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輪廻輪廻大サーカス

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子供の頃、日曜にTV放映される<リングリングサーカス>が大好きだった。


<リングリングサーカス>はアメリカが誇る、世界最大規模のサーカス団。


フットボール場2つ分の大テントに1万1千もの座席をしつらえる、超巨大なサーカスです。


3つのサーカスリングを設置し、それぞれのリングの中で軽業師や動物たちが次々曲芸を披露する。


「これぞアメリカ!」って感じの、突拍子もなくスケールの大きなサーカスなんですね。


最盛期には従業員1500人以上、馬450頭、象40頭を抱えており、80両の専用サーカス列車で各地を巡業して回っていたと言う。


そのスケールの大きさから「地上最大のショー」と呼ばれ、ハリウッド映画にもなったぐらい歴史あるサーカス団です。


当時見てたTV番組も、同時並行で行なわれる3つのリングのパフォーマンスを、たくさんのカメラで追いかけ放映していた。


その時の映像は、今も記憶の底に刷り込まれている。


隊列を組みドスドス走り回るたくさんの象。


猛獣使いの大きなムチの音。


ピエロたちのコミカルな動き。


空中ブランコを見上げる観客の表情、そのどよめき声。


「何もかもがスケールが違う」ってことが、TV越しに臨場感を持ってヒシヒシ伝わって来ました。


子供ごごろにも「アメリカって凄い!」って、そう思ったものです。


1980年代には日本でも来日公演をしていたらしいが、その後は動物愛護の気運により、観客動員数は急速に減って行った。


<リングリングサーカス>は解散を余儀なくされ、昨年146年の歴史に終止符を打ちました。


兼ねてから「アメリカに行ったならスケールの大きなショーを観てみたい」と、思ってましたが、それは多分子供時代のこのような記憶のせいなのかも知れませんね。


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<シルク・ドゥ・ソレイユ>は日本でも有名なので、観たことある人は多いと思います。


一言で言うと「サーカスとアートを融合したパフォーマンス」


曲芸という娯楽を、一段階<次元上昇>させたエンターテイメント集団です。


<シルク・ドゥ・ソレイユ>は芸術的な作品を数多く世に送り出しています。


しかしその中でもスケールと完成度の点で「最高傑作!」と評されるのが、今回ラスベガスで鑑賞した作品<オー>です。


この演目は、当地の常設シアターだけでしか上演されません。


それもそうですよねぇ〜


だって、よその劇場じゃ絶対に無理だもの・・・


ラスベガスの常設劇場は、舞台の奈落部分が巨大なプールになっています。


しかもこのプール、水深が自在に変化する作りになっていて、プールからセットへ唖然とするような舞台転換をする。


水深を深くしたプール目がけ、天井からパフォーマーが飛び込んだかと思うと、みるみるうちにそれがスキップ出来るほどの水たまりに変わったりするんです。


ダンサーの踊ってた床があっという間に2つに割れて、プールの底からシンクロスイマーたちが現れる。


カーテンの奥から、水中から、壁から、天井から、客席から・・・


ありとあらゆる場所からパフォーマーが登場して来る。


そして演技を終えた者から順に、最後は必ず水の中に消えて行くんです。


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「これは凄い!」と、手放しにそう思いました。


今まで観た舞台の中でも、群を抜いたスペクタル感です。


何しろお金が掛かってる。


衣装も照明も小道具も、華やかで独創的です。


観ているうちに水中と空中の境界線が揺らいで、次元とか空間とかの認識機能が麻痺してしまいそうになる。


古代ローマではあのコロッセオに水を張って、ローマ軍の海戦の様子をショーに仕立て観衆に披露したと言います。


この<オー>の水舞台もそれに匹敵するくらい、度肝を抜くレベルなんじゃないかと感じました。


次に一体何が現れるのか?


観客は固唾を呑んで見守ることしか出来ません。


そしてそれと同時にやって来る感動のエネルギー。


開始10分で胸がぶわっと熱くなり、身震いが起こって、涙が勝手にあふれて来る。


エネルギーが身体を通過するたび、こうした反応が勝手に湧き上がってしまうのです。


不思議だった。


この感動は一体どこから来るというのでしょう?


パフォーマーの技術が凄いから?


音楽が激しく切ないから?


スペクタルが圧倒的だから?


もちろんどれもが正しいけれど、それだけでは正確と言えません。


そこには何かこの世のスケールで測れない、そんな秘密がありそうです。


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<オー>は水がテーマのショーです。


パフォーマーたちの演技はどれも、最後に水に飛び込むことで完結する。


ブランコ乗りも、ジャグラーも、アクロバットも、道化師も、ダンサーも、エアリアルも・・・


パフォーマンスを終えた者は皆、水に入り泡となって消えて行く。


そしてまた、どこからともなく別のパフォーマーが登場し、新たな次のパフォーマンスが始まって行くんですね。


人は水から現れ、活動し、それを終え、水に消えて行く。


そして水から再び、人間は新たに生まれ変わる。


つまり<オー>とは「万物を生み出す源」のようなもの。


あの世とこの世をつなぐ<海>の象徴でした。


つまりこのショーは、我々の<輪廻転生>を観せてくれるそんな舞台だったんです!



何かがストンと腑に落ちました。


初演から20年近く、はるばるラスベガスまで足を運び、多くの観客がこのショーを観たがるのはなぜか?


その理由が分かったような気がしました。


これは、<輪廻のサーカス>でした。


誰もが忘れてしまっているけど、実は消えない<輪廻の記憶>


その長い長い道のりのことを、このショーは思い起こさせるのです。


決して私だけがそう感じるんじゃありません。


そこに真実があるから、それだからこそ誰もが感動せずにはいられないんですね。


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考えてみれば私たちは皆、サーカスのパフォーマーみたいなものです。


ショーを成功させるためには、与えられた役割をキチンとこなさなければなりません。


衣装やメイクの用意はOKか?


チームの仲間とシンクロしてるか?


呼吸を止めずにスムーズに動けたか?


最後のポーズは決まったか?


ほらね、サーカスを生きるのとまるで同じじゃないですか。


時には道化を演じ人を笑わせなければならない。


時には火を吹き人を驚かす。


危険を冒し空中をジャンプすることもあるでしょう。


縁の下の力持ちに徹することもある。


思いきり飛んで、失敗し、溺れ、そして笑われる。


歯をくいしばり、努力して、認められ、喝采を受ける。


そして結局最終的に、誰もが水に還って行きます。


あなたはどんなパーソナリティーの持ち主なのでしょう?


あなたの特技は? 良いところは?


逆に痛みや弱点は何ですか?


自分を労わり愛してる?


魂の道を正しくまっすぐ進んでいるだろうか?


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誰もが皆んな、記憶喪失のまま人生を歩いています。


いつだって大切なことは思い出せず、心に空虚を抱えてる。


でもね・・・


本当は決して忘れてなどはいないのです。


魂の深いレバルでは全ての記憶を残してる。


ここに来るまでに、どれだけの苦難をくぐったか?


ここに来るまでに、どれだけの幸せを諦めたか?


ここに来るまでに、どんな苦渋の決断をしたか?


あまりに辛いから忘れたことにしてますが、私たちの魂はちゃんと知っている。


そして「いつかは誰もが全てを思い出す」と、いにしえの叡智はそう伝えています。



悠久の時の流れを思うと、ちっぽけな自分が愛おしく感じられませんか?


