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心のゴミ屋敷

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部屋の整理整頓と心の整理整頓とは、かなり密接に繋がっている。


多くの人がそう指摘しています。


だから「ひとつ大胆に部屋を片付けて、運気をアップさせよう!」って皆んな奮起するんだけど、どうやらそう簡単な話しじゃないみたいなんですよね〜


整理整頓っていうのは、どんなに頭でした方が良いと分かっていても、それが出来る人と出来ない人がいるみたいです。


それは、身体がアルコールを受け付ける人と受け付けない人がいるようなもの。


あるいは同性愛など特定な性的傾向を持つ人と、持たない人が存在するようなもんでしょうか?


先天的な傾向にかなり左右されちゃうので、ダメな人にとっては本当にダメなのがこの整理整頓の能力であります。


それをどうやって能力開発していけば良いのか?


今回はそんな感じのお話しです。


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世の中でこれだけ断捨離が認知されたにもかかわらず、相変らず片付けられないことに頭を抱えている人は多いですよね。


片付け上手な人に言わせれば、必要のないものを後生大事に取っとくなんて信じられない行為です。


でもそれが片付けられない人には、とてもハードルの高いこととなる。


片付けられない人たちって、ただ単に片付けるのが面倒くさいというだけじゃなく、どうやらゴミをゴミと感じてないみたいなんですよね。


「いつか使える」「まだ使える」「必要なものだ」


すべてのものにそうジャッジを下し、今現在の自分を見失う傾向にある。


つまり意識が今の自分からポンと抜けちゃって、<過去の思い出>や<未来の希望>にフォーカスしてしまうんですね。


「いつか来るかもしれない未来」や「外から来る他人の言葉」に判断を預けてしまうのです。


そして自分の内なる言葉に耳を傾けない。


これはちょっと問題なんですよね。


なぜって・・・


<過去の思い出>は二度と戻らない、あくまでも過去の時点のモノ。


<未来の希望>はその時になってみなければ分からない、誰のものでもないモノだからです。


過去や未来に意識を向けてるその間、<今の自分><現時点の自分>が完全に欠落してる訳ですよね。

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片付けられない人は過去と未来の幻想のマジックに惑わされないよう、最新の注意を払う必要があります。


そういう人は心が繊細で傷つきやすい人が多いのです。


何かが不安ゆえに物を買う。


そして、捨てないで溜め込んでしまう。


傷つきやすいが故に、不必要なもので自分の砦を築かないではいられない。


そしてガードを固めてる訳なんです。



また、一見人当たりが良くコミュニケーション能力が高そうな人でも、部屋だけは大いに荒れてしまうという人もいます。


可愛いタレントさんが汚部屋の主だったりすると、みるみるうちに萎えちゃいますよね。


無理して他人に良い人間を演じ続け、自分の内と外のイメージが掛け離れてしまうと、心に乱れが生じ部屋も乱れる。


これもありがちな話しです。



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過労ストレスや家庭環境ストレス、社会からの孤立・・・


片付けられない人々は精神的な負担で追い詰められると、余計にどんどんゴミを溜め込んでしまう。


逆説的に言うなら、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるため、むしろ彼らにはゴミが必要なのかも知れませんね。



この現象、ひどくなって来ると強迫性障害みたいになりかねません。

うつ状態になって整理整頓意欲を全く失くしたり、躁状態になって過剰に購買してみたり・・・


だんだんとセルフネグレクト(自己放任)が始まるのです。


何かのTV番組で見たけど、作家の中村うさぎさんは総額一億円以上のブランド物をポイポイ積み上げ、その穴倉の中で暮らしていました。


玄関先まで溢れかえったゴミの山からシャネルを拾い出したり、高級ブラジャーがたくさんドアノブに吊るしてあったり。(笑)


生活感覚が桁違いのスケールで、むしろある種の感動を感じたなぁ〜


とにかく、認知症や統合失調症や依存症や摂食障害など様々な障害が複雑に絡み合うと、みるみるうちにゴミ屋敷の主人となってしまうのです。


そのような人たちを笑うことなど、誰にも出来ません。


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ゴミ屋敷はどこのご町内にも、一軒や二軒はあるんじゃないかしら?


<ホーデイング>と言って、ものを溜め込む人は世界中のどこにもいるんだそうです。


彼らの共通点には以下のようなものがあるそうです。


   コミュニケーションを嫌う


   悪いと分かっていても止めない、止められない


   偏屈・意固地


   他人を信用しない


   周囲の嫌がることが楽しい


   自分だけが不幸と強く感じている



つまり頑固で人間を信頼してなくて、自分をガードしてる。


ある意味お気の毒な人なんですね。



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映画<嫌われ松子の一生>では、とんでもなく不器用な生き方をした女が最後にゴミ屋敷のアパートに住み、世間と隔絶した暮らしをしてる様子が描かれていました。


松子は自分が愛され必要とされたいがために、依存的な男たちに依存される人生を送ります。


唯一そこに自己価値を感じ、満たされることが出来たからです。


そして嫌われ松子は転落の人生を送ります。


風俗嬢となり、殺人罪で服役し、結婚は裏切られ、精神も崩壊し、最終的に意味もなく河川敷で殺される。


彼女は孤独の中で徐々に精神を病んで行き、ゴミを身の周りに置くことで不安を埋め、心の安定を計っていたのでしょう。


彼女にとってゴミ屋敷とは、つまり世間から自分を守る砦だったのです。


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身の周りにモノが集まっていると、孤独感が埋まる気がする。


もしあなたにそのような傾向があるとしたら、もっと意識化してみた方が良いでしょう。


正直に見つめ直して欲しいのです。


得体の知れないあなたの不安を。


いったい何から自分を守りたいのか?


