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運命に翻弄される人々


台湾に旅行に行った時、京劇を鑑賞するチャンスに恵まれた。


観光客向けの一幕もののプログラムでしたが、孫悟空の冒険活劇や若い男女の恋の駆け引きなど、楽しい芝居を鑑賞させて貰いました。


それは歌舞伎や能の体験で、興奮する外国人と同じ状況なんでしょうね。


京劇特有のあの甲高い音楽や、衣装やアクロバットや演出に終始ドキドキさせられっ放しで、感動と興奮の一夜を過ごすことが出来ました。


中国文化は途轍もなく大きすぎて「よう分からん」と思う方。


そのような方にこそ、<京劇パフォーマンス>はいかがでしょう?


エンターティメントな伝統芸術から中国文化を覗き込む。


それならきっと親しみを持てるに違いありません。

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京劇といえば、そう、チェン・カイコー監督のあの映画、<さらば、我が愛/覇王別姫>です。


この映画は、1920年代から約50年間の激動の時代を生き抜いた京劇役者の愛憎劇なのですが、いろんな意味で深く心をえぐられる映画なんですよね。


3時間近い大作ですが、終始飽きずに間違いなく物語にのめり込んでしまう。


ある意味<鬼気迫る傑作>です。


死ぬまでに一度は見ておくべき映画と言えるでしょう。



人は運命から逃げられない。


逃げても運命は追いかけて来る。


人の運命とは時の流れの中、花びらのように浮き沈みせざるを得ない。


と、そんな風に思えて来て、鑑賞後にボー然と虚脱感が残るかも知れません。


だから、意思の力でガンガン能力を発揮したいと願う<自己啓発系>の方や、開運スポットで他力本願して満足してる<ゆるふわスピ系>の方はむしろ見ない方が良いかも知れません。


なぜならこのお話の根底には「人はそれぞれの運命に責任を取らなければならない」っていう、厳し~いテーマが流れているからです。


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女郎の女が育てられなくなった我が子を、捨て子同然に京劇の養成所に預けて行くところからこの物語は始まります。


厳しい訓練と虐待の中で、孤児の少年は女形として育てられ、時に慰み者にされ、男とも女とも言えないいびつなアイデンティティーを形成する。


家族のいない孤児にとっては、子供の頃から一緒に育ち何かと助けてくれる兄貴分は、唯一頼れる存在だったのだろう。


その義兄弟の役者二人の運命と、京劇の栄華衰退とを、中国の史実に乗せて綴るスケールの大きなお話しです。

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二人のヒット演目は「覇王別姫」


三国志で活躍する英雄<覇王>の末路と、最後まで運命を共にした<虞妃>の悲劇です。


悲劇の役を演じてそれがはまり役になると、役のキャラクターそのものが役者個人に憑依して来て、悲劇に取り憑かれてしまうってことあるのでしょうか?


役者というのはつくづく因果な職業ですね。


悲劇の恋人役を演じるうちに、いつしか本当に彼を愛するようになってしまう。


男と女の垣根を超えたトランスジェンダー。


いつの間にか彼は、芝居と現実の垣根さえも超えてしまっているんですね。

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母に捨てられ、家族を知らず、男でもなく女でもない。


愛する人には女房がいて、愛したくても愛せない。


生きる術は京劇だけだから、芝居を辞めたくても辞められない。


舞台の上でしかいのちが輝けない<仮面の人生>


そんな運命しか残されてないとしたら・・・


さあ、あなたならどうする? 


一体どうするでしょうか?

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それでも京劇界のトップスターだった頃はまだ良いのです。


清朝末期から国民党→日本軍→国民党→共産党と目紛しく政権が代わり、その度に京劇の運命は翻弄されます。


そして文化大革命。


自己批判を強要され、芸術家や文化人は徹底的に破壊され尽くす。


伝統芸術とは元来お金持ちや権力者の庇護があって成り立つもの。


戦争が起こったなら、政変が覆されたなら、芸術なんて木っ端微塵に破壊されるのです。


運命が激しく流転している時、人は誰もそれに逆らえません。


三国志の英雄<覇王>ですら定められた運命には逆らえなかった。


それと全く同じようにです。

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それでも人は生きなければならない。


結局、人はそれぞれの運命に責任を取らなければならないんですね。


人生は人により千差万別です。


映画のように、時代に、偏見に、権力に翻弄される過酷な人生もあるでしょう。


穏やかで平凡に生きる者もいる。


けれど、人には必ずいつか<人生の収支決算>をしなければならない時がやって来る。


誰にも必ずその時が訪れるのです。


だから、人生で起こる悲劇・喜劇の総決算から何を教訓とすべきか?


あくまでも決めるのはあなた自身ということなんですね。


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 どんなに愛しても愛し足りない


 どんなに憎んでも憎みきれない



映画の宣伝コピーにはこのように書いてありました。



愛したいのに愛が叶わない。


かといって離れたくても離れられない運命。


人間界にはそんな不思議な愛憎関係が確かに存在しますよね。


「今まさにそれに翻弄されている真っ最中です!」って人も、決して少なくないはずです。



人間の営みの中には、時に心をえぐり取られる程の厳しさ・残酷さが潜んでいます。


そのようなものに遭遇すると、人間の浅はかな考えでは計り知ることの叶わない、この<人生のカラクリ>を思わずにはいられません。


神様の計画はいつも極秘裏に実行されて行く。


いつだって我々は、そこにある意味を、後になって何とか解釈するだけ。



人生の経験の中から一体何を学び取るべきか?


