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カオス君GO-GO!

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後戻りの出来ない決定的な状態に進む時、よく「ルビコン川を渡る」という言い方をします。

紀元前49年、元老院と対立していたカエサルは、国境線のルビコン川からローマ領内に入る事を固く禁じられていました。

しかしカエサルは「賽は投げられた」と決心を告げ、ガリアから引き連れた軍団と共に川を渡って行ったのです。

それをきっかけに内戦に勝利し、共和国政府を中央集権制に変えるなど広範囲な改革に着手し、帝政ローマの下地を作ったのだそうです。


ルビコン川を渡る。

世界中で様々なシステムが「ルビコン川を渡りつつある」ように思えます。

政治・経済・教育・思想・環境・文化・科学技術・家庭生活

今まで安定していたシステムがガラガラと崩壊し、何でもありの混乱期へと突入しているように思えるのです。

今や世界は「濃厚なカオスのスープに地球儀もろともダイブした」ような、そんな状況です。

ついに我々は<カオスポイント>を超えてしまったのだろうか?

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<カオスポイント>とは。それまでの安定したシステムでのゆらぎ(不合理な部分・矛盾点)が最大限となり、もはや元の状態には戻れない地点にまで達した事を示す概念で、アーヴィン・ラズロ氏の著作で有名です。

例えば牛乳を温める時の事を考えてみて下さい。

注意深く弱火で温めてるにも関わらず、ある限界値を超えるとミルクはいきなり吹きこぼれ出しますよね。

私もいつも慌てて火を止める事となります。

そして気づくとミルクのたんぱく質は凝固し膜を張っている。

牛乳は化学反応を起こし、別のものに変容するのです。

この吹きこぼれる直前の状態、牛乳がバアーッと盛り上がる瞬間を<カオスポイント>と考えると分かりやすいでしょう。

新しい何かが始まる前の、混乱の予兆みたいなものと思って頂きたい。

それまで安定していたシステムが保持の限界を超えた時、形態は突然思いもしない反応を起こすのです。

優しく穏やかなミルクでさえ、沸騰に向かって一挙に突き進んで行く。

牛乳は牛乳なりのルビコン川を超えるのです。


<カオスポイント>を超えるという事は、もうそれ以前の状態には戻れないって事を意味するんですね。

ひとつの国家が全体主義・独裁主義に向かう過程も、これとそっくりのプロセスを踏むのだそうです。

それまで右に左にと揺れてた振り子が、ある地点を境にピタリと動きが止まる。

そこからは集合的な渦に飲み込まれ、流れは一気に変わってしまうと言います。

ヒットラーなどは、そういう社会的心理構造を良く心得ていたらしい。

これは相当に恐ろしい事ですよねぇ~

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この世のあらゆる存在は、すべて進化を運命づけられています。

生物にしろ無生物にしろ、すべてのものは<創造→保存→崩壊>という一連の法則に従わざるを得ません。

形のない世界から形あるものが生まれ、ある一定の時を経るとまた無形の世界へと戻って行く。

歴史とは永遠にそれの繰り返しです。

もっと平たく言ってしまえば、すべての物事は<安定した構造を守ろうとする勢力>と<新しいシステムに移行しようとする勢力>との攻防なんですね。

惑星のレベルから、国家間のレベル、人の魂のレベル、細胞レベルまで・・・

階層は違えど、皆似たような構造なんだそうです。


だから現在世界に起こってる混乱は、ある意味避けられないものなのかも知れません。

なぜなら我々人類は今、次の文明のステージに進めるかどうかという微妙な場所にいるからです。

今、地球そのものが催眠術から醒めようとしている。

そして新しい文明に移行するための、産みの苦しみのちょうど真っ最中。

そういった意味では<カオスポイント>とは、<陣痛ポイント>と言っても良いのかも知れませんね。(笑)

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揺れ動く混迷の時代。

ほんのちょっとした事がきっかけで予期せぬ大変動が起こる可能性があります。

一歩間違えれば文明の崩壊、ガイアシステムの崩壊が待っている。

崩壊か?再生か?

この行きつ戻りつの価値観のゆらぎの荒波を、我々はどのように乗り越えて行けば良いのでしょうか?

このような嵐の中、有能な船長ならどう判断し航海を続けるのでしょう?


そのためにはあまりシリアスになってはいけません。

人はシリアスになった時、決して良いアイディアなど浮かばないからです。

ここは落ち着いてひとまず深呼吸など繰り返しましょう。

そして腹をくくってカオスを楽しむ心構えを始めるのです。(笑)


そうねぇ〜

例えばこの一連の人類進化の流れを、お祭り騒ぎのように楽しんでしまうっていうのはどうでしょう。

人類進化のためのフェスティバルだから、つまり<進化フェス>って事だわね。

<進化フェス>なのだから、まずはそれぞれお祭り装束に着替えましょうか。

フェスティバルの踊りや音楽が、連日連夜奏でられる事でしょう。

提灯や横断幕がいたるところに飾られ、街は華やかな雰囲気に包まれる。

人形や花を飾った山車が盛大に練り歩き、紙吹雪が舞う。

市町村からはお祝いの供物や酒が配られ、特別な祝祭ムードが漂う。


そうそう、<進化フェス>のマスコットキャラクターも欲しいとこよね。

未来のため、子供たちのためにも、人気No.1のゆるキャラが必要です。

公募グランプリにより、無名デザイナーの制作したキャラクターを採用。

もちろんニックネームも公募で決まった。

その名も<カオス君>だ。
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<カオス君>には危機の時代を乗り越え、人々に笑顔と勇気を与える特別な使命がある。