その正体を見破らなければなりません。



勇気を出さないと、心のゴミ屋敷は永遠に片付かないままの状態でしょう。


あなたの執着が、結局ゴミ屋敷を作っているのだから・・・



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by viva1213yumiko | 2016-09-29 14:06 | 衣・食・住 | Comments(0)

接して漏らさぬ健康法

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【四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気をば漏らすべからず】
                          養生訓・第四巻65


江戸時代のベストセラー本、貝原益軒の<養生訓>には、ズバリ「40才以上の人はSEXしても射精するべきではない」と記されています。


性生活には正しい方法論というものがあって、それを守れば情欲も満足させることが出来て、なおかつ精気も保て一挙両得なんですよ。

その結果、健康で長生き出来て、クオリティオブライフが楽しめますよ。

と、健康で長生きするためのSEXハウツーを教えています。


「接して漏らさず」というありがたい?教えは、もっともっと古〜い時代からの養生法のスタンダードみたいです。

当時から既に、中国経由で東洋医学の文献は輸入されていたのですが、984年、それらを総まとめにした<医心方>という医学大全集が朝廷へと献上されました。

その国宝級の医学書の中に、房内(寝室)での養生法が記されているという。

性生活に関する養生法のことを<房中術>と呼んで、様々な役に立つ教えがしっかりと紹介され、ちゃんと伝授されているのだそうです。


だから、この「接してもらさぬ健康法」は、奈良時代から伝わる健康法の古典と言えるでしょう。

朝廷の貴族から始まって、広く庶民層へと浸透した「接して漏らさず」の概念。

「接して漏らさず」はニッポンの常識だったんです。

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だというのに、この「接して漏らさず」という言い回しを、私は「武士は食わねど高楊枝」みたいなものと思っていた。

我慢強くストイックに性をコントロールすることを言うのだと思っていました。

同じように感じてた人は案外多いんじゃないのかな?

健康法が氾濫する現代。

何が正しいのか疑問視されるようなものも多いですよね。

けれど「接して漏らさず」は、歴史を生き抜いて来た本物の健康法ですぞ。

数多の先人たちが身体を張り、必死で研究を重ね、きっと涙ながらに編み出された理論なのでしょうね。

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それにしても<精気を保つ>とはどういうことを意味するのでしょう?

仙道(中国の仙人の行う術)の房中術でもこのように教えています。

 ・精気を漏らすことは気の消耗になる。

 ・漏らさなければ身体全体の精気が保たれる。

 ・特に老年になって精気を漏らすことは、大いに害になる。


東洋医学で言うところの<精>とは、精子や精液のことを指しているのではありません。

<精>とは全身を巡る気・血・体液の大元のエネルギーのことを意味します。

この<精>というもの・・・

我々の生命の根源でもあり、もちろん精子にもこの目に見えない<精>が宿っています。

射精するという行為は、単に物理的な体液の損失なだけでなく、<精>のエネルギーの損失となる。

だから射精すればするほど、その行いは生命を削り取って放出するようなもの。

それ故に控えた方が良いとされるのです。

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しかしそれとは逆に、男女の性行為は陰陽の調和であり、より積極的に気の交流・交換が促される<場>であるとも教えてます。

たくさんの気が巡る性行為は、陰陽双方の健康につながるのです。

陰陽の法則によれば、男性は陽気、女性は陰気ということになります。

男性は女性の陰を必要とし、女性は男性の陽を必要とする。

だから男女が交わらないと陰陽バランスが崩れ、病気になりやすいそうですよ。


健康のため最も効果的なのは、射精によって放出される精気をあえて放出せず、背中の管を上昇させ脳までエネルギーを引き上げる、相当プロフェッショナルなやり方。

性エネルギーが体内を循環し、全身を若返らせ健康を保つのです。

あなたが仙人を目指すなら、このような<精>を完全に漏らさない生活が良いでしょう。

漏らさず貯めたエネルギーで超人的な能力を発揮できるはずです。

しかし普通の人の場合それは不可能に近い。

なので性行為の長所と短所との妥協策として、「接して漏らさず案」が浮上したと考えられます。

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理想的な交接回数とは一体どのぐらいなのでしょう?

書物によって諸説あるようですが、益軒流の年齢別交接回数はこうだそうです。

   20代 4日に1回

   30代 8日に1回

   40代 16日に1回

   50代 20日に1回

   60代 1ヶ月に1回(ただし体力がある場合)


交接は季節によっても健康に影響を与えるそうで、「冬の1回は春の100回に当たる」とし、寒い時期の射精は控えることを勧めています。

その他、体位とか性行為の方法で病を癒す方法とか、相手から一方的に<精>を吸収して健康になる方法(呪法?)とかもあるようで、奥が深すぎて一筋縄では行かないみたいですよ。

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【四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気ををば漏らすべからず】

「ストイックになれ」という意味で益軒はこう言ったんじゃないんです。

むしろ健康のために交接を奨励していた節がある。

「接して漏らさず」なら「情欲を無理に制することなく精気を保ことが出来る」と益軒は奨めている訳なんですね。

しかし、闇雲にイタせば良いってものじゃなく「SEXをクオリティ・オブ・ライフのために活用しなさい」と言っているのです。


我々が学校で習う性教育とは随分と違うものですよねぇ〜

<養生>という観点からSEXを考え、そして人としての幸せに導く指導です。

<まぐわい>という人間の根源的行為を、むしろ芸術のレベルにまで高めて、人生の中で昇華させるべし、と教えてるように聞こえますよね。

貝原益軒という人自体20歳以上も年の違う若い女性と結婚して、その当時の80歳台まで長生きしたらしい。

だからその言葉にはかなりの信憑性がありそうです。


たかがSEX、されどもSEX。

先人の秘法をありがたく受け止め、皆んなで<養生>したいものです。

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by viva1213yumiko | 2016-03-27 18:59 | 美容・健康 | Comments(0)

