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ジィジとバァバのグラン・パ・ド・ドゥ

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「もう参っちゃうよ〜 今度の日曜、バレエの発表会なんだよぅ〜」


友人は娘の発表会を目前にし、まるで自分が出場するかのように緊張している。


その様子がいかにも可笑しかったので私は必死で笑いを堪えていた。


バレエの発表会。


それは幸せファミリーを実感できる最高の場面です。


友人のそのドギマギした感情さえ、むしろ人生の醍醐味じゃないかと思えるんですけどねぇ〜


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子ネズミみたいな小さいバレリーナでも、発表会ともなれば衣装を身につけ舞台に立つ。


カサカサするチュチュの手触り。


くすぐったいような舞台袖の緊張感。  


パパもママも一枚でも多く写真を残そうとカメラをスタンバイしている。


晴れ舞台を両親が見守るこの日は、甘酸っぱい記憶の宝庫です。


そのメモリーは魂の奥に刻印され、忘れがたい印象を宿し、その子の生涯に大きな影響を与えることでしょう。



そんなバレエ発表会に潜入することになっちゃいました。


そして改めて気づかされました。


「家族って似た者同士が集合する小さな組織である」ってことに・・・


それはとても何気ないけど、しかし極めて大事なこと。


バレエの発表会とは<家族>を客観的に観察するのに最適の場だったんですね。


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いや~、家族って奴はホント、不思議なもんですね〜


しみじみそう思っちゃいました。


ほら運命の赤い糸ってあるでしょ?


アレ、アレ・・・


家族って、もうまるっきりアレそのものなんです。


親と子の間にはゼッタイ、目には見えないヒモが存在してますね。


そしてそのヒモ、お互いに絡みついてるんですよ〜(怖)


それはまるで同じ品種・同じ規格の柿を選んで、ヒモでくくって干し柿にするようなものです。(ヘンな例えで申し訳ない)


干し柿ファミリーは一本のヒモにくくりつけられ、軒下に吊るされる運命共同体です。


軒下にぶら下がる干し柿たちの宿命の赤いヒモ。


私、バレエ発表会という華やかな祝祭の場面で、見えないはずのこのヒモの存在を感じてしまったんです。


しかもそれは親子関係だけの問題じゃありません。


両親双方の家系からジィジとバァバも参入し、宿命の赤いヒモはさらに複雑な様相を見せる。


それはまるで覗いちゃいけないファミリー・アフェアを覗き見るようなもの。


バレエ発表会は家族のドラマを垣間見れる、これとない絶好のチャンスだったのです。


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それにしても親子って良く似るものですね〜


子供はそのまんま親のコピーです。


遺伝によってDNAを継承してるのだから当たり前と言えば当たり前ですが、これはもう完全な<コピー商品>です。


顔かたち、体格・体型が似てるのはもちろんです。


でもその上さらに思考パターンまで継承されちゃう様は、何と言うか空恐ろしいくらいです。


両方の両親から半分ずつ受け継いだDNA。


ひとりひとりの人間に個性や特徴があるのはDNAの成せる技ですね。


そう思って自分という存在を改めて考えるととても不思議です。


自分という人間は目に見えず得体の知れないこのDNAの、単なる宿主に過ぎないってことなの?


そう考えると何か怖いような、哀しいような、情けないような気分になります。




「そういうところ、お父さんに(お母さんに)そっくりね!」


誰でも一度くらいそんな風に言われたことあるんじゃないかしら?


ふとした表情や仕草、歩き方や喋り方に、遺伝の赤い血は表現されてます。


私は自分の足の指の形が父親と全く同じ形だということに、父親が死んで行く時に初めて気づきました。


「電気ショックで蘇生するのでお嬢さん足を抑えてて下さい。」


医師にそう言われ父の足首をつかんだ時、父親から受け継いだ赤いDNAの存在をハッキリと感じました。


「この人の足は私と全くおんなじ形だ!」


死に行く人を目の前に、私はDNAについて考えていた。


寄りにも寄って父親の死に際に遺伝について考えたくはなかったが、気づきはその時突然やって来たのです。


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遺伝によって子孫に個体性が継承されるのと同じように、驚くべきことに<愛のパターン>も親から子へ受け継がれるのです。


愛し方ひとつにも実は家族それぞれに独自のパターンがあります。


それが親から子へと受け継がれて行く。


これは遺伝というより<愛の学習パターン>と言って良いでしょう。


おおかたの人間は親から愛を学びます。


国語・算数・理科・社会を学ぶように、愛し方を親から学んでいるんですね。


だから親から愛し方を習わなかった子供は、当然ながら<愛を知らない人>となる。


そのような人には誰かが親代わりになって愛を教えければなりません。


つまりひとりの人間が健全に成長するには<愛を伝える伝道師>が必ず必要なんですね。


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そこでまた、話しを発表会へと戻しましょう。


ここにジィジとバァバがいるとします。


その二人は成熟した踊りの名手でとても上手に<愛のダンス>を踊れるとする。


バレエで言うなら最大の見せ場<グラン・パ・ド・ドゥ>ってとこですね。


その<パ・ド・ドゥ>が純粋で美しいものなら(つまり愛のあるものなら)、それは次世代の生命力を育む最強の揺りかごとなるでしょう。


そしてジィジとバァバの世代から、ひとつ下のパパ・ママの世代へと、DNAを経由して愛は確実に継承される。


愛のある赤い血の家系には、愛の概念を受け取れる感受性が育つんですね。


その赤いDNAに<愛を知る人><愛を表現する人>というデータが書き込まれるのです。


そのような子供は愛に対する感性が発達しいる。


だから愛を習得するスピードも早いのです。


ほんの少しレッスンするだけで、すぐに<愛のパ・ド・ドゥ>が踊れるようになる。


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植物を育てるために我々がするべきことって、とてもシンプルです。


光と水を適切に与えれば良い。


たったそれだけのことで植物は自ら勝手に成長して行きます。


人間もそれと同じようにたったひとつの力に導かれ自ら成長して行く。


それは<愛の力>なのです。


親から子へと本当の意味で手渡せられるのは、お金や財産といった目に映るものではないのです。


目には見えない<愛の力>を、子供たちにたっぷり与えれば良い。


<愛の力>を最後まで、見失わぬよう導けば良い。


そうすれば<愛の力>そのものが、その子を咲かせ実らせてくれる。


教える者が誰もなくとも、<愛のパ・ド・ドゥ>を踊り出す。


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by viva1213yumiko | 2017-02-21 01:13 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

