界に持ち込むことは出来ないのです。

たった一枚のコインでさえも持っては行けない世界。

それが死というアナザーワールドです。

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死の世界への移行とは、一体どういうことなのでしょう。

死の瞬間のその時は、実際何が起こっているのだろう?

心の準備もままならず亡くなる人の魂は、果たして救われるのものなのか?

あちらへ行っても魂は荒ぶるままなんだろうか?

いや、むしろ一切のこだわりから解放されるか?

死者たちの乗る船は、そこからどこを目指すのだろうか?


我々には分からない。

何も分からない。

分からなぬことが多すぎるのです。

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死者たちの魂が傷を負っているかどうかはとても気になるとこですが、それにも増して気になるのは残された者の心の痛みのことです。

愛するものを失う悲しみは、残されたものにも大きな傷を作るからです。

残された者の心は深くえぐられ、バラバラに解体され、捨て去られます。

完成したジグソーパズルを土足で踏みにじるようなもの。

あなたを根源のレベルから揺り動かす、底知れぬ痛みが襲って来ます。

愛する者の死。

それはひとりの人間を全く別の人間に作り変えてしまうほどの、それほど強い衝撃なのです。



「どうしてあの人は死んでしまったのか?」

「なぜ私でなく、あの人が死ななきゃならないのか?」


人は自分のためだけに生きるのではありません。

残された者の心も、生死の境いのギリギリのラインに接近する。


「どうしてあの人は死んでしまったのか?」

「なぜ私でなく、あの人でなくてはならないのか?」


その問いに答えを出せる人はどこにもいない。

だから自分ひとりで答えを探しに行くしかないのです。


全国から届く「熊本ガンバロウ」の応援の声。

しかしその裏に取りこぼされたたくさんの悲鳴が、こだまのように空を漂っています。

だから・・・

死に行く者の魂のために、取りこぼされた悲鳴のために、祈りと鎮魂が必要なのです。

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なぜ人は死ななければならないのか?

いずれは死ぬ定めのこの人生を、どう生き抜いたらいいのか?

我々には分からない。

そんなこと誰にも分からない。

親も先生も教えてくれない。

私たちは皆ひとりひとり体当たりで学んで行くしかありません。



人って自分が思うほど強くはないのです。

だから泣くべき時には思いっきり泣くが良い。


魂が嗚咽の声を出してると、深くえぐられ軋んでると、むしろ気付いてあげないと駄目なんです。

そうじゃないとマヒした痛みで、傷口はさらに大きく蝕まれる。


人の魂ってガラスのように脆いのです。

そしてとっても寂しがり屋。

だからすぐこの世に集まりたがる。


ヴァイオリンのG線上にも、ほらね、こんなに集まっています。

死んでしまった魂も、残ってしまった魂も・・・

ざわつく魂を鎮めたくて、こんなに集まって来てしまうのです。















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by viva1213yumiko | 2016-04-28 23:50 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)