ささやかだけど衝撃的な話し

世の中には「どうってことないささやかな事なのに、偶然知っちゃったがために思わぬ衝撃を受ける」っていう事があります。

そんなケースをいくつか、思いつくまま紹介してみましょう。

ささやかすぎる話しで、ホント申し訳ないんですけどね。




その1:唱歌「うみ」の秘密
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  ♬うみはひろいな おおきいな

   つきがのぼるし ひがしずむ

   うみはおおなみ あおいなみ

   ゆれてどこまで つづくやら

   うみにおふねを うかばせて

   いってみたいな よそのくに♬


誰もが知ってる小学唱歌「うみ」です。

大らかな詩、優しいメロディー。

どこまでも広がる青い大海原のイメージが目に浮かびます。

夏休みの臨海学校。

波打ち際まで一斉に走り出す、スクール水着の子供たちの元気な声が聞こえるようです。


ところがこの唄のイメージには、実は大きな誤りがあったのです。

私もこの歳になるまで全く気付かずにいたので、知った時には驚愕してしまいました。

「私ってバカバカバカ!!!」

握りこぶしでオツムを叩きたいくらいの衝撃が走ったんです。


長年に渡って染みついたこの歌のイメージを覆す、ささやかな秘密をあなたにも教えましょう。

さあ、もう一度歌詞を読んでみて下さい。


   海は広いな、大きいな

   月が昇るし、日が沈む


月が昇る、日が沈む。

お月さまが昇って、お日さまが沈んでって・・・


なんとっ! そんな馬鹿なっ! 

アンビリーバボー!

つまりこの唄の風景とは、<日没の海>だったんです。


青い空・青い海・どこまでも続く水平線・・・

それは真っ赤な嘘でした。

真実の風景は、今まさに沈まんとするオレンジ色の日没の海だったんです。

いやいや参りました。 

ショックが大きいです。


そうなって来ると、青く明るい希望の「うみ」が一転しちゃいます。

異国への逃避行を夢見る、深い憂いを秘めた唄に早変わりです。

さらに、太陽を日本の象徴ととらえたら話しはもっとややこしくなりますよ。

「日ガ シズム」

つまり亡国日本を捨て、亡命を想う唄になっちゃいます。


このように日本語のイメージって変幻自在、フレキシブルに変化しちゃうんですよね〜

ささやけど衝撃的な事実です。





その2:地下鉄の入口は?
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上野某所を訪れる際、道に迷ったので地元の人に尋ねてみました。

するとその方はこう言うのです。

「大通りを渡った一本先に<地下鉄の踏切>があるから、そこを超えてくと良いですよ」

ええっ? 何ですって? 

地下鉄の踏切?? 

なんか言ってることが、ヨクワカラナ〜イ!

大体この辺りは住宅や商店ばかりなのに、踏切なんて明らかにおかしい。

さっきの人、日本語アヤシい外国人だったかしら?


頭の中に次々沸くクエスチョンマークをやり過ごし、ひとまず指示通りに進んでみた。

すると、あら不思議!

本当に現われたのだ。 

メトロ銀座線の踏切が・・・


ここは銀座線上野検車区。

昭和2年(1927年)に銀座線が開業した時からこの場所に存在する、日本で唯一の<地下鉄の踏切>だったのです。

メトロ銀座線はこの直前まで地下ルートでやって来て、突如地上に現われ車庫に入って行く。

仕事を終えた炭坑夫が疲れを癒すため黙々と飯場に戻って来る。

そんな連想をつい思わせる、不思議と感動的な場所なのです。


「地下鉄の電車はどっから入れたんでしょうねぇ〜。それ考えると一晩中眠れなくなくなるの。」

春日三球・照代の漫談は、一世を風靡したこのフレーズで有名でした。

どこから地下鉄を入れたか皆んなが質問するので、当時の地下鉄職員さんはさぞかし困ったことでしょう。

あれからウン十年。

思えばそれはずっと迷宮入りの謎だったのです。

長年棚上げにされてた謎が、偶然にも本日明らかになってしまいました。


「地下鉄の電車はどっから入れたんでしょうねぇ。」

「東上野4丁目から・・・」

さあ、これでもうあなたもぐっすり眠れますね。





その3:胎盤食
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中国人観光客が増えた銀座では、高級店のウィンドウにも中国語の表記が目立つようになりました。


ある日のこと、とても気になる中国語の広告を発見したんです。

[超級胎盤素 10万日元]

そこは美容クリニックです。

中国語で [スーパープラセンタ 10万円] って意味のようです。


プラセンタっていうのは、美白化粧品のあのプラセンタのことですね。

そのプラセンタが英語の胎盤を意味するとは、この広告を見るまでちっとも気付きませんでした。


赤ちゃんを包む栄養の固まりの臓器。

ヒトの胎盤を使って美容と健康、アンチエイジング対策をするのは、イマドキのセレブの間じゃ当たり前なんだそうです。

このクリニックではヒト由来の最高級プラセンタ注射を、若返り療法として中国人向けに提供していました。

リーフレットには [新奇的回復青春療法]とか、[驚人的細胞革命]とか、心躍る魅力的な中国語がたくさん並んでいるんですよね。


「胎盤ってさぁ、効くのかしらね?」

私は何気なくそばにいた知人に尋ねてみました。

すると彼女は「そんなの当たり前でしょう?」って表情で、驚くべき発言をしてくれたのです。

「私もお産の時、胎盤食べますか?って聞かれたわ」


た・たいばんを食べる・・・?

何でもレバ刺しのように、わさび醤油やショウガ醤油で胎盤を食べる人がいると言うのだ。

熱を加えても良いらしい。

産後の肥立ちが良くなり、母乳も出やすくなると言う。

しかも激ウマとの噂もあるらしい。(本当なのか?)


