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愛の賛歌


「OKベイビィ、ご機嫌だぜ〜! 」


2009年5月2日、忌野清志郎は癌性リンパ菅症で亡くなった。


「21世紀になったのに、今も世界では戦争や紛争が続いてる。ミサイルが飛んで、テロが起きて、飢えた子供達が死んで行ってる。どうしていつまでも世界は平和にならないんだろう?」


清志郎はステージの上からそう訴え続け、そして死んで行った。


「だから今日、こんなゴキゲンな夜に、ここに集まってくれたみんなに聞きたいことがあるんだ」


「オーライ! 今夜みんなに聞きたいことがあるんだ!」


「愛し合ってるかい?」


「愛し合ってるかい~?」


「愛し合ってるか~い? Oh,Yeah~」


忌野清志郎には多分<真実の愛>ってヤツが見えていたのかも知れない。


だから愛し合ってるヤツら。


そういうヤツらに彼の歌うLOVE SONGは、ビシビシ熱く響くのでしょう。



さて、改めてここで皆さんに質問です。


清志郎に「愛し合ってるかい?」って聞かれたら、「イエ〜ス、モチロン愛し合ってるぜぇ!」と答える自信、あなたには本当にありますか?




愛のある人はすぐに分かります。


<いのち>を愛せる人。


それはハートをオープンに出来る人だけだからです。



[自分を愛してくれる人を愛する]


それは誰にも出来る容易いことです。


家族や恋人、親しい友人を愛するのは誰にでも出来ることでしょう?


でも [自分のことを愛してくれない人を愛する] のは?


これはなかなか難しい。


自分を批判したり中傷したりする人間を理解し、許し、愛するのは、よっぽど器が大きくなければ出来るものじゃありません。


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でもそれよりさらに難しいのは [自分を憎む敵を愛すること]


これは相当難しく<最高レベルの愛>と言えるかも知れません。


それは例えるなら、家族を殺された人間が苦悩の末にその犯人を許すような愛。


そのような愛の形を意味するのですが・・・


あなたには果たしてそんなことが可能でしょうか?


普通の感覚だと犯人を許すことなど絶対に出来ませんよね。


その限界を超えて、許し、愛の器を広げる。


このように愛の可能性って無限に広げられるものなのです。


人間はそこまでの高みに登れる。


それほどの可能性を秘めている。


民族対立のような問題は「決して敵を許さない」という意識が世代を超えて続きます。


強い憎しみ情報の連鎖。


それはDNAを経由して子孫に受け継がれる。


だから問題はどんどん複雑になり、解決の糸口を失くして行くのです。

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人がこの世に生を受けるのは [この世で愛を学ぶため] です。


人は<いのち>が尽きるその日まで、愛し愛されることを学ばなければなりません。


我々は運命を受け入れるだけの、ちっぽけな存在に過ぎないのでしょうか?


いいえ、決してそんなことないはずです。


愛を学び、器を大きくし、自分を成長させる。


そうすれば我々の魂は、我々以上の存在になって行くでしょう。



愛を決して離さぬこと。


難しくても努力すること。


試練を乗り越え、最後まで愛を信じ続けること。


それをやり遂げた人間こそが「本物の愛とは何か?」その秘密を知る資格を与えられます。



愛は美しく純粋です。


そして必ず人を強くする。


誰でもそういう人間になりたいと望む。


でも誰でもがそう出来る訳じゃありません。


それには理由があるのです。


アンタもそれを知りたいかい?


OK、ベイビィ、Yeah〜!



<愛>に対する反対語は、<憎しみ>というより、むしろ<プライド>なんじゃないでしょうか?


<憎しみ>っていうのは感情への刺激反応みたいなもの。


とても分かりやすい現象です。


でも<プライド>は、自分の心に見えないバリアーを張る状態のこと。


バリアーを張ることで、自分の内側に愛のエネルギーが流れ込むことを必死で守っている。


なぜ、そんなことをするのか分かりますか?


それは怖いからです。


<愛>を恐れているのです。


プライドの高い人間は、必ず<愛>を恐れてる。


<愛>は人間を木っ端みじんに壊して、もう一度最初から自分を再構築することを求めて来る。


だからプライドの高い人間にとって<愛>はこの上なく恐ろしい。


自分を粉々にする可能性のある、恐ろしい怪物なのです。


人間には<愛>を阻む<プライド>の足枷が付いて回ります。


この足枷があなたを重く縛っている。


そう、<プライド>は愛を阻害する最も大きな要因です。


<プライド>があるうちは、あなたに<愛>は入って来ないでしょう。


ハートが開かぬ限り<愛>は流れて来ないのです。

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人は「愛する」「愛される」って、つい言ってしまいますよね。


でもちょっと考えてみて欲しいのです。


<愛>は「したり」「されたり」するものではありません。


<愛>っていうのは<愛そのものの状態>になることを指します。


<愛>とは本人が望む望まないに関わらず、<愛の状態>に陥ってしまうことを意味してます。


不可抗力のフォースが、あなたという媒体に流れ込んで来る状態。


それが<愛>なのです。


膨大なエネルギーがあなたに流れ込む。


その流れをせき止めず、起こるがままにさせている。


その状態のことを<愛>と呼ぶ。


その状況を他者と分かち合うことが出来るかどうか?


忌野清志郎は聴衆にそれを問いかけました。


『愛し合ってるか~い!」とね・・・


Oh,Yeah~

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<愛>とは恐れず信じること、喜びと共に生きることです。


注意して周りを良く観察してみてご覧なさい。


<愛>のある人間はすぐに分かるはずですよ。



愛は寛容であり、情深いのです。


人を妬まず、自慢せず、高ぶらない。


礼儀正しく、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。


不正を喜ばず、真理を喜び、忍耐し、信じ、望み、すべてに耐える。


愛は決して滅びません。

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我々の人生に<愛>がなければ、ただ空虚に時間を消費するだけの人生になってしまうでしょう。


それでは生きていないのと同じこと。


きっと死ぬ時後悔が残るはずです。


でもだからと言って「自分に愛があるかどうか?」また「あの人には愛があるかないか?」と査定してみても始まらない。


今の自分の地点から、一体何が出来るか考えてみることが大切です。



<愛>には様々な形があります。


きれいごとだけじゃ済まされないものも多いでしょう。


痛み、傷つき、心くじけ、<愛>を信じられなくなる日もあるでしょう。


でも信じて欲しいのです。


<愛>はあなたを必ず大きくする。


強くする。大人にする。


だから<愛>を恐れずにいて欲しい。



人生で起こる全ての出来事は、あなたを光の方向に導いている。


人生では<愛>を試され、矯正させられ、成長させられる。


人生とはきっと<愛のトレーニングセンター>のような場所に違いないのです。




コリント人への手紙 第13章 愛の賛歌

映画<愛のむきだし>より





業務連絡:

愛を流入させるためには、ハートセンターの存在が欠かせません。


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チャクラに興味がある方には耳寄りな情報となっております。


11/2(木)開催です。  


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by viva1213yumiko | 2017-10-24 12:46 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

リリーの魔法陣


英国出身のアーティスト、ケイト・ブッシュには<リリー>というタイトルの楽曲があります。


妖精のような、魔物のような、この世のものと思えない不思議な声。


絵画から飛び出して来たような年齢不詳の可憐な容姿。


私は彼女が作る物語性に富んだ音楽の大ファンでした。


今でもどの曲も大好きなのだが、この<リリー>という曲は特に個人的な思い入れがあります。



「霊的能力を持つリリーという老女からアドヴァイスを受け、呪いを解くために魔法陣の作り方を学ぶ」といった内容の曲なのですが・・・


ま、いわゆる<魔除けの唄>とも言えるでしょうか?