サロメの天城越え

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1893年に書かれたオスカー・ワイルドの戯曲<サロメ>

ラストで洗礼者ヨハネの生首に口づけする背徳的シーンで有名ですね。

このお語しは聖書に記された<ヘロディアスの娘>のエピソードからインスパイアされた、あくまでも作家の創作物語であります。

しかし、このサロメとおぼしき女性は歴史上に存在してたらしく、古代ユダヤ王家の系図からその人物を特定することが出来るのだそうです。

洗礼者ヨハネの首を求めた、過激なパンク娘<サロメ姫>

今となっては真偽のほどは分かりませんが、聖書に記さずにはいられないほどの欲望渦巻くスキャンダラスな事件が、当時の王室で実際に起こったのは確かなようです。

史実とストーリーとが融合される形で、後世の人々に長く伝えられて行ったのでしょう。



あらすじはこんな感じです。

ユダヤのヘロデ王は自分の兄である前王を殺し、妃を奪って権力の座についた。

しかし妃の連れ子である王女サロメによこしまな目を向けている。

その視線に絶え切れなくなったサロメは宴の席を外れ、預言者ヨカナーンが幽閉されている井戸へと向かう。

預言者は不吉な言葉をわめき散らし王家を呪い、妃から嫌がられている。

預言者との接触は王に禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番をそそのかし、その姿を見てしまう。

そして恋してしまうのだが、ヨカナーンの方は彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかり。

まるで相手にされていない。

誘惑を拒絶されたサロメは、余興の舞いの褒美として預言者の首を求めるのである。

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自分のことを見向きもせず、拒み続けた預言者ヨハナンを屈服させるため、首を切り落してでも口づけする。

プライドをケチョンケチョンに潰された、高貴な女の欲望には恐ろしいものがありますね。

このサロメという女性(正確には母と娘の血の系譜)は、ある意味<イッちゃった女>の元型とも言えます。

愛と権力とを完全にはき違えています。

思い通りにならない恋の情念が、執念となり、怨念になって行くのです。

銀の皿に乗せて運ばれる、愛する男の生首。

「自分のことを見たならば、ヨカナーンも自分を愛したはずだ」と、罵詈雑言で本心をあらわにし、その生首に口づけることで彼女なりに恋を成就させる。

耽美さが際立つ、この物語のクライマックス部分です。

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この手のスキャンダルって他人様の噂話しとして聞く分には、とても楽しくてワクワク興奮しちゃいますよね。

愛に関するゴシップって千差万別・多種多様。

なのにどんな話しにも、人間としてどこかで共感出来ちゃうのが面白いです。


そしてしみじみ思うのですが、激しい愛っていうのは行き着くところまで行ちゃうと、急に手のひら返したように憎しみにシフトしてしまうんですね。

ジェットコースターみたいなものです。

上がったものは同じだけ急降下する。

愛の物理学にはある種の法則性があるのでしょうか?

それを解析出来たならノーベル賞ものの大発見かも知れませんね。


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   ♬隠しきれない 移り香が

    いつしかあなたに 浸みついた

    誰かにとられる くらいなら

    あなたを 殺していいですか♬  


               <天城越え>



サロメの首切り口づけ事件って、何だかあの<阿部定事件>を彷彿とさせます。

サロメにしても阿部定にしても、愛の傾向性に同じ匂いを感じるのです。

愛する男を絞め殺しイチモツを切り取って持ち去った阿部定と、愛する男との口づけのため首を切り取らせたサロメ。

片やフィクション、片やノンフィクションではありますが、どちらも愛の究極の果てまでを覗き込んだ、ある意味とても勇気ある女性たちです。

彼女らの動機は至ってシンプル。

「愛しいひとを自分の思う通りにしたい」

「相手を独り占めにするためには殺すしかない」

そんな一方的な情念のモチベーションです。

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私は兼ねてから本当の意味で残酷なのは男じゃなくて、むしろ女なのじゃないかと思っているのです。

これは女の中の、特に母性の影響力が大きいのでしょう。

肉体とは女の身体から生まれるもの。

母性とは命を生み出す力と同時に、命を破壊する力をも持ち合わせている。

だから女にとってみれば愛するものの肉体など、いとも簡単に自分と同化してしまうんですね。


母性が愛の対象と同一化してしまうと、破壊願望もより強力になります。

逮捕された阿部定は、取調室で「好きな男のモノを好くのは当たり前です」と供述したといいます。

その感覚なんかは、母親が赤ちゃんの<おてて>や<おしり>を愛おしいと思う感じ、「食べちゃいたい」と思う感じに近いですよね。

母性にはそういう側面があるのです。

だから母性の暗黒面って、恐ろしく残酷さを含んでるんです。


いやぁ~、女ってホントに怖いものですね。(笑)

女を知れば知るほど、愛することの奥深さを学ぶことになるのかも知れません。

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しかしまぁ、いずれにしてもサロメの愛はエゴイズムの愛の極致であって、それは本当の意味の愛とは違います。

だから長続きはせず、最終的に悲劇で終わる。

結局のところ「涙で終わる愛」というのは、所詮「人間界の我欲まみれのちっぽけな愛」に過ぎないとも言えます。

だから、ほら、聖人たちは皆こう教えてます。

「汝の敵を愛せよ」ってね・・・


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オペラ<サロメ>では、愛を知り混乱したサロメがこのように歌うシーンがあります。
  

   ♬愛することの不思議は

    死ぬことの不思議より大きい♬


「確かにその通りだなぁ〜」と思ってしまいます。

<愛の奇跡>とは<死の奇跡>より、確かに不可思議な奇跡です。


しかし聞くところによると、死後の世界に移行しても更に続けて<愛の学び>が用意されてるらしいですよ。

あちらの世界にも現世と同じように課題があって、自分だけのオリジナルテーマに取り汲まなければならないらしいのです。

そして物語は続きます。

<終わりのない物語>です。

ですから皆さんもせいぜい死ぬ時を楽しみにしておきましょう。

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この世における<究極の愛>って一体どういうものなのでしょう?

人によりそれぞれでしょうが、あなたの愛はどんな形してますか?

愛する人の生首に、口づけしたいような愛ですか?

愛する人の男性自身を懐に忍ばせ、逃避行するよな愛ですか?

心の奥の魔性の女が、<天城越え>望んでいませんか?



   ♬何があっても もういいの

    くらくら燃える 火をくぐり

    あなたと越えたい 天城越え♬




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by viva1213yumiko | 2015-12-15 20:21 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

カサンドラ愛情剥奪症候群

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アポロンに愛され預言の能力を授かった、女予言者カッサンドラ。

しかし皮肉にも力を授かった瞬間、アポロンの愛が醒め捨てられる未来の自分が見えてしまった。

だから彼女はあえてアポロンを拒絶した。

すると怒ったアポロンは「誰もカッサンドラの預言を信じない」という呪いをかけてしまったのです。

カッサンドラには未来が手に取るように分かるのに、それを告げても誰も耳を傾けてくれない。

「私の預言は絶対当たる」と主張しても、ことごとく嘲笑されてしまうのです。

未来が手に取るように分かるのに、誰にも信じてもらえない。

そんな女予言者の孤独と疎外感。

それを想像出来るでしょうか?


う~ん、これはとっても恐ろしい事ですねぇ。

この怖さ、特に女性には共感して貰えるかと思うんだけどいかがでしょう?

なぜかって?

