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コミュニケーションのギャップ萌え♡


段階の世代って、何歳から何歳ぐらいまでのことを言うのだろう?


そんなことしみじみ考えたのも、あるシニア世代の男性と会話してて、避けようのない世代間ギャップを感じてしまったからだ。


団塊世代のその方には、どうやら最近の世の中はとても「けしからん!」ものに映るらしい。


「この頃の20代の男は車もバイクも欲しがらない。上昇志向ってモンが全くない。女と付き合うのさえ面倒らしいんだ」


「ほ~う? そうなんですか〜?」


私は感心したように相槌を打った。


「7割が女と一度も付き合ったことないんだって。一度もだよ?<絶食系>って言うんだってさぁ。どう?あり得ないと思わない?」


それってホントの話しなんだろうか?


20代の7割がねぇ・・・?


言われてみればそうかも知れないし、そうであっても不思議ではない。


「けしからん!」と怒ったところで、別に法に触れてる訳でもない。


しかしシニアおじ様の価値観によると、若い男が女を追いかけない状況は、あってはならないとんでもない非常事態らしい。


「俺たちの頃は女とヤルことしか考えてなかった。若いってつまりそう言うことでしょ?男は性欲があってこそ成長するもんだ。女と付き合うのめんどくさいなら、こりゃもう日本滅びるしかないでしょ!」


と、ご立腹なのである。


おじ様の言うことは道理に叶っている。


しかし哀しいかな、彼が思うより遥かに速く、時代は加速度的に変わってしまったのだ。


「今さら何を言っちゃってんだか・・・」


内心私はそう思っていた。


それ、あなたたち世代がガムシャラにしたことのツケが廻ったってことじゃない?


次世代のことも考えず、身の丈に合わない欲をかいたから、世の中限界が来ちゃったんじゃないの?


こういうのスピリチュアリズムでは<因果応報>と言いますのよ。


巻いた種は必ず刈り取らねばならないってヤツですが・・・


それが? 何か?



その日の私はやけにシニカルだった。


「日本が滅びるその前に、滅ぼすべきものがひとつある!」


「それはあなたのオツムの中身!月に代わってお仕置きよ!」


と、私はそう言いたかったのだ。


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「シニア世代の経営者がついつい出しちゃう、どことなく女性を見下した物言い。それが社内生産性の一番の敵だって気づいたんです」


先日もコミュニケーション術を専門とする女性からそんな話を聞きました。


男女間や世代間に起こるコミュニケーションギャップ。


「それがもっと円滑なら、生産性は格段に伸びるはず」と彼女は言う。


しかし困ったことに現実は、なかなかそう上手く運ばないそうです。


なぜなら役職者たちの頭の中に、古い思い込みがドカンと居座ってて、その結果、部下の能力を引き出せないままでいるからだ。


確かにその通りだと思います。


「性欲こそが男を成長させる」なんて言い切っちゃう上司と、上手くコミュニケーション取って仕事するなんて、相当骨が折れるに違いない。



1990年以降に生まれた若者は、車やブランドに興味がなく、上昇志向も物欲もほとんど無く、恋愛にも淡白だと言われます。


海外旅行には関心が薄く、休日も自宅やその周辺で過ごすのを好む。


節約志向でムダ使いしないが、趣味にはお金を惜しまない。


何事においても淡々としていて、必死さがなく、大人世代から見ると何を考えているのかさっぱり分からない。


欲しがらない若者たちは、全てにおいてほどほどの穏やかな暮らしを志向する。


悟り切ったような価値観を持っているので、彼らは<さとり世代>と呼ばれています。


バブル崩壊以降、不況しか知らないで育った若者たちは、ムダな努力や衝突を避け、過度に期待したり夢を持ったりせず、浪費しない生き方をするようになった。


そんな若者世代に上から目線で今までの価値観を説いても、ちっとも納得してくれないでしょう。



でも思うのですが、ジェネレーションギャップって時代や文化の差というより、むしろコミュニケーションスタイルの差の方が大きいんじゃないかしら?


論理的で筋道の整った話を好むベテラン世代に対し、若者たちはもっと直接的で直感的。


迅速なリアクションは重視するけど、議論が苦手で距離感も希薄。

だから一歩踏み込んだ会話は避けたい。


全般的に強い自己主張を避け、無難を好むのです。


上司と部下のやり取りも他愛のない無難な会話ばかり続いて、ちっとも核心に迫ってかないそうです。


若者世代は「拒否られたくない」と思ってるようなのですが、上司世代は「何を考えてるのか分からない」と頭を抱える。


やれやれ・・・


でもそれも当然の話しです。


生まれた時からインターネットのあった人間と、たった一台のTVを家族みんなで見ていた人間とでは、文化の成り立ちそのものが異なります。


そこには大きな壁があるのです。



世代間や性別間の間には、コミュニケーションギャップが大きく立ちはだかっています。


コミュニケーションギャップは、決して交わることのない<水と油>のよう。


両方をシェイクし、より深く人間を理解するためには、一体どうすれば良いのだろう?


埋まらないギャップをもっと良い方向に、転換することは出来ないのだろうか?