確かに野生動物は皆お母さんが胎盤を食べてしまうのだから、人間にもそのような風習があってもおかしくはありません。

何だかカニバリズムの気配も隠せないけど、胎盤を食べた人は皆概ね感激するらしい。

そう言われてみると食べてみたいような、みたくないような・・・

ささやかだけど、かなり衝撃的なお話しであります。




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by viva1213yumiko | 2015-11-30 13:01 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

電気が使えなくなる日

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先日、夜中の2時頃地震があって津波警報が発令されましたよね。

恥ずかしながら私、全く気付かずにいて、翌日の午後人づてに聞き、初めてそのニュースを知ったような状態でした。

日頃からTVも殆ど見ないし、このままでは国家レベルの非常事態が発令されたとしても、上手く立ち回れず大混乱しそうです。


世界で最も豊かだった、あの米国さえも崩壊するかもしれないっていうご時世です。

実際いま世界では、いつ何時どこで何が起こるか、誰も予測がつきません。

そこで我々に望まれるのは、いつ何が起こっても慌てる事のないように、心構えを整えておく事ですよね。

地球の大転換、大浄化・・・

地球という名の惑星が、悟りのレベルに到達出来るかどうかっていう大事な瀬戸際です。

宇宙の創造主は地球のさらなる成長を思い、「一度リセットしちゃおっかなぁ~?」って、そんな事考えているような気がしないでもありません。

驕り高ぶった人間たちに目覚めの<愛のムチ>で、一気に成長を後押ししようという<親心作戦>です。

それには地震や津波など天災による浄化以外にも、地球の地殻変動や隕石衝突の可能性もありますよね。

しかしそれ以外にも「宇宙からの大規模な電磁パルス到来による、全面的停電も考えられる」と言われています。

公にはしてないけどNASAも、随分前から予見してると噂があるくらいです。

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全面的大停電・・・

これは我々にとって手強い試練になるでしょう。

いつでもあると思っていた電気が、ある日不意に使えなくなった場合の事を、ちょっと想像してみて下さい。


電気が使えなくなったら都市はあっという間に荒廃するでしょうね。

ビルやマンションでは照明がつかない、冷暖房が使えない、TV・PCが使えない以外にも、エレベーターが止まり上下水道のポンプが停止してしまいます。

スーパー・コンビニは店舗照明や空調が停止して、冷蔵庫の食品は腐敗し悪臭を放ちます。

信号や通信が止まり、交通機関はマヒ。

自動車で動こうにもガソリンスタンドの給油が不可能なので、自転車か徒歩の方がよっぽど確実です。

器用な人が作ったリヤカーや大八車が、飛ぶように売れるでしょう。

金融機関もシステムダウンしているのでATM停止、預金引き出し不能に陥る。
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戒厳令を発動したくても警察さえも通信手段がないのだから、独自の通信システムを持つ、軍隊もどきの集団が治安を牛じる事になるでしょう。

下手すると、それは外国の勢力かも知れません。

治安の悪い地区では住民がすぐに暴徒化し、水場近くのビルや地下街をあっという間に占拠。

衛生状態が悪くなり、伝染病が蔓延し、体力のない者からどんどん死んで行くのです。

愚連隊のような連中がスラム化したビルを封鎖し、盗品などを売りさばく闇市がすぐに現われるでしょうね。

ガレキや遺体を燃やす煙が方々で上がり、異様な臭いが立ちこめます。

食べ物と水を求める窮民集団は一斉にどこへ向かおうとするでしょうか?

都市の廃墟から彷徨い出した難民と近郊農村の自警団との間で、争いが起きているかも知れません。

飢饉の時の絵巻物みたいな光景を、実際目にするかも知れません。

まさにこの世の地獄絵図になるかも知れないのです。

   祇園精舎の鐘の音

   諸行無常の響きあり

   お〜、くわばら、くわばら。
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ここ100~150年間、我々は電気に依存する生活をさせられていて、「電気がなければ生きて行けない」と思い込まされてしまっています。

アルコール中毒・麻薬中毒患者と同じ。

電気中毒患者です。

中毒患者を治療するためには解毒治療に加えて、なぜ自分が薬物に依存するのかその根本原因を深く見つめるセラピーが必要じゃないですか。

お天道さまは先進国の電気中毒を治療するため、一度完全なる隔離を強行し、なぜ電気に依存してしまうのか、そもそも電気は必要なのか、人類に自己反省を促す作戦に出て来るかも知れませんよ。


しかし、ここでパニックを起こし、この世の終わりと絶望してはいけません。

身体の毒物はキレート療法などで排除してしまうと、妙にスッキリお肌ツヤツヤになるって言いますよね。

同じように地球上の毒物も排除、排除です。

各所で好転反応は出ざるを得ませんが、その混乱を受け入れるつもりで腹をくくってしまいましょう。

蒼い地球に悪玉菌のようにはびこってる、あの醜く無骨な送電線網をスッキリ排除して、お肌ツヤツヤの惑星に甦らせたいものです。

そして「電気の文明よ、さよ〜なら〜」 

「それに代わる新しい文明よ、こんにちは〜」

って笑顔で言いたいですよね。 


電気中毒患者の私たち。

集中治療の日も、そんなに遠くないんじゃないかって気がしてます。



追伸
あの日、脚立持参で意気揚々と電気を止めに来たT電力O支社のKさん。

彼の人生にも幸福が来る事を、私ほんのちょっとだけ祈ってますから・・・




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by viva1213yumiko | 2013-10-30 20:47 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

優しさは人をダメにする?