実はこの孤独地獄、日常の夫婦生活で再現される場合があるんです。

今回は誰にも信じてもらえない妻の苦しみ、<カサンドラ愛情剥奪症候群>のお話しをしましょう。

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アスペルガーという脳の病気があります。

これ、脳の前頭葉の異常で起こる発達障害で、知的障害のない自閉症の一種と診断されてます。

子供の発達障害を調べていて発見されたもので、当初は子供にのみ見られる症例だと思われました。

ところが大人にも該当例があると知られ、一見普通に見える社会人の中にもこの障害を持つ人がいると分かって来ました。


彼ら<アスペな大人たち>には、主に3つの特徴があると言われます。

 ⒈ 社会性の障害(俗にいうKY)

 ⒉ コミュニケーション能力の障害(俗にいう変わり者)

 ⒊ 想像力の障害(予期せぬ事にパニックしやすい)


男女比で比べると9:1程度にもなり、圧倒的に男性に多い障害なのだそうです。

なのでそうと知らずにアスペルガーの夫と結婚した妻は、他人には理解できない悩みを抱え込むのだそうです。

一説ではパートナーがアスペルガーの場合、妻が非アスペルガーだとほぼ100%の確立で<カサンドラ症候群>に陥るという。

そしてうつ病・自殺願望・パニック障害など、心の病を引き起こしやすくなるんだそうです。


誰に告げても信じてもらえない<カサンドラ愛情剥奪症候群>

それはアスペルガーの夫との結婚生活で浮上する、神話に良く似た哀しい悲劇の物語なんですね。

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アスペルガーは自閉症の一種なので、他者と感情を共有し、共に喜び共に悲しむ事が出来ない。

コミュニケーションが上手く取れないので、気持ちのあらわし方や、気持ちを伝えるタイミングがずれてしまうのです。

だから妻が寂しい思いをしてるとか、何で怒っているかとかが理解できないんだそう。

愛していない訳ではないのだが、妻が感情表現をしても全然気が付かない。

妻とのあいだに情緒的な相互関係が欠如しているのです。

しかも先天的な脳機能の偏りなので、おいそれと簡単には治らない。

一見すると普通に見える(むしろ高学歴・専門職だったりする)ので、外部からは「良い夫を持って幸せね」となる。

不満をこぼしても「あなたのように恵まれてるのになぜ?」「ワガママなんじゃない?」と、カッサンドラのように誰にも信じてもらえない。

誰かに相談してみても「男なんてそんなもん」「どこの夫婦も何かしら抱えてる」「うちも同んなじ」で済まされてしまう。


だから結婚してるにも関わらず、ひとりぼっちを押し付けられ、だんだん生きる気力を無くして行く。

低い自尊心・自己喪失感・混乱や困惑・怒り・不安・うつ・無気力・倦怠感・恐怖症・・・

様々な苦悩を抱え込み、心の病へと至るのです。

それが<カサンドラ愛情剥奪症候群>です。

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幸せな結婚は妥協と努力から・・・

我々は結婚ってものを、そんな風に上の世代から教わってます。

だからアスペ夫を持つ妻は、コミュニケーションが噛み合ない事を「自分のせい?」と自らを責め、辛い状況に陥ってしまうんですね。


一般的に女性というものは、自分の中の感情を受け止めてもらえない日々が重なると押しつぶされてしまいます。

「期待しては裏切られ」の繰り返し。

愛情表現が下手なアスペ夫は自分では意図せぬまま、妻に対し精神的DVを与えてしまうんですね。

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しかしこの悲劇、発達障害を持つ者とその配偶者に限定される話しでは済まされないんじゃないでしょうか?

ある意味、コミュニケーション不全のすべての夫婦に当てはまる、怖い怖~い物語なのではないですか?


カサンドラの悲劇に陥ると、あなたの愛情タンクはみるみるうちに消費され、枯渇してしまいます。

アスペ君の力になりたい、不安を取り除いてあげたいと優しく立ち回っても余計に空回り。

彼はひとりの方が心地良く感じてたりするんですね。

アスペルガーの傾向を持つ者は、愛情を感じるベクトルや基準が通常とは違うので、トンチンカンな受け答えをする。

なので妻はますます孤独になってしまうのです。


カサンドラさんは夫婦生活を空しく感じた時、自分で自分を肯定して愛情タンクを満たしてやる必要がありますね。

あなたの心と身体を慈しむ事、それがまず先決です。

肉体の中に気のエネルギーを投入してみましょう。

気の流れが変わり細胞のひとつひとつが輝き始めれば、苦しみモードから循環モードへとスイッチが切り替わります。

すると「何だ、自分の中に愛の感覚があったじゃないか!」と思い出す事も出来るはずです。

不思議なもので、考え方が変われば肉体の流れは劇的に変わり出す。

そういう意味でも人間の身体とは、とてもスピリチュアルに出来てるんですね。

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[コミュニケーションにおけるありとあらゆるすれ違いは、相手が自分を犠牲にして快楽を得ているのではないかという妄想に基づいている]


以前コミュニケーションについてこんな文章を見つけて、確かにそうだなぁ~と思った事があります。

人間関係では、人は皆んな自分の痛みを相手に投影してしまう。

そこには魂の問題が見え隠れしています。

だからこそ話しはややこしくなり、ちょっとやそっとじゃ解決しないんですね。


我々は目の前で起こっている事のほとんどを条件付けで判断していて、決して真実を見ている訳ではない。

だから、[相手の苦の音を観察する事] がコミュニケーションの基礎であり、[相手の感情を浮き彫りにして受け止めてあげる事] が何よりも大切なのだそうです。

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まずは相手を理解する事。

相手のパターンを知り、何を求めているか理解する。

相手の苦(ストレス)を察する事で対人関係は飛躍的に改善されると言います。


脳の障害なので治らないと言われるアスペルガーも、理解者に恵まれれば努力で変わるらしいですよ。

専門家の治療を受けてこの病気を知り、共に必死で対処法を学ぶうち、絆が生まれて関係が改善されたなんて言う例もあるようです。

もちろん人によりレベルは違うでしょう。

けれど大多数のカップルは、きっと今よりも良い関係が築けるはずなのです。

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そのためにはコミットメントが必要です。

人と人の心は痛みによって結びつく事もある。

あなたは愛する者の痛みを共有する勇気がありますか?


カサンドラの悲劇・・・

<愛を忘れてしまった者たち>に是非読み返してもらいたい物語です。




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by viva1213yumiko | 2015-10-29 00:56 | 人生・霊性 | Comments(0)

呪いの見本市

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1921年、考古学者ハワード・カーターがツタンカーメン王の墓を発見した時、墓の入口にはこのような文字が記されていたそうです。

[偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう]

その時からツタンカーメンの呪いは始まりました。

発見から数ヶ月後、彼のスポンサーだったカーナヴォン卿が感染症で最初に死亡し、それ以降1929年までの間に不慮の死を遂げた発掘関係者は11人。

この一連の死は、ファラオの呪いによるものだとみられています。



持ち主を破滅に導くとして有名な「呪いのダイヤ」の話しを聞いたことは?

