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誰もが多重人格者

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「もしかして自分は多重人格かも知れない・・・」


誰もが一度ぐらいそんな風に思ったことあるんじゃないかしら?


外に見せてる自分と、内側で感じる別の自分。


ギャップを感じれば感じるほど、自分という人間が分からなくなる。


人間の内面世界とは底知れぬ洞窟みたいなものです。


いつの間にか見知らぬ人が住みついてしまうことも十分に考えられます。


だから・・・


心に明かりを灯しましょう。


見知らぬ人たちに「ハロー」と言ってみよう。


どうやら彼らと手を繋ぎ、仲良くする必要がありそうです。


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この<多重人格>という言葉。


なぜか私は惹きつけられちゃうんですよね~


多重人格って自分の記憶や受け入れられない現実を、意識的な思考から分離しようとすることで発生するそうですよ。


非力な幼児期に、虐待などの強いストレスを受けた人に多いと言われます。


彼らは葛藤やストレスを内界で処理するために、空想から生まれる別人格を必要とするのです。


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良く知られた例に<24人のビリー・ミリガン>があります。


ビリー・ミリガンには犯罪者の人格が現れ、婦女暴行や強盗を犯し逮捕されます。


しかしポカンとした表情で「そんな恐ろしいこと、自分に出来るはずがない」と言っている。


解離性の多重人格なので、悪人の時の記憶は全く残っていないのです。


初めは関係者全員が言い逃れのお芝居と思ってましたが、全く違う人格に変身する様子を何度も目の当たりにするうち、医者も弁護士もビリーの多重人格を認めざるを得なくなりました。


ビリーの中には本人以外の23の人格が宿っており、取っ替え引っ替え色々なキャラクターが表面に現れます。


上流階級のイギリス英語で喋ってみたり、ならず者の態度を取ったり、怯えた子供になってみたり、女の仕草でシナを作ってみせたりするのです。


中でも長時間に渡ってビリーの身体を支配する主人格は、知的なイギリス紳士<アーサー>・憎悪の塊<レイゲン>・人懐っこく絵の上手い<アレン>の3人。


その他にもたくさんの交代人格がそれぞれの記憶力を持っていて、ビリーを精神的に追い詰めます。


それって言い方を変えてみると、常時ビリー・ミリガンに23の霊魂が憑依していて、フルトランスしてるってことですよねぇ。


ひとつの身体に24個の分裂した魂・・・


ハァ~、これはメチャクチャ疲れそうですねぇ。


こんなことが10代の頃から続いていて、追い詰められたビリーは何度も自殺を試みる。


しかし他の人格たちが自殺を許してくれず、ビリーは死にたくても死ねない状態なのです。


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強い痛みや恐怖が限界を超えると、人間はそれを引き受けてくれる人格を、勝手に生み出してしまうらしい。


耐えきれない感情をその人格が引き受け、事実をなかったことにする為です。


ぼんやりしたベールに包み込み、自己崩壊からの防護壁にするというのだから、人間の潜在能力って本当に神秘的ですよね。


この現象、本で読む分には興味深くワクワク楽しいですが、これ、本人にとっては想像を絶する苦しみと思われます。


おそらく多重人格の治療には、長時間の根気強いセラピーが必要でしょう。


混乱と絶望と自己否定とが順ぐりに襲って来て、内臓をひきちぎられるような、崩壊のギリギリ直前まで追い込まれるはずです。


しかし不思議なことに、どん底からバラバラの人格が再統合される時には、必ずや自己救済者の人格が現れるらしいですよ。


おとぎ話しの中で老賢者が偶然登場する、まさにそのようにです。


ビリー・ミリガンにも他の全ての人格の記憶を知る<教師>という存在が現れ、そこから治癒が始まりました。


それ以降、他の人格をコントロール出来るようになったのです。



自分を統合しているひと回り大きな自分が、きっとどこかにいるのでしょう。


様々なキャラクターを演じている自分。


それらを高みからじっと見てる、舞台監督が確かに存在するんです。


演技している自分は、本当の自分のほんのごく一部。


背後にいる別の誰かが、人生という芝居の進行状況を見守っているのです。



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多重人格をテーマにした映画や小説は多くて、人間の内面の世界そのものが、実は最もスリリングでミステリアスな場所だったということが良く分かります。


映画<アイデンティティー>とか<ファイト・クラブ>とか、傑作も多いですよね。


そういえは<君の名は>も魂の入れ替わりを扱ってるし・・・


でも多重人格の内界をのぞき込んで、目眩せぬよう十分注意して下さいね。


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実はかく言うこの私も、幾つかの人格を合わせ持つ多重人格者です。


表向きの主人格は、凡庸な性格でおよそ個性的とは言えませんが、人当たりも良く安定した常識人。


笑顔で行えば何事も上手く運ぶと信じており、決められた規則を守るべきと考える、保守的な成人女性です。


彼女は大概、鏡に向かって化粧をしてると降りて来ます。


全般において信頼のおける人物で、仕事でも人間関係でも、彼女に頼めば万事ソツなくこなしてくれます。


私は感謝と尊敬を込めて、彼女のことを<コンパニオンさん>と呼んでます。


ニュートラルで便利な人格なので、日常の生活の大体のことは、この<コンパニオンさん>にお任せしてあります。



でもそれと同時に、彼女と正反対の陰気な女もいるんです。


自閉的で月のように受け身な、ハタチ前後のまだ若い女性です。


自分勝手な世界を作り出し、自己完結してる夢想家。


お地蔵さんのようにガンと動かず、インスピレーションをただキャッチするだけの少女、<ひかげ>です。


<ひかげ>は<コンパニオンさん>のように要領よく立ち回ることなど一切考えない。


そればかりか白痴のように空を見つめ、ボーッとしてることもある。


理由を聞くと「アンテナをベストにチューニングしている」と答えます。


時空の彼方を見つめてフリーズしてしまうこともあり、そんな時はちょっと心配です。



この対照的な2名が私を主導する主人格のようですが、その他に3名ほどの交代人格もいます。


甘いものをせがんでばかりいる、3~4歳の無邪気な子供 <キャンディ>


頑固で批判的で、皮肉な怒りを溜め込んでる70代の男性 <おっさん>


せっかちで下品で早口の、40前後のヒステリックな女 <アドレナリン>



これらの人々が私の身体に住みついていて、それぞれ出番を待っています。


ほらね・・・この通り・・・


やっぱり誰もが多重人格でしょ?



