タグ:コミュニケーション ( 13 ) タグの人気記事

女運のない男・男運のない女

「僕ってつくづく女運がないんですよ・・・」

突然降り出した午後のにわか雨。

雨宿りに入った小洒落たカフェで、40代の彼はそんな話しを始めたのです。

a0253145_197913.jpg

男性の言うことを要約するとざっとこうなります。

今までたくさんの女性と付き合って来た。

正直言って自分は女にモテる方だと思う。

自分から声を掛けなくてもいつも不思議と女性の方から寄って来る。

だから今まで付き合う女に困ったことは一度もなかった。

女性にチヤホヤされるのは確かに悪い気はしない。

しかし自分を追いかけるだけ追いかけ、振り回すだけ振り回し、最後に怒りを爆発させ勝手に去って行く。

それもまた女なのである。

どの女も何かを奪い去って行くばかりで、自分は一向に満たされた気持ちにならない。

長いこと「自分は女好きの快楽主義者だ」と思っていたが、最近では「実は心の奥で女を憎んでいるのかも?」とすら思える程だ。

今のままではちっとも幸せを感じられない。

一体どうしたら良いのだろうか?


「彼は今、間違いなく良い場所にいる」と、私は思いました。

彼は心の底から変わりたがっているように思えたからです。

正確には変わりたがっているというよりもっとシリアスで、絶対に変わらねばならない崖っぷちにいるようでした。

彼は確かに行きずまっている。

そして勇気を出し、今の状態を変えねばならないと痛切に感じている。

人も羨む人生のモテ期を、「もう完了させても構わない」と思うほど、彼の心は次の段階へと移行したがってるようです。

人生とは、前進する事を宿命づけられた長い長い道のり。

彼が女性関係でトコトン煮詰まってしまったのは、「ついに機が熟した」という何よりのサインです。

「あなたねぇ、気づきなさいよ。先に進む時が来たんですよ。」

と、合図が後押ししてるのです。

a0253145_18323772.jpg


さてこのような場合、彼は一体どのように対処すべきなのでしょう?

まず確かなこととして考え直すべきは<鏡の法則>のことです。

<鏡の法則>とは、誰もがうっすら気づいていても、なかなか認められない宇宙の普遍の法則。

それは、自分が関係したり無意識に引き寄せてる人びとには、必ず(必ずです)「自分の中の隠された信念が現れる」という法則です。


例えばこの彼の場合、愛してくれる女性が最終的に重荷になっちゃうのはなぜなのか、そこを深く探らないとならないでしょうね。

彼にとって女性にチヤホヤされることは、彼のアイデンティティーが非常に満足するものだった。

「俺って結構イケてるじゃん!」と、耳元で自我が甘く囁くからです。

しかしそれはトリックです。

彼が最も愛したのは、チヤホヤされ有頂天になれる自分の自我イメージだったのであり、決して生身の女性のことを愛した訳じゃないんですね。

アイドルタレントが、世間に見せる自己イメージを演じているうちに、そのイメージに捉われて自ら苦しむのと似ています。

「何らかの隠れた信念が異性関係となって表現される。」

この彼の生きづらさの原因は、自分に対する歪んだ自己像にあったようです。

a0253145_1833220.jpg


なぜこのようなことが起こったのでしょう?

理由は色々あるのでしょうが、やはり一番影響を与えてるのは小さい頃の親子関係だと思います。

世に言う<アダルトチルドレン>が悪さをしてるんですね。

彼が女性を愛せないのは、心の奥に住んでる拗ねた子供が、当時の母親に復習してるからなのかも知れませんねぇ〜

理由は以外と単純なもので、「もっとママに褒めてもらいたい」「かまってもらいたい」です。

それが母親の愛情不足から来るのか、あるいは愛情過多から来るのか、そこら辺はイマイチ良く分かりません。

しかし彼は、本来母親から受け取るべき愛のどこかにまだ執着が残っていて、欠落部分を取り返すため、女性に対しある種の復讐を企てていたようなのです。

これ、母親からの愛情に歪みがあり、その捉われから解放されてない場合に起こる、結構ありがちなケースなんです。

もちろん本人は無自覚でやってるんですよ。

自覚してたなら悩みになんかなりません。

なぜ女性関係でいつも同じことが繰り返されるのか、何よりも彼本人が一番頭をひねってるはずです。

でも結局、彼の隠された信念は女性関係に表現されちゃってました。


こういうことは巷に良くある話しでありまして、女性の側にとっても厄介な問題を孕んでるんですねぇ〜

「愛する男が愛していたのはこの私ではなかった。」

「この関係は彼自身のナルシシズムに付き合わされただけの、実はそんな関係性だった。」

それに気づいてしまうのはかなり衝撃的なことで、大概の場合そこら辺から泥沼となるのです。

神話の美青年ナルキッソスは水に映った自分の姿に見とれ、恋い焦がれて死んでしまいました。

人を愛するってどういうことか、あの時ナルキッソスがもっと考えてたら、精神的に成長して、もっと長生き出来たはず。

モテ男の彼には、是非神話の教訓を学び直して欲しいものです。

a0253145_18333112.jpg


ひとつハッキリしてることがあります。

「母親に傷つけられたと思っている男は、必ず女でそれを回復しようとする。」

けれど女の方はそれを投げかけられることに耐えられないのです。

彼の場合、まず母親とのこだわりを解き放つのが先決でしょう。

本当の意味で女性を愛せる人間に成熟するには、そこから始めないとならないんですね。


<女運のない男>が隠れた信念に操られる様に、<男運のない女>もまた信念に操られています。

その場合には、父親との関係性が影響を与えやすいんですよね。

問題の奥には必ず目に見えない原因があるんです。

いつの時代でも男女の関係に問題が絶えないのは、心の奥の秘密の玉手箱を誰も開けてみようとしないから。

本当はそれを紐解くと、色々なことが分かって来るんですがねぇ~


あなたは女運のない男? 

