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世界で最も哀しいお告げ


この世には悲劇と呼ばれるものが存在してます。


戦争や災害などが起こるたび、そこにはたくさんの悲劇が生まれます。


トロイア戦争の叙事詩<イリアス>、ロシアの歴史大河小説<戦争と平和>、日本の軍記<平家物語>など、物語は実際の史実を超え語り継がれて行きます。


さらにもっと個人的な悲劇なら・・・例えば<ハムレット>は?


登場人物が次々と死んでしまう哀しい復讐劇です。


男女の恋の悲劇なら、やっぱり<ロミオとジュリエット>?


いずれにせよ、どれもが皆んな最終的に<死>で幕を閉じる。


悲劇ってどうにもやるせないものですね。


だけどこの中のどんな悲劇だって、オイディプス王の味わった哀しみに比べれば、所詮はスケールちっちゃい感じです。


なぜでしょう?


それはこうだからです。


本当の悲劇とは、厳しい<業>を引き受け人生を生き続けなければならない、その哀しみそのもののことだから。


ギリシャ悲劇の最高傑作、<オイディプス王>の物語。


この世で最も救いのない悲劇に見舞われた王様のお話しです。


それでも王は<死>に逃げ込まなかった。


<業>を引き受けそのまま生きることを決意するのです。



「いずれ父を殺し、母と交わるであろう」


というアポロンの神託を聞き、親殺しの罪を犯さぬよう国を去ったオイディプス。


しかし旅先の小さな諍いから、名も知らぬまま実の父親を殺してしまいます。


そして王を亡くして未亡人となった実の母を、そうとは知らずに娶ってしまう。


呪われた運命から逃れたはずが、皮肉にもアポロンのお告げを成就させることになってしまった。


オイディプス王は結局、父を殺し、母と交わる。


そして4人の子を設けるのだった。


ところが国中に疫病と凶作が蔓延する。


盲人の預言者に「先王を殺した犯人を見つけ、汚れを払わなければ、この災厄から逃れられない」と告げられ、先王殺しの犯人を探し始める。


しかし捜査するうち出生の秘密が明らかになり「先王殺しの犯人は他ならぬ自分自身だった」と驚愕の事実に気づく。


息子と結婚してしまったことを知った王妃は、絶望し、首を吊って死んだ。


そしてオイディプス王も「これほどの悲劇は見るに耐えない」と、自らの両目を潰し、盲目となって放浪するのです。



物語の教訓はこうでしょうか?


[ 人は自分の宿命から決して逃れられない ]



神託に抵抗する人間の振るまいが、神託の成就にあらかじめ組み込まれていたなんて・・・


恐るべき予言の先読み効果じゃありませんか?


良かれと思って打った先手が、却って地獄を呼んでしまうんだから、これに勝る不幸はありませんよね。


過酷な運命に弄ばれ、予想もしなかった破滅に至る。


<オイディプス王>の物語には、そのような人間の<救われぬ哀しさ>が描かれています。



しかし、オイディプスは偉かった。


絶望に陥っても自死せず、盲人になって追放されても、厳しい生に耐え、生き抜く道を選択する。


過去を探らなければ苦悩することもなかったはずなのに、それでも苦悩を抱え、生きる決意をしている。


立派な<生き様>だと思います。


私たちも皆、多かれ少なかれ何らかの哀しみを引き受け、毎日を生きてるのは確か。


それだからこそ我々も、オイディプスのように潔く、ジタバタもせず、十字架を引き受けて生きる。


そんな生き方こそが理想です。


少しでもそれに近づけるようになりたいものです。


結局自分と折り合いをつけ、哀しみを背負う覚悟の出来た者だけが前進出来る。


それは物語の世界だけじゃないんですね。



しかしそれにしてもオイディプスの運命って過酷です。


このような宿命の星の下に生まれるには、それ相当の、それなりの因子が必要なんでしょうねぇ。


そこら辺から推測しても、彼にはやはり<血の絆>というテーマが大きく関わってると思います。


苦しいことが起こった時、それを「カルマのせい」と考える人は多いでしょ?


カルマって本人の預かり知らぬ場所で予想もしない形で成就したりするから、ホント困っちゃうんですよね。


原因が分からかず「なぜ自分ばかりこんな目に?」と嘆くことになる。


<カルマ論>は奥の深い話しでして・・・ホントに始末に負えないんです。


結局このオイディプス王の場合、近親の血族関係のカルマも大きく影響してるってことなのでしょう。


<ファミリーシークレット>って奴です。


王家の血脈の純粋性も左右してるでしょう。


計り知れない秘密が水面下で発酵し、それが一気に噴出してしまった気がします。


王にお逢いした訳じゃないし(当たり前だ)、詳しいことは分かりませんが、大いなる秘密が深いレベルに隠れてるってことだけは良く分かりますよね。



人は本当に宿命から逃れられないものなのだろうか?


オイディプス王の物語から、姿を見せない真実の不思議なカラクリを思わずにいられません。


ジグソーパズルのピースはちゃんと揃っているのです。


でもいつまでたっても我々には全体像が見えない。


私たちはそんなもどかしさを抱え生きています。



生まれて来る前から決まってるのが<宿命>で、自分の努力次第で切り開けるのが<運命>


江原啓之さんも確かそう言ってました。(笑)


時代や国や人種、親兄弟や親族、性別、体質、容姿、寿命・・・


我々がどんなに強く望んでも、あらかじめ決められている宿命は、降参して受け入れるしかない。


そうするしかないところにも、また哀しさがありますね。



スピリチュアリズムではなぜ自分がこのような宿命の下に生まれたか、考えてみることが大事だと教えます。


それが人生理解を深める第一歩になるというのです。


自分の人生になぜこんなことが起こるのか?