ホープダイアモンドは元はインドの寺院の女神シータ像から盗まれたもので、僧侶が持ち主に呪いをかけたことが始まりと伝えられています。

歴代の持ち主の中でも特に有名なのが、フランス王ルイ14世。

マリーアントワネットとランバル公妃マリー・ルイーズもこのダイヤを身につけていたとされ、この3人は奇しくもフランス革命で殺される運命となりました。
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そして「27歳の呪い」というのは?

ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ロバート・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ。

多くの偉大なるミュージシャンが27歳で永眠したことから、この年齢はミュージシャンにとって「生死を分ける呪いの年」だと言われています。



名門ケネディ家の人々を襲う一連の悲劇「ケネディ家の呪い」

愛車ポルシェ550スパイダーに呪いが乗り移った「ジェームス・デイーンの呪い」

制作関係者が次々悲劇に見舞われる「スーパーマンの呪い」

キャスト4人が死亡した映画「ポルターガイストの呪い」


どれもみな実際に起こり<世界の呪い10選>に選ばれた、有名な呪いばかりなんですね〜(怖)

見事なまでの<呪いの見本市>です。

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誰かの強力な想念が、遠く離れた特定の場所や人物や物質に強い影響を与える。

「そんなこともあるのかも知れないなぁ〜」って漠然とは思っていても、21世紀のこの時代、それを100%信じる人なんていないですよね。

仮に信じる人がいたとしても、それを公式に表明することはまずありません。

「私は呪いをかけられた」と裁判に持ち込み、最高裁で勝訴したって話しも聞きませんしね。(笑)

なので<呪い>とは、いつでも闇に存在しててあなたの心に対抗する、ある種の勢力だと言えるのかも知れません。


誰かを呪う。
  ↓
それは良くないことである。
  ↓
だから人を恨んじゃいけない。

って、私たちはこう教わってます。

しかし本来自然界の中において、呪いのエネルギーそのものに善も悪もないんですよね。

台風のエネルギーや地震のエネルギーに善し悪しをつけられないように、呪いも単に宇宙に存在するひとつのエネルギーに過ぎないんじゃないでしょうか?

古今東西の誰かが、かつて発した邪悪な想念(憎しみや嫉妬等)は、エネルギー体となって見えない世界にゴチャマンと浮遊してるのです。

それらは不滅の存在なので消えることなく漂い続け、いざ物質化出来るチャンスをじっ〜と伺っている訳なのです。

何らかの理由でそれらのエネルギーに共振し、引っ掛かって捕らえられ、サイキックアタックを受けること。

それがいわゆる<呪われた>状態なのではないかと考えられます。


闇の勢力ってのは無視出来ませんよ〜

大体において、悪魔の方が天使より人間にくっつきやすいんだそうです。(笑)



おとぎ話しの世界では、呪いは必須アイテムとして登場します。

呪われた王・魔法をかけられた王子・略奪されるプリンセス。

ひび割れた鏡・失われた聖杯・眠りについた城。

どれも皆、目には見えない邪悪な力のせいで、本来の生命力を失ったモノたちばかりです。

それらがいかに失われた自分の本質を取り戻すか、というのが物語のテーマとなり、我々はそこに心を動かされるんですね。


そもそも<呪い>とは、人間が太刀打ち出来ないほどそんなに恐ろしい力なのでしょうか?

それとも我々の叡智と勇気とで、<呪い>は克服出来るものなのでしょうか?

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ここでちょっと実験してみましょう。

あなたがまとうエネルギーフィールド、それをちょっと想像してみて欲しいのです。

それは今イキイキと作動してますか? 

それとも少し元気がない?

その次に、少し勇気を出してあなたの中のネガティブな面・闇の部分を覗き込んでみましょう。

あなたが抱える<罪悪感・恐れ・嫉妬・妬み>を探し当てるのです。

見つかったらそこにフォーカスし、第3者の視点でじっくり観察してみる。

そこには脈々と受け継がれて来た秘密がありませんか?

相反する矛盾が存在しませんか?

被害者意識はなかったですか?

無力感が漂っていませんか?

注意深く、優しく繊細に、集中して取り組んでみましょう。

魂のかけがいのない部分が輝き出すまで、ただひたすらそれを繰り返すのです。

というか、そのくらい自分の内側を嘘偽りなく覗く勇気がないと、呪いは簡単には解けないでしょう。

痛みを引き受ける覚悟を決めてコミットしないと、今より前に進む事は出来ないのです。


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世界中の呪いを一堂に集め、邪悪な誰かが<呪いの見本市>を開いたとしても、あなたの方にそれを受け入れる素地がなければ、呪いは結局スルーして過ぎ去って行きます。

そのように呪いの力とは、自分が癒されて行く過程で、どんどん弱まって行くものです。


呪いに対抗するには<愛>が一番良いでしょう。

正直、<愛>が最も強いパワーを持っているのです。

自分自身を愛してあげれば、他人が何をしようと、何を言おうと気にならなくなります。

愛の前では、強力な呪いも歯が立たないからです。

完璧にはほど遠い自分ではあるけど、その不完全さをも含めた自分を愛することが大事です。

暴力的なこの時代の、あらゆる邪悪なものの影響化から抜け出すためには・・・

[自分を愛すること]

これが一番効果的なんです。

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こっそりと聞きましょう。

あなたは自分の事を秘かに呪ってはないでしょうね。

何よりも恐ろしいのは、知らずに自分自身を呪ってしまうことなのです。

おとぎ話しでも一番恐ろしい最後を迎えるのは、大抵自分自身を呪ってる人物でした。


エコエコ・アザラク

エコエコ・ザメラク


知らぬ間に自分を呪わないよう、十分に注意していて下さいね。

あらゆる悲劇は、いつもそこから始まってしまうんです。




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by viva1213yumiko | 2015-09-09 12:21 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

愛別離苦

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「お暑い中のご供養、本当にご苦労様です。」

母親のお供で盂蘭盆会の法要に参加すると、住職は冷たいお茶をどうぞどうぞとすすめてくれた。

「昨今の夏の暑さはいかんともしがたいものですなぁ。 暴力的とでも言いますかな・・・」

人体に危険なレベルの暴力的な暑さのこの日。

お盆に呼び出されるご先祖の霊たちも、これには驚いてしまうことだろう。

ヤル気のないスピリッツばかりが集合する、そんなお盆になりそうだ。(笑)

お経をBGMに聞きながら、参加者全員が順に焼香をする。

そして最後に住職の法話があるのだが、本日のお題は<愛別離苦>についてであった。

つい最近、親しかった後輩が乳飲み子を残したまま急逝し、悲しみに暮れる細君のためにも、今日は是非この話しをさせて欲しいとのことである。

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<愛別離苦>とは・・・

仏教における苦の分類<四苦八苦>の中のひとつであり、「どんなに愛する者同士もいつかは別れなければならない」そんな苦しみのことを指します。

配偶者の死・離婚・夫婦別居・近親者の死

愛する者と別れる苦しみは、人間の心のストレスの中で最も強いものなんだそうです。

確かに家族や仲間との生活は永遠ではありません。

必ずや別れの時がやって来るのです。

「どんな愛も別離のない愛はなく、いつかは必ず別れることになっている」

それがこの世の悲しい真実、無常の世界のことわりって奴なのです。


我々は「人を慈しみ、大切にし愛せよ」と教えられて育ちました。

だからその愛情が大きければ大きいほど、それを失った時の苦痛も大きくなります。

そんなに苦しいことが先に待ってるなら、愛することをしなければ楽に生きられるだろう、愛さなければ良いのだろうと思いますが、愛なくして生きることなど出来ないのも、それもまた人間の真実です。(ああ無常)

そこには大きな矛盾がありますねぇ。

その矛盾した世界のことを仏教では苦界と呼ぶんだそうですよ。

苦界・・・?