我々が生きることの意義とは、多分それをつかみ出すことにあるのかも知れませんね。


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by viva1213yumiko | 2017-06-12 19:35 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

備えあれば、憂い増す

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イソップの寓話に<アリとキリギリス>のお話しがあります。

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き歌を歌って過ごす。

やがて冬が来てキリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い食料を分けてもらおうとする。

慎ましく長生きするアリ人生を歩むべきか、短いながら楽しいキリギリス人生を行くべきか・・・

ふたつの選択肢を考えさせる有名な寓話です。


実はこのお話し、ふたつの異なる結末があるのです。

一方は「夏には歌っていたんだから、冬は踊ったらどうだい?」とアリに拒否され、キリギリスは飢えてしんでしまうというブラックでシニカルなもの。

もう一方はアリが食べ物を恵みお説教し、キリギリスは改心するという教育的なものです。

どちらにしても、そこには色々な人生訓を読み取る事が出来ます。


   [汝の隣人を愛せ]

   [備えあれば憂いなし]

   [働かざるもの食うべからず]

   [せこく溜め込む奴ほど独善的でケチで冷たい]

   [生き物は必ず死ぬのだから好きな事をして人生を謳歌せよ] etc.  



西洋ではまた違うようですが、日本の社会では「アリのように将来の危機に備え行動するを良し」と解釈されて来ました。

「キリギリス的生き方はダメなんだよ」って意味なんだと、私自身も思っていました。

「怠けていたんじゃ周りに迷惑。 努力しなさい! 頑張りなさい!」

そうやってアリ的正義を信じて働き、頑張りすぎて過労死する人が増えたのも、紛れのない事実ですよね。

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しかし聞くところによると、アリのコロニーは皆んなが皆んな働きアリって訳じゃないらしいですよ。

勤勉20%、普通60%、怠け者20%・・・

パーセンテージで言うと、ざっとそんなもんなんだそうです。

さらに不思議な事に、勤勉アリばかりを集めて来て別のコロニーを作らせると、その集団はまた元の同じ比率へと変化すると言います。

100%勤勉アリの集団にはならず、やはり勤勉20%で落ち着くらしい。

怠け者ばかり集めた場合でも同様な結果が起こるのだそうです。

何だか面白いですよね。

大会社のサラリーマンも同じような比率構成なのでしょうか?

調査してみたいものです。


だからそこら辺の事情を知ってしまうと、この寓話の教訓は教えられたものとは全く違ってたんじゃないかって思えて来ます。

実はこの物語の本当の教訓は・・・


   [人の生き方に正解なんてない]


むしろそう言ってるような気がして来ます。

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世の中の価値観なんて時代によってクルクル変わるのです。

例えば仮にもし戦争が起こったとしたら、その時は軍隊が実権を握りますよね。

そうなれば人殺しだって賛美されてしまいます。

何が正しくて何が間違ってるかは、その時それを決めた側の都合次第で変わってしまう。

世の中のために役立つ人間を目指したとしても、それはそれで胡散臭くなるものなのです。

だから将来に備えて生きてばかりだと、きっとどこかで壁にぶつかるでしょう。


備えておけば安心だって?

もうそんな時代でもなくなりました。

人生を損得で考えても幸せなんて続きません。

他人と自分を比べてもしょうがありません。

まだやって来てもいない未来を、必要以上に思い煩うと、今の幸せを見逃してしまいます。

それよりもほんの少しずつでいい、輝いて生きる事が大切なのです。
   

だからなのでしょうか・・・

私最近、この格言がお気に入りなんです。

是非とも<ことわざ事典>の掲載を願っています。
 



    [備えあれば、憂い増す]


 


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追伸
これからの時代の<アリとキリギリス>はこんな結末がマッチするんじゃないかしら?

キリギリスは音楽会の切符を売って、その収益で冬を越す事を思いつきました。

音楽に心癒されたアリたちは、いつもよりもっと豊かな冬を過ごしましたとさ。




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by viva1213yumiko | 2014-01-23 00:55 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

浦島太郎伝説

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   ♬むっかし~むっかし~、浦島は~

    助けた亀に連れられて~

    竜宮城へ来てみれば~

    絵~にも描けない美しさ~♬


亀卜(きぼく)のため捉えられた、無数のウミガメ達に思いを巡らせ黙想していたら、案の定<浦島太郎>が脳裏にこびりついて離れなくなってしまいました。


誰もが知ってる異界訪問のおとぎ話し<浦島太郎>

実は改めて思い出してみると、このお話しってとっても奥が深いんですよねぇ。

意味深な謎が多く、ただの動物愛護・善行推奨の子供向けおとぎ話とは思えません。

助けた亀のお礼のはずの「お・も・て・な・し」で、太郎は全てを失ってしまうんですからねぇ~

それって、あまりにも救いがないじゃありませんか。

「す・く・い・な・し」なのです。

ちまたでは割に良く囁かれているようですが、一体<浦島太郎>の教訓とは何なのでしょうか?

