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簡単!自分で悪魔祓い

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映画<エクソシスト>を観た時のことは、今でも印象に強く残っている。


リンダ・ブレアが悪魔に取り憑かれ、別人格となって暴言を吐きまくる様子に、少女だった私は真剣に恐れおののいた。


<エクソシストごっこ>と称してベッドで跳ねて、周囲を笑わせてはみたものの、180度首をひねり白目を向く恐ろしい悪魔の形相に、夜が来るたび悩まされたものです。

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映画の中の悪魔祓い師・・・


あれは架空の話ではありません。


キリスト教会には悪魔祓いを専門とするスペシャリストがいるらしいです。


「神父さんになるにはエクソシストの基礎知識を神学校で学ばねばならない」と、そんな噂も聞いたことがあります。


悪魔と戦う神父には一体どのような適性が必要なんでしょう?


やはり強靭な精神力がいるんでしょうねぇ。


悪魔と戦うにはマッチョな武闘派タイプっていうより、持って生まれたある種の才能や、揺るぎない信仰心が不可欠です。


悪魔祓い師たちはどのような修行をしてるのだろう?


祈祷や瞑想だけでなく、断食とか、滝行とかもするんだろうか?


そこら辺結構気になるとこですよね。

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聖書の記述によると、イエス・キリストは悪魔祓いの名人だったみたいです。


聖書には悪霊に取り憑かれた男の話が出て来ます。(マタイ8章28~34 マルコ5章1~20 ルカ8章26~39)


汚れた霊が男に取り憑いて憑依してしまうのですが、その様子は完全にホラー映画そのもので迫力満点です。



悪霊に憑かれた男は墓場を住みかにしていて、昼夜絶え間なく叫び続け、石で自分の体を傷つけている。


足枷や鎖で何度も繋がれるのだが、鎖を引きちぎり足枷も砕くので、もう誰も押さえつけることが出来なくなっている。


汚れた霊は<レギオン>と呼ばれる暴走した悪霊の集団でした。


そこまで行っちゃうと、もう憑依霊とかそう言うレベルじゃ全くないんですね。


男の体は悪魔そのものに完璧に乗っ取られてしまっていたのです。


そこでイエスは悪魔<レギオン>と対決した。


そして邪悪なエネルギー体を、男の体から山の中腹にいる豚の群れへ乗り換えるよう、正面切って悪魔に命じたのです。


するとその二千頭ほどの豚の群れは、崖から海へなだれを打って駆け下りて行き、皆海中に沈んで溺れ死んでしまったんですねぇ〜


ほほう・・・


ここは映画の山場になりますかね?


特撮CGのスペクタル・シーンが目に浮かぶようです。


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邪悪な想念に取り憑かれ、身体を乗っ取られ、支配されることを<悪魔憑き>と呼びます。


悪魔・デビル・サタン・魔王・ルシファー・悪神


邪悪な存在は様々な呼び名で呼ばれていますが、いずれにせよ<闇の勢力の監督官>であることには違いありません。



[暴食] [強欲] [怠惰] [肉欲] [高慢] [嫉妬] [憤怒]


キリスト教では人間に<七つの大罪>があると教えます。


悪魔は欲望の罠を巧みにチラつかせ、この<七つの罪>へと招き入れ、そして人間を堕落させるのです。


人の精神の堕落そのものが目的と言うんだから、悪魔とは本当に恐ろしい存在です。



悪魔って昔から山羊のような毛むくじゃらの獣で描かれることが多いですよね。


だから悪魔はああゆう姿をしているものと皆んな思ってる。


ところがどっこい、悪魔は変幻自在です。


悪魔って人間の最も弱い部分に漬け込むのが得意です。


清らかそうな天使を装い、あなたの前に姿を現すこともある。


だから常に細心の注意が必要なんですね。


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どんな善人でも、心のどこかに必ず<悪>の部分を持ち合わせているものです。


完全無欠の善人なんて存在しない。


完全無欠の悪人が存在しないようにね。


だけど善人には<悪>の部分を眠らせて、<悪>を活性化させまいとすることが出来る。


<悪>を自分の力で抑えて、現実世界に現象化させないようにするのです。


つまり自分の内面の<悪魔祓い>が出来る訳なんですね。



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この世界には天使のスピリッツから悪魔のスピリッツまで、目には見えないあらゆるものがうごめいています。


我々はピンからキリまで、あらゆるスピリッツがごちゃ混ぜになった海の中で、日常生活を送っているようなものなのです。


邪悪な想念は他人から送られたり、自分の潜在意識からこぼれ出したり、ある時突然不意に姿を現わす。


だからそんな時、自分を守る盾のようなものが必要です。


守護霊にプロテクトを祈るのも良いでしょう。


でも自分自身で悪魔を祓い、精神力を強化出来れば、それが一番手っ取り早いはずなんですね。



自分で悪魔祓いするには瞑想したり内観したり、自分の想念を正直に分析しなければなりません。


潜在意識にどのような考えがストックされてるか見つめ直し、自分自身を浄化する必要があります。


そしてマイナスの欲望・マイナスの感情・マイナスの考えを、抱いたり表現したりしないようにする。


シャワーを毎日浴びるように、日々心の汚れを洗い流して、よこしまな想いを受けつけないようにするのです。



ポジティブシンキングがなぜ大切か?


それは隙あらば忍び込んで来ようとしている、邪悪な想念の侵入経路をふさぐため。


マイナスエネルギーの振動をシャットアウトするためです。



それって結局<自己コントロール>の力に掛かっているんですね。


<自己コントロール>出来る人間こそが、本当に望むものを引き寄せられる。


最終的に見えない精神の力が、全てを決めているのです。


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新年度の春からひとり暮らしをスタートした人も多いと思います。


初めて自炊する人向きに、あり合わせの材料で美味しく出来る [ 簡単!自分で晩ご飯 ] のレシピがたくさん紹介されてます。


[ 簡単!自分で悪魔祓い ]


こっちのレシピの方もすご〜く重要です。


是非忘れないでおいて下さいね。







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by viva1213yumiko | 2017-04-27 22:25 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

アヴェ・マリアのバラード

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毎年クリスマスのこの時期になると、幼稚園でのクリスマス・キャロルを思い出します。