だから当然、あちこちで引っ張りだこだ。

人々はカオス君のユーモアに触れて「なんとかなるさ」と考え出す。

ゆるキャラの温もりに人々は心癒される。

カオス君の笑顔につられて子供たちは笑う。

子供たちのはしゃぎ声はどこまでも空に広がる。


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思えば世界の混乱とは、危機点であると同時に最大のチャンスポイントでもあります。

システムの構成員である我々は、孤立しバラバラに存在しているという訳じゃなく、互いに関連し影響を及ぼし合っています。

ってことは意識を少し変えるだけで、大きな可能性が生まれるはずですよね。


ホーリズム(全体性)を思い出してみましょう。

地球全体の利益を考え、日々の生活でより良い選択をする事が大切です。

個人の小さな選択が、世界が正しい方向に向かうか否かの瀬戸際にあります。

小さなゆらぎが大きな影響力を持つ。

だから我々は意識的な選択をしなければならないのです。

私たちのほんのちょっとした発言や勇気ある行動が、予期せぬ大変動を起こす可能性を秘めています。

だから地球のためにも、私たちの意識の変革が必要なんですね。




おまけ:
   <カオス君>ゆるキャラグランプリ受賞 

   オリジナルグッズ爆発的人気に

   イメージソングヒットチャート急上昇

   カラオケで歌いたい歌ランキング第1位

   「カオス君GO-GO!」




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by viva1213yumiko | 2015-09-30 11:59 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

<嫌韓病>の処方せん

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日本と韓国の関係が危うい状況です。

両国首脳が関係改善に向けて動こうにも、一向に良い方向には進んでいません。

双方ともに政治家は票稼ぎのため、メデイアは売り上げのために、敵という存在が必要なのでしょう。

今こそ指導者の質が問われる時だというのに「何だか大人げないなぁ~」と思っているのは私だけなのでしょうか?


この隣国との根深い問題は、今に始まった事ではありません。

いつだったか、サッカーの日韓親善試合を観に行った時の事。

その日はなぜか韓国サポーターの近くに座る事となってしまい、ハンパない応援の熱気を肌身で感じてました。

後半戦、試合が佳境に入るとヒートアップして過激な野次が飛ぶのですが、その中に「秀吉朝鮮派兵の恨み!今こそ晴らせぇ~っ!」なんて叫んでる人がいるのです。

秀吉の朝鮮出兵って・・・

400年位前の話しだったっけ?

その時私は妙にウケ、思わず笑っちゃったのですが、本人はまんざらジョークでもないようなのです。

400年以上も前の秀吉の愚行が隣国人の精神に深く刻印され、スポーツ試合を通じて昇華のチャンスを待ち望むとは・・・

目に見えない精神の世界の奥深さ、根深さ、執拗さ、恐ろしさを思い知らされました。
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隣国とのお付き合いというものは、距離が近いだけに欠点も良く見えて、それだけ憎しみも大きく積もり易いものです。

関東大震災の時の朝鮮人暴動デマの虐殺事件や、第二次大戦前の日韓併合の時の恨み。

歴史を通じて繰り返される誤解と偏見の連鎖が、ワインの澱のように、国家というビンの底に沈み込んでいます。

どれだけ時間が経過しても、澱は底に沈んでいるだけなので、ビンを揺さぶればいつでも浮上して来てしまいます。

2002年のW杯日韓合同開催を皮切りに、その後の韓流ブームでお隣韓国に対する好感度が上がってたはずなのに、ここに来て歴史に埋もれた根深い問題が再燃しています。

韓流ドラマにハマったり、韓国エステツアーに参加してたご婦人方も、手のひら返したように<嫌韓>に流れてしまい、韓国や在日の人々をこき下ろし始めました。

新大久保のコリアタウンではヘイトスピーチデモが行われています。

愛国主義者たちがネットで煽るのを鵜呑みにし、若者から年配層まであらゆる世代の人が、聞くに堪えないような汚い言葉を浴びせながらコリアタウンを練り歩いています。

しかもヘイトスピーチを軽やかなリズムに乗せて、まるで差別を楽しんでいる風なのです。

いわゆる排外思想の差別デモですね。

ほんのちょっと前まで韓流ブーム目当てのお客さんで賑わっていたコリアタウンも様子が一変。

この事態に恐れを成して店を閉店した韓国人経営者もいると聞きます。

弱いものイジメの構造そのまんまで何だかいやらしいですねぇ。


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子供の頃お隣に住んでたリーさんは、とても義理固い方でした。

帰国の時のお土産にと、よく朝鮮人参のエキスを頂いたものです。

「これってとっても高級なものなのよ!」

桐箱入りの朝鮮人参に母は大喜びして、得意満面で教えてくれました。

だからという訳ではありませんが、私は個人的に韓国人に対して良いイメージを持っているのです。

好き嫌いは別として、詰めかけた千人以上の観客一人一人と笑顔で握手し、「オモニ、愛シテマシュ」と年配女性を感激させる韓流スターには、プロフェッショナルなサービス精神を感じて頭が下がります。