それとも男運のない女かしら?

a0253145_18335867.jpg


[PR]
by viva1213yumiko | 2016-06-15 09:17 | 人生・霊性 | Comments(3)

神との対話 方言編

a0253145_197314.jpg
去年の盛夏、ちょうど今頃の話しです。

ちょっとした偶然が重なり熟女3名、北陸は福井の小浜へ行ったんです。

小浜市は若狭湾に面した歴史の古い街で、仏像・仏閣・名刹など、国の指定文化財の宝庫なんですね。

[小浜におわす、ほとけさま]

そんなキャッチフレーズで観光客を呼んじゃうくらいの、いわゆる<みほとけの里>なんです。


古代、京都の朝廷へ食料を献上する御食国(みけつくに)のひとつだった若狭の地。

日本海の海の幸が、福井の小浜から京都を結ぶ<若狭街道>を通って運ばれたのだそうです。

18世紀後半からは多くのサバが水揚げされ運ばれたので、それは<サバ街道>と呼ばれるようになりました。

若狭湾で取れたサバに一塩して、大急ぎで京都へ運ぶとちょうど良い味になっていたんだそうですよ。

往年の<サバ街道>、今ではクール便が行き交う物流街道になっちゃったんでしょうか?

果たしてどうなってしまったのか、いささか気になるところです。

「サバ街道よ、コマン・サバ?」(笑)
a0253145_1982756.jpg

そんな歴史ある土地だけに、結構ディープな隠れ里信仰があるようで、隠されたパワースポットも多いということなんですね。

なかでも<一生分の浄化が出来る>という3社巡りに興味を感じ、我々は尋ねてみることにしました。

水にご縁の深い若狭の寺社を3つ巡り、集めた水を川に流す。

すると一生分の浄化が出来る。

まるで<欧州3都市周遊>みたいに、便利きわまりないパワスポ巡りなのです。

空のペットボトル3本を用意し、3つの寺社を<若狭神宮寺>→<若狭姫神社>→<若狭彦神社>の順で水を汲み、<鵜の瀬>という風光明媚な河原でその水を流すと一生分の邪気を払えるという。

顧客満足度高得点を集めそうな、ありがたいオプションですよね。


a0253145_199979.jpg

まず始めに<若狭神宮寺>を訪問し、境内の井戸の湧き水をいただく。

有名な奈良東大寺二月堂の<お水取り>は、なんとこの神宮寺から<お水送り>しているんだそうで、井戸から清らかな清水がこんこんと湧いていました。

どうやらこの辺りは、水と縁の深い土地柄のようですね。

この土地を守ってる男女二神は、一番最初、黒と白のつがいの鵜に化身し、川辺に舞い降りて来たという伝承があるほどです。

a0253145_1993382.jpg

神宮寺の本堂<薬師如来坐像>の前で、我々は腰を落ち着け、しばし心を鎮めて祈りました。

すると以前ここに来たことのある友人が、こんな秘話をしてくれたのです。

「人生に色々悩んでた時、ここのほとけ様からメッセージをもらったのよ。」

「え〜、すご~い! どんなメッセージ?」

「それがねぇ~、人生に意味などない、体験があるだけだって・・・」

ほ~、人生に意味はない、ただ体験があるだけ・・・

いや、スゴイこと言うじゃん、ホトケ様。 

めちゃくちゃクールでカッコいい!

神宮寺さんのご本尊は、妙にスッキリ知的な顔立ちしてて、品の良いイケメン風なのだ。

それだけに言うことも、かなりスッキリしてる。

スッキリしすぎてて、どうにも理解ができないぞ。

あまり甘やかしてはくれないけど、きっと数多くの人間を智慧の力で導いて来られたのでしょう。

私はこの話しにすっかり魅了された。

そして「どうか私にも何かの啓示を与えて下さい」と、期待に胸を膨らませ祈りました。

しかし如来は終止無言。

静かな境内にはミンミンゼミの声ばかりが鳴り響いてました。

a0253145_19101313.jpg

次の目的地<若狭姫神社>は、「大地から気が吹き上がる場所で、強い生気をもらえる」と紹介されていました。

しかし女性の神が祀られているので安産・育児に霊験があり、どちらかというと優しげな佇まいだ。

オッパイみたいに垂れ下がった<乳神様>の樹とか、女性器の形の<子宝石>とかがあるのだが、お姫様の神社らしく穏やかで上品な雰囲気なのです。

こちらの手水を、2本目のペットボトルにいただき持ち帰る。

ミッションの遂行までは、あともう1本だ。

のんびりなどしてられない、次の<若狭彦神社>へとすぐ移動しなければ・・・

<若狭姫神社>と次の<若狭彦神社>は夫婦の関係にあるそうです。

男性の神と女性の神、片方だけではダメで、両方をお参りしなければバランスが取れないとされてます。

今時のご時世とは、男女の霊体エネルギーも統合されるべき時代です。

男女のエネルギーがひとつになって加速する、そんなタイミングに来てるんでしょうね。
a0253145_19152228.jpg


<若狭彦神社>は非常に清浄な場所で、協力な浄化作用があり、悪運を浄化させ運を一転させたい人にお勧めのパワースポットだとされています。

「天と地を繫ぐ中間層のような場所でもあり、天の気とも、地の気とも違う、不思議な気が流れている」なんて紹介されてます。

なるほど男神の社らしく、参道からレイキがビンビン漂ってます。

自然が美しく、巨杉が立ちこめ、森の中にいるような気分になり、なかなかワイルドです。

先程の姫神社と気配がまるで違うのが面白い。

しかし、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)という神様を祀るこの社、参道を抜け門をくぐると何かがおかしいんです。

若く力強い神様がパワーをくれて、願い事を聞き入れてくれるものだと思ってたのに、まるで床についた病身の若殿みたいに妙に頼りない雰囲気なのです。

神社自体がどよ~んとしていて、何とも覇気がない。

いささか当てが外れた感が歪めなかった。

それでも、ここは若狭の国の一宮で、社格があり霊験も高いはずなんだからと、丁寧に礼拝を捧げてみたのです。

私はちょうどその時ある選択をしなければならず、その選択肢が正しいのか、間違っているのかを切実に知りたかったんですね。

だからヒコホホデミノミコトに答えを求めました。

「神様、私の考えは正しいのでしょうか?それとも間違ってるのでしょうか? どうかどうかお答え下さい」ってね。

「・・・・・」

お社の中には猫の子一匹おらず、辺りはし~んと静まり返っている。

その時、そよ風と共にかすかな声が聞こえたのです。

「そやな〜、あんた次第やな」

と、何と?  

神様、今、関西弁使わなかった?

「そら、あんた次第ですやろ」

やはり関西弁! 

しかもあきんど風だ!

こちらの神様は気取りがない。 庶民派なのだ。

それはありがたいことだと十分理解してますよ。

しかし、それにしてもどうなのよ。

もう〜、薬師如来が友人に宛てたメッセージみたいなの、哲学問答みたいな奴、私も欲しかったんですけど・・・

関西のあきんどのおっちゃんに化身した神よ。

次回はもう少し威厳ってものをお願いしまっせ!