自分の中のどのような問題を解決すべきか?


そこにはどんな課題があるのか?


変えようにも変えられない宿命をまずは受け入れること。


そのプロセスが自分に必要な学びのスタートだって、そう教えるんですね。



「いずれ父を殺し、母と交わるであろう」


オイディプス王が告げられたのは、世界で最も哀しいお告げです。


そしてその宿命を悟った時、王は自らのカルマを背負う覚悟をし、放浪の旅に出た。


大切なのは人生で起こるどのような出来事も、自分を磨く魂磨きの場所だと、そう考えられるかどうかです。


それさえ出来るなら試練も切磋琢磨し乗り越えて行ける。


自分を成長させることが出来るんですね。



「人生には試練はあっても不幸はない」のだそうですよ。


何かの本でそう読みました。


どのような場所からも前へ進むことは可能なんですね。


あなたの宿命をしっかり受け止めましょう。


そして運命の方は、どうぞ大きく切り開いて行って下さいね。




[ それぞれの魂は過去生の勝利によって強化されるか、もしくは欠点によって弱まってこの世に生まれて来る。この世のどこに位置づけられるかは、その人の過去の美徳、あるいは欠点によって決定づけられている ]


オリゲネス・アダマンティウス 初期キリスト教神学者(185頃~254頃)  





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by viva1213yumiko | 2018-05-11 23:22 | 人生・霊性 | Comments(0)

デモデモループ

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ポニーテールにリボンをつけて、フリルブラウス、膝丈スカート。


いかにも育ちの良さそうな、お嬢様風情の20代後半の女性と知り合いになったことがあります。


彼女は今どきの女性にしては珍しいほど、メチャメチャ結婚願望の強い女性だった。


そしてこのように言うのです。


「どうしても結婚したいんです。結婚しなきゃならないのに全然良い人と巡り会えない。それは何か原因があるのでしょうか?」


「結婚しなきゃならない」って、それはまた何でだろう?


そこら辺の彼女の微妙な感情ニュアンスが若干気にはなりました。


でも良家の子女とあれば、それなりの家柄事情があるかも知れない。


「なるほどね。で、どういった婚活をしてるのかしら?」


それだけ結婚を望むなら何かしらの行動を取っているはずと思い、私はそう尋ねました。


ところが彼女は婚活パーティーとか、その手の類いには一度も行ったことがないと言う。


理由は「そう言う場所に行くと、結婚したくて焦ってるのがミエミエになる。だからロクな男性と知り合えないはず」とのこと。


「でもあなたは結婚を望んでる訳なのよねぇ?」


念を押し、彼女の気持ちを確認してみる。


するとこのような返事が返って来るのだ。


「はい、結婚したいんですぅ。でもぅ、男の人の方から好きになってくれなきゃ〜私。絶対ダメなんですぅ~」



人間の心というものはホントに巧妙に出来てるものですね。


「結婚したいんですぅ~」


「でもぅ、男性の方から好きになってくれないとダメなんですぅ~」


「でもぅ、30までには何とかしたいんですぅ。親にもそう言われるしぃ~」


「でもぅ、そんなにムシのいい話ってあるんでしょうかぁ?」


「でもぅ、このままじゃ私ダメなんですよねぇ~」


「でもぅ、世間はそんなに甘くはないしぃ~」



心の中で静かに「嗚呼・・・」と呟く私。


彼女は<デモデモ星>からやって来た、<デモデモ星人>なのだろうか・・・?



この<デモデモループ>に引っかかり、どうにも動けなくなってしまう人って案外多いんです。


<デモデモループ>は悪魔が仕掛ける巧妙な罠。


じめじめ暗~い<永久迷路>に、あなたの心を放り込むトラップです。


もしも今、あなたに<デモデモ症状>が現れているなら、それは迷路に踏み込んじゃった何よりの証拠。


迷路の中にはアリ地獄がいっぱいあって、焦れば焦るほど深みにハマります。


こういう時は自分勝手な判断で動くと、どんどん運に見放されちゃうんですよ~


その理由、何故だか分かりますか?


運がそっぽ向くのは、頭と心がバラバラで、全く別の方向に向かおうとしてるからです。


思考と感情が反発し合って、まるで反抗期の子供みたいな状態。


頭は右向き。


なのに心は左向き。


180度違う方向に行きたがってる。


一見考えは前向きみたいでも、感情は完全に後ろを向いていたりする。


それだと必死に努力しても、サイドブレーキ引きながらアクセルブンブン吹かすようなもの。


結果がまるで伴わないんですね。



<デモデモループ>の彼女は頭で考えることに、まるっきり行動がフィットしてません。


現状を変えたいと言いながら、現状を変えないですむ行動を取ってる。


そして本来は問題など何もないとこに、わざわざ問題を作ってる感じです。


結婚だけが幸福ではないと、彼女の方も頭では分かってます。


けれど家柄や家風に洗脳された長年の信念が、<結婚>を果たさねばならない<責務>のように考えている。


思考は未来の幸福をイメージするけど、感情の方はプライドや世間体にドップリ縛られたまま。


そこから一歩も動けない状態です。


行動出来ない原因の多くは、彼女のような隠れた<感情的要因>です。


逆に言えば、やりたいことがあるのになぜか行動が伴なわいとすれば、それは純粋に求めていない証拠なんです。


人間は行動し変化し成長する生き物です。


変化をしないということ・・・


それは滅びる時間をただ待つのみです。


彼女も勇気を出して令嬢の仮面を脱ぎ、次の仮面を手にするそんな時期にいるように感じました。


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彼女の潜在意識には一体どのような想念が埋もれているのでしょうか?