だからヘイトスピーチデモのニュースを聞くと、哀しくなってしまうのです。


私は日本の国と文化を愛するごく平凡な日本人です。

そしてごく普通の平和主義者で、戦争を嫌う者であります。

政府には国交を有利に進めたいという、政府なりの思惑というものがあるのでしょう。

しかし国家に対する正統な異議申し立てと、在日韓国人、朝鮮人への悪質な民族差別とは別物。

そこら辺きっちりと区別すべきじゃないかと強く思うのです。


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[汝の隣人を愛せよ]

イエス・キリストはいみじくも言ってます。

私たちが互いに愛し合ってさえいれば世界は何の争いもなくなるはずです。

我々が愛し合ってないから争いが起こるのでしょう。

韓国や在日の人々をこきおろさないと、自分自身の愛国精神を表現出来ないとしたらとても哀しいことですね。





私たちは皆ひとつのエネルギーである。

私たちを隔てる境界線は幻影であり、私たちの間の紛争は我々の内面の紛争や幻影である。

外面の争いは内面の争いの表出である。   

                        デービッド・アイク




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by viva1213yumiko | 2014-04-02 16:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

月の裏事情

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かぐや姫が月へと帰って行ったのは平安時代のお話し。

それからずっと我々は、宇宙への船出や異星人との交流を夢に描いて来ました。

1960年代のアポロ計画で人間は月に降り立つ事が出来たというのに、その計画はアポロ17号を最後に終止符を打ってしまいました。

それから40年余りが経ちます。

しかし21世紀になっても人類は火星へ行くどころか、スペースシャトルや宇宙ステーションが地球軌道を周回するのがせいぜいといった状況が続いています。

今の技術なら月へ行くぐらい簡単なのでしょうに、それをしないのはなぜか?

もちろん政治的・経済的問題もあるのでしょう。

しかし、月に行かない本当の理由は「実は月がUFOの前哨基地になっていて容易には足を踏み込めないからだ」と言うまことしやかな噂があります。

さらに「月はテレパシーに満ちていて、近づくと精神に異常をきたしてしまうから危険なのだ」という説さえ・・・

果たして月とは<惑星ソラリス>みたいな場所なのでしょうか?

興味の尽きない話しであります。


実は地球から月の裏側は見えません。

月はいつも地球に片面しか見せずに自転しているからであり、月の裏側を見たければ宇宙船を飛ばすしかないのだそうです。

一体全体、月の裏側はどうなっているのでしょうか?

最近では月の周回衛星が活躍し始め、月の裏側の写真を撮る事が出来るようになりました。

すると・・・あら素敵!

月の裏側に宇宙人の存在を思わせる奇妙な構造物が写っちゃったりして、胸踊らされる光景が広がっていたのでした。


「NASAは数十年に渡り、宇宙の写真に修正を加え続けて来た」

以前からそういう噂が囁かれていました。

アポロ計画終了時点までにストックされていた14万枚の写真や映像の内、NASAが公開したのはたったの5千枚。

わずか3.5%に過ぎないと言われます。

しかも発表されたのは修正済みの物も多く、異星人に関する事は全て無視、あるいは隠蔽する傾向にあります。

けれど最近の内部告発によって、当時の隠蔽写真が少しずつ明るみにされているみたいなのです。

嘘かホントかは全く分からないけど、なかなか楽しいので少しだけ紹介しておきましょう。


その1. アポロ15号撮影の宇宙船らしき物体
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その2. アポロ20号撮影の同上の宇宙船アップ
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その3. アポロ20号撮影 月の裏の古代都市
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その4. 日本の周回衛星かぐや撮影 月の裏側<モスクワの海>の横に人口都市構造物と思われるもの
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これって本物?

愉快犯か何かの仕業じゃないの?

アポロ20号?

本当に飛んだんでしょうかねぇ〜?


しかしまぁ、いずれにしても面白いですよね。

月の裏側にこんな大規模な古代都市があったのなら、もっともっとたくさんのかぐや姫たちが地球を訪れていると考えて間違いありませんよね。

ただ単に、我々が鈍くて気付かないだけなのかも知れません。

もう一度周囲を見回して、かぐや姫を探せ!

近くに竹やぶがある人は、今すぐ竹やぶへGO!


人類は太古の昔から、より進んだ文明を持つ人種に出会った為に滅亡した民族がたくさんあります。

今の地球人が異星人と接触する事は、人類の存続にとってプラスとなるか、マイナスとなるのか?