<神との対話>・・・やはりそう簡単な道のりではないのかも知れませんね。

a0253145_19162652.jpg

追伸:
帰宅後に、ある霊能者さんのサイトでこの神社の説明を発見しました。

   
   パワースポットとしての若狭彦神社は、お若い神様の姿が見えます。

   若いといってもとても力強く人情味あふれる優しい方のようです。

   心の底からお願いをすると聞き入れてくれるかも知れません。

   ただしこの場所の周辺には良くない霊が多いので、浮ついた気持ちで出入   りしないように心がけましょう。


この日の<神との対話>、私は生涯忘れることはないでしょう。

しかしあのあきんどのおっさんは、果たして本当の神だったんだろうか? 

それとも良くない霊なのか?

それだけが未だに解けない謎なのである。




[PR]
by viva1213yumiko | 2015-07-26 08:43 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

てへぺろのススメ

a0253145_18455202.jpeg

若いってただそれだけで良いものですよね。

「箸がころがっても楽しいお年頃」って言い方しますが、ティーンエイジの頃は正にそんな雰囲気に満ちあふれています。

ふっくらした頬や、みずみずしい二の腕。

どうでも良いような事に一喜一憂して、いきなりパアッと弾けるように笑う。

若いお嬢さん方の刻々と変わる表情を眺めてるだけで、こちらまでウキウキと楽しくなって来ます。


若さとは何か?

若さの特権とは一体何なのか?

若さが許す様々な事情から、それらを考察してみるのも興味深いですね。


若いという事は一般的には<未熟さ>を意味します。

<未熟>という事は失敗してもしょうがないという事、更なる経験のチャンスが再び与えられてるって事でもあります。

つまり若い頃には「多少無鉄砲でもがむしゃらにガンガンやって構わない」そういう特別な権利があるって事なのです。

仕事でも恋愛でも、取りあえず何でもやってみる。

いい大人がやったら笑い者にされるような事でも、泣いても笑っても、失敗して恥かいても・・・

「若いんだもの仕方がないさ!」

それが若さに許される一番大きな特権だと思うのです。

人は大人になると訳知り顔で若い連中に講釈したりしますが、その殆どは自分自身に向かって言ってる説教だと思って間違いありません。

自分の子供に「勉強しないとちゃんとした大人になれませんよ!」なんて言う親は、自分自身がちゃんとした大人になれてないって声高に表明してるようなもんなのです。

人は自分の経験則からしか物事を語れないのだから、人様のご意見を聞く場合もあくまで参考意見程度にとどめましょう。

最終的には自分で決断しないとダメです。

それぞれの人がそれぞれの世界観を語ってるだけなのだから、本来は誰もあなたの世界に影響を及ぼす事など出来ません。

だから若い人は思考回路の固まった大人の言う事など耳にかさずに、ガンガン好きな事しちゃって欲しいですね。

若くったって年取ってたって、男だって女だって、自分の人生が気に入らなくなれば、いつでもその場所から起動修正すればいいだけの話しなんです。
a0253145_18322987.jpeg

失敗を恐れずに好きな事をやってみる。

それでも最初から上手く行く人は少ないのではないでしょうか?

人は失敗を重ねながら色んな事がわかって来るものだからです。

失敗して少しヘコんだそんな時、未熟な自分の言動のすべてが許されてしまう、呪文のような<万能の言葉>があったらどんなに心強い事でしょう。


それが若い女性たちの周辺に存在していました。

「てへぺろ」っていう新種の日本語があるのをご存知ですか?

そう、流行りのギャル語「てへぺろ☆」の事です。


「てへぺろ」とは何か失敗をした時や、相手の気持ちを和らげたい時に使用する擬態語です。

うっかりした時や失敗した時などに、女性が「てへっ」と笑いながら舌を「ぺろっ」と出している状態の事です。

もともとは日笠優子さんという声優の方の持ちネタギャグだったようですが、だんだんに広まって、2011年には<女子中高生ケータイ流行語大賞銀賞>まで獲得したのだそうです。

2011年の事ですから、東日本大震災の頃から既に立派な日本語だったみたいなんですね。

知らなかったのは私だけで、ギャル語サイクルの早い女子中高生にとっては、既にもう死語なのかも知れません。


使い方はこんな感じです。

 「ごめん遅刻しちゃった! てへぺろ☆」

 「ごめんね。 私が間違ってた。 てへぺろ☆」

 「ハイ、チーズ! てへぺろ☆」


右手をクルっと回転させながらピースサインを作り、右目の横に添え、左目でウインクしつつ、ペコちゃんのように舌を上唇方向に「ぺろっ」と出し、可愛こブリッコの声で「てへぺろ☆」と言い放つのが正式なスタイルなのだそうです。

これを流れるように自然に繰り出すには、相当な熟練が必要となります。

それを見た者に「可愛いなコイツ」と思わせるか「ウザッ!」と思わせるかは、使用者の容姿・挙動・相手先のギャグの許容度などのさまざまな条件をクリアしなければなりません。

実社会で使用するには相当な状況判断が必要とされるでしょう。

つまり「てへぺろ☆」使用には、TPOが必要であるって事なのです。


「てへぺろ☆」使用の条件には・・・

   1. 仲の良い人がその場にいる事

   2. 許される空気である事

が、必須となるでしょうね。


a0253145_18321757.jpeg


相手がイラッとした時にすかさず発動させると、イラッとした気分を緩和させる効果があります。

そこにはリラクゼーション効果が期待される訳なのですが、基本的に可愛い娘に限ります。

若くて可愛い娘だけに許される特権なのです。

可愛らしく効果的に実践しないと単なる<ごまかし笑い>と判断され、よけい評価を落とす事になりかねないので、そこら辺のさじ加減が難しいところです。


しかし「てへっ」&「ぺろっ」で好印象を与えて、モテカワ女子になれるのだとしたら、若さの特権とは恐るべきものがありますね。


「てへぺろ」といい「アヒル口」といい、最近の「ぷに子」といい、モテカワの基準も時代によりどんどん変化しています。

しかし若くて可愛らしいっていうのは、ただそれだけで既にパワー(力)なんですね。

「多少無鉄砲でも、がむしゃらにガンガンやっても構わない」

若さの特権とは素晴らしいものです。

けれども実は、若くったって年取ってたって、男だって女だって、人生の今のその場所から新しい世界へといくらでも飛び出して行けるはずなのです。

例え失敗したとしても、若い娘のように「てへぺろ☆」って笑い飛ばしてみましょう。

そんな風に気楽に考える事が、人生を最も輝かせる<コツ>のように思えてならないのです。



おまけ:
余談ですが「てへぺろ」(Tethe Tpero)はアボリジニの言葉では、言ったら殺されても仕方ないほど相手を侮辱した意味なんだそうですよ。

あくまでもTwitter上のデマかも知れませんが・・・




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-06-29 11:29 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