それを覗く時が来たようです。


人は潜在意識に眠るたくさんの信念に支配され生きています。


チャクラから入り込んだ様々な欲望や、習慣的な考え方がストックされるからですね。


人は感覚に支配される生き物です。


<美醜>や<善悪><好き嫌い>で判断した、雑多でとりとめのない想念で溢れています。


過去に感じた感情や満たさせない想いが、手つかずで放置されたまま。


言わば片付けられない部屋に住み続けるようなものです。


大多数の人々は、善良さの中に少し悪のスパイスが香る、そんな<甘辛ミックス>の部屋に住んでいます。


しかし彼女の場合、ほぼ全てのチャクラが同じ想念で固められ、ミックス・テイストの入る余地ゼロ。


鎖で縛られたようにある信念にこり固まっていました。


その信念とはこんな感じ・・・


 この世界は自分を貶める怖いものに満ちている。


 だから私はシェルターに入って自分を守らなければならない。


 完璧なシェルターで自分を守ってもらうこと、イコールそれが結婚である。



深窓の令嬢で世間知らずだったとしても、これはかなり重症の<怖がり屋さん>ですよね。


彼女はこの強烈な想念に、思考も感情も、肉体をも占拠されてしまってました。



 安全パイの外側は、まだ見ぬ未知の世界。


 恐ろしい魔物の住む世界と聞く。


 だから居心地悪く窮屈でも、ここにいれば安心。


 親も喜び、皆んながハッピー!



親の望んだカゴの中の人生を、安全で正しい生き方だと刷り込まれる。


そしてそれを自分のやりたいことと勘違いしてしまう。


そうして本当の自分を自立させられないまま人生を無駄に過ごす。


良い子にありがちな典型的パターンですね。



「結婚したい」けど「したくない」


「本当はしたくない」のに「したいと思い込んでいる」


だから「結婚したい」と口では言っても男性との間に見えないバリアーを張る。


何だかすご~く矛盾した、<矛盾娘>が出来あがります。


上から下まで身体中に染み渡るほど、<デモデモループ>で覆い尽くされてた彼女。


それでもやっぱり結婚したい? 


う〜む、今のままだとムリがあるかも。


だって・・・


シェルターに閉じこもってる自閉女なんて、男性はご免こうむりたいですもんね。



人は頭や理屈で分かっていても、感情面で納得いかなきゃ動けない生き物です。


<デモデモループ>はそんな時に現れるので、すぐに分かります。


何らかしら満たされない感情があるなら、まずその感情を満たして癒してやる必要があるんですね。


そうして初めて本当にやりたいことに導かれる。



人は理論じゃ動きません。


感情が動いてこそ、初めて本当に動き始める。


大切なのは思考じゃない。


イキイキと感情が動き出すことが肝心なんです。


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チャクラについて知りたい方にちょっと耳寄りなお知らせです。


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by viva1213yumiko | 2017-09-29 14:24 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

ジィジとバァバのグラン・パ・ド・ドゥ

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「もう参っちゃうよ〜 今度の日曜、バレエの発表会なんだよぅ〜」


友人は娘の発表会を目前にし、まるで自分が出場するかのように緊張している。


その様子がいかにも可笑しかったので私は必死で笑いを堪えていた。


バレエの発表会。


それは幸せファミリーを実感できる最高の場面です。


友人のそのドギマギした感情さえ、むしろ人生の醍醐味じゃないかと思えるんですけどねぇ〜


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子ネズミみたいな小さいバレリーナでも、発表会ともなれば衣装を身につけ舞台に立つ。


カサカサするチュチュの手触り。


くすぐったいような舞台袖の緊張感。  


パパもママも一枚でも多く写真を残そうとカメラをスタンバイしている。


晴れ舞台を両親が見守るこの日は、甘酸っぱい記憶の宝庫です。


そのメモリーは魂の奥に刻印され、忘れがたい印象を宿し、その子の生涯に大きな影響を与えることでしょう。



そんなバレエ発表会に潜入することになっちゃいました。


そして改めて気づかされました。


「家族って似た者同士が集合する小さな組織である」ってことに・・・


それはとても何気ないけど、しかし極めて大事なこと。


バレエの発表会とは<家族>を客観的に観察するのに最適の場だったんですね。


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いや~、家族って奴はホント、不思議なもんですね〜


しみじみそう思っちゃいました。


ほら運命の赤い糸ってあるでしょ?


アレ、アレ・・・


家族って、もうまるっきりアレそのものなんです。


親と子の間にはゼッタイ、目には見えないヒモが存在してますね。


そしてそのヒモ、お互いに絡みついてるんですよ〜(怖)


それはまるで同じ品種・同じ規格の柿を選んで、ヒモでくくって干し柿にするようなものです。(ヘンな例えで申し訳ない)


干し柿ファミリーは一本のヒモにくくりつけられ、軒下に吊るされる運命共同体です。


軒下にぶら下がる干し柿たちの宿命の赤いヒモ。


私、バレエ発表会という華やかな祝祭の場面で、見えないはずのこのヒモの存在を感じてしまったんです。


しかもそれは親子関係だけの問題じゃありません。


両親双方の家系からジィジとバァバも参入し、宿命の赤いヒモはさらに複雑な様相を見せる。


それはまるで覗いちゃいけないファミリー・アフェアを覗き見るようなもの。


バレエ発表会は家族のドラマを垣間見れる、これとない絶好のチャンスだったのです。


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それにしても親子って良く似るものですね〜


子供はそのまんま親のコピーです。


遺伝によってDNAを継承してるのだから当たり前と言えば当たり前ですが、これはもう完全な<コピー商品>です。


顔かたち、体格・体型が似てるのはもちろんです。


でもその上さらに思考パターンまで継承されちゃう様は、何と言うか空恐ろしいくらいです。


両方の両親から半分ずつ受け継いだDNA。


ひとりひとりの人間に個性や特徴があるのはDNAの成せる技ですね。


そう思って自分という存在を改めて考えるととても不思議です。


自分という人間は目に見えず得体の知れないこのDNAの、単なる宿主に過ぎないってことなの?