ミュージックビデオに出演してるのは、当時ケイトの相談に乗っていたスピリチャルアドバイザーで、実名もその名の通りのリリーさん本人が、特別に友情出演していると言われました。


ケイト・ブッシュは神秘主義に傾倒したアーティストです。


なので、その噂はかなり信憑性あるかも知れません。


創作の中の架空の話しではなく、魔法陣の作り方くらい本当にリリーさんからホントに習っていた可能性があります。


シャーマニックな資質を持つ彼女なら、そのぐらい容易に出来たと思いますね。



純正な魔女の血統を感じさせる、私の青春時代のアイドル、ケイト・ブッシュ。


彼女のあの独特の声は、今も古さを全く感じさせない独創性があります。


<超越しちゃったアイドル>ってカテゴリーで番付したら、私的には間違いなく<西の横綱>です。


魔法や魔術を行使する際に描く円状の文様のこと。


それを<魔法陣>と呼びます。


唄の中では炎のサークルに大天使(アークエンジェル)を召喚し、自分を守護する方法をリリーからレクチャーされます。


   ガブリエルよ、我が前に

   ラファエルよ、我が後ろに

   ミカエルよ、我が右に

   ウリエルよ、我が左に

   炎の魔法陣に現れ出でよ


<ガブリエル><ラファエル><ミカエル><ウリエル>の四大天使を、前後左右に配した魔法陣。


それは霊的パワーを駆使した<方陣>です。


兵法では兵士を四角形に配置する陣立てのことを<方陣>というのだそうです。


その四角形の陣立てをサークルの中に配置して、360度全方位から四大天使(四天王でも可)の加護を受ける布陣。


自分をプロテクトするのに最強の布陣を、先輩魔女から教えてもらってる訳ですね。



でも、あれ?


魔法陣って悪魔を呼び出す場所のことじゃなかった?


子供の頃読んだ水木しげるの<悪魔くん>では、確か魔法陣の中から悪魔が出て来てたような記憶がするけど・・・


しかし本来の魔法陣はそうではありません。


悪しき力から身を守る装置のことを指すのです。


魔術師たちは魔法陣の内側に入り、自分の身を守りながら悪霊と対峙します。


だから魔法陣そのものに悪魔を呼ぶパワーがある訳じゃないので、そこら辺はお間違いのないようにどうぞ。



魔法陣っていうのは<聖>と<魔>とを分かつ領域のことです。


つまりこの世界と異なる世界をつなぐ<ゲート>のことですね。


魔法陣の図形や文字にはひとつひとつ意味があり、それらの組み合わせは、ある種<世界の縮図>となっています。


魔法陣は異界と現世をつなぐ装置なのです。


魔法陣を描くのは、世界の真理の理解を示すことで、世界そのものを変容させる行為でもあるんですね。


術者が魔法陣の内部に身を置けば、悪霊から害を受けないよう身を守ることが出来ます。


悪霊を魔法陣の中に閉じ込めて、檻にすることも出来るようです。


そういう意味でも魔法陣とは、魔術師が自ら召喚する悪魔や死霊から、身を守るための<結界>と言って良いでしょう。



古今東西、魔除けの時方法は不思議なくらい良く似ています。


<結界>は聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するため区域を限定する意味があります。


それは特殊なエネルギーを保った<神秘空間>のこと。


真の能力者が張る強力な<結界>は、悪霊や厄災などあらゆるネガティブエネルギーから対象物を守り、空間を清浄に保つ効果があります。


<結界>でエネルギー的な仕切りを作ることで、霊や邪気のネガティヴエネルギーの干渉を受けない状態を目指します。


<悪>って純粋で穢れないものがきっと苦手なんでしょうね。


皇居や伊勢神宮がいかに強力に<結界>が張られているかは一目瞭然ですよね。



魔の<方陣>は風水にも用いられます。


自分を守護する存在を、家の東西南北それぞれの角に見張りを立てるように備えます。


護符・盛り塩・お香・鏡・パワーストーン。


沖縄のシーサーでも構いません。


装置はお好みのもので構わないのです。


日常生活で少しずつ受けてしまう邪気を蓄積させないように、自分が住む場所に<結界>を張ること。


自分が関わる場所のエネルギーを浄化をして、運を管理することが大切です。



また<結界>は場所だけでなく、人と人との間にも存在しています。


残念ながら<悪>は魔物の世界ばかりにいるとは限らない。


あなたに敵意を持ってる人が、負の感情をあなたに向けることだっ有り得ます。


多くの人は気付いていないけど、人間は皆それぞれエネルギーのフィールドを持っているのです。


それはその人のエネルギーの状態によって常に変動してるのですが、数値にするとおよそ20㎝から1メートルだとか?


誰もがその程度の<結界>を装備してるのです。


そのフィールドの内側に誰かが侵入すると、肉体の細胞は敏感に反応する。


相手が持つ波長と同調するかしないかで、警戒態勢を取ったり、攻撃モードになったり、心地良く安らいだりします。


結界の内側に他者の異質なエネルギーが入ると、敏感な人はそれを感じて疲れてしまう。


たくさんの人が集まる場所に足を踏み込まなけれればならない時には、体全体を真っ白な光の皮膜で覆われている自分をイメージすると良いでしょう。


これで他者の負のエネルギーを受けることも、自分のエネルギーを奪われる心配もなくなります。


イメージすることで<結界>を張ることは出来るんですね。


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人間の結界とは、これ以上近寄るとこちらのエネルギーフィールドに乱れが生じてしまうから、他者を踏み込ませたくないというスペースのこと。


時々エネルギーフィールドにものすごく鈍感で、人の領域にずけずけ侵入して来る人がいますが、そういう人はもっとエネルギーに敏感になる必要があります。


恐れや心配といった負のエネルギーを持つ人は、元気な人のエネルギーを意識しないまま吸い上げてしまいます。


悪しきものは音も立てずにあなたに忍び寄るんですね〜


不幸にして負のエネルギーに飲み込まれてしまった時は、ひとりで立ち向かおうとすると逆効果。


自分を守護する存在を呼び出し「助けてほしい」と念じてみましょう。


守護者は世界を浄化し、悪しきものを駆逐する役目を担っています。


信じる者は救われます。


きっとあなたを守ってくれるでしょう。



人間とはエネルギーが肉体をまとった存在です。


人間と人間の間には目に見えないエネルギーの引力があって、それが人と人とを結びつけています。


だからエネルギーについてもっと敏感にならないとダメなんです。


エネルギーは言葉よりもっと雄弁に、全てを語ってしまうんですね。



世界中の全ての愛はたったひとつの大きなサークルの中で循環してます。


我々はその中で自分の殻を頑なに守り続ける、ほんの小さな存在なのです。


あなたをプロテクトしてくれる良きスピリッツたちに<魔法陣>をお任せしてみましょう。


大いなる存在に子供のようにこの身を委ね、安心しきって生きて行けます。


人生とは実はそういうもの。


そうであってちっとも構わないんですね。


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by viva1213yumiko | 2017-09-14 13:00 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

感情のあばれ馬

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「年齢を重ねれば重ねるほど自分の性格が分からなくなる」と、そんなふうに思ったことありませんか?