お点前事始め

a0253145_1721282.jpg
日本人と生まれたからには、何か日本的な趣味のひとつでも持ってみたいものですよね。

「ご趣味は?」と聞かれた時に、「書を少々」とか「日舞かじりました」とか、「盆栽アートにハマってます」とか・・・

上品そうにはにかみながら、そう答えて見たいものです。

常々そんなチャンスがどこかにないかと思ってら、ひょんなはずみで茶道のお点前を習う事になってしまいました。


茶道師範の友人の誘いで茶席に招かれた事はあり、お茶会がどういう雰囲気なのかは知ってました。

しかし客人として茶会に出席する事と、自ら客人にお茶を立てる事との間には、アイガー北壁ほどの大きな壁が立ちはだかります。

茶道には<型>という決まりごとがたくさんあり、聞き慣れない言葉やタブーも多く、美意識満載すぎてハードル高すぎじゃない?

古美術みたいなお道具だってどうにも理解し難いし、第一私、正座が出来なかったじゃない!

キャリア30年以上のF先生は「おもてなしの心さえあれば、お点前なんて誰でも出来ますよ」と精神論が優先です。

しかし私には「足のしびれをどう克服するか?」「茶道具を何で代用するか?」などの、現実的な課題の方が大きいのです。

a0253145_1721411.jpg
                        (裏千家流盆点前)


茶道には長い歴史がありますが、その伝統のあちこちに遊び心もたくさんちりばめられているのです。

春夏秋冬の宴や野山遊びのために、野点や箱盆点前などのピクニックバージョンも発達しました。

現代ではテーブルの上でお点前する、<テーブル茶道>というものもあります。

本当はかなり自由でフレキシブルなものなのです。

そこで私は考えました。

お客様の時「コーヒーにしますか、紅茶にしますか、それともお抹茶立てましょか?」なんてサラリと言えたら格好いいんじゃないかしら?

外国人にアピールすれば、「 OH! ワンダフォー! オ・モ・テ・ナ・シ!」なんて、きっと感激してくれるに違いありません。

2020年オリンピックの時にも役立ちそうです。

かなり不純な動機ですが、私はFさんに詰め寄りました。

「なんちゃって茶道でいいからお点前教えて〜」 
「茶道を一般人にも解放せよ!」

伝統的な茶道の世界では、技は師匠から弟子に口伝で伝わるそうで、パーツパーツのカリキュラム制みたいなものはまず成立しないらしいのです。

しかしF先生は太っ腹だった。

「よろしゅうございます。10回通って頂ければなんちゃってどころか、ちゃんとお薄が立てれるようにして差し上げます。」と言ってくれたではありませんか。

「お薄・・・」

う〜ん素敵! なんてマニアックな響きかしら・・・

このようにして、かなりオリジナルの<チケット制茶道・10回コース>が幕を開けたのでした。


10回の茶道レッスンは友人宅で行われたのですが、そこは普通のお宅なので当然茶室などありません。

なので一番のネックは「どうやって湯を沸かすのか?」という事につきます。

蓋を開けた電気ポットを茶釜に見立てたりする人もいるらしいのですが、今回は皆で頭をひねり、なんとカセットコンロに土鍋を乗せて、それで炉と釜の代わりにしてしまいました。

換気のためにしょっちゅう窓を開けないと危険だけれど、それ以外は何とか無事クリアです。

水こぼしはどんぶりで、蓋置きは小鉢で、水差しはビスケット入れで代用です。

床の間に見立てた場所には、掛軸の代わりに季節の花の手ぬぐいを飾りました。

香炉はアジアン風だし、飾り花はバラやガーベラで洋風だし・・・

かなり強引かも知れませんが、こんな風に手持ちのグッズを集めて<茶道ごっこ>してみると、カフェオレどんぶりで抹茶を飲む日本通の外人さんの気分に浸れてとても新鮮です。

表千家や裏千家の宗家家元が聞いたら腰抜かすかも知れませんけどね。(笑)

a0253145_1732192.jpg

ところでお茶やお花が嫁入り前のお稽古事になったのは、明治以降になってからって知ってましたか?

それより前の時代では、茶道とはお侍さん・お坊さんのもの。

主に男たちがたしなむものだったのです。

小さな密室で膝を割って他者と対面する。

それは主客がひとつに交わる行為であり、嘘偽りの通用しない、心のすべてが見透かされる真剣勝負だからなんです。

だから武士は茶道を好み、積極的にたしなみました。

相手の武将が信頼出来るか、下心を持っていないか、茶席を同じくして知る事が出来るからなんですね。

またお坊さんたちは座禅中、眠気を押さえるため茶を点ててたと言います。

そうなって来ると、お抹茶とは昔の覚醒剤みたいなものだったんでしょうかね?

となると、千利休はドラッグ系アーテイストと言えなくもないですね。(笑)

利休の昔から、茶道と精神論とが切っても切れない間柄なのは、語り継がれる色んなエピソードからも想像されて面白いですよね。

a0253145_1734507.jpg

昔の日本人って、現代の我々よりもずっとっずっと純粋だったと思います。

自然のリズムに逆らわず、仁義礼智を重んじ、日々お天道様に感謝して、シンプルに暮らしていたのでしょう。

日本人の素晴らしい美徳を知るために一服のお茶を点てる。

その行為が今の私には思いのほか役に立っているのです。

慌ただしい毎日だからこそ、自分の純粋な部分とアチューンメントするため、このような時間を大切にしたいものです。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-06-10 20:15 | 季節・行事 | Comments(2)

恋愛の心理

   「愛」と「恋」という字を比べてみて下さい

   「心」という字はどこに付いていますか?

   「恋」は下に、「愛」は真ん中にあります

   だから「愛は真心、恋は下心」なのです        江本勝

a0253145_18565892.jpg

恋愛に悩む人は多いですよね。

特に若い人にとっての恋愛は、人生の一大感心事です。

確かに巷で言われる通り、恋愛中の人の心理は一種の流行病いと同じで、周りが何を言っても愚の骨頂、聞く耳持ちません。

セロトニンやらエンドルフィンやらの脳内快楽物質の大量放出で、<恋する愚か者>の一丁あがりです。

恋をした時、一体人間の心の中でどのような変化が起こっているのでしょうか?