飲み会なんかで興がのって来ると、よく好きな人の話しになります。

若い人たちに「どんな人がタイプ?」と聞いてみると、皆んな大概「優しい人がいい」と言うのです。

ストレス厳しい現代社会、誰もが優しさや癒しを求めたくなる気持ちは、凄く良く分かります。

しかしこの<優しさ>という奴、結構落とし穴があるのも事実なんですね。
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愛の世界において、優しさほど難しいものはありません。

なぜなら「自分は人のために正しいことをしている」という錯覚が、落とし穴のようにすぐ横に、常に構えているからです。

愛の世界において、この<あなたのために>という言葉ほど当てにならないものはないんですよね。

愛する<あなたのため>にしてあげる行為も、鋭く深く探ってみると、実はピント外れだったと言うのは良くある話しなんです。


一番分かりやすい例は、母親です。

「あなたのために心配しているんじゃない!」

「だからああしなさい。こうしなさい!」

「お勉強しなさい。お母さんの言うこと聞きなさい・・・」


世の母親というものは、知らず知らずのうちに子供にプレッシャーかけてしまっています。

いわゆる<愛という名のコントロール>ですね。

自分の理想を自分勝手に子供に押し付けてしまうのです。

子供たちはグレートマザーのエネルギーに絡めとられて、自分の個性を発達させることが出来なくなる。

そして色々な矛盾を抱え込み、だんだん息苦しくなって来る。

時には必要以上の反発をするかも知れない。

そして限界が訪れると、はっきりした家族問題となって浮上して来ます。


日本人は自分と家族、自分と他者を同一化しやすい国民性と言われます。

「他者も自分と同じ価値観を共有しているはず」という、暗黙の共同幻想で成り立つ社会なのです。

何も言わなくても「阿吽の呼吸で分かり合える」なんて、自分の都合良いように勝手に解釈しちゃったり・・・

欧米型の個人主義とは自我の構造が根本的に違うんですよね。

欧米人が羨む思いやりの精神はとても大切だし、大事に守って行きたい伝統の和の心です。

しかしそこには、<依存・甘え・弱さ>が見え隠れしてませんか?

我々日本人が今意識化すべきは、もっと成熟した、一皮剥けた思いやりや愛なんじゃないでしょうか?


それは、[ひとりひとりの個性がみんな違うって事を知っている愛]

[違いを知った上で、相手の世界観に寄り添えるような愛]

[皆んながそれぞれの旅の途中にいて、その出会いと別れで相互作用を起こして行けるような愛] なのです。


そのために、人はお互いに相手の完全性と個別性を尊重しなければなりません。

たとえ自分の伴侶・家族といえど、魂の成長発達にお節介な介入は不必要なのです。

仏教の教えでも「人が本当の優しさに至るには慈悲の念が必要で、そのためには同情やら心配やらはほどほどにセーブしなければならない」って言われてるのだそうですよ。

さあ、心を鎮めてよ〜く考えてみましょう。

そして自分に正直に問うてみて下さい。

相手のためを思っているように見えても、実は不安から生まれる、自分の心の問題だったって事が結構あるんじゃありませんか?

[愛は人を育てるが、優しさは人をダメにする] のです。

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<銀河鉄道の夜>の中で、カンパネルラのこんなセリフがあるのですが、この言葉は真実の愛を考える上で、とてつもなく意味深い言葉だと思います。


「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸いになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸いなんだろう。」

「ぼくわからない。けれども、誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」



   [人の為と書いて、偽りと読む]

誰が言ったか知らないけれど、昔の知恵は紛れもない真実ですよね。




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by viva1213yumiko | 2013-07-30 15:22 | 人生・霊性 | Comments(0)

江戸ファッション・上方ファッション

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ファッション雑誌の特集に、<都市別ストリートファッション・スナップ>ってありますよね。

街行く人のファッションで、各都市ごとの流行りの傾向がチェック出来るやつ。

あれ、結構好きなんですよね。

昨今はどこの国でもファッションの流行は似たり寄ったりですが、それでもやはり、なんとなくお国柄が出てしまうのが楽しいんです。

パリとミラノとロンドンとでは、小物使いの傾向も、色の組み合わせ方にも、微妙な違いがあるものです。

それは東京ファッションと関西ファッションでも同じで、えも言われぬ微妙なセンスに違いが現われるみたいですね。


江戸時代には、そのセンスの差がかなりはっきりしていて、江戸っ子が京へ旅すれば「あいつは関東もんだ」ってすぐに分かっちゃうほど、明確に違っていたのだそうです。

例えば着こなしに関して言えば、上方ではきっちりと着付けたのに対し、江戸ではだらしな~い着こなしだったと言います。

江戸は着物の打ち合わせがとても浅くて、走ったりすればすぐに裾が割れてしまいました。

しかも、若い女でも懐に手を入れたり男前な仕草をしたので、胸の辺りがダラ~ンとはだけてしまうのです。
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確かに浮世絵の美人画を見ても、着物の胸元や裾周りがやたらとずるずるしているし、足が腿の辺りまでむき出し状態なのが多いのですよね。

腿の隙間の辺りを評して、「小股の切れ上がったいい女」なんて言う褒め言葉もあります。


着物の色の好みも全然違い、上方は奇麗な色を好んで着ていました。

しかしお江戸では渋めの色と柄が選ばれました。

「赤ぬける」と言葉にあるくらい、女らしい赤い色を身に付けなくても、色気があるのが「粋」だった。

「あか抜ける」とは「体を磨き込んで垢を取る」以外にも「赤なしで勝負する」の意味があったようで、「赤い色なんかに頼りゃしないよ」と言う意地っ張りの江戸っ子気質を表しています。

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その分赤い色は、女にとってここぞという時に決める勝負色だったようで、赤い紅・赤い下着・赤いかんざし・赤い半襟なんかを黒っぽい着物の差し色として使ってチラ見せ効果で勝負したのです。