教会付属幼稚園では恒例行事として、園児に<キリスト生誕>のお芝居を演じさせるのです。

飼い葉桶に眠る幼子イエスと、その聖家族を祝福する東方の三賢者。

<ルカによる福音書>の美しい名シーンを、園児たちがたどたどしいセリフ回しで演じる。

親御さんや先生方にとっては、笑いと感動に満ちたクリスマスなのです。


ベツレヘムの聖夜のお芝居・・・

その中でも花形なのは、やはりマリア様です。

女の子なら誰もが秘かにマリア様の役どころを望むんですね。

もちろん私もマリア様を夢見てたのですが、その年割り当てられたのはなんと、モミの木の役。

ベニアの書き割りを持って、過剰にヘラヘラと愛嬌を振りまき、♬主〜ワッ来ィマッセ〜リ〜♬ と歌っておりました。

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聖母マリアとは<永遠の処女性>の象徴です。

<純潔の白百合><穢れなき魂>を意味します。    

少女だったマリアは男を知らぬままイエスを身ごもり、大天使ガブリエルに受胎告知されちゃうのです。

名曲<アヴェ・マリア>とは、聖母マリアへの典礼の言葉に曲がついたものですが、どれも皆その時天使が語った祝福の言葉から始まります。(最初の2行)



   おめでとうマリア 恩寵に満ちた方 

   主はあなたとともにおられる

   女性のうちで祝福された方

   そしてあなたのお腹の子 イエスも祝福されている

   聖なるマリア 神の御母

   罪人なる我らのために祈りたまえ

   今も 我らの死の時も アーメン



なかなか感動的な受胎告知であります。

しかしこの受胎告知、マリア本人にしてみれば「レレレ・・・?」って感じだったんじゃないでしょうか。

だって覚えもないまま受胎させられ、「あんた妊娠してんだよ。これって名誉なことなんだよ。」って天使に告げられるんですよ?

現代の都市伝説なら、これはエイリアンのアブダクション事件そのものです。

マザーシップに拉致されて、知らぬ間に生体実験され、そのあげくに異星人から妊娠を告げられる。

「祝福なんて冗談じゃないわ! やってらんないわよ、まったく!」

なんて、マリア様はそんな風には思わなかったのでしょうか?

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カトリック神学では、マリアは純潔で穢れがない<神の母>で、<無原罪の女>であるとされています。

旧約聖書の女イヴは原罪を犯し楽園を追放されましたが、新約聖書の女マリアは原罪のない清らかな女であるという訳です。

結構ご都合主義っぽい感じもするのですが、原節子さんみたいな<永遠の処女>って、昔から人々の花形ヒロイン像だったんですね〜

だからでしょうか、4世紀ぐらいになるとマリア様のように処女のまま生きることを選ぶ女性が増えて来たんだそうです。

<キリストの花嫁>として修道生活を送り、<神のはしため>として生きるのです。

<はしため>・・・

これは<はしたない女>ってことじゃありません。

自分の命と人生は、神に生かされているものとし、神の望まれる意思にピッタリ寄り添って生きること。

自分の人生にふんぞり返り、困った時だけ神を呼ぶような調子の良い自我を殺して、もっと大きな意思のため、身を捧げて懸命に生きる人のことです。

そういう生き様をする女性は、皆<永遠の処女>です。

ホントに処女か処女じゃないかが問題じゃないんですね。


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マリア様って無原罪なのだそうです。

無原罪とは、東洋風に言うと「カルマがない」ってことですね。

「カルマのない清らかな女性だから神に気に入られ、救い主イエスの母に選ばれたのだ」

と、そういう理屈なんですね。


しかし神学でいくらマリアの霊性を説明されても、そんなこと民衆の信仰心にはどうでもよいことだったに違いありません。

庶民にとってのマリア様とは、自分たちを抱きしめて癒してくれる母性愛の象徴です。

愚かな我々をいつまでも許し続ける<慈母観音>のような存在です。


だから処女のまま救世主を宿すという話しの中には、多分「清らかな母性の力で人は救われる・再生される」って意味が込められていたのだと思います。

エジプトのイシス神など、伝統的な大地母神への信仰が、自然な形でマリア教に代わっていったのでしょう。

キリスト教が現われる以前からあった、異教の女神の神殿が、マリアに捧げられる教会へと変容したのだと思います。

そういう意味で、マリア様は人類救済の歴史を引き継いでいるんですよね。

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<穢れなき永遠の処女>であり、<神の花嫁>であるマリア。

それは地上と天界をつなぐ仲介者でもあります。

だからマリア様が出現した場所は巡礼地となり、パワースポットにもなっているんですね。

もしあなたの周りに乙女のように清らかで、そして聖霊とも交信出来るようなお母さんがいたなら、その人はきっとあなたにとっての地母神ですから、大いに大事にして頂きたいです。


いずれにしてもイエスのような救世主の母親には、それと同じくらい純粋で、器の大きな女性じゃなければダメなのでしょう。

名曲<アヴェ・マリア>とは、偉大なる母性を讃える歌だったのです。

キリスト教版の「母に捧げるバラード」なんですね。




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by viva1213yumiko | 2015-12-23 13:28 | 季節・行事 | Comments(0)

抱きしめる聖者

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訪れる人ひとりひとりを抱きしめる。

ただそれだけの行為で人々の心を癒し続ける、そんな聖者がこの世にいます。

南インドのケララ州出身、世界中の人からアンマ(お母さん)と呼ばれる、ヒンズーの聖者を紹介しましょう。


インドには世にも不思議な聖者がたくさんいると聞きます。

眠らぬ聖者・断食50年の聖者・千里眼の聖者・肉体をふたつ持つ聖者・至福に浸る聖者・空中浮遊する聖者・物質化する聖者・・・(あるヨギの自叙伝より)

そしてそれぞれの不可思議な能力や信念を媒介に、神の実在や真理を人々に伝えること。

それが聖者のお役目ということになります。


その中でもずば抜けてユニーク、かつ奇跡的な取り組み方法を取っているのが、このアンマという女性聖者です。

彼女は過去44年間に渡り世界中のあちこちに出向いて行き、3500万人以上の人々をただ抱きしめ、癒しのエネルギーを与え続けるという、それはそれはシンプルな愛の啓蒙活動を行っているのです。
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「ただ抱擁するだけの聖者? 地味っぽくない?」