そう考えると何か怖いような、哀しいような、情けないような気分になります。




「そういうところ、お父さんに(お母さんに)そっくりね!」


誰でも一度くらいそんな風に言われたことあるんじゃないかしら?


ふとした表情や仕草、歩き方や喋り方に、遺伝の赤い血は表現されてます。


私は自分の足の指の形が父親と全く同じ形だということに、父親が死んで行く時に初めて気づきました。


「電気ショックで蘇生するのでお嬢さん足を抑えてて下さい。」


医師にそう言われ父の足首をつかんだ時、父親から受け継いだ赤いDNAの存在をハッキリと感じました。


「この人の足は私と全くおんなじ形だ!」


死に行く人を目の前に、私はDNAについて考えていた。


寄りにも寄って父親の死に際に遺伝について考えたくはなかったが、気づきはその時突然やって来たのです。


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遺伝によって子孫に個体性が継承されるのと同じように、驚くべきことに<愛のパターン>も親から子へ受け継がれるのです。


愛し方ひとつにも実は家族それぞれに独自のパターンがあります。


それが親から子へと受け継がれて行く。


これは遺伝というより<愛の学習パターン>と言って良いでしょう。


おおかたの人間は親から愛を学びます。


国語・算数・理科・社会を学ぶように、愛し方を親から学んでいるんですね。


だから親から愛し方を習わなかった子供は、当然ながら<愛を知らない人>となる。


そのような人には誰かが親代わりになって愛を教えければなりません。


つまりひとりの人間が健全に成長するには<愛を伝える伝道師>が必ず必要なんですね。


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そこでまた、話しを発表会へと戻しましょう。


ここにジィジとバァバがいるとします。


その二人は成熟した踊りの名手でとても上手に<愛のダンス>を踊れるとする。


バレエで言うなら最大の見せ場<グラン・パ・ド・ドゥ>ってとこですね。


その<パ・ド・ドゥ>が純粋で美しいものなら(つまり愛のあるものなら)、それは次世代の生命力を育む最強の揺りかごとなるでしょう。


そしてジィジとバァバの世代から、ひとつ下のパパ・ママの世代へと、DNAを経由して愛は確実に継承される。


愛のある赤い血の家系には、愛の概念を受け取れる感受性が育つんですね。


その赤いDNAに<愛を知る人><愛を表現する人>というデータが書き込まれるのです。


そのような子供は愛に対する感性が発達しいる。


だから愛を習得するスピードも早いのです。


ほんの少しレッスンするだけで、すぐに<愛のパ・ド・ドゥ>が踊れるようになる。


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植物を育てるために我々がするべきことって、とてもシンプルです。


光と水を適切に与えれば良い。


たったそれだけのことで植物は自ら勝手に成長して行きます。


人間もそれと同じようにたったひとつの力に導かれ自ら成長して行く。


それは<愛の力>なのです。


親から子へと本当の意味で手渡せられるのは、お金や財産といった目に映るものではないのです。


目には見えない<愛の力>を、子供たちにたっぷり与えれば良い。


<愛の力>を最後まで、見失わぬよう導けば良い。


そうすれば<愛の力>そのものが、その子を咲かせ実らせてくれる。


教える者が誰もなくとも、<愛のパ・ド・ドゥ>を踊り出す。


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by viva1213yumiko | 2017-02-21 01:13 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

兄と妹のタブーの話し

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1968年制作、今村昌平監督の<神々の深き欲望>

この映画をまだ観たことがないのなら、是非一度観ることをお勧めしたいです。

ただしこの映画を観るには相当のエネルギーが必要です。

それなりの覚悟を決めて観るようにして下さいね。

精神状態が不安定な時や、病中・病後もお勧め出来ないので、その点も十分にご承知おき頂きたい。


離島のシャーマニズムと、兄妹の近親相姦をテーマにしたこの作品。

何しろオドロオドロしいんです。

タブーを破って村八分にされてる家族と、神話の伝統をそのまま受け継いで生活してる島民たち。

そこに水質調査のため都会から測量技師がやって来て、島に近代化の波が起こるかと思われる。

しかし、むしろ技師は不思議と村社会の因習の中に呑み込まれて行く。

近親相姦で村八分の兄と妹は、船で逃避行を試みるが、結局追っ手の島民たちに殺されてしまう。

そして島には、またひとつ伝説だけが残される。

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この映画は、島の古い伝承を直接オジイ・オバアから聞くような、超ド級のプリミティブ・ムービーです。