ギャップこそ<魅力の源泉><ヒントの宝庫>と捉えられたら良いですよね。


ジェネレーションギャップは多様なアイデアの眠る<金鉱脈>


だからむしろ「歓迎せよ!」という風にです。


もしそれが出来たら、新しい物事が色々と生まれて来そうに思うんです。



コミュニケーションには体力がいります。


まず手始めに世代間・男女間の「互いの壁を壊す!」と、決意しなければなりません。


けれど壁の向こうの相手へのリスペクトがなければ、それも不可能に終わるでしょう。


コミュニケーションギャップを感じた瞬間、<拒否>や<否定>が起こるなら、新しいものは何も生まれません。


どこか一つでも優れてる点・認める部分があれば、極端な違いを感じても、ある程度その人を受容できる。


リスペクトさえあれば「この人はなぜこの点に関して自分と違う捉え方をするのだろう?」と考えられます。


そこから始まって理解不可能な背景や、新たな情報が共有される。


若手はベテランの、ベテランは若手の考えを理解し、受け入れられるでしょう。


そしてそれらを統合し、新たな考え方を探る。


それが一番ベストな方法です。


異質な者どうしも同じ目標に向かって歩めば、ギャップを乗り越えられるはずなのです。



コミュニケーションには体力がいります。


相手の影響力で自分自身も変わって行く。


そのことも受け入れなければなりません。


自分の変化を恐れないこと。


特に大人世代の側は意識的に変わろうとしない限り、なかなか変われるものじゃありませんよね。


思考の柔軟性を失わないよう注意しなければなりません。


先ほどのシニアの方など、「けしからん!」まま思考が固まってしまった良い例ですよね。


でも笑い事ではありません。


日頃から意識的に鍛えておかないと思考はすぐに固まってしまうので、皆さんも気をつけて下さいね。



<世代間ギャップ><性別のギャップ><人種間ギャップ><地域差ギャップ><異文化ギャップ>


世界を分断するギャップはたくさん存在しています。


けれどそういうギャップの中にこそ、ヒントやチャンスが隠れてる。


ギャップを生かしてそこから美しいものを創れたら、むしろそのギャップそのものに、人は魅了されることでしょう。


コミュニケーションギャップから、美点を見つけ出せたら最高ですよね。


意外なズレにこそ、<萌え要素♡>は見つかるかも・・・


つまり、コミュニケーションの<ギャップ萌え♡>ですね。




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by viva1213yumiko | 2018-02-25 12:47 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

心の鬼退治


今年の冬は寒いですね。


シベリアからの寒気団が日本列島にどっかり腰を下ろしているので、身体の調子をすっかり崩しちゃってる人も多いみたいです。


生命エネルギーとはあくまでも巡ってナンボのもの。


こんなに寒くては巡るべきものだって上手く回りません。


でもだからと言って意思の力で無理やりエネルギッシュに振舞っても、これまた結局ツケが回る。


そこら辺の感覚には十分繊細にいて欲しいのです。


だって考えてもみて下さい?


野生の生き物なら冬眠してる時期ですよ。


我々人間だけが自然界のリズムに逆らって活動してるのは、どこかに無理がありませんか?



私オススメの真冬の過ごし方を教えましょう。


ふふ、それはね・・・


<心の浄化>なのです。


真冬は<心の浄化>にピッタリの時期です。


温泉に入るのなんかもそれに含まれる? 


そうそう、それそれ、まさにドンピシャ!


真冬の温泉にはみんな無意識に浄化を求めています。


冷え込みのキツいこの時期だからこそ、外向きの活動を控え、自分の内面を覗いて心のケアを図る。


<心の浄化>に意識を注げば、それに連動して肉体にも調和が戻ります。


心と身体はリンクしてるのです。


人間のエネルギーシステムはそういう風に出来てるんですね。



古代の日本人は災害や病気などの原因不明の厄災は、すべて<鬼>のせいだと考えていました。


<鬼>という言葉は「おぬ」(陰の意)が転じたものだそう。


それは<目に見えないもの><この世ならざるもの>のことを意味します。


節分に<豆まき>して<鬼退治>するのは、姿の見えない邪気や物の怪を祓って、良からぬエネルギーをフィールド内に呼ばないためです。


生体エネルギーが弱まるこの時期に負けぬように<鬼退治>をするのです。


(ま、それはあくまでも象徴としての<鬼退治>なんですけどね・・・)



だけどホントの<鬼>っていうのは、外の世界じゃなく内界にいます。


我々の中にある恐怖心・畏怖・憎しみ・嫉妬心・情念の深さ・奇怪なもの・死者の姿・餓鬼の姿・・・


それらはみんな<鬼>なのです。


誰の心の中にもひっそりと隠れている。


そして時々<悪さ>する。


だから<鬼>を暴れさせないために魔除けの<儀式>が必要だった。


それが<豆まき>の由来です。


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真冬の寒さは狡猾で、<鬼>は人の最も弱い部分を攻撃して来る。


身体が冷えれば血液循環が悪くなり、血圧が下がり、手足のしびれや関節痛が気になり出す。


臓器の働きも鈍くなり、エネルギー消費自体省エネモードに替わります。


それだけではありません。


不安や恐怖、思い込みや考えすぎる傾向の人や、自己肯定感の低い人は、胃腸や腎臓、肝臓などを痛めやすい。


愛を拒絶し、悲しみやうしろめたさを感じやすい人は、肺や心臓など胸部周辺の疾患にかかりやすい。


また自己表現をキチンとしない人、我慢強すぎる人などは、肩、喉、首、顎などの疾患に注意が必要。


このように<鬼>はあなたの弱点を、当人よりも熟知してるのです。



でも病気の症状が出たってことは、それは「ある種の恵みである」とも言えます。


不謹慎に思うかも知れませんが、ちょっと発想をひねって考えてみましょうか。


病気の時には慌てないで「身体が何かを訴えているのだ」と、そのように考えられませんか?


痛みや症状をちょっとだけ脇に置くことは出来そうですか?


「自分の身体はこんなにも我慢していたんだなぁ~」


「ストレスをいっぱい溜めていたんだなぁ~」


っていう風に、60兆個の細胞の立場に立って世界を見るのです。



「病気になったということは、何かの意味があるはずだ」と、探ってみると良いでしょう。


どこかに無理な力が働いてなかっただろうか?


病気はどんなメッセージを伝えたがっているのだろうか?


そのように逆転の発想で考えたら、そこから色んな気づきが得られるでしょう。


自分の身体が本音を語り始めるはずです。




冬の寒さは自分の内面との邂逅にまさしくピッタリです。


忙しさにかまけず心と対話してあげましょう。


もっともっと身体を構ってあげなきゃダメです。


長いこと逢えなかった恋人に再開した時のように、自分を優しく労わりましょう。


自分自身を十分愛してあげて下さい。



そうは言っても様々なストレスで、時にバランスを崩してしまうこともあります。


そんな時には自分を責めないように注意しましょう。


病気になった時は慌てず騒がず、病気の自分を否定も肯定もせずに、ただひたすらに自己受容すること。


それが最初のステップです。


そして病気を師と思い、病気から学ぶこと。


病気を憎むべき敵と思わずに<魂からの大切なメッセージ>だと考える。


そう発想出来るように自分を持って行くのです。


モチロンそんなに容易いものじゃないって、重々承知はしています。


でも問題に隠されたテーマを見つけ、理解して学ばない限り、そこから一歩も前に踏み出せません。


乱れたエネルギーバランスを取り戻すには、学びと成長が不可欠なのです。



このようにスピリチュアルな考え方の中には、180度違う角度からの発送を強いられるものも多いです。


だから頭が硬いままだと、痛みは却って長引くかも知れません。


そしてつい「非科学的だ!」「胡散臭い!」って言いたくなっちゃう訳ですね。


でも世の中の常識なんて、便宜上取りあえず成立してることばかりですよ。


天動説も地動説も結局どちらも正しいように、科学の正しさも常に変わってます。



病気は人が心や感情面での成長を止めてしまい、宇宙からのエネルギーの流れを閉鎖してしまうことで発生する。


見方を変えるなら、病気とは<内なる戦い>なのだと思います。


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     大事なことは目に見えない


     見えないけれどあるんだよ      



                金子みすず



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by viva1213yumiko | 2018-02-04 01:58 | 季節・行事 | Comments(0)