深遠な人生のテーマが、水面下に潜んでいるような気がしないでもありません。

それは、「人は良い行いをしたからといって、必ずしも幸せになれるとは限らない」なのか?

「人生山あり谷あり、上手い話しには裏がある」なのか?

「時間の進みは一定じゃない、楽しい時は早く過ぎる」なのか?

「子供のイジメ問題に大人が口出しするとロクな事がない」なのか?

いずれにしても皮肉っぽくて、不条理に満ちています。


民族学の常識では、昔話の伝説というものは、ある家や土地との関わりを説明するために作られたストーリであって、本来は大人向けの物語というのが常識なんだそうです。

それに対しおとぎ話しの方は、後世、神に対する信仰が失われた時代になってから伝説が子供向けに変形されたものの事を指すのだそう。

<浦島太郎>伝説は万葉集の時代から語り継がれて来たお話しなのですが、室町時代の御伽草子に載ってる古い<浦島太郎>は、始めから亀なんか全然関係なくて、太郎が海の女神・乙姫の婿になるという設定だったようです。

古い時代の<浦島太郎>は、この土地からは神に見込まれるほどの英雄が出たという主題が潜んでいて、子供向けのおとぎ話しとは全く違うものなのです。

この伝説が子供向けに変形されておとぎ話になる過程で、太郎と乙姫の官能的な性描写の部分が子供には相応しくないとカットされ、代わりに亀を助けた話しが無理矢理持ち込まれました。

その結果、なぜ最後に太郎がお爺さんになってしまうのかが分かり難くなってしまったらしい。

しかし元を正せば、太郎は女神の色香に骨抜きにされ、精も魂も抜き取られて老人化してしまったという大人の教訓話しだったのです。


この手の<大人のためのおとぎ話し>って結構多いんですよね。

グリム童話なんかも、親殺し、子殺し、姦淫、人肉などの主題が多く、子供版のサイコスリラーって感じで、中世暗黒時代のおどろおどろしさ満載です。

その他にも私は以前、知人にポルノ版<白雪姫と7人の小人>の話しを聞かされた事もあります(笑)

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<浦島太郎>伝説も、<竜宮城キャバクラ編>とか<エイリアン・アブダクション編>とか、大人バージョンが色々あるのですが、その中でもとっておきの怖さを持つのがこんなストーリーです。

今は削除されてもう見れなくなってしまった、アニメ<世にも恐ろしい日本昔話し 浦島太郎>によると・・・


漁師の太郎は母親と二人暮らし。

ある日、海へ行くと言って家を出た太郎。

実は、お茶やさんで遊んじゃっていたりするのです。

その時にふとした事で助けたお亀という女性に、どうしてもお礼がしたいと大きなお屋敷に連れて行かれます。

聞けばお亀はこの屋敷の使用人。

使用人を助けたお礼にしては豪勢すぎるんですが、珍しいキセルを吸わせてもらったり、美しい女中たちがあんな事やこんな事をしてもてなしてくれます。

その中でも太郎が一番夢中になったお竜という女性とは、毎日のように夢心地であんな事やこんな事を。

キセルの煙は太郎を心地良い夢の中へ誘います。

そんな折、お竜は太郎に「好意の印」と、箱をプレゼントします。

毎日夢心地の太郎ですが、ふと気が付くと、暗く広い牢の中に座っていました。

周りには自分と同じようにヨダレを垂らし、目の焦点は定まらない廃人同然の男たちが何人もいます。

目の前で死んでいく者もいました。

「ああ・・・」と顔を抑えると、太郎の顔の皮膚はボロボロと崩れます。

おそらく梅毒の症状でしょうね。

実はお竜は病気(やはり梅毒?)で、正常な男からはとても相手にされないような醜女(むしろバケモノ)でした。

キセルで吸わせていたのはおそらくアヘンか何かでしょう。

お竜に子供を授けるために町の若い男を屋敷に連れ込み、薬漬けにして相手させていたという事なのです。

太郎がどの段階で「これはヤバイ」と悟ったのかはよくわかりませんが、とにかく屋敷から逃げ出します。

なんとか屋敷の外に出ますが、その時すでに風貌は老人です。

やっとの事で海辺の自宅に辿りつきますが、家は朽ち果てており、通りかかった人に聞くと、「昔この家には太郎という男がいたが、ある日海にいくと行ったきり帰らず、母親は心労で死んでしまった」との事。

放心状態で崖に腰掛け、持っていた箱を開けてみると中にはキセルとアヘンが入っていました。

キセルを吸うと、煙の中に母親の顔が・・・

何かを叫びながら、煙の中の母を追うように海に身を投げる太郎でした。

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こわ〜い!