やっぱり人の世とは、苦しい世界なのかなぁ?

はて、人生をこのように仏教観で捉えると、何だか生きるのが嫌になりそうで、ホント困っちゃいますよね。

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仏教では<愛>というものを他を慈しむ・大事にするという意味じゃなく、愛執・渇愛・欲愛などの自己中心的な煩悩(執着)だと理解しています。

キリスト教の<愛>とはちょっと違うみたいなんです。

愛の煩悩(執着)が燃えさかることによって、我々は苦悩に迷い続けなければならない。

「生死の大苦界に浮き沈みする凡夫」というのが我々の姿だと言うのです。

誰だってこんな苦界で溺れるのは、もう止めにしたいに決まってる。

そこで仏教は「悟りを得ましょう」と教えるのです。

凡夫である我々は罪障(カルマ)を滅して、悟りの世界・浄土の世界への往生を目指すべきである。

「じゃなければずっと苦界で溺れ続けることになるんですよ。知ってました?」

って、そんな感じの教えなんです。


なぜ別れは辛いのでしょうか?

それは愛しているからであります。

実際愛してなければ、別れがあろうがちっとも辛くないんですねぇ。(笑)

本当に深く愛し合ってる男女に限って、むしろ辛い別れが待ち構えていたりするのは、愛という名の<執着を手放すレッスン>が用意されてるからなのかも知れません。

神や仏のなさることは時に残酷で、理解に苦しむことが多いのです。

愛をテーマにした悲しい別れの物語は、この現実世界の中で、日々尽きることなく生まれて来るのです。

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よく配偶者と死別した人に「時が癒してくれる」と言って慰めたりしますが、そんなのその当事者にしてみたら全く受け入れられない言葉でしょうね。

でもその人たちも、だんだん落ち着いて現実を受け入れられるようになると、やはりその通りだと思えるようになるんだそうです。

だから<愛別離苦>の苦しみに今現在直面してる人と、それを乗り越えた人とでは当然温度差が生じます。

精神的に落ち込んでる人はアドバイスを聞き入れる状況にはないし、善意の慰めもマイナス効果になることがありますよね。

苦しんでる人の話しは聞く方も辛いですが、相手を見て悲しみを理解し寄り添ってあげる、そのことが何よりも一番大切なことなのです。


<愛別離苦>の苦しみを乗り越える。

大事なのは苦しみに逢わないようにすることじゃなく、苦しみにあったとしても負けない自分を作ることなのでしょう。

筋トレして丈夫な身体を作るようなものです。

悲しみの深さは人それぞれだと思います。

悲しみが癒えるまで時間がかかる場合もあるでしょう。

しかし乗り越えさえすれば、故人の分・別れた人の分まで、必ず前を向いて歩いていける時が来るはずです。

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<愛>とは何か?

最も大切なことなのに親も先生も教えてくれません。

国語・算数より大事なはずなのに、なぜ学校でも教えてくれないのでしょうか?

誰もが皆んな持ってるはずなのに、誰も教えられないって何か変ですよね。


<愛>は個体じゃないし、液体でも気体でもない。

形態でも質量でもない。

あれでもないし、これでもない。

<愛>とは何ものでもありません。

しかし<愛>はある。

静かにただ存在してるんですよね。

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「愛とは決して後悔しないこと」

往年の名画<ある愛の詩>には、こんな台詞がありました。

「クサい台詞だなぁ」と当時は思ったものですが、実はなかなか含蓄のある言葉だったんだなぁ~と、今更ながらに思ってる私なのです。




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by viva1213yumiko | 2015-07-16 14:50 | 季節・行事 | Comments(0)

ハートチャクラの子守唄

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   ちっちゃな頃から悪ガキで 
   15で不良と呼ばれたよ
   ナイフみたいにとがっては 
   触るものみな傷つけた

   あぁ分かってくれとは言わないが 
   そんなに俺が悪いのか
   ララバイララバイおやすみよ 
   ギザギザハートの子守唄


昭和のアイドル、チェッカーズの<ギザギザハートの子守唄>

いわゆる<青春の蹉跌>って奴ですね。

誰もが身に覚えがあり、赤面しつつ共感しちゃう、イタい青春の物語です。

だからなのでしょう、この唄は大ヒットし、多くの老若男女がカラオケで熱唱し続けたものです。

インターネットもまだなく、人の心も素朴で、今より遥かに平和だった時代のお話しです。
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しかしこの懐メロ歌謡には、正しい真実が語られています。

それはハートのギザギザに関する真実です。

ギザギザハートとは傷心、つまり心に痛手を受けて悲しみに沈む、そんな時の心の形状を指します。

ハートブレイクして悲鳴を上げてる、心の内面の状態の事ですね。

歌詞は、ギザギザハートの中にはとがったナイフがあると唄います。

そしてこのとがったナイフこそが、近寄るものを片っ端から傷つけ、破壊して行くのだと・・・


そう、全くその通りですね。

我々の心とは鏡のようなものなのです。

柔らかなハートには柔らかいクッションが似合い、ギザギザハートには鋭いナイフがぴったり似合う。

ひとりひとりのハートの形状に相応しいものを引き寄せてる・・・

心とはまさに鏡そのものなんですね。

   
   
   ギザギザに壊れたハート

   その中に隠した鋭いナイフ


多分それは、ピュンと飛び出すジャックナイフみたいなものでしょうね。

普段はしまい込んでいて、存在そのものを忘れている。

だから自分を守るべきナイフに、自分を一番傷つけられてしまうんです。


例えばあなたが、何かのきっかけで人間不信になったとしましょう。

そんな時、目に見えない心をX線写真のように写したら、きっと必ずやギザギザ型に写っているでしょうね。

ハートの傷の修復のため、テープで貼ったり繕ってみたりしても、はっきり言って、それはもう手遅れみたいですよ。

心の傷っていうのは、すぐに細胞レベルまで刻印されてしまうのだそうです。

そして生涯に渡ってあなたに影響を与えるといわれます。

傷が癒されるその日まで、細胞にしみ込んだ記憶や信念が、終生あなたを支配しコントロールし続ける。

そんな風に思ってほぼ間違いありません。

それほどにハートは脆く、壊れやすく、悲しみを吸収しやすい、とても繊細な器官なのです。
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万人のハートは、バレンタインチョコみたいな美しいハート型をしてる訳ではありません。

ほとんどの人間のハートは、ギザギザで荒れ放題のままなのです。

それは俗に「ハートが閉じてる」と言われる状態の事。

愛と思いやりの心を育てられず、自分と他者への理解に欠ける状態です。

親や兄弟、あるいは過去に関わった他者から、物理的虐待を受けたり不当な扱いをされたりした場合、そのような感情が心に残ってしまうと、その人の「ハートが閉じて」容易には開かない状態が続きます。

二度と傷つきたくないから、自己防衛のため自ら愛を拒んでしまうのです。

嫌ですねぇ・・・ギザギザハート

本当に何とかしたいものです。


自分のハートがギザギザハートか、そうじゃないかを知るには、一体どうしたら良いのでしょう?