人生は後半戦が面白い

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人生とは移り変わる<春夏秋冬>のようです。


芽吹きの時、緑生い茂る時、実りの時・・・


そして落葉の時。


自然界の四季の巡りと同様、人間の生涯にも<春夏秋冬>のサイクルがあるのです。


古代インドには人生を四つの季節に区分した、<四住期>という考え方がありました。


<学生期><家住期><林住期><遊行期>


それは、人生の<春夏秋冬>そのものです。



青少年の頃はまだまだ<学生期>です。(0歳から25歳くらいまで)


心身を鍛え色々な学びを体験する、青い芽吹きの季節です。


次の<家住期>は仕事をし、家族を養い、国家や社会に貢献する壮年期の季節になります。(25歳から50歳位まで)


その次の<林住期>は今までの業績をまとめ、仕上げに取り掛かる時期。


豊かな実りのシーズンです。(50歳から75歳位まで)


意識の在り方も外界から内界へと移行し、本来の自己を見つけ、やりたいことを始める段階となります。


そして老年時代の<遊行期>に入ったら、過去のすべての執着を解き放って、自らの人生の集約へと向かう。(75歳以上)


生と死を思い煩わず、天命に身を委ねて生きるのが最良とされます。


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こうして改めて見直してみると、人生の前半戦とは仕事をし、収入を得、家族を得て、人生をどんどん拡大させる路線なのだと分かります。


しかし人生半ば頃にはそういう欲求はピークを超え、拡大路線は徐々にしぼんで来る。


そして、それに替わって次なる成長欲求が生まれる。


次の欲求は年齢を重ねるごとに深まり、どこまでも右肩上がりに上昇すると言われてますが・・・


それ、一体何のことだか分かりますか?


実はその欲求、「自分自身の意識を拡大し、個を超えて成長したい」という想いなんだそうですよ。


今までずっと「これが自分だ」と信じていた、自分の<かりそめの枠>を取っ払い、新たなる地平を見つけたくなる。


そんな欲求のことです。


つまり、人は年を取ると「精神性を高めたくなる」ってことなんですね。


スピリチュアルなものを求めたくなる回路というのは、誰もが皆んなに、初めから組み込まれてるようなのです。


人間とはそのように出来てるらしい。


樹木が咲いて、実って、落葉するのと同じように、人の思考や欲求は、年齢と共にスピリチュアルなものへと変わって行く。


時限装置が時間を刻むように、その時はセットされている。


タイミングが来るのをジッと待ってる。


どうやらそういうものらしいのです。


精神の成長欲求は物質的な欲求と違い、限界なんかありません。


どこまで行っても(宇宙大まで?)次のレベルの成長段階が待ち構えているそうです。


我々の100年足らずの寿命では、人生で体験出来ることなどたかが知れてます。


ありふれた平凡な人生を送った人も、劇的でドラマチックな人生を送った人も、一回の人生での経験など、長編小説の中の小さなひとつの<一章>のようなもの。


物語の本当の<おしまい>にはほど遠いのです。



人生の前半は、娑婆の生活を経験し、色んな人と出会い色んな学びをして、人間としての幅を広げる。


そして後半戦に入ったら、前半での体験を意味あるものに昇華させるため、真実の自分を表現して行く。


前半と後半。


両方をトータルすれば、あなたは確実に全方位でグレードアップすることとなる。


魂の記憶はアーカイブとして保存されるからです。



<四住期>の考え方で人生を俯瞰してみると、人生のターニングポイントがどこにあるかが良く見えます。


それまで自分を支えて、安定させていたはずの価値観。


それが何だかフィットしなくなる時。


明らかにそこが変わり目です。


そういう時はそれまでのモノの見方・考え方を一新しないとダメです。


じゃないとそれ以上やって行けなくなる。


平たく言っちゃえば、それは<脱皮の時>なんですね。


爬虫類や昆虫は<脱皮の時>に悩んだり迷ったりするのか分からない。


でも少なくとも安全な場所を見つけ、一旦活動を休止させてから脱皮し始めるでしょう?


人間も同じです。


ターニングポイントが来た時は、我々も一旦立ち止まる必要があるのです。

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<四住期>の中で最も厄介なのは、<家住期>から<林住期>への変化の時だそうです。


それまでコツコツと築き上げた業績や人間関係と距離を置き、意識を内面に移行させなければならないからです。


そういう転換期には痛みが伴うことも多いのです。


つまり人生の折り返し地点なんですね。


世間では<中年クライシス>などとも呼ばれ、問題が噴出しやすい時期でもあります。


人生の折り返し地点はマラソンと違って「もうすぐ折り返しですよ~」って、誰も教えてくれません。


誘導する係員もいないし、給水所があるわけでもない。


標識も看板もなければ、オレンジの三角コーンすらありません。


[ 心構えのないまんま、気づいた時は後半戦 ]


多くの人が人生の折り返し点を、そう感じながら通過して行きます。



でもピンと来てない人も多いようですが、人生の本番はむしろ後半部分にかかっているんですね。


魂にとっては後半戦が勝負です。


なぜかって?