人は時を経て、様々な体験を積むほどに人生の経験値が上がります。


そして物事に対する許容度が増え、だんだんと器が大きくなって来るんですね。



例えば、私は射手座生まれです。


星座別の性格診断によると、射手座はサバサバした楽天的な気質、博愛主義者で束縛を嫌う自由人だとあります。


明るく快活で好奇心旺盛、熱しやすいが冷めるのも早い。


思ったことを率直にそのまま言葉にするので、周囲からは<勝手気ままな人>と思われやすい。


射手座の人はそういう性格だと、少女雑誌の星占いページには必ず書いてありました。


だから思春期までずっとそれを信じていたし、自ら進んでそのキャラクターを演じてた感じもある。


「私は半身半馬の射手座の化身なの。誰にも自由の邪魔をさせないわ!」


って、そんなキャラクターを作り上げてた気もするのです。

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でも本当の自分はビクビクした小心者で、打たれ弱く、長い物に巻かれておけば無難と考えるタイプであった。


だから「12星座の性格分析なんて全く当てにならないんだ」と思いましたね〜


実際私は自分の考えもはっきり伝えられない、ウジウジした女の子だったのです。


射手座は事実を誇張して大げさに喋るって?


「うそうそ、聞かれたことにも答えられない人間が、現にここにいるじゃない」と、そう思っていたのです。


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そのような自分だったので、当時は逆にハッキリものを言う気性の激しいキャラクターに憧れました。


<極道の妻たち>の岩下志麻さんのように、一度でいいから華麗なタンカなど切ってから死にたいものだと思っていた。


ドラマチックなヒロイン像に憧れていた訳ですね。



大人になってから一度だけ、はらわたが煮え繰り返るほど強い怒りの体験をしたことがあります。


その時すったもんだの末に、思いもよらず<極道の妻>風のタンカを切ることになってしまった。


自分の中にこんな激しさがあるとは驚きましたが、この自分でもドラマチックなキャラクターが演れるのだと思うと、タンカ切った自分が誇らしくもあったのです。


私だって怒るべき時はちゃんと怒れるのだと、妙に感動したことを憶えています。




しかしどのような理由があろうと怒りというものはやっぱり良くないですね、(今さら言ってもどうしようもないけど)


人には<怒って良い時>もあるにはあるでしょう。


しかし無駄に怒らない方が心穏やかに幸せに暮らせるのは確かです。


怒りというものは一瞬のエネルギーの放出に過ぎません。


内面に溜まったイライラの感情が、マグマのように噴出すること。


それが怒りの原因です。


私もタンカを切った後はエネルギーが奪われ、ひどく激しく消耗してました。


改めて考えてみると、それだけのエネルギー量を怒りのために発散するというのはとても勿体無いことですよね。


怒りは体内のアドレナリンを大量分泌させ血圧を上昇させます。


心筋梗塞や脳卒中のリスクも高まる。


それに何よりもまず周囲の環境との関係が悪化します。


怒りの感情を上手にコントロール出来ないと、自然界の均衡バランスに大きな影響を与えることになってしまうんですね。


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感情という名のあばれ馬は「ハイドードー」と調教しなければなりません。


そのためには<アンガーマネジメント>が必要です。


聞くところによると怒りの感情は6秒でアドレナリン最大になり、あとは急速に静まるらしい。


つまり10秒怒りをガマンしたら、怒らないで済む可能性がかなり高まるってことです。


深呼吸をして、怒りを何とか10秒ガマンしてみましょう。


その間、怒りの原因探しするのはいかがです?


そして自分が今怒りを感じていることにいち早く気づき、潔くそれを認めてしまいましょう。



怒りとは、出どころの分からない正体不明の感情です。


けれどそんな怪しいものに逢っちゃったとしても、もしもその感情に取扱説明書があったら怖くはありませんよね。


次回また同じような気持ちになったとしても、説明書で確認すれば安心して対処出来ます。


「ふむふむ、この怒りの大元は自分への自信の無さから来てる訳だな・・・」


な〜んて感じで冷静に向き合えます。


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怒りは一時の感情の爆発です。


怒りのエネルギーは人の心を空虚にさせる。


怒りを発射して気分が良くなる人がいたらそれは相当病んでる人で、普通の場合は怒りの後には罪悪感が訪れ、きっとあなたをモヤモヤ疲れさせるでしょう。


だからと言って怒るべき時に怒れず心を抑圧してしまう人になれ、と言うのではありませんよ。


怒りの感情を見つめる<観照者>を目指せば、怒りを通じて自分を成長させられる、とそう言いたいのです。



怒りという感情は厄介なあばれ馬です。


あばれ馬は時々機嫌を損ねて、御者の指示する場所とは違う方へと走り出す。


でも感情を上手にコントロールするベテランの御者なら、どんなあばれ馬でも巧みに操れます。


日頃から馬を観察し、馬のクセを調べ、その馬に分かる言葉で指示を与えているからですね。


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それでも馬の鼻息がどうしても荒く激しい時には、馬を安全な場所に連れて行き、思いっきり走らせてあげましょう。


怒りをしっかり意識して、馬を抑圧するのではなく、自分の立ち位置をはっきりさせてあげるのです。


そうすれば感情のあばれ馬は暴れる必要がなくなってしまう。


そしてあなたの最も忠実な友となってくれるでしょう。



半人半馬の射手座の化身が言うんだから、嘘偽りない真実ですよ〜(笑)


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by viva1213yumiko | 2017-07-30 20:18 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

すぐそばにいる般若

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源氏物語に登場する姫君たちをアイドルタレントみたいに人気投票してみると、男性陣の一番人気は<夕顔>なのだそうです。


<夕顔>は家柄が良い訳じゃないので、プライドをひけらかすようなことありません。


たおやかで儚げで、逆らうことなく受け入れてくれて、「どうぞ私のこと好きにしていいのよ」って言ってるような、まっこと殿方にとって都合の良い女性です。


ところが女性陣の人気ナンバーワンは、物語の中でも最もキャラクターの立ってる<六条御息所>だそう。


物の怪になってまで<光源氏>に執着し続ける、いわゆる<重い女>ですよね。


なのに意外にも、女性たちにはそこが人気。


それはどんな女の心にも絶対に潜んでいる、あの厄介な魔物のせいでしょう。


すぐそばにいる般若。


プライドと嫉妬という般若が、女性たちの共感を誘うからなのです。

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平安時代。


それは怨霊信仰の時代です。


美しく高貴な教養人<六条の御息所>は、プライドと嫉妬とにがんじがらめにされ、すっかり行き詰まっておりました。


元皇太子妃の立場だというのに、7つも年下の愛人<光源氏>との関係が思うように行きません。


この行き詰まった愛憎劇、気持ちをどう納めたらいいのだろう?