恋愛心理を分析的に説明した、ズバリ<恋愛の心理>というタイトルの新書本を読んでみました。

国分康孝という心理学の先生の書いたこの本は、人は恋愛することで何が起こるのか、恋愛の過程で何が変わってどう成長するのかを、発達心理の切り口で解説しています。

この味も素っ気もない切り口が、むしろ新鮮で面白く感じられたので、ちょっと紹介しておきましょう。

a0253145_18573229.jpg
<恋愛の心理>によると、異性への恋愛に進むには4つの条件があるそうです。

まずあなたがこの4つの条件をクリアしてないと、特定の異性との恋愛関係に進めないと言うのです。


   性感情・・・相手に性的感心を持てるか

   理想我・・・なりたい自分に近い人に惹かれる

   愛・・・・・相手の思考・感情・行動に共感出来るか

   自己開示・・人との触れ合いを求めているか


つまり人が恋愛に至るにはそれなりの過程が必要で、それは自己中心的な引きこもりやオタクの世界観から卒業し、自分の夢や人生を踏み出す段階まで成長しているかどうかが問われるのです。

それ以前の段階(アイドルやアニメヒロインに熱を上げている段階)は恋に対する憧れの状態で、まだ本当の恋愛関係を結びうる心理的成長段階にはないのだと思われます。

若者たちの話しを聞いていると、盛んに「恋愛したい」と口走るのですが、美味しいとこだけ味わえる無邪気なジャレ合いみたいなものを欲しているようで、本当の恋愛関係へのコミットは正直あまり感じられません。

親の過干渉で大人になりきれない現代社会では、必然的に恋愛経験の乏しい若者が多いようです。

魂の成長のためにも、日本の少子化対策のためにも、バーチャル世界から飛び出し積極的に異性と交流して頂きたいものです。

a0253145_19131675.jpg


さて、何とか無事に恋愛をスタートさせる事が出来たとしましょう。

すると次に人はどう変わるのか?(どのように成長するか?)という点が気になります。

「恋をしてメロメロになって鼻の下が伸びる」って、そんな単純なもんではありません。

著書には恋愛をすると以下のような成長が期待されると記されています。



   自己主張の体験

   自主独立の精神が養われる

   柔軟性が養われる

   不安定性・不確実性・カオスの状況に漂う能力が身につく

   生きる力が沸く

   自分という人間が認識できる。自覚できる

   認識の世界が拡大する



はぁ・・・

恋愛ってもんを改めて理屈攻めにしてみると、こんな感じになるんですねぇ〜

「カオスの状況に漂う能力が身につく」なんて泣かせるではありませんか。

確かに恋愛は相手があって成り立つもの、自分の思う通りになんかなりっこありません。

生きる根源パワーも身につくけど、寛容性や柔軟性も恋愛の必須学習アイテムです。

強さと優しさを養うために、恋愛は良い修行道場だと言えるでしょう。

a0253145_19135475.jpg

そして本はそこから更に進んで、恋愛中毒の原因(別れられない人の心理)まで分析してくれてます。

恋愛中毒の人というのもそれなりの理由があるようです。


   幼児性が強い

   過去の満たされなかった関係を再現してしまう

   アイデンティティを失うのが怖い

   こじつけによって人生の事実から目を背ける


なるほど・・・

なんか分かるような気がします。

ストーカーになる人は、自分の頭の中で勝手に作り上げる恋愛ドラマにハマっちゃうんですよね。

脳内ストーリーをどんどん脚本し、自分で演出・主演しちゃうのです。

更に<ひとり芝居>に気付かなくて済むよう、事実を自分の都合いいようにねじ曲げちゃう。

ストーカー行為の根本的な原因とは、<真実と向き合う事への怖れ>があるのだと思います。

言葉にするといかにも簡単ですが、この怖れのハードルはとても高く険しいのです。

しかし魂の成長の鍵は常にここに隠されています。

自分が抱える<根源の問題と対峙する怖れ>を克服しなければ、恋愛相手への執着はますます強くなる一方でしょう。

a0253145_1931020.jpg

そして執着がエスカレートすると、相手を支配して繋ぎ止めようと色々な工作を始めるものです。

その方法にも大抵いくつかのパターンがあります。


   脅す

   依存・甘え・弱さを売り物にする

   罪の意識をかき立たせる

   嫉妬心を刺激する


そこら辺になってくると、もう恋愛とは言えなくなるような気もします。

<魂の成長のための恋愛>は当初の目的を達成した感が強まり、もう十分、トゥーマッチといった気持ちになって来ます。

意味のないドロドロを続けて、時間をムダにする空しさから逃れ、関係を解消したくなります。

「あの人とはもう別れるべきだろうか?」

そう迷った時のため、筆者はご親切に<別れを見極めるポイント>さえ教えています。

<別れを見極めるチェックポイント>にはこんなものがあります。


   相手に好かれてると感じるか

   相手に好意を持っているか

   相手に大事にされていると感じるか(なめられてないか)

   自分は相手を大事にしているか(軽蔑の目で見てないか)

   相手に信頼されてると感じるか

   自分は相手を信頼しているか(猜疑心はないか)

   デートして楽しいか

   セックスに満足感はあるか

   一緒に過ごす時間が勿体なくないか

   劣等感を持つことがあるか(学歴・容姿・教養・生い立ち・収入・地位)

   話しは通じやすいか

   話しは合うか

   言動が前向きで建設的か

   困っている時(病気・失意)具体的に何かしてもらったか

   知識や技法を教えて貰ったこと、教えてあげたことがあるか

a0253145_18592845.jpg

これが恋愛の成り立ちから終焉まで、それぞれの通過点で心に何が起こっているのかの全容です。

どうでしょう? 参考になりました?