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そしてそれらを操る人形使いの存在を確かに感じます。


出番に合わせて彼らを操る人形使いですね。


分裂したそれぞれの自分を見つめる、内側の知らない誰かさん。


多分それが<ハイアーセルフ>って奴なんじゃないかと、私は内心密かにそう思っているんですが・・・



果たしてこの肉体の所有者は一体誰なのだろう?


誰か本当のところを教えてくれませんかねぇ。





おまけ:

誰もが多重人格者。


たまに混線することがあっても、それはそれでご愛嬌。


人気のアイスクリーム店で行列に並んで、散々待たされて酷い目にあった時は、<おっさん>と<キャンディ>が同時に現れた。


「全くもってケシカラン」『責任者は何を考えとるんじゃ」「世も末じゃ」などとブツブツこぼしつつ、結局トリプルフレーバー完食してしまうのです。



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by viva1213yumiko | 2016-10-13 16:20 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

扁平足という名の病い

初めて扁平足を意識したのは小学校の水泳教室の時だっただろうか?


それ以来、扁平足という名の病いと長いお付き合いをしています。

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夏休みのプール開放日。


プールサイドの焼けたコンクリに足型をつけ、みんなで遊んでいた時のこと。


私の足型だけが若干違うと気づいた子が、それを目ざとく指摘した。


「なんかYumiちゃんの足、変なカタチ~」


そう言われ良く見ると、あらま、確かに他の子と違って足型の窪みがないっ!


ドナルドダックの足跡みたいで、キュッとしたくびれ部分が見当たらないのだ。


「足へ~ん!カタチへ~ん!変、変、へ~ん!」


子供ってのは残酷なものですね。


そっか、私の足って「変、変、へ~ん」なのか・・・


その日から、私は扁平足の十字架を背負うこととなったのです。


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そもそも人は皆、誰もが扁平足として生まれ落ちるのです。


赤ちゃんには土踏まずは存在しません。


土踏まずの足裏アーチは、8~9才頃からの成長過程で形成される器官なのです。


考えてもみてください。


自然界では人間だけですよ。


たった2枚の足の裏だけで体重を支えて立ってる動物は・・・


何十キロもの体重を、たかが20~30センチの足裏で全て受け止める。


しかも一番上に重い頭が乗っかってるんのだから、それはそれはアンバランスな状態です。


土踏まずの空洞はそのバランスを補うために考案されました。


機能的なデザインを重視した<二足歩行用高感度センサー>


土踏まずのあの絶妙な窪みは、自然界における<グッドデザイン賞>なのです。


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さて、「変、変、へ〜ん!」な私の足型も、その後の成長で人並みの足裏アーチが作られ、扁平トラウマとはすっかりお別れ出来たと思ってたんです。


ところが2~3年前からだろうか、またあの十字架が立ちふさがって来たのだ。


立ち仕事やヒールや合わない靴。


加えて加齢や運動不足・・・


積もり積もってアーチがしぼんで、圧力調整の効かない東京ドームみたいになっちゃったんです。


こういうの、専門的には<静力学的扁平>って言うんだそうですが・・・


つまり長年の時を経て、扁平足が甦って来たってことなんです。



つまずきやすくなった。


ジャンプが出来ない。


つま先立ちも出来ない。


出来てもバランスが取れずグラグラする。


足が疲れやすい。ムクミやすい。


衝撃吸収できないので、足裏がすぐにジンジン痛み出す。


<隠れ扁平>の典型的な症状のようです。


ま、要するに筋肉や腱や靭帯が弱くなった分、複雑な足の骨格を支えきれなくなってる訳なんだけど、これらの扁平症状に対する対処療法というのが何となく可笑しいんです。



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まずは靴。


合わない靴とはすぐにさよならしましょう。


テーピングやサポーターなどで矯正するか、あるいは扁平用インソールを使用すべし。


家の中では裸足生活。


極力足を解放して自由に解放してやることが大切です。


そして迷わず足のエクササイズを日課とすべし。


昔の日本人は普通に生活するだけで足裏が鍛えられていました。


しかし現代生活では、その分を意識的なエクササイズでカバーしなければなりません。


<足指ジャンケン>や<足指綱引き><ビー玉つかみ>や<タオル寄せ>を基本のエクササイズとし、足底筋のトレーニングに励まなければならないのです。

 

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扁平足って昔はなかったらしいですよ。


昔の人は裸足に下駄や雪駄でよく歩いたので、自ずと足底筋が鍛えられていた。


足の裏は大地と接する大切な部分です。


昔の人は大地にしっかり足をつけ、今よりよっぽどグラウンディングして生きていたのでしょうね。




ところでお釈迦様の身体の<三十二相八十種好>って知ってますか?


徳の高い人間にあらわれる目に見える特徴を網羅したものなんですが、この三十二の相のひとつに笑っちゃうけど<足下安平立相>というのがあるんです。



<足下安平立相>(そくげあんぴょうりゅうそう)


  足の裏が平らで、地を歩く時足裏と密着して、その間に髪の毛ほどの隙もない


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ほらね、お釈迦様って重症のヘンペーです。


大地に完全に密着してて、髪の毛の入る隙間もないくらいグラウンディングしてる。


扁平はミホトケの分け隔てない慈悲心を意味するんだそうですよ。


なんかそれを知り、ちょっと鼻高々な私です。




[老化は足元から忍び寄る] と、言われています。


グー・チョキ・パッ! それ、グー・チョキ・パッ!