それは大概の人が [ 折り返し地点を過ぎてから、人生最大のテーマに気づくから ] です。



人は皆、自分なりのテーマを抱えて生きています。


けれど取り組むべき最も重要なテーマは、若いうちには気づけないようにそう出来ている。


勉強して生活をし、何らかの人生経験をしない限り、人生の課題は浮かび上がって来ません。


何かのアクションを起こさない限り、リアクションは得られない。


人生が教えてる気づきや学びも、アクションを起こさないままでは、ヒントすらも与えられないんですね。




私たちは意志の力を使って、努力を重ね、引き寄せの力を駆使して欲しいモノを手に入れます。


しかしそれでも100%の満足が得られるものではありません。


「夢を得るために諦めなければならないモノも多い」


「目先の欲望をやみくもに追いかけても虚しいだけ」


そんな些細なアレコレが気になるようになったら、そんな時こそ<脱皮の時>です。



人生の後半戦は自分自身の修正の時間だと思って下さい。


手にしたモノのすべて、また手に出来なかったモノのすべてを棚卸しするつもりで、正直に自分をチェックしてみましょう。


そして「残りの人生は、自分だけに与えられた課題に取り組む」


と、その覚悟を決めるのです。


ある人は仕事やお金がテーマかも知れない。


別のある人は家族愛がテーマかも知れない。


家族以外の人間関係に取り組まなければならない人もいる。


健康の問題と向き合わなければならない人もいるでしょう。


浮上した問題をよ~く覗き、観察してみて下さい。


その問題の中からきっと、クリアしなければならないテーマが見つかるはずです。

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「上手く年を取るのは難しそうだ・・・」


そう感じてしまった人はもう一度、自然の風景を思い出すと良いでしょう。


[ 芽吹き、茂り、実り、散る ] という<四季の巡り>のことをです。


私たちも大いなる自然の一部・自然界のひとつの駒に過ぎません。


自然界のサイクルを思い出し、それを真似るなら、無理せず楽に飄々と、人生を生きて行けるはずです。



我々は折り返し点を過ぎたら、自分という作品の仕上げに取り掛かります。


あなたは世界にたったひとつしかない芸術作品のようなもの。


どうか心を込めて愛すべき作品を磨いて行って下さい。


人生は後半戦こそが面白いのです。

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by viva1213yumiko | 2017-12-26 16:09 | 人生・霊性 | Comments(0)

運命に翻弄される人々


台湾に旅行に行った時、京劇を鑑賞するチャンスに恵まれた。


観光客向けの一幕もののプログラムでしたが、孫悟空の冒険活劇や若い男女の恋の駆け引きなど、楽しい芝居を鑑賞させて貰いました。


それは歌舞伎や能の体験で、興奮する外国人と同じ状況なんでしょうね。


京劇特有のあの甲高い音楽や、衣装やアクロバットや演出に終始ドキドキさせられっ放しで、感動と興奮の一夜を過ごすことが出来ました。


中国文化は途轍もなく大きすぎて「よう分からん」と思う方。


そのような方にこそ、<京劇パフォーマンス>はいかがでしょう?


エンターティメントな伝統芸術から中国文化を覗き込む。


それならきっと親しみを持てるに違いありません。

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京劇といえば、そう、チェン・カイコー監督のあの映画、<さらば、我が愛/覇王別姫>です。


この映画は、1920年代から約50年間の激動の時代を生き抜いた京劇役者の愛憎劇なのですが、いろんな意味で深く心をえぐられる映画なんですよね。


3時間近い大作ですが、終始飽きずに間違いなく物語にのめり込んでしまう。


ある意味<鬼気迫る傑作>です。


死ぬまでに一度は見ておくべき映画と言えるでしょう。



人は運命から逃げられない。


逃げても運命は追いかけて来る。


人の運命とは時の流れの中、花びらのように浮き沈みせざるを得ない。


と、そんな風に思えて来て、鑑賞後にボー然と虚脱感が残るかも知れません。


だから、意思の力でガンガン能力を発揮したいと願う<自己啓発系>の方や、開運スポットで他力本願して満足してる<ゆるふわスピ系>の方はむしろ見ない方が良いかも知れません。


なぜならこのお話の根底には「人はそれぞれの運命に責任を取らなければならない」っていう、厳し~いテーマが流れているからです。


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女郎の女が育てられなくなった我が子を、捨て子同然に京劇の養成所に預けて行くところからこの物語は始まります。


厳しい訓練と虐待の中で、孤児の少年は女形として育てられ、時に慰み者にされ、男とも女とも言えないいびつなアイデンティティーを形成する。


家族のいない孤児にとっては、子供の頃から一緒に育ち何かと助けてくれる兄貴分は、唯一頼れる存在だったのだろう。


その義兄弟の役者二人の運命と、京劇の栄華衰退とを、中国の史実に乗せて綴るスケールの大きなお話しです。

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二人のヒット演目は「覇王別姫」


三国志で活躍する英雄<覇王>の末路と、最後まで運命を共にした<虞妃>の悲劇です。


悲劇の役を演じてそれがはまり役になると、役のキャラクターそのものが役者個人に憑依して来て、悲劇に取り憑かれてしまうってことあるのでしょうか?


役者というのはつくづく因果な職業ですね。


悲劇の恋人役を演じるうちに、いつしか本当に彼を愛するようになってしまう。


男と女の垣根を超えたトランスジェンダー。


いつの間にか彼は、芝居と現実の垣根さえも超えてしまっているんですね。

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母に捨てられ、家族を知らず、男でもなく女でもない。


愛する人には女房がいて、愛したくても愛せない。


生きる術は京劇だけだから、芝居を辞めたくても辞められない。


舞台の上でしかいのちが輝けない<仮面の人生>


そんな運命しか残されてないとしたら・・・


さあ、あなたならどうする? 


一体どうするでしょうか?

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それでも京劇界のトップスターだった頃はまだ良いのです。


清朝末期から国民党→日本軍→国民党→共産党と目紛しく政権が代わり、その度に京劇の運命は翻弄されます。


そして文化大革命。


自己批判を強要され、芸術家や文化人は徹底的に破壊され尽くす。


伝統芸術とは元来お金持ちや権力者の庇護があって成り立つもの。


戦争が起こったなら、政変が覆されたなら、芸術なんて木っ端微塵に破壊されるのです。


運命が激しく流転している時、人は誰もそれに逆らえません。


三国志の英雄<覇王>ですら定められた運命には逆らえなかった。


それと全く同じようにです。

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それでも人は生きなければならない。


結局、人はそれぞれの運命に責任を取らなければならないんですね。


人生は人により千差万別です。


映画のように、時代に、偏見に、権力に翻弄される過酷な人生もあるでしょう。


穏やかで平凡に生きる者もいる。


けれど、人には必ずいつか<人生の収支決算>をしなければならない時がやって来る。


誰にも必ずその時が訪れるのです。


だから、人生で起こる悲劇・喜劇の総決算から何を教訓とすべきか?