もちろん世間体もある。


今さら引くに引けない状態で、焦りばかりが募ります。


挙げ句の果てに葵祭りの時、公衆の面前で正妻から大いに恥をかかされる。


この牛車事件をピークに<六条御息所>の追い詰められた魂は、肉体を離れ彷徨い出してしまいます。


プライドと嫉妬心・・・


強烈な彼女のその想い。


どうやらそれが生き霊を発動させてしまったようなのです。


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生き霊とは、強く念じることで<意志のある独立した魂>を作ってしまう現象のこと。


私たちの感情や欲望や想いが、実は向こう側の世界で実体化してることを意味しています。



スピリッツとは本当に不思議です。


人が何かを念じる。


するとその時点から、想念は自分の手元を離れ、見えない世界で形を作り始めるんですね。


初めはぼんやりしてハッキリとしませんが、想い続けることで想念形態はくっきりシャープになって来る。


そしてその想念は命を吹き込まれ、れっきとした生き物のように活動を始めます。


願望を成就しようと、関係者の元へ一直線に飛んで行くんですね。



思考は現実化します。


想念形態は条件さえ整えば、必ずや現象界に出現するものなのです。


だから心で考える想いには、いつも気をつけてなければならないんですね。


その想いに愛や思いやりがあって、人が良くなることを願う善良なものなら、それは高貴な良い生き霊と言えるでしょう。


でも誰かの不幸を願うような邪悪なものだったら、それはつまり悪霊ということになります。


その誰かさんにきっと良くない影響を及ぼすはずです。

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誰かを恨んだり憎んだりする。


すると、それに相応しい形の想念形態が作られてしまうのです。


透視能力者にはそのおぞましい姿がきっと見えてるはず。


そして、たとえ見えないとしても、感じ取ることなら誰もが普段してるはずです。


誰かに近づいた時、その人があなたにネガティブな感情や思いを持ってるかどうか瞬時に感じ取れませんか?


ほらね、これって誰もがすぐピンと来る類いのものなんですね。



このように見えない世界では、私たちの発した想念エネルギーがうごめいているんです。


それはまるで世界珍獣図鑑を、部屋中に広げて眺めるようなもの。


蛇や野獣や魔物やUMA。


鬼や天狗や狐や般若。


色んな生きものがそこらじゅうに息づいてるんですねぇ~(笑)

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悪意のエネルギーは意図的なものだけではありません。


人が無意識で発してる恨み・嫉み・憎しみが、その人から勝手に離れて悪さをし始めることもあるんです。



正妻に恥をかかされ、プライドと嫉妬がごちゃ混ぜになってしまった<六条の御息所>は、朦朧とした意識状態となって、ついに脱魂してしまいます。


肉体から離れた魂は、出産を待つ正妻の寝床へ赴き、意図せずに取り憑いてしまうんですねぇ。


しかし本人は、その間どんなことが起こっているのか分からない。


夢を見ているような状況なのです。



生き霊って、それを作った本人の意志とは、全然関係なく行動しちゃうみたいなんですよね。


<六条御息所>の魂は、自分の嫉妬の醜さを疎ましく思っています。


激しい嫉妬心を何とか押さえ込もうと、平常心を装って和歌を詠んだりする。


しかし、逆に理性で抑えようとすればすれほど、抑圧され閉じ込められた執念が反抗し、肉体を離れ勝手に悪さしてしまうんですね。


心の奥の情念は、ちっぽけな意志の力なんかより遥かにパワーが強いのです。


それまで幽体離脱の自覚など一度もなかった彼女ですが、自分の服や髪に、加持祈祷用の芥子の匂いが染み付いてることから、生き霊の正体が他ならぬ自分だったと初めて理解するのです。

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自らの嫉妬心が、知らぬ間に重大な結果を招いている。


そういうことって本当にあるみたいです。


心を抑圧した女。


思い込みの強い女。


彼女たちの心の葛藤が、いつ何時般若に変身してしまうのか検討もつきません。


実生活で貞淑で清潔な生活を送れば送るほど、内なる魂は理性の抑制を離れ、狂気を演じてしまう。


恐ろしいことですが、どんな女にもその可能性が秘められているのは確かです。

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女の心にはうねりがあります。


嫉妬や恨みの感情が、あなたに般若の面をまとわせる。


般若の原因を探ってみれば、それは辛く悲しい<恋の妄執>だったりするのです。



花は散り、ススキが揺れそよぎ、マツムシが寂しげに鳴くこの季節。


恨み妬みの般若の面が、月明かりを浴びて、ぼんやり浮かび上がる。



秋の気配は生き霊を呼びやすいですよ。


あなたもどうぞご用心、ご用心。


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by viva1213yumiko | 2016-10-24 14:29 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

瞑想のススメ

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ストレスの解消法って人により様々です。

お酒を飲む、買い物する、観劇、読書、カラオケ、ダンス、アウトドア、etc.

人にはリフレッシュというものが必要で、人はリフレッシュしないと必ず行き詰まって来ます。

私もあれこれ一通り手を出して、時間とお金とエネルギーを費やして来ました。

だからストレス解消を追い求め、逆にストレスを増やしてしまう逆転現象を起こすこともありました。

そんな時、もっと手軽でお金もかからないストレス解消法があることを思い出したのです。

何だと思います?

うふっ、それはね、メディテーションなんですよね〜


「瞑想で自分の内面にチューニングすれば、脳内の全潜在力の開発に役立ち、身体の治癒力を目覚める」

若かりし頃、そんな言葉に惹かれてちょっと齧ってみたことがあるんです。

あっ、でもオウム真理教みたいんじゃありませんよ。

もっと個人的な理由から(ビートルズの影響もある?)自分の成長のため、能力開発のために役立ちそうだと瞑想にトライし始めた訳なんです。

それからウン十年経ちますが、私にとっての瞑想は、今やお手軽なエネルギーチャージ法として定着しています。

エネルギー補給をしたくなったら気軽に立ち寄る、ガソリンスタンドみたいなものです。

心身の健康に、気分転換に、アイディアの閃きにと、生活のクオリティーを保つために欠かせないものとなりました。

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瞑想法には様々な流儀やテクニックがあるのですが、最終的にその人が自然に居心地良く感じられるやり方が結局一番良い方法なんですね。

「こうしなければいけない」という先入観に縛られると、一番大事な感覚の部分が邪魔されてしまいます。

少しの間だけ情報を遮断する。

そして自分を取り戻す時間と空間を持つ。

それっくらいの軽い気持ちで構えていた方が、却って自分をニュートラルに保つようです。

自分の思考を自由に遊ばせるゆとりがないと、アヤシイ教祖に洗脳されかねないでしょ?(笑)

まあとにかく、瞑想は上手に使いさえすれば、心身の健康とか、創造性の開発とか、幸福感とか、自分をポジティブでアゲアゲにするプラス効果が得られるようですよ。


瞑想とは、こんな感じで行います。

初めに呼吸に集中する。

宇宙からエネルギーを取り入れ、要らないものを吐き出すイメージ。

身体の緊張がほぐれる。

眠りに落ちる直前のような、意識があるような無いような微妙な感覚になる。

この気持ち良い状態のまましばらくユラユラし、浮かんで来るイメージが見えるにまかせる。

(注・願い事がある場合この時間のこの感覚の時に思い浮かべるようにする。)

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瞑想中は特別なメッセージを受け取ろうと思ったり、素晴らしいアイディアが閃いたりしなくても全然構わないんです。

必死で何かをお願いしたり、祈ったりする必要もない。

ただその気持ちイイ状態を感じて終了すれば良いので、いたってシンプル、簡単です。

瞑想って、言ってしまえばただそれだけのことなんですが、これが不思議と日常生活に変化を起こし始めるんですねぇ~

脳の潜在力が開発され、身体の治癒力が高まるのです。

潜在意識が活発になるので、直感やシンクロニシティが頻繁になり、なおかつそれをキャッチしやすくなる。

なぜか夢の内容もはっきり覚えているようになるんですよ~

しかも今まで見たこともないようなクリエィティブで面白い夢が現れるので、その頃の私は見た夢を記録し、毎日のように夢日記をつけてました。



瞑想で潜在意識にアクセスする方法は、慣れないうちは誘導してもらったり、呼吸法から入ったりする<型>が必要かも知れないですが、コツさえ掴んだら目をつぶってしばらくすると、すぐに同じ状態になることが出来るようになります。