仏の慈悲に委ねつつ、日々足指ジャンケンに励む私なのであります。


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by viva1213yumiko | 2016-08-28 19:08 | 美容・健康 | Comments(0)

シエラザード世界選手権大会

<千夜一夜物語>に出て来るシエラザード姫。

実は私、彼女をいたく尊敬してるのであります。

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昔々のアラビア某国。

妻の不貞を垣間見て、女性不信になったシャフリアール王は荒れまくっておりました。

国の若い女性と一夜を過ごし、すぐさま殺してしまう連続猟奇殺人で、世間を震え上がらせていたのです。

大臣の娘シエラザードは意を決し、自ら王の元へと嫁ぎます。

そして夜な夜な、シャフリアール王に物語を語り始めたのです。

「アリババと40人の盗賊」「アラジンと魔法のランプ」「船乗りシンドバッドの冒険」

その他にも、実在した王やお姫様や英雄たちのお話しも・・・

心傷ついたシャリアール王のため、毎晩お話しを聞かせてあげたのです。

そして話しが佳境入った頃になると必ずこのセリフ。

「続きはまた明日のお楽しみ♡ To Be Continued 」

当然王は焦れて、「もっともっと」と話しを聞きたがった。

このような調子が二百数十日続き、ついに王は花嫁を殺すことを諦めました。

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このシャフリアール王という方も、随分とお気の毒な方ですよね。

彼の痛みを想像すると、嫁さん不信になっちゃうのも当然でしょう。

しかしそれより何よりアッパレなのは、シエラザードの行いです。

殺されないための策とはいえ、毎夜物語を語り、まずは王の心の癒しから始めるとは・・・

シエラザード、凄い才覚じゃありませんか。

世の権力者の奥方が、皆さんこのような能力をお持ちだったら、世界の争い事の半分くらい即刻解決出来るんじゃないかってそんな気がしちゃいます。

このように物語には人の心を癒す力があるのです。

語り部シエラザードは、シャフリアール王の専属セラピストの役目を担っていた訳ですね。

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物語は人の心を癒します。

人は物語のイメージ力に癒されるのです。

物語が持っているその再生のイメージに、人は心動かされ癒されるんですね。

シャフリアール王も傷が癒える頃には全てを悟り、きっと改心するに違いありません。

王の心が癒されたなら、同じように王権も癒されることでしょう。

王権が癒されれば、王国もまた癒されるはずです。

王と王妃の絆が強く結ばれたなら、この国は領民に愛される王国に生まれ変わるはずなのです。


そう思うと荒廃した国家を立て直すためには、葬られ忘れられた<民族の痛み>を癒す必要がありそうです。

様々な人々の様々な想いを<鎮魂>しなければなりません。

今、日本という国がどこかモヤモヤしてるのも、抑圧された様々な想いがあちこちから噴出しているから。

その原因を見つめようとせず放っておいたなら、気づいた頃にはシャフリアール王のように、手のつけられない状態になってるかも知れません。

はっきり言っちゃいましょう。

内側の痛みを外の世界の何かのせいにしてるうちは、本当の問題解決なんて望めないんです。

おとぎ話ですらちゃんとそう伝えているというのに・・・

いつでも大人たちのやることには、ホント困ったものです。

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さてそんなことをボンヤリ考えてるうちに、またしても私の妄想がうるさく騒ぎ始めました。

それはシエラザードみたいな語り部たちの力で、世界平和を計画する話しなんだけど・・・

「決して笑わない」って約束する?

そう? それではこっそり教えましょう。


「パンがなければケーキを食べればいいじゃないの」と、マリー・アントワネットは言ったらしいが、確かにお金持ちが貧しい暮らしを想像するのは難しいことですよね。

人は想像のすることの出来ないものは、理解不能なものなのです。

理解出来ないものを目の前にすると、人は恐れの反応を示します。

そしてその恐れが見えない壁を作ってしまう。

恐れの感情がいとも簡単に敵を作ってしまうのです。

だから世界平和を本当に願うなら、あなたが無意識のうちに敵とみなしてるもの(本当は恐れているもの)を理解するよう努めること。

それが大事なポイントです。


この世界を導いてる指導者たちには、そこらへんが分かっているのでしょうか?

「他者への共感力」の大切さを、どの程度理解してるのでしょうか?

もしかして地球にとって最も有害となるのは、指導者たちの<想像力欠如>じゃないかと思わずにはいられません。

各国の元首クラスの人々の感性を塗り直す、情操の再教育が必要です。

語り部たちの心揺さぶる物語で、指導者の心の歪みを回復して頂く、そんなプロジェクトが必要です。

未来の地球を正しくイメージし、人類愛に目覚めて貰い、戦争する気が萎えてしまったら、これは御の字じゃありませんか?

<シエラザード・プロジェクト>

要人たちを物語で魅了するのです。

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指導者たちは毎夜お話しをせがみ、涙を浮かべ世界平和を希求するようになるかも知れません。

言うならば、世界平和のための<ハニートラップ物語大作戦>って感じでしょうか?

語り部がグレダ・ガルボみたいな美女なら最高ですが、そうじゃなくても一向に構いません。

物語ることが上手ければ、別に色恋に発展しなくても構わないじゃないですか。

役者とか落語家とか、プロの芸人さんでも構わない訳ですよね。

中世の王宮では旅の吟遊詩人が外国の情報を伝えました。

それを思うとミュージシャンなんかも適役でしょう。

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各界で語り部が活躍する<語り部社会>ってのは、きっとステキなものに違いありません。

語り部の力を外交に使えば<語り部外交>が成り立ちます。

各国大使はきっと競うように噺家に落語を習いに行くでしょうね。

経済もストーリーを持つ商品じゃなければ人々に見向きもされなくなる。

<語り部経済>の誕生です。

教育現場では<語り部教育>が主流となり、語りの達者な老人が活躍する<語り部福祉>社会が生まれるでしょう。

そのような社会では、語り部技能者を讃える国際大会が必要となります。

4年に1度、五大陸で順々に催される<シエラザード世界選手権大会>が開催されるはずです。

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<Wシエラ杯>

それは嘘八百でも構わない。

物語の力が人にどれだけ希望を与えるか、世界平和に貢献するかが競われる大会だからです。

笑える話し、恐ろしい話し、涙なしには聞けない話し。

あの世の話しや、不思議な話し。

宇宙の話し、神々の話し。

動植物や自然科学・機械工学・歴史哲学の話し。

<Wシエラ杯>出場の選手たちは祖国の名誉を背負って、優れた話しを競い合うに違いありません。


しかし表彰台でメダル争いをするような優れた選手たちは、皆揃って似たような話をしてると気づかされることになるでしょう。

どこの国の選手であろうと、「人類はひとつ」「地球もひとつ」「愛とひとつ」という物語を、結局は語ることになってしまうからです。


<Wシエラ杯>

地球人みんなのための神話が、今求められてるって気がするのです。

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by viva1213yumiko | 2016-07-31 00:21 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