可能な限り長生きして、この目で確かめたいと思う私なのです。


おまけ:その他にこんな写真もありマス
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by viva1213yumiko | 2013-12-20 13:31 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

亀卜(きぼく)

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平安時代の日本には、陰陽師の阿部晴明みたいな人たちが占った占いより、さらに一段尊い占いがあったのだそうです。

晴明の占いとその占いとどっちを取るかというと、天皇は「こっちを取る」と決まりになっていた占術。

それが亀卜(きぼく)なのです。


実はこれ、今でもちゃんと現存する占いで、平成天皇が即位した時にも亀卜をしたという噂があるんですよね。

いにしえより国家の重大事には必ず用いられた、由緒正しい占いが密かに残っていたなんて・・・

占い好きには興味深いお話しであります。


中国伝来の亀甲占いは、すでに弥生時代あたりには朝鮮を経て日本に伝わっていたようで、占いの痕跡が遺跡から数多く発見されています。

古代人にとって亀は、龍や虎、鳳凰と共に霊獣として崇められ、焼いた亀の甲羅に天意があらわれると考えられていたようです。

だから亀卜とは、神のお告げを伺う宗教的な祭儀であって、「いい加減な気持ちでこれをやると罰が当たるぞ」といった類いのものなのです。
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我が国で盛んに行われるようになったのは6〜7世紀頃。

奈良時代から平安時代には、亀卜は宮中で盛んに行われるようになりました。

実はこの亀卜、とても格式の高い占術で、それ以降しばらくは日本で相当強い力を保持していたようなのです。


当時の律令制には、神祇官と陰陽寮という専門部署が設けられていました。

神祇官は宮廷祭祇や神事を、陰陽寮は陰陽道、天文・暦などを、それぞれ専門に司っていたのです。

占法も神祇官は亀卜、陰陽寮は易筮と六壬式占(りくじんちょくせん)を用いていて、両者に重なり合う部分はなかった。

担当省庁がしっかり分かれていたって事ですね。


宮廷祭祇担当の神祇官として、卜部(うらべ)と言われる専属占い師が20人ほど置かれ、亀卜をしていたんだそうです。

ちなみに陰陽寮の管轄は、陰陽五行説や天体の運行、暦の解釈を担当する立派な学問集団で、現代の文部科学省みたいな感じです。

いずれにしても占い師を高級官僚として登用し、重要な省庁として公に位置づけていたのだから、日本もなかなか粋な国家でした。


卜部(うらべ)はウミガメの産地である対馬と壱岐、伊豆の三ヶ所に配置され、天皇の即位や病気に関する事とか、政治・経済含め国家の行く末を導いていたという。

しかしその技法は、あくまでも秘事、口伝なので、全容は明らかにされていないのです。

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卜部たちは卜庭神(うらにわのかみ)を迎えて卜問い(うらどい)するのだが、その前に七日間の斎忌(さいき)に服さねばならない。

その後、祭壇の前で祝詞を唱え木製の棒を焼き、あらかじめ切れ込みをいれておいた亀の甲羅に押し付ける。

するとその熱で甲羅にヒビが入る。

このヒビ割れの形で吉凶を占う。 

といったもののようなのです。


神事に関する占いも多く、大嘗祭や斎宮祭の時、その時期や人選、天候などを占って来たらしい。

神のご託宣を仰ぐ、立派な宗教儀式だったみたいです。

もっとも記録にはその多くが「吉」と記されているという事なので、あくまでも形式的な儀式だった可能性もあります。

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今も皇室の神道行事には、一般国民が知るよしもない複雑なものがたくさんあって、皇族方は日々大変な努力を重ねられていると聞きます。

もしかしたら夜中の奥の院に身分の高い方々が集まって、密かに亀の甲羅を焼いて国勢を案じてる、なんて話しもあり得なくないかも知れないですよねぇ。

メガロポリス東京のど真ん中で、古代からの儀式が続いているとしたら・・・

想像してみると、かなりシュールな光景です。


卜部(うらべ)の亀卜(きぼく)。

いっそインターネットか何かで中継してくれるといいなぁ〜、なんて思っています。



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追伸
下関には亀山八幡宮の名にちなみ、縁起をかついだ<亀の甲羅せんべい>なるものがあるという。

甲羅模様のこのせんべいをかじって、その割れ目によって吉凶を占うってのはどうでしょう?

きっと亀卜の基礎トレーニングになるんじゃないかしら?




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by viva1213yumiko | 2013-09-28 21:38 | 人生・霊性 | Comments(0)

ちゃぶ台と親父

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先日、粗大ごみの収集で昔懐かしいちゃぶ台を見かけ、何だかやけに感激してしまいました。

ちゃぶ台・・・

嘘みたいにコンパクトでちっぽけな、折りたたみテーブルの事です。


言葉遣いやら食事の作法やら、今よりもずっとずっとしつけに厳しかった時代。

どこの子だくさんの家庭でも、このちっぽけな丸い食卓で、肩を寄せ合うように食事していました。

喧嘩したり、宿題したり、ジャレ合ったり・・・

あらゆる家族の営みのを、ちゃぶ台は静かに見守ってまいりました。

裸電球の下でじっと裁縫する母、じっと晩酌する父も、ちゃぶ台はすべてお見通しだったのだと思うと、何かちょっとぐっと来るものがあります。


ちゃぶ台は明治時代の終わり頃から、一家団欒の風景の中に現われて来たと言われます。

それ以前は、江戸時代から続いた銘々膳での食事が主流でした。

庶民の生活でも武家の身分制度をならい、家長から順に上座から下座へ正座して並び、作法も厳しく、会話も禁じられ、食事は一家団欒というより家の秩序を示す場、しつけの場であったようです。