そのためには、人を愛する時に<条件付きの愛>で愛していないかどうか、チェックしてみる必要があるでしょう。

あなたには、「こうしてくれたら愛してあげる」と、無意識に相手を裁いて判断する癖がありませんか?

<無条件の愛>とは、それよりワンランク大きな愛の事を指します。

いつでも慈悲の心を持って相手を許し、手放し、相手が自由に生きる権利を認める事ですね。

そして自分のこだわりや執着を捨て、軽やかに生きる事。

小さな自我に固執せず、正しい判断を宇宙に委ねる事でもあります。

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<無条件の愛>を体験するためには、愛を司るハートチャクラを活性化させる事が大切なんですね。

このチャクラが元気だと、自分や他人を許せるようになり、恋愛や友情などの人間関係がスムーズになります。

人に対してイライラしたり、無性に寂しさを感じるような時は、このチャクラが鈍っている証拠です。

ハートチャクラに住みついてる恐れや不安を解放する必要がありますね。

ハートの中の否定的なエネルギーを解放すれば、我々はもっと自由になり、もっと軽々とした気分で自他を愛せるに違いありません。


<無条件の愛>というのは偉大な力です。

世界中の多くの人がそのレベルまで意識を広げたなら、争いや貧困などたちどころに無くなってしまうでしょう。


愛を体験したいなら、愛を学びたいのなら、人を愛するその前に、まずあなた自身が自分を愛してやらなければならないんです。

聖バレンタインの日だからこそ、愛ってものしみじみ考えてみたいものですね。




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by viva1213yumiko | 2015-02-13 11:44 | 人生・霊性 | Comments(0)

こんな世の中は終わった方がいいと思う理由

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世界のカオスはますます進んでいます。

いったい我々はどう生きて行ったらいいのか、みんなホトホト頭を抱えているようです。


「本当に世の中変わったねぇ、良いニュースはひとつとしてないねぇ~」

「インターネットの時代ってホントに怖い! アンタも注意しなさいね」

ネットいじめや詐欺の類いが、世の中で頻繁に横行してると思い込んでる母は、昭和の高度成長時代を懐かしんでこう言います。

世の中がこのままどこかへ流されて生きそうなそんな気配を、70代の母親ですら察知しているのです。

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   歴史は嘘ばかりをねつ造し

   宗教は統制のためのシステムで

   お金はただの金融詐欺機構

   メデイアは人々の意識を操作して

   政府は巨大企業と化している

   こんな世の中終わった方がいいかも知れない





さてさて、我々はこれからどうするべきなのでしょう?

確かに世界は救いようがないくらい、陰惨なことばかり。

世界の終わりが、もうすぐそこまで近づいて来てるように思えます。


しかし、ピンチの時ほどチャンスが現われやすいのも事実ですよね。

人間はそれほど愚かではないと勇気づけられる映像をYouTubeで見つけてしまいました。






この狂ったカオスの世界で我々に出来る唯一の解決策。

それは・・・愛することなんです!


本当の愛、真実の愛、無限の愛、

今まで陳腐に聞こえたこれらの言葉が、今まさに出番の時が訪れたように思います。


我々はお互いに愛し合うこと

それならば出来ないことではありません。


思いやりを持って、善性の種を植えること

それならばきっと可能なはずです。


この映像を観ていると、何か熱くこみ上げて来るものがありませんか?

胸が熱くなったという人は、豊かな人間性と霊性がひっそりと脈を打ってる何よりの証拠です。

そんな自分を認めて育て、どうか優しく褒めてあげてみて下さいね。





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by viva1213yumiko | 2014-10-31 20:34 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

エネルギー・ヒーリング

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小さな子供がうっかり転んで、膝を真っ赤に擦りむいて、泣きべそかいてしまったら・・・

必ずやお母さんはこう言うはずです。

「痛いの痛いの、飛んで行け~!」


この言葉、まるで呪文のようです。

なぜだか分からないまま、不思議と子供は泣き止んでしまい、その場にすっくと立ち上がり、また安心して走り始めます。

「子供騙しって奴は結構効くなぁ」 「子供は単純でいいなぁ」

なんて、そんな風に思ってはいけません。

理性を獲得したはずの大人のあなたが、その分だけ純粋性を失くしてるっていう、それは他ならぬ証拠になりはしませんか?

子供ってとっても純粋なんです。

この<痛いの痛いの、飛んでけ現象>とは、母と子の安定した愛情関係の上に成り立つ、驚異の<癒しの技>と言えます。

子供の母親に対する<絶対的な愛><絶対的な信頼>が、子供の持つ自然治癒力を引き出したと考えて良いでしょう。

瞬間的に子供の治癒の力が爆発する、身近な奇跡現象とは言えないですか?

イエス・キリストもこう言ってます。

「よく聞きなさい。心を入れ替えて、幼な子のようにならなければ、天国に入ることは出来ないであろう。」

幼な子の素直な心には母の愛は癒しの力そのものです。

子供にとって母親とは、紛れもない真実のヒーラーなんですね。
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<エネルギーヒーリング>

それは遥か昔から行われて来た療法です。

<痛いの痛いの、飛んでけ療法>以外にも、患者のエネルギーを変容させるため様々な治療法が存在しています。

伝統的な部族社会では長年シャーマンたちがその役割を担って来ました。

中世の頃は魔女などと呼ばれた人々がその職能の多くを担当しました。

日本では加持祈祷する呪術師やお坊さん・行者さんですかね?

その後の歴史では、教会や政治の支配層がこの手の能力者を迫害したので、彼らはだんだん地下へともぐって行くようになりました。

近代以降は<医学>が癒しを担当するようになったので、どこか具合が悪くなれば、人は迷う事なく病院へと行きます。

病院では傷病名や症例によって、何科で診療するべきかが決定されるので、場合によってはどこの科に行っても原因不明と診断されてしまう、そういうケースが現われ始めました。

どの医者からも匙を投げられた重病患者が、ある気功師との出会いをきっかけに完全に治癒してしまった。

そんな話しが存在するのも、太古の智慧を受け継いだ伝統的シャーマニズムが、今もなお息づいている証拠なのでしょう。

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実際のところ、最近になって急に色々な流派やヒーリングテクニックが増えただけで、その本質は昔から何も変わっていないのです。