花とヒロインと周波数

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物語のヒロインはよく花のイメージに例えられます。

例えば赤いバラ。

それは自由奔放な<カルメン>のイメージです。

赤いバラの花言葉は「情熱」ですが、<カルメン>にはその言葉通り、誘惑と血の匂いがしますよね。

そして白いユリ。

<聖母マリア>の純潔の象徴は、汚れなき慈愛と母なるものの受容性をあらわします。

椿の花など、その名もズバリ<椿姫>

華やかな社交界を捨てて誠の愛に順じた、高級娼婦の儚い命の象徴です。

映画<ひまわり>では大地のような存在感のソフィア・ローレンのイメージ。

<昼顔>ではカトリーヌ・ドヌーヴの上品なエロスが象徴されてます。

<ギリシャ神話>にも花のイメージから生まれたエピソードが多いですね。

アドニス・クロッカス・ヒュアキントス・ナルキッソス・ダプニス・アイリス・アマリリス・・・

登場人物(ヒロインというより美青年が多い)が花に化身する話しばかりです。

日本文学にも<野菊の墓>とか<虞美人草>とかありますし、<源氏物語>に至っては夕顔・末摘花・葵・玉鬘・若紫と、植物系ヒロインのオンパレードです。

なるほど〜、このように見つめ直すと女性の個性って花の姿に上手く表現されちゃうもんですねぇ。


ヒロインたちの性格はそれぞれ千差万別です。

なのになぜか皆、イメージピッタリの花がちゃんと存在しています。

しかも皆ドンピシャリとお似合いの花ばかり・・・

考えてみれば不思議な話しですよね。

それはなぜでしょう?

花と女性、その両者には何か共通する接点でもあるのでしょうか?

花の個性とヒロインの個性の間には、見えない因果関係があるのでしょうか?


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太古の昔から「花や植物には不思議な力がある」「花が身近にあると人の心を癒す」と信じられて来ました。

有史以来、人類は延々と見近な花で花セラピーをして来たのです。

花言葉や花占いからも直感出来るように、心の傷を取り除いたり、心のバランスを計ったり、花には我々の心を癒す働きがあるのです。

しかし花のセラピー効果はそれだけじゃありません。

心の中の<否定的な考え方や習慣を解放>したり、<自己探求や精神的な成長を促す>働きもするらしいんですね。

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花や植物にはその姿・形・生育環境・性質など、その種ごとにはっきりとした個性があります。

しかもそれぞれの種特有のバイブレーション(エネルギーパターン)を発散していて、その植物ならではの固有の振動数を放ってるそうです。


実はこの世に存在する物質というのは、すべて振動しています。

もちろん我々ひとりひとりの人間にもそれぞれの振動数がある。

だからまるでギターの弦が共振するように、花のエネルギーは我々の命のエネルギーフィールドを震わせることが出来るんだそうですよ。

<共振の原理>が人間の思考や感情に影響を与えるのです。


<植物療法>は自然の力を借りて、人に本来備わる<自然治癒力>を高める療法ですが、植物の振動数と我々の振動数とが共鳴する時に調和が生まれ、その時<自然治癒力>は目覚めると考えられています。

植物には<自然治癒力>を刺激し、我々の戦う力を呼び覚ます大いなる知恵があるんですね。

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私たちが思うより、花ってず〜っと精妙な性質を持ってるみたいです。

そこには人間の魂の発達のための元型があるのです。

花々は<人生の運命的なパターンの問題>とか、<自己完結のための課題>だとか、<魂の発展を妨げている何らかの病理のヒント>とかを、どうやらご存知らしいのです。

植物のエネルギーは魂の成長のため、これらを統合する働きがある。

植物の生命力が我々の魂を育ててくれるのです。


花の世界って本当に不思議です。

姿かたちや生育環境・色や香りなど、花の世界のスピリッツをもっと学びたくなります。

花のスピリッツと親しくすることは、ある種のスピリチュアル・サイエンスと言えるかも知れませんね。

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[立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・]

あなたが好きな花は何ですか?

なぜその花が好きなのか、考えたことありますか?



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by viva1213yumiko | 2016-02-14 19:09 | 美容・健康 | Comments(0)

ハートチャクラの子守唄

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   ちっちゃな頃から悪ガキで 
   15で不良と呼ばれたよ
   ナイフみたいにとがっては 
   触るものみな傷つけた

   あぁ分かってくれとは言わないが 
   そんなに俺が悪いのか
   ララバイララバイおやすみよ 
   ギザギザハートの子守唄


昭和のアイドル、チェッカーズの<ギザギザハートの子守唄>

いわゆる<青春の蹉跌>って奴ですね。

誰もが身に覚えがあり、赤面しつつ共感しちゃう、イタい青春の物語です。

だからなのでしょう、この唄は大ヒットし、多くの老若男女がカラオケで熱唱し続けたものです。

インターネットもまだなく、人の心も素朴で、今より遥かに平和だった時代のお話しです。
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しかしこの懐メロ歌謡には、正しい真実が語られています。

それはハートのギザギザに関する真実です。

ギザギザハートとは傷心、つまり心に痛手を受けて悲しみに沈む、そんな時の心の形状を指します。

ハートブレイクして悲鳴を上げてる、心の内面の状態の事ですね。

歌詞は、ギザギザハートの中にはとがったナイフがあると唄います。

そしてこのとがったナイフこそが、近寄るものを片っ端から傷つけ、破壊して行くのだと・・・


そう、全くその通りですね。

我々の心とは鏡のようなものなのです。

柔らかなハートには柔らかいクッションが似合い、ギザギザハートには鋭いナイフがぴったり似合う。

ひとりひとりのハートの形状に相応しいものを引き寄せてる・・・

心とはまさに鏡そのものなんですね。

   
   
   ギザギザに壊れたハート

   その中に隠した鋭いナイフ


多分それは、ピュンと飛び出すジャックナイフみたいなものでしょうね。

普段はしまい込んでいて、存在そのものを忘れている。

だから自分を守るべきナイフに、自分を一番傷つけられてしまうんです。


例えばあなたが、何かのきっかけで人間不信になったとしましょう。

そんな時、目に見えない心をX線写真のように写したら、きっと必ずやギザギザ型に写っているでしょうね。

ハートの傷の修復のため、テープで貼ったり繕ってみたりしても、はっきり言って、それはもう手遅れみたいですよ。

心の傷っていうのは、すぐに細胞レベルまで刻印されてしまうのだそうです。

そして生涯に渡ってあなたに影響を与えるといわれます。

傷が癒されるその日まで、細胞にしみ込んだ記憶や信念が、終生あなたを支配しコントロールし続ける。

そんな風に思ってほぼ間違いありません。

それほどにハートは脆く、壊れやすく、悲しみを吸収しやすい、とても繊細な器官なのです。
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万人のハートは、バレンタインチョコみたいな美しいハート型をしてる訳ではありません。