私たちはサーカスを生きてます。


<輪廻輪廻大サーカス>という、<地上最大のショー>をです。











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by viva1213yumiko | 2018-04-15 15:57 | 人生・霊性 | Comments(0)

癒してガッテン

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人工知能の発達で人間の仕事の領域がどんどん奪われる可能性があります。


危険な仕事・過酷な仕事・単調な仕事だけでなく、優しさ・人間らしさを要求される仕事も同様です。


家事や介護のルーティンは、お手伝いロボットに任せれば良い。


子供たちは学習ロボットでお勉強。


赤ん坊の様子は子守ロボットに見てもらおう。


ありとあらゆるペットロボットがお年寄りの心を和ませる。


寂しがり屋の大人たちには、慰めを与える愛人ロボットを提供しましょう。


そんな未来はすぐそこです。


人間のあらゆる欲望・あらゆるニーズに人工知能は答えてくれる。


しかしそうなって来ると、人間の存在理由そのものも変わらざるを得ませんね。


未来の国語では「人間臭い」なんて言葉、必要なくなるんじゃないかしら?


徹底的に管理の行き届いたクリーンで安全な理想社会。


果たしてホントにそんな社会が来るのだろうか?


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スティーブン・スピルバーグ監督の作品に<A.I.>というものがあります。


人工知能の発達で完璧な子供が生産されるようになった、そんな未来社会のお話しです。


美しく優しく賢く、病気知らずの完璧な子供がロボットとして作られ、子供のできない母親に与えられる。


子供型ロボットを起動し、自分を永遠に愛するようプログラムをインストールすればOK。


それだけで完璧な子供は未来永劫、壊れるその日まで母を愛し続けます。


母親は最高の幸福に包まれました。


夢にまで見た完璧な子供を手に入れたのだから、そりゃそうですよね。


でもやがて血を分けた本当の子供が、不治の病いから奇跡的に治癒すると、結局自分の子供の方を可愛がる。


母親は完成された子供ではなく、不完全な人間の子供の方に愛着を持つのです。


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愛って人間の理解を超えてます。


愛とは実に不可解で、人間の理性とか損得勘定を軽々と飛び越してしまう。


「神様の愛情も母親のそれに近いのかも知れないなぁ〜」


私はふと、そんな風に考えました。


神様は完成された存在でなく、不完全な我々をいつまでも愛してくれている。


神は本物の母親のように、ず〜っと昔から我々を許してくれていたのだと・・・


あら? ちょっと<宗教チック>だったかしら?


でもね・・・


この世で起こる現象のすべてには、やっぱり人間レベルを超越したサムシング・グレート(神様みたいな大きな力)が、関与してると思わずにはいられないんですよねぇ〜



我々人間はA.I.と違って、完全ではない状態からスタートしてます。


不完全だからこそこの世に生まれる。


不完全だからこそ「完全に近づきたい」「幸せになりたい」と欲望し、人生を歩んで行く。


「体験したい!」という欲望そのものが<魂の原動力>です。


この世界で感じる<痛み>や<苦しみ><欠乏>さえも、魂は体験することを望んでいる。


それらを乗り越えれられたら、<喜び><豊かさ><調和>などの美しいものにたくさん気づけるからです。


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では<魂の癒し>は何のために必要なのでしょう?


辛い経験を無かったことにするのが<癒し>ではありません。


<辛い>という意味づけや、それに対する「惨めだ」「恥だ」というような判断・評価を転換させること。


それが<癒し>の本質です。


辛い経験を「必要な経験だった」という理解・気づきへと変化させて行く。


「魂が成長する」ってそういうことを意味してるのです。


それこそがこの物質世界で手に入れられる最大の贈り物。


宗教チックに表現するなら、<神の恩寵>ってヤツですね。


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宇宙の仕組みは人間のルールで動いている訳じゃありません。


宇宙全体で丸ごとひとつのシステムなのです。


結局地球って、宇宙の中ではまだまだ未熟な星なんでしょうね。


我々の意識も未だ眠りについたまま。


宇宙の創造主の発するエネルギーに気づかないし、気づこうとさえしていない。


それだけで終わらず、自らの魂をいじめ傷つけ、他者をも傷つけ、地球そのものを傷つけている。


存在している身近な奇跡を、見逃してばかりいるのです。


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[ 愛は地球を救う ]って、24時間TVはそうスローガンを掲げてます。


でも本気で地球を救いたいと思うなら、まず最初にあなた自身を癒されなければならないのです。


うむ・・・?


何やら合点がいかないですか?


では、こんな風に例えてみてはどうでしょう。


私たちの肉体は60兆個の細胞が、正常に動き、機能して、初めて健康を保っています。


同じように地球に住むひとりひとりの魂が癒され、エネルギーに満ち、機能してなければ、地球の健康は保てません。


地球という大きな生命体の、私たちは小さな小さな細胞だからです。


細胞であるあなた自身が充分癒されていなければ、地球は元気でいられません。


あなたが自分を生きていなければ、地球に貢献出来ないのです。



だからこそ今、地球のためにも<魂の癒し>が必要です。


実際癒しが起こったならば、あなたも腑に落ち、合点が行くことになる。


[ 癒してガッテン ]


ガッテンして頂けましたでしょうか?(笑)


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業務連絡:

<癒し>は頭で理解するものじゃありません。


<癒し>とは、心で感じ納得し、身体の中に落ちて行くもの。


立ち止まり、揺り起こし、自分を書き換える作業です。


それが<魂の癒し>


あなたを前進させる<聖なる儀式>です。


<癒し>の体験に興味を覚えたら、どうぞこちらをご覧下さい。




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by viva1213yumiko | 2018-03-20 15:27 | 人生・霊性 | Comments(0)

しかばねのポーズ


現在、週に3回位のペースでヨガ・スタジオに通っている。


最初の頃は身体が硬く、呼吸もままならない状態だったが、人間とは色々なことに慣れて行くものですねぇ〜


自分の奇妙なポーズを鏡に映して見るたびに、人間の可能性の不思議さを改めて感じてしまいます。


ヨガってインドで5千年前、「肉体と精神を最も安定した状態に近づける方法」として考案されたのだそうです。


集中力が高まり、乱れた心を一点に結びつける作用があります。


<ポーズ>と<呼吸法>と<瞑想効果>がミックスされ、無理なく続けられる健康法として味方になってくれてます。


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そんなヨガの中に<しかばねのポーズ>と呼ばれるものがあります。


<しかばねのポーズ>はヨガレッスンの最後に行うポーズで、大の字で床に寝転びクールダウンをする。


時間にすると5分か10分ぐらい。


呼吸を整え身体をゆるめ、リラックスさせる効果があります。



<しかばねのポーズ>は万能のポーズ。


サンスクリット語で<シャバ・アーサナ>と呼ばれます。


因みに、サンスクリット語で<シャバ・娑婆>とは<忍耐>の意味だそう。


だから<シャバ・アーサナ>は「現世の自由が拘束された世界から、もっと自由な世界を目指すポーズ」と言えます。


インドの宗教では<死>は「肉体から魂が抜け出した状態」と教えるのですが、その状態を疑似体験するポーズです。


「生きたまま魂を肉体から抜け出させるポーズ」と、言えるかも知れませんね。



<シャバ・アーサナ>は究極のリラックスポーズです。


脳を休め、ストレスを軽減し、体の緊張をほぐし、頭痛・疲労・不眠症の緩和、血圧の降下促進などの働きがあります。


「質の良いシャバ・アーサナは一晩の眠りにも匹敵するほどのリラクゼーション効果がある」


と、そう言われるくらい大事なものです。


亡骸のように全身の力を抜き、大地に身を委ね、心と身体を全てのことから解放する。


それまで強いられて来た緊張を解いてニュートラルな状態に戻し、<いのち>そのものを体験する。


ヨガではそれを目的にしてます。


<いのち>が尽きると身体は動かなくなる。


その究極の<静>の状態を体感するためです。


やはり<死>を擬似体験するポーズなんですね。


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私はこの<シャバ・アーサナ>が大好き。


だって、ものスゴ~く気持ち良いんだもの。


この状態が<死>と呼ばれてるもの?