そう思ったあなた! それは認識不足というものですよ。(笑)

例えば政治家の選挙活動にしても、せいぜいいいとこ握手止まりですよねぇ。

選挙区の人々に愛を込めたハグなんてしませんよねぇ。

それなのにこの聖者は人種・宗教・年齢・性別・階級すべてに分け隔てなく、望む者には誰にでも愛を込めて抱擁し、祝福を与え続けているのです。

しかも一度に20時間以上、休憩なしで延々と抱き続けることもあるというから、その数とスケールは桁外れ、ギネス並みなのです。

海外メディアからは「抱きしめる聖者」と呼ばれ、ローマ法王やダライ・ラマ法王らと共に、世界で最も影響力のあるスピリチュアル・リーダーのひとりとして紹介されています。

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そんなアンマさんが来日されるというので、先月末、初めてのダルシャンに参加させて貰いました。

ダルシャンとは聖者の祝福を受ける行為のことを指します。

インド宗教では聖者の徳は他に伝えることが出来るとされます。

なので聖者に祈願し賞賛し、聖者を見て触れることによって、誰でも功徳を得ることが可能なんですね。

「村にひとりの聖者がいればその村全体が功徳の恩恵に預かる」と言われるくらい、聖者への信仰はあついものなのだそうです。

つまりインドでは、聖者は生き神様と同じ扱いなんですね。

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「抱擁してもらうと、凄いエネルギーが入って来るよ〜!」

ダルシャンの噂を事前に聞いた段階では、正直言って半信半疑だったのですが、実際セレモニーに参加して驚いてしまいました。

彼女の発するあったかくて滑らかなエネルギーが、会場内に確かにビンビン充満してるのです。

順番待ちの席から少しずつ彼女に近寄ると、フワンフワンと体温も上昇し、どんどん気持ち良くなってしまうのです。

2~3m程まで本人に接近すると、お酒に酔ってハイになったような、えも言われぬ多幸感が沸き上がります。

「聖者の恵み」ってこういうものなのかと思うと、ヒンズー教徒でなくても喜びに満たされます。


そしていよいよアンマの前にひざまずく。

この私だけのため、抱擁と祝福をしていただけるのです。

ムギュ〜!

聖者は想像よりも遥かにきつく、しっかりタイトに抱きしめて来る。

ムギュギュ〜ッ!

だから私は母親の乳房に顔を埋める子供みたいな状態になってしまった。

暖かくふくよかな生身の聖者の感触が、右頬からひしひしと伝わって来ます。

そして何とも言えない花のような良い香りがする。

これこそが愛のエネルギーという奴なのでしょうか?

言葉にならない大いなる母性の波動に満たされ、やけに感動的だったんです。

それは至福の瞬間。 

ちょとしたエクスタシー状態です。

彼女のそばにいるだけで何でこんなに幸せを感じてしまうんだろう?

実に不思議な現象だ。 

けれど・・・

「理屈なんかどうでもいい! そばにいさせて〜!」

なぜか誰もがこうなってしまうのだから、聖者のパワーとは本当に恩寵に満ちてるのです。


こんなこと言ったら、宗教かぶれの危ない人みたいに映るでしょうか?

怪しいカルトに遂にハマったと疑われるかも知れないですね。(笑)
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実際超能力を使って人心を惑わせる偽聖者・偽予言者もいるとは聞いてます。

しかしこのアンマさんの凄いところは、ここから先なのであります。


彼女は<embracing the world >(世界を抱きしめる)という国際的な人道支援活動を展開するネットワークのリーダーでもあります。

ヒンズーの宗教家としての啓蒙活動だけではなく、福祉や社会問題への取り組みとして、世界的な慈善活動を行っているのです。
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彼女の博愛と奉仕の精神に触発された慈善活動団体が、国際チャリティ協会の設立を促し、災害救助・教育・医療・住宅の提供・女性の権利・孤児・介護・環境保護など、悲しみと苦しみに直面している人々を支援し続けています。

その理念は、世界の貧しい人々や被災者の苦しみが軽減されるよう、<食料・住居・教育・保健医療・収入機会創出>という5つのニーズの充足を支援すること。

ネパールの地震やスマトラ沖の津波の時も緊急援助してますし、もちろん東日本大震災の時も、水や食料・義援金・ボランティアスタッフなどが送られて来ました。

アンマさんご本人も2011年7月には避難所を訪問し、多くの被災者をその胸に抱きしめたそうです。


世の中には人道的な活動を展開している人々やグループが数多くあります。

その中には偽善の香りのするものもあるでしょう。

しかしアンマの身体をはった無私の奉仕活動は、精神世界を人道主義に結びつけた、高次の意識レベルの汚れない善意を感じ、感動的ですらあります。

マザー・テレサ、マハトマ・ガンジー・・・

歴史の中には時々もの凄いことをやってのける偉人が浮上しますが、このアンマもきっとそのような使命を持つひとりなのだと思わずにはいられません。
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今回アンマに逢って抱擁を受けて、改めて感じたことがあります。

それは人が人として生きるべき姿とか、人を正しい道へ導く力とかは、書物やネット検索で知りうる、そういう類いのものじゃないってことです。

人が目指すべき道。

そこにはきっと目的地があるはずです。

そしてその方向は先達の生き方の中に見つけることが出来るのでしょう。

器の大きな先達が指し示す方角は、きっと光輝く場所に違いありません。


だから先達を見習い、善意を育んで、今日のこの瞬間を抱きしめるように生きて行きましょう。

それが地球を抱きしめることに繋がって行くのです。

世界を抱きしめること・・・

それは結局、自分を抱きしめることと同じなのです。

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私たちは皆、世界が今よりも善良さと美しさで満たされるよう願っています。

そういう機会を創るために、私たちも自分の役割を果たさなくてはなりません。

戦争やテロのない世界
誰ひとり飢えや貧困を味わうことのない世界
成長し発展する機会を誰もが等しく与えられる世界
性別・宗教・肌の色の違いに関わらず、すべての人が互いに敬意を持てる世界
人々の心が愛と一体感でつながる世界

私たちは夢見ることが出来ます。

その夢を実現するために、いとわずに献身しましょう。

                    <アンマの言葉より>


    

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by viva1213yumiko | 2015-06-07 23:55 | 人生・霊性 | Comments(0)