ほとんどの人間のハートは、ギザギザで荒れ放題のままなのです。

それは俗に「ハートが閉じてる」と言われる状態の事。

愛と思いやりの心を育てられず、自分と他者への理解に欠ける状態です。

親や兄弟、あるいは過去に関わった他者から、物理的虐待を受けたり不当な扱いをされたりした場合、そのような感情が心に残ってしまうと、その人の「ハートが閉じて」容易には開かない状態が続きます。

二度と傷つきたくないから、自己防衛のため自ら愛を拒んでしまうのです。

嫌ですねぇ・・・ギザギザハート

本当に何とかしたいものです。


自分のハートがギザギザハートか、そうじゃないかを知るには、一体どうしたら良いのでしょう?

そのためには、人を愛する時に<条件付きの愛>で愛していないかどうか、チェックしてみる必要があるでしょう。

あなたには、「こうしてくれたら愛してあげる」と、無意識に相手を裁いて判断する癖がありませんか?

<無条件の愛>とは、それよりワンランク大きな愛の事を指します。

いつでも慈悲の心を持って相手を許し、手放し、相手が自由に生きる権利を認める事ですね。

そして自分のこだわりや執着を捨て、軽やかに生きる事。

小さな自我に固執せず、正しい判断を宇宙に委ねる事でもあります。

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<無条件の愛>を体験するためには、愛を司るハートチャクラを活性化させる事が大切なんですね。

このチャクラが元気だと、自分や他人を許せるようになり、恋愛や友情などの人間関係がスムーズになります。

人に対してイライラしたり、無性に寂しさを感じるような時は、このチャクラが鈍っている証拠です。

ハートチャクラに住みついてる恐れや不安を解放する必要がありますね。

ハートの中の否定的なエネルギーを解放すれば、我々はもっと自由になり、もっと軽々とした気分で自他を愛せるに違いありません。


<無条件の愛>というのは偉大な力です。

世界中の多くの人がそのレベルまで意識を広げたなら、争いや貧困などたちどころに無くなってしまうでしょう。


愛を体験したいなら、愛を学びたいのなら、人を愛するその前に、まずあなた自身が自分を愛してやらなければならないんです。

聖バレンタインの日だからこそ、愛ってものしみじみ考えてみたいものですね。




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by viva1213yumiko | 2015-02-13 11:44 | 人生・霊性 | Comments(0)

エネルギー・ヒーリング

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小さな子供がうっかり転んで、膝を真っ赤に擦りむいて、泣きべそかいてしまったら・・・

必ずやお母さんはこう言うはずです。

「痛いの痛いの、飛んで行け~!」


この言葉、まるで呪文のようです。

なぜだか分からないまま、不思議と子供は泣き止んでしまい、その場にすっくと立ち上がり、また安心して走り始めます。

「子供騙しって奴は結構効くなぁ」 「子供は単純でいいなぁ」

なんて、そんな風に思ってはいけません。

理性を獲得したはずの大人のあなたが、その分だけ純粋性を失くしてるっていう、それは他ならぬ証拠になりはしませんか?

子供ってとっても純粋なんです。

この<痛いの痛いの、飛んでけ現象>とは、母と子の安定した愛情関係の上に成り立つ、驚異の<癒しの技>と言えます。

子供の母親に対する<絶対的な愛><絶対的な信頼>が、子供の持つ自然治癒力を引き出したと考えて良いでしょう。

瞬間的に子供の治癒の力が爆発する、身近な奇跡現象とは言えないですか?

イエス・キリストもこう言ってます。

「よく聞きなさい。心を入れ替えて、幼な子のようにならなければ、天国に入ることは出来ないであろう。」

幼な子の素直な心には母の愛は癒しの力そのものです。

子供にとって母親とは、紛れもない真実のヒーラーなんですね。
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<エネルギーヒーリング>

それは遥か昔から行われて来た療法です。

<痛いの痛いの、飛んでけ療法>以外にも、患者のエネルギーを変容させるため様々な治療法が存在しています。

伝統的な部族社会では長年シャーマンたちがその役割を担って来ました。

中世の頃は魔女などと呼ばれた人々がその職能の多くを担当しました。

日本では加持祈祷する呪術師やお坊さん・行者さんですかね?

その後の歴史では、教会や政治の支配層がこの手の能力者を迫害したので、彼らはだんだん地下へともぐって行くようになりました。

近代以降は<医学>が癒しを担当するようになったので、どこか具合が悪くなれば、人は迷う事なく病院へと行きます。

病院では傷病名や症例によって、何科で診療するべきかが決定されるので、場合によってはどこの科に行っても原因不明と診断されてしまう、そういうケースが現われ始めました。

どの医者からも匙を投げられた重病患者が、ある気功師との出会いをきっかけに完全に治癒してしまった。

そんな話しが存在するのも、太古の智慧を受け継いだ伝統的シャーマニズムが、今もなお息づいている証拠なのでしょう。

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実際のところ、最近になって急に色々な流派やヒーリングテクニックが増えただけで、その本質は昔から何も変わっていないのです。

誰かがまとうエネルギーを調整して、その肉体的・感情的・精神的・スピリチュアル的な状態を変える事。

それが<エネルギーヒーリング>だと定義されています。


ヒーリングを行えば必ず何らかしらの変化が起きるものですが、それはクライアントが予想していないレベルで生じる場合があります。

ヒーリングをすれば何かが変わるので、あるレベルにおいては必ず効くとも言えるのです。

事実ヒーリングを受けて奇跡的な回復を見せる人もいます。

この種の回復は劇的なものが多く、通常の治療の法則がまるで当てはまらない神秘的な趣きがありますね。

医師が困惑し診断ミスを疑ってみたり、投薬方法を改めざるを得ないケースもあるのです。

また症状は改善したものの、完全な治癒には至らないケースもあります。

ヒーリング後も「体調には変化はないが、生活の別の面で上向いて来た」または「長年の問題が不意に解決した」という例も数多く、正にちょうど神秘的なタイミングで、その人に起こるべき事が起こったりするのです。