だとしたら本物の<死>とは<快楽の極致>を超えちゃってますね。


<死>というものがこんなに気持ち良いのなら・・・


私、正直、死ぬのが楽しみです。


<死>とは異次元ワールドへの通過点。


ディズニーランドの入り口で、これからの体験にワクワク・ドキドキ期待するのと、何も変わらないような気がします。


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「私たちは死んだらどこへ行くのだろう?」


「死後には一体何があるのだろう?」


色々な気晴らしで忘れようとしても、この本質的な疑問は振り払えません。



臨死体験の研究症例では「脳の機能の停止と共に意識は身体の外に出て行く」と、当たり前のように事例報告されてます。


救命救急センターの職員や緩和ケアのスタッフは、一度や二度は必ずその手の話を聞いてるそうです。


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臨死体験をした者は皆、体験後に大きく変わってしまうという。


臨死体験者は死後の世界をかい間見て、非常にポジティブな衝撃を受け「自分は肉体に宿った精神そのものだ」という確信に至るそうです。


ほとんどの人が死は終わりでなく、通過点だと考えるようになるらしい。


物質的な価値観から距離をおく人も多いと言います。


本当に大切なものは<意識>や<知恵>であり、<人を愛する心>や<愛する人たちとの絆>だけなのだと信じ始めるそうです。


どうやら一度死後の世界を信じると、人生が劇的に変わるようなのです。


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ヨガクラスでは毎回、小さな<死>を疑似体験しちゃうんです。


自分の身体のコントロールを手放し、呼吸のコントロールも手放し、緊張を意図的にほどくのがコツですね。


<死>の体験はとにかくメチャクチャ気持ちいいんです!


しかも治癒力も格段とアップするらしいですよ。


上質の<シャバ・アーサナ>ができるようになると、エゴなどの心のコントロールも手放せます。


人は手放すことで初めて受け取る準備が整います。


この場合には、地球が我々をその場にとどめてくれようとする力(グランディング力)を受け取れるでしょう。


重力の力を感じることで<地球からの愛><地球からの承認>を、身体がじんわり受け止める。


すると魂レベルでの浄化がされるのです。


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死体は身体を動かせません。


そして心も動かせない。


心身共に動かさず、心と身体を自分自身から手放してしまうこと。


それが<シャバ・アーサナ>の目的なのです。



私たちの肉体は生きている限り、必ずどこかが活動しています。


単純に手足を動かすだけでなく、心臓や内臓器官を動かしたり、60兆個の細胞内にも常にエネルギーを送り続けてます。


生命維持のために必要な動きがあちこちで行われるよう、脳からは常に指示が出ています。


でも肉体活動を停止したまま、しかも眠らない状態をキープしたなら、意識だけの存在になれるはず。


私たちが肉体を手放すことが出来たなら、<死>と同じ状態を体験することになるでしょう。


だからこの<シャバ・アーサナ>は<死の練習>と言っても良い。


その時意識は<無>の状態です。


呼吸してる肉体があるだけで、本当の<死>の時と何ら変わらない。


裸のまんまの<いのち>になってるはずです。


<シャバ・アーサナ>は限りなく<無>に近い状態で意識を保ち続けることです。


身体を大地に放下して、エゴを手放し自然に還ることなんですね。



死後の世界を信じた人間は人生が大きく変わります。


死後の世界を信じれば、<死>への恐怖も消えてしまう。


物質に支配されていた生活は終わりを告げ、価値観も一変してしまうでしょう。


幸福とは愛やスピリチュアリティ(霊性)と全く同じと感じられ、大変身近なものになるはずです。


そしてその先の未来の姿は、<愛>と<寛容>のイメージになるんじゃないでしょうか?



今、私たちは<普遍的意識>という考え方への転換点にいるのだそうです。


今世紀中に世界中の多くの人が「魂は死後も生き続ける」と、受け入れるようになるだろうと言われてます。


それは避けられない<文明の流れ>なのかも知れませんね。


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by viva1213yumiko | 2018-01-22 17:17 | 美容・健康 | Comments(0)

女は灰になっても女

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友人のひとり旅の話しで、個人的にとても気に入ってるものがあります。


ローマのホテルで具合が悪くなった彼女。


あれよあれよという間に心臓が苦しくなり、もうどうにも我慢出来ないレベルになってしまった。


フロントに助けを求めたところ、救急車を呼ばれてしまい、期せずして異国で救急搬送されることとなってしまいました。


ハンサムなイタリア人救命士数名が颯爽と登場し、彼女を担ぎ上げストレッチャーに乗せ、テキパキと救急車に運び込んだ。


そして酸素吸入をしたり、脈を取ったり、胸元をはだいて心臓マッサージをすべきか検討してみたり・・・


よりによって異国の地で救急患者になってしまうなんて、一体どれほど心細いことだっただろう。


たったひとりで試練をよく乗り越えたと、私は感心しながら話しを聞いていた。


ところが彼女は搬送されてる間、意識も遠のきそうな状態で、あるひとつのことだけを気にかけてたらしい。


「それはね・・・」


と、彼女は言う。


「なんで今日に限ってブラとパンティーお揃いにしとかなかったんだろうって後悔なの。そればっかりを悔やんでた」


私はそれを聞き思わず笑ってしまったのだが、それと同時に何か目が醒めるような爽やかな感動を味わったのです。



こう言う格言を知っていますか?


[女は灰になっても女] 


女と生まれたからには死ぬまで女であり続けたい。


でも死んで灰になってまで、それでも女でいたいものなの?


果たして本当のところどうなのでしょうか?


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江戸時代。


名奉行大岡越前が不貞を働いた男女を取り調べていた時のこと。


「年長の女の誘いに乗ってしまった」という男の釈明に納得がいかなかった大岡越前は、自分の母親に「女性はいくつまで性行為が可能なのか?」を質問した。


母親はそれに対し何も答えず、ただ黙って火鉢の灰をかき回すばかり。


そして無言で「灰になるまで」と伝えたのでした。


実はこれ有名な逸話です。


でも果たして実話かどうかはかなり怪しいですね。


当時の武家の奥方が息子から、性生活のタイムリミットを直接尋ねられたんですからねぇ〜


母上もさぞびっくりなさったことでしょうね。


女性の賞味期限を母親にストレートに質問しちゃた大岡越前の守。


ふふ、名奉行と讃えられた割には案外女が分かってないのかも・・・


そんなこと聞くまでありませんよね~


女は死ぬまで女そのもの。


女性というのは女心を枯らさなければ、いくつになっても輝きと潤いを放っていられる。


そういうものですよね。


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いくつになっても魅力の褪せない女性でいたければ、自分の内面を良~く磨いて下さいね。


好奇心旺盛で、気配りがあって、話を聞くのが上手で、精神的に自立した女性。


そんな女性です。


フェミニンで、ちょっとセクシーで、自然体で、知性とユーモアを持ち合わせていて、そしていくつになっても恥じらいを忘れない。


そんな女性が光を放つのです。


そんな女性たちこそ、世界をカラフルに彩ることが出来るんですね。


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女ごごろとは不思議なものです。


100歳近い老女がお化粧を始めたら血圧が安定して来る不思議。


スターを追っかける心理が平凡な毎日をイキイキさせる不思議。


救急搬送された時まで下着がお揃いでないことを悔やんでしまう不思議。


そこの男性のあなた。


それを愚かと笑ってやしませんか?