ホスティング・エンジェル

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「天使を5日間、お家に招いてみない?」

ある日の事、友人Wがこんな風に切り出して来たのです。

「はぁっ? 泊める? 天使を?」

年度末の確定申告も出さなきゃならないって時期に、何をズッコケタ事言ってんだろう、この人は・・・

と、内心そう思った私でした。

「天使だってさぁ、可笑しくってチャンチャラ笑っちゃう!」

しかし友人は、なぜかいたって真顔の表情をしてるのです。


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エンジェルを自宅に泊める<ホスティング・エンジェル>という儀式は、ドイツ人ミディアム(霊能者)によって2010年NYで始まりました。

5人の天使たち(ミカエル・ガブリエル・ラファエル・ウリエル・メタトロン)を自宅にお泊めする事で、天使たちを直接的にサポートし、彼らの仕事に貢献する役目を担う事になるのだそうです。

実は天使たちって、すごい働き者なんです!

我々人類のため、母なる地球のため、そしてこのユニバースのため、身を粉にして働いているといわれてます。

まず勘違いしてる人が多いのですが、天使ってラファエロの画みたいな、羽の生えた幼児の姿してる訳じゃないんですね。

彼ら大天使は、この物質世界を司る4大元素(火・水・空気・土)を統括する、いわば自然界の法則そのものような存在。

物質世界のありとあらゆる形態を守り、整え、創造するのが彼らの任務です。

地球の自浄作用を促すのも大天使のお仕事。

我々の傷ついた心や身体を癒すのも大天使のお仕事。

この世界の調和を保つために、あちらこちらに出現し、日々奮闘してくれているのです。

今回訪問して頂けるのは、火・水・空気・土の4大天使と、加えてプラス守護天使1名の合計5名様。

彼らは5日間の滞在に協力し、力を貸してくれた人々へ、その感謝のしるしとして望みを叶えて回っているのだそうです。

天使とは高倉健さん並みに、義理堅いのです。

一宿一飯の恩義は忘れない。


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5日間の滞在が終わったら、また5日の休息を取り、今度は次に指名された3人の家へと訪問する。

大天使たちは次から次へとギフトをばらまきながら、人間の家にホームステイを繰り返して行くのです。

これって、つまり<幸福のねずみ講>です。

創始者の意図したものは、幸せのおすそ分け運動なのでしょう。

新種のチェーンメールと言えばそれまでですが、幸せを拡散するにはなかなか良いアイデアだと思います。

このムーブメントがどんどん拡大したら、この地球上にも少しは良い波動が広がるかも知れませんね。


「良さそうな事、面白そうな事は取りあえず何でもやってみる」というのが私の信条です。

心の中でチャンチャラ笑ってた私も、気持ちを入れ替え心機一転。

早速、天使を迎える準備に取りかかりました。


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天使たちを迎えるためには準備するものがあります。

   1. 白い花

   2. キャンドル

   3. 3つの願い事を紙に書いた封筒

   4. りんご


この4つを用意し、到着予定時刻の夜10時半、ドアを開けて歓迎の言葉で天使たちを迎え入れるのです。

「大天使の皆さん、私の家にようこそ。皆さんを私に紹介してくれたのは〇〇さんでした。皆さん一人一人に感謝します。この場所とそこに住む私たちを清め、そして平安をもたらして下さる事に感謝します。喜びと調和・平穏を私たち全てにもたらして下さる事に感謝します。そして私の望みを叶えて下さる事を感謝します。」

この祝詞みたいな言葉が、どうやら天使には効くらしい。

その瞬間から天使たちが色々な変化をもたらし始める、とのことです。

天使の滞在中は、高次の波動が多くのものの再調整を行う、特別の時間と捉えると良いようです。

何の制約も課さず、ただエンジェルの<みわざ>を信頼する、という姿勢が大事なんだそう。

つまり「すべておまかせして心を委ねれば、天使たちがうまい事やってくれるから、心配しなさんな!」って感じです。

彼らの滞在期間中は、それぞれの天使の波動を感じながら、心穏やかに過ごすのが大切らしいですよ。


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天使とのお別れの時が近づいたら、次のホストの家に迷わずに行けるよう、住所や名前を書いた紙をキャンドルで燃やし知らせておきます。

多くの援助を与えてくれた大天使たちに、感謝と愛を送ってお別れをします。

天使たちが去ったら、願い事を入れた封筒を燃やし、りんごを食べる。

そしてキャンドルの炎を消し、白い花を土に還し、5日間の儀式のすべてが終了するのです。


さあ、どうです? 

「天使なんて・・・」とバカにする?

それともわざと騙されて、ちょっと甘い夢見てみます?

白い花とりんごとキャンドルで、デスク周りは甘酸っぱいムード。

ふふふ・・・

キュートな祭壇が、否が応でもワクワク感を盛り上げてくれますよ。


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天使たちは外出先にもついて来るし、その間旅行に行ってもOKらしい。

むしろ少しぐらいワガママになって、自分の求めるものをしっかり表明しないとダメなんだそうです。

天使は求めてあげないと動けない。

頼られるのを心待ちにしている。

それが昔っからの常識なんだそうです。

だからほら、聖書にもこう記されてありますよね。

「求めよ、さらば与えられん」って・・・


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ホスティング・エンジェルとは、目に見えない天使たちとの共同創造を楽しむ、いわば祝宴のようなもの。

宿を貸したお礼、お駄賃として、何らかの祝福を分けて貰う<ささやかな儀式>です。

でもね、案外思ってた以上に心躍る楽しいイベントになっちゃうんですよ。

願い事もちゃんと叶ったしね!


天使を信じて求めれば、天使はそれに答えてくれる。

「求めよ、さらば与えられん」

だから、まるで幼子のように清らかに・・・

「天使よ、いつかまたもう一度我が家にお泊まりして下さい!」と、祈っておいたんですね。




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by viva1213yumiko | 2015-03-12 10:54 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

聖夜の三味一体

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甘いの、酸っぱいの、塩っぱいの・・・

おやつや嗜好品に適しているのは、この代表的な3つの味でしょうね。

<美味しい>には、どれも欠かせません。

だからこの3つを繰り返し食べると、エンドレスで止まらなくなります。

チョコとチーズと赤ワイン

シャンパンと生ハムとメロン 

マドレーヌとポテトチップスとレモネード 

みかんと甘納豆とサラダせんべい

いっそのこと、これら甘味・酸味・塩味を合体させた新しい食品があれば、凄いヒット商品になるかも?