通常の治療が効くかどうか判断できないのと同じように、ヒーリングの影響が患者にどう出るか確実な事は言えません。

分かっているのは、それには「どうやらカルマの問題が大きく左右しているらしい」という事だけです。

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ヒーリングっていうのは、目に見えない世界で起こる現象なので、理屈ではなかなか説明し切れないですし、言葉で語っても完全に理解できるというものでもないようです。

イエスが「聞く耳のある者は、聞くがよい」と言ったのも頷ける話しです。

けれど、そこを何とか無理やり説明するとしたら・・・


私はヒーリングっていうのは<クライアント><ヒーラー><ヒーラーがアクセスする高次ソース>、この三者間で行われるある種のプロセスなのだと思っています。

高次ソース(神・宇宙・根源)に正しくリンクしないままヒーリングを施すと、ヒーラーが消耗してしまうケースがあります。

そういう意味でもヒーリングにはリスクも付きまとうのです。


だから・・・

ヒーリングって結局は<愛の行為>なんじゃないかと思うのです。

母親の真実の愛情がなければ子供の痛みは決して癒されません。

それと同じように、真実の癒しとはきっと<愛の感覚>にかなり近いんじゃないかと思われるのです。

人は純粋な愛の力に触れた時に初めて本当に癒されます。

こればかりは理屈じゃないんですよね。

<愛を信じる心><愛を分かち合う心が>人々の癒しの源泉です。

結局は、「偉大な愛のエネルギーが全てを良い方向へと導いてくれている」としか、他に言いようがないのです。


近頃お疲れ気味で「愛って何だったっけ?」なんて感じる人は、これを機にもう一度<愛の本質>ってものを思い返して見て下さいね。




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by viva1213yumiko | 2014-06-06 20:24 | 美容・健康 | Comments(0)

母親の呪縛から解放される方法

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女性の方に限定で質問です。

ズバリ、あなたにはこんな側面がありませんか?

 

   ・真剣な恋になりそうになると身をひいてしまう。

   ・いつも人の顔色を伺ってしまう。

   ・つい相手の嫌な部分に目が行ってしまう。

   ・人に嫌な顔をされると自分のせいだと思ってしまう。



実を言うとこれらの問題は皆、母娘の関係が影響して引き起こされているものなのです。

ひとつでも思い当たるのなら要注意。

程度の差はあれ、あなたの潜在意識には母親とのわだかまりが隠れている可能性があります。


人は他者との人間関係の築き方やそのパターンを、殆どの場合、母親から引き継ぎます。

自分で好む・好まないとに関わらず、人間関係の傾向は母性の影響下にあるからです。

質問すべてが<Yes>だった人は、もはや警戒警報のレベル。

その場合、母親に傷つけられた心の傷を癒さない限り、心の底に潜んだしこりが原因となり、親と同じパターンを人生上で繰り返す可能性があると思って良いでしょう。


米国のカウンセラー、Dr タツコ・マーティン著<母親の呪縛から解放される方法>によると、人生が上手く行かないと思っている女性の9割は何かしら母親との問題を抱えているのだそうです。

あなたが一度も恋愛が出来ない本当の理由?

それは面倒見が良くて申し分のない母親の中に潜んでいる<コントロール願望>のせいかも知れません。

そして実はこれ、世間にとってもよくある話しなんだそうです。


娘を大事に愛し育てる、大多数のいわゆる普通のお母さんたちの心には、本人さえ気づく事のない、裏の情動があるのだそうです。

それは「私に愛されたいなら、母親の望む通りにしなさい。そうでないとあなたに愛情をあげないわよ。」という隠れたメッセージです。

もちろん母親本人もその感情にまったく気づいてません。

純粋に娘のためを思っていると100%信じています。

しかしその思考や行動を通じて無意識に娘をコントロールし、知らず知らずのうちに彼女の人生観・恋愛観を支配してしまうのです。

そこには娘を味方につける事で安心を得る母親、もう一人の自分になる事を娘に期待する母親がいると思われます。

女同士ゆえに、娘は母親からターゲットにされてしまう。

著者はこれを<母親の呪縛>と呼び、この呪いを解かない限り、その女性の持つ本来の資質は開花出来ないと主張しています。

「母は強し、そしてその呪いは更に強し」って訳なのです。
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一口に母親と言っても色んなタイプがありますが、著者は母親を大きく10のタイプに分けています。

1. コントロールマザー

   思い通りに娘を支配しないと気がすまない。
   子供との間に境界線がなく、子供を管理する。

2. 被害者メンタリティーマザー

   弱々しくみせて巧みな心理で娘を操作する。
   何でも人や社会のせいにして、自分で責任を負わない。
   全員から賞賛を浴びたい貧欲な精神が隠れている。

3. 完璧主義マザー

   努力を認めず完璧な結果だけを求める。
   子供は常に緊張させられ、不安に駆られ、リラックスできない。

4. オールドファッションマザー

   古風で保守的、男尊女卑的な考え方を持つ。
   表面的に男を立てるが、抑圧から男に悪いイメージを持つ。
   セックスは義務であると感じているので嫌悪感が強い。

5. 劣等感マザー

   周りを下げすんで心の安定をはかる。
   自分の娘に嫉妬したり、ライバル意識を持ったりする。

6. 建て前マザー

   周りにどう思われるかで自分の価値が決まる。
   人から羨まれる娘に仕立て上げる事が最優先。
   ブランド・名門校・ステイタスにこだわり、家族にもそれを強要する。

7. 欲求不満マザー

   常に不平不満が絶えず、グチを延々言い続ける。
   うつ気味でいつも文句を言っているので、エネルギーを吸い取られる。

8. 未熟マザー

   精神成長が止まったまま大人に・・・
   子供のように自己中心的でわがまま。 周りを振り回す。

9. 依存症マザー
 
   アルコール依存・仕事依存・掃除依存・買い物依存など。
   のめり込むと周りが見えなくなる。

10. 虐待マザー

   子供に苦痛を与えては自責の念に駆られる。



笑って済んじゃうレベルのものから、かなり重傷の深刻なケースまで・・・

確かに色んな母親キャラがあるものです。

しかしどのタイプの母親も大なり小なり娘の魂に呪縛を与え、彼女の人生を根底から支配しているのは間違いないみたいですね。

女性が成長し自分の本当の人生を生きるためには、母親の呪縛を解かなくてはなりません。

魔女の呪いを解かない限り、白馬の王子の登場に気付かぬまま物語は終わってしまうじゃないですか。
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著者は呪縛を解くために、以下の事を訓練する必要性を教えています。