しかし時代が下り西洋文化の浸透によって、日本人も同一食卓を囲むように変わったのだそうです。

「家族の食事は、同時に同一食卓で皆同一のものを食さねばならない」といったデモクラシーの風潮が生まれて来たからです。

ひとつの食卓を皆んなで囲む西洋文化と、座って食べるという日本文化の混合が和洋折衷のちゃぶ台を生み出しました。

家族皆んなで楽しく会話しながら食事する、明るいお茶の間のイメージはここから生まれたのです。

一家団欒の民主主義は、<茶の間・茶箪笥・ちゃぶ台>の3点セットで完成したというあんばいです。
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サザエさんでもちびまる子ちゃんでも、家族のコミュニケーションといえば食卓のシーン。

小津映画や寅さんシリーズでも、家族は必ずちゃぶ台を囲みます。

そして泣いたり、笑ったり、すねてみたり・・・

ちゃぶ台のある風景って、日本の家族の原風景ですよね。

私自身もかなり小さい頃、ちゃぶ台でご飯を食べてた記憶があります。

丸いちゃぶ台には人間の上下関係が比較的少ないし、急な訪問客が増えても詰めればすぐ食卓に入れるフレキシブルさがあります。

狭い家でも、パタンと足を折り畳めばすぐに布団を敷くことが出来て、日本的で良く出来た家具でした。


そして何より大きいのは、家族皆んなが畳に座り、低い目線で向き合えるってこと。

ダイニングテーブルとは違った不思議な空気感を生み出すんですよね。

「腰を落ち着けて、腹を割って話そう」なんて言ったりしますが、じっくりと相手と対話したい時、床に座るってのはいいみたいですね。

ちゃぶ台でご飯を食べると距離が近いので、家族の様子が手に取るように分かってしまうのも面白いところです。

言葉にするよりも早く相手のことが良く分かり、人との間に読み取るべき空気を素早く察知する能力に長けて来ます。

昨今のように互いにモバイルいじりながらご飯してたら、なかなか身につかない能力ですよね。

だから時には、「あ~あ、今日のお父さんは何だか機嫌が悪いなぁ~。イチャモン出る前に早いとこ食べちゃっとこうっと」ってことにもなるんですね。

茶の間ってコミュニケーション距離が近くて、しかも濃厚にクロスする場じゃないですか・・・

そのせいか普段無口な親父さんが、何かの加減で急に怒り出すのも、それは必ずやちゃぶ台の辺りです。

星一徹といい寺内貫太郎といい、頑固親父との口論は最後に必ずちゃぶ台がひっくり返され、ある種のカタルシスで幕を閉じるのです。
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家で一番威張っている寡黙で不器用な親父像は、何よりもこのシーンに象徴されていますよね。

<ちゃぶ台と親父>は日本人のDNAに刷り込まれた、れっきとした記号です。

実は本当はとっても気の弱い親父族は、ちゃぶ台をひっくり返すことによって威厳を保ち、きっとバランスを取っていたのでしょう。

それだけに父親の悲哀って奴を、家族の誰より察知してたのは、この小さなちゃぶ台そのものだったのかも知れませんね。


今や時代はすっかり変わり、この手の大袈裟で滑稽な家族劇さえ、ささやかな幸福の夢の象徴みたいに人々の記憶に生きているだけです。

ちゃぶ台は、過ぎ去った時代を懐かしむ<郷愁のオマージュ>となってしまったのです。




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by viva1213yumiko | 2013-09-04 21:58 | 衣・食・住 | Comments(0)

シベリアはどこにある?

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宮崎駿の新作<風立ちぬ>は、ゼロ戦の設計者、堀越二郎の30年間を描いた大河ドラマです。

大人の観賞に耐えうる<しみる>映画で、さすがに良く出来ておりました。

時代考証がまた秀逸なんですよね。

明治・大正・昭和と、急速に近代化する日本を丁寧に描写していて、映画の中で時代の移り変わりが良く出ています。

観客は皆その時代に生きてたわけでもないのに、その風俗その空気感に胸がキュンと高なり、切なくなってしまうのです。
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関東大震災のシーンも迫力がありました。

まるで3.11を追体験するかのような臨場感で、ちょっと緊張してしまいます。

関東大震災から第二次世界大戦に向かって、どんどん世の中が暗く、重苦しくなって行く昭和初期。

作者がこの現代にだぶらせて作品を創作しているであろう事が、容易に想像されます。


そして主人公二郎の恋。

高原のサナトリウムから抜け出して結ばれる二人。 そしてその別れ・・・

純粋無垢な王道恋愛100%で、またまた胸キュンキュンです。
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全編宮崎駿の好きな、飛行機・建物・風景・乗り物・嗜好品に溢れていて、ジブリファンでなくても思わずニンマリしてしまいます。


この映画の魅力は色々な角度から語ることが出来るのですが、個人的に最も印象深かったのは<シベリア>でした。

欧米列強に追いつこうと急速な近代化を進める日本。

その歪みが人々に波及する様を、物語は<シベリア>ケーキで表現しています。

親の帰りを電柱の下で待つ幼い兄弟姉妹。

ひもじい彼らに主人公はお菓子を施すが、拒否されるというあのシーンです。

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羊羹をカステラでサンドイッチにした、<シベリア>という名のお菓子。

あれ、懐かしいですねぇ~

子供の頃、近所のパン屋さんに売ってたのを思い出してしまいましたよ。

なんでも<シベリア>は、大正から昭和の頃の大ヒット菓子として有名で、私の子供の頃にもまだその名残が残っていたのか、場末のパン屋さんには必ずやひっそりと静かに存在してたのです。