<浦島太郎>がシュールで斬新なホラーに変身しております。

しかし考えてみると、<浦島太郎>に実話モデルがあるとしたら、案外こんなものだったかも知れませんよ。

島流しの男の猟奇事件に、ああでもないこうでもないと尾ひれがついて、伝説化してしまったのかも知れません。

いずれにしても海辺に住んだ、とんでもない男がやらかした何かが、人々の心に強い印象を残した事は間違いなさそうです。


昔話の英雄って、良くも悪くもとんでもない人たちの語り継ぎです。

キャバクラから無事帰還して来たぐらいでは、まだまだ英雄には程遠いので、よい子の皆さんは、くれぐれも勘違いしないようにしましょう。




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by viva1213yumiko | 2013-10-15 13:40 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

続・人生はグルである

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我々が住む鏡の世界では、自分の信念や感情が人間関係にはっきり現われます。

恨み・憎しみ・憤り・愛・慈悲・理解などの非物質的エネルギーが投影されるからです。



目に見えないエネルギーには不思議な力があります。

愛や慈悲や許しと云ったプラスの感情は、表現したその瞬間から自己を肯定する力を持っている。

憎しみや裁きや嫉妬心も同じ様に、発すると直ぐに自己を否定する力となります。



宇宙の全ての万物には、最初から良い悪いの基準がなく、静かな湖の水面の様に穏やかな存在なんですね。

そこに、<善悪・正邪・好き嫌い>という感情で判断を加え、石を投げ込んだために、静かだった水面は波を打ち始めます。


当然それが、大きな憎しみの石なら暗く激しい波が立ち、大きな愛の石なら歓びと希望の力強い波が立つ。

だから我々が生きているこの<エネルギー場>の世界とは、己の内面にある信念を映す鏡だという訳です。



「なるほど、それはもっともね。 けれどそれが一体何の役に立つの?」

と、あなたが思うなら、それはきっと今までの人生にまだ大きな転換期がなく、自分を変える必要に迫られた事がないからなのでしょう。

人生の挫折を経験したり、立ち止まらざるを得ないような内的体験をすれば、自分自身を見つめ直して、人生に苦しみをもたらした信念の正体を見破ることの重要性を胸に沁みて感じるはずです。



「世の中の現実が気に入らないのなら、自分自身を見つめ直しなさい」

と言われるのは本当なのです。



自分の信念に捕われたまま生きるか、それから解き放たれるかは、自分自身で決めるべきことです。

多少の不満はあっても、馴染みのある今まで通りのやり方を続けるのか、それともこれを機会に信念を暴き出し、新たなものに書き換えるのか・・・

あなたには選ぶ権利があるのです。



大概の人は人生のある時期に、自分自身が最も怖れているものと向き合わざるを得ないみたいですよ。

まるであなたの怖れを克服させるために、人生がシナリオを組んでいたかのようにです。


人間関係となって出現することが多いのですが、それは私たちの魂の暗闇に光を当てて、痛みの元になっている怖れを征服させようとします。

だからその人の成長の度合いによって、信念を試すようなことや深く考えさせるようなことが用意されており、タイミングになるとそのスイッチが起動する訳です。



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人生とは上手く出来ているんです。


我々がそこで習得するべきことは・・・・

[人生のそれら全ての高波を、まるでサーフィンのように華麗に乗りこなすこと]

[常にバランスを取って波を乗りこなし、充実感と満足感に浸ること] なのです。



人生って本当に上手く出来ています。

私たちを進化成長させる為に、色んなヒントを用意してくれています。

[人生こそが真のグル] だと確信する日が、いつかあなたにも必ずやって来ると思います。







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by viva1213yumiko | 2013-01-12 19:56 | 人生・霊性 | Comments(0)

人間関係は自分を映す鏡の世界

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前回、我々の人生は学びの学校だって話しをしました。


人生ってものをやってると、嬉しい事や悲しい事、辛い事や驚くべき事がたくさん起こりますが、それら日常世界の経験はどこか別の場所からのメッセージだと言えるでしょう。

なぜなら人生に起こる様々な出来事が、自分が確信していること、愛しているもの、恐れているものを、我々にはっきりと教えてくれるからです。


人生を通して我々は、我々が持つ信念の本当の姿を知る事が出来るのです。

それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、我々の内面世界が人生の色々なドラマを引き寄せているのだと気付かされます。


私たちは、この世界の人間関係・仕事・成功・失敗を目に見えない場所で創造しています。

つまりそれは、そこに映るメッセージを読み解く知恵さえあれば、人生に苦しみをもたらす信念の正体を見破れる、良いチャンスでもあるのです。


人生はグルの様に、常にあなたに教えを授けてます。

だから人生そのものが、あなた専用のプライベート・レッスンと言えるのです。



プライベート・レッスン・・・


その中でも、特に注目すべきは人間関係ですね。

自分がどんな信念を持っているかは、人間関係に最もはっきり現れるからです。


人間関係での様々な出来事は、自分をあらゆる角度から見つめ直す、よい機会だと言われています。


例えば誰かの独善的な態度が気にさわってしょうがないなら、それは「あなたの中にも何か独善的なこだわりがありませんか?」 というメッセージかも知れません。


違う誰かの優柔不断な態度が気になるなら、あなたの中の優柔不断さの原因を探ってみた方が良いでしょう。


また、誰かに嫉妬心があるとしたら、それが自分の失ったもの、手放したもの、奪われたものを教えてくれてませんか?


誰かと痛みをもたらす問題が起きたら、その関係の奥に、自分が怖れてる別の何かが隠れていませんか?