恋愛のゆりかごから墓場まで・・・

まるで生命プロセスそのもののようで、ちょっと感傷的ですね。


恋愛にも春夏秋冬の季節があります。

そして私たちの人生に彩りを添えています。

恋愛のそれぞれの季節に、その時期ならではの美しさがあるものです。

それらのすべてを愛おしんで体験し尽し、人生の輝きを喜びと共に受け止める。

そんな事が出来るとしたら、それこそが本物の<恋愛の達人>の境地なんだと思いますね。

まだまだ遠い道のりのようです。




[PR]
by viva1213yumiko | 2014-04-13 00:09 | 人生・霊性 | Comments(0)

綴じてない哲学書

a0253145_2012513.jpg
 
それはうらぶれた路地の奥。

小さくみすぼらしい店だった。

秘密の小部屋にロウソクが揺らめくと、老婆の皺だらけの指は一枚のカードを指し示した。

そのカードには<Death>の文字。

死神は大鎌を振りかざし、あざ笑うようにこちらを凝視している。

もう運命は後戻り出来ない。

死神に選ばれた者は誰も皆、人生を滑り落ちて行くのだ・・・


a0253145_2081499.png


映画や小説の影響か、タロット占いをこうイメージする人がいます。

タロットワークの事を「何かオカルト的世界の入口に違いない」と疑念の目で見ているようなのです。

あなたがそうだとしたら、もう心配は無用です。

タロットは決してダークで怪しげなものではなく、むしろ自分の成長を助けるために使う事が出来るんですね。

それはあなた自身の<自己発見のツール><気づきの道具>に成り得るのです。



人生を思い通りに生きるため、必要なものって何だか分かりますか?

人生をよりクリエイティブに生きるためには、自分の内面(インナーリアリティー)と外側の現実(アウターリアリティー)とを調和させる事が大切です。

つまり自分の内なる源とコミュニケーションし、嘘偽りのない心の本音を探り出すって事なんですね。

物事のあらゆる問いの答えは、日常触れる事出来ない無意識の深い次元に横たわっています。

普段は無視してるこの無意識の働きに、我々は大きな影響を受けているのです。


日常生活では誰も皆、<非合理で本能的エネルギー>の事なんてすっかり忘れて暮らしてますよね。

しかし無意識の世界には、この手の厄介ものがあちこちに潜んでいるのです。

だから無意識には十分な注意が必要です。

それは、受け入れがたい欲望と衝動の生息する、荒れ放題のジャングルのようなものだからです。

ヘビや獣が突然襲いかかり、あなたを傷つける可能性も大いにあります。

だから無意識のジャングルを整理整頓して、美しい庭園に作り変えなければなりません。

そうしないと、いつまでたってもあなたは<本能的エネルギー>に振り回され、同じ過ちを延々と繰り返し、人生の限られた時間をムダに過ごす事になりかねないからです。
a0253145_209748.jpg


タロットカードが<自己発見のツール>だと言われるのは、庭園を作るための設計図になってくれるからなのです。


あなたは自分自身をどれだけ分かっているのでしょうか?

懲りる事なく繰り返してしまう、あのイヤな癖。

いつも不意をつき、自動的に涌き上る厄介な感情。

それらは一体どこからやって来るのでしょう。

カードは人の無意識の中にあるものを探り当てます。

自分自身を更に深く理解し、内なる能力を引き出す事が可能かどうか、教えてくれるのです。


引かれたカードはただの偶然で、意味のないランダムな出来事のような気がしますよね。

しかし別の見方をすると、それは「内的な心の状態と外的な出来事の間にある、不思議な相互作用の結果」とも言えるのです。

それはとても意味深い事なんですね。

メッセージって、つまり<内的世界と外的世界の結びつき>の事なんです。

だから心の奥深くの真実をタロットに託せば、必ずやカードはメッセージを伝えてくれるのです。


「我々が心を解放し耳を傾けた時、初めて意味が浮かび上がって来る・・・」

考えてみると不思議な話しです。

そこには深い叡智が隠されているように思えて仕様がありません。

だからなのでしょう・・・

タロットは<綴じてない哲学書>とも言われているのです。




[PR]
by viva1213yumiko | 2013-11-06 15:12 | 人生・霊性 | Comments(0)

なぜ女はいつまでも嫌な記憶を忘れないのか?

あなたは恋人や夫と喧嘩するたびに、昔のことをほじくり返してネチネチ言ったりしていませんか?

「なぜ女は過ぎた過去のことを根に持つのか?」

働き盛りの中高年向けの男性雑誌に、ある臨床内科医が書いていたコラムを読んで、なるほど〜!とやけに感心してしまいました。
a0253145_2224126.jpg
「なぜ女はいつまでも嫌な記憶を忘れないのか?」

それは、嫌な思いをした記憶を忘れては困るからなのだそうです。

子を産み、育てる性である女性は、基本的に自分と子供の身の安全を第一に考えます。

自分に与えられた危害を忘れてしまうと、また同じ人に嫌な思いをさせられるかも知れません。

だから女は二度と同じ目にあわないために、嫌な記憶を脳に留めておくのだそうです。

女性の脳は不快な思いを、大脳皮質で処理するように出来ているらしい。

大脳皮質は知性、理性、言語といった、高度な脳の活動を司っているところですね。

女性は大脳皮質でネガティブな感情を捉えると、その感情を言語化し、長期記憶として蓄えてしまうのだそうです。

一方男性は感情を脳の中心の扁桃体という器官で処理する。

そこが司るのは短期記憶。 

だから男は昔のことをすぐ忘れてしまうようなのです。

つまり、女性の脳は感情をどんどん溜め込むバケツで、男性の脳は感情を網目から素通りさせるザルのようなもの。

そして女性のバケツはいつか水があふれ出し、突然ひっくり返ってしまう。

その時になって初めて男性は慌てふためくのですが、もう手遅れということも少なくありません。

「結婚後、知らない土地で寂しい思いをした」「育児を手伝ってくれなかった」など、妻が昔のことを毎日のように引きずり出しては自分を責めて困る。

そんな相談者に対して、この先生はこうアドバイスしたそうです。

「妻にしゃべりたいだけしゃべらせなさい。そして辛かったね、僕も悪かった、と共感してあげなさい。」

その相談者はそれから毎日、黙って妻の話しを聞き続けました。

すると一ヶ月後、「私も変わらないといけない」と妻が反省し始め、そしてある日「あなたがいないと私は生きて行けない」と、愛らしいセリフを語るほど変わったのだそうです。