とはいえ、もう既に子供たちにはショートケーキやシュークリームが主流で、羊羹を挟んだカステラなんてどう転んでも地味すぎます。

あくまでも<年寄り好みのお菓子>というポジションに甘んじてました。

夕方の商店街、パン屋のショウケースに売れ残り、乾燥しかけた<シベリア>だけが行儀良く並んでいた光景が思い出されます。

昭和初期には子供たちの食べたい物ナンバーワンだったという<シベリア>ケーキですが、平成の今では絶滅の危機に瀕する幻のレトロ菓子なのであります。
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シベリアの永久凍土の地層を思い起こさせる、この<シベリア>ケーキ。

それが映画のヒットと共に今、<シベリア>復刻のムーブメントが起こりつつあるみたいなんです。

ネットでは「ここでシベリアを買える!」みたいなサイトがあって、古くて小さな昭和レトロのパン屋さん情報が飛び交っているし、また某大手コンビニでも売り出しを始めたとか・・・

お菓子の世界の絶滅危惧種も、一発逆転、起死回生のチャンスが訪れたようなのです。

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[生きねば]  これは映画<風立ちぬ>のコピーです。

「たとえどんな時代でも力を尽くして生きることが必要なのです」という監督の思いが強くこもっていますよね。

まるでその思いに応えるかのように今、<シベリア>は甦って参りました。

皆さんも<シベリア>に負けぬよう、この時代、力を尽くして生きましょうぞ!



追伸
近隣のパン屋3件、スーパー5件、コンビニ3件を回り、やっと発見した<三角シベリア>がこれ。
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残念ながら食品メーカーの大量生産品で、イメージとはかなり違っていた。

探せば探すほど徐々に思いが募り、<シベリア>を美化しすぎた私。

結局ただ甘いだけで、美味しいのか美味しくないのか全く分からなかった事が残念である。




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by viva1213yumiko | 2013-08-11 22:53 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

ようこそお師匠さん

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「最近のブログ、江戸にハマってますねぇ〜 一体どして? なぜ江戸時代?」

<CAFE VELOCE>で友人とお喋りしていて、ふいにそう訊ねられたのです。

「う〜ん・・・」

私は答えに迷ってしまいました。

確かに最近、当ブログで江戸時代の面白さについて紹介している。

ちょっとしたマイブームであります。

資料調べをし、しばらく江戸の事ばかり考えていたので、何だか言葉遣いもヘンになってしまいました。

「あいよ」とか、「よござんす」とか、ついつい相づち打ってしまうのです。

「湯〜でもつかって、さっぱりしやしょう」とか、「茶〜でも入れておくんなさいな」とか、うっかり家族に使ってしまうのだが、この手のセリフはあくまでも一回止まりね。

シチュエーション次第では相手を怒らせる事にもなるんだと、どうやらぼんやり分かって参りました。

時代劇言語も十分注意が必要です。


それにしても、どうしてだろう。

どうしてこんなに江戸が気になるんだろう。

自分でもよく理解出来ずにいたんです。


しかしこの日、この<ベローチェ>という店の名が呼び水となり、霊言現象が起きたのか、私の舌ベロは滑らかに動き始めてしまったのです。

なんと私のベローチェは、友人にこんな物語を語り始めたのであります。


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   当時私は、深川辺りの掘り割り沿いの一軒家に住んでてね。 

   板塀越しに柳が見える家なのよ。

   私はいわゆる<旦那>と呼ばれるひとの女でね。 

   ちょいとお世話になってるんです。

   だけど自分の仕事は持っててね。 

   常磐津なんか教えてる。

   出稽古のない日だけだけど、すこ〜しお弟子も取ってます。

   だから長屋のお駒ちゃんに小遣い渡して、いつも息子預かって貰ってる。

   なんだかんだ言いながら<旦那>が来るって日は、やっぱり嬉しくって、   いそいそしちゃってさ。

   あの人の好きな肴、朝から用意しちゃうんです。

   酔うとあの人「一節やってくれ」って必ず言うの。

   「商売でもないのに何さ!」って思うんだけど、これも惚れた弱味でね。

   常磐津節が終わる頃にゃ、きっと寝ちまってるに違いないのにねぇ〜


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こんな江戸人情話しが口から飛び出して来て、何ともビックリ仰天です。

まるでお江戸を見て来たみたいに、物語がそこに息づいてるじゃありませんか。

あれ〜っ? 

これって昔見た時代劇のワンシーンかな?

それとも何かの時代小説だったかしら?

う〜ん、どうにも覚えがないなぁ〜

この常磐津のお師匠さんって一体ナニ者なんでしょか?

妙に懐かしい感じもするけど、ご先祖さん?

あるいはもしかして、これは私の過去世でしょうか?

だから江戸時代が気になってたの?

過去世にしても私、三味線触った事もありませんが・・・

大体あなた、常磐津って長唄とどう違うのよ。



妄想の中のお師匠さんは、ちょっと小粋な<色女>でした。

正々堂々、お妾稼業を生きてます。

こっちの世界は平成の御代。 

二千と飛んで十三年。

お師匠さんのスピリッツは、何かの弾みで波動共鳴したんでしょうか?

私の中でやけにイキイキしてるんです。


お師匠さん、私に何か言いたい事でもあるんですかい?