誰かがまとうエネルギーを調整して、その肉体的・感情的・精神的・スピリチュアル的な状態を変える事。

それが<エネルギーヒーリング>だと定義されています。


ヒーリングを行えば必ず何らかしらの変化が起きるものですが、それはクライアントが予想していないレベルで生じる場合があります。

ヒーリングをすれば何かが変わるので、あるレベルにおいては必ず効くとも言えるのです。

事実ヒーリングを受けて奇跡的な回復を見せる人もいます。

この種の回復は劇的なものが多く、通常の治療の法則がまるで当てはまらない神秘的な趣きがありますね。

医師が困惑し診断ミスを疑ってみたり、投薬方法を改めざるを得ないケースもあるのです。

また症状は改善したものの、完全な治癒には至らないケースもあります。

ヒーリング後も「体調には変化はないが、生活の別の面で上向いて来た」または「長年の問題が不意に解決した」という例も数多く、正にちょうど神秘的なタイミングで、その人に起こるべき事が起こったりするのです。

通常の治療が効くかどうか判断できないのと同じように、ヒーリングの影響が患者にどう出るか確実な事は言えません。

分かっているのは、それには「どうやらカルマの問題が大きく左右しているらしい」という事だけです。

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ヒーリングっていうのは、目に見えない世界で起こる現象なので、理屈ではなかなか説明し切れないですし、言葉で語っても完全に理解できるというものでもないようです。

イエスが「聞く耳のある者は、聞くがよい」と言ったのも頷ける話しです。

けれど、そこを何とか無理やり説明するとしたら・・・


私はヒーリングっていうのは<クライアント><ヒーラー><ヒーラーがアクセスする高次ソース>、この三者間で行われるある種のプロセスなのだと思っています。

高次ソース(神・宇宙・根源)に正しくリンクしないままヒーリングを施すと、ヒーラーが消耗してしまうケースがあります。

そういう意味でもヒーリングにはリスクも付きまとうのです。


だから・・・

ヒーリングって結局は<愛の行為>なんじゃないかと思うのです。

母親の真実の愛情がなければ子供の痛みは決して癒されません。

それと同じように、真実の癒しとはきっと<愛の感覚>にかなり近いんじゃないかと思われるのです。

人は純粋な愛の力に触れた時に初めて本当に癒されます。

こればかりは理屈じゃないんですよね。

<愛を信じる心><愛を分かち合う心が>人々の癒しの源泉です。

結局は、「偉大な愛のエネルギーが全てを良い方向へと導いてくれている」としか、他に言いようがないのです。


近頃お疲れ気味で「愛って何だったっけ?」なんて感じる人は、これを機にもう一度<愛の本質>ってものを思い返して見て下さいね。




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by viva1213yumiko | 2014-06-06 20:24 | 美容・健康 | Comments(0)

恋愛の心理

   「愛」と「恋」という字を比べてみて下さい

   「心」という字はどこに付いていますか?

   「恋」は下に、「愛」は真ん中にあります

   だから「愛は真心、恋は下心」なのです        江本勝

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恋愛に悩む人は多いですよね。

特に若い人にとっての恋愛は、人生の一大感心事です。

確かに巷で言われる通り、恋愛中の人の心理は一種の流行病いと同じで、周りが何を言っても愚の骨頂、聞く耳持ちません。

セロトニンやらエンドルフィンやらの脳内快楽物質の大量放出で、<恋する愚か者>の一丁あがりです。

恋をした時、一体人間の心の中でどのような変化が起こっているのでしょうか?

恋愛心理を分析的に説明した、ズバリ<恋愛の心理>というタイトルの新書本を読んでみました。

国分康孝という心理学の先生の書いたこの本は、人は恋愛することで何が起こるのか、恋愛の過程で何が変わってどう成長するのかを、発達心理の切り口で解説しています。

この味も素っ気もない切り口が、むしろ新鮮で面白く感じられたので、ちょっと紹介しておきましょう。

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<恋愛の心理>によると、異性への恋愛に進むには4つの条件があるそうです。

まずあなたがこの4つの条件をクリアしてないと、特定の異性との恋愛関係に進めないと言うのです。


   性感情・・・相手に性的感心を持てるか

   理想我・・・なりたい自分に近い人に惹かれる

   愛・・・・・相手の思考・感情・行動に共感出来るか

   自己開示・・人との触れ合いを求めているか


つまり人が恋愛に至るにはそれなりの過程が必要で、それは自己中心的な引きこもりやオタクの世界観から卒業し、自分の夢や人生を踏み出す段階まで成長しているかどうかが問われるのです。

それ以前の段階(アイドルやアニメヒロインに熱を上げている段階)は恋に対する憧れの状態で、まだ本当の恋愛関係を結びうる心理的成長段階にはないのだと思われます。

若者たちの話しを聞いていると、盛んに「恋愛したい」と口走るのですが、美味しいとこだけ味わえる無邪気なジャレ合いみたいなものを欲しているようで、本当の恋愛関係へのコミットは正直あまり感じられません。

親の過干渉で大人になりきれない現代社会では、必然的に恋愛経験の乏しい若者が多いようです。

魂の成長のためにも、日本の少子化対策のためにも、バーチャル世界から飛び出し積極的に異性と交流して頂きたいものです。

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さて、何とか無事に恋愛をスタートさせる事が出来たとしましょう。

すると次に人はどう変わるのか?(どのように成長するか?)という点が気になります。

「恋をしてメロメロになって鼻の下が伸びる」って、そんな単純なもんではありません。

著書には恋愛をすると以下のような成長が期待されると記されています。



   自己主張の体験

   自主独立の精神が養われる

   柔軟性が養われる

   不安定性・不確実性・カオスの状況に漂う能力が身につく

   生きる力が沸く

   自分という人間が認識できる。自覚できる

   認識の世界が拡大する



はぁ・・・

恋愛ってもんを改めて理屈攻めにしてみると、こんな感じになるんですねぇ〜

「カオスの状況に漂う能力が身につく」なんて泣かせるではありませんか。

確かに恋愛は相手があって成り立つもの、自分の思う通りになんかなりっこありません。

生きる根源パワーも身につくけど、寛容性や柔軟性も恋愛の必須学習アイテムです。

強さと優しさを養うために、恋愛は良い修行道場だと言えるでしょう。

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そして本はそこから更に進んで、恋愛中毒の原因(別れられない人の心理)まで分析してくれてます。

恋愛中毒の人というのもそれなりの理由があるようです。


   幼児性が強い

   過去の満たされなかった関係を再現してしまう

   アイデンティティを失うのが怖い

   こじつけによって人生の事実から目を背ける


なるほど・・・

なんか分かるような気がします。

ストーカーになる人は、自分の頭の中で勝手に作り上げる恋愛ドラマにハマっちゃうんですよね。

脳内ストーリーをどんどん脚本し、自分で演出・主演しちゃうのです。

更に<ひとり芝居>に気付かなくて済むよう、事実を自分の都合いいようにねじ曲げちゃう。

ストーカー行為の根本的な原因とは、<真実と向き合う事への怖れ>があるのだと思います。

言葉にするといかにも簡単ですが、この怖れのハードルはとても高く険しいのです。

しかし魂の成長の鍵は常にここに隠されています。

自分が抱える<根源の問題と対峙する怖れ>を克服しなければ、恋愛相手への執着はますます強くなる一方でしょう。

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そして執着がエスカレートすると、相手を支配して繋ぎ止めようと色々な工作を始めるものです。