あくまでも決めるのはあなた自身ということなんですね。


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 どんなに愛しても愛し足りない


 どんなに憎んでも憎みきれない



映画の宣伝コピーにはこのように書いてありました。



愛したいのに愛が叶わない。


かといって離れたくても離れられない運命。


人間界にはそんな不思議な愛憎関係が確かに存在しますよね。


「今まさにそれに翻弄されている真っ最中です!」って人も、決して少なくないはずです。



人間の営みの中には、時に心をえぐり取られる程の厳しさ・残酷さが潜んでいます。


そのようなものに遭遇すると、人間の浅はかな考えでは計り知ることの叶わない、この<人生のカラクリ>を思わずにはいられません。


神様の計画はいつも極秘裏に実行されて行く。


いつだって我々は、そこにある意味を、後になって何とか解釈するだけ。



人生の経験の中から一体何を学び取るべきか?


我々が生きることの意義とは、多分それをつかみ出すことにあるのかも知れませんね。


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by viva1213yumiko | 2017-06-12 19:35 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

備えあれば、憂い増す

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イソップの寓話に<アリとキリギリス>のお話しがあります。

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き歌を歌って過ごす。

やがて冬が来てキリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い食料を分けてもらおうとする。

慎ましく長生きするアリ人生を歩むべきか、短いながら楽しいキリギリス人生を行くべきか・・・

ふたつの選択肢を考えさせる有名な寓話です。


実はこのお話し、ふたつの異なる結末があるのです。

一方は「夏には歌っていたんだから、冬は踊ったらどうだい?」とアリに拒否され、キリギリスは飢えてしんでしまうというブラックでシニカルなもの。

もう一方はアリが食べ物を恵みお説教し、キリギリスは改心するという教育的なものです。

どちらにしても、そこには色々な人生訓を読み取る事が出来ます。


   [汝の隣人を愛せ]

   [備えあれば憂いなし]

   [働かざるもの食うべからず]

   [せこく溜め込む奴ほど独善的でケチで冷たい]

   [生き物は必ず死ぬのだから好きな事をして人生を謳歌せよ] etc.  



西洋ではまた違うようですが、日本の社会では「アリのように将来の危機に備え行動するを良し」と解釈されて来ました。

「キリギリス的生き方はダメなんだよ」って意味なんだと、私自身も思っていました。

「怠けていたんじゃ周りに迷惑。 努力しなさい! 頑張りなさい!」

そうやってアリ的正義を信じて働き、頑張りすぎて過労死する人が増えたのも、紛れのない事実ですよね。

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しかし聞くところによると、アリのコロニーは皆んなが皆んな働きアリって訳じゃないらしいですよ。

勤勉20%、普通60%、怠け者20%・・・

パーセンテージで言うと、ざっとそんなもんなんだそうです。

さらに不思議な事に、勤勉アリばかりを集めて来て別のコロニーを作らせると、その集団はまた元の同じ比率へと変化すると言います。

100%勤勉アリの集団にはならず、やはり勤勉20%で落ち着くらしい。

怠け者ばかり集めた場合でも同様な結果が起こるのだそうです。

何だか面白いですよね。

大会社のサラリーマンも同じような比率構成なのでしょうか?

調査してみたいものです。


だからそこら辺の事情を知ってしまうと、この寓話の教訓は教えられたものとは全く違ってたんじゃないかって思えて来ます。

実はこの物語の本当の教訓は・・・


   [人の生き方に正解なんてない]


むしろそう言ってるような気がして来ます。

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世の中の価値観なんて時代によってクルクル変わるのです。

例えば仮にもし戦争が起こったとしたら、その時は軍隊が実権を握りますよね。

そうなれば人殺しだって賛美されてしまいます。

何が正しくて何が間違ってるかは、その時それを決めた側の都合次第で変わってしまう。

世の中のために役立つ人間を目指したとしても、それはそれで胡散臭くなるものなのです。

だから将来に備えて生きてばかりだと、きっとどこかで壁にぶつかるでしょう。


備えておけば安心だって?

もうそんな時代でもなくなりました。

人生を損得で考えても幸せなんて続きません。

他人と自分を比べてもしょうがありません。

まだやって来てもいない未来を、必要以上に思い煩うと、今の幸せを見逃してしまいます。

それよりもほんの少しずつでいい、輝いて生きる事が大切なのです。
   

だからなのでしょうか・・・

私最近、この格言がお気に入りなんです。

是非とも<ことわざ事典>の掲載を願っています。
 



    [備えあれば、憂い増す]


 


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追伸
これからの時代の<アリとキリギリス>はこんな結末がマッチするんじゃないかしら?

キリギリスは音楽会の切符を売って、その収益で冬を越す事を思いつきました。

音楽に心癒されたアリたちは、いつもよりもっと豊かな冬を過ごしましたとさ。




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by viva1213yumiko | 2014-01-23 00:55 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

浦島太郎伝説

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   ♬むっかし~むっかし~、浦島は~

    助けた亀に連れられて~

    竜宮城へ来てみれば~

    絵~にも描けない美しさ~♬


亀卜(きぼく)のため捉えられた、無数のウミガメ達に思いを巡らせ黙想していたら、案の定<浦島太郎>が脳裏にこびりついて離れなくなってしまいました。


誰もが知ってる異界訪問のおとぎ話し<浦島太郎>

実は改めて思い出してみると、このお話しってとっても奥が深いんですよねぇ。

意味深な謎が多く、ただの動物愛護・善行推奨の子供向けおとぎ話とは思えません。

助けた亀のお礼のはずの「お・も・て・な・し」で、太郎は全てを失ってしまうんですからねぇ~

それって、あまりにも救いがないじゃありませんか。

「す・く・い・な・し」なのです。

ちまたでは割に良く囁かれているようですが、一体<浦島太郎>の教訓とは何なのでしょうか?

深遠な人生のテーマが、水面下に潜んでいるような気がしないでもありません。

それは、「人は良い行いをしたからといって、必ずしも幸せになれるとは限らない」なのか?

「人生山あり谷あり、上手い話しには裏がある」なのか?

「時間の進みは一定じゃない、楽しい時は早く過ぎる」なのか?

「子供のイジメ問題に大人が口出しするとロクな事がない」なのか?