相手の言葉を受け入れ共感してあげる、これが女性との対話の第一歩です。

日頃から夫婦間コミュニケーションに悩まされている中高年男性に向け、先生は優しく教え諭しておりました。


これは男性向きのアドバイスですが、女性の私も妙に納得してしまいました。

女性を理解する上で何より大切なのは、<受容>と<共感>なのだと改めて思い至ったのです。

妻たちの方だって、今更過去をどうしろと言ってる訳ではないんですよね。

そんなこと重々承知してるのだが、いまの怒りの気持ちを分かって貰えなければどうにも気が収まらない。

はっきり言うと「言いたいだけ・・・」 

ただそれだけの話しです。

こういう時、バケツがあふれて怒ってる女性の気持ちを、男性はまずはしっかり受け止め共感する必要があります。

そして「確かに君のいう通りで、怒るのは当然だ」と<支持>します。

その上で「もうこういうことが起きないようにこうするよ」と、<保証><説得>の段階に進んで行くのです。

相手が難色を示したら「じゃ、こうしよう」「こういう案はどうかな?」と解決案をいくつか出して選択させれば、それは更に良い結果を導くと言うのです。

なぜなら「女は選択するのが大好きだから」だそう・・・(笑)

a0253145_22251659.jpg


<受容>→<共感>→<支持>→<保証>→<説得>

こうして女性の愚痴・不満・不安と改めて向き合ってみると、ビジネスのクレーム対応と全く同じなんだということに気付かされます。

クレームを言って来るお客様にヘタに説明や反論をしたら、それは火に油を注ぐようなもの。

まずはお客様の言い分を100%聞き入れて、文句を言いたい気持ちを察して差し上げる。

全てはそこから始まり、そこへ帰ります。

考えてみればクレーム対応の出来いかんに寄って、却って好感度が増すってこともありますよね。

こういう時こそ、自分の評価を上げるチャンスです。


女性とのコミュニケーションがすれ違ったら、顧客のクレーム対応だと思って、ただただひたすら話しを聞きましょう。

そして解決出来るよう、誠意を見せ続けるのが基本となります。


世の男性諸君!

女性とのコミュニケーション術は、まずは基本の<接客マニュアル>からスタートですぞ。




[PR]
by viva1213yumiko | 2013-07-09 09:27 | 人生・霊性 | Comments(0)

初釜入門・前編

a0253145_19165993.jpg
年頭の初めに催される茶事の会を<初釜>と呼びます。

お祝いの気持ちが込められた、いつもと違う晴れやかな茶席。

ドキドキ緊張感が心を引き締める、非日常の四畳半世界。

そんな新春の初釜にお招きを受け、参加させて頂きました。

東京には珍しい大雪の日、雪見障子の向こうにしんしんと降る牡丹雪を愛でながら、<松風>(茶釜の湯が沸く音)を愛でながら、茶会に挑むこととなった私の入門レポートをお届けしましょう。


客人は玄関先で身支度を整え、禊の精神で清潔な白いソックスに履き替えます。

着物ではなく洋装で茶事に参加する場合、正座向きのリラックス出来る服装がよろしいようで、なおかつそこに同席者への尊敬と感謝・敬愛を込めます。

女性の場合恥じらいの表現も大事なので、スカート丈は長め、色合いも季節感を意識して選びます。

時計やアクセサリーは茶器を傷つける恐れがあるため外さなければなりません。

そして<懐紙>や<扇子>を用意し、身だしなみを整え<待合>に進みます。

そこで他のお客様と軽くご挨拶。

まずは暖かい<白湯>を頂戴し、ありがたいことに芯から落ち着いてまいりました。

本日は雪のため正式なフルコースではありませんが、<濃茶>→<懐石>→<薄茶>という流れだそうで、それでも正味四時間近くになります。

さあ、初心者がどこまで通用するのか・・・いよいよ緊張の本番舞台が幕を開きます。


a0253145_1924057.jpg

<濃茶>とはひとつの器を客全員で順服するもので、それは参加者の精神的な繋がりが高まる行為となるのだそうです。

「濃いってどの位濃いお茶なんだろ?」と思った私は、お点前する師匠の手元をじっと観察しておりました。

なんと<茶杓>に山盛り12杯分もの抹茶を、茶器の中でよーく練り、少量の湯でゆるめたもの。

これがいわゆる<濃茶>であり、これで4人分なのだそうです。

このどろっとした粘性の緑の液体・・・

一体どんなに苦かろうと想像して、私、武者震いしてしまいましたよ。

ところが意外!  

飲んでみるとそんなに苦くはありません。 

まろやかで、むしろ美味しいじゃないですか!

師匠のお点前はそれは見事なもので、上品なほろ苦さが心地よく舌に広がり、吐く息と共に香りが鼻に抜けてく、まるで朝の目覚めのように爽やかで、それでいて深味ある絶妙な味わいだったのです。

<濃茶>の前には<主菓子>といって、こってり甘い練切や蒸菓子・生菓子を頂くので、その後にごく少量の濃ゆ~いお茶を頂くのは、甘さと苦さとの調和を計算し尽くしていて、上手く出来てるものだなぁと感心です。

私はもう一杯おかわりしたい程だったのですが、しかしここは茶の湯の世界。

そんな勝手は許されません。

縁あってこの時と場所を共有し、同じ茶碗で<濃茶>を共にした他者との間には暗黙の了解が生まれ、敬意と感謝とを無言で伝える、洗練されたルールが隠されています。

最初に茶室に入って掛軸や花や釜の拝見をしたり、またお茶を頂いた後お道具を拝見する手順にも、細かく決められた所作と決まりがあるのです。

   「お軸は・・・」 「○○でございます」

   「お茶入は・・・」 「○○の○○でございます」

   「お茶杓は・・・」 「○○の○○でございます」

新参者には全く分からないけど、極限まで簡素化された意味深な会話群のあれこれで、亭主の気づかいや美的感覚を賞賛しているのです。

何という形式美! 何というミニマリズム! 

鋭利な刃物の上を歩くような、自分を曝し出す緊張感がたまりません。

   
 
   「結構なお点前で・・・」

この一言の中に未来永劫の宇宙があるってことが、何となく分かる様な気もして来ました。

いや〜、間違いなく茶道とは精神修行の場なんですよ。

一期一会の目に見えない場のエネルギーを、感じ取るための修行になってるんですね。


そして最後の送礼の時も、主客双方無言で感謝の気持ちを表します。

沈黙がいかに多くのコミュニケーションを成立させているか、ここでも身をもって伝えているのです。

   
a0253145_13313383.jpg
 
   「和尚、茶の湯とはいったい何ものぞ! ご指南下され」

   「喝ぁーつ!!」

茶の湯・・・本当に奥が深すぎますよ、これ。

 


[PR]
by viva1213yumiko | 2013-01-16 13:55 | 季節・行事 | Comments(0)

