カミもホトケもいるんです

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日本人に「あなたの宗教はなんですか?」と質問すると「無宗教です」と答える人が多いですよね。

「私は仏教を信じています」とか「私はキリスト教です」とか、はっきり答えられる人はかなり少数なんじゃないでしょうか。


私自身、教会幼稚園でイースターやサンクスギビングやクリスマス・キャロルの洗礼と刷り込みを受け、キリスト教行事の暦に馴染んで成長して参りました。

父親が亡くなり「やれ葬式」という段になって、初めて日蓮宗の家系である事を意識させられたのですが、日本的神仏信仰や日本人の霊魂観について、それまで考えた事すらなかったというのが正直なところです。


正月には初詣をし、お彼岸には墓参りもし、法事も七五三もするけど、実際のところ日本人の宗教観ってどんなものだったのでしょう?

昔の日本人の霊魂観を知りたくなりました。

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日本人はもともと神道の習俗による霊魂観を持っていました。

死んだばかりの霊魂の事を荒御霊(アラミタマ)と呼んでいました。

字のごとく荒々しい魂です。

そのアラミタマが時間を経て和やかになり落ち着くと、和御霊(ニギミタマ)へと変化するのです。

昔の人は、この荒々しいアラミタマの事をホトケ、穏やかなニギミタマの事をカミと呼んでいました。

ホトケの中でも特に、死んだばかりの一周忌までの霊魂を精霊(ショウリョウ)と呼びます。

精霊はあの世にまだ居場所がないので、現世に未練を残して荒れ狂っている。

ことさら荒ぶる霊魂なので祟る(タタル)と考えられたのです。


死者が出るとその家の家族・親類縁者には死の穢れ、死穢(シエ)がついてくると見なされました。

だから49日は村人と付き合わず、忌中(キチュウ)として隔離したのです。

昔の人は死の祟りを信じ、とても怖がっていたのです。

それで49日から三回忌までに、残された者たちで魂鎮め(タマシズメ)をする事になった。

この鎮魂儀礼を担当したのが、大陸から伝わり日本に定着するようになった仏教だったのです。

49日・一周忌・三回忌と、荒御霊にお経を唱え魂鎮めをして行くと、荒れていたホトケは少しずつ慰められて安らかになり、33年で和御霊つまりカミになると信じられていました。

カミになってしまうと霊魂はもう祟らない。

個人の魂というよりその土地や自然の魂になり、村のカミ・田のカミになったりして村人達に豊作をもたらすのです。

村落共同体にとってメリットのある存在になる訳なのです。

[ホトケが浄化されてカミになる]

本来、この神と仏の2本立ての考え方があったので神道と仏教はうまく習合して秩序を保っていられたのです。

だから日本人にとっては、カミは死者の数ほどいて何ら不思議ではありません。
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昔から日本人は自分たちが色々な神様と一緒に住んでいると考えて来ました。

日本人は空気そのものにまで神性を感じて生きています。

空気の「気」はカミを指す概念で、気配(ケハイ)とか物の怪(モノノケ)とか言いますよね。

人と人との間にすら神様は存在すると考え、カミに気配りをしたのです。

神様と一緒だと元気(ゲンキ)になり、カミを忘れていると気が枯れて気枯れ(ケガレ)てしまう。

場の空気を読んで気配りしないと、カミはすぐにいなくなってしまうからです。

田んぼや樹木だけでなく、空気にさえカミがいるのだから、神道ってやっぱりアミニズム的ですよね。

一神教の人から見れば、ロゴスがなくて曖昧に見えるのも当然ですね。


ユダヤ・キリスト教の一神教的絶対関係が、長年男性型の国家主義やグローバル資本主義を先導し、その結果我々は行き詰まってしまったんですよね。

本来ならそれに対抗すべき仏の教えも、現代人にとっては葬式の時しかお目にかかれない代物で、かなりお寒い状況となっています。

自然を直感したり、自然とバランスを取ったり出来る、本来の人間の生き方にたどり着くためには、一神教的男性原理に対抗してもっともっと女性原理を開花させるべきなんだと思います。

事実「女神の時代の復権が、この危機の時代に望ましい姿である」と、色々な方面で囁かれているんですよ。
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 女たちよ、目覚めなさい!

 これからは<女・子供の時代>なんです。




 

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by viva1213yumiko | 2013-04-16 14:07 | 人生・霊性 | Comments(0)
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