いずれにしても皮肉っぽくて、不条理に満ちています。


民族学の常識では、昔話の伝説というものは、ある家や土地との関わりを説明するために作られたストーリであって、本来は大人向けの物語というのが常識なんだそうです。

それに対しおとぎ話しの方は、後世、神に対する信仰が失われた時代になってから伝説が子供向けに変形されたものの事を指すのだそう。

<浦島太郎>伝説は万葉集の時代から語り継がれて来たお話しなのですが、室町時代の御伽草子に載ってる古い<浦島太郎>は、始めから亀なんか全然関係なくて、太郎が海の女神・乙姫の婿になるという設定だったようです。

古い時代の<浦島太郎>は、この土地からは神に見込まれるほどの英雄が出たという主題が潜んでいて、子供向けのおとぎ話しとは全く違うものなのです。

この伝説が子供向けに変形されておとぎ話になる過程で、太郎と乙姫の官能的な性描写の部分が子供には相応しくないとカットされ、代わりに亀を助けた話しが無理矢理持ち込まれました。

その結果、なぜ最後に太郎がお爺さんになってしまうのかが分かり難くなってしまったらしい。

しかし元を正せば、太郎は女神の色香に骨抜きにされ、精も魂も抜き取られて老人化してしまったという大人の教訓話しだったのです。


この手の<大人のためのおとぎ話し>って結構多いんですよね。

グリム童話なんかも、親殺し、子殺し、姦淫、人肉などの主題が多く、子供版のサイコスリラーって感じで、中世暗黒時代のおどろおどろしさ満載です。

その他にも私は以前、知人にポルノ版<白雪姫と7人の小人>の話しを聞かされた事もあります(笑)

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<浦島太郎>伝説も、<竜宮城キャバクラ編>とか<エイリアン・アブダクション編>とか、大人バージョンが色々あるのですが、その中でもとっておきの怖さを持つのがこんなストーリーです。

今は削除されてもう見れなくなってしまった、アニメ<世にも恐ろしい日本昔話し 浦島太郎>によると・・・


漁師の太郎は母親と二人暮らし。

ある日、海へ行くと言って家を出た太郎。

実は、お茶やさんで遊んじゃっていたりするのです。

その時にふとした事で助けたお亀という女性に、どうしてもお礼がしたいと大きなお屋敷に連れて行かれます。

聞けばお亀はこの屋敷の使用人。

使用人を助けたお礼にしては豪勢すぎるんですが、珍しいキセルを吸わせてもらったり、美しい女中たちがあんな事やこんな事をしてもてなしてくれます。

その中でも太郎が一番夢中になったお竜という女性とは、毎日のように夢心地であんな事やこんな事を。

キセルの煙は太郎を心地良い夢の中へ誘います。

そんな折、お竜は太郎に「好意の印」と、箱をプレゼントします。

毎日夢心地の太郎ですが、ふと気が付くと、暗く広い牢の中に座っていました。

周りには自分と同じようにヨダレを垂らし、目の焦点は定まらない廃人同然の男たちが何人もいます。

目の前で死んでいく者もいました。

「ああ・・・」と顔を抑えると、太郎の顔の皮膚はボロボロと崩れます。

おそらく梅毒の症状でしょうね。

実はお竜は病気(やはり梅毒?)で、正常な男からはとても相手にされないような醜女(むしろバケモノ)でした。

キセルで吸わせていたのはおそらくアヘンか何かでしょう。

お竜に子供を授けるために町の若い男を屋敷に連れ込み、薬漬けにして相手させていたという事なのです。

太郎がどの段階で「これはヤバイ」と悟ったのかはよくわかりませんが、とにかく屋敷から逃げ出します。

なんとか屋敷の外に出ますが、その時すでに風貌は老人です。

やっとの事で海辺の自宅に辿りつきますが、家は朽ち果てており、通りかかった人に聞くと、「昔この家には太郎という男がいたが、ある日海にいくと行ったきり帰らず、母親は心労で死んでしまった」との事。

放心状態で崖に腰掛け、持っていた箱を開けてみると中にはキセルとアヘンが入っていました。

キセルを吸うと、煙の中に母親の顔が・・・

何かを叫びながら、煙の中の母を追うように海に身を投げる太郎でした。

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こわ〜い!

<浦島太郎>がシュールで斬新なホラーに変身しております。

しかし考えてみると、<浦島太郎>に実話モデルがあるとしたら、案外こんなものだったかも知れませんよ。

島流しの男の猟奇事件に、ああでもないこうでもないと尾ひれがついて、伝説化してしまったのかも知れません。

いずれにしても海辺に住んだ、とんでもない男がやらかした何かが、人々の心に強い印象を残した事は間違いなさそうです。


昔話の英雄って、良くも悪くもとんでもない人たちの語り継ぎです。

キャバクラから無事帰還して来たぐらいでは、まだまだ英雄には程遠いので、よい子の皆さんは、くれぐれも勘違いしないようにしましょう。




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by viva1213yumiko | 2013-10-15 13:40 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

続・人生はグルである

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我々が住む鏡の世界では、自分の信念や感情が人間関係にはっきり現われます。

恨み・憎しみ・憤り・愛・慈悲・理解などの非物質的エネルギーが投影されるからです。



目に見えないエネルギーには不思議な力があります。

愛や慈悲や許しと云ったプラスの感情は、表現したその瞬間から自己を肯定する力を持っている。

憎しみや裁きや嫉妬心も同じ様に、発すると直ぐに自己を否定する力となります。



宇宙の全ての万物には、最初から良い悪いの基準がなく、静かな湖の水面の様に穏やかな存在なんですね。

そこに、<善悪・正邪・好き嫌い>という感情で判断を加え、石を投げ込んだために、静かだった水面は波を打ち始めます。


当然それが、大きな憎しみの石なら暗く激しい波が立ち、大きな愛の石なら歓びと希望の力強い波が立つ。

だから我々が生きているこの<エネルギー場>の世界とは、己の内面にある信念を映す鏡だという訳です。



「なるほど、それはもっともね。 けれどそれが一体何の役に立つの?」

と、あなたが思うなら、それはきっと今までの人生にまだ大きな転換期がなく、自分を変える必要に迫られた事がないからなのでしょう。

人生の挫折を経験したり、立ち止まらざるを得ないような内的体験をすれば、自分自身を見つめ直して、人生に苦しみをもたらした信念の正体を見破ることの重要性を胸に沁みて感じるはずです。



「世の中の現実が気に入らないのなら、自分自身を見つめ直しなさい」

と言われるのは本当なのです。



自分の信念に捕われたまま生きるか、それから解き放たれるかは、自分自身で決めるべきことです。

多少の不満はあっても、馴染みのある今まで通りのやり方を続けるのか、それともこれを機会に信念を暴き出し、新たなものに書き換えるのか・・・

あなたには選ぶ権利があるのです。



大概の人は人生のある時期に、自分自身が最も怖れているものと向き合わざるを得ないみたいですよ。

まるであなたの怖れを克服させるために、人生がシナリオを組んでいたかのようにです。


人間関係となって出現することが多いのですが、それは私たちの魂の暗闇に光を当てて、痛みの元になっている怖れを征服させようとします。

だからその人の成長の度合いによって、信念を試すようなことや深く考えさせるようなことが用意されており、タイミングになるとそのスイッチが起動する訳です。



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人生とは上手く出来ているんです。


我々がそこで習得するべきことは・・・・

[人生のそれら全ての高波を、まるでサーフィンのように華麗に乗りこなすこと]