それは「眠ってるような起きているような」何とも気持ち良い状態です。

そして瞑想に習熟して来ると、座ったり目をつぶる必要さえもなくなる。

日常生活の全てが瞑想の意識状態でこなせるようになり、穏やかで満ち足りた日々、愛に溢れた日々、動揺のない落ち着いた日々を過ごせるようになると言われます。

そしてやがては人生そのものを瞑想状態で送れるようになり、まるで聖人のように生きることが出来るはずなのです。

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右脳とは感じる脳。

芸術や感覚・感性、直感的なものの見方を司っています。

左脳は考える脳。

言語・数字・統計・論理的なものの考え方を司ります。

しかし片方だけを発達させるのはダメで、両方の脳のバランスが取れてることが大切なんですね。

左右の脳のバランスが良い人は、運が良い人であり、流れの良い人であり、夢や望みを実現させやすい人ということになります。

瞑想はスピードが速く、左脳偏重になりがちな現代社会には必須アイテム。

誰でも自分がワクワクすることに向かっていたり、無心で一つのことに没頭している時は、瞑想と同じ状態(宇宙と繋がっている状態)になっています。

その状態こそが、最も自然でストレスフリーの状態です。

創造的な仕事をしてる人々は、きっと意識しなくともこうした力を仕事に生かしてしているのでしょう。

また大事な会議や交渉ごとの前には、瞑想をして挑むビジネスマンも多いと聞きます。

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仏陀は「人が道に外れたことをしてしまうのは、醒めていないからだ」と考えてたんだそうです。

人間ってのは<醒めてる>ことが大切なのです。(注・冷めてることではない)

しかし精神を覚醒させるために覚醒剤を使ったとしたら、更に道を外れることになっちゃいますよね~(笑)

覚醒剤の特性は、色々な刺激が実際より大きく拡大して感じられること。

でも本来の精神の覚醒とは「何かをしている時にもう一人の自分が醒めた目で見ている感覚」のことを言うのです。

集中していて、なおかつリラックスしている状態のこと。

自分自身をエネルギーでいっぱいの状態にすること。

それを<覚醒>と呼ぶんですね。


精神の覚醒は、瞑想状態に慣れれば案外簡単に出来るものみたいですよ。

むしろ私は瞑想を<心のエクササイズ><心のメンテナンス>って呼びたい気がするんですよね。



おまけ:
ちょっと小耳にはさんだんだプチ情報。

オシッコする時には、その音を聞きながら滝の流れを想像する<小便瞑想法>が良いそうです。

一瞬にして自然界と一体化し、無我の境地に至れるとのことですぞ。

皆さんも早速お試しあれ~



業務連絡:
<レディース瞑想会>ご参加の皆様、開催日が第一水曜から毎月第二水曜の夜に変更されています。

お間違いのないようにご注意下さい。

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by viva1213yumiko | 2016-06-29 13:57 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

元気の収支決算表

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明治大学の齋藤孝教授の著書の中に、健康で長生きしたければ<元気の収支決算表>を作りなさいという一文を見つけました。

元気を養うことと損なうこと。

どちらが多いか少ないか。

それをチェックすることが長寿に効果的だと仰有っています。

毎日のお金の出入りを家計簿につける人はいても、元気の収支をつける人なんてそうそうはいないですよね。

騙されたと思ってそれをしてみてご覧なさい。

必ずや長く元気で暮らすことが出来るから・・・

と、先生は<元気の収支決算表>の効果を強調しておりました。

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このアイデア、元々は江戸時代の貝原益軒の<養生訓>に書かれていたものなのだそうです。

齋藤教授は健康オタクが高じて、自らの身体を実験台に<養生訓>の実践をしている。

だから、プラスマイナスの収支表をすぐさま作成したのだそうだ。

ノートにプラス面とマイナス面、両方の項目を作り、プラスの欄には「〇〇さんと逢った」「上司に褒められた」「〇〇を食べた」と、楽しかったことや感激したこと、新たに発見したことを書き込む。

そしてマイナスの欄には「寝坊した」「嫌みを言われた」「駅の階段でコケた」等と、凹んだこと憂鬱なことを書き込んで行く。

そしてそれぞれの項目に点数をつけるのです。

このような感じにです。



<元気を養うプラスポイント>

久しぶりに逢った同僚と話しが弾む。50点

庭の水仙が咲いた。40点

業績アップの件を上司に褒められた。120点

     計 210点


<元気を損なうマイナスポイント>

終日デスクワーク。ー40点。

残業。夜はデスクでサンドウィッチ。ー50点。

深夜に泥酔。調子に乗って仲間を批判。ー200点。

     計 ー290点



  【本日の合計 ー80点】 ☆赤字につき注意!



ゲームをする要領で、ボーナスポイント獲得のチャンス等も設定してみると楽しいでしょう。

例えば大好物を食べた時にはポイント10倍!という風にね。

著者は鴨南蛮が好物のようで、鴨南蛮を食べた日はポイント1000倍ゲットしてました。(割と単純な好人物に思えます)

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何をしたらどのくらいの点数になるのか、意識化するための点数なので、自分の心と相談しながらポイントを設定しましょう。

絶対的な数字ではないので、定期的にポイントの見直しをしても良いのです。

自分にとっての良いことと悪いことを、一日の収支や一週間の全体的な収支で考え、最終的に嫌なことより良いことが上回る様に持って行く。

そうすると毎日が楽になると、教授は言っています。



<養生訓>の書かれた江戸時代は医療が進んでいなかったので、ちょっと風邪をこじらせたぐらいで亡くなってしまうようなことも頻繁に起こりました。

無茶ばかりしてるとあっけなく命を失うこともあるので、プラス要素とマイナス要素を見比べ用心しなさい、という意味がそこには込められていたのでしょう。

しかし現代の<元気の収支決算表>は、無茶を戒めるというよりも。むしろストレスの原因を突き止めることが中心ですね。

<養生訓>が発祥となった<元気の収支決算表>は、ストレス管理の指標として現代生活に役立ちそうです。

手軽に出来る<ストレスマネジメント>ってとこですね。


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誰かに嫌なことを言われたら、人は落ち込みます。

それは白いシャツにシミがつき、急に憂鬱になってしまうような感じですよね。

誰かに嫌なことを言われたなら、その人の存在のすべてが嫌になってしまう。

憎っくき白シャツに変わってしまうのです。

しかし本当はその人の全体が憎いという訳じゃなく、シミのついた何%の部分が嫌なだけなんじゃないだろうか?

その人を評価すべき、白い部分はまだ多く存在するのではなかろうか?