その方法にも大抵いくつかのパターンがあります。


   脅す

   依存・甘え・弱さを売り物にする

   罪の意識をかき立たせる

   嫉妬心を刺激する


そこら辺になってくると、もう恋愛とは言えなくなるような気もします。

<魂の成長のための恋愛>は当初の目的を達成した感が強まり、もう十分、トゥーマッチといった気持ちになって来ます。

意味のないドロドロを続けて、時間をムダにする空しさから逃れ、関係を解消したくなります。

「あの人とはもう別れるべきだろうか?」

そう迷った時のため、筆者はご親切に<別れを見極めるポイント>さえ教えています。

<別れを見極めるチェックポイント>にはこんなものがあります。


   相手に好かれてると感じるか

   相手に好意を持っているか

   相手に大事にされていると感じるか(なめられてないか)

   自分は相手を大事にしているか(軽蔑の目で見てないか)

   相手に信頼されてると感じるか

   自分は相手を信頼しているか(猜疑心はないか)

   デートして楽しいか

   セックスに満足感はあるか

   一緒に過ごす時間が勿体なくないか

   劣等感を持つことがあるか(学歴・容姿・教養・生い立ち・収入・地位)

   話しは通じやすいか

   話しは合うか

   言動が前向きで建設的か

   困っている時(病気・失意)具体的に何かしてもらったか

   知識や技法を教えて貰ったこと、教えてあげたことがあるか

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これが恋愛の成り立ちから終焉まで、それぞれの通過点で心に何が起こっているのかの全容です。

どうでしょう? 参考になりました?

恋愛のゆりかごから墓場まで・・・

まるで生命プロセスそのもののようで、ちょっと感傷的ですね。


恋愛にも春夏秋冬の季節があります。

そして私たちの人生に彩りを添えています。

恋愛のそれぞれの季節に、その時期ならではの美しさがあるものです。

それらのすべてを愛おしんで体験し尽し、人生の輝きを喜びと共に受け止める。

そんな事が出来るとしたら、それこそが本物の<恋愛の達人>の境地なんだと思いますね。

まだまだ遠い道のりのようです。




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by viva1213yumiko | 2014-04-13 00:09 | 人生・霊性 | Comments(0)

<嫌韓病>の処方せん

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日本と韓国の関係が危うい状況です。

両国首脳が関係改善に向けて動こうにも、一向に良い方向には進んでいません。

双方ともに政治家は票稼ぎのため、メデイアは売り上げのために、敵という存在が必要なのでしょう。

今こそ指導者の質が問われる時だというのに「何だか大人げないなぁ~」と思っているのは私だけなのでしょうか?


この隣国との根深い問題は、今に始まった事ではありません。

いつだったか、サッカーの日韓親善試合を観に行った時の事。

その日はなぜか韓国サポーターの近くに座る事となってしまい、ハンパない応援の熱気を肌身で感じてました。

後半戦、試合が佳境に入るとヒートアップして過激な野次が飛ぶのですが、その中に「秀吉朝鮮派兵の恨み!今こそ晴らせぇ~っ!」なんて叫んでる人がいるのです。

秀吉の朝鮮出兵って・・・

400年位前の話しだったっけ?

その時私は妙にウケ、思わず笑っちゃったのですが、本人はまんざらジョークでもないようなのです。

400年以上も前の秀吉の愚行が隣国人の精神に深く刻印され、スポーツ試合を通じて昇華のチャンスを待ち望むとは・・・

目に見えない精神の世界の奥深さ、根深さ、執拗さ、恐ろしさを思い知らされました。
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隣国とのお付き合いというものは、距離が近いだけに欠点も良く見えて、それだけ憎しみも大きく積もり易いものです。

関東大震災の時の朝鮮人暴動デマの虐殺事件や、第二次大戦前の日韓併合の時の恨み。

歴史を通じて繰り返される誤解と偏見の連鎖が、ワインの澱のように、国家というビンの底に沈み込んでいます。

どれだけ時間が経過しても、澱は底に沈んでいるだけなので、ビンを揺さぶればいつでも浮上して来てしまいます。

2002年のW杯日韓合同開催を皮切りに、その後の韓流ブームでお隣韓国に対する好感度が上がってたはずなのに、ここに来て歴史に埋もれた根深い問題が再燃しています。

韓流ドラマにハマったり、韓国エステツアーに参加してたご婦人方も、手のひら返したように<嫌韓>に流れてしまい、韓国や在日の人々をこき下ろし始めました。

新大久保のコリアタウンではヘイトスピーチデモが行われています。

愛国主義者たちがネットで煽るのを鵜呑みにし、若者から年配層まであらゆる世代の人が、聞くに堪えないような汚い言葉を浴びせながらコリアタウンを練り歩いています。

しかもヘイトスピーチを軽やかなリズムに乗せて、まるで差別を楽しんでいる風なのです。

いわゆる排外思想の差別デモですね。

ほんのちょっと前まで韓流ブーム目当てのお客さんで賑わっていたコリアタウンも様子が一変。

この事態に恐れを成して店を閉店した韓国人経営者もいると聞きます。

弱いものイジメの構造そのまんまで何だかいやらしいですねぇ。


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子供の頃お隣に住んでたリーさんは、とても義理固い方でした。

帰国の時のお土産にと、よく朝鮮人参のエキスを頂いたものです。

「これってとっても高級なものなのよ!」

桐箱入りの朝鮮人参に母は大喜びして、得意満面で教えてくれました。

だからという訳ではありませんが、私は個人的に韓国人に対して良いイメージを持っているのです。

好き嫌いは別として、詰めかけた千人以上の観客一人一人と笑顔で握手し、「オモニ、愛シテマシュ」と年配女性を感激させる韓流スターには、プロフェッショナルなサービス精神を感じて頭が下がります。

だからヘイトスピーチデモのニュースを聞くと、哀しくなってしまうのです。


私は日本の国と文化を愛するごく平凡な日本人です。

そしてごく普通の平和主義者で、戦争を嫌う者であります。

政府には国交を有利に進めたいという、政府なりの思惑というものがあるのでしょう。

しかし国家に対する正統な異議申し立てと、在日韓国人、朝鮮人への悪質な民族差別とは別物。

そこら辺きっちりと区別すべきじゃないかと強く思うのです。


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[汝の隣人を愛せよ]

イエス・キリストはいみじくも言ってます。

私たちが互いに愛し合ってさえいれば世界は何の争いもなくなるはずです。

我々が愛し合ってないから争いが起こるのでしょう。

韓国や在日の人々をこきおろさないと、自分自身の愛国精神を表現出来ないとしたらとても哀しいことですね。





私たちは皆ひとつのエネルギーである。

私たちを隔てる境界線は幻影であり、私たちの間の紛争は我々の内面の紛争や幻影である。

外面の争いは内面の争いの表出である。   

                        デービッド・アイク




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by viva1213yumiko | 2014-04-02 16:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)