現代人の理屈や論理など一切通用しない<根源的なエネルギー>が全編を覆っていて、何だか息苦しいくらいです。

原始的で、土俗的で、混沌としていて、それでいて<何か決定的なもの>がそこには潜んでるようにも思われて・・・

ようするに、頭の中がグッチャグチャになっちゃうんです。


それもそのはずです。

現代文明から隔絶したこの島は、シャーマニスティックな因習と神話とに支配されたまま。

でもその雰囲気は、人類全員が共通に持つ、どこか懐かしい記憶に近いものがあるんですね。

映画を観て思考停止になっちゃうのは、細胞だけが知りうる何か<根深い力>が目覚めるような、そんな感覚になるからなのでしょう。

それは、粗野な野生の暴力的エネルギーでもあります。

だからね。

ほら、言った通りに・・・

必ず覚悟を決めて観て下さいよね。


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近親者同士が結ばれて、全く新たなものを創造する。

神話では近親相姦は極めて神聖な扱いをされてます。

神話や伝説の中には、この類いの兄妹婚の話しはたくさん出て来るんですねぇ。


エジプト神話ではオシリスとイシスの兄妹が、近親相姦によってホルスをもうけた。

ゲルマン神話には双子の兄妹神フレイとフレイア。

ギリシア神話ではゼウスとヘラは姉弟の関係。

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古事記では、イザナギとイザナミの兄妹神が<国産み・神産み>を行ったとあります。

しかも不具の子ヒルコを産んで海に流したとまで記されている。

沖縄や中国、東南アジアのエリアには「殆どの人が死に絶えるような大洪水の後に、生き残った兄妹が子供を作り、そこから人類が再生していく」といったタイプの<洪水型兄妹始祖神話>が広く伝承されてるんだそうですよ。


こうして改めて見直すと、兄妹婚は神話の中でも重大な役割がありますね。

「とてつもなくクリエイティブなものを生み出す」という、そんな<霊的意義>を表現しているように思えてなりません。

事実古代の王家では、近親婚で濃い血を受け継ぐと呪力が高まると思われていたようです。
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近親婚の法律的な解釈は地域によってまちまちですが、倫理的にはどこの世界でも殆どタブー視されてます。

しかし霊的・神話的には<神聖な兄と妹カップルの神様>が活躍する。

だからなのでしょう、文学作品やフィクションの世界でも相思相愛の兄妹は甘美なもの、と扱われやすい。

「妹、萌え〜♡」って、なっちゃってます。

人間の深層心理って実に不思議なものですね。


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それはなぜでしょう?

なぜ相思相愛の兄妹には、どこか詩的な響きがあるのでしょうか?


それはね・・・

同族間の愛っていうのは、無意識に相手の中に自己愛を注入しちゃうからなんだそうですよ。

もちろんこれは皆、無意識のレベルで起こる心の働きです。

でもそこには<投影された自己愛>、つまりある種のナルシシズムみたいなものが存在している。


それから人間の根源的な欲望の中に「自分の生まれる前まで遡って自分のルーツを肌で感じたい」という衝動があり、それが近親者への愛に変わるって、そんな説も聞いた事あります。

普通の恋愛でも「初めて逢った時からどこか懐かしい感じがした」と、相手をそう感じる人が多いですよね。

それは魂のルーツを肌で味わう感覚を、直感で知覚するからなんじゃないでしょうか?

実際多くの男女が似たような育ち方をし、似たような趣味を持つ人と結婚する傾向にある。

遺伝的に自分と全くかけ離れたタイプより、多少類似性がある個体を好むものなのです。

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血縁関係とは切っても切れない永遠の関係です。

だからそこに<永遠の恋人>の夢を投影しちゃうのです。

それが近親者への愛へと変換されやすい。

人間の感性の中には最初から「自分の出自を聖化したい」という願望があるんじゃないか、と思わないではいられません。

人の心って脆く危うく不可解で、一筋縄ではいかないですね〜


日本でも明治時代の頃までは「男女の双子は、前世で一緒になれなかった心中者の生まれ変わりだ」と、忌み嫌われることが多かったそうです。

不憫だということで離ればなれに育てられ、大人になってそっと結婚させた、なんてケースも本当にあったと言う。(驚)

しかし私だって、片割れの自分がもう一人存在すると知ったら、きっと狂気じみた想いで探そうとするに違いありません。

最も純粋で悲劇性を帯びたもの、それが相思相愛の兄妹関係に現われるんでしょうね。

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追伸:
10代の頃は兄という存在に甘美な想いを抱いていたので、兄を持つ友人たちが羨ましかった。

しかし兄を持つ大概の友人は「ダサい!・臭い!・ウザい!」と兄貴連中をボロクソに言うばかり。

禁断の兄妹愛は、幻想の花園に咲くからこそ妖しく美しいのかも知れませんね。

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by viva1213yumiko | 2016-05-23 23:36 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

女の一生

女の一生を世代別で国家に例えたらどうなるか?

そんなジョークを見つけました。

かなり偏見に満ちてますが、面白かったので紹介してみましょう。

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18歳から22歳の女性はアフリカのようである・・・半分未開発、半分野生で、繁殖力ある大自然の美しい地帯が広がっている。

23歳から30歳の女性はアメリカのようである・・・とても発達しており、オープンなトレードが出来、特に経済的に豊かな訪問者は歓迎である。

31歳から45歳の女性はインドのようである・・・ホットでリラックスしており、自分の美を良く理解している。

46歳から55歳の女性はフランスのようである・・・繊細なものを感謝する心を持ち合わせながら、ゆっくりと官能的に歳を重ねている。

56歳から60歳の女性はユーゴスラビアのようである・・・戦いに負け、過去の過ちに追われ、大規模な再建が必要である。

61歳から70歳の女性はロシアのようである・・・広大で特に監視された境界線というものがなく、極寒(不感)の風土が人々を寄せ付けない。

70歳から80歳の女性はモンゴルのようである・・・すべてを勝ち取った長い過去の栄光があるが、それほどの未来はない。

81歳以上の女性はアフガニスタンのようである・・・どこにあるか皆んな知ってはいるが、誰も行きたがらない。

                 THE GEOGRAPHY OF A WOMAN より



ぷっ・・・これは笑える! 