そうやって改めて回りを見回してみると、他人をとやかく批判する事は、全く出来なくなってしまいますね。

なぜなら、他者とは自分の姿。

自分が他者という鏡に映っているだけ。

人の事を批判してるつもりでも、実は鏡の自分への自己批判で、何よりも自分を傷つけているんですね。



そして、私たちの正真正銘の一番根深い信念は、最も親密な人間関係に反映されています。

親子・兄弟・夫婦など身近な関係になるほど、難しく微妙なテーマが隠されているものです。

我々が無意識に隠し、置き忘れて来た心の傷は、癒される事なく封印されていて何かをきっかけにひょっこりと浮上して来ます。


親密な関係ほど、そのスイッチの起爆剤になりやすいので、心の深い問題が反映されやすくなる。

心に傷をもたらす根本原因が、同じような問題を何度も何度も、繰り返し引き寄せているのです。


けれど、そこに映るメッセージを読み解く知恵があれば、人生に苦しみをもたらす信念の正体を、その根本原因を、見破る事が出来るはず。

だから純粋に楽しいだけの人間関係からは、深遠な人生の教訓は学べないと言われるんですね。


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 [人間関係は自分を映す鏡の世界]


お山にこもって、行者さんのように生きるだけが修行ではありません。

娑婆の世界で他者と時間を共有する事は、我々に最も相応しい修行なのかも知れませんね。




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by viva1213yumiko | 2013-01-10 22:27 | 人生・霊性 | Comments(0)

人生はグルである

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前回、映画に感動して魂が浄化されるって話しをしました。

素晴らしい芸術作品や、美しい風景、調和の取れた音楽などで、我々の魂には光が射し込み、自分を取り戻した気分になって来ます。


けれど、家に帰って日々のルーティンに戻ると、そんな高揚感はどこ吹く風。

とたんに日常生活で生まれる、細々とした心のゴミやほこりに向き合わされる羽目になります。


恋愛結婚・人間関係・仕事・お金・健康問題

あーあ、頭の痛い事ばかり。


ひとつの問題をクリアーしたと思ったら、今度は次の問題が発生して来て、なんだか次から次へと自分が試されて行くような気がしてしまいます。


そう・・・実はそうなんです。

あなたは確実に試されているんです。


何を隠そう人生とは、<無限に続く学びの学校>

自分に必要な課題を順々に投げかけて来る、永遠のプライベート・レッスンだったんですね。


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我々の日常生活に起こる様々な状況の中には、とても大事な情報とメッセージが含まれています。

まるで上質なミステリーさながらに、隠された暗号と情報に、解釈されるべきメッセージが暗示されているのです。


そしてそのメッセージを解釈するのはとても大切な事なんです。

なぜなら、メッセージを考えさせる事自体が、この学校独特の授業スタイルだからなんですね。


人生という名の学校は、教科書や時間割がある訳じゃなく、勉強の課題もその目的も、全て隠されたまんまです。

だから自分で状況をよく観察し、メッセージを探し当てながら、学んで行くしかありません。


そこがややこしくて分かりづらくて、みんな悩むところなんですが、人生が言わんとするメッセージさえ見つかれば、自ずと解決策は見つかるものなのです。

そこまで来れば、ミッションの大部分は完了します。


ひとつのレッスンを覚えるまでは、繰り返し同じ問題が出て来ますが、一度覚えたらもう二度とその問題で悩む事はなくなります。

そしてまた人生の上に次の問題がやって来て、次のステップのレッスンへと進んで行く。


それが誰にも平等に与えられた、人生の<参加型学習システム>なのです。




人生には色々な状況が起こり得ます。


その問題が辛く苦しいと、つい自暴自棄になって投げ出したくなりますが、重い問題が起こった時こそ「人生が自分を大きく成長させる強化訓練期間である」という風に捉えたいですよね。


だから絶対、絶望だけはしないで下さい。


<観察>→<内省>→<気付き>→<課題発見>→<解決策>→<行動>

このようなプライベート・レッスンの一連のプロセスに、なんとかして乗る方法を探ってみて下さい。



いいですか? 

レッスンの課題を一度覚えたら、もう二度とその問題で悩む事はなくなるのですよ!

一刻も早くレッスンのテーマに気付いてあげて下さいね。


<人生の鞭>による、痛みの伴う学びではなく、なるべく楽に楽しく学び成長して行きましょう。

人生はそれをあなたに期待しているのです。


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<人生はグルである>


本来は師を求めて世界を放浪する必要など、何処にもないのかも知れませんね。

あなたはあなたの道を行けばいいのです。


人生というグルは、我々の魂に知恵と力を授けてくれる、最高の恩師なのですから。




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by viva1213yumiko | 2013-01-07 23:37 | 人生・霊性 | Comments(0)

男脳・女脳

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人間の左右の大脳半球を繋いでいる、脳梁という器官があります。