ちなみに男の決め色は紫と決まっていて、紫の襟をチラッと見せて女に思いを伝えたんだそうですよ。


化粧についても、上方文化だと女に生まれたからにはフルメークがこそが身だしなみ。

しかし江戸では、スッピンの素肌に紅だけというポイントメークが好まれたのだから、ずいぶんと違うものです。

髪型も奇麗に結い上げるのが上方風で、江戸では湯上がりの洗い髪が一番「粋」とされた。

「湿った髪を背中に垂らし、櫛を横に刺した湯上がり女」なんてのが最高に色っぽかったのです。

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総じて、奇麗なものをどんどん加えて豪華絢爛にして行く、足し算のファッションが上方風と言えるんじゃないでしょうか。

都の歴史が長いので、マニュアルにのっとった花鳥風月の雅を「風流」としたのです。

しかしお江戸では過剰ファッションは嫌われる。

何かを省略した引き算ファッションで、色も少なめ、格子や縞柄のシンプルな幾何学模様などが好まれました。

遠目からはっきりと目立つものはカッコ悪く、一見普通だが近寄ると凝った良い素材を使ってる、なんていうのが良しとされたのです。


こうして比べてみると、上方と江戸では随分美意識が違うものですね。

私思うに、上方の華やかなファッションは、ゴージャスで派手好きなイタリアファッションに似てるのかも知れません。

そして「粋」を重んじる江戸のお洒落は、シックでさり気ないパリ風ファッションってところですかね。

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江戸時代は役者や花魁がファッションリーダーだったので、女たちは吉原や島原の花魁の浮世絵を眺めては、都と江戸の最先端ファッションを比べて楽しんだに違いありません。

それは江戸時代の<都市別ファッション比較>でもあったと思います。

昔も今も、女が好きなものは似たり寄ったりって事なんですよね。




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by viva1213yumiko | 2013-06-14 14:19 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

江戸の「粋人」

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江戸時代は「粋」という価値観が最も大切にされていました。

しかしこの「粋」っていう概念、現代人にはイマイチ分かりにくいんですよね。

「粋」っていうのはシックと言うんじゃなく、エレガントとも違い、なにか余裕があるんだけど下品と紙一重のあたりにあるような、微妙なかっこ良さの事を指すのです。


江戸の「粋人」を目指すには、まず「通人」となって、色々なウンチクを知らなければなりません。

「通人」への入門書、<洒落本>なんかを読んで、「通」の旦那を目指したいものです。

<洒落本>には吉原へ行く時はこんな格好、買い物に行くにはこんな感じ、芝居へ行く時はこんな装いと、遊びのライフスタイル・マニュアルが記されていて、現代のファッション雑誌と同じような役割がありました。

だいたい吉原自体が、パリコレみたいな流行発信地だったのです。
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吉原とは夢を生産し消費させる場所。

ハリウッドみたいなものでした。

そして男を磨く試金石となる場所でもあったのです。

男というものが試されるとあって、みな頭のてっぺんからつま先まで練りにねって挑んだようです。

ボロの着物しか持ってない長屋の庶民にも、レンタルブティック(損料屋)があり、着物・持ち物・履物まで、勝負服のすべて一式を揃える事が出来ました。

ファッションコーディネーターの先生みたいな指南役がいて、お伺いを立てたりしたんだそうですよ。

ファッションだけでなく、立ち居振る舞い、お洒落な会話やジョークまで教えてもらい、手帳に記して暗記して「いざ吉原へ」と挑んだと言います。


しかし、習った事をそっくり真似るのは「野暮」のする事。

それらを身体で覚えてさり気なく振る舞い、その上さらに自分のオリジナリティを醸し出せるのが本当の「粋人」なのだそうですよ。

当然、「粋人」が出来上がるにはそれ相当の年期がかかり、40才位の大人にならないと粋な色恋など出来なかった。

「粋」は付け焼き刃では身に付かないものなのです。

なので「粋人」を目指す放蕩息子たちは、いつでも人生を棒にふる覚悟で湯水のように遊んだ。

そしてその危うさが色気となって醸し出されて、女にモテるようになって行ったのだそうです。
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スタイリッシュな「通人」から、さらにそれを超えた「粋人」へ・・・

江戸の美学って、斜に構えたような、やせ我慢のような、ちょっと崩れたような不思議な美意識です。

ピークを越えるほど爛熟し、滅びの曲線に踏み込みつつあるような、まるで中年期の人生みたいな文化なのです。


中年期を過ぎ越したこの私・・・

江戸の「粋人」を見習って、<滅びの美学>ってモンをかっこ良く会得したいと思う、今日この頃なのであります。




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by viva1213yumiko | 2013-06-11 12:23 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

カミもホトケもいるんです

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日本人に「あなたの宗教はなんですか?」と質問すると「無宗教です」と答える人が多いですよね。

「私は仏教を信じています」とか「私はキリスト教です」とか、はっきり答えられる人はかなり少数なんじゃないでしょうか。


私自身、教会幼稚園でイースターやサンクスギビングやクリスマス・キャロルの洗礼と刷り込みを受け、キリスト教行事の暦に馴染んで成長して参りました。

父親が亡くなり「やれ葬式」という段になって、初めて日蓮宗の家系である事を意識させられたのですが、日本的神仏信仰や日本人の霊魂観について、それまで考えた事すらなかったというのが正直なところです。


正月には初詣をし、お彼岸には墓参りもし、法事も七五三もするけど、実際のところ日本人の宗教観ってどんなものだったのでしょう?