<収支決算表>をつけ始めると、そのような捉え方が出来るようになり、日々移り変わる自分の感情を客観的な気持ちで見つめ直せます。

自分の心が重苦しいのは、「この言葉が引っ掛かかっているんだ」「こういうことを不安に思ってるんだ」「この感情が癒されてないんだ」と、だんだん分かって来るのです。

自分の心をマッピングする様なものですね。

浮かび上がって来る感情を、項目に添って分類し、点数をつけて決算する。

プラスマイナスの収支点数で、自分の現在の心が黒字なのか赤字なのか、明確に判断出来ますよね。

収支表を作り可視化することで<心の棚卸し>が出来るのです。

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日本人は何でもキッチリやらなければ気が済まないようなところがあるので、収支決算表を作ってデータ化する行為が逆にストレスにならないようにしたいものです。

「年度末だから黒字分を消化しちゃおう」なんていうのも無しにして下さいね。

完全無欠を求めず、ほどほどのユルさを良しとする。

すべてを完璧にやろうとすると、負担になって楽しめません。

何事にも丁度バランスの取れた、<いい加減>さが必要なのです。

それを見極め、それに満足すること。

一番の養生法とは、そんなテキトーさ加減が大事なんですね。

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by viva1213yumiko | 2016-03-10 15:31 | 美容・健康 | Comments(0)

花とヒロインと周波数

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物語のヒロインはよく花のイメージに例えられます。

例えば赤いバラ。

それは自由奔放な<カルメン>のイメージです。

赤いバラの花言葉は「情熱」ですが、<カルメン>にはその言葉通り、誘惑と血の匂いがしますよね。

そして白いユリ。

<聖母マリア>の純潔の象徴は、汚れなき慈愛と母なるものの受容性をあらわします。

椿の花など、その名もズバリ<椿姫>

華やかな社交界を捨てて誠の愛に順じた、高級娼婦の儚い命の象徴です。

映画<ひまわり>では大地のような存在感のソフィア・ローレンのイメージ。

<昼顔>ではカトリーヌ・ドヌーヴの上品なエロスが象徴されてます。

<ギリシャ神話>にも花のイメージから生まれたエピソードが多いですね。

アドニス・クロッカス・ヒュアキントス・ナルキッソス・ダプニス・アイリス・アマリリス・・・

登場人物(ヒロインというより美青年が多い)が花に化身する話しばかりです。

日本文学にも<野菊の墓>とか<虞美人草>とかありますし、<源氏物語>に至っては夕顔・末摘花・葵・玉鬘・若紫と、植物系ヒロインのオンパレードです。

なるほど〜、このように見つめ直すと女性の個性って花の姿に上手く表現されちゃうもんですねぇ。


ヒロインたちの性格はそれぞれ千差万別です。

なのになぜか皆、イメージピッタリの花がちゃんと存在しています。

しかも皆ドンピシャリとお似合いの花ばかり・・・

考えてみれば不思議な話しですよね。

それはなぜでしょう?

花と女性、その両者には何か共通する接点でもあるのでしょうか?

花の個性とヒロインの個性の間には、見えない因果関係があるのでしょうか?


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太古の昔から「花や植物には不思議な力がある」「花が身近にあると人の心を癒す」と信じられて来ました。

有史以来、人類は延々と見近な花で花セラピーをして来たのです。

花言葉や花占いからも直感出来るように、心の傷を取り除いたり、心のバランスを計ったり、花には我々の心を癒す働きがあるのです。

しかし花のセラピー効果はそれだけじゃありません。

心の中の<否定的な考え方や習慣を解放>したり、<自己探求や精神的な成長を促す>働きもするらしいんですね。

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花や植物にはその姿・形・生育環境・性質など、その種ごとにはっきりとした個性があります。

しかもそれぞれの種特有のバイブレーション(エネルギーパターン)を発散していて、その植物ならではの固有の振動数を放ってるそうです。


実はこの世に存在する物質というのは、すべて振動しています。

もちろん我々ひとりひとりの人間にもそれぞれの振動数がある。

だからまるでギターの弦が共振するように、花のエネルギーは我々の命のエネルギーフィールドを震わせることが出来るんだそうですよ。

<共振の原理>が人間の思考や感情に影響を与えるのです。


<植物療法>は自然の力を借りて、人に本来備わる<自然治癒力>を高める療法ですが、植物の振動数と我々の振動数とが共鳴する時に調和が生まれ、その時<自然治癒力>は目覚めると考えられています。

植物には<自然治癒力>を刺激し、我々の戦う力を呼び覚ます大いなる知恵があるんですね。

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私たちが思うより、花ってず〜っと精妙な性質を持ってるみたいです。

そこには人間の魂の発達のための元型があるのです。

花々は<人生の運命的なパターンの問題>とか、<自己完結のための課題>だとか、<魂の発展を妨げている何らかの病理のヒント>とかを、どうやらご存知らしいのです。

植物のエネルギーは魂の成長のため、これらを統合する働きがある。

植物の生命力が我々の魂を育ててくれるのです。


花の世界って本当に不思議です。

姿かたちや生育環境・色や香りなど、花の世界のスピリッツをもっと学びたくなります。

花のスピリッツと親しくすることは、ある種のスピリチュアル・サイエンスと言えるかも知れませんね。

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[立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・]

あなたが好きな花は何ですか?

なぜその花が好きなのか、考えたことありますか?



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by viva1213yumiko | 2016-02-14 19:09 | 美容・健康 | Comments(0)

エナジーバンパイア

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人のエネルギーを消耗させる人っているんですよね。

 被害妄想や優柔不断

 不平不満や自己正当化

 嘘つき・気分屋・上から目線

彼らは皆、あなたのエネルギーを盗むバンパイアでもあります。

ほらほら、周りをよく見回してご覧なさい。

あなたの生気をちゅうちゅう吸い取る、エナジーバンパイアがいるでしょ?


本来人間が生きるためのエネルギーは、食べ物や飲み物、休息や娯楽、自然環境やパワースポットから受け取るべきもの。

人から奪ったりするのはルール違反なんですね。

しかしバンパイアたちは自分でエネルギー獲得の努力をせず、他人から吸い取って補給しようとする習性があります。

その方が楽だし、エゴが満足するし、なんてったって手っ取り早い。

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疲れる人っているでしょう?

思い当たる節あるでしょう?

職場の上司、顧客や友人、親や兄弟、配偶者・・・

エナジーバンパイアは身近にたくさん潜んでいます。


彼らから生気を奪われるとすぐに分かります。

ぐったり疲れたり、怪我をしやすくなったり、急に力が抜けたり、頭痛や吐き気がしたり、運気がどんどん落ちて行くのです。

本物の吸血鬼ならニンニクや十字架で撃退出来ますが、困ったことにエナジーバンパイアには特にこれといった対処法がありません。

彼らには人からエネルギーを盗んでるって意識は全くないのです。

下手したら、むしろお返しとばかりにネガティブエネルギーを押しつけて来る。

本当に困った存在なのです。


お人好しの善人ほどバンパイアの餌食になりやすいんですね。

「嫌だなぁ」「疲れるなぁ」「苦手だなぁ」と過敏に恐れてると、なぜだかそれを察知して、余計にちゅうちゅう吸血される。

はっきり言って対策ゼロ。

こちらが強くなるくらいしか、他に手立てがないのが現状です。

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実はこの世界には眼には見えない様々なエネルギーが渦まいているんです。

私たちはお互いエネルギーのやり取りをして生活している。

エネルギーってあちこちで出たり入ったり、常に交換されてるんです。

だから人と人とが接近すると、それぞれのエネルギーフィールドが重なり合い、エネルギーは自然と勝手に動き始めます。

高気圧と低気圧が張り合うみたいに、エネルギー同士がぶつかり合うんですね。

そこには必ずエネルギー前線が発生する。

我々は見えないところで常にエネルギーの駆け引きをしてる訳なんです。


駆け引きの結果、エネルギーは高い方から低い方へ移動することとなる。

水の流れと同じで、高い方から低い方に流れ出すのです。

だから大きなエネルギーを持つ人間から、少ない人間の方へと運ばれる。

道徳的に考えても、人はエネルギーを必要とする弱い者(貧しい人、病気の人、虐げられた人、お年寄りや子供など)の手助けをするようになってるんですね。


ところが知ってか知らずか、このシステムを上手に利用し、要領よく自分にエネルギー補給してしまう人々がいるのです。

陰気な人、愚痴っぽい人、自分勝手な人などは、そばに来ただけでエネルギーが吸い取られる可能性があります。


これは実際問題困ります。

自分が調子良くって、エネルギーに溢れている時は問題はありませんよ。

バンパイアがそばに寄って来ても「困っているならどうぞ」ってエネルギーのおすそ分けをすればいい。

けれども疲れてる時、凹んでる時は、自分自身への補給だけでも勢一杯じゃないですか。

そこに消耗したバンパイアがエネルギーシステムにしがみつくのだから、これはもうたまりません。

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エナジーバンパイアから身を守るためには、以下のような対処法があります。