それならどうぞ、言っておくんなさい。

私で良けりゃあ代弁しますよ。

ようこそお師匠さん。

あんたの話しを、もっと詳しく聞かせて下さいましな。




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by viva1213yumiko | 2013-06-30 23:03 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

手練手管

遊女がらみの話しをもうひとつ。

遊女たちは商売のために、男との関係を繋ぎ止める必要がある訳ですが、そのために客あしらいのテクニックを持っていました。

それは、遊女たちが「あんたをこんなに思ってますよ」「私の心の内をお見せしますよ」と、誓いを立てて見せつけた、巧妙な手練手管だったのです。

杉浦日向子さんによると、その方法には次のようなものがあったのだそうです。
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   1. 起請誓紙(きしょうせいし)

   2. 放爪(ほうそう)

   3. 入れ黒子(いれぼくろ)

   4. 貫肉(かんにく)

   5. 指切り

   6. 髪切り


1.の<起請誓紙>とは、誓いの言葉を紙に書き、神社に奉納する事ですね。

「私とあなたは決して切れません。二世を誓った仲でござんす」みたいな事をしたためて、ちょいと指を切り血判を押すのです。

同じ物を三枚書いて、一枚は男に、一枚は自分で、そしてもう一枚は神社に奉納すると言います。

神仏がらみの行為なので滅多な気持ちでやってはならないのですが、なぜか神仏がお許し下さる誓いの人数というのがあって、なんと熊野権現では25人まで<起請誓紙>が通用したんだそうです。 笑っちゃいますよね。

2.の<放爪>は、遊女が自分の爪を剥がして小さな桐の箱に入れ、「ほら、これがあたいの心だよ」と言って客に渡す方法。

お付きのかむろに爪を伸ばさせて、魚の血などを付けて、偽物を渡したりしてたそうですよ。

3.は<入れ黒子> これは<○○様命>と客の名前を二の腕に彫る事です。

けれど実際には彫り物じゃなく、油性の墨で描いておいて、暗い行灯の明かりの下で「ほらっ」って見せるのだそうです。

4.の<貫肉>は小さな小刀を振りかざし、お客の前で自分の太ももをザクッと刺す。

「あんたの事をこんだけ思ってるんだよ」って見せつける訳ですが、芝居用の血糊が仕込まれた小刀を使って演じて見せたとも言われます。

<指切り>とは字の通り、小指の第一関節のところにカミソリを当ててガツンと切り落し、桐の小箱で思う男に送りつける荒技。

<髪切り>とは、女の命である髪を目の前で切ってみせて、誠を誓うパフォーマンスですね。

吉原の中には専門の職人の住んでるエリアがあって、そういったパフォーマンス用の小道具を職人に依頼出来たと言います。

小指も髪も作り物で代用するのです。

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このように全てが嘘、虚構の世界なのですが、これらが顧客に対する出血サービスとなっており、特別パフォーマンスの意味を持っているのです。

だから客はそれを喜んで受け入れなければなりません。

そして遊女たちから<色恋>の仕方を学んで、<粋>な色男を目指したのです。


しかし、実際一番遊女にモテたのは、<粋>なひとでも<通>な人でもなかったと言うから皮肉な話しですよね。

特別どうって事もない、誠実な真人間が、遊女の心を最も捉えたんだそうです。

「遊女の深情け」って奴でしょうか・・・


なので、<通>だ、<粋>だ、と一生懸命努力しても、所詮は無駄な事なんですが、この無駄なところにエネルギーを傾ける馬鹿馬鹿しさこそが、江戸の文化そのものだと言えるんですね。

無駄を面白がるゆとりが、江戸時代の太平を支えていたのだと思います。




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by viva1213yumiko | 2013-06-28 22:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸ファッション・上方ファッション

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ファッション雑誌の特集に、<都市別ストリートファッション・スナップ>ってありますよね。

街行く人のファッションで、各都市ごとの流行りの傾向がチェック出来るやつ。

あれ、結構好きなんですよね。

昨今はどこの国でもファッションの流行は似たり寄ったりですが、それでもやはり、なんとなくお国柄が出てしまうのが楽しいんです。

パリとミラノとロンドンとでは、小物使いの傾向も、色の組み合わせ方にも、微妙な違いがあるものです。

それは東京ファッションと関西ファッションでも同じで、えも言われぬ微妙なセンスに違いが現われるみたいですね。


江戸時代には、そのセンスの差がかなりはっきりしていて、江戸っ子が京へ旅すれば「あいつは関東もんだ」ってすぐに分かっちゃうほど、明確に違っていたのだそうです。

例えば着こなしに関して言えば、上方ではきっちりと着付けたのに対し、江戸ではだらしな~い着こなしだったと言います。

江戸は着物の打ち合わせがとても浅くて、走ったりすればすぐに裾が割れてしまいました。

しかも、若い女でも懐に手を入れたり男前な仕草をしたので、胸の辺りがダラ~ンとはだけてしまうのです。
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確かに浮世絵の美人画を見ても、着物の胸元や裾周りがやたらとずるずるしているし、足が腿の辺りまでむき出し状態なのが多いのですよね。