ダメダメ、それでは決して女性にモテません。


コスメ・ファッション・ジュエリー・グルメ・・・


なぜ女がこのようなものに夢中になれるのか、確かに謎が多いですよね。


でも女性たちが豊かさを心の内側から溢れさせるようになったなら、明らかに世界は今よりずっと平和でシンプルになる。


女が満足していたら、家庭も職場も安らぎに包まれるのではありませんか。


実際、世の中の女性が女を捨て始めたらこの世の経済は回らなくなってしまうのです。


女性が満足して微笑んでいる限り、地球は回り続けることでしょう。


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女は灰になっても女でいられるのか?


実は肉体が死に、火葬され、本当の灰になったなら、その時女は女じゃなくなるんです。


と言いますか、借り物のこの身体が分解され魂だけになったなら、もう既に男でも女でもなくなっちゃってるんですよね。


知ってましたか?


魂に性別は存在しないのです。


向こうの世界じゃ男も女も一切なくって、誰もが魂だけの裸ん坊の存在。


スッキリしたものなんです。



では未練を残した女が幽霊になって男をタタるのはなぜ?


断っておきますが、あれはあくまで低級な地縛霊のみ。


一般的な善良な市民にとっては、死んでも今までの生活が連続されてくケースがほとんどです。


それまでのメモリーのせいで、関心事や生活傾向が繰り返されます。


あっちの世界に移行しても生前慣れ親しんだ同じ環境に住み続けて、自分が死んだことに気づかないものも多いと言います。


我々は魂のレベルにおいては、男でも女でもない光のような存在なのです。


なのに肉体をまとっていた時の記憶のせいで「灰になっても女」って勝手に思い込んでるだけなのかも知れませんね。



じっとり重〜い地縛霊にならないためにも、「女たちよ!女を完全燃焼せよ!」と言いたいです。


女と生まれたからには女をやりきる覚悟で、精一杯女を生きるがよい。


その方が潔いし、あっち世界に行った時、自由になれそうに思いません?



<生きてる>ことにもっともっと意識的になってみましょう。


女と生まれたからには<がっぷり四つ>で女に向き合ってみよう。


もしかしたら<女と生まれたこと>そのものに、何かクリアにすべきテーマがあるのかも知れないですしね。



やはり女は<生きてる時>こそ最高にイイ女なのです。


この世に未練を残さぬように、是非とも<燃焼系のイイ女>を目指して生きて行きましょうね。


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by viva1213yumiko | 2017-08-30 17:30 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

願望実現ヴィジュアル系


もしもあなたに何か叶えたい夢があるなら、まず最初にその夢が叶った状態をありありとイメージしてみましょう。


願望実現のハウツー本には大概このように書かれています。


これは人間のヴィジュアライゼーションの力には、とてつもないパワーが潜んでることを意味してます。



試しにちょっとレモンを想像してみて下さい。


レモンを手に取った時の重さや手触りを、表皮のオイル分が醸し出す甘酸っぱい香りを、あたかも本物のようにリアルに感じ取ることが出来ますか?


次にナイフでレモンを半分に切ってみましょう。


皮のオイルがにじみ、レモンの果汁も溢れ出して、手に流れ落ちて来てるかも知れません。


そしてレモンを絞って数滴口の中に落としてみましょう。


その時果汁が目に入りそうになり、あなたは思わず目を細めます。


レモンのキリッとした酸っぱさが口の中に広がる様子をイメージして下さい。


寒気がするほどの酸っぱさに、あなたは口をスボメ、ついつい険しい表情になってしまいます。


どうです? 唾液が溢れて来ていませんか?