 ・共依存を断ち切る

 ・邪気を浄化してポジティブ思考を強化する

 ・自分をしっかりグランディングする

 ・ネガティブコードをカットする


具体的には自分の意見をハッキリと言い「NO!」と言える自分にすること。

運動・食事・睡眠など、自分の生活の質を向上させましょう。

不平不満や悪口を止め、人生を充実させて自立心を養うことが大事です。

言っちゃえば自分自身が幸運を呼ぶパワーストーンになり、エネルギーを発する存在になれば良いんですよ。

瞑想で光の玉をイメージし、悪い想念からガードする。

なんて方法も有効なので、興味のある方は試してみると良いでしょう。


しかし根本的には、このバンパイアを引き寄せたのは自分だと認め、自分自身を変えて行かなければなりません。

結局のところエネルギーを吸い取られるのは、自分にも何か恐れがあるからだと認める必要があります。

そしてその原因を上手く手放す。

怖いものがなくなれば、相手がエネルギーを奪いに来てもビクともしなくなる。

するとバンパイアは退散せざるを得ない。

「悪霊退散!」と強く宣言するようなものなのです。

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不思議なことに、エナジーバンパイアは社会的連鎖の性質を持っています。

上司にパワハラを受けた夫は家庭で奥さんに当たり散らし、妻は受け取ったエネルギーを子供に押し付ける。

上位のものが下位のものに働く、いじめ連鎖のパターンです。


ほとんどの人は自分が人からエネルギーを盗んでいるなどと、これっぽっちも考えてないでしょうね。

しかし状況次第では自分自身がバンパイアになり、人を疲れさせてることも多いんです。

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我々人間とは、肉体をまとったエネルギーそのものです。

だからその原理を利用しエネルギーを移動させることが出来れば、逆に他の人間や動物や植物を癒すことが出来るはず。

我々はエネルギーを上手く扱ってお互いを癒し合うことも可能なのです。


人のエネルギーを吸うことや人をコントロールすることが人生の目的のようになると、魂の本来の目的を見失ってしまいます。

それは人生の時間の大いなる無駄遣いです。

そんなことにならぬよう、エネルギーの扱いには十分な注意が必要なんですね。




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by viva1213yumiko | 2015-11-21 20:14 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

スピリチュアリズム実践

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スピリチュアルな話し、霊的なものの話しになると、とたんに懐疑的になって眉をしかめる人々がいますよね。

「何だか眉唾だよねぇ~」

「科学的に証明出来ないでしょ?」

「新種の宗教みたいなもんじゃないの?」

エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ・・・


霊的なものを信じる信じないは本人の自由、好みの問題だから、はっきり言ってどちらでも構わないと私は思っています。

しかし、多かれ少なかれ人間は何かしらの信念を持ってるので「人は皆何かを信じて生きる生命体である」とも言えるんですね。


「イワシの頭も信心から」という言葉がありますが、例えゴミ同然のつまらないものでも信仰すれば非常に尊いものになる。

第3者の眼からみればどうって事ないものも、神棚に祀って信心すれば、ありがたい神聖な力が生まれます。

結局、人は皆自分の信じる信念を表現して生きている。

そういうものなんだなぁ〜と思います。


だから「人生とは重き荷物を背負って歩む坂道である」と信じる事も出来るし、「人生って良いものだ。自分ってなんて幸福なんだ」と信じる事も可能です。

人生は<光と闇との絶え間ない戦場>と見なせば、あらゆるところに対立という概念が立ち上がって来ますよね。

人生を<魂を成長させる学び舎>と見なせば、あらゆる出来事に感謝の気持ちが生まれます。

人間は自分が信じたいように、この世界を感じ取って生きる権利があるのです。

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しかし信じようが信じまいが、人が一生懸命生きようと思ったら、霊的に生きて行かざるを得ないのもまた事実なんですねぇ〜

例えば農業をやっている人の事を想像してみて下さい。

農作物の作り手なら少しでも良い食べ物を作る事が目標となるんでしょうが、それは食べ物の霊化とは言えませんか?

それが絵描きなら魂のこもった良い絵を描く事、これが一番の喜びですよね。

詩人なら人の心を揺さぶる言葉の霊化、そこが目指す場所となります。


芸術作品ばかりでなく、優れた商品・サービスには否が応でもスピリッツが伴うもの。

心血を注いで開発された良質な商品とか、どんどん人が集まる人気店とかにも、やはり何らかしらの想いやスピリッツが存在してるのです。

そこら辺、ノウハウだけを真似ても上手くはいかない。

見えない何かが作用してしまうんですね。

だから唯物論だけでやって行こうとすると、人も社会もやがては袋小路に突き当たってしまいます。

好もうが好まざるが、やはり人間とはスピリチュアルそのものの存在なんですよねぇ〜(笑)

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果たして霊(スピリッツ)とは一体何ぞや?

霊が持つ力とは、ざっくり言っちゃえば、人々が無意識の底に隠してるエネルギーの事ですね。


何らかの事情により霊の力が立ち上がると無意識の情報が解放され、その人を大きく揺り動かす事があります。

ある時突然パカッとふたが開き、止めどもなく無意識エネルギーが流れ出す事ってやっぱりあるんですね。

理由は様々で一概には言えないのですが、[大きな病・ショッキングな事件・激しいスポーツ・出産時やSEXの体験] などが引き金になる場合も大いにあり得ます。

その時尋常ならざる力が我々の中に流れ込む。(こともある?)

尋常ならざる<ちはやぶる神>が、日常の意識の前面にど〜んと踊り出て来るんですね。

名だたる預言などは、この意識状態でなされたのでしょう。

いわゆる<神降ろし>です。

昔の人はこの神が降りて来る状態を恐れおののき、また畏敬の念を抱きました。

ところが現代の文明では、この手の<巫女病>さえ精神病理の扱いとされるのですから、誠にスケールがちっちゃいんですね。

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実は宇宙というものは、ダイナミックなエネルギーそのもので出来てるんです。

宇宙に存在するすべての物事は、存在自体神聖なエネルギー場の表現であり、私たちはそれを知覚し体験しながら生きてるという訳なんですね。

だから日常の生活とスピリチュアルな学び・気づきは、切っても切り離せない。

何をするにしても必ずスピリチュアルなプロセスに繋がります。


どんな職業についたら良いか?

お金をどのように稼ぎ、使い、貯めたら良いのか?

どのように人間関係を構築したら良いのか?