約2億本の神経繊維の束を結ぶ脳梁の後方部分は、女性の方が丸みを帯びた形をしていて、大脳全体との容積比率も男性より大きいのだそうです。


これは女性の方が左右両半球の連絡が良く、脳全体を効率的にバランス良く働かせやすい事を意味してるのだそうです。

一方男性の方は何かに特化した機能・技能を働かせやすい脳で、一点集中型になる傾向があるらしい。


脳の発育過程でも女児は言語・感情機能の左半球がより早く発達し、男児は空間認知機能の右半球がより早く発達する。

だから女の子は人形遊びやおままごとが好きで、男の子は車や電車のおもちゃを動かすのが好き。


また、男女を決める性ホルモンの働きにより、女は警戒心・感受性の強い脳になり、男は攻撃性・無謀さの高い脳になると言われます。

これらは人間が集団で営巣し狩猟採取型の暮らしをしてた頃、男が狩猟を担当し女が採取を担当していた事の名残だとも言われています。


つまり、人間には攻撃的な<男脳>と、情緒的な<女脳>の性差があるって事ですね。


もちろんこれは一般論であって、個体差の方が当然大きいのが当然です。

しかし、男と女の考え方・感じ方のあまりの違いに驚いた時、戸惑った時などに「男脳と女脳とじゃやっぱり違うんだなぁ〜」と自分を納得させる事ができ、意外と便利な理論だったりするんですよね。




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男と女は子供の遊びから既に違うのだから、大人の男女に至っては、もう全く違うカテゴリーの種なんです。

これはもうそういうものなんだと認め、改めて一からじっくり観察し、新しいコミュニケーションスキルを構築し直した方がよろしいのではないでしょうか。


つまり<異文化交流>とでも言いましょうか。

あるいは<異星人との遭遇シュミレーション>とでも言いましょうか。


同じ義務教育を平等に受けていても、異性が自分と同じ情動反応を示すと思うのはのは大間違いなのだと心しておきましょう。



例えば他者とのコミュニケーション能力にも、<男族>と<女族>の違いははっきり現われます。


「男性は結論を導き出そう、白黒はっきりさせて互いの優劣関係を明確にしようとして、対立を煽り、見栄をはった言動をしてしまいがち。話しをこじらせ、もめさせる人が多い」


「女性は相手をやり込めずに人間関係優先の選択肢を探ろうとするので、状況改善には向いている。しかし論理的討論で何か結論をはっきり出すという場には不慣れな人が多い」


「男にとっての親密さとは、ともに働いたり競争したり仕事に有用な情報を交換したりすることで、互いの優劣関係がはっきりしている事が重要である」
  
 
「女にとっての親密さとは、共にいること、普段の状況について事細かに話すこと、地位や立場に差がなく共感出来ることが重要」


「女は言葉から親しさを汲みとり、男は言葉を攻撃・威嚇・見栄はりに用いる」


などと表現されます。




なるほどねぇ〜

そう言われてみると、何だか妙にスッキリしませんか? 


家庭や職場などで、何とも不可解な異性の言動に戸惑ったら、改めてこの原則を振り返ってみることをお勧めします。

すると妙にスッキリ心の整理がつくんですよね。



男女の性差から生まれるすれ違いは、互いの<会話に求めるもの>にもはっきりと現われます。


男性にとっては、問題解決こそ会話の目的であるというパターンが多いのです。

だから自分の意見を主張したり、自分の正しさにこだわる。


一方、女性は会話を通して相手の感情を知ったり、自分の感情を伝えたり、会話する事自体に目的があるのです。


だからそんな男女が向き合うと、男は解決すべき課題がないと会話が成り立たず沈黙に逃げ、そういう態度に対し女性は強くストレスと疎外感を感じるのです。



例えば夫婦であれば、妻が日常の嫌な事や悩み事を話すのを聞いて、夫はついついアドバイスをしてしまったりしますよね。

しかし良かれと思ってしたアドバイスで逆ギレされてしまった、というケースがとても多いのです。

けれどそんな時、夫にはなぜ妻が怒っているのか見当もつかず、ただ混乱するのみ・・・


もちろん私には妻の気持ちが良く分かります。

妻は夫のアドバイスなど聞きたくなかった、ただ気持ちを聞いてもらいたいだけだったんですよね。



女性は感情というものに対してとても敏感で、そうした事を話したり理解してもらいたがるものなのです。

しかし男性は日々の感情について話すのが苦手なうえ、恥ずかしい事だという先入観がある。

またすぐに自分を守る為の攻撃モードに入りやすく、それが長く持続されます。



男脳と女脳の思考パターンの違いに気付き、相手を理解する手掛かりさえ掴めたら、お互いの絆を深めるのにきっと役立つはずと思うんですね。

ほらね、そうやって考えてみるとやはり<男脳・女脳>って概念は、便利で使えるツールでしょ!



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追伸:
全男性の中に17%の割合で<女脳>の人が存在し、女性の方にも17%の<男脳>がいるらしい。

実は私もこの17%の中に入るのかな?と思ったりもしています。


<話しを聞かない男・地図を読めない女>というベストセラーがありましたが、私地図を読むのは割と得意な方ですし・・・

最も<女脳>から<魔女脳>へと既にシフト完了しちゃった、とも考えられるのですけどね。




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by viva1213yumiko | 2012-12-10 21:53 | 人生・霊性 | Comments(0)

エロスの愛とアガペの愛

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 愛とは人の精神性を深める最大の入り口である

 なぜなら、エゴが最も試されるからである



若かりし頃、何かの本でこう読んで、当時恋愛中だった私はすっかり分かった気になり、甚く感心した記憶があります。

そして中年期を過ぎた今でも、その言葉は全くすたれない真実だと固く信じているのであります。



一口に愛と言っても、親子愛・友愛・隣人愛・師弟愛など色々ありますよね。

でもこの場合の愛は、ズバリ男女間の愛を指していると考えて下さい。


自分の魂を最も揺さぶり、それ故に最も危険でもある、永遠の関係性<男と女>

今回は決して甘口では済まされない、<男と女>のお話しです。


現在ラブラブで盛り上がってる最中の人には、「決して読むべからず!」とだけ忠告させていただきましょう。



男女の磁力の様な引きつけ合い引かれ合いは、とても理屈では説明出来ませんよね。

「あの人は夢に見た理想像だ」とか、

「一緒だと満たされる」とか、

「あの人は私にないものを持っている」とか・・・


恋愛のスタート時は皆んな似たような心理状態になるようです。


それって何故だか分かりますか?