レモンのことを想像するだけで唾液腺が刺激され、肉体に明らかに変化がもたらされている。


ほらね・・・これがイメージの持つパワーです。


こんな風にリアルに、まるで本当にそこにあるかのように物事をイメージする能力のこと。


それを<視覚化力>と呼びます。


視覚化力とは考えを現実世界に現象化させる、ヴィジュアル系のアイデアプランのことです。


三次元の物質世界を制する者になりたければ、この視覚化力を正しく使いこなすことは必須です。


視覚化の能力はとても大事です。


多分あなたが思っているより、ものすご~く大切なんですよね。


視覚化力を高めれば人生のクオリティーが、今より格段と上がること間違いありません。



そういえばエア・ギター選手権ってありますよね。


ありもしない架空のギターをまるでそこにあるかのように弾いてみせ、有名ギタリストまがいのパフォーマンスを競う、バカバカしくも楽しい競技。


このエア・ギターなんかも、やる方と観る方双方の視覚化力が試されますよね~


パフォーマーの心のイメージが、聴衆が持ってる潜在イメージを喚起し、観客の心の何かに火をつける。


イメージというのは人間の内面的な部分に何らかの影響を与えるようですね。


視覚化力に秀でた人物は、自分に宿ったイメージを周りに伝染させることが出来るんです。


リーダーシップを発揮する人って大体そういう人ですよね。


視覚化の能力はとても偉大な能力です。


指導者たちが我々をどういう未来に導こうとしてるか、我々は彼らが語るそのイメージから探り当てられます。


そこから善良で正直で清らかなイメージが伝われば、人々の心にも優しく暖かい愛のようなものが宿ることでしょう。


けれど罪悪感や恐怖を煽るようなイメージだったら、敵愾心や憎しみばかり植えつけられて行く。


あなたに未来を語ってみせる人が、どのような視覚化力・イメージ力で動いているのか、じっくりと見極める必要がありますね。



今ここには実在しないものを視覚化する能力。


それは特定の物事の、形や場面や状況を作り出す作業のこと。


そのためには意識を拡張し、物事を注意深く観察したり、物事に完全に集中出来たりしなければなりません。


なので視覚化(ヴィジュアライゼーション)は、得意な人と不得意な人とに分かれるように思います。


美術系の人間ならお得意の分野かも知れませんが、理数系の人など「視覚化ってどうも苦手」とこぼしてる人もいるようです。


でも視覚化力も単なるスキルのひとつなので、練習次第でいくらでも上達出来るんですよ。


心の目でイメージする力を高められれば、それは人生の豊かさのパスポートを手にしたも同然。


視覚化が苦手と思う人も、是非ともイメージ能力の開発に取り組んで下さい。



それに実は気づいてないだけで、どんなにヴィジュアライゼーションが苦手な人も、無意識レベルではとっくの昔から視覚化しちゃってるんですよね〜


でなければ、あなたは世界と関わりを持てません。


あなたの世界は、かつてあなたが顕在意識や潜在意識で視覚化したからこそ、今のあなたの身の周りに出現してるのです。


「あればいいな」と思ってイメージし求めた。


だからこそあなたの手元にやって来ている。


だから、そもそもあなたのアイデアが原因です。


アイデアが先にある。


そして現実が後から遅れて現れる。


これって、人生全般に起こることもほぼ同じなんですよ。


あなたの人生に集まって来る<人・モノ・経験>は、全てあなたの中のささやかなイメージからスタートしています。


人生上の出来事は、基本的には皆んなこういう構造をしてるんですね。



だからこそ、イメージを無意識のレベルで視覚化するのは凄く危険です。


だってそうですよね。


ちょっと考えてみて下さい。


怒りや憎しみを抱えた人がその感情に気付くことなく、そのまま無意識でヴィジュアル化しちゃったら、それは戒厳令を敷くほど危険です。


その人たちは心の中の銃や刃物を無意識にイメージし、無意識に創造してることになる。


無意識に危険を撒き散らす人間くらい厄介なものはありません。


それは見えない世界に爆発物を持ち込むテロリストのようなもの。


見えない世界に蒔いたタネは、条件さえ整えば現実化してしまうのです。


イメージの世界の爆弾も、ちょっとした刺激ですぐに本物の爆弾に変わることでしょう。


誰だってテロなど必要のない世界に住みたいですよね。


争いや憎しみのない世界に生き続けたい。


だからこそ我々は24時間、自分が<言うこと・すること・考えること>に注意を払ってないとダメなのです。


見えない世界の倉庫に爆発物を置きっ放しにしないよう、最善の注意を払わなければなりません。



願望はいずれ実現します。


充分に時間さえ与えれば、普通の人の一般的な願望など必ず叶ってしまうもの。


あるとしたら遅いか早いかの違いだけです。


だから上辺ばかりのペラペラの欲望でなく、真実の願いを祈願しないと、あなたの人生の貴重な時間を無駄に使ってしまうことになるでしょう。



人は皆、それぞれの魂の示す道を進むべきです。


でないと他事に気を取られたり、途中で挫折して進むのを放棄したりすることになる。


中には道を誤る者もいるでしょう。


俗世を嫌って人里から離れる者もいる。


それでも他者と同じ道を歩む人間など、何処にも存在していません。


人が生きるということは、何ものにも代えられない、たったひとつのオリジナルな創造行為だからです。



自分の行くべき道を正しく視覚化出来ているでしょうか?


内側から溢れる本物のイメージを追い続ければ、あなたは自分の魂と良い関係を結ぶことになるでしょう。


生まれて来た魂の目的を、思う存分自由に表現して人生を終えるべきです。


魂の目的を忘れて、人生の迷子になってはならないのです。


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by viva1213yumiko | 2017-07-16 16:46 | 人生・霊性 | Comments(0)

女体に宿る奇跡の花

[女の体を宿主にして、鮮やかに花を咲かす植物がある]


あなたはそんな奇跡みたいな話しを信じますか?


以前観たファンタジー映画の、不思議な花のお話しをしましょう。


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映画<シャニダールの花>より  



突然変異のこの花は、女性の身体を母体にして鮮やかな花を咲かそうとします。


もちろんそれはごく稀な現象で、花を宿す女性を探すのはとても困難でした。


しかし、花の花弁から摂取する成分には新薬開発の貴重な成分が含まれていた。


なので製薬会社は研究機関を設け、情報を隠蔽して厳重な管理下に置いている。


研究協力費と称した億単位の金と引き換えに、各地から<肉体に花を宿す女たち>が集められました。


そして温室みたいなクリーンな施設で<花の開花を待つ女たち>は、ただただ静かに暮らすのです。


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女性の身体になぜこの花が宿るのか、研究者たちもまだ解明出来ません。


けれどそこには心理的要因が絡んでいました。


どうやら本人の意思が花の開花に影響を与えるらしいのです。


心が緊張すると花は咲かない。


心の安定が花の開花を促すのです。


母体心理と植物との調和?


それはシンクロニシティとか、微妙なバイオリズムにも左右されてるようでした。


花の開花とはそれらが絡み合って起きる、ホントに稀な奇跡現象だったのです。


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開花時期が近づくと大概の女たちは感覚異常に見舞われます。


人体に寄生するのはある種狂った花なのです。


だから誰もが少しおかしくなる。


女たちは心に大きな闇を持っていて、その穴を埋めるものを捜そうと常に揺れてるんですね。


だから花は彼女たちのそんな「心の絵だ」とも言えるのです。


ある意味、花を咲かすことで彼女たちの存在理由が証明されるという訳です。


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花を咲かせることができない女は研究所から退去しなければならなりません。


入所時にそういう約束で契約書にサインする。


花を摘む摘出手術はとても危険で、人体から切除する際には大きな負担がかかるのです。


法外な金額の研究協力費はそのリスクのせいだったんですね。


でも、だからと言って切除せず咲かせたままにしておくのも危険です。


満開を過ぎそのまま放置したら、花そのものから危険物質が出て来るからです。


花を摘むのは危険。


けれど咲かせ続けるのはもっと危険という訳です。


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<女体に宿る奇跡の花>


これが映画の概要なんですが、さてこの話しの教訓とは一体何なのでしょう?


う~ん、難しいですよね。


女体に宿る奇跡の花・・・


私にはこの花は、女の体にこびりつく根深い<業>みたいに思えてならないんですよねぇ〜



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女にはある種の<業>があるんです。


女は<いのちを産み><いのちを育む>大切な役割を担っている。


何ものにも代えがたいその喜びを味わう代わりに、女には支払うべき代償があったのです。



女性性とは受容性を意味します。


言い変えるなら、それは「与えられた運命を全て受け入れること」なのかも知れません。


与えられ生かされる我々の<いのち>


その運命の荒波を、黙々と忍耐強く受け入れ、育んで行かなければならない。


人生にどのような困難が待っていようとそれを受け入れ受容する。


まるで聖母マリアのようにです。


それが女性の美徳、母性の美徳だとされて来ました。


受容性とは<母性の結実><その完成形>だったのです。



しかし、それは忍耐と我慢の連続ですよね。


分かり合えない人間関係に対する諦め。


後悔しても二度と取り戻せない過去。


守るものが多いほど犠牲になっていく自分自身。


受容性の美徳の影で、そのような想いや感情は置き去りにされたままです。


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花には雄しべと雌しべがあります。


それはつまり「花には男と女が同時に存在してる」ってこと。


さらに言い換えるとそれは「成長して繁殖する要素をあらかじめ自分の中に持ってる」ってことになりませんか?



それに比べて人間の母性とは他者との関係性に身を委ねざるを得ません。


夫との繋がり・子供との繋がり・親との繋がり・世間様との繋がり。


女性は誰もが関係性の中に飛び込んで行かざるを得ませんよね。


女・妻・母・母の娘・姉・妹・・・


女性性とは人間関係をつなぐ<結びのエネルギー>だからです。

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女性たちがこの世界に関係性の花を咲かすのはとても美しいことです。


でもあなたの花は本当にそれだけ?