[常にバランスを取って波を乗りこなし、充実感と満足感に浸ること] なのです。



人生って本当に上手く出来ています。

私たちを進化成長させる為に、色んなヒントを用意してくれています。

[人生こそが真のグル] だと確信する日が、いつかあなたにも必ずやって来ると思います。







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by viva1213yumiko | 2013-01-12 19:56 | 人生・霊性 | Comments(0)

人間関係は自分を映す鏡の世界

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前回、我々の人生は学びの学校だって話しをしました。


人生ってものをやってると、嬉しい事や悲しい事、辛い事や驚くべき事がたくさん起こりますが、それら日常世界の経験はどこか別の場所からのメッセージだと言えるでしょう。

なぜなら人生に起こる様々な出来事が、自分が確信していること、愛しているもの、恐れているものを、我々にはっきりと教えてくれるからです。


人生を通して我々は、我々が持つ信念の本当の姿を知る事が出来るのです。

それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、我々の内面世界が人生の色々なドラマを引き寄せているのだと気付かされます。


私たちは、この世界の人間関係・仕事・成功・失敗を目に見えない場所で創造しています。

つまりそれは、そこに映るメッセージを読み解く知恵さえあれば、人生に苦しみをもたらす信念の正体を見破れる、良いチャンスでもあるのです。


人生はグルの様に、常にあなたに教えを授けてます。

だから人生そのものが、あなた専用のプライベート・レッスンと言えるのです。



プライベート・レッスン・・・


その中でも、特に注目すべきは人間関係ですね。

自分がどんな信念を持っているかは、人間関係に最もはっきり現れるからです。


人間関係での様々な出来事は、自分をあらゆる角度から見つめ直す、よい機会だと言われています。


例えば誰かの独善的な態度が気にさわってしょうがないなら、それは「あなたの中にも何か独善的なこだわりがありませんか?」 というメッセージかも知れません。


違う誰かの優柔不断な態度が気になるなら、あなたの中の優柔不断さの原因を探ってみた方が良いでしょう。


また、誰かに嫉妬心があるとしたら、それが自分の失ったもの、手放したもの、奪われたものを教えてくれてませんか?


誰かと痛みをもたらす問題が起きたら、その関係の奥に、自分が怖れてる別の何かが隠れていませんか?



そうやって改めて回りを見回してみると、他人をとやかく批判する事は、全く出来なくなってしまいますね。

なぜなら、他者とは自分の姿。

自分が他者という鏡に映っているだけ。

人の事を批判してるつもりでも、実は鏡の自分への自己批判で、何よりも自分を傷つけているんですね。



そして、私たちの正真正銘の一番根深い信念は、最も親密な人間関係に反映されています。

親子・兄弟・夫婦など身近な関係になるほど、難しく微妙なテーマが隠されているものです。

我々が無意識に隠し、置き忘れて来た心の傷は、癒される事なく封印されていて何かをきっかけにひょっこりと浮上して来ます。


親密な関係ほど、そのスイッチの起爆剤になりやすいので、心の深い問題が反映されやすくなる。

心に傷をもたらす根本原因が、同じような問題を何度も何度も、繰り返し引き寄せているのです。


けれど、そこに映るメッセージを読み解く知恵があれば、人生に苦しみをもたらす信念の正体を、その根本原因を、見破る事が出来るはず。

だから純粋に楽しいだけの人間関係からは、深遠な人生の教訓は学べないと言われるんですね。


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 [人間関係は自分を映す鏡の世界]


お山にこもって、行者さんのように生きるだけが修行ではありません。

娑婆の世界で他者と時間を共有する事は、我々に最も相応しい修行なのかも知れませんね。




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by viva1213yumiko | 2013-01-10 22:27 | 人生・霊性 | Comments(0)

人生はグルである

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前回、映画に感動して魂が浄化されるって話しをしました。

素晴らしい芸術作品や、美しい風景、調和の取れた音楽などで、我々の魂には光が射し込み、自分を取り戻した気分になって来ます。


けれど、家に帰って日々のルーティンに戻ると、そんな高揚感はどこ吹く風。

とたんに日常生活で生まれる、細々とした心のゴミやほこりに向き合わされる羽目になります。


恋愛結婚・人間関係・仕事・お金・健康問題

あーあ、頭の痛い事ばかり。


ひとつの問題をクリアーしたと思ったら、今度は次の問題が発生して来て、なんだか次から次へと自分が試されて行くような気がしてしまいます。


そう・・・実はそうなんです。

あなたは確実に試されているんです。


何を隠そう人生とは、<無限に続く学びの学校>

自分に必要な課題を順々に投げかけて来る、永遠のプライベート・レッスンだったんですね。


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我々の日常生活に起こる様々な状況の中には、とても大事な情報とメッセージが含まれています。

まるで上質なミステリーさながらに、隠された暗号と情報に、解釈されるべきメッセージが暗示されているのです。


そしてそのメッセージを解釈するのはとても大切な事なんです。

なぜなら、メッセージを考えさせる事自体が、この学校独特の授業スタイルだからなんですね。


人生という名の学校は、教科書や時間割がある訳じゃなく、勉強の課題もその目的も、全て隠されたまんまです。

だから自分で状況をよく観察し、メッセージを探し当てながら、学んで行くしかありません。


そこがややこしくて分かりづらくて、みんな悩むところなんですが、人生が言わんとするメッセージさえ見つかれば、自ずと解決策は見つかるものなのです。

そこまで来れば、ミッションの大部分は完了します。


ひとつのレッスンを覚えるまでは、繰り返し同じ問題が出て来ますが、一度覚えたらもう二度とその問題で悩む事はなくなります。

そしてまた人生の上に次の問題がやって来て、次のステップのレッスンへと進んで行く。


それが誰にも平等に与えられた、人生の<参加型学習システム>なのです。




人生には色々な状況が起こり得ます。


その問題が辛く苦しいと、つい自暴自棄になって投げ出したくなりますが、重い問題が起こった時こそ「人生が自分を大きく成長させる強化訓練期間である」という風に捉えたいですよね。


だから絶対、絶望だけはしないで下さい。


<観察>→<内省>→<気付き>→<課題発見>→<解決策>→<行動>

このようなプライベート・レッスンの一連のプロセスに、なんとかして乗る方法を探ってみて下さい。



いいですか? 

