母親のお供で盂蘭盆会の法要に参加すると、住職は冷たいお茶をどうぞどうぞとすすめてくれた。 「昨今の夏の暑さはいかんともしがたいものですなぁ。 暴力的とでも言いますかな・・・」 人体に危険なレベルの暴力的な暑さのこの日。 お盆に呼び出されるご先祖の霊たちも、これには驚いてしまうことだろう。 ヤル気のないスピリッツばかりが集合する、そんなお盆になりそうだ。(笑) お経をBGMに聞きながら、参加者全員が順に焼香をする。 そして最後に住職の法話があるのだが、本日のお題は<愛別離苦>についてであった。 つい最近、親しかった後輩が乳飲み子を残したまま急逝し、悲しみに暮れる細君のためにも、今日は是非この話しをさせて欲しいとのことである。 <愛別離苦>とは・・・ 仏教における苦の分類<四苦八苦>の中のひとつであり、「どんなに愛する者同士もいつかは別れなければならない」そんな苦しみのことを指します。 配偶者の死・離婚・夫婦別居・近親者の死 愛する者と別れる苦しみは、人間の心のストレスの中で最も強いものなんだそうです。 確かに家族や仲間との生活は永遠ではありません。 必ずや別れの時がやって来るのです。 「どんな愛も別離のない愛はなく、いつかは必ず別れることになっている」 それがこの世の悲しい真実、無常の世界のことわりって奴なのです。 我々は「人を慈しみ、大切にし愛せよ」と教えられて育ちました。 だからその愛情が大きければ大きいほど、それを失った時の苦痛も大きくなります。 そんなに苦しいことが先に待ってるなら、愛することをしなければ楽に生きられるだろう、愛さなければ良いのだろうと思いますが、愛なくして生きることなど出来ないのも、それもまた人間の真実です。(ああ無常) そこには大きな矛盾がありますねぇ。 その矛盾した世界のことを仏教では苦界と呼ぶんだそうですよ。 苦界・・・? やっぱり人の世とは、苦しい世界なのかなぁ? はて、人生をこのように仏教観で捉えると、何だか生きるのが嫌になりそうで、ホント困っちゃいますよね。 仏教では<愛>というものを他を慈しむ・大事にするという意味じゃなく、愛執・渇愛・欲愛などの自己中心的な煩悩(執着)だと理解しています。 キリスト教の<愛>とはちょっと違うみたいなんです。 愛の煩悩(執着)が燃えさかることによって、我々は苦悩に迷い続けなければならない。 「生死の大苦界に浮き沈みする凡夫」というのが我々の姿だと言うのです。 誰だってこんな苦界で溺れるのは、もう止めにしたいに決まってる。 そこで仏教は「悟りを得ましょう」と教えるのです。 凡夫である我々は罪障(カルマ)を滅して、悟りの世界・浄土の世界への往生を目指すべきである。 「じゃなければずっと苦界で溺れ続けることになるんですよ。知ってました?」 って、そんな感じの教えなんです。 なぜ別れは辛いのでしょうか? それは愛しているからであります。 実際愛してなければ、別れがあろうがちっとも辛くないんですねぇ。(笑) 本当に深く愛し合ってる男女に限って、むしろ辛い別れが待ち構えていたりするのは、愛という名の<執着を手放すレッスン>が用意されてるからなのかも知れません。 神や仏のなさることは時に残酷で、理解に苦しむことが多いのです。 愛をテーマにした悲しい別れの物語は、この現実世界の中で、日々尽きることなく生まれて来るのです。 よく配偶者と死別した人に「時が癒してくれる」と言って慰めたりしますが、そんなのその当事者にしてみたら全く受け入れられない言葉でしょうね。 でもその人たちも、だんだん落ち着いて現実を受け入れられるようになると、やはりその通りだと思えるようになるんだそうです。 だから<愛別離苦>の苦しみに今現在直面してる人と、それを乗り越えた人とでは当然温度差が生じます。 精神的に落ち込んでる人はアドバイスを聞き入れる状況にはないし、善意の慰めもマイナス効果になることがありますよね。 苦しんでる人の話しは聞く方も辛いですが、相手を見て悲しみを理解し寄り添ってあげる、そのことが何よりも一番大切なことなのです。 <愛別離苦>の苦しみを乗り越える。 大事なのは苦しみに逢わないようにすることじゃなく、苦しみにあったとしても負けない自分を作ることなのでしょう。 筋トレして丈夫な身体を作るようなものです。 悲しみの深さは人それぞれだと思います。 悲しみが癒えるまで時間がかかる場合もあるでしょう。 しかし乗り越えさえすれば、故人の分・別れた人の分まで、必ず前を向いて歩いていける時が来るはずです。 <愛>とは何か? 最も大切なことなのに親も先生も教えてくれません。 国語・算数より大事なはずなのに、なぜ学校でも教えてくれないのでしょうか? 誰もが皆んな持ってるはずなのに、誰も教えられないって何か変ですよね。 <愛>は個体じゃないし、液体でも気体でもない。 形態でも質量でもない。 あれでもないし、これでもない。 <愛>とは何ものでもありません。 しかし<愛>はある。 静かにただ存在してるんですよね。 「愛とは決して後悔しないこと」 往年の名画<ある愛の詩>には、こんな台詞がありました。 「クサい台詞だなぁ」と当時は思ったものですが、実はなかなか含蓄のある言葉だったんだなぁ~と、今更ながらに思ってる私なのです。
by viva1213yumiko
| 2015-07-16 14:50
| 季節・行事
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