女性にとっては全く失敬極まりないジョークなんですが、なるほどねぇ〜上手い事言うもんです。

確かに似たり寄ったり、女の一生はこんな風な変遷をとげますよね。(笑)



<女の一生>って、つまり<女の一代記>の事ですよね。

世界中の女性皆それぞれにそれぞれの人生があるのだから、<女の一代記>は女の数の分存在しています。

幼なじみのあの娘にも、近所に住んでるオバちゃんにも、皆んな等しく<女の一代記>があるのです。

文学作品や戯曲、映画、TVドラマ・・・

周りを見回すだけでも、ホント題材には不自由しなさそうですね。

ちなみにあなたの人生だって、れっきとした<女の一代記>を綴ってる最中なんじゃありません?

悲劇? 喜劇? 風刺劇? はたまたリアルな不条理劇?

機会があれば是非ともトックリその物語、聞かせて貰いたいものです。



ところで、世界で最も有名な<女の一生>って何だか分かります?

ヒント・・・世界文学全集の書架で見つかります。

そうです!

モーパッサンの長編小説<女の一生>のヒロイン、ジャンヌの一生ですね。

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裕福な家に生まれた夢見がちな少女が、結婚・出産を経る中で、周囲の人々に裏切られ、多くの幻滅を味わいながら年老いて行く・・・

そんな仏・ノルマンディー地方の<女の一代記>です。

清く・正しく・美しい貴族の娘だったジャンヌが、浮気性の夫に踏みにじられ、放蕩息子に財産を食いつぶされ、不幸に身をやつした極貧の老婆に様変わり。

次々に試練に逢い、人生のきらめきは泡のように消えて行きます。

まさに、渡る世間は鬼ばかり。

そんな孤独と悲哀に満ちたペシミステックな物語なのです。

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恋して、結婚して、子供を産んで、歳とって・・・

ジャンヌほどではなくとも、恋愛や結婚で(男のせいで)傷を負った女性って案外多いですね。

様々な女性の話しを聞くに連れつくづく思うのですが、結婚とは本当に<魂の修行場>です。

さすがに修行道場だけあって、なかなかハードな課題をお持ちの方もいるようです。(涙)



夫婦や親子などの家族関係とは、一体何によって決まるのでしょうか?

スピリチュアリズムの教えによると「家族関係は贖罪や使命など、転生する人の魂の進化に求められる事による」

な~んて教えるんですよね。

やけに難しげですが、これは一体どういう事なのでしょう?


これを理解するためには、まず<魂の法則>って奴を知らなければなりません。

スピリチュアリズムでは輪廻転生を信じる事が基本なので「切りたくても切れない家族関係とは、自分の魂にとって特別縁の深い因果ある関係なのだ」という前提から始まります。

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家族関係のご縁は大まかに分けると<愛によるもの><霊的進化によるもの>それから<執着によるもの>、この3つがあると言われます。

純粋な愛だけで結ばれる家族なんていうのは滅多に存在しなくて、大概の家族は皆、様々な形の愛の学びやら恩返しやらのため、家族という共同体の形成に同意すると言う。

通常は「自分と似たレベルの者の利己的な行為を身をもって痛感するため」「他者の行為を通じ自分と向き合い自己改革するため」に家族関係が生じるんだそうです。(驚)

つまり自分たちの悪感情を克服するために「家族という役どころを引き受け、今生に生まれて来る」とそう言うのです。

そして「憎悪を愛に変換する」よう、そう運命にプログラミングしている。

だから過去世で最も憎んでた人が、次の転生で家族となり得るケースも多いのだそう。(汗)


あちゃ~!

人によっては「トホホ・・・」かしら?


実際「家族の問題ではホトホト困り果ててます」なんていう人は、その問題を苦しみ・克服する事で過去に借りた負債を返済してるんだそうで、その分二歩も三歩も霊的に大きく成長する。

だから各宗教も、むしろ「夫や子供に感謝しなさい」なんて教えるのです。


世界中の何億人もの人間の中から、どういう理由で二人がカップルになるのか?

どうしてこの人と結婚しちゃったのだろう?

そのような不思議も霊的な教えによるとこうなります。


 [人生上である人物が重要な人になると予感出来るのは、過去世の記憶からの感覚によるものである]


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魂は肉体に宿ると過去を忘れてしまうという特性があります。

ジャンヌのように何も悪くなさそうな善人がひどく苦んでいたりすると、正義なんかどこにもないように思えますよね。

けれどもし魂の過去を覗く事が出来、その原因を理解出来たなら、誰もが犯した罪の修復に取りかからずにはいられなくなるそうですよ。

死はその為にあると言われてます。

言うなれば<人生の反省室>に入るようなものかも知れませんね。

そしてアスリートが自己の記録に挑戦し続けるように、困難を乗り越え次のステージを目指す事を、いつも魂は望んでいる。

人間はそのように常に成長するよう、宿命づけられているのだそうです。


でもだからと言って、人生を焦って生きる必要もないんですね。

ひとつの人生で目立った変化が見られなかったとしても、その人の魂が進化してない事にはならない。

ゆっくり進む人生もあれば、激流に流される人生も存在する。

失ってみて初めて大切なものに気づく人生も、またあるからです。

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「世の中って、ねぇ、思うほど良いものでも悪いものでもありませんね」

小説<女の一生>は小間使いロザリのそんな言葉で終わっています。

主人公のジャンヌが家族への希望のすべてを失い、辿り着いた境地を代弁するかのような台詞なのですが、これがなかなか効いてるんですよね。


家族への執着は愛とは違います。

ジャンヌの生涯とは「ただひたすらに愛を試される」そんな生涯だったのかも知れませんね。




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by viva1213yumiko | 2015-10-22 12:57 | 人生・霊性 | Comments(0)