   ・自分のトラウマを理解する

   ・自分を愛する事を学ぶ

   ・自分のために母を許す

   ・母との間に境界線を引く

   ・母に新しいパターンを植え付ける

   ・思考をボジティブ回路にスイッチさせる


自分の考え方を良く点検し、考え方を変える事で母娘関係を変えて行く事が大切だと結んでいます。


しかし、よく考えてみると母親自身もその母親の呪縛にかかり、自分を愛するってどんな事か知らないまま大人になっているのです。

代々受け継がれて来た<血縁の呪い>と言えなくもありません。

物語をハッピーエンドにしたければ、一度ルーツをさかのぼる必要があります。

昔の出来事をじっくりと思い出し、自分を愛し癒してあげる事・・・

そうしないと自分という花は咲きません。

母も娘も双方共に、実はそれこそが最も必要なのです。




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by viva1213yumiko | 2013-11-25 13:25 | 人生・霊性 | Comments(0)

映画版<レ・ミゼラブル>

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お正月らしい大作が観たくて、<レ・ミゼラブル>選びました。

チラシをチラッと読んだだけ、殆ど事前情報なしに凄い大作観ちゃって、お屠蘇の酔いも一気に醒めてしまいました。


ミュージカル映画は当たり外れが大きいので、さてどっちに転ぶかなぁなんて思ってたのですが・・・

う〜ん凄い! 全く凄いんです。 

圧巻です! よくぞ作ってくれました。


脚本良し、演出良し、キャスティング良し、映像良し、音楽良し、演技良し、歌唱良しと、スタッフ一同入魂の一作となっております。



帝劇の舞台を観て作品のクオリティは分かっていたけど、今回のこの映画版は本当に自然な形でミュージカル作品の世界に引き込まれ、そして不思議なほど胸がしめつけられ、揺さぶられてしまうのです。

それというのも役者さんが演技しながら歌うという、同時録音のスタイルで撮影したからなのでしょう。


劇場の隅まで朗々と響き渡る、ミュージカル特有の歌声ではなく、撮影時に役者が演技しながら切々と歌うので、仕草や表情にも生声のリアリティがあり、登場人物に共感せざる得なくて心を動かされてしまうのです。

ジャン・バルジャンの苦難の生涯が、回りを囲む様々な群像劇が、自分の中にも潜んでいて同じように救いを求めてる<魂の声>を代弁してしまうのです。



物語のテーマは<愛による魂の救済>

愛の力によって魂は浄化が可能であると訴えていて、普遍的な深みがあります。



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私は思うのですが、人の魂とは創造主の手元を離れ生まれ落ちた瞬間から、ある意味すでに傷ついてしまっているとも言えるんじゃないでしょうか。


人生を生きるという事は、無数の可能性の中から一本の道をチョイスしなければならず、まずその段階で選ばれなかったた可能性は、切り捨てられ忘れられ無視されています。


人生の歩みには常に迷いや疑念が付きまとうし、恐れや自己保身が自分と他者とを常に傷つけている。


人生を享楽的に生きたとしても全く救いにはならないですし、かといって聖人のように純粋に他者の為に生きたとしても、この世に傷ついた人がなくならない限り、全ての人を救えなかったという傷がついて回ります。


だからどんな人の魂にも浄化は必要になって来るのです。



神への愛

母の愛

父の愛

恩師の愛

恋人の愛

同士愛

理想への愛

見返りのない愛

宿敵への愛・・・



<レ・ミゼラブル>には色々な愛がちりばめられているので、あなたの魂が今必要としている救済も、必ずやどこかに含まれているんじゃないかと思います。



Les Miserables(哀れな者ども)は、真実の生き方を探し彷徨う、傷ついた魂たちの物語であって、もちろんあなた自身の物語でもあるのです。

古今東西、老若男女、誰が観ようと感動してしまうのは、皆んなそこに自分の魂を見つけてしまうからなんですね。



思いきり泣いて泣いて、琴線をふるわして下さい。

感動で研ぎすまされた分だけ、あなたの魂は透明になって行くのだと思います。



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追伸:
6月暴動の時、学生達がバリケードを張る下町のアパルトマンの壁に、大きなひとつ目の落書きを発見してしまいました。

さすがはハリウッドを牛じると言われるイルミナティ。

「いつの時代も国家権力には逆らえませんよ」というサブリミナル・メッセージなんでしょうか?

158分の上映中、そのシーンだけはちょっとシラケて、「ああ無常」と呟いてしまった私でありました。




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by viva1213yumiko | 2013-01-03 01:11 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

B級映画の楽しみ

訳もなくB級映画が恋しくなる事があります。

スペクタル巨編であってはならない。

ハートウォーミングストーリーでもいけない。

素晴らしい映像美もいらない。

心理劇もだめ。

あくまでもB級のお気楽な映画がフィットする。

そんな気分の時があるのです。


用事の出先で大幅に時間が余ってしまいました。

時は水曜レデイースデイ。

笑える映画で気晴らしして、次の予定に備えようと<テルマエ・ロマエ>を選びました。

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ヤマザキマリの同名人気コミックの映画化で、古代ローマの風呂設計技師が日本にタイムスリップして、風呂文化の新しいアイデアを得、それを次々と披露し成功するという、馬鹿馬鹿しくもユニークな着想のコメディであります。


主人公のローマ風呂の設計士ルシウスは、タイムスリップした日本の銭湯をどこかの属国と勘違いし、銭湯の客を<平たい顔の奴隷達>とさげすみます。

しかし、見事な富士山の壁画技術や贅沢な一枚板の鏡、ケロリンと書かれた発色の良い新素材の桶を発見し、また脱衣所のかごや扇風機や番台システムを知り、<平たい顔族>の風呂文化に驚き感心する。


極めつけはフルーツ牛乳です。

牛の乳に南方の甘い果実の風味を加えた、この世のものとは思えぬ程冷たく美味なる飲み物に感動したルシウスは、その高度な文明に驚愕し「恐るべし平たい顔族・・・」とつぶやく。