それらも一種のスピリチュアルなプロセスです。


都会の中で社会人として苦労して生活する事は、最も良いスピリチュアルレッスンだと言えるでしょう。

そのように考えてみると、人生で起こる良い事・悪い事・その他あらゆる出来事が、スピリチュアル(精神力)の成長のためにあるのだと理解出来ますよね。


スピリチュアリティーは、似てはいるけど宗教ともまた違うものです。

信仰の対象など何でも良くて、むしろ「自分を信じるか信じないか」「生きる事で成長しようとしてるか否か」がテーマになって来るんですね。

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結局のところスピリチュアリティー(霊性)とは、自分をどう扱うかという事に尽きるんじゃないでしょうか?

それは「人に対して無条件の愛を実践し、倫理観を持って生きる」というごく当たり前の道徳です。


<無条件の愛>というのは、人がそのままでいる事、あらゆる事を行う権利を認める事でもあります。

必ずしも相手を好きになる事ではないし、人を変えようと努力する事でもありません。

自分を犠牲にしたり、いつまでも我慢する必要もないのです。


家族の問題や社会的なプログラムの影響を克服して、本当の自分を生きる事。

魂が表現したがってる事を行動で示す事。

それこそが本物のスピリチュアリティーです。


結局スピリチュアリズムは<実践ありき>なんですね。

調子に乗りすぎると、<愛の鞭>という厳しい指導も待っている。

案外体育会系だったりもするんですよね。(笑)




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by viva1213yumiko | 2015-10-12 20:11 | 人生・霊性 | Comments(0)

神との対話 風水編

今やパワースポットブーム花盛り。

旅行会社でも人気の企画なんだそうで、各社様々なツアーが用意されてます。
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パワースポットとは・・・

つまり、大地からの気の吹き出し口のことですね。

大地からのエネルギーがもらえる場所、大地から湧き出るエネルギーを体感できる場所であります。

風水で言うところの<龍穴>、<気場>などとも呼ばれ、もともと大地のツボに当たるような場所のこと。

古来から人間の叡智には、目に見えない霊力を感じ取るセンサーが備わっていたのでしょう。

縄文人でさえすでにそのエネルギーには気付いていて、パワースポットを神聖な聖地とし敬意を払っていたようです。


ミルチャ・エリアーデという宗教学のエラ〜イ先生はこう言ってます。

[自然に対する信仰のうち、山・岩などは<天上・地上・地下を結ぶ宇宙軸>を、大地や水などは<死と再生>を象徴するもので、世俗生活の根底にあり、それを支える世界観の重要な部分を成している。]

つまり人類には原初から、海・山・川などの自然形態に神聖な要素を意味づける<自然崇拝>の能力が備わっていた、ということになりそうですね。

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若狭の旅では知人のツテを通じ、三方五湖の旅館に泊まらせていただきました。

その旅館は若狭湾と三方五湖を繋ぐ水路の脇に立つ宿で、もうめちゃくちゃロケーションの良い場所だったのです。

<入船>という宿の名の通り、夕暮れになると部屋の目の前を定置網漁船が次々に帰って来る。

「そやねぇ、いま夏だけぇあんましええ魚のうて残念やな。 冬にまた来ね。」

食べ切れないほどの舟盛りの刺身を前に、女将は残念そうにそう言う。

シーズンオフでこの豊かさなら、越前ガニやトラフグの旬の頃にはどんなに豪華なことでしょう・・・


翌朝早く起き出して、海と湖が隣り合わせの珍しい地形を散策してみる。

そして湖と海の境目の突端の、小さな氏神様に何となく足が向かいました。

キツネの像が鎮座してたので、多分八幡稲荷とかそういう類いのものでしょう。

釣り船の安全な航行をずっと見守って来た、古い社のようです。

その小さな神社の裏側に、不思議な小道を見つけてしまいました。

誰かから「こっちにおいで」と呼ばれるような気がして、何だかその小道が気になってしようがない。

手入れもされず伸び放題の木の枝を、かき分けかき分け小道を登る。

するとそこに突然、古い磐座(いわくら)が現われたのです。


どうってことない古ぼけた岩とも言えるのだが、なにやら原始的生命力みたいなものを感じずにはいられない。

そこは日本海が一望できる素晴らしい場所なのです。

しかしなぜか空気が澱んでる。

吹けば飛ぶような祠が、かろうじてあるのですが、ゴミなども散乱し、どう見ても清浄な雰囲気ではありません。

誰にも顧みられることなく、<傷付き忘れ去られた聖域>といった気配がビンビンなのです。
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「はは~ん、なるほど解ったぞ!」と、私は思いました。

多分この磐座そのものが、大地のパワーを集める座標に間違いない。

このスポットこそ、海と湖を結ぶ気の流れの通り道であり、後の人がそこに八幡様を建て「良い場所ですからお越し下さい」と神様を招いたのだろう。

こここそが本当の縄文時代からの古い聖地に間違いないと、そう確信しちゃたのです。


けれど悲しいかな、現在の磐座は完全に充電切れです。

周囲をきれいに掃除すれば、少しは良いエネルギーが流れるのかも知れないが、今は見事に元気がない。

<瀕死の白鳥>ならぬ<瀕死の聖地>です。

目の前が日本海という絶好のロケーションの岬なのに、なぜここにはエネルギーが通らないのだろう?


その時目に止まったのが、丘の上に建つ某ホテルのことだった。

関係者に不審な事故ばかり起こると、地元で噂の絶えない曰く付きホテルです。

そのホテルの所有する倉庫が、この磐座の前にドッカーンと建っていて、海からの清浄な気の流れを完全に遮断してしまってる。


これはちょっとマズいんじゃないだろうか?

この倉庫が建ってるが故に、縄文時代からの<龍脈>がまるで機能しておらず、やせ衰えた引きこもり青年みたいにエネルギーが枯れているのです。

これはホテル側にとっても由々しき問題でしょう。

不自然な原因は不自然な結果を生み出します。

噂通り事故や不審死が発生してるとしたら、それは古代からの聖地を敬わず、自然界のエネルギーの重要性を甘く見たせいかも知れません。

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あとそれ以外にも、若狭湾と言えば原発の問題があります。

敦賀・美浜・大飯・高浜・もんじゅと、合計14基もの原発が集中している、名高い原発銀座ですよね。

その原発エネルギーが古代縄文の力を、無理やり封印しているとは考えられないだろうか?


奈良・京都の都に近く、海あり、山あり、湖あり・・・

土地の起伏やうねりに富んだこの辺りの地形は、風水的に言っても多くのエネルギーが集まっておかしくありません。

かつてはその<龍脈>から清浄な気がたくさん流れ込み、周辺の土地を豊かに潤わしていたはずです。

しかし今、この土地のエネルギーの流れは明らかに少し不自然です。


原発といってもこの辺りから施設が見えるわけではありまません。

でも目には見えないエネルギーが空気を伝わり、知らぬ間に人々の心に影響を与えてるってこと、大いにありそうですよね。


電気とは風水の流れを阻止する電気想念を作り出すのかも知れませんね。

電気製品を使ってると、徐々に電気体となり、やがて電気脳になる。

そして自然界のエネルギーにはどんどん無頓着になり、自らの力を誇示するため環境を破壊するような思考になる。

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[環境が運をきめる]

これが風水の基本的な考え方です。


若狭湾の原発群が作る人口地場のエネルギーは、自然との繋がりを持つ風水の系譜を破壊してしまった。

だから磐座のカミは、きっとそれを強く人間に訴えたかったんじゃないかと思うんです。


磐座のカミとの対話?

それは実にシンプルで分かりやすいメッセージだったんですねぇ〜

こんな感じです。


「目覚めよ! そして龍脈を守るべし!」




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by viva1213yumiko | 2015-07-30 10:36 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)