彼岸の先祖供養

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小さい頃に最も怖かったもの。

それは仏壇でした。

陽の射さない陰気な和室で、仏壇に線香を灯してはブツブツと何かを唱える祖母の姿が、とてつもなく怖かったのです。

ローソクの炎が暗く揺れ、辺りに線香の匂いが広がると、黒檀の仏壇の中心にある奇妙な異次元空間に身体ごと吸い込まれ、二度と戻れなくなりそうなそんな恐怖を感じたものです。


無事思春期まで成長すると、その手の年寄りじみた習慣の完全否定が可能となりました。

「いつでもご先祖さんが見守ってるんだよ」 

「だから感謝せにゃ〜ならん」

祖母のそんな言葉も<辛気くさい迷信>と聞く耳持たなくなりました。

まぁそれが健全な青少年の、本来あるべき姿ってもんなのでしょう。

「線香っていい匂いだね」とか、「お経ってなんか落ち着くね」などと言い出す子がいたなら、それは特別な宿命をおびた子供かも知れないので、それなりの道を切り開いてやるべきでしょう。


その後、TVにお坊さんや霊能者が登場し、「先祖供養で幸せになれる」と得々と説明していても、その言葉が心に響く事はありませんでした。

もちろん新興宗教などの、団体教義も鼻でセセラ笑っていました。

私の自我は健全でノーマルな成長を遂げていたのです。


しかし・・・

年の功とは恐ろしいものであります。

人生の折り返し点を過ぎた辺りから、「もしかして先祖供養とは決してバカにならない行為なのではないだろうか?」という風に考えが変わって来たのです。


以前、旅先で知り合った沖縄のユタさんは、「あんたに影響与えんの、それは7代前のご先祖までサァ〜」と仰有っていました。

それを聞いて私は、「ええ~っ!」と思ったものです。

「7代も前ですって?・・・」

仮にひとりの人間が30才で次の世代を産み落とすとして、30年×7代で210年の年月が流れます。

200年以上も前の顔も知らないご先祖様が、私の人生の幸・不幸に影響を与えているという事になるのです。

しかも7世代の霊の影響っていうのは、その間に関わった遠縁の親戚や、一族郎党すべてを含めた<ご先祖様の集団グループ>を意味するらしい。

さらにそれぞれの霊魂ごとに、その恩師やら、友人やら、血の繋がりはないけど特別に縁ある存在がサポートに入っていて、彼らの指導や助言も我々の人生経験に多大な影響力を与えているらしいのです。

ざっと想像しただけでも天文学的数字のスピリッツが自分を囲むこの世界に存在してて、そのご縁とご加護を頂き、我々は今この平成の時代を生きているという事になります。

それを思うと確かに今、この時を生きてる生命の不思議を感じますね。

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しかしご先祖様と言っても当然、皆んなが皆んな心の暖かい良い人ばかりだった訳ではないですよね。

中には迷惑ばかりの、どうしようもない<困ったさん>もいたはずです。

そういう霊魂は自己憐憫や後悔の気持ちが強く、共感してもらえる存在や場所を求めて彷徨っていると言います。

だから自分の気持ちが落ち込んだりすると、似たようなスピリッツを招待してしまい、知らぬ間にピッタリと張り付かれて妙な仲良しさんになってしまいます。

波動共鳴するという奴です。

だからこの世界に存在する、これら無数の目に見えないスピリッツたちを癒し、慰め、昇華させることが供養の本質です。

未成仏霊を安心させてあげることが大切になって来るのです。


普通はここで、かつての私のように「非科学的だ!」「迷信だ!」と始まる訳なんですね。

けれど大事なのはここからで、未成仏霊を供養することで浄化されるのは、逢った事もない困ったご先祖様であると同時に、我々が隠し持つ心の中の厄介な部分でもあるのですよ。ややこしいけど・・・

スピリッツ(霊魂)というのは何者かの想いそのものであり、良いものも悪いものも、チャンスさえあれば物質化しようと待ち構えてる見えないエネルギー群の事です。

だから未成仏霊を供養するとは、我々の心の暗黒面にはびこってる制限のない欲望や、怒り、憎しみ、自己憐憫などを昇華し、奇麗なものに入れ替える作業そのものの事を意味するのです。

すべてのスピリッツが安心して完全に成仏したなら、あなた自身の心配事もすべて消滅し、自分の人生を100%信頼出来るはずです。

つまり「先祖が安心なら自分も安心」

「先祖が豊かなら自分も豊か」

「先祖がハッピーなら自分もハッピー」

あの世とこの世の壁を取っ払い「サービスする、される」という運動力学が成立するのです。

言わば<サービス交換の法則>なんですね。


先祖供養をするという事は、これはもう見えない先祖や縁のある霊たちへ、自分が生かされている事を感謝をする事に尽きると言えますね。

先祖の霊を慰める事は、同時に自分自身の癒しと再生を導く事になるのです。


「ご先祖さんにゃ、感謝せにゃあかん」

結局お祖母さんの言ってた事は嘘ではなかったんですよね。

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供養といっても何も大げさな事をする必要はありません。

先祖霊が安心の境地に行くように思いやり、お線香の一本でも供えて、今ここに生かされている事への感謝を思うだけでいいのです。

お年寄りたちがやってた文化を真似て継承するだけの話しです。

「生かして頂き、感謝します・・・」

「おかげさんで、ありがとさん・・・」

念仏のように繰り返していると、心はホッコリ暖かくなって来ますよね。

人間関係に疲れて疑い深くなってる人も、騙されたと思ってひとりでこっそりやってみて下さい。

優等生的な発言に照れがある人でも、心に念じるだけなのだから恥ずかしくありません。


そうやって自分や家族や周りの人を見つめ直してみると、心のモードが安定し始めます。

他者を思いやる慈悲の心を育てると、なぜかすべてに感謝する心が生まれて来ます。

またすべてに感謝するように日常生活で心がけていると、なぜか慈悲の心が生まれて来る。

すると不思議な事に、生かされている感謝を素直に感じるようになれるものなのです。

相乗効果で自分の幸福指数がどんどんアップするという構造です。

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それぞれの宗教の教義は皆んな違っているし、またそれぞれそれなりの正しさがありますよね。