腿の隙間の辺りを評して、「小股の切れ上がったいい女」なんて言う褒め言葉もあります。


着物の色の好みも全然違い、上方は奇麗な色を好んで着ていました。

しかしお江戸では渋めの色と柄が選ばれました。

「赤ぬける」と言葉にあるくらい、女らしい赤い色を身に付けなくても、色気があるのが「粋」だった。

「あか抜ける」とは「体を磨き込んで垢を取る」以外にも「赤なしで勝負する」の意味があったようで、「赤い色なんかに頼りゃしないよ」と言う意地っ張りの江戸っ子気質を表しています。

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その分赤い色は、女にとってここぞという時に決める勝負色だったようで、赤い紅・赤い下着・赤いかんざし・赤い半襟なんかを黒っぽい着物の差し色として使ってチラ見せ効果で勝負したのです。

ちなみに男の決め色は紫と決まっていて、紫の襟をチラッと見せて女に思いを伝えたんだそうですよ。


化粧についても、上方文化だと女に生まれたからにはフルメークがこそが身だしなみ。

しかし江戸では、スッピンの素肌に紅だけというポイントメークが好まれたのだから、ずいぶんと違うものです。

髪型も奇麗に結い上げるのが上方風で、江戸では湯上がりの洗い髪が一番「粋」とされた。

「湿った髪を背中に垂らし、櫛を横に刺した湯上がり女」なんてのが最高に色っぽかったのです。

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総じて、奇麗なものをどんどん加えて豪華絢爛にして行く、足し算のファッションが上方風と言えるんじゃないでしょうか。

都の歴史が長いので、マニュアルにのっとった花鳥風月の雅を「風流」としたのです。

しかしお江戸では過剰ファッションは嫌われる。

何かを省略した引き算ファッションで、色も少なめ、格子や縞柄のシンプルな幾何学模様などが好まれました。

遠目からはっきりと目立つものはカッコ悪く、一見普通だが近寄ると凝った良い素材を使ってる、なんていうのが良しとされたのです。


こうして比べてみると、上方と江戸では随分美意識が違うものですね。

私思うに、上方の華やかなファッションは、ゴージャスで派手好きなイタリアファッションに似てるのかも知れません。

そして「粋」を重んじる江戸のお洒落は、シックでさり気ないパリ風ファッションってところですかね。

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江戸時代は役者や花魁がファッションリーダーだったので、女たちは吉原や島原の花魁の浮世絵を眺めては、都と江戸の最先端ファッションを比べて楽しんだに違いありません。

それは江戸時代の<都市別ファッション比較>でもあったと思います。

昔も今も、女が好きなものは似たり寄ったりって事なんですよね。




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by viva1213yumiko | 2013-06-14 14:19 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸の「粋人」

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江戸時代は「粋」という価値観が最も大切にされていました。

しかしこの「粋」っていう概念、現代人にはイマイチ分かりにくいんですよね。

「粋」っていうのはシックと言うんじゃなく、エレガントとも違い、なにか余裕があるんだけど下品と紙一重のあたりにあるような、微妙なかっこ良さの事を指すのです。


江戸の「粋人」を目指すには、まず「通人」となって、色々なウンチクを知らなければなりません。

「通人」への入門書、<洒落本>なんかを読んで、「通」の旦那を目指したいものです。

<洒落本>には吉原へ行く時はこんな格好、買い物に行くにはこんな感じ、芝居へ行く時はこんな装いと、遊びのライフスタイル・マニュアルが記されていて、現代のファッション雑誌と同じような役割がありました。

だいたい吉原自体が、パリコレみたいな流行発信地だったのです。
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吉原とは夢を生産し消費させる場所。

ハリウッドみたいなものでした。

そして男を磨く試金石となる場所でもあったのです。

男というものが試されるとあって、みな頭のてっぺんからつま先まで練りにねって挑んだようです。

ボロの着物しか持ってない長屋の庶民にも、レンタルブティック(損料屋)があり、着物・持ち物・履物まで、勝負服のすべて一式を揃える事が出来ました。

ファッションコーディネーターの先生みたいな指南役がいて、お伺いを立てたりしたんだそうですよ。

ファッションだけでなく、立ち居振る舞い、お洒落な会話やジョークまで教えてもらい、手帳に記して暗記して「いざ吉原へ」と挑んだと言います。


しかし、習った事をそっくり真似るのは「野暮」のする事。

それらを身体で覚えてさり気なく振る舞い、その上さらに自分のオリジナリティを醸し出せるのが本当の「粋人」なのだそうですよ。

当然、「粋人」が出来上がるにはそれ相当の年期がかかり、40才位の大人にならないと粋な色恋など出来なかった。

「粋」は付け焼き刃では身に付かないものなのです。

なので「粋人」を目指す放蕩息子たちは、いつでも人生を棒にふる覚悟で湯水のように遊んだ。

そしてその危うさが色気となって醸し出されて、女にモテるようになって行ったのだそうです。
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スタイリッシュな「通人」から、さらにそれを超えた「粋人」へ・・・

江戸の美学って、斜に構えたような、やせ我慢のような、ちょっと崩れたような不思議な美意識です。

ピークを越えるほど爛熟し、滅びの曲線に踏み込みつつあるような、まるで中年期の人生みたいな文化なのです。


中年期を過ぎ越したこの私・・・

江戸の「粋人」を見習って、<滅びの美学>ってモンをかっこ良く会得したいと思う、今日この頃なのであります。




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by viva1213yumiko | 2013-06-11 12:23 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)