男女間の引力とは、実は・・・

より完全でトータルな存在になるための、<魂の内なる希求>だからなのです。


つまり恋愛とは、自分に不足している側面を相手の中に投影して見てしまう、不思議な鏡の世界とも言えるんですね。


本来なら自分自身で成長し、全体的な存在にならなければならないのを、あえて棚上げにし相手と寄り添う事で完結したと思い込む、言うなれば<勘違い現象>と言えるのかも知れません。


とほほ・とほほの<勘違い現象>・・・


そう、恋愛は幻想だと思ってもほぼ間違いありません。


最初からその人を正当に見ていたのではなく、自分の内的幻想を映すスクリーンにしていただけ。

だから自分の作り上げた勝手な幻想が壊れたからといって相手を非難するというのも、かなり馬鹿げた話しなのです。




どうです? ショックですよね。

でも悔しいけれど、心当たりのある人も多いんじゃないでしょうか。



では、一体どうやってそれを克服して行けばよいのでしょう?


どうすれば恋愛関係を魂のパートナーシップに成熟させられるのでしょうか?


どうやってエゴイスティックな愛を無条件の愛・絶対愛へと高めて行けるのでしょう?



まずはじめに、惚れた腫れたの情熱だけでは関係を維持出来ないんだと認めちゃって下さい。


仮に相手を変えたとしても、必ず同じ事の繰り返しになると覚悟しましょう。


そして、エゴイズムの愛を克服するためには<許し>の力が必要になると理解して下さいね。


<許し>とは相手を許すだけでなく、抑圧され潜在意識に深く埋め込まれたものを消去する作業の事なのです。


相手を愛するその前に「果たして自分は己を許し、愛していのるか?」

と、正直に探ってみて下さい。

自分自身との折り合いをつけるのです。


恋愛を保つためには、何よりもまず自分の愛を広げて行く必要があります。

自分の中に愛が入って来て本来の魂が輝き出すと、それに同調してパートナーシップも花開く、そういうものなのです。



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男女関係は自分の中にある、あらゆる見たくないものを見せてくれる貴重な鏡でもあります。

感情的苦痛から逃げずに、これは自分の中に潜む恐れを教えてくれているチャンスなのだ、と考えてみたらどうでしょうか。


<恋愛とは愛を学ぶための学校>


それぞれの成長段階・愛の成熟度に従い、我々は愛の厳しい側面を学ばされているのです。



男女関係とは「出家する事なく普通の生活をしながら悟りに向かうひとつの道」なのだそうです。


しかも「エンジェルが踏み込むのをためらうほど厳しい道」だそう・・・


恋愛関係のエロスの愛を入り口にして、切磋琢磨を繰り返し、真実の愛・アガペの愛を学ぶ事が神に近づくための手段なのかも知れませんね。




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by viva1213yumiko | 2012-12-04 00:39 | 人生・霊性 | Comments(0)