そして、それら全てのアイデアをまねた公衆浴場を設計し、ローマ市民から絶大な賞賛を浴びるのです。


阿部寛扮する主人公ルシウス以外にも、古代ローマの偉人達をやけに濃いめの顔立ちの日本人俳優でキャスティングし、<平たい顔族>との違いが強調されて、何だか意味もなくただ笑えます。


ところでこの映画の中で、上戸彩扮する女性漫画家の実家(古い温泉宿)が登場するのですが、そのロケ地はなんと、那須岳の北にある秘湯<北湯温泉>だったのですよ。

温泉通のあいだでは、天狗の面の混浴と屋外の巨大な温泉プールで知られる、山の一軒宿<北湯温泉>なのです。

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忘れもしない、那須にご縁ができた最初の正月。

雪の降りしきる寒い日。

駐車場脇にある滑り止め用の荒縄を靴に巻きつけ坂を下り、噂に聞いていたこの温泉を初めて訪れ、私はルシウス並みのショックを受けました。

開湯1200年、元禄年間創業のこの湯治場は、昭和、明治、江戸安政期の宿泊施設からなり、ひなびた感を通り越して完全にタイムスリップ、まさに異次元空間だったんです。

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各時代ごとに増築が繰り返された迷路みたいな廊下は、おとぎ話の妖怪が登場しそう。

圧倒的な湯量の温泉があちこちから沸いていて、プールが出来るほど。

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脱衣所に目隠しさえないような混浴が、いまだにあるってことにもびっくりした。

しかしさらに驚いたのは、この山奥で自炊しながら正月を過ごしている常連客がいたことなのです。

酒や食料を持ち込み、宿のどてらを着込み、温泉→お酒→こたつ→うたた寝→温泉→お酒→こたつ→うたた寝を繰り返すのだそうです。

俗世を離れた山の湯治場で、[なにもしない]をする甘美な正月。

雪景色の時空を超えた異空間。

最高にイカした<平たい顔族>に出逢えたのは、ルシウスだけじゃなくこの私もだったんですね。


このような忘れられない心象風景が、映画のロケ地となり、思いがけず突然スクリーンに大写しになって飛び込んで来たという訳。

[プチ感動] とでもいいましょうか・・・

私はもう、心の中でひとりはしゃいでしまいましたよ。

古代ローマと、レトロ日本と、あの雪の正月の原風景とが同一線上に急に繋がり、突然意味を持って輝き始め他のです。


さほど期待もしなかった映画から、思いもかけずこんなギフトを手にする幸せ。

B級映画ってこれだから好きなんです。



北湯温泉




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by viva1213yumiko | 2012-06-15 20:48 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

3D映画革命<Pina>

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アート系初の3D映画の誕生として話題の<ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち>を観た。

ヴィム・ベンダース監督が、2009年急逝した天才振付家のピナ・バウシュへのオマージュとして完成させた、とてつもなく感動的な映像作品です。

このふたりのずば抜けた才能が合体して、舞踊芸術と映像芸術の境界線辺りで、新しい化学変化が起こってしまいました。

コンテンポラリーダンスは難しくてどうも苦手。という方もきっと、これは凄いと思うに違いありません。


まず、ピナ・バウシュという人について。

ドイツのヴッパータール舞踊団を率いる舞踊家・振付家で、ダンツ・シアターと呼ばれる演劇的手法のコンテンポラリー作品で世界的な評価を得た女性です。

演劇とダンスの融合というだけあって、日常的な身振りや会話が自然に織り込まれている作品世界で、人間の内奥を描く自由な身体表現だと言えます。

<愛と孤独・傷み・喜び>が主なテーマで、心の深部に眠る渾然一体となった深い感情を呼び覚ますような作風です。

人間が持つ業の深さや、絶望までをも見通した視点で創作が行われているので、封印したはずの不愉快な感情、いらつき、不調和さえもあばき出されてしまいそう。
           
美しさへのアンチテーゼとでも言うのでしょうか、人間の持つ生々しい感触に触れて、体調が悪ければめまいさえするかも知れません。

しかし、そこには深いレベルでの癒しと浄化があり、魂の解放が隠されているのです。


そして、ヴィム・ベンダースという人。

<パリ・テキサス><ベルリン天使の詩><ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ>などの作品で知られるドイツの映画作家。

乾いた空気感の風景描写のロードムービーが、傑出して評価されています。

小津映画の大ファンであり日本贔屓も有名で、震災後福島を訪問して被災者をアートの力で励ましたりもしました。

ニュージャーマンシネマの開拓者と言われています。
  
 
映画冒頭の<春の祭典>の舞台シーンから何だか息苦しい。
 
数トンの土を敷き詰めた舞台上に裸足のダンサーが集まり、激しい群舞にエスカレートして行く。

春の生命エネルギー甦りのため生け贄を捧げる古代の儀式をモチーフにしたダンス作品だ。

荒々しい生命力。残酷なまでの暴力的身体表現。

怯える表情。

乱れた髪。

滲んだ汗。

ダンサーの息づかいや、衣ずれの音まで聞こえる。

これは、凄い!

スクリーンがステージになっちゃった。
  
3D映像って、こんなにも場の空気感を再現できるものなのね・・・驚いた。


その他の舞台作品として、人間のディスコニュニケーションを表現した<カフェ・ミュラー>、ダンスホールを舞台にした<コンタクト・ホーフ>、巨大な岩と降り続ける雨の<フルムーン>、と心臓をわしづかみにされそうな踊り?が紹介されて行く。

どれも緊張感あふれるものばかりです。

 
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そして圧巻に面白いのが、劇場空間から屋外に飛び出したダンサーを3Dカメラが追いかけるところ。

林で、公園で、温室で、プールサイドで、

モノレールで、エスカレーターで、

歩道橋で、中央分離帯で、

製鉄所で、採掘場で、廃坑のトロッコで・・・

明るい陽光のもと、ベンダースのカメラがピナのダンス作品を、さらにさらに自由に解き放ってみせた。

その非日常的なイメージの魔法。

「ダンスなんて興味ないよ」

と、いう人でも必ずや心を揺さぶられる事間違いなしだと思います。



ピナ・バウシュは生前いつもダンサーにこう言って指導したそうです。

「自分を見失わないように、踊り続けなさい。」

この言葉、どんな人の人生にも当てはまる深いメッセージだと思います。

3.11以降の私達日本人に、今最も必要なメッセージとも言えるのではないでしょうか。




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by viva1213yumiko | 2012-03-14 00:32 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)