レッスンの課題を一度覚えたら、もう二度とその問題で悩む事はなくなるのですよ!

一刻も早くレッスンのテーマに気付いてあげて下さいね。


<人生の鞭>による、痛みの伴う学びではなく、なるべく楽に楽しく学び成長して行きましょう。

人生はそれをあなたに期待しているのです。


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<人生はグルである>


本来は師を求めて世界を放浪する必要など、何処にもないのかも知れませんね。

あなたはあなたの道を行けばいいのです。


人生というグルは、我々の魂に知恵と力を授けてくれる、最高の恩師なのですから。




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by viva1213yumiko | 2013-01-07 23:37 | 人生・霊性 | Comments(0)

男脳・女脳

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人間の左右の大脳半球を繋いでいる、脳梁という器官があります。


約2億本の神経繊維の束を結ぶ脳梁の後方部分は、女性の方が丸みを帯びた形をしていて、大脳全体との容積比率も男性より大きいのだそうです。


これは女性の方が左右両半球の連絡が良く、脳全体を効率的にバランス良く働かせやすい事を意味してるのだそうです。

一方男性の方は何かに特化した機能・技能を働かせやすい脳で、一点集中型になる傾向があるらしい。


脳の発育過程でも女児は言語・感情機能の左半球がより早く発達し、男児は空間認知機能の右半球がより早く発達する。

だから女の子は人形遊びやおままごとが好きで、男の子は車や電車のおもちゃを動かすのが好き。


また、男女を決める性ホルモンの働きにより、女は警戒心・感受性の強い脳になり、男は攻撃性・無謀さの高い脳になると言われます。

これらは人間が集団で営巣し狩猟採取型の暮らしをしてた頃、男が狩猟を担当し女が採取を担当していた事の名残だとも言われています。


つまり、人間には攻撃的な<男脳>と、情緒的な<女脳>の性差があるって事ですね。


もちろんこれは一般論であって、個体差の方が当然大きいのが当然です。

しかし、男と女の考え方・感じ方のあまりの違いに驚いた時、戸惑った時などに「男脳と女脳とじゃやっぱり違うんだなぁ〜」と自分を納得させる事ができ、意外と便利な理論だったりするんですよね。




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男と女は子供の遊びから既に違うのだから、大人の男女に至っては、もう全く違うカテゴリーの種なんです。

これはもうそういうものなんだと認め、改めて一からじっくり観察し、新しいコミュニケーションスキルを構築し直した方がよろしいのではないでしょうか。


つまり<異文化交流>とでも言いましょうか。

あるいは<異星人との遭遇シュミレーション>とでも言いましょうか。


同じ義務教育を平等に受けていても、異性が自分と同じ情動反応を示すと思うのはのは大間違いなのだと心しておきましょう。



例えば他者とのコミュニケーション能力にも、<男族>と<女族>の違いははっきり現われます。


「男性は結論を導き出そう、白黒はっきりさせて互いの優劣関係を明確にしようとして、対立を煽り、見栄をはった言動をしてしまいがち。話しをこじらせ、もめさせる人が多い」


「女性は相手をやり込めずに人間関係優先の選択肢を探ろうとするので、状況改善には向いている。しかし論理的討論で何か結論をはっきり出すという場には不慣れな人が多い」


「男にとっての親密さとは、ともに働いたり競争したり仕事に有用な情報を交換したりすることで、互いの優劣関係がはっきりしている事が重要である」
  
 
「女にとっての親密さとは、共にいること、普段の状況について事細かに話すこと、地位や立場に差がなく共感出来ることが重要」


「女は言葉から親しさを汲みとり、男は言葉を攻撃・威嚇・見栄はりに用いる」


などと表現されます。




なるほどねぇ〜

そう言われてみると、何だか妙にスッキリしませんか? 


家庭や職場などで、何とも不可解な異性の言動に戸惑ったら、改めてこの原則を振り返ってみることをお勧めします。

すると妙にスッキリ心の整理がつくんですよね。



男女の性差から生まれるすれ違いは、互いの<会話に求めるもの>にもはっきりと現われます。


男性にとっては、問題解決こそ会話の目的であるというパターンが多いのです。

だから自分の意見を主張したり、自分の正しさにこだわる。


一方、女性は会話を通して相手の感情を知ったり、自分の感情を伝えたり、会話する事自体に目的があるのです。


だからそんな男女が向き合うと、男は解決すべき課題がないと会話が成り立たず沈黙に逃げ、そういう態度に対し女性は強くストレスと疎外感を感じるのです。



例えば夫婦であれば、妻が日常の嫌な事や悩み事を話すのを聞いて、夫はついついアドバイスをしてしまったりしますよね。

しかし良かれと思ってしたアドバイスで逆ギレされてしまった、というケースがとても多いのです。

けれどそんな時、夫にはなぜ妻が怒っているのか見当もつかず、ただ混乱するのみ・・・


もちろん私には妻の気持ちが良く分かります。

妻は夫のアドバイスなど聞きたくなかった、ただ気持ちを聞いてもらいたいだけだったんですよね。



女性は感情というものに対してとても敏感で、そうした事を話したり理解してもらいたがるものなのです。

しかし男性は日々の感情について話すのが苦手なうえ、恥ずかしい事だという先入観がある。

またすぐに自分を守る為の攻撃モードに入りやすく、それが長く持続されます。



男脳と女脳の思考パターンの違いに気付き、相手を理解する手掛かりさえ掴めたら、お互いの絆を深めるのにきっと役立つはずと思うんですね。

ほらね、そうやって考えてみるとやはり<男脳・女脳>って概念は、便利で使えるツールでしょ!



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追伸:
全男性の中に17%の割合で<女脳>の人が存在し、女性の方にも17%の<男脳>がいるらしい。

実は私もこの17%の中に入るのかな?と思ったりもしています。


<話しを聞かない男・地図を読めない女>というベストセラーがありましたが、私地図を読むのは割と得意な方ですし・・・

最も<女脳>から<魔女脳>へと既にシフト完了しちゃった、とも考えられるのですけどね。




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by viva1213yumiko | 2012-12-10 21:53 | 人生・霊性 | Comments(0)