あなたの心が今枯れそうになっているとしたら、思い切ってその花を摘み、新しい花を咲かせる方法を考えねばなりません。


恐れる必要はありません。


本当の魂の花は決して枯れない。


そして決して汚されることもないんです。


花は共存と繁栄のシンボルです。


<女体に寄生する奇跡の花>は、あなたを輝かすことが出来る神秘の贈り物だったのです。



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追伸:

自分自身の魂の花を咲かせたいと願う方のために開花支援を行っております。


興味のある方はどうぞご覧下さい。


ブロッサム・ワークス





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by viva1213yumiko | 2017-04-12 18:45 | オペラ・バレエ・映画 | Comments(0)

G線上の魂

熊本地震でお亡くなりになられた方、親しい人を亡くされた方々に捧げます。

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大きな事故や天災が起こるたびに、人の命とはなんて儚いものだろうとつくづく感じます。

日々の営みを一瞬でガレキと変える圧倒的なエネルギーを目の当たりにして、我々人間とは本当にちっぽけな存在でしかないんだと深く気づかされます。

今現在のこの瞬間に、自分という生命が呼吸し<生きてる>ということ。

いやむしろ、目に見えぬ何かの存在に<生かされてる>ことを通説に感じてしまいます。

<生かされてる>ことはそれだけで完全な奇跡ですね。

死の存在が身近になるほど<生の意義>がくっきりする。

これこそメメント・モリ(死を想え)って奴なのでしょう。

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私たちは裸で生まれ、そして裸で死んで行く。

家や財産、家族や友人・・・

何一つとして向こうの世界に持ち込むことは出来ないのです。

たった一枚のコインでさえも持っては行けない世界。

それが死というアナザーワールドです。

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死の世界への移行とは、一体どういうことなのでしょう。

死の瞬間のその時は、実際何が起こっているのだろう?

心の準備もままならず亡くなる人の魂は、果たして救われるのものなのか?

あちらへ行っても魂は荒ぶるままなんだろうか?

いや、むしろ一切のこだわりから解放されるか?

死者たちの乗る船は、そこからどこを目指すのだろうか?


我々には分からない。

何も分からない。

分からなぬことが多すぎるのです。

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死者たちの魂が傷を負っているかどうかはとても気になるとこですが、それにも増して気になるのは残された者の心の痛みのことです。

愛するものを失う悲しみは、残されたものにも大きな傷を作るからです。

残された者の心は深くえぐられ、バラバラに解体され、捨て去られます。

完成したジグソーパズルを土足で踏みにじるようなもの。

あなたを根源のレベルから揺り動かす、底知れぬ痛みが襲って来ます。

愛する者の死。

それはひとりの人間を全く別の人間に作り変えてしまうほどの、それほど強い衝撃なのです。



「どうしてあの人は死んでしまったのか?」

「なぜ私でなく、あの人が死ななきゃならないのか?」


人は自分のためだけに生きるのではありません。

残された者の心も、生死の境いのギリギリのラインに接近する。


「どうしてあの人は死んでしまったのか?」

「なぜ私でなく、あの人でなくてはならないのか?」


その問いに答えを出せる人はどこにもいない。

だから自分ひとりで答えを探しに行くしかないのです。


全国から届く「熊本ガンバロウ」の応援の声。

しかしその裏に取りこぼされたたくさんの悲鳴が、こだまのように空を漂っています。

だから・・・

死に行く者の魂のために、取りこぼされた悲鳴のために、祈りと鎮魂が必要なのです。

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なぜ人は死ななければならないのか?

いずれは死ぬ定めのこの人生を、どう生き抜いたらいいのか?

我々には分からない。

そんなこと誰にも分からない。

親も先生も教えてくれない。

私たちは皆ひとりひとり体当たりで学んで行くしかありません。



人って自分が思うほど強くはないのです。

だから泣くべき時には思いっきり泣くが良い。


魂が嗚咽の声を出してると、深くえぐられ軋んでると、むしろ気付いてあげないと駄目なんです。

そうじゃないとマヒした痛みで、傷口はさらに大きく蝕まれる。


人の魂ってガラスのように脆いのです。

そしてとっても寂しがり屋。

だからすぐこの世に集まりたがる。


ヴァイオリンのG線上にも、ほらね、こんなに集まっています。

死んでしまった魂も、残ってしまった魂も・・・

ざわつく魂を鎮めたくて、こんなに集まって来てしまうのです。















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by viva1213yumiko | 2016-04-28 23:50 | おとぎ話・こぼれ話 | Comments(0)

逃げる人のスピリチュアリズム

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日本人社会っていうのは<同調性バイアス>が、めっぽう強い社会なのだそうです。

同じ見方、同じ感情、同じ喜怒哀楽を暗黙のうちに求められ、「皆んなと一緒にしておけば取りあえず安心」っていうそんな文化ですね。

日本社会では頼みごとを断る時にも、「誠に恐縮で恐れ入りますが」とか、「お役に立てず申し訳ありませんが」とか、美しい言い訳の常套句をたくさん並べてお断りします。

優しいオブラートに包んで、丁寧に断らなければなりません。

それを怠って「いいえ駄目です」と結論から伝えると、つっけんどんで失礼な人という烙印を押されてしまいます。

でも英語だったらたった一言「ノオ!」

それだけで済んじゃいます。

日本文化では「ノオ」を使ってしまうと、ズバリと切り捨てる感じになっちゃって、なかなか難しいのです。

特に女性などキツい印象を与えてしまいますよね、

だからそこら辺のニュアンス表現に気を使うあまりに、自分の意見が YES なのか NO なのか良く分からなくなったりして・・・

そこがまたモヤモヤ感を募らせます。

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日本の社会では、人の感情に敏感になることや、他人が期待するように行動することを要求される。

それは生き延びるための<ツール>です。

日本人って<おかげ様>とか<お天道様>とか、何か個を超越した大きなものに皆んなで繋がってるような気分でいます。

その繋がりを、イコール社会と感じてる人が圧倒的なんじゃないでしょうか。

国民の多くが「自分は無宗教だ」とアンケートに答えるのに、皆んな心のどこかに目に見えない存在を信じている。

それは欧米文化みたいなはっきりした神ではないんだけど、大きく畏れ多い存在を漠然と信じてて、その共通認識で何となく社会が成り立っている。

そこが日本文化の良さですよね。(悪さでもあるが・・・)


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しかし時代は急速に加速しています。

海外からのお客様も増え、今、日本人のアイデンティティーは突きつけられてます。

時代は新しい段階に突入してるのです。

だからそれに見合うエネルギーへ、我々もシフトしなければなりません。

日本人自体の生き方が試され、向き合わされているのです。

 [和をもって尊しと為す]

日本文化の美点を生かしつつ、日本人は個を確立する段階へと来てるのです。

そう。 今の時代<自立の時代>なのです。


ここでいう自立とは、経済的な自立のことだけじゃありませんよ。

もっと普遍的な<魂の自立>のことです。

私たちの魂っていうのは、厄介な家族の問題や社会的なプログラムの影響を乗り越え、一人一人がかけがいのない本当の自分を生きること、それを何よりも強く望んでいるんですね。

おのおのの<魂の欲求>に従い、<魂の望む人生>を生きること。

<魂の使命>を成就させてあげること。

己の肉体を<魂の意志>のままに利用し、人々のために使うこと。

それらを本当の意味での<魂の自立>というのです。


でもね・・・

実際自立ほど怖いものもないんです。

厄介な現実問題と向き合って一歩一歩解決する難しさ、煩わしさも受け入れなければなりません。

多くの人はそこで逃げる。

そして安易なスピリチュアリズムに逃げ、幻想を作り上げる人も多いんですね。


逃げて依存する人に、スピリチュアリズムは格好の隠れ家を与えてくれます。

現実逃避の装置を差し出すからです。

だから個を確立して、スピリチュアルな知恵を現実の人生に落とし込んで少しずつ前進すること。

何よりもそれが大切です。

個を確立せず空虚に生きてると、多次元的世界のへんなモノに憑依されやすくなっちゃうので、そこら辺にも気をつけて欲しいです。


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あなたが常日頃から「嫌だなぁ〜」と思ってることは何ですか?