濡れ落ち葉論争・秋の陣

人と人との間には、とてつもなく深いコミュニケーションギャップが存在するものです。

ましてやそれが男女間のものともなると、話しはなおさら複雑です。

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「いやー 色づいたもんだなぁ」

窓越しに広がる圧倒的な紅葉を見上げ、太郎は誇らしげに呟いた。

昨日の雨で空気はしっとり潤っており、ひと雨ごとに深みを増して来たこの秋の成熟度も、ついに頂点に達した事を告げていた。

「今日は天気は保つみたいだけど 風が強そうだね」

風が吹くたび一斉にざわめく木立の群れから、まるで戦勝パレードの紙吹雪ように数え切れない程落ち葉が舞い始めたのだ。

あるものは垂直落下で、あるものはふんわりと弧を描きながら、またあるものは高速回転のピルエットで狂ったように乱舞して・・・

みな思い思いのスタイルで、命の新たなステージへと飛び出して行く。

そして地面に舞い降りた枯れ葉は、湿り気を帯びて艶を放ち、高級な段通絨毯のような見事な文様を織り上げて行くのだった。


「濡れ落ち葉 奇麗だね」と、太郎は言った。

「そうね 奇麗ね」と、花子は答えた。

「やっぱりこの間のセーター買えば良かったかなぁ・・・」

先日、クラフトフェアで買いそこなった美しい枯れ葉色の手編みセーターの事を太郎は思い出していた。

「そうねぇ あれは貴方に似合ったかもねぇ」

猫にせがまれるまま、3つのボウルに均等に餌を分けつつ、花子は半分うわの空で答えていた。

猫の鳴き声が止まり、いつも通りの旺盛な食欲を見届けると安心して、花子は何気なく言った。

「けどあのセーター着たらさ あなたも濡れ落ち葉よ」

「・・・」 

一瞬のあいだ奇妙な沈黙が起こり、枯れ葉の落ちる音だけが囁くように静かに響いた。

「・・・う〜む・・・」

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「ん? なんか変なこと言った?」

「君は人のマインドというものがいかに否定性を生み出すか 全然分かってないようだね」

「へ? マインド?」

「脳科学でも証明されてるんだよ いつでも否定的解釈をしたがるのが脳の特徴だって・・・」

「は? 濡れ落ち葉は否定的な言葉だった?」

「言葉に良い悪いはない 意味を解釈するのはあくまで人のマインドなんだ」

「つまり貴方にとって濡れ落ち葉はどこかネガティブなのね?」

「分かんないかなぁ だから言葉に気をつけなさいっていつも言ってるでしょ」

「だってさっき貴方・・・濡れ落ち葉 奇麗だって・・・」

「はん! そういうのを言い訳ばかりの屁理屈上手って言うんだよ」

「ふん! どっちが屁理屈よ!」



人と人との間には、とてつもなく深いコミュニケーションギャップが存在するものです。

ましてやそれが男女間のものともなると、話しはなおさら複雑です。


人のマインドがどれほど否定的解釈を語って聞かそうと、やがて秋になれば葉っぱは皆濡れて落ちるのだという事を、あなたはこの寓話から学ぶ事が出来ます。




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by viva1213yumiko | 2012-11-09 11:05 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

続々・トイレに宿る信仰心

一部にファンの存在も判明した、ジェイニエ神父の信仰カルタカレンダー。

今月も気になる一枚を紹介しましょう。

さぁあなたもご一緒に、心に手を当て内省してみて下さい。


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 [り] りんごを食べれば 良心に恥じる


最初の人間アダムとエバの心を試すために、神さまは、楽園の真中にあっ た木の実を食べないように命令しました。けれども悪魔は蛇の形でエバに話しかけて、食べれば神さまになると言って、うそをつきました。エバの心の中に、良心を通して神さまが、それはいけないと教えて下さったのに、エバは悪魔に耳を傾けて、木の実を食べたので、神さまのみ旨(神さまのご意志)にそむいて、罪をおかしてしまいました。(創世記3章)




ご存知、アダムとイブの楽園追放のくだりです。

我々人間の罪深さの根源(原罪)は、そもそもここに始まるのだと旧約は教えています。


「りんごを食べるな」と命じておきながら悪魔を利用して約束を破るように仕向ける神さまって・・・

一体何なんでしょうねぇ。

ある意味、自己矛盾の極みを行っちゃってます。


自分と同じ似姿に創造するほど人間を気に入ってたはずなのに、愛するものを罠にはめるなんてすご~く残酷な話しです。

神さまは真性のサディストなのか、はたまた退屈故に刺激的ドラマが欲しかったのか・・・

楽園から放り出し、わざわざ人間に苦労をさせてしまうのです。


「神は人間に自我を芽生えさせ、成長させてありとあらゆる経験をさせたかったのだ。だからあえて楽園から追放したのである」

と、捉える事もできますが、それにしても蛇に変身した騙しのテクニックは巧妙で手が込んでいますよね。

オレオレ詐欺ですら可愛く思えるくらいです。



「人間とはこのように罪深いものである」 

だから・・・[悔い改めなさい]


ユダヤ・キリスト教会がこの原罪の教えに支えられて発展した事は歴史上明らかです。


中世のカソリック教会では免罪符さえ買えば罪はチャラになり、あなたも天国へ昇れると説いて大儲けしてたのだからいー加減なもんです。


私は思うけど、本当の神さま(この宇宙を作った創造者)は罪悪感や恐れの感情で人心を支配するなんて、そんなチンケな事なさらないんではないでしょうか?


神さまは私たちの自由意志を尊重していて、いつでも我々のやりたい様にさせてくれています。

物事の善悪の判断は一切我々に任せてくれているのです。


「ええでんなぁ〜 取りあえずやってみなはれ!」ってね・・・


そして神さまは人間に期待し、成長を見守ってくれているのです。

いつか人間が自分で判断する言動が、自分(神)と同じレベルになってくれるように願っているのです。



人は失敗を重ねながら成長するもの。

何事も最初から上手く出来る人なんてどこにもいません。


たかが100年にも満たない我々の人生で、失敗を理由に天国行きを拒否する、そんな心の狭い神さまがいるはずありませんよ。

神は必ず誰にでも平等に敗者復活戦のチャンスを与えているはずと、私は思いますけどね。




追伸:
そそのかされてりんごを食べたのは女だったという点が、昔からどうも腑に落ちませんでした。

アダムの肋骨からイブが生まれたという点もそうですよね。

男と女のあいだに最初っから格差があったなんて・・・

どこか意図的なものを感じてしまいますね。


エルサレムのカフェあたりで、女の私が、創世記片手にりんごの丸かじりをしてたら、聖職者達はどのようなリアクションをするのでしょうか?

既にどなたかチャレンジしてるのでしょうか?

興味のつきない課題であります。




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by viva1213yumiko | 2012-11-02 10:18 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)