そうひらめいてはみたけど、甘いの、酸っぱいの、塩っぱいの、三味が合体した食べものって案外思い当たらないものですね。

<イチゴ塩大福>とか<ハバネロ黒酢羊羹>とか<サンラータン・アイス>とかどうだろうか?

いやいや、もうすでにアジアン・フードなどで<酸っぱ甘塩っぱい>お菓子はあるのかも知れません。

どなたか情報をお持ちでしたら、三味一体型のお菓子について詳しく教えて貰いたいものです。

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話しはいきなり変わりますが、クリスチャンの皆さんは礼拝の時に「父と子と聖霊の名において・・・アーメン」と唱えますよね。

これキリスト教神学の三位一体という考え方で<父なる神><子なるキリスト><聖なる霊>の三者の位格を讃える言葉なんですね。

ぶっちゃけ三位一体とは「父と子と聖霊、それら3つは元々ひとつであって、ひとつが3つでもありますよ~」って教えなのです。

それって、神様はひとり三役してるって事なんでしょうか? 

あるいは多重人格?

いいえ、似てるようだけどそうじゃないみたいなんです。

三位一体とは、三者が心を合わせてひとつになるという事。

3つの別々のものが結びついて成り立ってるって意味です。

この世界が愛で満ちあふれた美しいものになるように、創造主は父と子と聖霊のパワーを使って3つの次元からちゃんと完璧に我々の面倒を見ていますという教義です。

「父と子と聖霊は、いつでも強力し合って善性のために働いているんですよ〜」

「だからいつでも安心してお任せしてればいいんですよ〜」って教えです。

そういう事なので、唯一の神の中に<父と子と聖霊>の3つの神格が入っていてもそれはそれで辻褄合っているんです。

例えば3本のロウソクの炎をひとつに合体しても、3つに離してみても同じ炎である事に何ら変わりはありませんよね。

三位一体とは、次元の違う3つの聖なる存在の人格(神格?)が統合されてて、完璧な世界の運行を意味しているんです。

だからそこでは父なる神と子の意見が違ったり、子と霊の意志が違ったり、という事もないんですね。
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しかしそれにしても、三位一体って難しい概念ですよね。

<父と子と聖霊>・・・

それって<精神と肉体と霊魂>の事でもありますね。

<未だ生まれざるもの>と<生まれちゃったもの><見えないけれどそこら中に存在するもの>って感じでもあります。

これらの3つがあってこそ、キリスト教の霊的世界が全体的な構図で捉えられるようになるんだそうですよ。

いや〜、奥が深いですね〜

神とは我々の想像を超えたあまりにも大きな存在なので、そんなに簡単に説明出来ないものなのです。

三位一体とは<戦争と平和><愛と憎しみ>など、優しいようでいじわるで、厳しいようでも救いをもたらす複雑な神の側面を、方程式で表現するのにちょうど都合が良かったのかも知れませんね。(笑)


この地球では約2000年程前に、<創造主とキリストと聖霊>とが合体して、ひとつの偉大な真理が生まれました。

それと同じように、我々ひとりひとりの<精神と肉体と霊魂>とが合体すれば、いつか神の真理も理解できる時が来るのかも知れません。

「父と子と聖霊とが合体すると永遠の愛の交わりが生まれて、何か神聖なものが出現するんだよ」

「この世界にはそんな神の恩寵で満ちあふれているんだよ」

キリスト教徒の方々は、三位一体説で多分そんな事を言いたいんじゃないだろうか・・・

私にはそんな風に感じられてしまうのです。

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聖書によると、イエス・キリストは神が受肉した<神のひとり子>だと記されてます。

果たしてイエス・キリストとは神なのか? 

普通の人間だったのか?

それとも神様のお使い的な何かだったんだろうか?

甘いの、酸っぱいの、塩っぱいの・・・

聖なる夜にはとことんまで三味一体(三位一体)を堪能しましょう。

そして、創造主の想いや計画についてエンドレスに考えてみるというのもオツな過ごし方です。

メリークリスマス!

皆さん、どうか良いクリスマスをお過ごし下さいね。




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by viva1213yumiko | 2014-12-24 02:52 | 季節・行事 | Comments(0)

煩悩コントロール法

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大晦日ですね。

怒濤のように忙しく過ぎた師走も今日でおしまい。

また新しい一年が幕を開けようとしています。

大晦日の晩、日本人の大多数が家族と共に年越しそばを食べ、紅白を見て除夜の鐘を聞くのだと思うと、何だかちょっと感慨深いものがあります。

年越しとは、日頃から資本主義という拝金教に身を委ねている我々の心に、ささやかな恩寵が舞い降りて来る瞬間でもあります。

なんのかんの言っても、我々日本人は無意識的に仏教を持っているので、かなり救われてるんじゃないのかなぁ〜と思うのです。


大晦日の除夜の鐘を聞き、この一年の己の言動を振り返り108つの煩悩を祓う。

子供の頃から慣れ親しんだこの習慣のおかげで、我々日本人は自分を振り返り、清め、過去をリセットし、水に流す方法を自然に習得しています。

殆どの日本人はまず意識する事ないけど、これってちょっとしたプチ・セラピーじゃないですか・・・

日本人はとても霊性の高い国民だと世界で賞賛されるのも、こういう伝統的な習慣が脈々と息づいて来たからなのだと思います。

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いにしえより、人間には108つの煩悩があると言い伝えられて来ました。