なぜそれが人生に繰り返し現われて来るのでしょう?

それはその<嫌なこと>の中に、あなたが克服すべき次の課題があるという証拠です。

<嫌なこと>から逃げたとしても、課題は必ず追いかけて来る。

逃げるパターンを繰り返すと、今の場所から成長はできません。

自己否定や自己卑下が憑依を生み、日本的なスピリチュアルを作るのです。


占い師から貰ったアドバイスで、問題をどう捉え直す?

ヒーラーから受け取ったヒーリングで、人生にどう対処する?

パターンに気づいて自分を変えること。

それが最も大切です。

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真に幸福な人生を送るためには、まず最初に<魂の望む行き先>を見極めねばなりません。

そうでないといつまでも迷ったり、袋小路にはまったり、今の場所から前へ進めなくなってしまいます。

あなたの生き方はいつでも試されているんですねぇ〜

その度アイデンティティーも突きつけられているんです。

迷った時、困った時ほど、その人の真価は試されているんですね。

ピンチの中にこそ、チャンスは眠っているのです。


誰かがあなたの世界を変えてくれるのを待っていても、そのような形で変化は起こりません。

<個の自立><魂の自立>が必要なのです。

癒されたいばかりの人は、人生の手綱を握っていないことになるんですね。




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by viva1213yumiko | 2016-01-23 10:40 | 人生・霊性 | Comments(0)

スピリチュアリズム実践

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スピリチュアルな話し、霊的なものの話しになると、とたんに懐疑的になって眉をしかめる人々がいますよね。

「何だか眉唾だよねぇ~」

「科学的に証明出来ないでしょ?」

「新種の宗教みたいなもんじゃないの?」

エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ・・・


霊的なものを信じる信じないは本人の自由、好みの問題だから、はっきり言ってどちらでも構わないと私は思っています。

しかし、多かれ少なかれ人間は何かしらの信念を持ってるので「人は皆何かを信じて生きる生命体である」とも言えるんですね。


「イワシの頭も信心から」という言葉がありますが、例えゴミ同然のつまらないものでも信仰すれば非常に尊いものになる。

第3者の眼からみればどうって事ないものも、神棚に祀って信心すれば、ありがたい神聖な力が生まれます。

結局、人は皆自分の信じる信念を表現して生きている。

そういうものなんだなぁ〜と思います。


だから「人生とは重き荷物を背負って歩む坂道である」と信じる事も出来るし、「人生って良いものだ。自分ってなんて幸福なんだ」と信じる事も可能です。

人生は<光と闇との絶え間ない戦場>と見なせば、あらゆるところに対立という概念が立ち上がって来ますよね。

人生を<魂を成長させる学び舎>と見なせば、あらゆる出来事に感謝の気持ちが生まれます。

人間は自分が信じたいように、この世界を感じ取って生きる権利があるのです。

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しかし信じようが信じまいが、人が一生懸命生きようと思ったら、霊的に生きて行かざるを得ないのもまた事実なんですねぇ〜

例えば農業をやっている人の事を想像してみて下さい。

農作物の作り手なら少しでも良い食べ物を作る事が目標となるんでしょうが、それは食べ物の霊化とは言えませんか?

それが絵描きなら魂のこもった良い絵を描く事、これが一番の喜びですよね。

詩人なら人の心を揺さぶる言葉の霊化、そこが目指す場所となります。


芸術作品ばかりでなく、優れた商品・サービスには否が応でもスピリッツが伴うもの。

心血を注いで開発された良質な商品とか、どんどん人が集まる人気店とかにも、やはり何らかしらの想いやスピリッツが存在してるのです。

そこら辺、ノウハウだけを真似ても上手くはいかない。

見えない何かが作用してしまうんですね。

だから唯物論だけでやって行こうとすると、人も社会もやがては袋小路に突き当たってしまいます。

好もうが好まざるが、やはり人間とはスピリチュアルそのものの存在なんですよねぇ〜(笑)

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果たして霊(スピリッツ)とは一体何ぞや?

霊が持つ力とは、ざっくり言っちゃえば、人々が無意識の底に隠してるエネルギーの事ですね。


何らかの事情により霊の力が立ち上がると無意識の情報が解放され、その人を大きく揺り動かす事があります。

ある時突然パカッとふたが開き、止めどもなく無意識エネルギーが流れ出す事ってやっぱりあるんですね。

理由は様々で一概には言えないのですが、[大きな病・ショッキングな事件・激しいスポーツ・出産時やSEXの体験] などが引き金になる場合も大いにあり得ます。

その時尋常ならざる力が我々の中に流れ込む。(こともある?)

尋常ならざる<ちはやぶる神>が、日常の意識の前面にど〜んと踊り出て来るんですね。

名だたる預言などは、この意識状態でなされたのでしょう。

いわゆる<神降ろし>です。

昔の人はこの神が降りて来る状態を恐れおののき、また畏敬の念を抱きました。

ところが現代の文明では、この手の<巫女病>さえ精神病理の扱いとされるのですから、誠にスケールがちっちゃいんですね。

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実は宇宙というものは、ダイナミックなエネルギーそのもので出来てるんです。

宇宙に存在するすべての物事は、存在自体神聖なエネルギー場の表現であり、私たちはそれを知覚し体験しながら生きてるという訳なんですね。

だから日常の生活とスピリチュアルな学び・気づきは、切っても切り離せない。

何をするにしても必ずスピリチュアルなプロセスに繋がります。


どんな職業についたら良いか?

お金をどのように稼ぎ、使い、貯めたら良いのか?

どのように人間関係を構築したら良いのか?

それらも一種のスピリチュアルなプロセスです。


都会の中で社会人として苦労して生活する事は、最も良いスピリチュアルレッスンだと言えるでしょう。

そのように考えてみると、人生で起こる良い事・悪い事・その他あらゆる出来事が、スピリチュアル(精神力)の成長のためにあるのだと理解出来ますよね。


スピリチュアリティーは、似てはいるけど宗教ともまた違うものです。

信仰の対象など何でも良くて、むしろ「自分を信じるか信じないか」「生きる事で成長しようとしてるか否か」がテーマになって来るんですね。

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結局のところスピリチュアリティー(霊性)とは、自分をどう扱うかという事に尽きるんじゃないでしょうか?