昔の日本人の霊魂観を知りたくなりました。

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日本人はもともと神道の習俗による霊魂観を持っていました。

死んだばかりの霊魂の事を荒御霊(アラミタマ)と呼んでいました。

字のごとく荒々しい魂です。

そのアラミタマが時間を経て和やかになり落ち着くと、和御霊(ニギミタマ)へと変化するのです。

昔の人は、この荒々しいアラミタマの事をホトケ、穏やかなニギミタマの事をカミと呼んでいました。

ホトケの中でも特に、死んだばかりの一周忌までの霊魂を精霊(ショウリョウ)と呼びます。

精霊はあの世にまだ居場所がないので、現世に未練を残して荒れ狂っている。

ことさら荒ぶる霊魂なので祟る(タタル)と考えられたのです。


死者が出るとその家の家族・親類縁者には死の穢れ、死穢(シエ)がついてくると見なされました。

だから49日は村人と付き合わず、忌中(キチュウ)として隔離したのです。

昔の人は死の祟りを信じ、とても怖がっていたのです。

それで49日から三回忌までに、残された者たちで魂鎮め(タマシズメ)をする事になった。

この鎮魂儀礼を担当したのが、大陸から伝わり日本に定着するようになった仏教だったのです。

49日・一周忌・三回忌と、荒御霊にお経を唱え魂鎮めをして行くと、荒れていたホトケは少しずつ慰められて安らかになり、33年で和御霊つまりカミになると信じられていました。

カミになってしまうと霊魂はもう祟らない。

個人の魂というよりその土地や自然の魂になり、村のカミ・田のカミになったりして村人達に豊作をもたらすのです。

村落共同体にとってメリットのある存在になる訳なのです。

[ホトケが浄化されてカミになる]

本来、この神と仏の2本立ての考え方があったので神道と仏教はうまく習合して秩序を保っていられたのです。

だから日本人にとっては、カミは死者の数ほどいて何ら不思議ではありません。
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昔から日本人は自分たちが色々な神様と一緒に住んでいると考えて来ました。

日本人は空気そのものにまで神性を感じて生きています。

空気の「気」はカミを指す概念で、気配(ケハイ)とか物の怪(モノノケ)とか言いますよね。

人と人との間にすら神様は存在すると考え、カミに気配りをしたのです。

神様と一緒だと元気(ゲンキ)になり、カミを忘れていると気が枯れて気枯れ(ケガレ)てしまう。

場の空気を読んで気配りしないと、カミはすぐにいなくなってしまうからです。

田んぼや樹木だけでなく、空気にさえカミがいるのだから、神道ってやっぱりアミニズム的ですよね。

一神教の人から見れば、ロゴスがなくて曖昧に見えるのも当然ですね。


ユダヤ・キリスト教の一神教的絶対関係が、長年男性型の国家主義やグローバル資本主義を先導し、その結果我々は行き詰まってしまったんですよね。

本来ならそれに対抗すべき仏の教えも、現代人にとっては葬式の時しかお目にかかれない代物で、かなりお寒い状況となっています。

自然を直感したり、自然とバランスを取ったり出来る、本来の人間の生き方にたどり着くためには、一神教的男性原理に対抗してもっともっと女性原理を開花させるべきなんだと思います。

事実「女神の時代の復権が、この危機の時代に望ましい姿である」と、色々な方面で囁かれているんですよ。
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 女たちよ、目覚めなさい!

 これからは<女・子供の時代>なんです。




 

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by viva1213yumiko | 2013-04-16 14:07 | 人生・霊性 | Comments(0)

不平不満のない世界

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米ミズーリー州カンサスシティの牧師さんが、ある日曜の朝、教会の訓話の中で「世界を不平不満のない場所にしたい」と聴衆に話し、その気持ちが真剣なものであることを示すために、紫色のブレスレットを配りました。

そして人々に「自分が不平不満を口にしていることに気づいたら、このブレスレットをもう一方の手にはめかえて下さい」と呼びかけたのだそうです。

紫色のシリコン製ブレスレットを手にはめ、21日間不平不満、人を責める言葉、ゴシップなどを口にしないよう努める。

口にしてしまったらブレスレットをもう一方の腕にはめ直し、また一日目からスタートする。

ただそれだけのキャンペーン活動を始めたのですが、チャレンジの達成者から、

   「人生がより豊かに幸せになった」

   「ビジネスの見通しが今までになくよくなった」

   「人間関係が良好になり、人と衝突することが少なくなった」

などの前向きな変化が起こったと報告があり、その噂が地域の人々の耳に入り、地元新聞に紹介され、各種マスコミが取材にやって来たのだそうです。

やがて全国規模のTVニュースショーに取り上げられると、動きはまたたくうちに広がり、ブレスレットの注文は地球規模となり、一日に1000個以上の注文が世界80ヶ所から届くようになりました。

教会区の信徒だけでなく、家庭・職場・スポーツチーム・病院・刑務所・警察署・消防署・クリニック・軍隊・政府機関など、社会のさまざまな場所で、紫のブレスレットをはめて、自分の言葉をポジティブなものに変えようと頑張っている人たちが拡大して行ったのだそうです。


どうですか? ちょっといい話しだとは思いませんか?