濡れ落ち葉論争・秋の陣

人と人との間には、とてつもなく深いコミュニケーションギャップが存在するものです。

ましてやそれが男女間のものともなると、話しはなおさら複雑です。

a0253145_1751874.jpg


「いやー 色づいたもんだなぁ」

窓越しに広がる圧倒的な紅葉を見上げ、太郎は誇らしげに呟いた。

昨日の雨で空気はしっとり潤っており、ひと雨ごとに深みを増して来たこの秋の成熟度も、ついに頂点に達した事を告げていた。

「今日は天気は保つみたいだけど 風が強そうだね」

風が吹くたび一斉にざわめく木立の群れから、まるで戦勝パレードの紙吹雪ように数え切れない程落ち葉が舞い始めたのだ。

あるものは垂直落下で、あるものはふんわりと弧を描きながら、またあるものは高速回転のピルエットで狂ったように乱舞して・・・

みな思い思いのスタイルで、命の新たなステージへと飛び出して行く。

そして地面に舞い降りた枯れ葉は、湿り気を帯びて艶を放ち、高級な段通絨毯のような見事な文様を織り上げて行くのだった。


「濡れ落ち葉 奇麗だね」と、太郎は言った。

「そうね 奇麗ね」と、花子は答えた。

「やっぱりこの間のセーター買えば良かったかなぁ・・・」

先日、クラフトフェアで買いそこなった美しい枯れ葉色の手編みセーターの事を太郎は思い出していた。

「そうねぇ あれは貴方に似合ったかもねぇ」

猫にせがまれるまま、3つのボウルに均等に餌を分けつつ、花子は半分うわの空で答えていた。

猫の鳴き声が止まり、いつも通りの旺盛な食欲を見届けると安心して、花子は何気なく言った。

「けどあのセーター着たらさ あなたも濡れ落ち葉よ」

「・・・」 

一瞬のあいだ奇妙な沈黙が起こり、枯れ葉の落ちる音だけが囁くように静かに響いた。

「・・・う〜む・・・」

a0253145_114354.jpg

「ん? なんか変なこと言った?」

「君は人のマインドというものがいかに否定性を生み出すか 全然分かってないようだね」

「へ? マインド?」

「脳科学でも証明されてるんだよ いつでも否定的解釈をしたがるのが脳の特徴だって・・・」

「は? 濡れ落ち葉は否定的な言葉だった?」

「言葉に良い悪いはない 意味を解釈するのはあくまで人のマインドなんだ」

「つまり貴方にとって濡れ落ち葉はどこかネガティブなのね?」

「分かんないかなぁ だから言葉に気をつけなさいっていつも言ってるでしょ」

「だってさっき貴方・・・濡れ落ち葉 奇麗だって・・・」

「はん! そういうのを言い訳ばかりの屁理屈上手って言うんだよ」

「ふん! どっちが屁理屈よ!」



人と人との間には、とてつもなく深いコミュニケーションギャップが存在するものです。

ましてやそれが男女間のものともなると、話しはなおさら複雑です。


人のマインドがどれほど否定的解釈を語って聞かそうと、やがて秋になれば葉っぱは皆濡れて落ちるのだという事を、あなたはこの寓話から学ぶ事が出来ます。




[PR]
by viva1213yumiko | 2012-11-09 11:05 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

桑の葉切り論争

人と人の間には、とてつもなく深いコミュニケーションギャップが存在するものです。

ましてやそれが、男女間のものともなると、話しはなおさら複雑ですね。

a0253145_18483418.jpg

「トマトの切り方、何かリクエストある?」

ある夏の朝、花子はドイツパンのサンドウィッチに挟むトマトについて、軽い気持ちで太郎に訪ねた。

「そうね~、薄桑切りがいいな」 と、太郎はぶっきらぼうに答えた。

「薄桑切り・・・」

花子はそう呟いて、キッチンのまな板から視線を上げた。

そして果たして桑の葉とはどのような形態をしているものか、つたない記憶を懸命にひも解き始めたのだ。

<イチョウ切り>や<松葉切り>なら知っていても、桑の葉の形に野菜を切った事は未だかつて一度もなかった。

近所にはかつて養蚕を営んでいたという地域があるにはあるのだが、今ではもう桑畑などどこにも見る影がない。

桑はいにしえよりカイコの餌として重要な農作物であり、また果樹としても盛んに栽培されて来た。

桑の果実マルベリーは甘酸っぱく美味であり、果実酒やジャムとして珍重されている。

桑の葉をお茶として飲む<桑茶>もあるし、血圧や血糖値を下げるという、その薬効成分は広く認められている。

また古来、中国でも日本でも桑は聖なる木として位置づけられている。

その霊力が中風を防ぐとも伝えられたし、男子の厄よけ神事・祭事にも使われていたらしい。

カイコの好む神聖な植物の葉っぱなのだから、きっと桑の葉切りには何か知られていない秘密の意味が隠されているのだろう。

お祭り料理用などに特別な飾り切りがあって、幸福を呼ぶ願掛けがあったのかも知れない。

それにしても包丁の扱いに<桑の葉切り>があるなんて、花子はこの年になるまで聞いたことがなかった。

世の中ってほんとにまだまだ知らない事だらけなんだなぁ~

短時間の内に花子の心に様々な思いが浮かんでは消え、桑に関するおぼろげなイメージだけが駆け巡って行ったが、結局桑の葉の象徴については分からずじまいだった。

考えあぐねた末、花子は太郎に尋ねてみた。

「桑の葉切りってどういう形なの? ギザギザな奴? 星型かしら?」

「へっ? 桑の葉?」 と、太郎は言った。

「トマトよ。 桑の葉切り。 神聖な形なんでしょ? 家紋風?」

「お前、ばっかでねえの?」

「だってトマトのスライスが・・・」

「ば~か! 薄く輪切りだよ!」

「薄ク・・・ワギリ・・・」

「何かさぁ~、アンタっていっつも人の言う事聞いてないよね」

「薄ク・・・輪ギリ・・・」

「だから人の話しを聞けって何度も言ってるでしょ? 大体いつもねぇ・・・・ガミガミガミ・・・」   

「ふん! なにさ・・・」



人と人との間には、とてつもなく深いコミュニケーションギャップが存在するものです。

ましてやそれが、男女間のものともなると、話しはなおさら複雑ですね。

爽やかな夏の朝のひと時が、突然の疾風の如く冷たい風に変わるのに、たったの数分でOKという事を、あなたはこの寓話から学ぶ事が出来ます。




[PR]
by viva1213yumiko | 2012-08-22 18:49 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)