それは「人に対して無条件の愛を実践し、倫理観を持って生きる」というごく当たり前の道徳です。


<無条件の愛>というのは、人がそのままでいる事、あらゆる事を行う権利を認める事でもあります。

必ずしも相手を好きになる事ではないし、人を変えようと努力する事でもありません。

自分を犠牲にしたり、いつまでも我慢する必要もないのです。


家族の問題や社会的なプログラムの影響を克服して、本当の自分を生きる事。

魂が表現したがってる事を行動で示す事。

それこそが本物のスピリチュアリティーです。


結局スピリチュアリズムは<実践ありき>なんですね。

調子に乗りすぎると、<愛の鞭>という厳しい指導も待っている。

案外体育会系だったりもするんですよね。(笑)




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by viva1213yumiko | 2015-10-12 20:11 | 人生・霊性 | Comments(0)

グレタイ族リポート

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足首につるを巻き、30mの高さから成人式のバンジージャンプをする、南太平洋のバヌアツ族。

森で出産し、人間の子供として育てるか聖霊として森に捧げるかを女性が選ぶ、アマゾンのヤノマミ族。

水曜日生まれや、満月・新月生まれの女性が選ばれて首に真鍮の輪をはめる、タイ北部の山岳民族パダウン族。

世界には実に様々な文化があり、驚きに満ちた風習が存在します。

文化人類学のフィールドワークって非常に興味深いですよね。

直接異文化と接触して、交流と理解を深めて行くのですから、常に新しい体験と遭遇する覚悟が必要です。

そこでは自分の世界観をひっくり返される事もしばしばでしょう。

カルチャーショックとは、自分の認識領域を広げる要素となり得るので、フィールドワークを広げて世界を見聞する事は、同時に自己を拡大する事となります。

だから人の成長には異文化交流が必要なのです。

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実はここだけの話し、私にも独自に調査を続けてる研究テーマがあるんですよ。

秘かにある少数民族について、オリジナルの調査を重ねて来ました。

そして最近になってようやく、漠然とした彼らの全容が把握出来るようになって来たんです。

今回は、幻の民<グレタイ族>のお話しを致しましょう。



   [グレタイ族の主な特徴]

・グレタイ族は温帯地方を中心に広く生息する。
 その多くはひとつ以上の特定言語を用いる。

・グレタイ族は群れを作って行動する。
 単独行動は苦手とする傾向にある。

・グレタイ族は共同体内での責任を重んじる特徴がある。
 故に気質は概ね勤勉である。

・グレタイ族は<人並み>という道徳観を重んじる。

・グレタイ族は原則一夫一婦制を守っている。
 しかし婚姻形態の価値基準に個人差があり混乱が生じやすい。

・グレタイ族は表情が固い。身体も固い。肩こりも多数見受けられる。

・グレタイ族は時々ぼんやりと遠くを見つめる。ため息を吐く事もある。

・グレタイ族の多くに現実逃避願望があるようだ。

                   フィールドワーク・リポートより
 

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ある日の事、知人がふとした弾みから少女時代の身の上話しを始めました。

少女期の彼女を襲った過酷な境遇は、見事なほど不運の連続でした。

両親の不仲、父親の暴力、血の通わない兄弟姉妹、彼らの無責任な借金、母親の大病、その介護。

思春期だった彼女の深層部分を思うと、私は同情しないではいられない気持ちになりました。

「あなたは凄いわね。そんな状況でもグレなかったんだもの。」

少女だった彼女の決断や勇気を称賛したくて、私はそうコメントしました。

すると彼女は遠い眼差しをし、こう呟いたのです。

「グレる事が出来たらどんなにか楽だったろうと思う。 でもね、グレたくてもグレられなかったの・・・」


グレたくてもグレられない。

家庭内での責任がいつでも肩に重くのしかかった状態だったので、彼女は責任放棄など考えも及ばなかったらしい。

アルバイトを掛け持ちし、家計を助け、母親を慰め、いつも明るく自分をムチ打ち、何とか生き抜いた。

「ここで踏んばらなくって、自分はどうするんだ」ってね・・・

それは、少女期から40代までを怒涛の運命と共に駆け抜けた、<元・女の子>の真実のストーリーです。

私がグレタイ族と接触するようになったのは、これが最初のきっかけでした。

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グレタイ族のカテゴリーには、責任感が強くて優等生タイプ、面倒見の良い長男長女タイプが比較的多く分類されるようです。

彼らの心理構造は、概ねこのような仕組みになっています。


「周りの辛い状況って、自分にも責任ある」

「思えば私も悪いとこあったし」

「だからワガママ言っちゃいけない」

「私がここで我慢すれば、皆んな喜こぶし」

「とりあえず、全てまるく収まるし」


そんな風にして大人になった人間は、周囲から期待されるパーソナリティーを演じるようになります。

問題発言・問題行動のない、いわゆるイイ子ちゃんなので先生も親も安心しており、色々なものが見落とされがちです。

しかし純粋培養のイイ子ちゃんほど内圧は高い。

心の内側に<悪>を内包せず成長した子供は、むしろ却って危険なのかも知れません。

親や社会の期待を生きる。

その見返りとして自分の魂がどんどん死んで行くからです。

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それでもなんとかやり繰りして、無事に大人に成長したとしても、中年期を過ぎた辺りでふと別の人格が顔を出すようになって来ます。

そして金属疲労が起きるように、ある時突然人生が辛くなってしまう。

ある種のイメージにがんじがらめになり、袋小路でもがき苦しむ。

それがグレタイ族の特徴です。



グレタイ族の存在に気付いてから、改めて周囲を見回してみました。

すると・・・いるわ、いるわ。

かなりの比率でこの人種が存在している事が明らかになって参りました。

グレタイ族はそこかしこに生息している。

家庭の中、教室の中、居酒屋の中、電車の中、仲間の中、職場の中。

いやはや、どこにでも存在してたのです。

グレたい妻・グレたい夫・グレたい子供・グレたいシニア・グレたい先生・グレたい経営者・グレたい政治家・グレたいヤクザもん。

日本国中、グレタイ・ピープルです。


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世はまさに水瓶座の時代であります。

水瓶座の時代とは素早い変化のエネルギーが渦を巻いて、宇宙のすべてにバランスと調和の実現を促すそんな時代だと言われています。

次々と変化が訪れるので、論理的に人生を予測・計画する事は困難で、素早い決断をしないと経験自体を失ってしまうでしょう。

だから今まで自分を押さえて生きるしかなかったグレタイ族にも、いよいよ変化の時が迫っています。

柔軟な発想が必要とされるのです。


グレたい人々がグレる必要もなく、イキイキと自分を表現するためには、考え方の習慣をちょっとだけ変化させる必要がありますね。

簡単なのでここで教えておきましょう。

それは「私は○○をすべきである」と、脳で考える習慣をキッパリやめる事です。

そして常に「いま自分がどう感じるか」に注意を払うようにする。

優先すべきは「自分が心地いいのか、悪いのか」

ただそれだけで十分です。


実は人生では、どのような経験をしてもまったくOKなんです。

そこには正解なんてのも、最初から存在してないんです。

自分の魂とのバランス関係を、何よりも大切に築きましょう。

人生には説明出来ない事がたくさんあり、どうしてそんな事が起こったかなんて大して重要な事ではありません。

どんな環境で何をするかも、実はそんなに重要じゃないんです。

あなたが最大限に潜在力を出し切って生きる事、あらゆる事を判断なしに経験する事。

それが最も価値ある事なんですから・・・

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グレたい妻・グレたい夫・グレたい子供・グレたいシニア・グレたい先生・グレたい経営者・グレたい政治家・グレたいヤクザもん。

日本国中、グレタイ・ピープルばかりです。



 今、グレタイ族の心はひっそりと、そしてしたたかに発熱している。

 静かだった湖面にさざ波が立ち始めている。




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by viva1213yumiko | 2015-09-16 12:13 | 人生・霊性 | Comments(0)