実際に数えてみたら、私なんかもっとずっと数が多そうな気もするけど、それらの煩悩クンたちは大まかに3つの基本煩悩にカテゴライズされています。

人間の3つの基本煩悩(三毒)とは、<欲><怒り><迷い>だとされてます。

この3つがある故に、人間はいつまで経っても人生に<四苦八苦>してしまうのです。

煩悩をブロック出来ず無防備のままだと、自分が作ったあらゆるカルマの結果が自分自身の心にフィードバックされ、やがて現象世界のマーヤに苦しめられる事となります。

だからこの三毒をブロックするため、仏教では10種類の戒め(十善戒)を教えています。

  
   1. 欲望を抑える

   2. 怒りを抑える

   3. 迷いを抑え真理を洞察する

   4. 嘘をつかない

   5. 批判しない

   6. 悪い噂話をしない

   7. 無駄話をしない

   8. 生き物を殺さない

   9. 盗まない

  10. 浮気をしない


当たり前の常識で、極めて道徳的な戒めですが、追いつめられた時など人がついついやってしまいそうな身近な事ばかりです。

これらの戒めを守る為には、心を強く律し、正しく考えるトレーニングが必要になるのですが、仏教はそのトレーニング法として8つの方法(八正道)があると教えています。


   生思惟・・思考内容を律す

   正語・・・言葉を律す

   生業・・・行動を律す

   生命・・・生き方を律す

   生定・・・集中する

   生精進・・心を浄化する

   生念・・・心のセンサーを磨く

   正見・・・悟る


煩悩のコントロールの為には「今、何を考えるか」「今、何を話すか」、そして「今、どんな行動をするか」が常に問われているのです。

常に、「いま」

そして、「ここ」

それを意識する事が問われているのです。

つまり、いわゆる<ビー・ヒア・ナウ>って奴ですね。(古くて申し訳ない)

<ビー・ヒア・ナウ>に心をフォーカスして生きる。

まさにそれこそが煩悩のコントロール法だったんですね。

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仏教の面白さは「結局すべては心次第なのである」と教えるところです。

一神教の宗教は倫理がとても大事だと教えますが、仏教は心理が大事だと言ってます。

「この人生は別に神様から頂いたものではなく、すべてはカルマという因縁が寄り集まって生じたもので、実体なんてないんだよ」

「すべては変化していて不変のものなんかないんだよ」

「だから煩悩をコントロールすれば、悪いカルマの影響を滅し、苦のない安らかな境地に辿り着けるんだよ」

と教えている訳なのです。


四文字熟語の<自業自得>とは「自分がつんだカルマは必ず自分が受ける事になる」という宇宙の真理をあらわす言葉です。

善を成すのも悪を避けるのも、すべて他人の為でなく自分自身の為。

戒めを守らなくったって、別に誰に罰せられるって訳ではありません。

「だけどね・・・結局極楽往生に失敗しちゃうんだよ〜」

と、不適な笑みで体験学習の大切さを教えているのです。


こうして改めて調べてみると、仏の教えってクールで個人主義で、かなり醒めてます。

もしかすると仏教って現世的な<幸福の教え>というより、<楽になるための正しい教え>と考えた方が正しいのかも知れませんね。


今夜は除夜の鐘を聞きながら、煩悩と幸福について思いを馳せてみるのも良いでしょう。

皆さん、良いお年をお過ごし下さい。




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by viva1213yumiko | 2013-12-31 12:45 | 人生・霊性 | Comments(0)

亀卜(きぼく)

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平安時代の日本には、陰陽師の阿部晴明みたいな人たちが占った占いより、さらに一段尊い占いがあったのだそうです。

晴明の占いとその占いとどっちを取るかというと、天皇は「こっちを取る」と決まりになっていた占術。

それが亀卜(きぼく)なのです。


実はこれ、今でもちゃんと現存する占いで、平成天皇が即位した時にも亀卜をしたという噂があるんですよね。

いにしえより国家の重大事には必ず用いられた、由緒正しい占いが密かに残っていたなんて・・・

占い好きには興味深いお話しであります。


中国伝来の亀甲占いは、すでに弥生時代あたりには朝鮮を経て日本に伝わっていたようで、占いの痕跡が遺跡から数多く発見されています。

古代人にとって亀は、龍や虎、鳳凰と共に霊獣として崇められ、焼いた亀の甲羅に天意があらわれると考えられていたようです。

だから亀卜とは、神のお告げを伺う宗教的な祭儀であって、「いい加減な気持ちでこれをやると罰が当たるぞ」といった類いのものなのです。
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我が国で盛んに行われるようになったのは6〜7世紀頃。

奈良時代から平安時代には、亀卜は宮中で盛んに行われるようになりました。

実はこの亀卜、とても格式の高い占術で、それ以降しばらくは日本で相当強い力を保持していたようなのです。


当時の律令制には、神祇官と陰陽寮という専門部署が設けられていました。

神祇官は宮廷祭祇や神事を、陰陽寮は陰陽道、天文・暦などを、それぞれ専門に司っていたのです。

占法も神祇官は亀卜、陰陽寮は易筮と六壬式占(りくじんちょくせん)を用いていて、両者に重なり合う部分はなかった。

担当省庁がしっかり分かれていたって事ですね。


宮廷祭祇担当の神祇官として、卜部(うらべ)と言われる専属占い師が20人ほど置かれ、亀卜をしていたんだそうです。

ちなみに陰陽寮の管轄は、陰陽五行説や天体の運行、暦の解釈を担当する立派な学問集団で、現代の文部科学省みたいな感じです。

いずれにしても占い師を高級官僚として登用し、重要な省庁として公に位置づけていたのだから、日本もなかなか粋な国家でした。


卜部(うらべ)はウミガメの産地である対馬と壱岐、伊豆の三ヶ所に配置され、天皇の即位や病気に関する事とか、政治・経済含め国家の行く末を導いていたという。

しかしその技法は、あくまでも秘事、口伝なので、全容は明らかにされていないのです。

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卜部たちは卜庭神(うらにわのかみ)を迎えて卜問い(うらどい)するのだが、その前に七日間の斎忌(さいき)に服さねばならない。

その後、祭壇の前で祝詞を唱え木製の棒を焼き、あらかじめ切れ込みをいれておいた亀の甲羅に押し付ける。

するとその熱で甲羅にヒビが入る。

このヒビ割れの形で吉凶を占う。 

といったもののようなのです。


神事に関する占いも多く、大嘗祭や斎宮祭の時、その時期や人選、天候などを占って来たらしい。

神のご託宣を仰ぐ、立派な宗教儀式だったみたいです。

もっとも記録にはその多くが「吉」と記されているという事なので、あくまでも形式的な儀式だった可能性もあります。

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今も皇室の神道行事には、一般国民が知るよしもない複雑なものがたくさんあって、皇族方は日々大変な努力を重ねられていると聞きます。

もしかしたら夜中の奥の院に身分の高い方々が集まって、密かに亀の甲羅を焼いて国勢を案じてる、なんて話しもあり得なくないかも知れないですよねぇ。

メガロポリス東京のど真ん中で、古代からの儀式が続いているとしたら・・・

想像してみると、かなりシュールな光景です。


卜部(うらべ)の亀卜(きぼく)。

いっそインターネットか何かで中継してくれるといいなぁ〜、なんて思っています。



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追伸
下関には亀山八幡宮の名にちなみ、縁起をかついだ<亀の甲羅せんべい>なるものがあるという。

甲羅模様のこのせんべいをかじって、その割れ目によって吉凶を占うってのはどうでしょう?