ご存知のように、今の世の中は混沌としていて、悲惨な事件や不条理な物事で溢れかえっています。

TVニュースを見るだけでつい不平不満が口から出るような、そんな日々の中、この運動は自分の思考のコントロール習慣を助ける、手軽で楽しい良い方法だと思うのです。


キャンペーン創始者のウィル・ボウエン氏は言います。

「不平不満を言うことは欲していないことに注目することになる。悪いことを口にしてそれに注目すれば、その状況は拡大する。私はみんなの生活から不平不満をなくしたいんだ。ブレスレットがその努力を応援してくれる。それだけで世界が変わって来る。」

「人生を作り出すものは考えであり、考えは言葉によって表現されます。だから明確に言葉で表現したものは実際に行うこととなります。」

「幸せな人生を歩む幸せな人間とは、自分の思考・感情をコントロールでき、自分の望む人生をデザインできる人であり、滅多なことでは不平不満や愚痴を言わないようになる必要があります。」

全くほんとにその通りだと思いますね。

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この21日間チャレンジ、早速私も挑戦してみたのですが、そう簡単じゃないんですよね。

「寒くてやだなぁ」とか、「やんなっちゃうなぁ」とか、「勘弁してよ〜」「頭痛いし」とか、結構言ってるもんなんです。

スタート初日には私、9回もはめ換えてましたよ。

誰も皆、まさか自分が不満を言ってるとは思わないようで、21日間はめ換えずにいられるまでに、平均で4~8ヶ月はかかるそうです。

人がいかに自分の発する言葉に無意識かってことに、否応なく気付かされます。


我々は人の口から出た言葉は良く聞こえるのですが、なぜか自分の口から出る不平不満には気がつかないものなんですね。

けれど、人生とは自分の言葉が作るもの。

人には自分の人生を作り上げる、言葉を選ぶ権利と責任があるのです。

ブレスレットをはめたり外したりするうちに、自分の中に宿る言葉に自覚的になって来るのです。


そもそも不平や不満はなぜ出てくるのでしょう。

不平不満とは、悲しみや苦痛や満たされない思いを表現することです。

だから不平不満の多い人というのは、その分傷の多い人だとも言えるんですね。

じぶんが口にする言葉を認識すること。

それさえ出来れば、次は言葉が口から出る前に気がつくようになれるはずです。


大切なのはブレスレットをはめ換える行為そのものなので、実はブレスレットじゃなくて、輪ゴムでも数珠でもミサンガでもリボンでも構わないのです。

はめ換えることによって、脳に自分の行動を意識させることが目的です。

自分が望むゴールは<幸福>であると、脳にプログラミングし直すことになるんですね。

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見事チャレンジを達成する頃になると、心に取り付いて離れなかった不安から、スッキリ解放されるんだそうです。

一人ストイックにこの21日間チャレンジをしてもいいけど、家族や仲間とゲーム感覚で楽しく挑戦すると、さらに好ましい効果があるのではないでしょうか。



不平不満のない世界




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by viva1213yumiko | 2013-01-27 23:40 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

初釜入門・後編

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小休憩の<中立>でちょっと一息ついた後、お茶会は<懐石>へと移ります。

正客から順に銘々の膳が手渡しで運ばれ、亭主の「どうぞお箸をお取り上げ下さい」という言葉で会食が始まります。

おめでたい鶴の盃でお酌して頂くと、美しいお造りや口取り・お椀などが順を追って運ばれて来る。

その彩りと繊細さには感動してしまいます。

しかしここにも食事の作法があり、美味しいからといってパクパク食べる訳にはいきません。

箸の上げ下げ、大皿からの取り分け方、そして懐紙の上手な使い方。

<料理を残さない><器を清める><箸を落とす音が終わりの合図>などの決まりごともあります。

ひとつひとつの仕草にこんな意味があるのだと知り、改めて自分の所作を意識せざるを得ません。

これは、普段の食事にも望むべき姿だと思いましたね。

今行っているひとつひとつの行為に意識を合わせ、集中し、没頭し、そのものになる。

見る・聞く・嗅ぐ・触れる・味わうの感覚を、フル回転させ日々の食事をしたなら、毎日が新鮮で、たぶん人生から退屈という文字は消えて無くなってしまうでしょう。

それは幸福への近道とも言えるんじゃないでしょうか。

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そして<懐石>後の<中立>をはさんで、最後の<薄茶>へと突入します。

正客から順に席につくと、<干菓子>が盆に乗って登場しました。

ひょうたんや羽子板など、正月らしい愛らしさの<落雁>です。

サァーッと上品に溶ける<落雁>の余韻を味わいつつ、師匠のお手前を待つのです。

<薄茶>は<茶筅>を動かすことによって空気を取り込み泡を立て、ソフトでまろやかな風味が持ち味のお抹茶なので、さっぱりとした<干菓子>と相性ぴったりです。

<薄茶>は各人に点てられるので、三口半で飲み切ってしまえば良く、初心者でも比較的ハードルが低いのではないでしょうか。

茶碗は自分で取りに出て、飲んで拝見し返すのですが、ひとつひとつの動作のたびに、他の客や亭主に礼を忘れません。

そしてまた、お道具の拝見。

道具はどれもみな繊細な造りをしているので、両手で大事に扱います。

恥ずかしながら、私の無骨な手には<茶杓>など耳かき同然に映ります。

どうにもコツがつかめず、これが一番戸惑いました。

薄茶器の<棗>や<茶杓>について、また<茶碗>の作者や窯元について、正客から質問が繰り返され、亭主はそれに答える。

短い会話には主客の見識や品位がまじまじと出てしまうので、通り一遍の約束事をこなせればそれでいいというものでもありません。

そこには不思議と、人の真実が見え隠れしてしまうのです。


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茶道に何より大切なのは、形式そのものではなく、それを追う過程で雑念が取れて、無念無想になれることだと思うのです。

[自他・美醜・善悪の分別を超えた心境に行き着くこと]なんじゃないだろうかって気がしました。


なんでも「あの人にはお茶がある」という表現があるんだそうです。

それはお点前が出来るかどうかということだけじゃなく、お茶の心・もてなす心を常日頃持っているかどうか、ということなのだそうです。

日常の生活で季節の移ろいに目を向け、他者に心を向け、自分自身にも眼を向けて毎日を過ごすことの積み重ねが、きっとお茶の心を育む道なのだろう思い知らされた次第であります。



貴重な体験をさせて頂き、本当にありがたいことだらけだった、私の初釜入門でありました。



 
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by viva1213yumiko | 2013-01-17 13:13 | 季節・行事 | Comments(0)