でも本当の正しい信仰とは「目に見えない何かのお陰だと思って、生かされている事への感謝をする事」それに尽きると思います。


 [心の中に本物の神がいる]


それさえ分かっていれば、心の外に神を求めて宗教集団に集まる必要もなくなりますよね。




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by viva1213yumiko | 2014-03-21 20:04 | 季節・行事 | Comments(0)

ちゃぶ台と親父

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先日、粗大ごみの収集で昔懐かしいちゃぶ台を見かけ、何だかやけに感激してしまいました。

ちゃぶ台・・・

嘘みたいにコンパクトでちっぽけな、折りたたみテーブルの事です。


言葉遣いやら食事の作法やら、今よりもずっとずっとしつけに厳しかった時代。

どこの子だくさんの家庭でも、このちっぽけな丸い食卓で、肩を寄せ合うように食事していました。

喧嘩したり、宿題したり、ジャレ合ったり・・・

あらゆる家族の営みのを、ちゃぶ台は静かに見守ってまいりました。

裸電球の下でじっと裁縫する母、じっと晩酌する父も、ちゃぶ台はすべてお見通しだったのだと思うと、何かちょっとぐっと来るものがあります。


ちゃぶ台は明治時代の終わり頃から、一家団欒の風景の中に現われて来たと言われます。

それ以前は、江戸時代から続いた銘々膳での食事が主流でした。

庶民の生活でも武家の身分制度をならい、家長から順に上座から下座へ正座して並び、作法も厳しく、会話も禁じられ、食事は一家団欒というより家の秩序を示す場、しつけの場であったようです。

しかし時代が下り西洋文化の浸透によって、日本人も同一食卓を囲むように変わったのだそうです。

「家族の食事は、同時に同一食卓で皆同一のものを食さねばならない」といったデモクラシーの風潮が生まれて来たからです。

ひとつの食卓を皆んなで囲む西洋文化と、座って食べるという日本文化の混合が和洋折衷のちゃぶ台を生み出しました。

家族皆んなで楽しく会話しながら食事する、明るいお茶の間のイメージはここから生まれたのです。

一家団欒の民主主義は、<茶の間・茶箪笥・ちゃぶ台>の3点セットで完成したというあんばいです。
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サザエさんでもちびまる子ちゃんでも、家族のコミュニケーションといえば食卓のシーン。

小津映画や寅さんシリーズでも、家族は必ずちゃぶ台を囲みます。

そして泣いたり、笑ったり、すねてみたり・・・

ちゃぶ台のある風景って、日本の家族の原風景ですよね。

私自身もかなり小さい頃、ちゃぶ台でご飯を食べてた記憶があります。

丸いちゃぶ台には人間の上下関係が比較的少ないし、急な訪問客が増えても詰めればすぐ食卓に入れるフレキシブルさがあります。

狭い家でも、パタンと足を折り畳めばすぐに布団を敷くことが出来て、日本的で良く出来た家具でした。


そして何より大きいのは、家族皆んなが畳に座り、低い目線で向き合えるってこと。

ダイニングテーブルとは違った不思議な空気感を生み出すんですよね。

「腰を落ち着けて、腹を割って話そう」なんて言ったりしますが、じっくりと相手と対話したい時、床に座るってのはいいみたいですね。

ちゃぶ台でご飯を食べると距離が近いので、家族の様子が手に取るように分かってしまうのも面白いところです。

言葉にするよりも早く相手のことが良く分かり、人との間に読み取るべき空気を素早く察知する能力に長けて来ます。

昨今のように互いにモバイルいじりながらご飯してたら、なかなか身につかない能力ですよね。

だから時には、「あ~あ、今日のお父さんは何だか機嫌が悪いなぁ~。イチャモン出る前に早いとこ食べちゃっとこうっと」ってことにもなるんですね。

茶の間ってコミュニケーション距離が近くて、しかも濃厚にクロスする場じゃないですか・・・

そのせいか普段無口な親父さんが、何かの加減で急に怒り出すのも、それは必ずやちゃぶ台の辺りです。

星一徹といい寺内貫太郎といい、頑固親父との口論は最後に必ずちゃぶ台がひっくり返され、ある種のカタルシスで幕を閉じるのです。
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家で一番威張っている寡黙で不器用な親父像は、何よりもこのシーンに象徴されていますよね。

<ちゃぶ台と親父>は日本人のDNAに刷り込まれた、れっきとした記号です。

実は本当はとっても気の弱い親父族は、ちゃぶ台をひっくり返すことによって威厳を保ち、きっとバランスを取っていたのでしょう。

それだけに父親の悲哀って奴を、家族の誰より察知してたのは、この小さなちゃぶ台そのものだったのかも知れませんね。


今や時代はすっかり変わり、この手の大袈裟で滑稽な家族劇さえ、ささやかな幸福の夢の象徴みたいに人々の記憶に生きているだけです。

ちゃぶ台は、過ぎ去った時代を懐かしむ<郷愁のオマージュ>となってしまったのです。




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by viva1213yumiko | 2013-09-04 21:58 | 衣・食・住 | Comments(0)