きっと亀卜の基礎トレーニングになるんじゃないかしら?




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by viva1213yumiko | 2013-09-28 21:38 | 人生・霊性 | Comments(0)

ムスリム入門

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喫茶店やら、劇場や空港のロビーなどで、年長のご婦人方が交わしている会話にじっくり聞き耳たててみてご覧なさい。

本当になぜか、こんな調子が多いと気付くはずです。


「うちの主人、検査にひっかかってね」

「アッラー!」

「今度手術することになったの」

「アッラー!」

「息子夫婦が付き添ってくれるって言うのよ」

「アッラー!」

「これでまた孫に小遣いせびられちゃうわぁ」

「アッラー!」


こういう時に私はふと、真面目にこう思ってしまうのですね。

「そんなにアッラーがお好きなら、イスラム教徒になればいいのに・・・」

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今、世界ではイスラム教徒が増えていて、信者の数は15億人以上もいるんだそうです。

その要因は、イスラム教が<マニュアル型宗教>で、分かりやすいからだと言われます。

神はアッラーただひとつであり、神の教えは全てコーランに書いてある。

だから信徒は神の直接の言葉(=コーラン)を守り、従って生きて行けば良いっていう、至ってシンプルなものだからです。


西暦570年、メッカで生まれたムハンマド(マホメット)が、40才の頃突然神の声を聞き、人々に伝え始めたのがイスラム教の始まりです。

ムハンマドは成功した商人でしたが、ある時洞窟で物思いに耽っていると天使が現われて、いきなり「詠め」と命じたのです。

「神の言葉の記録を伝えるから声に出せ」と言うのです。

文盲のムハンマドは驚き、抵抗しますが、天使は彼を羽交い締めにして「どうしても詠め」と迫ったのだそうです。

ずいぶんとまた攻撃的な天使ですよね。


怯えるばかりのムハンマドを年上の妻が励まし、それが最初のイスラム教信者になりました。

ムハンマドが伝えた神の言葉は、信者たちに暗唱され広まって行きました。

そして彼が亡くなった後、その言葉を書きまとめた本がコーランなのです。

コーランは聖書のような物語形式ではなく、114章の断片的な文章からなっているのですが、神の教えがすべてここに書かれているのです。

だからコーランを読み、ひたすら神を思いなさい。

そうすれば現世を正しく生き、心の平安を得ることが出来るでしょうという、そんな宗教なのです。

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コーランにはイスラム教徒が守るべき行いがしっかり記されています。

<信仰告白・礼拝・喜捨・断食・メッカ巡礼> 

この5つがムスリム基本の五行です。

その他にも、<豚肉を食べては行けない><お酒を飲まない><4人までなら妻帯OK><姦通は石打刑>など、砂漠の風土を生き抜くための厳しい教えが記されています。

四季の自然に恵まれた我々とは、全くかけ離れてた道徳をアッラーは教えているのです。


<女性はヴェールをかぶらなければならない>というイスラム世界のルールも、コーランに「女性の身体のうち外にでている部分は仕方ないが、それ以外の美しいところは隠せ」と記述されているからなのですが、<美しいところ>と言っても人によってその定義は違い、曖昧な部分も多く、それがイスラム女性の様々な服装となって現われているようなのです。

確かにヴェールは灼熱の太陽から髪や肌を守るという意味もあったようです。

しかし一説によると、中東の男性は女性の髪の毛に猛烈に興奮するらしく、だから髪の毛を隠すようになったというのが有力だそうですよ。(笑)


噂だと最近は、池袋や北関東など中東・南アジア出身者の多い地域には、ビルの2階などに小さなモスクが出来たりして、日本人との接点も増える傾向にあるらしい。

個々のイスラム教徒はとっても優しく、良い意味でお節介焼きなので、昔ながらの共同体の雰囲気が強いのだそうです。

だから孤独に暮らす日本の若者にとっても魅力的で、そんなところに惹かれて入信する人もいると言います。

今後は日本人イスラム教徒も増えて行くのかも知れませんね。


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常日頃、気軽に「アッラー」を唱える、先輩ご婦人方に告ぐ。

「アッラー」を讃える心があるなら、まずはヴェールをかぶり、礼拝してみてはどうでしょうか?



   [アッラーの他に神なし、ムハンマドはその使徒なり]

   
   [神は偉大なり、神は偉大なり、神は偉大なり]


   [アッサラーム・アライクム]



ヴェールで紫外線対策して、ラマダーンの断食でスリムになって・・・

ムスリム入門は、見違えるほど奇麗になれそうな気がしませんか?




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by viva1213yumiko | 2013-08-03 12:41 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

女人高野

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仏教について学びたいと思っても、ネックになってる事があるんですよね。

仏教って何だか暗いって事なんです。

   
   生老病死・・・

   人生とは四苦八苦、苦しみの連続である。

   だからその苦しみの根本原因である煩悩を滅し、執着を手放しなさい。


根本的に人生とは辛く苦しいものだって言うのだから、確かに根暗ですよね。

仕事・友人・趣味・特技

伴侶・家族・地位・財産

人生これからっていう青年期などでは、なかなか共感出来ない教えです。

たとえお釈迦様がクラスメートだとしても、ちょっと友だちにはなれないタイプかも知れませんね。


そしてさらに引っ掛かる点が、仏教の女性蔑視の思想です。

「女の身体や性格や生まれは、不浄で悪で悪業の報いで、だから女性はブッダになれない」とする根本思想です。

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釈尊が布教を始めると、次第に出家希望者が増え、サンガとよばれる仏教教団が出来上がって行きました。

その中に女性修行者も増えて来て、だんだんと厄介な問題が起こってきたらしいのです。

古来、インドの男たちには女性蔑視と性差別の観念が根強く、釈尊の弟子の男性修行者にもその考えは色濃く残っていました。

そこに、釈尊公認の女性修行者グループが成立した事によって、女性の人権が認められたのです。

教団初期の女性修行者は、教養ある上流階級出身者ばかりだったので、きっと身分の低い男性修行者たちからのやっかみもあったのでしょう。

男性修行者VS女性修行者の、水面下での勢力争いが起こり始めました。

釈迦本人には特別なこだわりがなくても、周りの弟子たちは女性の存在を修行の邪魔だと考えたのでしょうね。

女性修行者を召使いのように扱ったり、陰険ないびりをしたり、差別待遇があったのだそうです。

だから釈迦入滅後、仏教経典が編纂される頃には、弟子たちの考え方が大きく反映されるようになり、女性蔑視の教えが出現していたのです。


仏教教理の中に<変成男子説>というものがあります。

女は女の身体のままでは悟れない、男に変身したり、男の身体に生まれ変わったりしなければブッダになれないという説です。

女は男に比べて劣っているし、悪・汚れの性質を持っているから<女身不成仏>だというのです。

多くの経典や書物にも、「女はブッダになれない、その資格がない」って記されてます。

尼さんたちが髪を落とすのは、女の身体では悟りを開けないから、ここでキッパリ女を捨てて、「これからは男として生きて行きます」という意思表明だったのですね。

月経・受胎・出産・・・

女には受け入れなければならないややこしい事が多いのです。



「女に生まれた私って、何て罪深い存在なんでしょう!」

 これぞまさしく・・・♬女人高野の〜おんな〜みち〜♬
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おっと、失礼!

しみじみしてる場合ではなかった。

冗談じゃないですよ! なんで女が穢れてて罪深いの?

男には穢れがなくピュアだとでも言いたいのでしょうか?

キリスト教もイスラム教も仏教も、つくづく宗教ってのはご都合主義に出来てると思います。

どこもみな、何かと言うと女を罪深き愚か者にさせたがる。


男ってそんなに女が恐いのでしょうか?

それとも嫉妬してるんでしょうか?

確かに女の身体で悟られちゃって、子供も産んで育てられちゃったら、もうお坊さんの出る幕はなくなってしまいます。

そういう意味で、女は恐ろしい存在なのかも知れませんね。


そういえば、鬼子母神ってパワフルな神様もいましたっけ・・・

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女ってのは凄い生き物です。

大地に委ねているんです。

委ねて生きて行けるんですね。




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by viva1213yumiko | 2013-05-31 14:52 | 人生・霊性 | Comments(0)

イケメン・ジーザス

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同世代の知性派S女史は、独身時代大胆にも「理想のタイプはイエス・キリスト」なのだと豪語しておりました。

中東の彫りの深い顔立ち、褐色の肌、ウエーブのかかった長髪、優雅で気品ある物腰、悟りを開いた聖人の澄んだ瞳、人々を惹きつける穏やかな口調。

どれもみな、彼女の好みにぴったりなのだそうです。

「それにね・・・」 

と、彼女は続けます。

「だってイエスは大工さんだったんでしょう?当時の大工さんなんてすっごい重労働じゃない。十字架上のイエスって弱々しい姿だけど実物は絶対違うと思う。頑丈で筋肉質で、めっちゃ、いい身体してたと思うの」

頬を赤らめながらそう話す女史は、まるでアイドルとの恋愛妄想にはしゃぐ小娘みたいだった。

イエス・キリストが彼女の推測通りの風貌だったかどうかは、聖書を読んでみてもさっぱり分かりません。

しかし、トリノの聖骸布から読み取れるイエス・キリスト像もあるのです。

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トリノの聖ヨハネ大聖堂に安置されている聖骸布は、十字架から降ろされ仮埋葬されたイエスの遺体を包んだとされる布です。

その布の表面にはイエスとおぼしき男の像が写っているのだが、それは描かれたイエス像ではなく、処刑されたイエスのネガ転写なのだと言われてます。

もちろん様々な真贋論争が何世紀にも渡って繰り広げられて来たのですが、科学者が100年に渡る最新の研究を経ても未だに結論の出せない、神秘の聖遺物なのです。

なぜなら、亜麻布に写った身長約180㌢・推定体重77㌔・セム系30代・AB型のこの男には、聖書のストーリーをそっくり物語る、磔刑の痕跡が残っていたからです。

全身を鞭で打たれ、顔を殴られ鼻の軟骨が折れ、茨の冠からは血が滴り落ち、肩には十字架を担いだ擦り傷があり、何度も転んで膝は強度に損傷し、手首足首に大きな釘を打たれ、脇腹には槍で突いた傷跡がしっかり付いている。

つまり、聖書に記された磔刑の一連の拷問の痕跡が、そのままが布に記されているのです。

解剖学的に調べ、聖書の記述との符号を考えると、学者たちもほぼ100%本物と言わざるを得ない、不可思議な奇跡現象です。

聖骸布が本物か偽物か、バチカンは公式な表明を出していません。

しかしこの布を一目見たいという世界中の人々のために、iPhoneアプリまで作成されたと言います。

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聖骸布から復顔したCG像だと、イエスは若く、このようにかなりなイケメンと思われるのです。

S女史の理想のイメージも、多分こんな感じだったんでしょうね。

過酷な受難を引き受けるに相応しい、品格ある聖人の姿です。

こんなに若くて美しい魂を、罪もないのに殺してしまったという西欧人の心のトラウマが、もしかするとその後のキリスト教布教のモチベーションとなって行ったのかも知れませんね。


その後S女史は再婚し、現在はご主人と幸せに暮らしています。

一度だけ新居に遊びに行かせて頂いたのだが、その時出迎えてくれたのは<イエス>というより、明らかに<エビス>に似た、福々しいお顔の50代男性だった。

「理想のタイプって西洋から東洋へと、平気で180度変わるものなんだなぁ」

その時しみじみそう感じた事を、今でもよ〜く覚えています。



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おまけ:
<聖骸布手ぬぐい>っていうのも発見しましたぞ。

こういうセンス、結構好きですね〜


聖骸布手ぬぐい




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by viva1213yumiko | 2013-05-13 01:03 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)